和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 作:鉄鋼怪人
此方はxin.さんより二点、此方は新春雛姫です。まさしく清楚な正統派ヒロインですね!
https://www.pixiv.net/artworks/126921444
また此方は葵姫様。姉はない武器があります。
https://www.pixiv.net/artworks/127056287
此方は柵さんより、AIイラスト御意見番様。実に妖艶です。
https://twitter.com/saku__shigarami/status/1886400048961139032
素晴らしいイラスト、真に有難う御座います!
多くの場合、退魔士家は管轄する霊脈の真髄の直上に屋敷を建てる。
それは当然の事で、大地に恩恵もたらす霊脈はそれ故に妖にも恩恵を与え、時には暴走させる事で爆弾にもなり得るためだ。特等席を化物共に譲らず、最も危険な場所を押さえる事は霊脈の守護と管理を任じられた退魔士家としての義務である。
無論、地形的な理由から例外はあるしそれが法的に規定されている訳でもない。また、霊脈の中核というべきものが必ずしも不変ではなかった。
霊脈の中核、真髄を移動させる行為は大仕事であっても不可能ではない。実施する意味が小さい割に金が掛かるし危険もある。法で規制せずとも物好きですら行う者はいない。それだけの事である。数年前、北土を騒がせた河童騒動においては狡猾にも蜘蛛妖怪が霊脈の流れの一部を変え、その恩恵をくすねていたのだとか……件の事案後に陰陽寮が各地の退魔士家に霊脈の枝葉分脈の巡回を勧告しているが、それだけである。
……一族郎党の者すら一部しか知らぬ非公式の、あるいは真の十薬本家。領境に近い山地の地下を掘り広げた洞窟は、その物好きとも言える所業の副産物である。
霊脈の中心を移設するために掘削した空間を利用して拡張させた其処は、その構造図があれば見る者は蟻の巣を重ね合わせただろう。幾つもの部屋とそれを繋げる通路。使役した草人形に薬で洗脳した土竜妖怪に虫妖怪共、それらを数百も使い潰したとしても尚、三十年以上の時間を要した。
そうして完成させた其処は地図から抹消された麓の『牧場』と合わせて、本当の意味で十薬家の中核と言えた。呪いに結界で補強された内部空間は、仮に天空から龍の怒りが降り注ごうとも耐えて見せよう。特別に品種改良した霊草によって毒瓦斯攻撃の濾過・浄化・換気の備えも万全だ。仕掛けられた無数の罠も加わって、正しく要塞であった。一介の中小退魔士家には到底過ぎたものだ。十薬家が央土という恵まれ土にありながら華美に傾倒しなかった理由の一つは、質実剛健の家風だけでなく単純に霊脈の移設と要塞工事のために金が注ぎ込まれていた事にある。
「ふむ、堕ちたか。……実に思い切りの良き事か。天晴れというべきだな」
……要塞の内でも殊更大きな地下室。保温加工によって造られた地下の温室。植物園。そして調剤室と執務室を兼ねた空間。草木の生い茂る中にポツンと建てられた小屋の内で報告を受けた十薬一進の応答である。温室にて採取した薬草による調剤作業を止めて、膝を突く二人の帳外の血族を淡々と見下ろす。
「受胎は上手くいったのかな?」
「その確認を含めて、奈落に赴く認可を求めます。幼体の回収作業を行いたく」
「ならぬ。彼処は主らが赴くような場所ではない。特に今のような状態ではな」
疲労からだろう、若干憔悴しているはなの申し出を、実に淡々と一進は却下する。本来の用途、あるいは多少の雑務ならばいざ知らず、彼の者が堕ちた場所にこの二人を送り込むつもりは当主には毛頭なかった。奈落、あるいは地獄。何にせよ、彼処は到底『人』種の足を踏み入れるべき場所ではない。
……そして、だからこそ彼の者は自ら堕ちたのだろう。此方の追手が来ない事を、あるいは遅れる事を期待して。やはり天晴れである。見事な覚悟だと一進は手放しに称賛する。その精神、判断力、やはり惜しいものだ。
「私の方でこの案件は預かるとしよう。主らは下がるが良い」
「えっと……下がるというと、どのようにしておけば?」
当主の言葉に問い掛けたのはかやの方であった。恐る恐る窺うように上目遣いの笑みを浮かべての質問の、その意味を一進は理解していた。
「言葉の通りだ。追加の任は与えぬ。必要に備えて待機し英気を養う事に努めよ。分かったな?」
「にゃはぁ……了解です……」
釘を刺すような命令に、寧ろかやは困惑しつつも安堵したように返答する。当主がさっさと自分達に次の「お役目」を命令していないという事は、それはつまりまだ新品として残しておく必要性を感じているという事である。あの口約束は継続している……?
「第参案はまだ廃さぬ、という事でしょうか?しかし、既に第肆案は……」
当主の命に対して、かやの代わりにはなが怪訝な声を上げて意見した。第肆案が始動した今、最早第参案を継続する意味も理由もない筈である。それは非効率であった。十薬らしくない話である。即ち……そういう事なのか?
「不服かな?」
「いえ、そのような事は……」
微かに圧を込められた当主の問いに、慌てて否定の言葉を述べるはな。帳外血族たる自分達の身の丈を、少女は良く良く理解していた。自分達の当主は愚かでも理不尽でもないが、危険性を量り、切り捨てる時は容赦はない。自分達が態々二人纏めて用意されている理由は予備であり、相互監視であり、連帯責任という意味合いがあった。
「誓約書を再度作成する必要がありますが、宜しいでしょうか?」
「うむ。倉庫の開放を許可する。認め次第、此方に清書を回すように。……そうだな。次は蛟皮を使うと良いだろう」
防水性に優れ頑丈な高級妖皮紙の利用を認め、そして当主は薬物の調合にその意識を移す。即ち、話はここまでという事だ。かやとはなは当主の意思に従い一礼と共に退出する。
「当主様、何考えてると思う?……まぁ、私からすれば取り敢えず助かるけどさぁ?」
部屋を出て、倉庫に向けて舗装された味気無い通路を進みながら、先に話を切り出したのはかやであった。はなは僅かに沈黙した後、言葉を紡ぎ始める。
「……家人扱殿があの状況から切り抜けると考えているのだと思う。だから、弱り切った所で再度契約を結ぼうと画策しているんだよ」
「けど、もう産み付けたよね?」
通路の曲がり角でかやは怪訝そうに指摘する。
人体に幼体を産み付けるとある妖蟲を十薬の技術で以て『目的』に従い品種改良したそれは、間違いなく彼の家人扱の顔面に貼り付いた。間違いなく植え付けた筈だ。ならば最早此方のものである。あの男の生死は既に関係ない。全てを搾り取り、奪い取って、そうして育まれた胸の内のものさえ回収出来れば、それで十薬家にとっては事足りる筈である。
「それも含めて突破するって事なんだと思うよ」
「まさかっ!有り得ないよ!?」
「かや、危ない」
「だってだって!」
曲がった先にある階段を、かやは背後のはなの方を向きながら下りて行く。同期の注意。しかしながらかやはそれよりもはなの言葉こそが、その真偽こそが重要だった。
彼の者でも、いや。彼の者故に尚更不可能であるようにかやには思えたのだ。伊達にこの日に備えて実験を重ねて来た訳ではない。多少の小細工ではアレを排除は出来まい。確かに備え豊富で油断ならぬだろう。しかし、アレは薬を使おうが、呪いを使おうが、異能を使おうが、適応して見せよう。寧ろ、全て逆手に取り己のものとするように出来ていた。正しく、かや達にとって自慢の仔らである。それを……?
「うーん。何か……傷つくなぁ」
自慢故にかやは口を尖らせる。彼の家人扱に向けての敵意はない。悪意もない。親愛があり、友愛があり、敬愛がある。しかしそれとこれとは話が違う。心外であった。当主がそのように判断した事には尚更、己の存在を否定された気持ちに陥る。
「当主の判断に文句を言わない。一度手玉に取られたのも事実、そうでしょ?」
「それは……むぅー!」
はなの鋭い指摘に、かやはぐぅの音も出ない。牢での失態が彼の家人扱だからこそ自分達は生きていた。もっとキッチリ止めを刺されていたら、こうして騒ぐ事も出来やしない。自分達は情けなくも目溢しされたのだ……。
「私達が与えられた命に従うだけだよ。……それよりも、大丈夫?」
はなはかやを全体的に観察して、その身を慮る。家人扱の立ち回りによって薬漬けにされた上で拘束されてしまった二人は、逃れるのに少々無茶をした。
いや、薬漬けだけならばまだ想定はしていたのだ。相手に毒を差し出す時には己達の胃袋にその解毒薬を仕込んでおくのは御約束だ。しかしあの縄は……改めて失態だった。彼と協同して戦っていた時もあの天狗の縄は未確認だった。よもやあのような隠し方をしていたとは。お陰様で此方も拘束から逃れる上で手段を選ぶ余裕がなかった。特にかやの方は因子が因子である故、はな以上に負担が大きい。興奮気味にも思える態度に警戒と心配をする。
尤も、当のかやはそんなはなの言葉に一瞬呆気に取られて、理解すると噴き出したのだが。
「にゃは?にゃはははっ!!もー、大丈夫大丈夫!安心してよぉ!これくらいどって事ないって!ちゃーんとこうしてお話出来てるでしょ?」
「……」
はなの心配を吹き飛ばすかのようち口元に両腕の指を当てて、からかうような笑顔を作って見せつけるかや。同期のふざけた仕草にはなはジト目がちになりながら暫し観察し、呆れを含んだ小さな溜め息と共に首を横に振るう。
「……確かに、まだ大丈夫そうだね?かやが『トブ』時はかなり目付きが変わるから」
実際、かやが『トブ』時の様相はこんなあっけらかんとしたものではない。到底ふざける振りすら出来まい。感情が完全にぶっ壊れている。視界に入る事すら危険だった。己も一度不用意に視界に入って酷い目にあったものだ。本調子に戻るまで何度も剥ぐ必要があった程に。
「そゆことー♪……」
「……どうしたの?急に黙って」
階段の最後の段を踊るように跳ねながら下り終えて、ご機嫌そうに道化めいて歩むかやは、しかし急に沈黙して立ち止まる。そのコロコロと変わる様子に、自然な所作を装いながらも警戒してはなは尋ねる。発作的に『トブ』という訳ではなさそうだが……。
「……あぁ。うん。別にそんな警戒しないでよ。急にそういう事はないって。……そういうんじゃなくて、さ」
「そうじゃなくて?」
歯切れの悪い表情を浮かべて己の舌を撫でるかや。はなの反芻に、苦笑いしてかやは続ける。
「お薬呑ませた時にさ。結構彼方さんの物と私のとで混じっちゃんだよねぇ。ほら。噛まれたでしょ?」
そんな軽い物言いでかやは己の舌を見せつけた。艶かしさすら感じさせる赤い舌に刻まれた痛々しい痕。赤黒く盛り上がった孔。溢れる血が止まるまでかなりの量が垂れ流されたのだろう事は想像に難しくない有り様だ。緊急であったとは言え、男は随分と容赦なく噛んだようだった。
「……それで?」
「あの人の唾液、凄く美味しく思えてさぁ。そのせいでその時は気付かなかったんだけど……良く考えてよ。こんなに口の中が傷ついたんだよ?血の味もあるし、痛いし、興奮して相当ぶっ『トブ』事になっててもいいと思ったんだけどね?考えてみれば逆にすーって覚めちゃってたなぁって」
「覚めた?」
「悪い意味じゃないよ?幻滅とかじゃなくて思考が冷静に……ただ、今思えば鎮静化の作用でもあったのかなぁなんて思ったの」
口元に指を当ててそんな事を考えてるかやの振る舞いは、少なくとも仕草は年相応に思われた。語る内容との不釣り合いは異様ですらあった。
「鎮静……事前実験だとそんな作用は確認出来なかった筈だけど?」
階段を降りた奥、草人形共によって運行される昇降機に乗り込むと、はなは大層嘘臭そうにかやの言葉に異論を挟む。此度の案件に先立って可能な限り不測の事態を想定して試行していた。そして、はなの知る限りではそのような前例は確認されていない。確かにかやにしてはあの場面は手際良いようにも思えたのは事実であるが……だからとって突飛に過ぎないか?暴走ならば分かるのだが。
「うーん。まぁ、それいったらあの人がそもそも例外中の例外みたいなものだし?そういう事も有り得るんじゃないかな?だって実験に使ったのは所詮標本でしょ?」
「根拠のない事……っ!?……とは言い切れないのかな?」
昇降機が下降する衝撃に一瞬言葉に詰まるはなは、しかし一拍置いて可能性を否定しそうになっていた己の思考を窘める。
確かにかやの言う通りであるのだ。例外……だからこそ件の人物に白羽の矢が立ったのだから。当主としても、十薬としても、寧ろその方が望ましくもあるかも知れない。既知よりも未知の方が一層価値がある。一層可能性がある。
「けど、そうなると……」
「備えあれば憂いなし!って事になるよね。そっかぁ。当主様の言う通りかぁ」
ガラガラガラガラ、鎖の音が鳴り響く。床とと共に下降しながら、天を仰ぐように嘆息するかや。つい先程まで当主の判断に不満があった筈なのに、今ではそれに最大限の理解を示していた。心中の敗北感と折り合いをつけて、かやは想定する事態について備えを問う。
「多分、今度はすんなりいかないよ?……どうする?今の内に打っておく?」
昇降機が停止する。降りる先にある倉庫を見据えながら、痛々しい舌を子供のようにやんちゃに出しながらのかやの提案。
「……当主様に連絡だけはした方がいいよ」
即ち、それは賛成という事であった。ニヤリとかやは笑みを浮かべる。狂暴な笑顔だった。思わず『外れ』かける程である。昂っていた。同時に条件反射的にはなは腰の得物に手を触れていた。
「……やっぱり、無理してない?」
「これは違うー!」
再度訝るようなはなの視線にプンスカと愛らしく『填め』ながら否定するかや。ちゃんと『填ま』っているか手で何度も何度も念入りに確認し終えると頬を膨らませて拗ねる。
「勘違いしないでよー?別にこれは『トブ』時だけ外れる訳じゃあないんだからさ?」
「そうなの?」
「ええっ!!知らなかったの!!?」
「うん」
ここに来ての衝撃の事実を互いに知ってかやはあからさまに、はなは内心で驚く。お互いに付き合いは長いが案外知らぬ事もあるものらしかった。
「嬉しかったりすると偶に『外れる』の!覚えておいてね?急に薬射たれたら堪らないよ!?」
「分かった。……嬉しいんだ?」
自分が新事実として知る程である。ちょっとした事では流石に『外れ』ぬのだろう。つまりそれだけ喜んでいるのだ、この同期は。
「えへへ。そりゃあそうだよ!はなもそうじゃないの?」
照れたように頭を掻いて、かやは逆に問い返す。はなは暫し沈黙して……頷く。
「……確かに、そうだね」
思えばそれは当然の感情だった。ずっとずっと待ちわびていた。待ち続けていたのだ。それがこんな終わり方では余りにも無常で、余りにも無情だ。
例え一族としての目的を果たせたとしても、二人にとってはそれだけでは味気無い。余りにも空しい。何せ二人にとって彼は……。
「にゃは!そう考えてみると、そう悪い話でもなかったのかもね!」
少し前まで自分達が一生懸命拵えたものを当主に軽視され、憤慨していたかやの言葉である。相変わらずの気分屋なものだと、はなは思う。だから生き残れたのかも知れない。
「雑談はここまで。……さぁ、早く行こ?」
「りょーかいっ!」
はなの催促に、大仰に応じるかや。言うが早く己が先行する。小走りではなを追い越して行く。呆れながらはなは追い掛ける。そして辿り着く。生きた門に。
門番役の草人形共は下げた。門の前に立てば、それは脈動し始める。盗難防止用の封印……門であり、鍵の役目を果たす肉食妖草は無数の粘蔓を床に這うように伸ばし始めた。足下にまで辿り着くと上方へ、装束の隙間まで入り込んで、二人の肌を舐めるかのように撫でていく。汗を掬い、髪に絡まりつき、咀嚼して、足を踏み入れた者が何物なのかを判別する。
『……!!』
それは品種改良の結果、一欠片であろうと喰らった個体を二度とは食わぬ好き嫌いの激しい生態を有していた。既に知る味故に、不快そうにそれは打ち震える。失せろとばかりに道を開く。
折り重なる無数の蔓が分かれて通路となる。その先の空間を二人に開放する。垣間見えるは連なる箪笥。うず高く積み上げられた唐櫃。壁には物掛けも……それは数多の呪具や薬剤、素材の保管された、本家要塞に備えられた倉の一つだ。
「うわぁ。ぐちょぐちょお……」
「今回は一際執拗だったね。……もしかして匂い、移った?」
蔓から解放された二人の第一声であった。粘蔓が若干迷う素振りを見せていたのをはなは見抜いていた。恐らくは見知らぬ者の匂いや味を感じて訪問者が既知の者か否かを念入りに吟味していたのだろう。どうやら、思った以上に臭いが身体に染みこんだらしかった。特にかやの場合は胃袋の中に仕込まれていた縄に束縛されていたからかも知れない。
「下着もどろどろ……というか中にまで入って来たんだけどぉ?無理矢理開きにいくの止めて欲しいよぉ?未使用なのに傷ついちゃうでしょ?」
「はいはい。上に上がったらお風呂入って着替えよう?……そのためにもさっさと品を持ち帰らないと。薬の方探すのは頼むよ?」
もう浸したようにたっぷり粘液を吸ってしまった下の下着を見せて涙目でぶー垂れるかや。そんなかやを宥めながら、はなは要請する。文句を言うのは構わないがだからといって手も足も動かさないのは許すつもりはなかった。はなは入口に置かれた手燭を掲げると、かやを置いて広く暗い倉の内に練り歩く。
人でなし!という同期の文句は流しておく。
「確か用紙はこの辺り……」
記憶を頼りに広い倉の一角に。其処で桐材の階段箪笥を漸く見つけ出すと傍らに手燭を置き、二三程棚を引いて中身を検分する。誓約書や文に使う巻物や扶桑紙が納められている事を知っていた。変哲のない扶桑紙は無論、霊木に神木による上物があれば、獣皮に妖皮、人皮や半妖のものも。此度求めるのは当主が提案した蛟皮で、確か大分昔に大河の主を討って剥がされた物を購入して保管されたままであると目録には記載されていて……。
「……?」
違和感。はて、前回の誓約書の作成のために訪れた時とは各紙の保管場所が違うようにはなには思えたのだ。訝るように眉を顰める。記憶を手繰る。やはり可笑しい。配置が違う。誰かがいい加減に置き変えた?後で訪問者の記録を確認した方が……。
「……っ!?」
瞬間的に振り向いて身構えていたはな。鋭敏に、神経質に、己の周囲を警戒する。誰だ?何だ?探る。探知する。探索する。しかし……何も見出だせない。だが、あの感覚は、確かに己に視線を向けられて、感情を向けられていた筈で……!!?
「っ!!?」
「うわっきゃ!?な、何ぃ!?折角見つけて持って来たのに酷いよぉ!?」
背後の気配に不可視の得物を突きつけて振り返ると見知った悲鳴。後から来て先に探し物である薬を見つけて来たのだろう。納められた木箱を盾に小さな悲鳴を上げて糾弾するかやであった。
「……かや?」
「かやだけど!?」
「……かやだね」
反応を観察してそれが同期である事を認めるはな。皮を剥がされての成りすましの類いはされていないようだった。
「もしかして、背後から驚かそうとしてた?」
「……ナンノコトカナー?」
「やっぱり……」
ジト目で同期の愚行を非難する。唯人ならばいざ知らず、自分達の間でそんな事したら次の瞬間反撃で殺されても文句を言えまいに。こんな時でも呑気なものだ。意趣返しだろうか?何にせよ、不発だと一層間抜けである。
「怒らないでよぉ……。それよりも遅いじゃん!私が先に探し物見つけちゃったよ?何してたの?」
「この辺りにある筈の蛟皮紙が見つからない。誰かが保管場所を変えたのか、盗んだのかも」
「……ふぇ?其処にあるじゃん?」
「えっ?」
同期の指差す先に視線を向ける。半端に開かれた棚に敷き詰められた巻物の一つを手に取る。その紙質、それは正しく探していた蛟の外皮を伸ばし鞣した皮紙ものだった。
「寝惚けてた?もしかして、薬抜けきってない?」
「いや、そんな事は……」
怪訝そうにかやが問う。はなは困惑するようにそれを否定する。可笑しい。先程まで其処にそれはなかった筈。無かった……筈?
「どういう事……?」
先程の気配は果たして本当に同期のものであったのだろうか?一切曲者の存在を示す証拠もなく、しかし何時までもはなは己の誤りであると認める気にはなれなかった……。
『少々おふざけが過ぎませんか?折角の御忍びですのに。バレてしまいますよ?』
『なぁに。入場料代わりさ。……んじゃこれで一つ、誓約書頼むぜ?』
『あら、私がやるのぉ?』
『お前さんの毒血がこん中だと一番呪いの拘束が強いだろう?それとも、『アイツ』に番を奪われてもいいのかい?』
『いや、貴女達は……はぁ。何でこんな動物共を頼らねばならぬのでしょうか?』
ーーーーーーーーーーーー
「っ……!?」
鈍痛と共に意識が覚醒した。瞼を開く。尚も暗い視界。乱雑な水音。上半身を起き上げる。装束から染み込んだ水が滴り落ちる音。何か乾燥したものが顔面から剥がれたのを感じた。まだ暗い……しかし、次第に朧気に見えて来る輪郭。
それは瞳孔が暗闇に馴れて適応している証明であり、それ以上に己の視覚の人からの逸脱を意味していた。悪臭に顔をしかめる。己の堕ちた天を見上げる。しかし最早其処に光はない。
記憶を辿る。相当深くに墜ちたのは確かだった。水の中に墜ちた。消え行く意識の中で縄を使役した。必死に這い上がって、其処までだった。そして再度の覚醒……今がある。
「……」
深く息を繰り返しながら振り返れば地下水道か溜池か、兎も角も広がる水面……五感が次第に甦る。身体の冷えを自覚して、身震いする。
『(o´・∀・)oソレジャアレッスンスリーヨ!』
『……!!』
『ッ!ッ!ッ!』
『( ・`ω・´)ダメヨ!モットジョーネツテキニ!ファンノミンナヲオモッテ!(ノ;≡ω≡)ノコーヨッ!』
『……!!』
『ッ!ッ!ッ!』
『(T▽T)ソウヨ!ソレデイイノ!(* ^ー゜)ノナンバーワンアイドルグループニナルヒハチカイワ!』
「いや、何しとんねん」
……取り敢えず縄と釘相手にダンスレッスンしていた白蜘蛛に突っ込みを入れた。というか残り二つも乗るな。何が悲しくて縄と釘の色気アピールなダンス見ないといけないんだよ。蜘蛛、お前はグループの仲間がこれで良いのか?
『(>ω<。)ダメヨパパ!ジダイハエルジービーティーヨッ!』
「流石に性選択に物質の項目はないと思うんだ」
何処から知識を仕入れたのか、随分とリベラルな蜘蛛である。まぁ、それは兎も角として……。
「……楽観は出来んだろうな」
胸元を撫でて、乾燥して石灰化したような状態で顔面から剥がれて床に転がるそれを見下ろす。
人面亀虫。あるいはミス・チェストさん。その係累。それが顔面に貼り付いたらどうなるのかは俺は原作知識で、そして過去の逃避行で知っていた。寄生された仲間達の顔面が弾けて倒れ落ちて、しかしその胸元を突き破って……正確にいえば微妙に形状が違う事から同一の原種から枝分かれさせた品種なのだろう。何にせよ、態々顔面に飛び掛かる以上はその目的は変わらぬだろう。
「種馬が嫌なら腹馬しろって訳じゃあないだろ?」
あのふざけた誓約書の内容を思い返す。連中、どう考えても俺の身体の秘密を知っていた。一体何処から知れたのやら……それとも、誰かが漏らしたのか?俺の秘密を知る者で口の軽いのはいないと思うのだが。
「それとも、悪意を以て……か?」
人面寄生亀虫に草人形。どちらも偶然かも知れない。だが、あるいは……。
「……のんびり考えていられる時間はないか」
『( ^ω^)オンブー♩』
俺は馬鹿蜘蛛(聖釘えくすかりばー丸付き)を招いてさっさと肩に乗せる。縄には己に巻き付くように命じる。触手プレイ染みて身体に絡まりギプス化する走縄……走縄による強化外骨格のサポートを受けて起き上がる。桜色の短刀を構える。それらを出迎える。
(此方が起きるまで手出し無用ってか?物好きな……それとも、悲鳴を聴きながらがお好みってか?)
墨汁を紙に垂らしたような暗闇の中。常人ならば何もかも分からぬ中で、それでも俺には分かった。視界に薄らと捉えた輪郭。反響する微かな吐息からおおよその距離が測れた。複数。デカい。……そして、相応に強い。
『……ッ!!』
それらは此方が気付いている事を察したのだろう。突如幾つもの眼光が闇に輝いた。擬装は無駄であり、寧ろ瞳の反射する光で、明暗によって此方の目潰しを狙ったように思われた。それは正しく、そして誤りだった。
影の一つが抜け駆けするように颯爽と迫る。急な光で目元を細めた俺は、しかし視覚ではなく嗅覚と聴覚で捉えていた。
『ッッッ!!』
「甘いっ!!」
風を切って迫った鋭い爪を避ける。懐に入り込み、スッと急所だろう喉元に刃を当てれば易く突き刺さり、後は相手自体の動きでこれを切断する。身体と首別々に背後の地下水道に突っ込む影。水飛沫。浮き上がる事はない。沈黙……二の矢三の矢と襲い掛かろうとしていた怪物共が足を止める。警戒と驚愕の色が眼光に宿る。
「はは。一振で殺られたのが驚きか?」
『(*´∀`)マタツマラヌモノヲキッテシマッタ!』
刃に付着する血を払い、俺は闇の中に潜む連中の心の声を代弁してやる。実際、これまで色々切り裂いて来たのだ。感触で分かる。其処らの槍刀ならば途中で刃が引っ掛かってそのまま殺られていた事だろう。眼前の連中からすれば前提条件が崩れたという事だ。
「だから慎重に……というのは都合が良過ぎたか?」
『Σ(´Д` )ナニカキタァ!?』
闇の奥底から形容し難い奇声。眼前で相対していた怪物共が暗闇の中で蠢き動揺しているように見えた。グチャッという肉の潰れる音。金切音。絶叫。四肢が宙を舞う。慌てたように退く。道を開く。現れる。
先程よりも更に巨大で、更に異様な影であった。黒の中に立ち並ぶ無数の赤い瞳。人に酷似した上半身。裂けた顎から凶器のような何かが無数にのたうつ。鋏のような輪郭で浮かび上がる腕は計三対。足はもっと多く……あ、これ結構不味い奴だ。
「おさらばどすえ!」
『(>ω<。)ニゲジョウズノパパ!!』
即座に踵を返して俺は地下水道に向かう。飛び込もうと考えて、しかし水面前で足踏みする。
「今更だが、スティルウォーターの類いじゃあねぇよな……!?」
一瞬の迷い。こんな地下の水である。一度突っ込んだとは言えもう一度は……しかし背後からお仲間らしき物共を踏み潰しながら全力で突撃してくる異形を見返す。振り向いた事を後悔して正面を向き直る。
「あぁ、糞!!」
短刀一本で連中を相手するのはどう考えても厳し過ぎた。即断を迫られた。だから、だから……!
「こいつを使うってな!!」
『(o´・∀・)oキミニキメタ!』
そして水面に飛び込むように見せかけて、次の瞬間には後ろ向きにそれを化物相手に放り投げてやった。棚の捜索時に短刀と共に確保した数少ないその装備を。閃光玉を。
目を閉じる。爆発音。そして激しい閃光が暗闇を照らす。突如の強力な光を浴びた怪物共が瞳を閉じて、あるいは押さえての絶叫。身を伏せる。上方を何かが勢いよく通り過ぎて、眼前の水面に生じる豪快な水飛沫。
「そして、スタートぉ!!」
『(>ω<。)ハシレメロス!』
それを合図に俺は振り返ると脇目を振らず疾走した。逸る怪物が開けてくれた道を薄ら目で確認するとひたすらそちらに向けて逆走する。残る連中が気付く前に隠行術で足音を消して、気配を薄め、それでも全力で通り抜ける……!!
(無駄な時間も体力も使えねぇからよ……!!)
そうだ。こいつらと戦う暇も余裕もなかった。必要なかった。俺が相手するべきは上の連中であり、そして何よりも優先して対処しなければならないのは……。
「……」
荒い息で走りながら胸元に触れる。少しずつ感じる違和感。大きくなっていく存在感。育まれるナニカ……そう遠くない内に来るだろう深刻な事態を思い、苦虫を噛み潰す。
……何はともあれ、落ち着ける場所と時間がなければこいつは対処出来まい。
「畜生……っ!」
忌々しい現実の前に思わず吐き出した呪詛染みた罵倒は、しかし異形の奇声と絶叫が反響する中では誰にも聴こえる事はなかった……。
ーーーーーーーーーーーーーー
防音の結界の結ばれた障子の向こうで議論が紛糾しているだろう事は、何時まで経っても誰も出て来ぬ事からも明白であるように思われた。
「……」
旅館の一室。主君に宛がわれた大部屋の隣に併設された奉公人用の詰め所にて、鈴音は、あるいは雪音は正座の姿勢でひたすら沈黙して待ち続ける。待ちながら、その心中はひたすら困惑と混乱に包まれていた。
「何か……忘れている?」
習い事のために懇意となった盲目の娘の言葉は、それこそ最初は戯言といって良かった。語る内容が夢見がちな都の淑女向けのような代物であった事もあるし、身内たる彼女の兄も、そして己や他の者達も思い至らぬようなのだから、言っては悪いが妄想の類いと断ずるのが適切であるように思われたのだ。夢の内容を混同でもしたのであろう、と。
それで終い……その予定調和に横槍を入れたのが半妖の友であり、同調する彼女の事まで鈴音は否定する事が出来なかった。箱入な所のある琴の師と違って、この友が何処までも現実的で逞しい事を知っていたからだ。
友人……入鹿が毬を背負って主君の部屋に突っ込んで、派遣団の他の上役も集めて始めた議論。既に一刻以上経て、未だに終わる素振りは見えない。
「入鹿が化かされているのか、それとも……」
常識的に考えれば友人が偽物の記憶を捩じ込まれていると考えるのが自然で、しかしそれならば毬にそんな事する必要はない。態々盲目の無力な娘にそんな事して何になろうか?
入鹿の指摘、あるいは毬の指摘。どちらか片方だけならば流されていただろう。しかし立場も役職も違う二人共となれば話は違って来る。自分達の認識を疑わざるを得ない。
「だとしたら、これは……」
己が胸元に触れる。心中を振り返る。微かな喪失感。それは気にしなければ直ぐに意識しなくなってしまう程度の些細なものだ。
しかし一度意識して、意識し続けるとどうなるか?言い知れぬ感情はひたすら膨れ上がり続ける。気のせいだろうか?思い違いだろうか?いや、違う。この想いはそんな空虚なものでは断じてない。断じて……。
「伴部さん、ですか……」
毬の口にしていた名を口ずさむ。何故か言い慣れている気がした。口にして、口元が緩んだ理由を自分でも分からず戸惑う。だが悪い気はしない。
(それだけ良い関係性だったという事だった?下人相手に?あぁ、家人扱だったっけ……?)
人ではない下人から其処らの人間よりよっぽど偉い家人扱……成り上がりといって良かった。成功である。仮に件の人物が本当に存在する者だったとして、果たしてどのような人物で、己とはどのような関係性だったのだろうか?
「あのように語ってましたが……流石に理想化し過ぎな気はしますね」
改めて毬の語っていた内容を思い返して肩を竦める鈴音。成り上がるには相応に図太さが必要だ。毬の語る人物像はその点で見ると余りにも夢見がちな乙女の妄想にも思えたのだ。目下の盲目の娘を態々労り愛でて介助して、しかし疚しい関係は無さそうな語り様は最初に彼女の兄ですら妄想と疑った理由である。
実際、色眼鏡が入っているだろう。誰にでも優しい人間なんていない。誰かに優しく出来る者が別の誰かには冷酷で冷淡でいられるものだ。偶然、盲目の少女は件の者の黒い側面に触れなかっただけ……そんな所だろう。
(じゃあ、私は……?)
其処まで思い、再び疑念は己に向けて。己はどうだったのだろうか?その者のどちらの面を見ていたのだろう?緩んだ口元を思い返して、気付けば直したそれがまた緩み初めている事を意識して、指で唇に触れる。何時しかしなだれていて、吐息を漏らす。艶かしさを思わせる溜息……。
「はは。まさか……」
己の不可思議な感情を鈴音は言語化する事が出来なかった。ただ、記憶を辿り近似する感情を探し出して苦笑する。
それは古い古い、遥かな昔、朧気な日々。彼女にとって誰よりも頼りで、誰よりも安心して、誰よりも大好きだった人への思い。永遠に帰って来る事のない喪失。彼女にとっての心の傷……まさかである。そのような事があるものか。兄と件の者とを重ね合わせていたとでも?大切な長兄の代用品と?
「そんな事……相手にとっても失礼でしょうに」
冷笑。嘲笑。見知らぬ娘に見知らぬ兄の代わりを頼まれるなぞ、相手からしても迷惑千万であろう。受け入れる者がいたら物好きであろう。それとも、己が一方的に思っていたか?何とも信じ難い。
兄のような人なぞ、早々いるものではない事はこれまでの人生で散々に理解しているのだ。それを其処らの男に重ね合わせるなぞ……毬の口にした事が事実としても、何処か嘘臭くも思える。己は軽薄な遊び人の口車に乗せられていたのでは無かろうか?
あるいは、まさか……まさか?
「馬鹿馬鹿しい……そんな偶然ある訳ありませんよ」
毬の事を笑えない妄想を抱いて、鈴音は嫌悪感すら含んだ口調で吐き捨てる。出来過ぎにも程があるお話だ。一瞬でも空想した事に自己嫌悪する。その場で横たわる。
「そうです。そんな出来過ぎた話……ある訳ありません」
弱々しく、反芻するように女中は呟いた。本当にいるのかも分からぬ者に、大切だった家族を重ねる所業は、酷く不孝で不義で不道徳に思われた。自分らしくもない。
世間は、人生は、そんな素敵でも美しくもないのだ。もっと汚くて、泥臭くて、理不尽で、自分達はまだ幸運な方で、だからその犠牲にした兄をこんな妄想に巻き込むのは例え頭の中だけであっても許される事ではない筈だ。
「赦されて、いい筈がないから……」
脱力するように傍らにあった座布団に顔を埋める。もがくように顔を埋めて、目蓋を綴じて、己の内に閉じ籠る。二度と会えぬ長兄の事を想って、感傷に浸り……。
「あれ……?」
ふと、鈴音は兄の事を思い続けて気付いた。兄との思い出が明白ではない事を。いや、古い記憶故に当たり前ではあるのだ。しかしこれは……可笑しい。
「こんな、こんな事……!?」
分からない。掠れて、朧気で、霞のように掴めぬのだ。確かに兄がいた。大好きな兄がいた。嘗ての記憶も、感情も、間違いなく本物だ。だけど……その詳細が思い出せない?思い出そうとすると、霧散する?忘却、している?
「嘘、嘘です!そんな事ある訳がっ!!?」
鈴音は反射的に己の不義理を否定する。必死に否定して、想い出そうとする。そうだ。兄の名前は……名前は?
「何でっ……!!?」
愕然とする。幼き日々幾度も呼んだ兄の名が分からないのだ。己が泥んこで見上げてその名を叫んだ時の肩を竦めてやって来てくれたその風貌が分からないのだ。泥を払いながら此方に仕方なさげに語りかけるその内容も、その声質すらも、何も……何も!!?
「っ……!!っ!!?」
恐怖と絶望に悲鳴を上げそうになって、それを思わず堪えたのは障子が勢い良く開かれたからだった。参列していた下人衆や隠行衆の者達が訝しさと共に焦燥に駆られたようにゾロゾロと忙しく、鈴音の隣を通り過ぎて退出する。それはまるで此れから何か任務でもあるかのようであった。
そして影に気付いて鈴音は振り向いた。深刻そうな表情を浮かべる環と、苛立ちを隠せぬように不機嫌そうな入鹿の姿。
「姫、様……」
「鈴音、悪いけど出立の準備をしてくれるかい?多分……そうした方がいい筈なんだ」
神妙に、しかし未だに迷いのある口調で主君は命じる。入鹿はこの場にはいない何者かに向けて怒り心頭の様子で唸る。今にも一人で疾走してしまいそうなのを堪えているようにも思えた。
「鈴音……?大丈夫、かい?」
「いえっ!出立の用意ですね!!?只今!」
環は、黙り込み青ざめていた友の異変に声を掛ける。入鹿も遅れて気付きそうになる所で鈴音は声を上げて応じた。立ち上がって、一礼と共に踵を返す。衣装と荷造りの用意のためだ。
「あ、鈴……」
「失礼致します……!!」
背後からの呼び掛けに、鈴音は聴こえない振りをして立ち去る。今の彼女は誰かと会話したくなかったからだ。己の恐ろしい罪を直視したくなかったからだ。その可能性を考えたくなかったからだ。
だからこそ、与えられた眼前の仕事に没頭する事で彼女はひたすら逃避して……。