和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 作:鉄鋼怪人
汗だくの肉塊が屋敷の縁側を大股で練り歩いていた。片手に冷たい砂糖水を注いだ湯呑を手にして歩む。嘆願に来ていた商人らの応対を終えて執務室へと向かう。
「して、護衛団の編成はどうなっておるか……?」
「既に整っております。明日には出立は出来るかと」
いつの間にか気配もなく背後から現れる隠行衆の補佐兼護衛二名……允職と四席……の内の一方、允職・露陰が応じる。都から出立した軍勢を出迎え、これを護衛するために編成された鬼月の隊は二名の退魔士に同じく二名の隠行衆。そして五名の下人と雑人・人夫二十名からなる相応の所帯であった。それは今の鬼月が出せるギリギリの人員でもあった。
「うむ。決して後れのないようにな?都から派遣された官軍相手に失態なぞ御家の恥よ。北土三家としての示しがつかぬわ」
朝廷より表からも裏からも知らせは受けている。北土の辺地も辺地に見出だした巨大な河童共の巣窟は、到底在地の手勢のみで掃討は不可能。朝廷の派遣した軍勢はかなりの規模だ。鬼月家は北土にて数年前に河童の掃討戦に参戦していた事もあり、朝廷から助言と助力のための戦力の派遣を要請されていた。そしてこれに応えぬ選択肢はあり得なかった。例え、どのような事情があろうとも。
「この時分に忙しい事だ。刀弥はどうだ?響蔵は?」
「共に任を終えて帰還の途上にあります。二日後には此方に戻れるかと」
「急ぎ、式を飛ばせ。帰還を止めて別途の任に就けと。……よもや帰還途上に次の任務とはな」
帰路にあった一族の者に向けた新たな任を宇右衛門は命じた。極めて不本意な表情なのは本人も決して判断を快くは思っていない故の事だ。
唯でさえ頻発するここ一年余りの中小の妖被害。それは幾度かの掃討作戦を経て減る所か寧ろ微増すらしていた。其処に上洛である。しかも例年に比べても比較にならぬ戦力を送ったとなれば本地が手薄になるのは道理である。故にこのような事態にもなる。
「姫君のどちらかが居ていただければここまでの事はなかったのですが……」
付き従う今一方の四席・無邪が嘆息するように呟く。鬼月の次期当主候補の二人は、同時に鬼月の退魔士達全体から見て決戦兵器でもあった。任を確実に果たす力があり、いざという時の控えとしても最適だ。その価値と働きは並みの退魔士十人でも足りぬ。片割れでも屋敷に残ればずっと今の状況は楽であっただろうに……。
「……仕方あるまいて。過ぎた事を何度も掘り起こすものではないわ」
部下の溢した愚痴に唸りつつも、宇右衛門は話を切り替える。商魂逞しいこの男は折角の時間を無為にする事はしなかった。
「はっ」
「はは……!」
露陰と無邪も上洛組任命時の宇右衛門の憤慨ぶりを知っていた。そして直ぐに方々への根回しで不満を収めていた事を。故にその意を汲んで、恭しく頭を垂れて応じる。……決して納得はしていないが。
朝廷からの命とは言え、戦力としてはそれこそ連れ添う当主夫人一人でも戦力としてはお釣が来るであろう。ましてや姉妹と御意見番、家人共も複数人……それは余りにも過剰な戦力であった。下手しなくても上洛組の総合的な戦力は残留組を超えているのではあるまいか?
妖退治の要請は積み重なり、滞り、民草の中には不満が醸造され、商人連中は直訴する者もいる。宇右衛門はその立場上、それを受け止め宥めているのだ。そんな中で過剰戦力を安全な都に留め置き雅な宴会式典三昧……部下としてはこの不愉快な現実を素直に受け入れるのは容易ではなかった。
(むぅ。顔には出さぬが流石に不満は溜まる、か)
宇右衛門もまた部下連中の心情を読み取り、思案する。鬼月家の本業は、緊迫はしていないが予断を許さぬ状況がもう長く続いている。安穏とした綱渡りと言えるこの事態で士気の低下は綻びの切っ掛けとなりかねなかった。どうにかして負担を軽減せねばならぬ。
神格・凶妖案件に備えて屋敷で控えている長老組も動かすべきか……しかし、詰まらぬ雑用なぞ要請して良いものか。中々厄介な事だ。
「いっそ、モグリ連中でも雇い入れるべきか……」
不本意だが期間雇用で得体の知れぬ連中でも戦力として取り立てるべきだろうか?幸いとはいっては何だが数十年ぶりに下人から家人扱に取り立てられた者がいると言う話は何処ぞからか知れていて、出仕に関心を寄せている在野の者もいると聞く……。
「ん?」
そんな事まで考えていた隠行衆頭はふと縁側の向こうからやって来た人影に気付き、視線を向ける。外着を着込んだ瞳の印象的な男の姿を捉える
「下人衆頭殿か。今しがた帰参したか?仕事が早いな」
「これは隠行衆頭殿。えぇ、任については無事全う致しました」
隠行の頭の言に、下人の頭が応えた。それは宇右衛門には珍しい表裏のない純粋な会話であった。鬼月思水の普段の御家に対する我欲なき献身故の事である。
確か予定では巳能郡にて三件、枝種郡にて一件の任務を受け持っていた筈である。流石代々武闘派が就任する下人衆の頭といった所か。いや、しかし……態々頭職が複数任務を兼ねる必要がある状況はやはり健全とは言えまい。
「苦労をかけるな。じっくり休まれよ」
「いえ。丁度用向きのあった方向でしたので。……それよりも助職の方に問題は?御迷惑でもお掛けしておりませんでしょうか?」
一族を支える宇右衛門の労いの言葉に、しかし思水の口にしたのは部下の動向についての心配であった。思水がその職務を部下に肩代わりさせて一週間程度であるが、その間に某かの騒動でも生じていないかと案じているようであった。
「案ずられるな。宮水のは良くやっておるよ。加えて言えば、下人衆の損失も不在中確認はしておらぬ」
「それは良かった。……正直、アレについては目の届かぬ所に置いておくのが心配でして。上手くやっているのでしたら幸いです」
僅かにその美貌を困ったように困惑させる思水。紡がれる言葉はある意味では辛辣であったが宇右衛門は否定しない。助職は宮水家の出世頭であるがその立場は決して磐石ではないし、その心は一層不安定だ。
宮水家前当主が腐り落ちて家は混乱して、しかし思水が元凶を指導し引き立てた事で立て直した。口の悪い者は当時の派閥の状況もあり自作自演の陰謀を囁く。宮水の娘が向きになって反発するのは当然であっただろう。とは言えそれでは事態を悪化させるだけであるのだが。
「御主も気苦労が絶えぬ事だな。……下人衆の問題は下人衆で片付ける事だ。間違っても、他所にまで問題を波及させる事はなきように頼みたいものだな?」
「仰る通りです。お恥ずかしい限りです」
宇右衛門のここに来ての初めての含む言葉に、思水は素直に受け入れた。その殊勝な態度に思わず肥満男は鼻を鳴らして脂肪を揺らしていた。己がこの話題について思水に何か言える立場ではない事を理解していたからだ。
八つ当たりである事を自覚していたから……。
「……」
「それでは失礼を。……夫人もいらしているようですし、邪魔者は退散するとしましょう」
「ぬ……!?」
若干自己嫌悪気味に憮然としていた宇右衛門への思水の返答。そして指摘に思わずぎょっと視線を思水の更に奥に向ける。縁側の止まりの曲がり角に今更にその存在を見出だす。お人形と思いそうになる小さな背丈に小柄な人影。そして鮮やかな単……。
「……何用か?」
「……」
「其処にいるのは分かっとる。早く出るがいい!」
「……!?ひゃい!!」
立ち去る思水を一瞥して、呼び掛けて、無反応に微かに苛立っての催促に幼い夫人は舌を噛んだような応答と共に飛び出した。見上げるような上目遣いで窺う姿は二人の体格差を明瞭とさせていた。まるで熊と栗鼠である。仮に宇右衛門がこの幼妻の上に転倒してしまったらそのまま潰してしまうだろう。
「何か用かの?某か必要ならば人も金も用意している分で足りる筈だが?」
「あ、いえ……用は、お金とかは、特に……」
宇右衛門の問い掛けに、何時もの如く狼狽えてはっきりとせぬ小鼓。要領を得ず、はっきりとしない幼妻の態度は、残念ながら多忙な今の宇右衛門にとってはその神経を逆撫でする行いであった。
「では通りがかった所に居たから顔を出しにくかった、といった所か?ならば良い。儂の身体があっては邪魔であったろう?先に失礼するぞ」
「あぁ……!?」
小鼓が何かを言う前に、それに気付く事もなく宇右衛門はスタスタと妻の視界を通り過ぎていく。手を伸ばす妻の姿を、しかし振り返る事もない宇右衛門が知る由もない。背後に続く隠行衆の二名は把握していたが態々宇右衛門に話す事ではなかった。
主君が多忙であるのは事実で、小鼓が何等の政治的な権限や価値のある訳でもない形だけの夫婦、妻としての務めも役割も果たせぬ御荷物……負債にすら近い存在である事も知っていた。そのような者の細事に主君の時間を浪費させるのは部下として失格であろう。
今は亡き前奥方は違った。荒々しく、猛々しく、勇々しい南土名門のあの闘姫は、退魔士として一流で、宇右衛門と互いに短所を補える最高の夫妻であったのだが……今の無力な幼妻と比較すると一層部下達の失望は深まろうものだ。事実、付き添う二名の眼差しは良く感情を抑えていたが二の姫ならば蔑みの感情を見出だせただろう。
「旦那、様……」
伸ばした手は届かない。か細過ぎる呼び掛けも届かない。追い付こうにも足は震えて一歩も踏み出せなかった。分を弁えて、立場を弁えて、無力を理解する故に、小鼓は何も出来ずに不機嫌に口頭による指示を出して書斎に向かって去り行く夫をただただ見送る事しか出来なかった。
疎遠となった実家からの久方ぶりの中元であった。田舎の弱小退魔士家故に特産と言えるものはないが、代わりに商人から都会の品も含まれていた。特に甘味については伝統的なものから近頃の流行りのものまでふんだんに!
「……」
金も物も腐る程に持ち合わせている夫が、しかし食道楽の甘党故に目がない事は明瞭で、少しでも喜んで欲しくて八つ時に共にと思って……しかし軽挙で短慮で幼い思考であったと小鼓は己の愚かさを痛感する。己と違って多忙極める良人に何と呑気な事を伝えようとしていたのであろうか?
「……お食事の際にでも」
態々伝えるのは恩着せがましく卑しいのかも知れぬ。ならばせめて、食後の楽しみとして炊事場の者達に命じた方が良いのかも知れない。それが夫を支える妻のあるべき姿の筈だ……幼妻はそのように納得する。納得させる。
それは微かな綻び。擦れ違い。家庭においては良くある事ではある。しかし……謀の渦巻く鬼月という一族においては、鬼月の当主と姉妹の不在という状況において、任に多忙を極める状況においては、それはあるいは致命的な隙になり得たのである。
この翌日、隠行衆頭の昼餉の甘味に仕掛けられていた呪蟲の存在が、鬼月の本家残留者達に疑心を伝染させるのである。
そして、鬼月の屋敷における小鼓の立場にも暗い影を落として……。
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村に帰還するのに必要な予定が二日から三日に延長となったのは帰路に遭遇した妖の処理に更に時間を要したからである。それは駆除だけでなく骸の処分も含めてた。
最終的に中妖九体……央土の、禁地周辺でもないのにこの数は尋常ではない。管轄する退魔士家は怠慢なぞというものではなかった。報告は必須だった。
朝廷、陰陽寮、現地管轄退魔士家宛の書を筆する必要もあって、村への滞在は延長する事となった。村長らは初対面と打って変わって気前が良かったのは妖の骸がそれだけ金になったためであろう。現金なものである。まぁ此方も相場を知らぬ事を良い事に叩き買いギリギリの値で仕掛けたけど。
何はともあれ、村の近隣に中妖がゴロゴロ居たのに呑気な態度だった。他土ならばこの状況を知れば村長が卒倒しても可笑しくないのだが……やはり妖被害をほぼ経験していない故に危機感が薄いように見えた。蛍夜郷に似ているようで余程悪い。彼処は前々から用心棒を雇ってるだけあって上の危機意識はまだキチンとしていたのだと実感させられる。
夜。村で一番の宿に宛てがわれた俺と環。湯を楽しんだ後にはいつの間に呼び寄せたのか大道芸人の見世物を鑑賞しながら馳走になった。央土らしい地元の幸に他土から輸入したのだろう珍味も添えたそれは、明らかに行きよりも豪勢な事に突っ込むのは止しておく。
振る舞われた酒を環が呑み過ぎないように注意して、しつこく酌しようとする村長の息子を逆に付き合わせて酔い潰して場を切り抜ける。エロゲだからな、こういう初歩的な罠は御約束だ。ゲームでは実際酔い潰れた紫がヤられたり、酔い潰れた紫が殺られたり、酔い潰れた紫が殺られたり……適当に思い出したら三連続で紫なのはルールで禁止っすよね?
……兎も角も、頃合い見て俺は入鹿の所まで微酔い気味の主人公様を連れ出でて、保護させた。スヤスヤと眠る彼女の部屋の前では俺が拝借してきた摘みと酒に舌鼓打ちながら狼が用心棒をしている事だろう。強行突破する者は脳天カチ割る覚悟が必要だ。
一方で俺の方はと言えば……書に記載する内容に色々便宜を図って貰おうと村で直送されて来た娘を適当にはぐらかして返却して、書式やら文面やら文形やらに悪戦苦闘しながらどうにか三通の文を書き終える。鬼月家内ならばいざ知らず、御上や他所の家相手に悪筆書式外れだとスゴイ・シツレイされるのだ。最悪業界でムラハチされる。コワイ!
そして悲しい事にこれだけ慎重に期す努力してもまだ完成には至らない。実は鬼月からの派遣隊の中核たる退魔士二名……つまり環と俺の内、立場上環の方が上だったりするからだ。本文の祐筆なら兎も角、印は彼女のものが必須であった。勝手に使う訳にもいかない。彼女に押印して貰ってから放つ予定だ。
「とは言え、日が昇ってからの話か」
真っ暗超えて漆黒な外の景色を一瞥して俺はぼやく。逢魔の刻すら過ぎてしまった感がある。鳴虫の唄が闇夜に響く。公達ならばここに風流を感じて扶桑詩の一つでも歌っている事だろう。俺にそんな雅な感性なんてないけど。
という訳で棚に封じて呪いを仕込み、俺は身体を伸ばして解す。背伸びしたら背骨がポキポキ小気味良く鳴り響く。あ"ー、と気怠い声を上げてぐてっとなる。文机に倒れ伏す。このまま寝てしまっても良いが……何とも締まりがない気がする。飯も牽制で余り楽に出来なかった。肩は凝って困る。
「旦那。終わりましたか?」
「ん?あぁ。丁度な」
凝り固まった身体を解していると、此度の任に専属の雑用として同行していた孫六が入室してくる。因みに毬も同様であった。盲目で歩けぬ娘を雑用として連れ回すのは気が引けるが……かといって余り当主夫妻の側に置いておきたくはなかった。周囲からどのように思われているのかはこの際無視しておく。
「お疲れ様です。此方茶になりやす」
「んっ。ご苦労さん」
面をずらして差し出された湯気の立つ湯呑を啜る。序でに一緒に用意された饅頭も頂いておく。うん。甘みが疲れた身体に染みるな。
「そう言えば……此方に滞在中は大丈夫だったか?」
俺達が妖駆除のために森の奥に分け入る間、孫六ら兄妹の他、環の専属の雪音、下人の部下一人に雑人人夫数人を村に残していた。後衛であり、安全のためであったが、妖だけでなく人もまた怖いものだ。その出自から何かされてなかったら良いのだが……。
「へぇ。それはもう……旦那の直属で世話役をしてるってんで誰もそんな事は。あぁ、村長の息子って人が一度彷徨いてましたが蛍夜の所の女中様に追い払われてました」
「何それ、知らん……」
腐っても家人扱に仕えるという事でその辺りは大丈夫だったらしい。いや、というかあの村長の息子見境なしかよ。何だ、ジェネリックマジカル君目指してるの?ある意味勇敢だなおい。
「そうか。……心配かけたな?」
「いやいや、そんな事は!」
「しかし、毬には負担だろう?」
俺の指摘に流石に孫六は僅かに俯く。身体の弱い妹まで彼方此方に連れ回すとなるとな……。
「それは確かに……しかし、毬は旦那を恨むような事はありやせんよ」
「毬は、か。お前としては妹に苦労させる奴は嬉しくないんじゃないか?」
冗談めかして、しかし俺は鋭く指摘する。孫六は、懸命にも取り繕う事はしなかった。
「しかし……旦那に俺も毬も救われたのは事実です。返せぬ程に大恩ある身、恨むのは筋違いでしょう?」
「それでも恨む事はある、だろ?」
「旦那も意地悪ですねぇ?」
「はは、済まんな?」
お互いに困ったように笑う。陰気も裏もなく、しかし現実を前にすると笑う以外なかった。
「明日にでも、毬に構ってやって下さい。それで十分でしょう」
「それだけで?欲しい物は?金は?遠慮するなよ?昔よりは稼げてるんだからな?」
「分に合わない贅沢は毒ですからねぇ」
俺の言葉に孫六は苦笑いして足るを知るとでも言うように宣う。実例を知っているかのような物言いであった。昔、何かあったのだろうか?
「しかし、構うだけか?」
「毬もそれくらいしか望みませんです。……アイツは、そういう奴ですので」
「そう言えばそうだな」
毬は少しの事で花が咲くように喜ぶような少女だった。喪う事を悲しみはしても恨む事をしない性分だった。常に受け入れて、受容して、分け与える事を考えるような女だった。与えても困惑して手に余ってしまう損な性格だった。
「えぇ。ですのでアイツを幸せにするには小分けに、細やかに積み重ねを、です」
そして孫六は立ち上がる。
「明日が早いので、自分は此にて失礼を。……宜しいでしょうかね?」
頭を掻いて、それは御伺いを立てるような孫六の願いであった。俺はゆっくりと頷く。
「あぁ。茶、旨かったよ。有難うな?」
「旦那様に喜んで頂けて、幸いでした」
恭しく孫六は退出する。恐らくはこの後は毬の世話も兼ねながら就寝だろう。本当にご苦労な事であった。
再び沈黙が続く。このまま寝ようか?いや、しかし……流石にこのまま寝るのも何処かすっきりしない。はてはて、どうするべきか。
「汗と、埃を落とすか。……一風呂行くかねぇ?」
そう言うが早く、俺は頂戴したとっておきの瓶を手に立ち上がっていた……。
霊脈は大地の恵みだ。霊力の恵みだ。それは前世の科学を覆しかねぬ代物だ。奇跡の所業である。
霊脈の恩恵は多岐に渡る。絶対の豊醸を約束し、豊かな鉱脈を約束し、災害はあり得ず、清浄なる水は無尽蔵に……地震多発地帯でもないのに温泉が沸き出すのは、しかもその癖大地を汚染しないのは如何なる理論か?この世界の地学者は通常の温泉と霊脈の温泉についてその差異を研究している者もいるという。
兎も角も有望な霊脈の恩恵のある地では湯銭文化が豊かだ。かつての西方帝国では悪魔共から奪い取った霊地に大衆浴場を馬鹿みたいに建てたように、それらしい地面を適当に掘れば湯は出てくるものだ。前世においては湯を張り替えるのは数日に一回という事もあったようだがこの世界においては主だった街の銭湯は湯を無尽蔵に使い捨てるのが当たり前だ(霊地限定)
蛍夜郷のそれのように、村規模になると銭湯を建てずに自然の温泉をそのまま利用するという。定刻になると村の者達で男女交替で湯を使う。これは扶桑国が銭湯に税を掛けているので脱税も兼ねてるとか。小狡い……。
「さぁて。ここか」
宿屋の者に伝えてから俺は村外れの森にある温泉に辿り着いた。既に最初の訪問と帰還後の二度使っているがどちらも予定が詰まっていたのもあってじっくり利用出来なかった。この時間帯は認可さえ貰えば自由に使えるそうで、それを利用して俺は改めて訪れた。机仕事の肩凝り、癒してから寝るとしよう。
「ふふふ、酒と摘みもあるしな!」
着替えと拭布と共に手元の籠にあるのは乳汁飴と共に都からの出立時に贈られたとっておき……お高い硝子瓶入りの火酒である。御猪口と徳利、お摘みに空豆と漬物を頂戴している。徳利に注いで温めた火酒に摘みで呷れば温泉の効能で幸せになれる寸法だ。くくく、何という贅沢……!!
「さぁて注いで注いで……」
酒入り徳利を湯に浸す。温めている間に俺は装束を脱ぐ。襦袢を脱ぎ、褌も脱ぐ。折り畳み籠に放り込む。面もまた同様だ。素顔を晒して深呼吸……うん。素晴らしい解放感だ。
「月は……見えんな。まぁ、仕方無いな」
月見酒とまでは流石にいかぬようで、空豆を一つ頂くと俺は湯に浸っていく。肩まで浸ると岩肌に腰かけてはぁと吐息をする。肩を鳴らして脱力する。あぁ、このために生きている……!
「これも家人扱の特権って奴か……」
茄子漬けを一切れ摘まみ、俺は今の待遇をそう表する。仮にこれが普通の下人ならばこの時間に温泉に行くといったら女将らに湯を汚すなと拒絶されてただろう。無料で摘みなぞ以ての外だ。生意気だと言われたろう。そもそも宴会への参加も御馳走は有り得ない。事実、一緒に同行していた因幡達は別所詰めで粥飯に煮物漬物だった。本来ならば俺も同じ釜の飯を食っていた筈で、村の娘を送り込もうとするなぞ論外だ。
「それだけ、偉くなったという訳か……位打ちか?」
今更ながら俺を家人扱に引き上げた当主夫妻の企てを訝る。これが前世を知らぬ田舎の糞餓鬼がデカくなっただけならばこの待遇の変貌に調子に乗って馬鹿やっていても可笑しくはない。問題行動で処断なんて事も……なれば儲けもの位で考えてはいそうだな。
(その点では前世の意識があって助かるな。人の上に立って好き勝手ご乱行……ってのは流石にな?)
無知無学の田舎者ならばいざ知らず、二一世紀日本人ならば世間の目は気にするものだ。節度を以て、権力の乱用はせぬように……いや、油断したら呑まれかねんな。日頃から注意は必要か。
……と、思った所で別の罠仕掛けてそうなのがあのねちっこい夫妻なのだけど。
「……あー、辛っ。熱っ!!」
俺の最終目標も伏せたその前途多難さにうんざりして、現実逃避のために熱燗にした火酒を一口呷って俺は呻く。度数高過ぎだ。前世は無論、昔なら到底そのまま呑めなかったろう。今も辛いし喉が焼けそうになるしで散々だ。同時にそれだけだった。
「呑める時点で、なぁ?」
妖化進行の影響か。村長の息子酔い潰した時にも思ったが肝臓が、身体が酒精に強くなっているのを実感していた。思い違いじゃない。俺の内が人から離れていっている証拠だ。俺には分かる。今なら度数五割超えのこれを一瓶丸ごとストレートで呑んだ所で、多分半日程度でケロリと素面でいられる。
(……その内樽ごと呑まんと微酔いすら出来んようになるかね?あるいは全く酔えなくなるか?)
一時の夢すら見れなくなるのは辛い事だ。酒に逃避出来ぬ人生……人としての生を全う出来ぬのならば、尚更に。最期の瞬間を人の正気のままに化物の狂気に呑み込まれろという事か?
「はは。そりゃあねぇだ、……ろ?」
己の行く末に嘆息せんとして、気配に静かに身を翻す。天然の岩々で形作られた広く入り組んだ湯船。視界は湯気と岩柱で阻まれて見通せぬが、確かに俺の人から逸脱しつつある五感はそれを察していた。
何物かの気配を……。
「鬼?いや、違う……?」
一番有り得そうなストーカー青鬼の存在を脳裏に思い浮かべて、即座に否定する。温泉を楽しんでいるのならばもっとあからさまにその存在感を認識出来そうなものだった。この気配は、もっと矮小なもので……。
「……」
籠に戻り、着替えの内から取り出すのは鞘に納めた短刀である。桜紋の刻まれたそれは俺が所有する二本の逸品の内の一つ。旧く付き合いの長い相棒である。鬼月の二の姫から頂き、先日任務に先だって何故か返却された短刀……それを携え湯を掻き分ける。
「……」
気配を殺す。存在を稀薄にする。湯を掻き分ける音すら最小限に。静かに相手の背後を取らんとする。しかし、そうは問屋は卸さない。
(……向こうも動いている。此方に回り込まんとしている?)
湯に半身を沈めたままに岩々を抜けて、その先の無人に俺は察する。此方が気配に気取ったのに反応して動く存在に、俺は益々表情を硬くする。
(最低限、心得がある。村の連中じゃねぇ)
即ち、素人ではない。得物を持ってる可能性がある。脅威の可能性があった。夫妻がヒットマンでも送り込んで来たか?いや、救妖衆辺りという可能性も……?
「……」
湯の底を漁る。小さな石を見つける。湯音を立てる。そして……跳び石をするように石を湯面に跳ねさせる。それは、此方の位置を欺瞞する行為!
「っ……!!?」
(来た……!!)
音に反応して、此方の背後に回らんとする人影が湯気の中に浮かび上がる。俺自身は岩柱に身を張り付けて一体化していた。此方の存在に欠片も気付かずに人影は石を投げた先へと向かう。俺はその後ろに付く。
「動くな。ゆっくりと後ろを向け、曲者め」
俺の警告に人影は硬直した。バックを取られたのを察したのだ。しかし同時に人影は心底驚いたように此方を向いた。まるで欠片も警戒していないように。
「え?その声は……?」
「……?」
不用意に人影は此方を向いた。その声に聞き覚えがあった俺もまた思わず警戒が解けてしまっていた。互いに相対する形となる。そして……立ち込める湯気の中からそれが浮かび上がる。
中肉中勢の、均衡の取れた華奢な印象に健全健康を両立させた肉付きは布で前を半ば程隠してたが、逆にいえば半ばが外から晒し出されていた。隙間から覗くのは白過ぎない程度に白い茹で玉子のように艶やかな肌。滑らかそうな腹部に綺麗な臍。欲張り過ぎぬくらいには豊かなお碗型の曲線……それは程々を知るという言葉が相応しかった。慎みと豊かさの両立だった。
「あ、ぁ……」
そして視線は自然に下から上へと進んでいく。色々と視界に映し出して、そして天辺まで辿り着く。乙女としては短めに切り揃えた群青色の髪が水気に濡れていた。唖然とする姫の表情は事態を呑み込み切れぬままに思考停止しているみたいだった。視線は下方にあってあんぐりと口を開けていて、視線に気付いたように頭を上げる。互いの瞳に互いの表情が映し出される……。
「と、伴部くん?」
「環、姫……?」
先に口を開いたのは環であり、疑問形で確認するような呼び掛け。俺もまた何故かクエッションマーク付きで答えていた。沈黙。沈黙。沈黙。互いに状況を把握せんと硬直して直視し合う。
……いや、見ている場合じゃねぇよ。
「あ、あぁ……!!?」
次第に状況を認識したのか顔を紅潮させて涙目気味になって、わなわなと表情が震えていく。あ、これ不味い……っ!?
「た、環様!?これはっ……!?今すぐにっ!?」
「ごめん!伴部くん!!?取り敢えずこれで隠して!!?」
「はいっ!?」
俺が謝罪と撤退を口にするよりも先に環は纏っていた布を手に突貫していた。どういう訳か必死な表情で布を俺の顔面に被せんと湯飛沫を豪快に撒き散らしながら迫る。
……コツン、と。湯の底で環は足を滑らせる。
「あっ!?あっ!?ああっ!!?」
「あっ!?」
お互い様に間抜けな声を上げて、環は俺に覆い被さって、俺はそれを受け止める姿勢となって、急な事に勢いは殺し切れずに、次の瞬間には俺達は温泉で勢い良く湯柱を立たせて転げ倒れるのだった……。
ーーーーーーーーー
「つまり、自分が嘔吐して温泉を台無しにする可能性を考えたと」
「あはは、……はい。そうです」
「いやいやいや……」
擦った揉んだの末、色々あって取り敢えず俺と環は背中合わせの状態で温泉に浸っていた。浸りながら俺は環から事の経緯と暴挙の理由を聞き出す。
先ずは彼女が俺の背後に回ろうとした理由。酔いからの眠りに覚めた環は、頭痛を和らげるため、汗を流すために温泉に入る事にしたという。その際に俺の気配を、何者かの気配を感じ取り覗きか曲者かと思い探っていたのだとか。結果的に俺と互いの背後を取ろうとするおいかけっこをする羽目となる。
そして彼女が俺に迫った理由だが……これは俺との最初の顔合わせに起因していた。俺と環の初めての接触、今回と同じ温泉で出会した時に、俺は彼女の顔を見ると共に嘔吐した。この温泉で嘗ての如き状況で相対した時、当時のその光景が彼女の脳裏にフラッシュバックしたのだという。
表向きの理由は体調不良、裏の理由は生えていない事への絶望からのオ"ウ"ェ"!である。今更俺が再度ゲロる事は有り得ないのだがそんな事は環の知る由もない話だった。
「大分疲れてそうな顔してたからさ。もしかしたらって思うと……まさかこの湯の中でって訳も行かないでしょ?他所様の温泉だよ?」
「だからって自分の纏っていた布で顔を塞ごうというのは……」
己の纏っていた唯一の布を剥がして男の顔に押し付けよう等と、他意は無かろうとはしたない事この上ない。己から完全に裸体になって突っ込んで来るのが人によっては勘違いすらしよう。軽率だ。
「は、反省します……」
俺の指摘に背後から心底しょんぼりとした声が応じる。見てもないのに背中を丸めて俯き目剃らししている環の姿が想像出来た。分かりやすい。
「それはそうと……そんなに自分の顔は酷いものでしたかね?」
温泉である。流石に面をしてなかった故に表情は丸見えで、しかし咄嗟に吐きそう等と思えるような酷い面構えだっただろうかと首を傾げる。
「いやぁ、今思えば其処までって訳じゃなかったんだけどさ……伴部くんの顔見るのは余り無いでしょ?」
允職時代は無論、今の家人扱となった立場でも俺は基本的に面を装着していた。それは一種のポーズである。面は下人の証である。家人扱はあくまで扱い、下人という単語がその後に続く。面を装着する事で俺は周囲の退魔士達に対して下手の態度を示す事になっていた。加えるならば表情を悟らせぬように、顔を覚えられにくくする理由もある。
「普段から顔見てないと程度がね?それに……宴会の時に沢山御酒呑んでて、その後御仕事もしてたんだよね?だから、さ?」
環の言は彼女の思い遣りの性格を表していた。咄嗟に其処まで考えが及ぶのは流石主人公様である。それだけの観察眼と判断力があるなら自分が酔い潰されて大人のエレベーター乗せられかけていた事も自覚して欲しいものである。いやマジで油断しないで?
「……ふぅ。まぁ分かりました。いえ、此方も落ち度がありますし、元より環様に彼是言える立場でもありません」
それこそ、この状況で環が謝るのが異例なのだ。普通ならば曲者だ、無礼者だ出合え出合えと人を怒鳴り呼び寄せても可笑しくないのだ。環の行為は寧ろ倒錯的であるとさえ言えた。
「そんな事は……いや、確かにその、何も感じない訳じゃないけどさ?」
パシャリと打ち鳴る水音は艶かしい。恐らくは手を水面から出したのだろう。己の身体を抱いたのかも知れない。男に視姦された己の身体を……果たして如何なる表情をしている事やら。
「けど……その、伴部くんも態とじゃないのは分かってるからさ?覗きなんてする人じゃ……ないでしょ?」
「何故最後少し自信なさそうなので?」
「あははは……」
笑って誤魔化さないでくれません?いや、不安に鳴るのは分かるけどさ。二度目だもんね。
「……三度目はない筈ですよ」
「三度目の正直って事?けど二度ある事は三度あるって言うじゃないか?」
「覗かれるのを期待してるって訳じゃないでしょう?」
「……何か意地悪な言い方じゃない?」
「思わせぶりにも聞こえる言い方してるせいですよ。人によっては、変な勘違いしますよ?」
何なら原作の棒がある方は不用意な発言で勘違いさせてヤンデレさせて地雷を踏む奴だった。まさかTSしてもその辺りは同じだとでも言うのか?
「別にそんな事は……えっと、その……その、伴部くんこそ、どうなのさ?」
しどろもどろ気味にどもり、不満を絞り出したような質問に俺は思わず顔をしかめる。思わず振り向きそうになって慌てて止める。
「……どういう意味で?」
「えっと、いや……いや、別に……!?」
俺の聞き返しに、環は己の言葉の奇妙さに今更理解したように慌てる。バシャバシャ音を鳴らして動転する。
「えっと、僕!もうのぼせたからっ!?」
「お待ちを!」
あからさまに逃走を図ろうとする環。立ち上がる彼女の腕を俺は捕らえた。背を向けながら視界の端に見えた細腕を掴みあげる。
「と、伴部くん!?何を!!?」
「逃げようとしているのは分かります。御容赦を。……まだ湯に入ったばかりなのは肌の色で分かっていました。下手な芝居は止めて下さい」
「~~~~っ!!!?」
俺の言葉に環の顔が茹で蛸になったのだろうなと想像する。俺の発言が真正面から彼女と遭遇した先程の光景を思い返してのものだと察してのものだ。とは言え、俺もここで話を切り上げる訳には行かない。
……原作知識が告げている。類似のイベント描写が告げている。ここで深く話しておかないと嫌な予感がする。大体こういうパターンで会話や告白がぶつ切りになったら主人公かヒロインのどちらかがくたばる案件であった。死亡フラグというものである。紫はどの道死ぬ?それは言わない約束だ。
「それ!言い方さぁ!?」
「それは環様もです。後から殴打の一発くらいはお受けします。その代わり……何か言いたい事があるのでしょう?お聞かせ下さい。まだまだ任は続きます。蟠りの類いはここで拭い払っておくべきでは?」
「~~~!!!!」
俺の指摘に言葉にならぬ言葉を絞り出したように呻き鳴き、しかし納得せざるを得ないのだろう。湯の中に身体を沈める。相変わらず素直な事だ。君出会った時同様のお利口さんである。
「……その、前から気になってたんだけどさ?」
「はい。何でしょう?」
「伴部くんってどこまで本気なの?」
「……はい?」
質問の意味が、やはり俺には分からなかった。本気って、何が?
「本気、というと?」
「それはもう!入鹿の事だよ!!?」
俺の質問返しに愕然とした声をあげる環であった。いやいやいやいや。何だその反応は?
「いや!?伴部くんこそ!?まさか隠せてるって思ってる!!?僕の観察眼を見くびらないでおくれよ!?ちゃーんと見ているんだからね!?」
「ちゃーんと?」
「そうさ!ちゃーんと!!」
環は背後から必死に宣言して……恐らく胸を張って……指摘する。俺と入鹿の距離感の近さを。こそこそと密談する事の多さを。特に入鹿と話している時の俺の気安さを。環が話に触れる際の入鹿の反応を。
「僕としてはね!別に友達の男女の彼是について首突っ込む権利はないよ!?けどね!だからといって心配してない訳じゃないんだよ!?」
「さいですか」
そりゃあ雪音のにも首突っ込んだそうだし、そりゃあそうだろうさ。
「入鹿はね!確かに蝦夷の子だよ?……昔色々あって君と因縁があるって聞いてもいるさ。半妖さ。身分の差もあるよね?がさつだし、夫婦としては教養も怪しいさ。ちょっと手が早いから一緒にいると大変かも知れないさ!!」
環は入鹿に纏わる問題を羅列していく。それは悪口ではなく何れも厳然たる事実であった。何だったら環の知らぬ入鹿の難題もあるので実態はもっと酷い事だろう。しかし、それを何故今俺に……って、夫婦?
「だけどさ。だからこそ……あれだけ距離近くして、何処まで考えているのかって考えたのさ!鈴音のは早とちりだったけどさ、だからって入鹿の方は無視って訳にもいかないでしょ!?だから、さ!」
殆ど一方的に捲し立てて、環は恐らく振り向いた。背中を眼差しで射貫かれたようなむず痒い感覚に襲われる。
「教えて欲しいんだ。あんなに入鹿と距離が近いんだ。一体、どんなつもりなんだい?」
「どんなつもりって、なぁ……?そう、だな」
俺は暫し沈黙して……そして語り始める。丁寧に下手に出た普段のそれから、砕けた口調に変えて。距離を近づけた口調に変えて。
「……アイツとは、まぁ実質悪友みたいなものかね?仇でもある。昔の彼是、聞いているよな?」
環は俺の言に頷く。そりゃあ好都合だ。
「正直、仲良くする義理はないってのは分かる筈だ。寧ろ御礼参りしてもいいくらいさ。……言っておくが、弱味に漬け込んでナニかしてるって訳じゃないからな?」
「いやいや!流石に其処までは考えてないよ!?」
エロゲにありそうなネタを勘違いしてないか確認すれば環は慌てて否定する。結構結構。ライトサイドの主人公様にそんな風に思われたら死亡フラグである。
「実は、俺には弟妹がいましてね」
「……弟妹?」
突然のカミングアウトに環は多分きょとんとする。どうして今そんな事を言ったのか、首を傾げた事だろう。
「丁度今頃は鈴音くらいになる妹がいるんだ。確か、アイツも兄貴達がいるんだよな?」
「う、うん……」
話の流れに、特に鈴音の名が出てきた事に困惑しつつも環は応じる。
「入鹿の奴、自分が処断されるって時に姫様や鈴音の事心配していてな。……仇がある奴とは言え、どうにもな」
俺は当時の事を思い出す。環と鈴音。雪音のためならば己がどうなってもいいという振る舞い……。
「入鹿が、そんな……」
「俺も弟妹達のために身売りした身でしてね。鈴音が妹くらいの歳なのもあってその態度に絆されちまって……それが悪縁の始まりって所ですかね?アイツこそ、人の弱味に付け込んで良い様に利用してくれちまって」
特に鈴音の保護者役として、入鹿の手助けをせねばならぬようになってしまったと俺は語る。
「あはは……入鹿は、そういう所が目敏いから。そんなに鈴音が妹に似ているの?」
「いえ、あんな淑やかじゃありませんよ。もっとヤンチャな悪餓鬼でしたよ。それこそ入鹿みたいな……あー、そう考えると入鹿も弟妹みたいに見てる所があるのか?」
驚愕の事実に今更気付く。因みに娘を自称する馬鹿蜘蛛曰く妹らしいのでそれに従えばアイツは娘である。アイツが娘?冗談だろ?
「……もしかして、僕も弟妹みたいに見てたりする?」
「……言われて見ればそんな所もあるかもですね。多分次男です」
下の弟妹達の中では一番手の掛からぬ奴で、頭の回転は三男より遅いがずっと誠実な奴だった。性別を除けば確かに環に似ている所はありそうだ。
(……待て。原作で雪音の奴が主人公様と良い関係だったのって、まさか次男の奴と重ねてたのか?)
その可能性に思い至り、今の状況を思う。原作だと確か家族は全滅していた筈で、入鹿から聞く限り次男の奴はアイツはアイツで上手く両親とやっているそうだ。
俺を売った金で家族は土地を買ったのだという。小作人から自作農の端くれとなって、しかしそれだけでは終わらなかった。真面目に節約して開墾して、機を見て弟妹の仕送りで農具と土地を少しずつ買い足して、今では雇農も幾人か雇うようになったとか。地主とは到底言えぬ。痩せた土地が大半だ。しかし井の中の蛙な寒村内とは言え今ではそれなりの立場を得ているという鈴音の話を入鹿を挟んで聞いている。
確か、一年前には婚姻もしたのだとか。地主の妾腹なのだという。二つ歳上の出戻りなのできっと在庫一掃セールなのだろう。そうでなければ到底結べぬ縁だ。それでも、僻み嫉妬から家を守る後ろ楯にはなってくれるだろう。というか多分アイツはそのために結婚している。……御家乗っ取りは勘弁な?上手く立ち回ってくれ。
……あかん。話が逸れたな。
「……次男は手の掛からぬお利口さんでしてね。その点、下の二人は中々に問題児でしてね?」
「だから僕には塩対応って事?」
「まさか、蛍夜の令嬢様にそんな滅相もない……」
「ふぅーん」
多分ジト目で此方を睨む環。しかしながら場の空気が緩んでいる事を俺は察していた。
「はぁ……まさか僕達三人揃って弟妹扱いだったなんてね?」
「自分も、今この瞬間に自覚したものでして……失礼をば」
「別にいいよ。色々御世話になってるのは事実だしね。……ふぅん。そうなんだ。入鹿と鈴音が弟妹、か」
俺の謝意に恩赦を出す環。そして何やら小さく呟く……何だ?
「環様?」
「何でもないよ。……っていうか、いつの間にかまた口調が下手になってるね?折角なんだからこういう時は砕けて欲しいんだけど?」
「裸の付き合いだから?」
「いやっ!?~~~っ!!もう!そういう言い方は止めてって!!下品でしょ!?」
バシャリ、と湯の音が鳴る。多分湯に身体を浸しての叫びだった。顔を紅くしているかも知れない。
「生憎、下品な生まれでしてね。御容赦を」
「~~!!言い訳が見苦しいよ?もう家人扱なんだからさ!その辺りちゃんとしてよ!?分かった!!?」
悶絶するように呻きながら俺に説教する環。からかうのも程々にという事だ。
「はははは。努力致します」
「もう!」
暫し笑い声と憤慨する鼻息が鳴り、そして再び静寂が訪れる。暗闇の中で、湯の音と静かな吐息だけが場に反響する……。
「おっと、忘れてました。何時までも腕掴むのは非礼ですよね?」
「あっ!?」
落ち着いてから、今更それに気付いて俺は捕らえていた環の腕を手離した。直後に環が俺の腕を掴んだけど。
「……環、様?」
「環でいいって!……えっと、仕返し?」
「……暗くて怖くなりました?」
「……」
「図星ですか」
他所の土地の温泉で夜に一人で浸るのは少し寂しいだろう。直前までドタバタしてたならば落差もあって尚更だ。とは言え、男相手に同じ温泉にずっと浸っているのははしたないので頂けない。
……いや、俺もとっとと退出するべきなのだけど。
「のぼせませんか?」
「大丈夫。そんなにここの湯は熱くないし。……もう少しだけ、こうしていてもいい?」
「……少しだけですよ?」
俺は湯の中で胡座をかいて、観念する。びしゃりと背に温かいものが触れた。背中合わせだった。
「あ、硬い。それに結構ザラザラする?」
「環?」
「えへへへ。ドキドキした?」
「弟分にドキドキはしませんかねぇ?」
「もう!」
ペシャリっと背中を叩かれた。我ながら良い音がした。痛い。
「いてて……冗談ですって……」
「もっと上手い冗談をいってよね!よりによって女の子が憤慨するような言い方はしないで欲しいね!煽てて欲しいくらいだよ!」
多分環は頬を膨らませていた。うーむ、多分TSしてなかったらこれで上手くいったのだが……いや、原作の方は逆に女扱いされたから怒っていたのだから当然なのか?しかし、ボーイッシュなのがいけないのです。
「……」
「……というか、何か背中に視線を感じるのですが?」
「んっ、いや……さっきの感触もだけど、伴部くんの背中見てたらね」
そしてすっと背に触れる環の指。その感触に思わずぞわりとして、そして気付く。その細指がなぞるのは深い傷痕だ。はて、その傷は何時のものだったろうか?
「鍛えているんだね。ゴツゴツしてて硬いや。それに……痛そう」
「そう見えるのは皮だけですよ。中身はもう大丈夫です」
何なら妖母様のお陰で人のそれでなくなってそうだけど。
「けど、傷が出来た時は痛かったんでしょ?」
「正直デカいの以外は何時の奴か忘れました。痛いのは仕事ですので。……そちらこそ、傷は大丈夫なので?」
雛もそうだが……いや、雛の場合は幾らでもリセット出来るだろうが……人の事よりも先に己の身体を心配して欲しいものである。それこそ、嫁入り前の娘が傷だらけなんて退魔士家でも余り喜ばれはすまい。妖にボテ腹された経験持ちや欠損してるよりはマシだろうけど。
「僕は……大丈夫。擦り傷くらいしか残ってないよ。霊薬とか沢山使って貰ってるからさ。驚いたよ、腕の貫通した傷も塞がっちゃったんだもん。傷痕も分からないくらいだよ」
心底驚いたような環の言。恐らく『迷い家』での怪我を指していた。思い返せばあの案件が一番環に傷を負わせていた。そして恐らく、心を鍛えてもいた。
見る限り、今の所主人公様に翳りは見えない。このままいけば少なくともダース化は避けられ……いや、左大臣やTSマジカルが何かしてきたら分からないけど。
「後遺症がなくて幸いです。……心が強いですね。あの任務だけでも酷いものでしょうに」
「それは……まぁね」
味方と思って仲を深めていた相手が骸で妖の駒だったのだ。トラウマになっても可笑しくない筈である。
……何だろう。何か引っ掛かる気がする。生きているような、いや死んではいるのだろうが、何か欠けてるというか補足説明が必要なような?駄目だ、思い出せん。
「正直怖いなぁとは思ったよ。負けたら、失敗したらどうなるのかって理解するとね……けど、逃げる訳にもいかないでしょ?霊力があるし、力も、あるからさ……師匠、菫さんも言ってたよ。能ある者が前に出なければ別の誰かが貧乏籤を引くって」
「夫人が……」
感心すると共にお前が言うのかという気分に駆られる。口には出さないけれど。
「僕は力があるからさ。それにこの力……夫人や御意見番様も言ってたけど、力を御せないと周りを傷付ける事もあるからさ。大切な人達を守れない所か、傷付けるような羽目になるのは、嫌だよ」
「だから危険を承知で戦う……ですか?」
「酔狂だと思う?」
「奇特ではありますね。人のために危険を冒せる人は少ない」
己を第一に考える……それを独善と言うは易い。しかし、いざその時に一歩踏み出せる人間は多くはない。鉄火場で我が身が可愛い事を非難は出来ない。
「伴部くんがそれを言うの?」
「言えちゃいますね。自分は環姫が思うような人間ではありませんよ?というよりも、姫は人を良いように見過ぎです」
それこそ俺はお前さんにレズハーレムさせて色々背負わせ押し付けるつもりなのだから……支援はしてやるけどな?
「自己評価低くない?」
「もう少し環姫は人を見る目を養うべきかと。……酌しまくってたあの村長の息子、多分貴女を酔い潰すつもりでしたよ?」
「えぇぇ?まさかぁ!?」
「まさかなんだよなぁ」
いつの間にか互いに裸なのを忘れ気味になってやいのやいののお喋りとなっていた。それはまるで熟年夫婦のような距離感を思わせた。
「あはは。いっそ、入鹿や鈴音も一緒なら面白いのにね?」
「いやいや、それは流石に……」
「そんな事はないよ?前以て言っておけば別にそんな目くじらは……あ、そう言えば」
「?」
環が何かを思い出したかのようにしまった顔を見せた。そして何かを伝えようとする前にそれは響く。
「おぉぉぉぉっ!見ろよ環ぃ!!」
突如として暗闇も静寂も、趣すら引き裂くような咆哮が鳴り響いた。
「「……」」
俺は胡乱な視線を声の響いた方角へと向けていた。環は苦笑いして振り向いた。そいつは直ぐに闇の中から現れた。
「へへへ。ここの温泉は気前がいいなぁ!!見ろよ、野生の酒と摘みが生えて来てるぜぇ!!」
身体に衣を纏わずに、何なら当然のように布すら巻かずの裸っぱの狼腕女が参上する。両手に俺の持参して忘れていた徳利と摘みの皿を手にして。豪快に脂肪塊の輪郭を揺らすのが暗闇と湯気の世界でも良く分かった。やっぱデカいな。……いや、そうじゃなくて。
「あ"?おい、環。そいつはぁ……」
そして、俺が入鹿を認識したように入鹿もまた俺を認識して……。
「……」
「……」
「……」
「…………覗き魔がぁ!!死ねぇっ!!」
「ふごぅ!!?」
豪速球で投擲された徳利が俺の顔面に直撃した。バシャッと俺は湯の中に横転する。
「えええぇ!!?だ、大丈夫!!?」
「環ぃ!!さっさとその不埒者のとこから離れろぉ!!」
「いやいやいやいや!!?……いや、当然の反応?」
入鹿の暴挙に対して否定しようとして、環はしかし冷静に考えて納得しかける。裏切者め!!
「入鹿?何かありましたか……?」
「覗き魔ぁ!覗き魔がいるぅ!!」
「えええっ!!?」
湯気の奥から浮かび上がる華奢で小柄な人影に、入鹿が叫べば相手は慌てて湯の中に沈み込むのが分かった。良く良く聞き覚えのある声音だった。いやいやいやこいつは不味い……!?色んな意味で不味い!!?
「と、伴部くん……!と、取り敢えず!逃げて、ね!?説明はしておくからさ!?」
「先ず後続が来る事を説明して欲しかった!」
「言い忘れてたよ!」
「致命的だぜ!?」
完全に覗き魔らしく、色々投擲される中で俺はその場から退散する。環が上手く説得してくれる事を祈る。風呂入りにいったのに全くリラックスは出来なかった。
……翌日朝、環の部屋に受印を貰いに行ったら顔面飛び膝蹴りがやって来て悶絶する事になったのを追記しておく。
いやこれ、説得出来てなくない……?
……後の事を思えば、笑えるだけマシな一時だったけどな。