和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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貫咲賢希様からイラストを頂きました。

 脅すゴリラ様。尚、ゲーム内では姉御様に同じような台詞言ってそう
https://www.pixiv.net/artworks/84376023

 同じく姉御様、平原地帯なのは栄養不足のせい、決して農民の血が敗北者の血筋だからではない……筈
https://www.pixiv.net/artworks/84393930

 男連中集合絵、ひょっとしなくてもイカれたヒロイン達よりも遥かに人格者揃いです。後結構強キャラです。本作主人公もどころか原作主人公でも敵対したら殆どのルートで返り討ちで死にます。
https://www.pixiv.net/artworks/84411428


 アンケートは想定以上にタイトル維持優勢かぁ、一応期限まではアンケートしますがこの分だと変更はしません。但し略称や微妙なアレンジはまだ考え中です


第一八話● おもひでぽろぽろ

 それはいつの記憶か。何百年もの間生きてきた彼女にとって、それは思い出せる最古の記憶の一つであった。母を殺され、家を焼かれ、山に逃げても尚追いかけられて、多くの好奇の視線が集まる中で下卑た男に組み伏せられる。

 

「い、いや……やめて……いやあぁぁぁぁ!!」

 

 それが何を意味するのか、これから何をされるのか、明確な知識が無くても本能的に察して少女は絶望の声を上げる。しかし助けなぞあり得ない。それほどに世界は優しくない。

 

 ……だから、それは気紛れと偶然、そして「彼女」の打算が引き起こした運命だったのだろう。

 

「こんな山に人共が雁首並べて集まって、一体何用なのかしらぁ?」

 

 その甘ったるい声が響いたのと同時の事であった。自分を組伏せ、正に装束を破り捨てようとしていた男の半身が血飛沫と共に引き裂かれ宙を舞っていたのは。

 

「あっ……」

 

 頬に、衣服に生温かい返り血が飛び散ったのを少女は感じた。臓物を垂らしながらゆっくりと崩れ落ちる男の半身をその目に焼き付けた。

 

 半ば放心状態の白い少女が、あるいは武装した農民達は恐る恐るとゆっくりと視線を声の方向へと向ける。

 

 そこにいたのは妙齢の女だった。幻想的な程に、現実離れした程に、恐ろしい程に美しい烏の濡れ羽色の髪をした赤い瞳の女性。傾国の美女とも評せる美貌は見る者に息をする事すら忘れさせる。

 

 だが、それを見た農民達はひたすらに彼女に怯え、狼狽えていた。何故ならば彼女の頭に生えるのは狐耳であり、その背後に生えるのは九本の狐尾であったから。それは明らかに人間にあるべきものではなく、今引き起こされた惨劇だけで彼らと彼女の力の差は明らかであったから。

 

「う、うわああぁぁぁぁ化けぎづっ!!?」

 

 逃げ出そうとした男は直後振るわれた尾の一振るいで全身を丁度縦に等分に切り落とされた。ずるり、と断面を見せながら崩れ落ちる男。

 

「ひぃぃい……!?」

「化物がぁ!!ぶっ殺してやぐっ…!?」

 

 逃げようとする者、あるいは農具を持って殺そうとする者、しかし全ては等しく無力だった。直後に彼らは全員が九本の尾が巻き起こした音の刃によって肉片になるまで切り裂かれたのだから。

 

 目の前の男達が羽虫の如く、呆気ないくらい簡単に皆殺しにされるのを、少女は現実感もなく、ただ唖然と見つめていた。それを引き戻したのは虐殺を引き起こした当の化物だった。

 

「あらあら、これはまた随分と小さくて可愛らしい同胞な事。……あら、珍しい事ね。まさか半妖なんてね」 

 

 直ぐ目の前まで歩み寄り、九尾の化物はけらけらと愉快そうに少女を評した。目を細め、見定めるように鑑賞する凶妖。

 

「あっ……ああ………」

 

 その文字通り物を見るような、あるいは家畜を見るような視線に白い狐の少女は打ち震える。そして……次の瞬間彼女は踏みつけられた。

 

「かっ……!?」

 

 突然の事態に少女は苦しむ。当然だ。人の姿をしているとはいえ、大人の化け狐が片足で胸を踏みつけているのだから。ミシミシと嫌な音が森の中で響き渡る。

 

「あぐ……ぐっ…い゙だ…ぐる゙しい゙!!」

 

 必死に自分をミシミシと踏みつける化け狐の行為にそう助けを乞うように訴える。しかしながら化け狐はそんな少女に対して加虐的な愉悦の笑みで返した。

 

「くっくっくっ、苦しいの?痛いの?それはそうでしょうねぇ。そなたのような中途半端で幼い半妖程度ではこれだけ手加減してやっても耐えられないでしょうよ」

 

 小馬鹿にしたようにそう嘯き、次いで続ける。

 

「にしても哀れなものねぇ。その年で人間共の狩りの獲物なんて。その年ではまだ人っ子一人食ろうていないでしょうに。人間ってものは本当に野蛮な事」

 

 心底哀れそうに、しかし嘲るように化け狐は呟く。

 

「だけどね。小狐、人生……いや違うわね。妖生の先達として教えてあげましょう。この世は弱肉強食、優勝劣敗なのよ。弱きものは強きものの糧になるしかないの。故に、こうして貴様を絞めて食うてしまうのも致し方ない訳。まぁ、諦める事ね」

 

 そういって踏みつける力を強めていく化け狐。少女は泣きながら、悲鳴を高めつつも何も出来ない。このままでは十を数えるまでもなく、少女は踏み殺され、その亡骸は骨の髄までしゃぶられていた事だろう。

 

 そう、このままであれば。

 

「あっ……がっ………うぇ…?」

「あら?」

 

 苦しみながら、絶望に涙を流しながら、しかし踏みつけられる少女が一瞬何かを感じ取ったように視線を動かした。それは弱く臆病な少女だからこそ感じ取れた微細な感覚であった。

 

 そして、少女を踏みつける黒い化け狐もその反応に気付いた。そして、流し目で少女の見やるそちらを方を見つめ、次いでそれに気付いた化け狐は不愉快そうに目を細める。

 

「へぇ、驚いたわねぇ。妾より先に気付いたのかしら?……ふむ、おい猿。覗き見なぞ無粋よぅ?」

 

 指を鳴らした次の瞬間だった。歩幅にして五十歩程の距離の茂みから突如上がる火。人型の松明がのたうち回り、男の悲鳴が響き渡る。それは農民共と同行して少女を追っていた防人としての兵役経験もある猟師だった。

 

「農夫共を囮にして狙っていたのかしら。相変わらず人間というものは卑劣よねぇ」

 

 猟師の目論見についてあの大乱にも参戦していた経験のある化け狐は直ぐに見抜いた。恐らくいち早く彼女の存在に気付いた猟師は農夫共から離れ、茂みの中から火縄銃で化け狐を狙っていたのだろう。相当上手く隠れていたらしい。意識しなければ気づけなかった。

 

 くっくっくっ、と黒焦げになり、焼け死んだ猟師を鑑賞した後、化け狐は足下の少女を一瞥する。そして、口元を歪ませてその足をどかした。呼吸する気道が確保された事で激しく咳き込む少女。そんな少女の小さな顎を化け狐はその長い尾の一つでクイッと持ち上げた。

 

「気が変わったわぁ。たかが無力な半妖かと思っていたけれど、存外使えるじゃないの?ならば同族として色々と教えてやるのも一興ね。貴様が如き半端者が何処までいけるのか、見てあげるわぁ。貴女、名前を言いなさいな?」

「え……あぐっ……!?げほっ……あぅ……!!!?」

 

 その突然の命令に一瞬呆気に取られ、しかし直ぐに踏みつけられる圧力が強まった事で少女は必死に叫ぶ。

 

「ぐっ……!?うぐっ……わ、わたしは…!わたしのなまえは……■■!■ ■■ですっ……!!」

 

 そう必死に、必死に自らの名前を叫ぶ少女に、黒い化け狐は不気味な笑みを浮かべて小さく言霊を唱える。同時に白い少女は自身の魂が締め付けられる不思議な感覚に陥った。

 

「あっ……ぐっ……!?」

 

 息が出来なくなりそうな感覚に胸元を押さえて喘ぐ少女。先ほどから黒狐は少女の胸元に乗せていた足をどかしていた。しかしながら、少女に掛けられたその拘束はある意味ではその足よりも余程根源的に少女を縛り上げ、押し潰す代物であった。彼女はそして本能的に自覚したのだ。最早自分は髪の毛一本から魂の一欠片まで、全てが目の前の女のものになった事を。

 

「ふふふ、そうねぇ。折角だもの。貴女に与える名前は……そう白綺とでもしましょうか。狐璃白綺、それが貴女の新しい名前よ。妖としてのね。そうそう、これからは妾を……そうよな、御姉様とでも呼ぶが良いわ」

 

 そして「無論」、と心底残虐な笑みを浮かべて化け狐は……かの空亡に率いられた百の凶妖が生き残りが一体、狐璃黒麗は続ける。

 

「使えぬならば、容赦なく食ってあげるから。精々知恵を絞って必死に生きる事ね」

 

 この世は残酷で冷酷で、何物も頼れぬのだから………その言葉が少女の妖としての生を選んだ時に与えられた最初の言葉で、人として生きて与えられた最後の言葉だった。

 

 ……こうして小妖か、それにも劣りかねない少女は妖としての生を歩み始めた。巨大な力を持つ同族によって彼女は化物としての在り方を、知識を、常識を厳しく教え込まれた。

 

 卑怯で下劣な罠の仕掛け方を教えられた時はそのおぞましさと罪悪感に震えた。生傷を増やしながら同じ妖と戦う時は何度も死ぬ事を覚悟した。初めて人間を殺した時は幾度も悪夢に見て、人間の肉を初めて食らう時は気持ち悪さから思わず吐き出した。そしてその度に眷族としての主人である凶妖の化け狐に厳しく折檻された。泣きながら、嗚咽を漏らしながら、それでも死にたくないから必死に学び、身につけ、力を蓄えた。役に立たぬ手下なぞこの主君は平気で切り捨てて、生きながら食い殺すだろう事を少女は理解していたから。

 

 幾年を越しただろうか?人を食い、妖を食い、そうして力を伸ばし、成長し、長い時を過ごして、いつしか彼女は泣くことはなくなった。身も心も正真正銘の怪物へと変質した白い妖狐は何時しか人間に対して何らの感情も抱く事はなくなった。ただただこの扶桑の国の彼方此方で暴虐の限りを尽くして恐れられた黒い狐の右腕として尽くす日々。……流石に酒豪の主君から押し付けられる大杯の酒だけは飲みきれなかったが。白狐は何歳になっても下戸だった。

 

 しかし、何事にも始まりがあれば終わりがあるものだ。そこに例外はない。長い時を妖のように、妖らしき、妖として主君であり「姉」である化け狐に仕えてきた白狐に新たな転機が到来した。

 

 ある日村を部下共と襲ったら、そこにいたのは万全の準備を整えた退魔士達。部下の獣共を殺されて、主君の黒い狐もまた手負いとなって白狐に守られるように命からがら逃げ出した。そして……。

 

「……追手がきています」

「どうやらそのようねぇ」

 

 山奥の森の中を捜索する退魔士達を遠くから茂みに隠れて観察する二頭の狐。白き一方こそ手傷は浅いが、今一頭、黒い狐は腹を裂かれ、血を地面に湖が出来そうな程に垂れ流しながら座り込んでいた。その血の量は一目で最早どうにもならない事を物語っていた。それは退魔士達が奇襲を仕掛けるに当たりより脅威となる方を優先して攻撃を仕掛けた事もあるし、白狐が常に黒狐よりも周囲を警戒する性格であった事も理由だろう。

 

「少しはしゃぎ過ぎたわねぇ。うぐっ……ふふふ、あいつらまだ私の首に金を懸けていたのね。本当、人間ってものはこういう時ばかりマメよねぇ」

 

 黒狐は小馬鹿にするように人間共を嗤う。白狐も話だけは昔聞いていた。数百年前の事であったか、人と妖が激しく争った時代、目の前の主君が下位とは言え妖共の将軍の地位にあったらしい。どうやら人間共はこういう時に限って執念深いようで殊更目立っていた訳でもない筈の黒狐を、他の多くの将が討たれても尚生き残っている事を把握していたらしく随分と長い間討伐の機会を待っていたようだ。まさかあれほど多くの戦力で待ち伏せしていたとは……。

 

「御姉様、流石にそろそろここも危のう御座います。私が足止めをしますからどうぞこの場より避難を」

 

 当然のように白狐は申し出る。それは好意や忠誠心からといった段階のものではなかった。目の前の黒狐に仕えて幾百年、最早そうするのは彼女にとって条件反射のようなものであり、元よりもそれ以外の選択肢なぞ発想として生じる可能性もなかった。しかしながら……。

 

「……いえ、止めておきましょう。どうせ無駄よ」

 

 黒狐は妙に落ち着いた口調で部下の白狐の申し出を否定した。

 

「御姉様……?」

「この傷、貴女も薄々分かっているでしょう?逃げ切ってもこれじゃあ助からないわ。みっともなく逃げて醜態を晒すのは嫌よ」

 

 それは凶妖たる化け狐の誇りと知性が言わしめた言葉だった。そして目を細めて黒狐は白い「妹」を見つめる。

 

「力なきものは力あるものの糧になるのが運命……それはもう仕方無い事よ」

「御姉様……」

 

 白狐は主君であり、「姉」である目の前の狐が言おうとせん事を察する。

 

「薄々気づいてはいたわぁ。何年も前から私の力は強まるどころか維持するのもやっと。対して貴女の成長が止まる気配はないわ」

 

 黒狐は自身が幾ら人間を食らおうと、幾ら妖を食らおうとも自身の力が伸びなくなっている事を自覚していた。その理由は理性と知性の面で他の妖よりも高い妖狐であろうとも分からない。

 

 その一方で、当初は気紛れで拾い、躾けて来た「妹」の力の伸びの速さに内心で舌を巻いていた。化け狐が九尾にまで成長するには千年が必要と言われているが既に目の前の白狐は僅か数百年で八尾にまで成長していた。恐るべき速さだ。それは黒狐のそれよりも遥かに早く、そして成長速度は衰える気配はない。後百年もすれば力関係が逆転してしまうかも知れない程だ。

 

「このまま人間共に討たれて、首を晒され、毛皮を剥がされる最期なんて、それだけは絶対に許せないわ。だから……」

「し、しかし……!!」

 

 狼狽える白狐に、黒狐は小さく嗤う。

 

「あらあら、恨まれていると思っていたのだけれど、存外狼狽してくれるのは驚きねぇ」

 

 絆された、という訳ではなかろう。しかしながら幾ら厳しく接されたとしても白く幼い半妖にとっては確かに手負いの黒い妖狐は生きるための、生き残るための術を教えられた先達であり、「姉」であったらしい。しかし、だからこそ……。

 

「おやりなさい白綺。妾を糧に、より強く、より高みを目指しなさいな」

 

 それがこの残酷で冷酷で、誰にも頼れない世界で生き続ける唯一の方法なのだから。それがこの世界の真実なのだから。

 

「……御姉様」

「……何かしら?」

「……必ずや高みへと」

 

 がばっ、とその大きな顎を開く白狐。目元に一筋の涙を浮かべて、しかし確かな意志を持って手負いの狐に近付き……。

 

「期待してあげるわぁ。可愛い可愛い私の妹」

 

 グチャリ、と肉が引き裂かれる音が山に響いた……。

 

 その地域を管理するある退魔士の一族の記録ではその夜、白い九尾の化け狐の姿が確認され、そして追手の退魔士達が数人食い殺された事が記述されている。凡そ一〇〇年余り前の事だ。

 

 以来、力を渇望するように新たな化け狐は時に人の村を、時に他の妖を、時には退魔士の屋敷を襲い、食い荒らし、力を増した。そして、自身の力に驕り、軍勢を持って都を襲い、惨めにも敗北して破れかぶれとなって魂を引き裂いて化物はどうにか生き長らえた。それは狐璃白綺という妖狐にとってはこれまでの妖として力を求め続けた努力を否定されたに等しいもので、故に彼女は自身の最も恥ずべき、無力で無知で、愚かな自身の根本をこの機会に切り捨てた。

 

 元より野垂れ死にしても良かった幼い頃の記憶と魂からなるか弱い半妖の少女……産まれ直したばかりであるが故に記憶は混濁し、その思考は定まらず、夜道をふらりふらりと無用心に歩く。そうなれば深夜を練り歩く碌でもない者達によって目をつけられるのも必然であり、実際直ぐに彼女は憂さ晴らし同然の暴行を受けた。

 

 ……あるいは妖としての「彼女」らはそれをこそ望んでいたのかも知れない。弱者に助けなぞ来る筈もなく、弱きものは只奪われ、辱しめられ、殺されるだけなのだから。

 

 だから……だからこそ、訳も分からぬままに殴られ蹴られ、痛めつけられていた少女が助けを呼んだ時に、目の前に現れた外套姿の人影は彼女にとっては「あの日」からずっと待ち望んでいた救いであった。そして、残虐で凶悪なもう一人の自分と出会い、混濁していた孤児院に拾われるまでの全ての記憶を思い出した時、少女にとって今一度現れた彼の姿は正に照りつける希望そのもので………。

 

 

 

 

 白い少女は震えつつも、勇気を振り絞り自身の決して大きくはない妖力を使い、小さな狐火を放った。小妖すら殺せない程度の青白い火……しかし、長く生き続けて来た彼女にとって、何の理由もなく自分を救ってくれた存在をみすみす見殺しにするなぞ到底受け入れられなかった。故に少女は殆ど衝動的に、何らの勝算もなく無謀な行動に移ったのだが……。

 

「忌々しい……」

「えっ……?かはっ!?」

 

 化け狐が小さく呟いた言葉に白い少女が反応する……と同時に腹を蹴りあげられて地面に叩きつけられていた。

 

「けほっ!?げほっ……うぇ……お゙うぇ……!?」

 

 腹に受けた衝撃に涙目になり、噎せ返る。地面に這いつくばって胃液を吐き出すか弱い少女を、手負いの化け狐は侮蔑と憎悪に満ち満ちた冷たい表情で見下ろす。

 

「隠れていれば少しは長生き出来たものを。愚かな事だな、私よ。その小さくて馬鹿な頭はもう忘れたのか?弱者はただただそれだけで罪である事を」

 

 何の力もなく、身の程知らずな行いをしたかつての自分に対して大妖は冷淡で冷酷だった。……いや、それは正確ではないかも知れない。彼女は明らかに激情に怒り狂っていた。目の前の幼い自分に対して筆舌に尽くし難い怒りに溢れていた。

 

「あっ……きゃっ……!?」

 

 少女の頭を狐璃白綺は踏みつける。床が畳でなければ恐らくは血を流していただろう。しかしそれでも妖の行いとして考えればかなり手加減していたと言えよう。目の前の化け狐が本気ならば今頃少女の頭は潰れていた。そうしないのは妖の優しさではなく、残虐性故からのものだった。

 

「全く、お前を見ているとイライラするんだよ。そんな震えて、無力で、見ていて情けない姿はな」

 

 吐き捨てるように手負いの化け狐は幼い頃の自分をそう評する。

 

「……こ、黒麗御姉様の事がそんなに忘れられないの?」

 

 震える声で少女は尋ねる。次の瞬間、額に青筋を浮かべた化け狐は少女の横腹を蹴りつける。

 

「がっ……!?」

「貴様のような呑気な餓鬼に何が分かるか!!」

 

 狐璃白綺は叫ぶ。そうだ、弱い事は罪だ。この世は地獄だ。地獄よりも地獄だ。善人がおらず、悪人のみが落とされる地獄よりも余程に!!

 

 だから……だからあの時私達は御姉様を……!!

 

 再度脇腹を蹴りあげる化け狐。その余りの勢いに僅かながら吹き飛ばされる少女。苦しげに少女が呻くのを、息を荒げながら悪意と憎悪と僅かな羨望を交えた瞳で狐璃白綺は見つめる。

 

 ああ、憎らしい憎らしい!!何の悪意も触れていないような屈託のない笑みが憎らしい!!人の善意を素直に信じられるそのお気楽な頭が気持ち悪い。何よりも誰かに助けられるのを待っているかのような力を求めぬ姿が妬ましい!!世界は!この世は!この常世は!そんな優しく出来てはいないのに……!!

 

「けほ……けほ………」

 

 咳き込み、蹲りながら、涙目で、何処か憐れむように自身を見つめる幼い自身の姿に化け狐は怒りと屈辱を感じ、遂に理性を失った。今度は全力だ。そのまま全力で挽き肉になるまでに蹴り殺してやる……!!

 

「さっさと死ね、この恥晒しめ……!!」

「死ぬのはてめぇだよ……!!」

 

 その言葉に狐璃白綺は咄嗟に振り返る。同時に彼女は自らの失敗を悟った。そうだ、自身の分身なぞ何らの脅威にもなり得ないというのに、より注意して警戒するべき相手の息の根はまだ止めていないというのに……!!

 

 振り向き際に化け狐は飛んできた苦無を二本弾き返す。しかしそれは完全に陽動であった。次の瞬間彼女が見たのは血を吐きながら、全身から出血しながら懐に入りこむ忌々しい外套の男。そして、自身の心臓を突き刺した怪しく輝く短刀の姿だった………。

 

 

 

 痛みで混濁する意識の中で俺が見たのはなぶられ、罵倒され、傷つく白い少女の姿だった。

 

「く…そが……!!」

 

 俺は息切れして、血を吐きつつ小さく舌打ちする。自身を守ろうとした幼い子供が暴行を受ける姿を見るのは愉快ではない。いや、そもそも餓鬼が傷つく姿は誰だって見ていて気持ちの良いものではないだろう。

 

 あの時もそうだった。狐璃白綺の分け身……幼い頃の善良で世間知らずな記憶と魂から構築されたその分身は孤児院に不幸をもたらし、吾妻雲雀という優秀な元退魔士の命を奪い、何よりも原作ゲームにおける主人公をバッドエンドルートに導く狐璃白綺を強化させる要因である。正直生かしていても百害あって一理もなし。訳も分からず、自我も碌に目覚めていないうちに始末してしまうのが一番の筈ではあった。だが……。

 

(馬鹿だよな。あの時動けばこんな事にはならなかったってのによ……!)

 

 実際に見た瞬間、俺は彼女を殺す事を躊躇った。想像よりもずっと幼い子供を、何の罪もなく殺せるか?いや、それどころかいざならず者共に集団私刑にあった際には見てられずに介入してしまった。馬鹿な事をしたと後悔している。小説通りであれば殺される事もなく、吾妻に助けられる筈なのだから。

 

 もし原作から乖離していたら?ふとそんな事を思っての介入……良く良く考えればこれも愚かしい考えだ。原作から乖離していたとしてもこの場合は寧ろ好都合でしかないだろうに。自身の手を汚さずに面倒な問題を解決出来た筈なのに。結局は最悪のタイミングで吾妻がエンカウントしてくれて、俺は咄嗟に逃げるしかなかった。そしてその結果がこの様だ。

 

「せき…に…んはとらねぇ、とな……!!」

 

 誰に対しての責任か、それも分からずに俺は小さく呟いて残る霊力を文字通り総動員して最後の攻撃に移る。幸い短刀は無事だった。こいつ、細い癖に無駄に頑丈だなおい。

 

(持ってくれよ、俺の身体……!!)

 

 そして俺は出血しながら立ち上がる。同時に行う隠行。コンマ数秒でも気付かれるのを遅らせるためだけのそれは、しかし化け狐が相当に怒り狂っていたために俺が短刀を突き刺す寸前まで気付かれることはなかった。化け狐が少女に止めを刺す直前に俺が挑発する言葉を放ったのは相手を振り向かせて確実に心臓を狙い刺し貫くためだった。

 

 感触はあった。確実に心臓を突き刺した筈だ。目の前には驚愕に顔を歪める化け狐の姿。口から赤黒い血を吐き出して、倒れ……る前に俺に向けて手刀を振り上げた。

 

(あ、これは不味い)

 

 文字通り全身ぼろぼろ霊力残高零の俺にはその一撃を防ぐ手段はなかった。数秒後には確実に俺の首は切り落とされている筈だ。俺は死の予感に息を呑む。そして……。

 

「下人にしては良く頑張ったわ。まぁ。後の始末は私に任せなさいな」

 

 白くか細い腕が化け狐の手刀を受け止めていた。さらりと広がる桃色の髪から甘い香りが鼻腔を擽った。

 

 直後、孤児院の庭先を焼き付くしていた狐火が風に吹き飛ばされるようにして立ち消える。同時に結界の外から漂っていた有象無象の化け狐共の気配も消え失せる。ははは、マジか。全部今の一瞬でかよ……?

 

 俺が外套越しに引きつった笑みを浮かべていれば、彼女からそれに答えるように嘲笑染みた微笑みが返される。

 

「さて、そろそろ年貢の納め時よ。税はその毛皮で代用させて貰おうかしら?」

 

 その声と共に化け狐は吹き飛ばされた。桃色の少女の裏拳……そう、素手の裏拳によって殴り飛ばされた死にかけの妖狐は空気を切る音を奏でながら孤児院の土壁に突っ込んだ。

 

「……み、見事な御手前で御座います。姫様」

 

 痛みと疲労で足腰が立たなくなり、その場に崩れかけつつ俺はそう彼女を褒め称える。本当に凄い力業な事だよ、流石にパワー系ゴリラの異名は伊達ではない。

 

「あらそう。独創性の欠片もない誉め言葉有り難う。さて、貴方には色々と言いたい事はあるのだけれど……まずは面倒な獣の始末からつけようかしらね?」

 

 まるでこの場の主役であるかのように優雅に扇を広げながら、何処からともなく現れた鬼月葵は愉快げに、そして心底加虐的な笑みを浮かべながらそう宣ったのだった。


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