和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第二一〇話

 目覚めたら知らないようで知ってる天井だった。通算百回目の天井の視認だった。

 

「……」

 

 ジト目で暫し天井と睨めっこする。上半身を起こす。胡乱げに周囲を見渡す。

 

 実に上等な寝床であり、寝所であった。うんざりする程に目にして来た部屋の内装だ。親の顔程に見た風景だ。定番メニューだ。違いがあるとすれば、今回は部屋に誰も控えていないという事か……。

 

「……旦那様、お目覚めでしょうか?」

 

 ふと、襖の向こう側からの恭しい呼び掛けは、見知っていて同時に久し振りの声音でもあった。

 

「……あぁ。開けてくれ」

 

 一瞬の躊躇。返答。さっと襖が開かれる。正座して頭を垂れて礼をするのは……葛であった。なんちゃってコスプレ令嬢ではない。本物の、女中筆頭。

 

「途中から顔を見なかったのは……拘束されていたか?」

「お恥ずかしながら」

「いや、世話をかけたな」

 

 いつの間にかすり替えられて周回から脱落していた女中筆頭。何処かの段階で儀式に反対して佳世に捕らえられて役目を乗っ取られてしまっていたのだろう。俺が馬鹿やってる間、何処にて監禁されていた彼女がどんな目に遭っていたかは語っても愉快ではないだろう。

 

「……御嬢様が御待ちで御座います」

「分かった。逢おうか?」

 

何はともあれ、先ずはOHANASIする所から始めねばな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーー

「伴部さんっ!お早う御座います!ささっ、御掛け下さいませ!」

 

 御馳走が卓上一杯に用意された大部屋で、儀式の主祭者たる娘は無邪気に俺を招く。これまでの周回での所業なぞ何一つ知らないとばかりの振舞いである。

 

「……あぁ。失礼しようか」

 

 天を仰いで静かに嘆息し、覚悟を決めれば求められるままに座布団に胡座を掻く。案内役の葛は数歩程下がった席に控えた。

 

「……」

 

 眼前の料理の山から醸し出される美香に、僅かに唾を飲んでいると直ぐに御酌として令嬢からそそくさと徳利を差し向けられてた。

 

「ふふふ。先ずは御一献♪」

「ん」

 

 俺は構わずに御猪口を向けた。清々しい御神酒が注がれて、俺は当然のように呷る。一切の躊躇なく。その所作に向けて、まるで試すように佳世は口を開く。

 

「……毒味はいらなかったので?」

「俺の創る夢だからな。無害にするのは訳もない。悪いが黄泉竈食とはいかんぞ?」

「成る程!じゃあこの装束もやろうと思えば全部溶かしてしまえるって訳ですね?」

「いや、やらんからな?」

 

 華美な着物をフリフリとさせて来る佳世に向けての即答否定。首を横に振って嘆息する。こいつは……偏見は良くないな。兎も角も会話だ。

 

「……先ず最初に、釈明が聞きたいな。どうしてこんな?姫様からの要望か?」

 

 余りにも余りな所業に、俺は第一の可能性を尋ねる。尤も、望み薄ではあるけれど。

 

「いえ。二の姫様からの御協力があったのは認めますが、全ては私の企てですね。沢山頑張りましたが、お気に召して頂けなくて残念です」

「努力は認めるよ。努力はね」

 

 これだけの事をするのに費やした人物金を思えば頭を抱えてしまいそうであった。俺個人に向けてなのだから、尚更に。

 

「何故だ?お前さんがここまでの事をする必要は、何処に?」

「何故って……お慕いしているからですけれど?」

「……こいつはまた、直球だな?商人らしくないんじゃないか?」

「ここに至って誤魔化しても仕方ないでしょう?伴部さんが納得出来る訳もなし。それに……もう先手は打たれてしまいましたから。このまま落札は許せません」

「葵か……」

 

 佳世の言に、脳裏に浮かび上がるのは桃色の姫君の姿。雨に打たれて無様に足に抱き着き縋る哀れな女の光景……。

 

「……アイツは、まだ分かる。鬼月の家に対する彼是の蟠りもあるからな」

 

 吊り橋効果に同志的な意識もあるかも知れない。信用出来る男が何れだけいるのか、それを思えば好意は……まぁ、あり得る。原作でもある種暴走したら道理をブッチ切る性格だったしな。

 

 しかし、この令嬢は……。

 

「其処まで色男として見られていたのは驚きだな。別に二枚目って訳じゃあないぜ?」

 

 面は際立ってる訳ではない。全身傷物で見映えは悪い。何より金無し、危険、汚いのサンケーな職場で働く底辺……は卒業したけど女性陣にとって魅力的な立場って訳でもない。

 

 亭主元気で留守がいいとは言えるかもだが……何にせよこの御令嬢様なら幾らでも良い相手がいる筈だ。逆玉は魅力的だがそこに至る動機はなかった。

 

「愛に理由は必要ですか?」

「恋に恋してるだけじゃないのか?」

「辛辣ですね……けど、そんな伴部さんの方が好きですよ?頭空っぽで阿て来る連中よりか、ずっと!」

「貴女、被虐趣味だったので……?」

 

 原作でのちょい役としての描写からは到底思えぬ側面……いや、原作乖離してる以上、参考として完全に信用出来ないのはそうなのだが。そもそもTSしてる奴すらいるし。しかし、それは無かろう?親が悲しむぞ?

 

「失礼ですね。誰それに対しても卑屈な訳じゃあありませんよ?私はただ、好きな人に全身全霊で尽くしたいだけです!」

 

 プイプイと、頬を膨らませてあざとく拗ねて魅せる佳世。己の愛らしさを強調する仕草。明らかに計算されていた。狡猾な娘。

 

「……恋の理由付けは、逢い引き遊びの件?」

「理由付け、ではなくて理由そのものですよ?」

 

 恥ずかしがる素振りすらなく、平然と恋愛の情を肯定して魅せる御令嬢。強い娘だと俺は思った。強かだと思った。

 

「伴部さんも知ってますよね?権力ある家には色々とあるものです。色々と。実際、私とて伴部さんがいなければあの大叔父にどう扱われていた事か……」

「恩義ってなら大いに恩返しして欲しいものだがね。だからって恩人相手なら恋するってのは違うだろう?」

 

 恩と恋は必ずしも繋がらない。ラブではなくライクでも良いのだ。吊り橋効果と言えばそれまでだが……だとすれば偉そうな物言いだが矯正も考えねばなるまい。履き違えた虚飾の愛で人生を棒に振り、道を踏み外してはならない。

 

「……伴部さんがそれを言いますか?」

 

 そんな俺の内心を見透かしたように放たれた佳世の言は、アッケラカンとしていて、しかし冷たかった。豹変したようにも見えた。

 

「佳世……?」

「伴部さんの事なら……沢山調べましたよ?生い立ちも、どうやって売られたのかも、売られた後の所業も。今の……貴方の目的も」

 

 紡がれる言葉は愛らしく、しかしおどろおどろしくも思えた。詰まらぬ上部の建前なぞお見通しとばかりだった。

 

「御恩のある御方を、鬼月の御当主様のせいで奪われたのですよね?その記憶を、取り戻したのでしょう?」

「佳世……それ以上語るのは止めておけ。口は災いの元だぞ?」

 

 彼女の言わんとしている事は危険だった。彼女自身に対しても、俺自身に対しても。触れぬが仏な内容だった。見ざりて言わざりて聞かざる事こそが賢明であった。だから、制止を警告する。

 

「嫌です」

 

 彼女は、平然と拒絶する。そして、容赦なく続ける。

 

「ニの姫様からお話を聞きました。当主様を謀っているのでしょう?仲違いしている振りをしているのでしょう?姫様は今や伴部さんの道具。お人形。求められれば何でもする手駒……そうですよね?」

「佳世、いい加減にしろ。ここが何なのか、分かっているんだろう?」

 

 俺の夢だ。俺の観測する夢界だ。故に、俺が全能だ。少なくともこの界においてだけは俺は彼女をどうする事だって出来る。それが分からぬ程、彼女は無知ではない筈だった。

 

「俺が、手を出さないと思ってるのか?」

「……ふふふっ♪」

 

 問い掛けへの返答は意味深げな冷笑だった。人を小馬鹿にする類いの笑いだった。思わず怒り心頭になる。……息を吐いて、鎮める。熱くなるな。小娘如きに。

 

「その程度の御覚悟なのですか?愛する人の復讐なのに。邪魔な小娘の危険性を無視するなんて……あはっ、随分と底の知れた愛情ですねぇ?」

「◼️◼️◼️◼️ッ……!!!!」

 

 気付けば皿がひっくり返っていた。中身が其処ら中にぶちまけられていた。何を言ったのか分からぬ咆哮が部屋を震わせていた。そして……蜂蜜色の癖毛の少女を組み伏せて、締め上げている光景が全てだった。

 

「あっ……」

「ん、ぐっ……かっ……あはぁ。凄きゅ、つよい、ですね?はぁ、はぁ……あはぁ♪ほかの周回じゃあ、そんな強引な手捌きじゃなかったですのに」

 

 即座に我に返り血の気が引いて、腕の力が弱まった故の佳世の指摘だった。馬乗りにされて、噎せ返り、頬を紅潮させて涙目なのは苦しみからのものだと思いたかった。蠱惑的に微笑んで、息絶え絶えに、俺の乱行を評価する。俺の皮の厚い硬い手元を撫でていく。

 

「佳世、俺は……」

「いいですよ?生意気で、気に食わない事ほざく餓鬼ですから……幾らでも締めて下さいませ。殴って、蹴って、犯して、手籠めてしまって下さいませ?」

 

 にこりとあざとく微笑む令嬢の態度に、覚悟に、怖じけるのは俺の方だった。しかし姿勢は変わらない。

 

 恐ろしいからこそ、か細い首には大き過ぎる腕を重ねる。何時でも息の根を絞められるように、身構える。威嚇するように、見下して睨み付ける。

 

「ふふっ。これが……私の愛、ですよ?分かりますか?分かりませんか?こんな事されても尚、私は貴方を愛してるんですよ。いいえ、寧ろ嬉しくて嬉しくて堪らないくらいなんですよ?」

  

 貴方に命を握られる感覚が愛おしい。貴方に支配される現実が愛おしい。貴方に虐げられる関係が愛おしい。

 

「か、よ…俺はッ!!」

「伴部さん、復讐したいんですよね?憎いんですよね?恨みを晴らしたいのですよね?でしたら力が必要、違いますか?」

 

 そして……力を得るには代価が必要だ。橘佳世は力を持っている。力を用意している。それを得るのは、余りにも容易である。 

 

「伴部さんがこの理想郷で戯れるよりも目的が優先なのは分かりました。でしたら、選んで下さい。求めて下さい。受け入れて下さい。踏みつけて下さい。己を優先して下さい」

 

 そうすれば目的に大幅に近付けるのだ。遥かに容易に果たせるのだ。復讐するのだ、ならば、今更道徳なんて気にする事はあるまい?

 

「ねぇ、違いますか?」

「っ……!!」

 

 生意気げに振る舞っての挑発。怒りに沸騰しそうになる。分かっている。彼女の狙いは分かっている。

 

「踏みつけるってのは……アイツらの事も、だよな?」

 

 苦々しげに紡ぐ言葉。脳裏に浮かぶのは快楽に逃げるだけであった哀れな彼女達。その扱いを受け入れろという事だった。儀式に捧げられる彼女らの犠牲を……。

 

「感謝して欲しいくらいですよ。伴部さんを生かすばかりでなく、大いに力を与えるためなんですから」

 

 ぱぁっと笑顔での言。遠回しに己の弱さ故の事態であるとの糾弾だった。貴方が弱いからだと。だからこそ、受け入れろと……。

 

「ここに来て尚、俺を揺さぶるってか……?」

 

 俺に意志を翻意しろ……暗にそう語っているのだろう。となると、もしや?

 

「……葛、お前は、まさか?」

「……」

「葛さん、良いですよ?話してあげて下さい」

「御佰度の儀式の佰回目、最後の贄役が私です」

「やはりか……」

 

 それは悪辣で賢い一手であった。まさにこの儀式の最期の贄をここに置くとは。俺の罪悪感を刺激せんという事か。こいつはお前のせいで終わりが確定するぞ、という事だ。

 

「酷い女だな……?自分は贄役じゃあないのによ?」

「私は有象無象とは違い、生きてこそ伴部さんのお役に立てますので。無論、気に食わなければ後から手ずから煮るなり焼くなり、御好きになさって下さいませ」

「……何処まで本気だかな」

 

 嫌味の罵倒への、好意しかない返答。舌打ち。俺は、瞼を綴じて項垂れる。昂る思考を整理する。

 

 ……そうだ。変わらない。為すべき事は同じだ。後は唯、目の前の彼女との関係だ。目の前の彼女への理解だ。彼女と、どうするのか。それが大事なのだ。

 

「……そんなに、俺に見て欲しかったのか?こんな、酷い事をしても?苦しめても?俺に、其処までの価値があると思うか?全部、仕事だったんだぞ?」

 

 命を賭けるのは何時もの事で、己が死にかける事なんて何時もの事で、橘佳世とのそれもまた同じ事で、何ら特別な事ではないのだと訴える。こんな事をするような価値なんてないのだと、必死に伝える。

 

「……私には分かります。伴部さんがいなかったら自分がどんな運命を辿っていたかを」

「……」

 

 橘佳世には分かるのだ。分かっていたのだ。分かってしまうのだ。あぁ、あの時両親が食われていたらどうなっていたか。あぁ、あの時助けてくれなければどうなっていたか。己の末路を理解出来てしまう……彼女は、賢い。

 

「私を皆がどう見ていたか分かりますか?異人の血を引いてる癖に、貴人の血を引いていて、美人で、何よりも富を持っているんですよ?」

 

 愛情たっぷりに育ててくれた父母は兎も角、一部の女中は兎も角、到底大多数からの視線は愉快なものではなかった。幼心でもそれを理解出来てしまった。人の心を手玉に取れる程の商才があれば、尚更に。

 

「伴部さんを戯れの逢瀬に御誘いした理由……父母の命の恩人だった事もあります。戦う姿が格好良いなと思った事も理由です。ですけど……今考えれば思うんですよ。貴方が俗世から浮いているように思えたのが理由でないかと」

「……俺が?」

 

 それは意外であって、同時に思い当たる所でもあった。 

 

 転生。ゲームの物語への転生。五感があって、喜怒哀楽もあって、命があって、目の前の皆が生きていると分かってはいる。しかし……頭で分かっていても、その意識が全く無かったとは言えない。それこそ、今だって。周囲の、関わりある人は別としても、それ以外に対してはどうしても直感的に、潜在的に、それを意識出来ぬ所があった。しかし、それが……?

 

「もしかしたら、それが心地好かったのかも知れませんね」

「心地好かった?」

「まるで美人画として見られるような気分でしょうか?あぁ、この人は私に入れ込んで不快な感情を向けて来ないなぁという感じでしょうか?冗談を冗談と分かってくれるなぁって。びじねすらいくって奴ですね!」

 

 だから安心出来た。恩義あり、誠実で、だけど己に対して狂わず拗らせず、関係を割り切れて、後に引かず、すっと離れてくれる……橘佳世にとって、それは本当に都合が良かった。恋に恋していて、戯れの相手として都合良く思えたのは事実だ。

 

 身分違いの恋の御忍びの逢い引き、そんな設定で楽しむだけ楽しんで、良き思い出として報酬をやってさようならする相手、それが鬼月の下人の筈だった。

 

 設定だった筈なのに。逢い引きが楽しくて楽しくて、赤穂の娘との事が不愉快で不愉快で、誘拐されたのが怖くて怖くて、救われた時には安心して安心して、硬い胸が頼もしくて頼もしくて、その頭が弾けた時に絶望して絶望して……そして全てを剥き出しにした異形と成って尚も思いやられたのが何処までも嬉しかった。

 

 ……そして打ちひしがれるのだ。あれだけの事があって尚、橘佳世という存在は下人にとって特別ではないのだと。未だ美人画に描かれた存在であるのだと。鬼月の姫君に向ける視線よりも、ずっと遠くから見られているのだと。深層心理の心中が、分かってしまう。自分は、蚊帳の外だ。喜びは、反転してしまった。

 

「悔しくて悔しくて、堪りませんでした。はは、負け犬の、脇役の、敗北者ですよ……」

 

 貴方の内にいたい。貴方に俗物の眼差しを向けられたい。貴方と同じ世界にいたい。貴方に執着される存在になりたい。貴方に女として意識されたい。貴方に愛される存在に見なされたい。

 

 このままでは、何もかも叶わない。貴方は何時しか私の下から何も後ろ髪も引かれずに去ってしまう。そして、きっと何処かで消えてしまって……それは許せない。許せる訳がない。

 

「だから……こうしちゃいました!」

 

 あははははっ!と佳世は嗤う。泣き嗤う。狂い嗤い、狂い哭く。

 

 貴方に尽くす。貴方を貶める。貴方に貢ぐ。貴方を怒らせる。貴方に哀れられる。貴方を堕とす。貴方に支配される。貴方を閉じ込める。性癖だけじゃない。お互い剥き出しで、全部取っ払って、ありのままの御互いで向き合って、ぶつけてぶつけられて、動物みたいに、そうして漸く貴方にとって明白な個として、女として、貴方のものになって……貴方の世界で、貴方の視界で生きていける。きっと。多分。

 

 狂ってる?大いに結構。それで愛する人が手に入るなら、安いものでしょう?

 

「……拗らせ過ぎだろ。馬鹿」

「あはっ!恋する女なんて、皆拗らせてるようなものですよ?」

「泣き嗤いしていう事かよ……」

 

 ……彼女の認識、価値観、思いを、俺は何処まで理解出来たか分からない。上部だけかも知れない。分かったように思い違いしてるだけかも知れない。だが、その重さだけは分かる。その必死さだけは分かる。そして……歪んでいても、俺を大切に思っているのは事実なのだろう。

 

「即物的なのは……分からなくもないけどな」

 

 だとしても限度はあるし、周囲への配慮があろう。その意味ではやはり箱入り娘の我儘娘なのだろう。……その恩恵を受ける側が糾弾するのも筋違いかも知れないけども。

 

「……」 

「伴部、さん……」

 

 締めていた手を離すと不安そうに佳世は俺を見上げる。

 

「止めて下さい。そんな目で見ないで……そんな優しくて憐れむ目で見ないで下さい。視るな」

 

 狂気がすっと引いて、震える声音で佳世の言葉は紡がれる。それは怯えであった。予感であった。

 

「お前の気持ちは認めるよ。悪意はないんだろうさ。内容も……まぁ、俺も人だからな。全く不愉快で気に入らなかったとは言えんよなぁ」

 

 旨くなかったとも、楽しくなかったとも、気持ち良くなかったとも言えない。そんな偽りは薄っぺらい虚勢だろう。そうだな、唯……割り切れなかったんだ。振りきれなかったのだ。未練がましかったのだ。だから俺は佳世と、彼女らの努力と苦労を無駄にするのだ。

 

「伴部……さん?」

「お前が贄で無いってのは安心した。失敗したら取り返しがつかないからな。……葛、他の連中はどうしてる?」

 

 俺は佳世の呼び掛けを無視して葛に問う。

 

「皆は、別部屋にて寄り集まり謹慎しております」

「謹慎、ね」

 

 誰が命じてのものかは知れていた。詰まらない事を。

 

「皆の様子は?」

「静かに、粛々と……運命を受け入れるとの事です」

「不安だろうな。……葛、悪いが信じてくれるか?」

 

 前回の周回でも拘束されていたのだろう、その場に立ち会っておらず心も交わっていない彼女はしかし、恭しく黙礼にて応じた。俺は謝意を述べて向き直る。

 

「伴部さん、何をする御積りで……?」

「何をって、お前さんの二段目の目的に沿うだけさ」

 

 この儀式を破綻させれば、俺は死した贄達により楔が解けて、常世の神として降臨する事になる。力を捧げんとする佳世の狙い通りに。宜しい、受け入れよう。

 

「あ……。伴部さん?教えて下さい。何を、考えているのです?何か、悪足掻きを?」

 

 俺が彼女から退くと、名残惜しげに、それ以上に不安一杯に問われる。まぁ、誤魔化す理由はないかね?

 

「お前さんへのお仕置き……かね?」

「……はは、無駄ですよ?諦めて下さい。貴方の目的のために尽くしますから、ね?」

 

 媚びるように、挑発するように、勝ち誇るように、強がるように、令嬢は鼻を鳴らして冷笑する。殴られる事を狙っているかのような生意気具合だった。

 

「安心しろよ。これから存分に分からせて泣かせてやるからよ?」

 

 そして俺は、気付けば目の前にある扉を開く。前周のそれと同じく、此度の周回をぶち壊す途中中断の扉だ。自身が作り出したもの故に、躊躇なく俺はそれを開く。

 

「それじゃあ、また直ぐにな?」

 

 躊躇なく目覚めに向かう。無の世界に足を踏み入れて、堕ちながら意識が覚醒していく。暗転して夢から覚める刹那、何かを呼び掛けられた気がした。微かで、掠れるような呟き。

 

「いかないで下さいよ……」

 

 ……多分それは、引き留める言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 全ては現実に引き戻される。全ては基底に堕ちる。全ては現世に収斂する。そして佳世が最初に目撃したのは床に倒れ伏す無数の躯であった。

 

 まだ温もりが残る、しかしながら確かに生命の光を瞳から喪われた牝であった肉の塊が丁度百人分。贄たる捧げ物。その残骸。打ち捨てられた器である。ゆっくりと、しかし確実に熱を失い青く変質していくそれらを一瞥して、佳世は肩を竦める。

 

「……だから言いましたのに。手遅れだと」

 

 彼にだって限界はある。全てを救える筈もなく、その義務もない。忠告はしたし、説明もした。その末路がこれ……。

 

「まぁ、彼女達も本望でしょう!彼の礎になれたのです。幸福な人生だった事でしょうね!」

 

 元より拾わなければ破滅していたような連中ばかりなのだ。この屋敷で不自由なく囲い、深く交わり、愛する御方の栄光の踏み台になれたのは寧ろ幸福な人生でないだろうか?少なくともある程度は納得している事だろう。気を取り戻すように橘佳世は嘯く。納得する。空元気に納得させる。

 

 彼は嘆くだろうか?いや、もうその心配はない。最早彼はそんな細事に拘る存在ではなくなった。寧ろ、次の贄の用意が必要だろう。代わりの贄を、急ぎ掻き集めねば。

 

 ……浮世に帰る刹那、彼と交えた会話は忘れてしまう。所詮強がりに違いない。この運命は、変えられない。変えられる訳がない。世界の摂理に勝てる筈がないのだから。

 

 最期に吐いた己の弱音も……また頭の中から追い出してやる。

 

「ふふふふ。さぁ、お出でませ。御羽化なさいませ。私の神様♪」

 

 歩みながら、床に敷き詰められた肉を踏みつけながら、蜂蜜色の髪の可憐な少女は意気がって、白無垢の南蛮婚礼衣装……にも見える生き恥を晒すような無様なそれを揺らしながら、其処に向かった。

 

 百人の牝を詰めても尚余裕のあった屋敷の大部屋の中央に、それは鎮座していた。滑り気があった表面はもう乾燥して卵の殻のようにザラザラとしていた。赤黒い色合いは今では真っ黒に変色している。

 

 室内にて、突き刺さった柱の如く存在するそれの大きさは牛が軽く三、四体は入れ込めるだろう程に巨大だった。固定するように四方に伸びて壁や天井に続く支えは、糸や体液が硬質化したものである。

 

 卵。あるいは蛹。否、そもそも幼虫も蛹も活動するある種の卵の一形態であるのだと語る学者もいるのだとか。まぁ、学術的な事実はどうでもいい。大事なのはこの中身であるのだから。

 

「うふふ」

 

 それにしなだれる。甘えるように凭れる。頬を当てる。耳当てる。すれば聴こえて来よう。とんとんと。もぞもぞと、それが殻を鳴らして悶える音が。

 

 あぁ。何と愛おしい鼓動か。躍動か。まるで膨らんだ己の肚に命を感じ取るような多幸感だった。満足感だった。己の愛と努力の結実が、この殻の内にある……。

 

「ふふっ。はっぴーばーすでー、でしょうか?」

 

 ピキリ、と天頂部に皹が入ったのを認めて佳世はおどけるように宣った。眼を爛々と煌めかせて、酔いしれるように輝かせて、それを待ち望む。まるで南蛮の聖誕祭の贈り物の包装を剥がす時のように期待に満ち満ちる。

 

 生誕の再誕の降臨を目撃する……。

 

『…………ッ!!!!』

 

 拡がる皹は、そして殻を四方に撒き散らした。勢い良く躍り出た。生まれたての羽に身を包み隠した、まだ羽化したて故に粘り気のある柔な身体。神体。御神体が、姿を現す。

 

 まだ、何も感じない……。

 

『…………!!』

 

 そしてその偉大な羽が威風堂々として打ち拡げられた。

 

 その一枚だけで牛車よりも大きい蝶羽は、計四枚。複雑怪奇で異様な紋様が刻まれたそれは、それ自体が何等かの力を宿しているようであった。しかし、それは細事に過ぎない。 

 

「…………っ!!!!??」

 

 羽を開いたと共に解放された圧倒的な神気の奔流、濁流、雪崩、津波に、佳世は衝撃的過ぎて即座に失神しそうになって、失禁していた。腰が抜けたようにその場にへたり込む。白い衣装に染みを作る。

 

「はあぁぁぁぁっ……!!」

 

 名状し難き、言語化し難い感動に打ち震える。口元から涎が情けなく垂れ流れる。感嘆の深い吐息が漏れる。そして偉大なるそれを見上げ拝める。

 

 全身が黒かった。馬を思わせる身体より蝶の腹が尾のように生えている。ガッチリとした馬の後脚が地を踏み締めている。人を思わせる、しかし遥かに太ましく逞しい腕が前足の代わりに伸びている。そして虫の多くがそうであるように細い節足が乱雑に脇から、横腹から突き出ていた。それはまるで千手観音のように。

 

 視線が更に上に向く。頭があった。明らかに人の骨格ではない。馬そのものの頭部に虫のような産毛が生えていて貫頭衣のようにも見えた。眼球は蟲のそれ、感情の窺い知れぬ巨大な複眼であった。更にその周囲に小さな人のような単眼が囲む。ギョロギョロと蠢く。口部は馬に似ていた。しかし顎はまるで蕾が花開くように四つに裂けるようであった。

 

 正しく化物。異形の神。彼女だけの御柱であった。今の佳世にはその怪物に黄金に輝く光輪すら見える。

 

 冒涜的で狂気的な生まれたての神格に、乙女は何処までも純粋で純情に頭を垂れた。純白の手袋をした両手を重ねて己が偉大な神に祈り捧げる。

 

「はあぁぁぁっ……あぁ。神様。私の神様。私だけの主様!!!!」

 

 愛する人を高次元の存在に高めて、死を超越させて、強大にした成果に佳世は何処までも安堵する。そして大いなる存在の最初の信徒に成りおおせた事実に陶酔し、勝ち誇る。上目に異形を見据える。美貌を美しく泣き腫らして、呼び掛ける。歓喜感涙。

 

「私が!私こそが!貴方の第一の婢、貴方の忠実な僕!!貴方様の妻、貴方様の畜生で御座いますっ……!!」

 

 何処までも純粋に清らかに、澄みきった瞳に怪物を映し出して、乙女は信仰と服従の祝を叫んだ。はぁはぁと息をして、一拍置いて落ち着いて、しかし宣言は終わらない。

 

「この身、この魂……この持ちうる一切合切は永遠に永劫に、全てを貴方様のもの。貴方様に捧げます。貴方様に尽くします。全ては貴方様の恩ために。貴方の身を、信仰を、守り拡げて行きましょう……っ!」

 

 司祭として乙女の告白。それは人界に背き、人界を裏切り、下道に堕ちる事の宣言であった。馬姦嗜好を公共で宣言する方がまだずっと道義があった。それ程までの凄まじき発言であった。

 

 扶桑に於いて神とは堕とすもの。搾るもの。利用するものである。人が神に奉仕するは、信仰に国を傾けるは国是に反する。蜂蜜色の娘の宣言は、行為は、正しく大逆だ。

 

 知った事ではない。佳世にとっては目の前の存在こそが全てであった。目の前の御柱が、その背骨たる男が、其れが何もかもで、他の全てを捧げて手放してしまった所で欠片も後悔はなかった。元より貴公子共の求婚をあしらっていたのはこのためである。今なら父がこの目の前の存在を怒り狂って斬首せんものなら逆に殺しているだろう。それ程に狂信していた。

 

「あぁ神様……伴部さん……我が主様♪」

 

 獣みたいに四つん這いで迫る。賎しく侍る。無様にその足にしがみついて、偉大な存在の偉大な存在感に打ち震え続ける。馬の面影は尚も強かった。君臨する逞しさは、寧ろ蟲の在り方を取り込んで一層雄々しくすら思えた。佳世は全身全霊で以て媚びて蠱惑する。己を支配する唯一無二の存在からの求めを、待ちかねる……。

 

『……』

 

 沈黙があり、そしてそれは歩み出した。佳世を無視して。

 

「あ……主、様?」

 

 佳世を払い除けて、それは一歩一歩歩き始める。直ぐに足を止めた。そして首を捻りながら、羽を震わせて異音を奏でながら、感情の窺い知れぬ複眼にそれらを映し出す。床一面に散らばる贄肉共を。

 

「何を為されるので……」

 

 一瞬過る不安は、しかし杞憂だった。ガバリと大輪の華を咲かせるように開いた四つ顎の口蓋。乱雑に打ち捨てられた牝死肉を掴み上げると……それを丸呑みにした。

 

「どうぞ、お気に召すままに」

 

 行為を理解して恭しく佳世は頭を垂れた。それを阻む理由がなかった。食事だ。神饌だ。馳走の山でも生餌でもなく死肉であるが、それは仕方ない。他ならぬ主が望まれたのだからそれに逆らう道理はなかった。

 

 ……佳世の礼なぞ気にも止めぬように、それは唯呑み込み続けた。生の色ない瞳にグタリと力の抜けた身体を掴み上げ、脚を持ち上げ、摘まみ食いするように。上から垂らすように喉奥に落とし込んで、二つ纏めて舌で呑み込む。チュルリと啜るように細身の身体が消えていった。

 

 呑み込む。呑み込む。呑み込む。呑み込む。その繰り返し。近場に無くなればキョリキョリと見渡して、床を踏み潰しながら次の肉の茂みに向かう。そしてまたチュルリチュルリと。

 

 丁度百人あった骸を全て片付けるのに要した時間は大したものではなかった。あっという間であった。一つ残らず平らげた。同時に異形の身体が数倍に膨れ上がっている事も気付けよう。背丈が倍に。横にはそれ以上。特に腹はデップリと。百人分とは言わぬがこれで腹が満たされぬというては嘘だろう。そんな有り様であった。

 

「御満足頂けましたでしょうか?まだ足りぬとなれば追加を急ぎ拵えさせて頂きます。次の馳走はもっと豪華なものを用意致しますので、どうぞお楽しみ下さいま、せ……っ!!!?」

 

 機会を図ったように、再度足下に縋りついて述べて行く婢たる女司祭。南蛮令嬢。化物の隷妻。神格が足下の路傍たるそれを見下すと、それだけで佳世は数度は達した。

 

 蕩けるような夢心地。地母神の因子の方の効果であろうか。圧倒的な存在感だった。絶対的な逞しさであった。これでは慎まし過ぎてもう他の雄なぞ眼中に止める事すら出来ないと思えた。醸し出す臭のみでこれである。腰抜けてた腰が更に抜けてしまう。全身の骨を引っこ抜かれたかのような実感だった。肚が疼いて仕方ない。幸せだ。ひたすらに幸せだ。

 

「か、主様ぁ……どうぞ、こちらにぃ。お社を、神殿をぉ、用意しております……あはぁ、精一杯お造り致しました。どうかいらして、くださいませぇ……?」

『……』

 

 歓喜し続ける佳世の、ふやけた口調での案内の勧めに、しかしそれは無言であった。暫しその感情伺い知れぬ瞳に蕩け続ける佳世を映し続けると、しかし視線を逸らしてしまう。

 

「はぅ……?」

 

 すっと引いていく快感に、佳世の理性は引き戻される。正確には快感の八割程度が消え去っていた。それでも悶絶する程のものであるが……何はともあれ、佳世の思考力は復活した。同時に生じる疑念。

 

 これは、権能の一つであろうか?しかし、何故こんな事を?

 

「主、様……?」

『……』

 

 呼び掛けに、やはり無視であった。喉をカチカチとどのようにか不明に鳴らす。黄昏ているようにも見えた。そして、漸く動き出す。

 

 ……直後、それは己の二対の羽の一枚を引き千切った。

 

「え……?」

 

 噴き出した汁が頬に当たる。蕩け顔をそのままに唖然と凍らせる佳世。柱は千切り取られて痙攣する羽を観察するとぽいっと投げ捨てる。

 

「な、ななっ……!!?」

 

 突如眼前で発生した事態に佳世は思考が停止していた。何等の行動すら起こせず、茫然として愕然とするのみだった。

 

 ……そして、更に一枚、躊躇なく千切り捨てた。

 

「な、な、な、……何を、何をしてるんですかあああぁぁぁぁっ!!!!!??」

 

 佳世の、途中より最早言葉を止めている絶叫が反響した……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 四枚の羽を千切り捨てた。その次に細身の蟲の複腕を左右十本ずつ二十本を引っこ抜いた。

 

 複眼の周囲に嵌め込まれた眼球を左右で七個ずつ計十四個、抉り取って放り捨てた。その後に横腹の肉を左右から更に捻り切る。

 

 胸筋を引き千切った。幾度も塊を計八塊分。呻きながら、四つの顎を内の下顎二つ分を血飛沫撒き散らかして投げ捨てる。抉れた胸に腕を突き立てる。掻き分けて先ずお出ししたのは膵臓に腎臓であった。

 

 十二指腸を丁度十二等分に小分けして引き抜いた。腕は腹の内で向きを変えてバキバキと音を鳴らす。肋骨を割った音だった。ドボドボと床に広がる血流……。

 

「やめてくださいいぃぃぃぃっ!!!?」

 

 その腹に半分隠れた一段太ましい腕に、殆ど抱き着いた佳世。奇声に等しい嘆願。仕立ての良い白絹の婚礼衣装に急速に染みが広がっていく。どうでも良い。全てがどうでもいい。目の前の惨状に比べたら全てが細事だ。

 

 突然始まった解体劇。自傷等という可愛らしいものではない。切除であった。己を一つ一つ裂いて割いて行く様はまるで凌遅刑であった。己で己を凌遅していた。発狂せぬ筈がない。

 

「やめてっ!やめてください!!おねがいしますやめて!やめて!あ、あぁ、こんなにたくさん血がぁ……!!」

 

 バックリ開いた腹を見て、その中に出来た空洞を見て、蒸せた肉臭にえずくよりも先に絶望する。泣きじゃくって必死に制止を求める。相手が主だと、神だと思えぬ狼藉は、しかし彼女にとっては必死だった。

 

「やめて……おねがぃ、やめて……」

『…………』

 

 神格は動きを止める。やはり感情の窺い知れぬ複眼で以て少女を見る。沈黙。そして……空いた手で佳世をひょいと持ち上げると邪魔とばかりに傍らの床に置いた。

 

 ……そして直腸を引き摺り出した。

 

「止めてぇぇぇぇぇっ!!!?」

 

 立ち上がって飛び掛かるようにまた腕に抱き着いた。半ばまで飛び出していた腸が跳ねて彼女の白かった装束を更に汚した。生暖かい感触が肌に触れた。構わない。彼を止めなければならなかった。

 

「おねがいします!やめてください!!生け贄を用意しますから!代わりは用意しますから!!そんな事しないでください!おねがいします!おねがいしまぁす……!!!!」

 

 必死どころか決死の行為。神の行いに無力な小娘が邪魔をすれば結末は決まっていて、しかし逸る気持ちは止まらない。神罰が下ってもいい。彼がそれ止めてくれるなら何もいらない。どうなってもいい。

 

 佳世が望むのは彼のみ。彼の命のみ。彼の安全のみ。彼の栄光のみ。彼の永劫のみ。そのためならば、己なんてどうでもいい。だからこそ出来た暴挙……。

 

『……』

 

 神は抱き着く腕をもう一方の腕で以て引き千切った。

 

「いやあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!??」

 

 軽くなった腕を抱き締めて佳世は泣き叫ぶ。号泣する。完全に狂乱していた。訳が分からず唯腕を抱いて哭いていた。

 

 分からない。どうしてこんな事になっているのか分からない。どうしてこんな事をしているのか分からない。何か間違えた?儀式を誤った?当て付け?そんな馬鹿な事が……!?

 

「だん、な……さまぁ?」

「そんな、馬鹿な事……?」

 

 混乱して混沌する思考を幾分か引き戻したのは背後からの声。聞き覚えのある声音。直ぐにそれが有り得ないと理性と知識が断じて、しかし痙攣する腕を抱いたまま、佳世は振り向いた。

 

「だんな、さま……だんなさま……」

 

 何も燃やさぬ火中よりそれは再誕した。全身血と粘液で汚した女が倒れていた。生まれ立ての赤子みたいに一糸も纏わず、倒れ伏して蠢く。それが誰なのか、佳世は知っていた。

 

「葛……さん?」

 

 思わず抱いていた腕を落として佳世はその名を呟く。それは有り得ない事であった。葛は儀式の贄だった。そしてその骸は彼の腹に消えた。それが、どうしてここに……?

 

「まさ、か……!?」

 

 漸く佳世はそれに気付いた。神が身切りして床に落としていく血肉が次々と燃え盛る様を。血肉のみ焼き尽くして、変質する肉が悶え蠢いて人の形を象って行く様を。腹の中に消えた筈のそれと寸分違わずに、しかし生前の傷はなく、瞳には確かに命が宿っていた。

 

「まさか、まさか!?そんな……!!?」

 

 詳しい理論は分からない。しかしその行為の意味を佳世は理解した。理解して、未だ己を解体し続ける神に振り向いた。絶望は深まる。底知れぬ程に。

 

「やめて、やめて、やめて、やめて、やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてっ……!!!!」

 

 残る腕に抱き着いてひたすら呪詛めいて叫ぶ。心からの呪いの嘆願。

 

 こんな筈ではなかった。こんな事は望んでなかった。こんな苦行は、こんな悪夢は、こんな地獄は求めていなかった。唯、自分は彼のために、彼の望まぬとも彼自身のために……それで、それで!!それなのにっ!!?

 

『◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️ッ!!!!』

「っ!!?」

 

 圧倒的神気の発露であった。神気の圧で恐怖に戦く筋肉は弛緩して、次いで圧に吹き飛ばされる。初めての主からの反応は不興による顰蹙だった。邪魔する存在を退けるための咆哮だった。跳ばされた佳世は無様に尻餅を搗く。

 

「主……様、おねがい……やめてぇ……」

『……』

 

 吹き飛ばされて、床に倒れて、尚も上目遣いに乞い願う。視線が重なる。複眼に佳世の惨めな程に泣き崩れた容貌が映る。無様だった。そして……そんな光景を不快とばかりに片側の複眼を掴むと神はそれを引き剥がした。

 

 ブチブチブチと、筋が音を立てて伸び千切れていく。

 

「あぁ……!?」 

 

 まるで大皿の焼き物みたいに、複眼が纏まった塊は床に放り捨てられる。捨てられたと共にそれは蠢き、発火して、変異していく。人の形を取っていく……新たな命の誕生。否、手籠めていた命に合わせての血肉の変質。容器化であった。

 

 ……『世界』に対しての儀式代金支払いを差し止め、そして代理神払い。それが目の前で生じてる事態の尤も端的な説明であった。矮小な猿魂の代わりの、神格による魂の切り売りだ。『世界』にとっては余りにも旨過ぎる取引である故に可能な所業。

 

「そこまでして……!!?」

 

 魂を切り分けているのだ。否、神格にとってはそれ以上だろう。存在そのものを切り落としているのだ。人種のそれとは比較にもならぬ。それも、数多いる贄如きのために!常軌を逸している!狂気!異常!

 

 ……あぁ、あの時と同じだ。あの人らしい。

 

『◼️◼️◼️◼️◼️ッ!!!!』

 

 最後の贄のために身を千切りて放り捨てると、力尽きたように項垂れて咆哮した。断末魔であった。全身の傷口から、それこそ体液が全て抜け出てしまいそうな程に垂れ流し、それは膝を突く。白く荒々しい吐息が漏れる。息絶え絶えだ。

 

 そして来る。彼女が、見かねたように、待ちかねて、見計らったように。

 

「あらあら、これはまた随分とやんちゃしたものね?こんなに散らかしちゃって」

 

 透き通った鈴の音のような声音と共に、彼女は彼と

 無力に膝を突く佳世の目の前に現れていた。

 

 桜色の鮮やかで艶やかな和装に、それよりも美しい髪がたなびいている。その姿は幻想的で、空想的で、全身血塗れの醜い異形との対比もあって見る者により一層強い印象を与えるもので………何よりもあの刻と同じであった。

 

「……あはは」

 

 脳裏に過るあの時の光景を思い起こして、橘佳世は賭けに負けた事を何処までも痛烈に思い知らされて、分からされるのだった……。

 




 因みに余裕ぶって登場した桃ゴリラ様ですが神格降臨の時の想定が甘く、神気の濁流でぶっ壊れそうな屋敷の隠行結界を目茶苦茶頑張って修繕し終えてから参上しました。

 尚、修繕失敗して神気が漏れた場合は朝廷に儀式がバレて退魔士N度打ちの多勢に無勢されて、何やかんやあって詰みます。
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