和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 作:鉄鋼怪人
第一八五話
ふぅ、と深く息を吐く。覚悟を決めて、俺はその場で胡座をかく。
勢い良く装束をはだけさせる。上半身を晒し出す。外皮に空気が当たり、それ以上に悪寒から身震いする。鳥肌を立たせる。
「……!!」
己を奮い立たせて、視線を下方に向ける。生き残るために日々欠かさず続けた鍛練の成果……ボディビルダーとはいかずとも実用レベルで割れ気味の腹筋と大胸筋は血反吐を吐く努力の結晶で、内心の自慢でもあったが、今日に限っては寧ろ憂鬱でしかなかった。脂肪に欠ける肉付き故に、嫌でもそれが分かってしまう故に。
「……」
桜紋の鞘から刃を引き抜く。白銀色に輝く刃を見る。角度を変えれば光が反射して一層見事な仕上がりを見る者に抱かせる。桜の姫君から賜った短刀。漸く返還された神格すら切り裂く霊刀。
……きっとあの病み狂った夫人の、特大の嫌がらせだった。
「糞がっ!!」
クルリと刃を己に向ける。大小無数に、多種多様に刻まれた傷だらけの己の身体に突きつける。息を呑む。唾を呑む。切腹の体勢……!!
「糞がっ!!糞がっ!!この糞っ垂れが!!」
語彙が乏しくなったかのように単純な罵倒の言葉を連ねて吐き捨てる。別にそれで良かった。悪口のレパートリーを増やした所で何の意味もない。思考と時間の無駄遣いである。罵倒は目的はない。己を納得して、踏ん切りをつけるための儀式でしかなかった。
「っ……!!?」
切っ先を、胸の表皮に当てる。流れ出る一筋の紅色にひきつった笑みを浮かべる。
「上級者は十文字やらモツ投げするんだっけか?ははは、あり得ねぇ。変な薬でもやってんのかよ?」
怖い。怖い。痛そう、怖い。嫌だ。畜生!吹っ切れろ。此くらい何時もの事だろ?これまでだって酷い怪我なんてしてきたろ?死にかけるなんて日常だ。刃で裂くなんて今更だ。刻まれる傷が一つ二つ増えるだけだ!だから、思い詰めずにグイッと……ふざけるな、ふざけるな!ふざけるな!!馬鹿がぁ!!!!
「痛いもんは、痛いんだよ!!」
怒鳴りながら俺は一気に豪快に振り下ろした。同時にヒグッと血混じりの息が漏れる。口内に広がる鉄の味。失神しそうになる意識……だが!
「やる、しかね"ぇ……!!」
見てられない光景を凝視して、掠れる意識を繋ぎ止め、最後の最期まで明瞭に俺は引き裂いていく。己を救うために己を壊し、己を殺していく。これは自棄でも狂気でもない。正気の所業だ。決死による、必死の所業だ。
全ては……己を含む全てのためにっ!!
「オ"レがっ!!ママに"なら"なぃため"、に"なぁ……!!」
地獄の苦しみに堪えながら、俺はどうしてこんな事になってしまったのか、幾度目かの追憶を始めていた……。
ーーーーーーーーーー
俺が孤児院付きの任務を終えたのとほぼ同時に扶桑国が北土に出兵した。それは余りにも急な事であり、尋常ではない雰囲気の中での出陣だった。
一般の民草は無論、退魔士家すらも実際に派遣を命じられた家以外には詳細が伏せられた。しかし箝口令を敷こうが関わる者の数から完全に秘匿するのは不可能である。いや、そうでなくても分析すればある程度予想は出来るものだ。
退魔七士より二名を含む動員された妖退治の専門家達は皆武具を主体として戦う面子であった。軍団兵からは火縄衆及び石火矢衆が分遣される。武士団は東・南土の荒武者共が選ばれた。
対人戦ならば退魔士家は先ず動員されない。辺土の夷族や反乱軍相手ではない。即ち、化物退治に相違ない。
火薬兵器を中心とした兵部省直属の精鋭軍を派遣するのはそれだけ朝廷が事を重要視している証明だ。現地の官軍では対応出来ないと判断したのだろう。一方で大筒は輸送されていない。大型の怪物が相手ではない。寧ろ小型で多数の群れである事を示している。理究衆の鳥面共を大量の車と共に見たという者もいる。化学兵器の利用する予定である事を示唆していた。
その一方で重装かつ情け容赦のない武士団を相当数投入し、しかも退魔士家は官軍とは打って代わって呪いに秀でた者、広域攻撃能力で知られた者は明確に除かれていた。
最後に近年の北土における事件を振り返っていく。さすれば主だった識者は自ずとその答えに辿り着く。
北土の何処かで残存していたか、あるいは再流行したと思われる河童共。吾妻雲雀の任務は恐らくこれに関係していたものだと思われた。原作ブレイク、そんな単語が一瞬脳裏に過る。
否。確信はないが俺にはそれが陽動なのだと分かる。救妖衆による策謀の一環だ。時間がたっぷりあった連中の事だ、多少の計画の軌道修正なぞ訳がない。寧ろ状況を常に最大限利用する輩共である。今回の討伐でもその気配は感じ取れた。
都を守る者達の内、都市や閉所における戦いに秀でた者達は、その多くが去ってしまった。残るのは小物か、あるいは人口密集地では扱いづらい大技の持ち主ばかり……都が戦火に晒されると確信していればその不味さが分かろう。
馬鹿火力使える分かりやすい実力者連中を手元に置く。保身のための行動なのだろう。都を守るための判断なのだろう。しかし所詮は素人考えであり、見通しが甘過ぎる。都で広域殲滅に使うような業は積極的には使えない。実力者達はその実力を十全に発揮する場所を奪われた。きっと都に攻めいる怪物共の殲滅を想定していた。化物共が内から溢れ出ての混戦になる事なぞ考えてもいまい。それはあの狂った左大臣が美辞麗句と共に罠を張った結果で、しかも更なる駄目押しまで御待ちかねであった。
「ここだけの話ですがね……」
家人扱となれば以前よりも遥かに視野が広くなるものだと実感した。下人と家人は立場が明確に違う。都に詰められている他の退魔士家と会話を交える事が可能で、それだけで多くの事が知れた。
朝廷の公儀は日夜紛糾しているという。扶桑国にとって央土防衛は、そして都の防衛は何よりも優先される。しかしながら今の段階で地方を完全に捨てるような判断は到底容認出来るものではない。嘗てと違い四方の土の開発は桁違いの規模で、経済的な結び付きも強い。非現実だ。河童共の討伐隊を派遣した理由である。
相当数の戦力を抽出した事が不安を煽った。大多数の公家はこれ以上退魔士を都から離す事に反対している。それは臆病から来る者が半分、もう半分は冷酷な計算から来る者だ。右大臣は後者の筆頭だ。
一方でそれを非難する「良識」的な者も少なくない。左大臣は彼らの言を入れて折衷案を唱えた。それはやはり罠である。
央土各地の退魔士家の人員を都の防衛のために引き抜いた。代わりに都に上洛している退魔士の内、中堅以下の層を穴埋めとして展開させる決定を下した。
央土は妖の大半が駆除された安住の地。強き妖は殆どおらず、故に地元の実力者を都に集め、代わりに地方の二線級を央土での雑用としてどさ回りさせる……理屈だけで言えば合理的だ。机上の空論だが。
地の利を知らず、地元住民との縁もない。不慣れな討伐。死亡する者は少なかろう。しかし間違いなく疲弊する。その日に備えてデバフを重ね掛ける……。
「左大臣様はお優し過ぎる」
「皆のためにとお考えになるが荒事の専門家ではない。だからこのような判断を為されるのだろう」
「仕方あるまいて。暫しの辛抱よ。所詮は一過性のものに過ぎるまい」
宴席で、鍛練で、挨拶で、任務で、そのような意見が退魔士家の間で語られる。一時期的に妖の活動が活発化するのは過去にも事例がある事で特段訝る事はない。左大臣は仁徳の象徴で、世間からの評判は折紙付きだ。扶桑において間違いなく最も民草から信望される権力者だ。誰もが彼を好意的に見て、信頼する。その言に耳を貸して、不利益すらも承知で折れる。例え実態が主人公様を見た途端に特濃の三連斉射して、ルートによっては一体化や牝堕ちや御人形遊びしようとするド変態であろうとも……。
積み重ねた信頼が違う。裏切者だと予見出来る者はいない。疑う者なぞおらず、そして……俺はそれに合わせるしかない。
原作知識を無駄にしている?残念ながらそんな次元の話ではないのだ。何処まで行っても俺は家人扱、大臣とは社会的信用が違う。何を言ったのかは重要ではない。誰が言ったのかが重要なのだ。下手に触れ回っても総スカンされた挙げ句消されるのがオチであろう。この件に関してはどうにもならない。
いっそ左大臣を暗殺は……どの道代わりの身体に乗り移られるだけだし一族郎党まで処刑では意味がないだろう。そもそも敢えなく返り討ちにされそうだ。アイツが無駄に強いのは原作で証明済みである。
……ずぶ濡れで足下に縋りついていた姫を思い返す。あの何処までも悲惨な笑顔で媚び求めた彼女ならばあるいは荒唐無稽な俺の妄想に従って……最凶のジョーカーだ。確実に殺せるだろう。その後は保証出来ないし、ここで切れるような安い切り札ではない。駄目だ。やはりそういう方向で考えるべきではない。
どうにもならない内に俺にもまた他の二線三線級の退魔士同様、任を拝命する事となる。そう。央土各地を駆け巡り発生する三下妖共を駆除せよ、と……。
「そういう訳だから死ねぇ!」
『ギャ!!?』
槍を薙ぐ。獣系の小妖、その急所たる首の動脈を裂いて一撃で致命傷を負わせる。のたうち回る化物は無視して振り返る。拳を突き出して突っ込んで来た鳥妖の嘴を首ごと折る。火炎に対して外套で己を包み込む。特殊な羽毛……天狗羽で編まれた呪外套は俺を炎から完全に保護してくれた。
「蜥蜴が!!」
火炎を吐き出してくれやがった巨大爬虫類共。俺は手車を振るって対応した。槍だったら表面の粘液で逸らされていたやも知れぬ。しかし刃以上に鋭い糸は触れた途端に頑健な妖の筋肉を綺麗に切り落とした。
『みるきぃはおかあさんのあじいぃぃぃ!!!』
赤ん坊染みた大熊程の肉塊が茂みを掻き分けて現れる。漆黒の巨大な眼孔。血濡れの顎をガバリと広げ、奇怪な獣声を鳴り響かせる。
「中妖か……!!」
それは央土においてはかなり珍しい格の怪物。対応出来ぬ訳ではないが驚愕は隠せない。それはそれとして俺の身体は即座に仕留めるために動き始めていて……。
『おにんぎょうさんにぎにぎぷにぷにするよぉ!!』
「っ!?権能か!!?」
此方を直視しての赤ん坊の手遊びするような仕草。途端に俺の身体はまるで見えない巨掌に捕らえられたかのように拘束されてしまう。不味い、油断したか!?
「こ、のっ……!?」
『ままぁだっこしてえ!!!!』
拘束から逃れんと身体を動かすが抜け出す前に四つん這いのまま凄まじき速度で怪物が迫って来ていた。俺は舌打ちして刺し違えんと短刀に触れて……。
「伴部君、危ない……!!」
横合いから躍り出た環が赤ん坊の片腕を切り落とした。宙を舞う青白い太腕。噴き上げる血漿。見事な刀捌きだ。環は不敵な笑みを浮かべる。
『ねぇぇきみぃぃぼくのどうるいぃ!!』
直後、環の眼前にまるで痛覚なんてないように顎を開き乗り掛かろうとする赤ん坊がいて……。
「お前の相手は俺だ!!」
俺は投擲と共に跳び蹴りを赤ん坊に食らわせた。姿勢を崩して赤ん坊は環の真横に倒れ込む。そして、迫撃がやって来る。
「おら!お眠の時間だぜ!!」
『おそらをとんでいるみたいいぃ!!?』
待ちかねてたように、戟を無駄にデカいつるっ剥げ頭に振り下ろしたのは入鹿だった。妖の腕力で叩きつけられた鉄の塊は容易にデカ頭を打ち砕いた。血飛沫が舞う。入鹿が振り向く。
「おう、環。大丈夫だったか?」
ニヤリとキメ顔で振り向く入鹿の野生味溢れる姿は、実に凛々しかった。環も思わず見惚れたように硬直していた程だ。
「あ、う……うん。有り難う!」
「へへへ。どうって事はねぇよ。美味しい所頂いただけだしな?」
得物にこびりつく粘りの強い血漿を振るって払いながら意味深げに入鹿は此方を見やる。何を言わせようとしているのかは知れていた。
「……査定に入れておくよ。姫様も、助かりました。油断して足を掬われかけました」
「持ちつ持たれつだよ。支え合わないとね?……どう?入鹿、他にはいるかい?」
苦笑いしながらの環の返答。そして確認。鼻を鳴らして、狼耳をピクピク動かして、何ならその場にしゃがみこんで地面に耳を当てて、五感を総動員して入鹿は周囲を探索する。
「……辺り五百歩程度は無し。一先ずはこれで終いだな」
入鹿の断定。そして俺は環と共に頷いて式を放つ。それは後方で死骸処理のために待機する男衆と部下達に向けたものであった……。
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「中妖一、小妖一四、幼妖二〇……驚きです。央土でここまでの妖の群れに出会すとは。これまで回った領地で最多になりますよ?」
近隣住民と下人衆による妖の死骸処理の光景を休憩しながら見ていると下人班長、因幡が嘆息しながら報告する。総数三五体。殆ど雑魚とは言え安全安心が売りの央土においては仰天の数だ。
「叩けば埃が出るってか。この辺りの管理役、仕事サボっていたかね?まぁ、ここまで街道から外れたら早々巡回もしないかも知れないが」
「かもしれません。それ程人気のある道ではないようですし」
央土の退魔士が弱い訳ではない。しかしやる気という面では怪しいとここまで数件の駆除任務をして俺は抱いていた。北土ならば当然の巡回は御粗末で人気の少ない奥地等年単位で一度も見廻りしないなんて事例もあった。今回も同様で、随分古く人気が遠のきつつあった街道から歩いて二日という無人の地での駆除だった。
……まぁ、逆に言えばそんな雑な管理でこの程度の繁殖と思えば央土がそれ程安全という証明かも知れないが。北土だと少し手つかずにしてたらポンポン小妖中妖が出て来るからなぁ。
「地元民の協力が芳しくないのも驚きです。北土では報酬なぞなくとも進んで人を出すものですが……」
因幡はこれに対しては本気で愕然としているようであった。他の土では土下座して、金を出してでもやって貰う化物退治も、この央土では勝手が違った。近隣の村人らは他所の土に比べてずっと裕福で、ずっと危機感が薄い。妖への認識も熊や狼のそれに近く、人を出せ物を出せと言っても渋る有り様だ。報酬を出して駆除した妖の骸を漁る事を認可して漸く動いてくれた。それでも戦闘には絶対協力しないと念を押されたけど。
予め予見していた俺や安住の蛍夜郷で暮らしていた環は気にしないが、恐らく同じようにどさ回りしている他所の家ではトラブル頻発中である事だろう。……もしかしたら、バッドエンドの後に生き残り退魔士を助け匿う者がいないようにするための布石かも知れないな?
「……いやいや、言ってて有りそうに思えるのはルール禁止だろ」
「はい?」
「独り言だよ……」
思わず漏れる語録に首を傾げる因幡。適当に誤魔化して、俺は同行する下人仲間らに買取り指示を出す。不要な肉は燃やして、毛皮や臓物、爪や牙、分泌物等は地元の村人や猟師に剥がさせて購入させて貰う事になっていた。ぼったくられぬように注意すれば「算術は皆学んでいます」と算盤と相場一覧表を見せつけられる。良い心掛けだ。気付かれぬ程度に安く叩いてやれ。
「しっかし……さて。あり得る話だよなぁ」
因幡が去った後に改めて想像する。……うーむ。考えれば考える程に信憑性がありそうで困る。実際、連中は準備万端で事が成功した後も明らかに色々と企てているのが描写されている。各種媒体のそれを思うと、色々ロードマップやらスペアの計画がある事は明らかだった。
俺の記憶にある限り、『闇夜の蛍』の後日談、あるいは名言せずともそれを示唆した作品は幾つか存在する。全てがバッドエンドルートの未来。時系列は直後のものがあれば数ヶ月から数年後のものまで。媒体はドラマCDにノベル版特典小冊子、短編中編集、PC特典ノベル、ビジュアルノベル、変わり種としては他所様のソシャゲ相手のバッドエンド後時系列から登場したのだろうコラボキャラの台詞、公式絵師の非公式同人イラスト集、製作陣の言及やSNSの投稿から推察出来る設定もある。コラボの闇堕ち紫姫の存在は逆の意味でファンに衝撃を与えたものだ。スペック低いけど。
……残念ながら同じ後日談や台詞でも、バッドエンドのルート違いなのか一部で矛盾があるものもある。あるいは登場人物の特殊性や周辺環境により描写の真偽が不明のものも多いが……共通してバッドエンドルートの先にある未来は明るくない。
僅か数ヵ月の内に都を含む央土は何処までも冒涜的な有り様に成り果てて*1、鴆が封印から脱して複数の邦を腐らせた末に討伐されたと噂されている。*2保護された難民目線から赤穂家が守護する西土三邦が数少ない人の聖域と化してる事が言及されているが不穏な最期で締められていた。*3壊滅した朝廷からの生き残りが旧都にまで逃れたが反攻は不可能なのだとか……。*4
救妖衆は都を数日で滅ぼした。朝廷をほぼ崩壊させた。央土は短期の内に人から失われた。余りにも周到過ぎる。都が崩壊しても央土各地の戦力が残存していた筈なのに。明らかに何かがあった。何かが……。
「……入鹿か。何用だ?」
「用事がなかったら来るなってか?」
背後の気配に、その相手に問い掛ければ飄々とした返答と共にシャキっという音。味噌を塗った胡瓜を齧った音。両方地元の村から買った物である事は知っていた。手元にある瓢箪の中身が水から酒に入れ替えてある事は分かり切っていた。
「折角の休憩時間だからよ。鈴音から色々聞いて来た土産話を教えてやろうって思った訳よ」
「それで御褒美に小遣い寄越せってか?」
「御名答」
「阿呆」
懐から小遣いに朱銀一枚やって、俺はその土産話を要求する。銀の質を検分して真贋を見極めて懐に締まった狼女はずんっと傍らに、岩板の上に座り込む。
「何で横なんだよ」
「地面に座れってか。えぇ?」
舌打ち、そして堪える。俺にとってはこの糞生意気な態度に堪える必要があった。俺にとっては、それだけの価値があったから。
「そうだな。じゃあ先ずはアイツの三番目の兄貴の事なんだが……」
入鹿は勿体振って、そして他人事のようにそれを語っていく。
鈴音の家族の事を。二人の兄達の事を。
鈴音と、雪音との会話は出来るだけ差し控えていた。ふとした事で身内だと気付かれたくなかった。それは互いを不幸にするだけである事は分かっていた。しかし同時に家族がどうなっているのか知りたい欲はあった。其処に先日入鹿が勝手に引き起こした騒動が関わって来る。
雪音にちらついた男の影で弟の顎をノックアウトしたのはまぁ、これ以上は何も言うまい。骨が砕けていたのならば流石に只では済まさないが後遺症の類いは無いそうだ。雪音からは大分説教されたという。同時に件を切っ掛けに雪音の家族についてこれまで以上に詳しく知る機会にもなったそうだ。弟にとっては不幸だが俺にとってはある意味で幸である。
「それにしてもアイツがね……まぁ、一番賢しくはあったが」
我が家の三男は弟妹らの中でも一番頭の回転が速かった。計算は無論、読み書きも一番良く呑み込んでいたものだ。歳の割には達観していて現実的で、しかしやはり糞餓鬼な所があった。失敗した時トンチで煙に巻こうとするのは止めた方がいい。
「鈴音との仲も中々良いようだぜ?飯作ったり掃除したり、甲斐甲斐しいもんさ」
「そいつは意外だな。昔は良く喧嘩をしていたもんだが」
一番歳が近く、しかも男の子並みにヤンチャだった幼い妹が直ぐ上の兄と問題を起こすのは良くある事であったが……人は変わるものらしい。
「大人になんねぇと生きていけないからな。世知辛い世の中よ」
シャクっと胡瓜の最後の欠片を噛み砕いて酒で流す。ぷふぇ!とゲップして口元を拭う姿は乙女から程遠い。
「とは言え、上出来じゃあねぇか?下っ端とは言え役人様、しかも御公家様とその娘に気に入られてるんだ。逆玉狙えるぜ?」
「妾腹で二男四女の一番下なんだろ?」
「名は使えるじゃねぇか。無名の百姓家三男と公家の姫さんの入婿、どちらが通りが良い?」
「そりゃあ、なぁ?」
平等なんて欠片もないこの世界この国である。下級の末席とは言え御公家の姫様が嫁となればそれなりに箔になるものだ。親父が郡司だそうなので運が良ければ定年前に正の九等官くらいには成れるかもしれない。本人はあまり乗り気じゃないそうだけど。
「柔な面して意外と覇気があるぜ。もう少し金のある家が良い、賢い嫁がいいって鈴音の奴に愚痴ってたのを聞いてな。はっ、宿場の娘やら何やら引っ掛けてる癖に欲深いものさ」
「アイツ……背中から刺されないよな?」
地味にエロゲの主人公みたいになりつつある弟の前途に眉をひそめて不安を抱く。この世界は実際エロゲ準拠なのでネタで済ませられなかった。賢しい割に体力腕力は低いので尚更心配だ。力尽くで、なんて事態もあり得た。原作のアレもあるが女関係もあるから出来る限り早く都から退散して欲しい。……地元でも引っ掛けてるって訳じゃあないでしょう?お兄ちゃん失望しちゃうよ?
「……」
「……何だよ、その目は?」
「何でもねー」
何とも言えない視線を此方に向ける狼女に俺は問い掛けるが、当の本人は肩を竦めて話を打ち切ってしまう。おい、何だその思わせ振りな態度は?何のフラグ?
「何なんだよ……」
脳裏に二の姫を再度思い出し、しかしそれくらい……うん。鬼やら地母神やら娘蜘蛛やらはどう考えても別枠なのでセーフだ。入鹿、止せ。人に無実の罪を着せようとするな。
「ふーん」
「意味深げに振る舞うな。無駄に不安にさせても事実は変わらんからな?」
それこそ、整理していけば即命に関わるのは蒼鬼くらいのものだ。蜘蛛と母は時限爆弾だがそれは脇に置いておく。葵は……どうなんだろうな。アレは。
(デレ……って訳じゃあないだろうが)
原作であんな反応をするルートは見た事がない。色々と根本的に原作における最大の闇堕ちフラグが回避されてるから当然ではあるが、流石に予想外だった。演技ではないだろうな?あるいはそもそもアレはエロゲで言う恋愛なのだろうか?もっと別のベクトルの代物ではあるまいか?
「……分からねぇ」
真意が、深意が、心意が分からぬ。何だったら時間を経た今では幻術か妄想、そうでなくても己の脚色が入っているのではないか等とも思えてしまう。記憶を読まれる可能性を思うと下手な会話が出来ない。暗号でザックリとした会話しか出来ない。あの光景を信用するしかない……。
「考えると疲れるな」
こんがらがって来る思考。こういう時は根詰めても実りが少ないのは経験則だ。リラックスが必要だろう。滋養を整え、目一杯食らい、がっつりと寝る。それが最善だろう。という訳で……。
「あむっ。うん。中々」
それを一口口に放り込む。甘味が広がる。癒される……。
「あ?な、何だ……それ?」
「ん?乳汁飴だけど?」
鼻を鳴らした後、怪訝な視線を向けての入鹿の指摘に俺は応えた。巾着袋の中にあり、正に今俺が口内で転がしているのは此度の任で出立する直前に橘のご令嬢様から受け取った頂戴物だ。
所謂ミルクキャンディである。栄養価の高い牛乳の甘味が身体に染みる。滋養となる。佳世との付き合いで勘違いしそうになるが残念ながら南蛮は兎も角、この時代この国では牛乳の利用は未だ一般的ではない。地域によってはゲテモノ扱いだ。醍醐だって一部の上流の楽しむ珍味である。田舎生まれの癖に当然のように口に出来る俺が少数派であった。
貧農時代、牛持ちに土下座して乳を採取させて貰ったものだが相手にドン引きされてたなぁ。というか鍋で煮込んで殺菌してたら両親に泣いて謝罪されたものだ(黒歴史)。
「伴部君、そろそろ村に向けて戻ろう……何だい、それ?」
撤収を呼び掛けようとやって来た環が入鹿と同様に俺の舐める飴について質問する。同じように俺は説明してやる。
「どうです?一つ舐めますか?結構悪くありませんよ?」
「牛の乳、かぁ……。ちょっと怖いけど、試しに一つ……」
「馬鹿、止めろ!馬鹿!!」
「わぁ!!?」
信者を増やすために巾着を差し出せば環が惹かれるがそれを入鹿が阻止した。そりゃあもう全力で荒げた声で。思わず大声に環がびっくらこいた程だ。
実に不思議な事だ。どちらかと言えば入鹿の方がそれこそ食い意地もあって牛の乳を直呑みしそうなものだが……。
「な、何でさぁ……」
「いや、その……こういうのは慣れの問題なんだよ!!胃が慣れないと下すぞ!?仕事中にそんな危険は冒すもんじゃねぇ!!」
何故か一瞬巾着の中身を警戒するような視線を送り、そして捲し立てるように説明する入鹿。内容は納得出来るが何処か必死にも思えた。気のせいだろうか?
「それは、けど……」
「斬った張ったしてる時に腹壊してキューキュー音出してもいいのか!?」
「うううう……!?」
名残惜しげにする環であるが、入鹿の指摘に呻き、項垂れ、頷いた。いや、だから何で必死なの?
「何か……嫌な予感がするんだよ!?」
「人聞きが悪いな。毒なんざねぇぞ?」
もしや腐ってる?んな馬鹿な。発酵か獣臭を勘違いでもしてるのか?腹は……いや、前に舐めた時には腹痛なんてなかったぞ?
「あ、はは……えっと、じゃあ。その。またの機会に、さ。いい?」
「は、はぁ……まぁ、ではその時に」
入鹿の反応に気圧されて、気を遣うように環はまた今度にと約束を取り付ける。尚、この手の返答は割と高い確率でお流れするのは皆の知る通りである。……仕方無い。次は違う味の飴を要望しようかね?
「……さて。じゃあ動きましょうかね?」
そうこうしてる内に飴を舐め終えた俺は立ち上がる。環に呼び掛ける。
「俺と入鹿が先行します。環姫は後続の者達を纏めて頂ければ。大人数を率いるのは責任重大です。良き経験となるでしょう」
臆病?怠惰?否、真に実力ある退魔士は無闇矢鱈に前に出るものではない。霊力も体力も有限。小物は小物に任せ、全体を見渡して己の出るべき真の機会を見極めるものだ。少し前の妖との戦いが正しくその実践だった。金縛りされた俺を環は出るべき機会と判断して参戦は、その後の油断がなければ満点だった。帰りもそれをして貰うだけの事だ。
……罷り間違って孕み袋なんぞにならないようにという側面もあるけど。何か油断したら格下妖にすらR-18されるのがこの世界である。念のために、な?
「う、うん。……そうだね」
安全な後方に控える事に未だ思う所があるのだろうか。若干迷いつつも環は受け入れる。素直なのは我の強い連中だらけな作中において主人公の美徳である。清涼剤である。
……染まり易いので油断したら大臣やマジカルに牝堕ちさせられたり闇堕ちさせられるけど。
「……では、先に」
「まぁ、気負うなって!お前の立場なら強くでりゃあ最後はどいつも折れるからよ!聞き分けないなら下人連中を使ってやりゃあいい。な?」
俺は一礼して、入鹿は若干過激な助言を行う。間違いではないのが何とも……。
解体した妖骸から金目のものを車に載せる村人と猟師、下人らを横目に俺と入鹿は歩み始める。
「今回は殺った数が多い。片付けも時間が掛かった。血肉の臭いで集まるかね?」
「なぁに。どうせ雑魚ばかりだ。ちゃっちゃっと片付けてやろうぜ?」
「つまり、いる訳だな?」
軽いノリで判明する事実。何も知らず作業する人集りから離れていくと、俺はおもむろに続ける。言い様を見るにそれなりの数はいそうだ。いっそ撒き餌して一網打尽にする戦法をした方が良かったのかも知れない。
「幼妖は、幾らか抜かせるぞ。こういう経験は必要だからな。過保護過ぎたら本人のためにならないぞ?」
「……へいへい。分かったよ。んじゃあ、程好く手を抜きましょうかね?あの村の奴らグチャグチャ文句言うだろうなぁ」
迫る幾つもの気配に、俺と入鹿は素知らぬ素振りで歩み続ける。環に向けられるだろう八つ当たりの数々の敵意不満を思って微かに不満を表明する入鹿は、しかし結局は不承不承で受け入れる。
その腕の馬鹿力。獣の五感……移植された妖腕の呪いは人の血肉を蝕む。入鹿は俺同様、己が往生出来る事を端から諦めている節があった。彼女にとっても環が一日でも早く一人前になる事は願ってやまぬ事である。ならばこの程度の荒修行は許容範囲という事なのだろう。過保護よりはずっとマシだな。
「……あ?」
「……何だ。急にすっとんきょうな声出して?」
そしてふと立ち止まり口をアングリ開ける入鹿。嫌な予感がして、俺もまた立ち止まって問い質す。宣告を待ち構える。
「……わりぃ。こりゃあ全力で殺らんと不味いわ」
「……マジか」
「マジ」
応答。森の深い闇から草を擦る音が次々とは聴こえる。俺もまた遅れて気配を感じ取る。その数は、その質は……あー、うん。こりゃあ確かに本気で殺らんとあかんなぁ。つまり、は。
「ここの担当者、ちゃんと基本業務しておけやぁ!!」
何故か茂みから躍り出た数体の中妖向けて、俺は手車を振るいながら槍で突貫していた。視界の端では入鹿は横合いからの不意打ちに刃を振るっていた。
少し、いやそれなりに手間が掛かりそうだった……。
ーーーーーーーーーーー
辺地を初め、扶桑の各地で大小の戦いがある最中でも平穏はある。平穏で極楽の地はあるものだ。都とその周辺は正しくその通りである。ぬるま湯の、赤子の揺り籠の如く、母の腕の中のように。その豪勢な屋敷のように。
コンッ!と爽やかで澄みきった音が生じる。
穏やかで清涼な空気に満ちた庭先で鹿威しが鳴ったのだ。満たされた水で振り落ちて、石に当たって鳥獣を散らす音が庭先に、そして窓を通じて部屋の中にまで等間隔で幾度も幾度も反響する……。
「……」
その上等な客室の中心にて、その女は焦燥しながらひたすら待ち続ける。鹿威しの鳴る音が幾度か忘れてしまう程に長く、永く、本人にとっては永遠に思える程に待ち焦がれる。
果たして何者か。歳は二十半ば過ぎであろうか?三十には至っていないだろう。儚さを感じさせる美しさがあるが窶れてもいる。目元は疲れきって垂れていた。蒼白い肌は死の淵にある病人のようだ。
否、実際彼女はほんの数ヵ月前まで正しく死にかけていた存在だった。襤褸い小屋にて病に朽ち果てる筈だった。
扶桑国央土に点在する五つの朝廷認可の大廓町。その一つにて大店として知られていた瀬柳屋の、一番の遊女と言えば当時の客は間違いなく甘鶴大夫の名を口にしただろう。
生まれは東土釵宮邦の田舎街。下級の職人の家に生まれた娘は、母は己を産んで直ぐに死に、父は酒浸りに陥って、挙げ句に酔ったままに仕事をした故に事故死した。散財するような父に遺産はなく、残ったのは多額の借金のみである。
他所の借金を背負いたがる身内はいない。直ぐに質として売られて央土に連行された娘は、そうして瀬柳屋に売り払われた。
幸いにも店の忘八は……旦那は決して悪い男ではなかった。少なくとも彼女が店に預けられた時の旦那は。買った女を冷淡に商品として見てはいるが、それ故にその管理は繊細で大事にはしていたし、あからさまに騙すような所業はしなかった。そして、素質ある者への投資もまた同様に惜しみはしなかった。仕事人であった。
目顔が水準以上で、気弱ながら頭の回転は悪くないと評価され、教育を受けた娘は数年の内に店で一番の、籠められた廓町でも五本の指に入る遊女として名声を得た。物静かで、控え目で、庇護欲を誘い我儘も散財もしない性格が気に入られた節がある。
……より飾らない言い方をすれば人気のある遊女の中では多少懐に不足ある小金持ちでも手が届きやすい事が評価されていたと言えるかも知れない。買い易い女だったのだ。
何にせよ、旦那は製品の品質管理には真剣で、多少落ちるとは言え高級遊女を買うような男に荒い男は少ない。この道に堕ちた者としてはまだ相当恵まれた人生であったと言えよう。……この頃はまだ。
病気で死んだ老旦那に代わり、その息子が店を継いだ。それが転落の始まりだ。元から悪い噂のある男だったが実態は噂以上だった。幾人もの同僚が仕事で使い潰された。商品に手を出すような事は前の旦那はしなかった。品質管理なぞ欠片も考えていない。裏の者達と手を結んでいたのだろう。客筋は悪くなり、それどころか仕打ちは荒く酷くなった。女達の間で禁制の薬が流行っていた。
幾年か前に都にて生じた何等かの騒動。それに連座して若旦那が処断され、かつて廓街でも有数の店は呆気なく潰れた。しかし救いはない。莫大な罰則金の徴収するために店のあらゆる資産は検分されて売却された。店の女共もまた他の店に払い下げられた。そしてその中でも甘鶴大夫は一際悲惨だった。
店一番なのが裏目に出た。旦那の玩具にされて、接待役として酷使されて、性格と立場故に他の娘達の盾とならんとして、地獄を見た。避妊を許されず、腹を抱えたままで更に荒く使われて、幾人もの男に物のように輪姦されて、産まれた子供もまた五歳になった頃には売り払われた。身体中に傷のある、中古品である。
安い場末の店に流れるように売り払われて、元高級遊女故に同僚には虐められ、質の悪い客共に物珍しさから揉みくちゃに弄ばれて、挙げ句には病を得て隙間風の吹く襤褸小屋に押し込まれた。事実上の死刑宣告である。遊女の末路としては有り触れた話であった。栄光からの転落であると思えば悲劇として大衆の娯楽の題材たり得ただろう。本人にとっては何の救いにもならないが。
……運命は流転する。捨てる神がいれば拾う神がいるものだ。
『元を正せば我が家の不始末。仕方ありません。苦界から拾ってあげましょう』
突如襤褸小屋に訪れた豪商家の令嬢。有無を言わさずに回収されて、療養を受けた。名医の診断を受け、処方された高い霊薬を飲み続ける事数ヵ月……漸く回復して、事態を明瞭に理解出来るようになった彼女は再度令嬢と顔を合わせて謝意を示した。そして、取引を結んだ。
その成果を、彼女はひたすら待ち続ける……。
「お待せ致しました。御要望の品が到着しました」
若干冷たい印象を受ける女中の声音。障子がすっと引かれる。公家の生まれという女中が一礼し、そして小さな影を招き寄せる。
互いに不安げに抱き合って現れるのは背丈も目鼻立ちも似通った童が二人。まるて示し合わせたかのように互いに周囲をキョロキョロと警戒している子らは、それを認めると甘鶴と互い視線を交じわせる……。
「禿として大店で教育されていた所を引き取りました。一人当たり百両の出費だそうです」
葛の補足説明に、しかし甘鶴は最早聞いていない。唖然として、夢遊病のように立ち上がり迫り、しかし不安になって怖じ気付く。果たしてこの二人は己を覚えているだろうか?己を恨んでいないだろうか?返って来る反応が恐ろしくて、硬直してしまう。
流れる静寂。静粛……。
「……おかあさま?」
……果たして、如何程の刻を経たか。沈黙の中、拙い声音が響いた。
「っ……!?詩、文!?覚えているの!?私を、覚えてくれてるの!!?」
「おかあさま!やっぱりおかあさまだ!!」
「おかあさまあぁぁぁっ!!!?」
甘鶴の呼び掛けに双子の娘は堰を切ったかのように走り出していた。泣きじゃくって母親の胸に抱き着いて、母親はそんな娘をやはり泣きながら受け入れて抱き締める。抱擁して抱擁されて、三人揃ってひたすら泣き続ける。再会を喜ぶ方法が他に思い付かないようにただただ抱き締めあって哭き続けた。喜びの歓喜の嗚咽。
そうだ。親子の再会だ。これこそが、彼女が豪商の令嬢に向けて提示した分を弁えぬ要求。己の全てと引き換えとした嘆願……。
「甘鶴様、これにて御要望の品は引き渡しました。契約の遵守は宜しいですね?」
親子三人感動の再会に、当然のように横槍を入れて葛は確認の言葉を口にする。娘らを抱いて葛を見上げる元遊女は涙を流したままに見上げ、答える。
「はい。誠に……誠にありがとう、ございます……御嬢様には、一体、何と御礼を言ったら良いか……」
「契約を遵守して頂けましたら何も問題は御座いません。宜しいですね?」
甘鶴の謝意に、しかし淡々と改めて女中は確認の言葉を投げ掛ける。娘を抱いたまま、女は深く深く頭を下げる。
「賎しき身ではありますが……出来得る限り、指導をさせて頂きます」
それが彼女の契約であった。元花魁の病人に対する、治療と娘との再会の報酬。対価はその経歴を活かしての屋敷の娘共に向けた教養と褥の指導。知る限り同業者は他にもいるようで、何なら自分よりも余程格式あり器量ある者もいるようだった。にもかかわらず態々高い金を出して自分と契約しよう等というのは不可解ではある。
美味し過ぎる話……大概そういうのには裏がある事をこれまでの人生経験から彼女は知っている。しかし同時に彼女に他の選択肢がある訳でもない。この道こそが唯一にして最善の道であった。
だから今は、ただ娘達と再会出来た事を喜ぶ。そして共に居られる事、彼女らに真っ当な人生を歩ませられる事、そのために身を粉にする事、それが全てであった。何かあれば己の全てを犠牲にしてでも娘らは守ろう。そう固く決意する。
「……それでは今晩は親子でゆるりと」
母の覚悟に特に反応する事なく、葛は恭しく頭を下げて退出する。背後から手下の女中共が現れて団欒のために茶と菓子を用意する。子供らの呑気な歓声を背後に聞いて、元公家娘は笑った。
嘲りあげつらうような冷笑を……。
「……物好きよねぇ?態々中古品から先に買うなんて。子供の方はとっくに所在が分かってたのでしょう?」
蝋燭の灯だけが照らす薄暗く湿度の高い地下室で、二の姫君は宣った。椅子に座り、腰掛けに身体を乗せて、眼前の同志にして友にして下僕を愉快げに問い質す。迂遠な行為の意図を尋ねる。問われた娘は微笑んだ。
「売名ですよ。あの不肖の親族のせいで一時期大変でしたから。清廉な印象を下々に魅せるのは大切ですよ?打ち壊しなんてされたら堪りません」
佳世は嘯く。商人の世界は仁義が薄い。瓦版を利用して、噂話を利用して、商売敵を貶めて貧民共をけしかけるなんて事をする者だっていた。嘗て名を馳せた須々木屋は実際でっち上げの悪評に踊らされた暴徒に潰されたのだとか。
須々木屋同様、商会を妬む者に枚挙の暇はない。事業で負けて、競りで負け、挙げ句に酔狂に散財している娘がいる癖に商会の帳簿は常に黒字であり、売上高もまた右肩上がりである。内部粛清で追放された者、冷や飯食いになった者もいる。様々な理由からある事無い事の流言を流している者共の存在を彼女は把握している。
悪口に悪口で返しても良いが唯々泥試合するだけなのも詰まらない。もっと効率を重視しよう。貶められた子持ち遊女の救済……真っ当な良識ある者ならばこれに同情せぬ者はいまい。何なら腕の良い絵師に物書きを雇い入れて美化した上で広く流布していた。それなりに儲けも出ている。費用はある程度回収出来た。方々の遊女共を情報網に取り込む布石でもある。狡猾なる商人の面目躍如である。
「それで本音は?」
「自らの全てを以て子を守る母親が、それを捧げるんです。素敵じゃないですか?」
お為ごかしの建前を斬り捨てた姫の指摘に、即座に令嬢は本当の理由をぶっちゃけた。
考えてもみろ。男なぞ幾らでも知っている女が首輪をして、全裸土下座で眼前にて服従を誓うのだ。捧げられる双子の娘。彼に己の最も大事な存在を贄として、一時の娯楽として差し出す……男として満足せぬ筈のない絶景ではないか?寧ろ、美しい話題で知られる分だけその堕落が引き立つというものだ。
「教育するため?遣り手として、指南役として召上げる?あはは、逆ですよ。徹底的に教育します。堕としてやります。己から娘達を捧げさせます。自ら娘を淫牝に調教させます。そして彼の供物である事を母親から娘に宣告させます」
佳世は楽しそうに予定を述べる。それは決定事項だ。絶対の判決だ。あぁ、楽しみだ。
「三人纏めてでも面白そうね」
「御団子みたいに三つ纏めて串刺しですか?あはっ、おっきなお腹三つ並ぶ様は滑稽ですね!」
けらけらと馬鹿みたいな光景を想像して佳世は腹を抱えて愛らしく笑った。尻を突き出して倒れ伏す膨れっ腹三つ。彼に飽きて捨てられたように放置されて、ぐったりとした玩具が三人で身を寄せ抱き合って、その身にこびりついた残滓を舌で掬い舐めながら互いの肚を撫るのだ。己の身に宿り育む宝を感じ続ける……。
「うふふ。絵心ある娘に光景を描かせましょうか?きっと素敵な絵になりますよ?」
「そしてこの部屋の壁にでもでかでかと飾る訳かしら?」
肘をつく。ぐいっと捻じ込む。牝の悲鳴が上がる。欠片も意に介せずに葵は熱気に満ちた祭壇を見据える。薄暗い部屋で蠢く無数の影……。
「良くもまぁ、ここまで拵えたものね。……まさに極楽。桃源郷かしら?」
「ふふふ。姫様から頂いた聖遺物は中々のものです。今では養豚家から畜産家になっちゃいました!」
感服したような葵の言に、嬉々とした佳世の説明が続く。
本当に凄いものだと佳世は心から思う。葵から贈られたそれは、ただ顔面に被せただけで未成熟な雛は痙攣して失禁したかと思えば次の瞬間には初の排出までして魅せたのだから。成熟した家畜に与えれば汁を噴き出した。これで養豚家のままでいるのは怠惰というものだろう。
彼がこの光景を見たら確実に「お前ら、変な薬でもやってんのか……?」と漏らしていた事だろう。禁断のn度打ちしていただろう。まだ知らぬ。知らぬ内に絶望は加速している。
「養鶏に酪農、という訳ね?」
「はい!……ふふふ、魅て下さいな。あの敷物を!映えるような鮮やかな赤でしょう?あの人にぴったり!」
自信満々に佳世は頭巾のように馬像に被せられた敷物を指差す。砂糖に群がる黒蟻のように幾つもの影が絡まりつく巨大な馬神像……金銀財宝で存分に飾られた像の、その顔面を隠すように包む絹地を赤く紅く朱く赤黒く染め上げた代物。雛鶏共を使って染め上げさせた逸品だ。溢した玉子で深く深く染め重ねた真の芸術品。見る者が見れば泡を吐いて失神する程の悍ましき特級呪物だ。
神膳に捧げられる供物もまた同様だ。此方は真心込めて手掴みで搾り出した特濃コクマロの獣乳である。そのままの汁に、乳酒。挙句に濃縮凝縮させた醍醐……。
「味見して驚きました。まさかあんな味になるなんて!」
構想自体はかなり前から。一度は出る者を使って実験して味見もして見た。そして没とした案件でもある。出る量も、条件も、何より味として失格だった。所詮は粗悪な艶本の中だけの空想妄想……その筈だった。
「特上の牛の乳みたいな味で、しかも驚くくらいの量で……本当にびっくりしちゃいました。多分、栄養価も良いんじゃないでしょうか?」
流石彼の聖遺物である。奇蹟である。神の御業である。身を以て体感した家畜共の神への信仰は一層深まる。お陰で日々己達の務めに精進していた。自らの役目のために全力だ。今度は石鹸でも作ろうか?夏場ならば氷菓も良いかも知れない。乳風呂は流石に難しいだろうか?いや、皆で頑張ればあるいは……?
「実は他にも色々試作品を作ってまして。そうそう、伴部さんに贈ったものは、評判でしたよ?」
試しにと一口食べて気に入ってくれたようで、巾着袋にたっぷり詰めて贈呈した。量があるのでもう一つと口に放り込んだ時に背後にいた女中共が下着を台無しにしたのは後から判明した事だ。
……因みに己のものも混ぜていたので自分の下着も台無しにしてしまったりもしている。何だったら下だけでなく上までも。厠にてはだけて覗いて見れば、念のため巻いていた晒しは、それもう見事な白濁浸しであった。搾っても搾っても染み出るように出続けたもので暫しの間直呑みせざる得ない程だった。乳臭い様を鶴を誤魔化すのは大変だった。
「どうですか?姫様も、今度搾ってみませんか?」
愛らしく装って、佳世は提案する。其処には微かな優越感があった。己が先に行い、己が提案した事、彼の初めてを手に入れた事への自慢である……。
「……清酒の樽に汚水が一滴落ちたとして、それは清酒かしら?」
話の腰を折るような姫の質問。辛辣なそれに佳世は刹那の間沈黙して、そして苦々しさをひた隠し正直に答える。
「汚水ですね。どのような上物も、一滴でも混ざっていたら台無しです」
「そうね。ましてや逆ならば尚更でしょう?」
「おっしゃる通りです」
佳世は即堕ちで屈服した。葵の言を理解して認めた。否定する術はない。己と彼女との上下は既に明白で、先日の訪問で他の豚共もまたそれについて分からされていた。大仰に嘯いた姫の放言に反発出来る者は一人もいない……。
「彼が欲しいのなら勿論差し出すわ。どのようにしても、勿論喜んで。けれど……初めては純粋で新鮮な味わいを。分かるでしょう?」
「……はい。心から」
ならば自分は、他の豚共はどうなるのだ……その事は口にしない。尋ねれば一層辛辣な返答が来るだろう。口は災いの元である。惨めな気持ちになりたくはない。そしてその発想自体が負けを認める事である。
あぁ。また敗北者になってしまった……いっそ犬になってしまいたい。彼の犬として難しい事なんて考えなければ気楽なのに。
「ふふふ。其処まで落ち込む事ではなくてよ?貴女は良くやってくれてるわ」
気落ちする佳世を慰めるように、扇子を扇ぎながら姫は嘯く。
「そうでしょうか?」
「此度の彼の任務だって、裏で手を回して順路を選定したじゃないの。良くやってくれたわ」
商会の事業計画を出汁にしての駆除業務に派遣される鬼月家からの派遣組の順路干渉。程好く手柄を出せそうで、それでいて安全は保証されている美味しい道筋に押し込んだ手腕は、確かに見事であると姫は肯定する。
「いえ、特段邪魔立てはありませんでしたので……とは言え、そちらの当主夫妻が易々と受け入れたのは不穏でしたか」
「どうせあの女の衣装で頭一杯なのでしょう?初めての宮中行事ですものねぇ?」
葵のそれは飾り気すらない嫌悪感と蔑みに満ちた嫌味だった。以前の上洛では宮中行事に出席したのは葵だけである。
当主の、そして一族郎党の代理であるが同時に以前のそれは御披露目でもある。先に妹が公の場に出席している事は当時の殿中の貴人達に葵の優勢を見せ付ける事だった。均衡を取るために大概宇右衛門が主としての附属だったが、どちらが華で目立つかは一目瞭然だ。それだけに間近の月見式で初めて公の行事に雛が出る事が公表されているのは、界隈の者達からすれば鬼月の勢力図の微妙な動きを示唆させていたものだった。
「はっ!精々見世物になっておくといいわ。私と比べられて惨めな目に遭えばいいのよ」
葵は冷笑する。其処に余裕があるのを佳世は肌で感じていた。以前の彼女ならばこうはならなかっただろう。もっと荒れていた筈だ。
彼に想いを告げて、彼に使われる事を約束されて、彼が成功し、彼の命の蜘蛛を確保した。そう言えば暫し没収されていたという姫が贈った短刀が彼に返却されたのだとか。月見の席に関しても何等かの取引があったのだろうか?悠然と構えてここで遊べるのも納得だ。
……精神的な優位を取るためだけに祖母への情報共有を遅らせたのは中々の悪辣である。最終決算の配当で分け前の取り分を多くするための策の一環だろう。可哀想に。
「……お望みならばお手をお貸ししても良いですが?」
職人連中に干渉して式典に備えて用意するだろう装束や装飾等々の買物に嫌がらせしても良い、と聞いてみる。返答は勿論却下であった。そんな事よりも帰って来た彼のための褒美を用意しろという話である。
やはりこんな事では点数稼ぎは無理か……佳世は諦念の嘆息をした。
「溜め息をつかない。……そうね。もう一汗かいてから一緒に湯船でも楽しもうかしら?ねぇ、良いでしょう?」
そして嬌声を上げた椅子から立ち上がる姫。一糸も纏わぬ故に揺れる二つの魔性の果実が映える。豊満に肥えに肥え、しかし体格と比較しても下品にならぬ比率と形を絶妙に維持したそれは女すらも狂わせる。ましてや男にとっては如何程の誘惑を与えるものか……彼が貪り喰らいそれを抱き締め慈しむ姫の姿は余りにも容易に想像出来た。
むぅ、とこれまで幾度も抱いた感情と共に胸元を両手で撫でて頬を膨らます。しかしどれだけ育成しても限界はあるものだ。短所よりも長所を活かして戦うべきだと理性で言い聞かせる。……やはり嫉妬してしまう気持ちは否めない。
「ギリギリ挟めはするんですけどねぇ」
可愛がっていた家具からズボリと抜いた赤黒色の張形を押し当て挟み込んで見る。これもまた幾度もやって来たものだが……。
「流石に凄いですよね……」
分かっていてゴクリとする。色々と凄い。何が凄いってこれが変貌した時の方ではない事だ。姫等にも協力して貰い普段の大きさから臨戦態勢を推定して設計したそれは、しかしそれでも大き過ぎたので一回り小さく作っているのだが実際に填めて掻き回した家具は何時だってグダグタのグズグズだ。
はてさて、これで実戦で何れだけ使えるのやら……少し不安になる。やはり飼い増しは必須だ。
矯声が聞こえる。罵倒が聞こえる。姫による戯れの始まりだ。目について適当に捕まえた家畜の検品作業である。
「姫様、御助力致しますね?」
スタスタと背後から参戦する。頬に撫でるように当てて愛らしく宣って、獣の断末魔のように啼き叫ぶ牝に無遠慮に突っ込む。更なる大音量の絶叫。それを気にせず雑に回してやる。姫が嗤う。令嬢も嗤う。互いに見合う。そして一瞬の停止の後にお遊びは再開する。
幾人もの牝への、愛情込めた教育を施しながら……。