和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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ファンアートの紹介をさせて頂きます。  

 此方はUPRPRCさんより二次創作短編小説(R-18注意)のようです。中国語による第一〇章ラストのIF展開のようです。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=25949550

 素晴らしい作品、有り難う御座います!


第ニ一四話●

 蛍夜環にとって、嘗て世界とは優しく生温いものだった。

 

 恵まれた故郷がそんな平和惚けた世界観を育んだのだろう。蛍夜郷という一級の霊脈の地に嘗ての退魔七士の張り巡らせた強固な退魔の結界、周辺を監督する退魔士家の精力的な務め、そして何よりも郷を統べる蛍夜家の公明正大にして仁愛のある支配がそれを可能とした。赤子の頃から飢える事なく、怪物を見る事なく、民草に慈しまれど恨まれる事のなかった日々……そして少々封鎖的な田舎という風土がそんな世界観を決定づけた。

 

 昔話には聞いていた。外から来た者の話も聞いていた。しかしそれが何処か他人事のようで、現実感もなくて……本当にそんな恐ろしい事があるのだろうか?そんな酷い事があるのだろうか?そんな残酷な事があり得るのだろうか?どうしても半信半疑のままに郷の姫は歳を重ねた。活発で土弄りをして釣りをして、山の探検すれば甲虫や蝶を捕まえて泥んこになるような男勝りに元気な姫君は、しかしある意味では生粋の箱入り娘でもあった。

 

 本当に、無知でお馬鹿な小娘であったと思う。

 

 ……美しい日々は突然終わりを告げた。友が罪のために連行された。怪物が郷に足を踏み入れた。己の力を知り、己の生まれを知った。家族の温もりを知り、義務を知り、だからこそ旅立った。

 

 外の理不尽を知った。外の醜さを知った。溝のような汚濁の中に、それでも輝く美しさも知った。それでも護るに値する者がある事を学んだ。恩人に恩が積み重なる……そして、唐突にその人を失った。直前までそれすら忘却していた。手遅れになってから、喪失した。

 

 見失った憧れ。己に失意して、軽蔑する。無力感に踠き、責務に逃れる事すら出来なくて、誰にも顔向け出来ない己の無様な有り様が恥ずかしかった。

 

 ……だがそれも、これまでだ。

 

「そうだ。もう、これまで……」

 

 深く嘆息して、蛍夜の姫刀士が呟いた。呟いて、手元に携えた装束を見やる。浅木色の羽織。百夜院の家紋が刻まれた見事な逸品、それは己の理想への第一歩であり、あの人の安否を確かめるための入口でもあった。力を得るための、手段……。

 

「権力を笠に着るのは好みではないけど……」

 

 道徳心が顔をしかめる。とは言え、青臭い正しさだけではどうにもならないのは散々分からされていた。それだけでは何も護れないと知らしめられた。ならば、少しでも正しさに近い力を使うべきだろう。だから環は仁の大臣と結んだ。あの人を信じて……。

 

「抜け駆けとは、小狡いですね」

「ふぇっ!?」

 

 間近まで来て漸く気付いた気配。振り向いて、見上げて認める。傍らに立ちて此方を見下ろす小柄なおかっぱの少女……赤穂家の末娘は少しだけ嫌味を含んだ口調にて環に第一声の愚痴を突きつけていた。

 

 西土の名門退魔士家たる赤穂家は仁義正義を尊ぶ事でも知られている。最も高潔な退魔士家は何処かと問えば老若男女、貴賎問わず必ずその家名は候補に上がるだろう。先祖を遡れば一族に連なる者が武者修行に世直しにと旅をして魑魅魍魎に盗賊、悪徳代官を討って教訓話に歌舞伎の題材になった事例とて少なくない。

 

 そんな赤穂家からして見ても、仁の名家たる百夜院家は尊崇に値する家であり、その手として働く祓護民衆は一定の敬意を払う衆であると言えた。何なら、過去を遡れば幾人かの者が一時的に衆に参加していた事すらあった。正統にして直情過ぎる赤穂家の者にとって百夜院の権勢は正義を叩きつけるための錦の旗として有用であったのだろう。

 

 だからこその……抜け駆け。上洛に来る筈だった家族が皆地元に釘付けとなってしまい直系が己のみとなってしまって紫は、都における一族の代理としての役割もあった。定期的に都の赤穂家邸宅に足を運ぶ必要もあったし、赤穂家と誼ある家々に対する対応もある。末の幼き娘故の手加減こそあるものの、それでも末の姫の為すべき仕事は煩雑極まる。其処に歳上の妹弟子の所業である。羽織に見惚れる姿に小言の一つくらい言いたくもなろう。仮に家族が予定通りに来ていれば、彼女とて祓護民衆に自薦は兎も角、手合わせの一つくらいなら願い出ただろうから。

 

 加えるならば……。

 

「えっと……その……」

「……まぁ、辛気臭いばかりよりはマシでしょうか?少しは気が晴れましたか?」

「……っ!」

 

 痛い所を突かれた環が言葉を出せずにいると、紫の溜め息。肩を竦めて仕方無しとばかりに振る舞い問い掛ける。語る前に環は息を呑み、そして苦笑する。

 

「気にして……くれてた?」

「鍛練の際に随分と腑抜けてましたからね。実戦だと気が引き締まるようですが……常在戦場の積もりでなければ足下を掬われますよ?」

 

 十薬家での案件の詳細は知らぬ。朝廷と陰陽寮が箝口令を敷いて、鬼月家の当主らが朝廷の者達と何等かの交渉をして手打ちとなったらしい事は伝わっている。しかしそれだけだ。口止め料らしき金子袋を与えられた妹弟子の落ち込み様は尋常ではなかったし、他の帰還者もまた皆一様に暗い表情を隠せなかった。何よりも帰還せぬ唯一人の存在は完全に禁句となっていた。黙殺。

 

 ……紫とて馬鹿ではない。このような扱いを受けた者が生きているとは思っていない。少なくとも五体満足で無事とは思っていなかった。だから……そういう事なのだろう。

 

「この務めは常に危険と隣り合わせ。傍らの者が惨く討たれようとも常に冷静に、屍を踏み越え足蹴にして、盾にする積もりでなければ己も同じ末路を歩むと思って下さい。身構えていても死にかねぬのです。せめて、死ぬにしても詰まらぬ理由で、間抜けな死に方はしたくないでしょう?精々肝に銘じて置く事ですね」

「紫さん……」

 

 刺々しくも、それは助言であった。環は知っていた。この年下の先輩は素直でない所もあるが誠実で他者を無下にするような人ではない事を。環にとっては外の世界で数少ない心から好ましく思える人柄であった。

 

「強い……ですね。流石赤穂家」

 

 心からそう思う。十薬家での一件以前から割と鍛練でも押せる事が多かったがこのような心構えでは未だ及ばないように思えた。踏んで来た場数が違うのか、あるいは英才教育の賜物か。何にせよ、羨ましかった。

 

「ふんっ。嫌味返しですか?……これ、受け取って下さい」

 

 環の言に何とも言えぬ表情で鼻を鳴らして、紫はそれを突きつけた。紙に包まれた長方形の木箱。これは……。

 

「お饅頭?」

「赤穂家特産、赤穂饅頭です!退魔と衆入りの祝い品です。各所に贈呈した残り物ですが……抜け駆けしたのですから用意出来る筈もなし。それくらいは受け入れて欲しいものですね」

 

 ふんすっと腕を組んで宣う紫。序でに饅頭の由来も説明していく。どうやら甘さ控えめで塩味がするそうだ。元々刀術の鍛練の間食として昔の屋敷の調理人が提供した物故らしい。今では蜜柑入りの物と合わせて日と月と見立てた特産品……ではないが客人に振る舞い土産として持ち帰らせるようになったという。

 

「その……有り難う。とっても嬉しいよ!」

 

 屈託なく環は謝意を示す。嫌味でも当てつけでもない純粋な好意であり行為であった。その態度に年下の姉弟子は不満気になるがそれ以上何か突っかかるような事を口にする事はなかった。

 

「決して無理はせぬように。これ以上顔見知りに不幸があれば目覚めが悪いですからね。上手に生きて見せる事です。では」

 

 腕を組み尊大に、頭頂の阿呆毛を犬の尻尾のように揺らしての叱責混じりの助言だった。環が礼を言うまでに赤穂の姫は踵を返して行ってしまう。そこで漸く環は紫が付き添いに女中と下男を連れて来ていた事に気付いた。女中が「姫様、折角御友人のためにと取り寄せたのですから……」等と囁き慌てて紫に掻き消すように大声で注意されていた。確か……陽菜であっただろうか?何にせよ、荒事なぞ学んでおらぬ者の存在に気付けなかったのだ。己の不用意さを反省する。物思いに耽り過ぎというものだろう。それと……。

 

「……貴方は、確か孫六さん、でしたか?」

「へぇ、蛍夜の姫様。自分如きの名をを憶えて頂けるなんて恐縮でさぁ」

 

 会釈して、紫の後に続こうとしていた男に呼び掛ければ腰低く応じる下男。恩人たる人に仕えていた男……今は紫の下男。

 

「どう?そちらは問題ない?毬さんは?」

「とても良くして貰っております。毬はまだ落ち込んでいるようですが……」

 

 そう苦笑する孫六もまた外面は装っているが消沈具合は誤魔化し切れていないように環には思われた。

 

 恩人たる家人扱の喪失。人探しの呪いでも所在の掴めぬ以上、十中八九亡き者と思われた彼が、しかし本人が死してもそれだけでは話は終わらない。本人の財産の処分、役目の欠員の補填等後始末の必要がある。孫六とその妹の処遇もその一つだ。

 

 彼専属の雑用であった二人に、その相手が消えた以上その処遇は宙に浮くというものだ。そのまま誰かに仕えさせる、あるいは鬼月から解雇する、可能性は幾つかあった。環も引き取りをしたいと考えていたが家人の身の上では出しゃばる事も出来なかった。赤穂の姫が引き取りに手を挙げたのは意外ではあった。

 

「姫様とは昔縁がありやして……まさか妹共々引き取って頂けるのは思ってもいませんでしたが」

 

 環にとってそうであったように孫六にとっても彼は恩人であり、その彼と共に赤穂紫とは面識を得たのだとか。都でのとある任で二人を案内したのが切っ掛けであるという。

 

「姫様は大層お優しい方で御座えます。素直になれない所もありやすが……どうか其処は勘弁をば」

「ふふ。分かってるよ」

 

 孫六の恐縮しながらの願い出に環は笑いながら同意する。心配無用だ。姉弟子の心の清らかさと不器用さは十分熟知している。

 

「そちらこそ、何かあったら遠慮せずに言って欲しいな。毬さんの事も……鈴音も気にしていたしね」

「全く、恐縮で御座います」

 

 この男の盲目の妹が友と悪い仲ではなかった事を環は知っていた。故の呼び掛け。赤穂の末娘が面倒見が悪いとは思えないが一応伝えて置いた方が塩梅であろう。言葉とは口にしなければ伝わらぬものである。

 

「毬は……まだ気に病んでおります」

「やっぱり……だね」

 

 自分達もそうなのだ。あの盲目で純情な少女にとっては尚更心労に来るだろう。病弱故に身体に影響がなければ良いのだが。

 

「今は引き籠って祈るばかりで……気丈な奴なのでもう暫くすれば立ち直ってくれるとは思うんですが」

 

 指摘に若干窶れたように再度苦笑する孫六。先程と違い、無理をした笑みであった。こればかりは時間が解決して貰うしかないように思われた。毬にとって仏に祈る事は己の中で心を整理するために必要な事なのだろう。孫六や環と違い、彼女には働く事で悲しみを忘れるという選択は取れないのだから。

 

「孫六!何をしていますかっ!早く行きますよ!」

「へ、へいっ!では、蛍夜の姫様。自分はここいらで……」

 

 ヘコヘコと不器用に頭を下げて、その場を去る下男。環は手を振ってそれを見送る。ガミガミと縁側の向こうで紫に叱責されていたのは少し悪かったかなと反省する。

 

「皆、逞しいな」

 

 紫も、彼の世話役だった下男も、喪失に決して平気と言う訳ではあるまい。しかしそれでもああして今と向き合っていた。引き摺りつつも前を向いている。ぬるま湯に浸り続けていた己よりも、心が強いように思われた。きっと自分と違って多くの苦労をして、それを乗り越えて来たのだろう。きっと嬉しくないだろうが、一方的に尊敬してしまう。

 

「そうだね、強く……ならないと」

 

 そして改めて決心する。強さを貪欲に求める。強くなければ、力がなければ、ただ一方的に奪われて失うだけなのだから。それはもう御免であった。敵に対して情けも容赦も無用だった。守るためには手段を選ぶ事も。寧ろ、他者から無慈悲に奪い尽くすくらいの気概が必要で……。

 

「……」

 

 みしり、と。木箱を持つ手に力が入る。その身に滲み漏れ出すように纏う不穏な気配を、残念ながら目にする者はいなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

「紫さん、また赤穂の御屋敷に戻られるので?」

 

 鬼月の一族が間借りする逢見家屋敷の渡殿で、背後から呼び止めた声に紫は振り向く。視界に収めるのは文を手にした妙齢の貴婦人であった。行き先の序でに立ち寄ったという風体の、普段着姿でありながら色気を帯びた女の佇まい……。

 

「環さんへの祝言、有り難う御座います。師としても赤穂家より祝いの言葉を頂けるのは本当に誇らしい話ですわ」

 

 その謝意は大層大仰で大袈裟な口上であるように思われた。

 

 鬼月家当主夫人、赤穂家当主の同腹の妹君。鬼月菫……紫にとって彼女は憧れの一つであり、叔母であり、師でもあり、何よりも憧れの身内の実の母親であった。じっと見れば分かるだろう、親子そっくりの重ね着からも分かる肉感的な体型に立ち居振る無い。醸し出す雰囲気。その表情の機微に見える面影。血の繋がり……。

 

「夫人……御無沙汰をしております。いえ、向こうの屋敷に本家の者がいないので、どうしても……お陰様で刀の鍛練も疎かになってしまいまして、情けない限りで御座います」

 

 礼と共に紫は答えた。本当に済まなそうな返答であった。父や祖父から聞いていた叔母の気性を思っての事であった。

 

 刀鬼とは正に叔母の事を言う、とは祖父の言であったか。ゆっくりとした淑やかな佇まいは、しかし輿入れ前の乱行ぶりは当時の知る女中雑人が尋ねるだけで打ち震える程。荒々しい本性は娘にも強く受け継がれている。試合で見せる瞬間の殺気は全身から冷や汗が出る程。執着的なまでの刀への、力への、斬る事への渇望……それらを思えば稽古に打ち込めぬ今の己の有り様を弁護する事は不可欠であった。身内とて緩し過ぎるなとは父の言である。

 

「ご免なさいね?どうせなら葵と茶でもと思ったのだけれど……困った事。近頃は外出が多くて。行き場すら教えてくれないのよ?母として心配で心配で……」

 

 頬に手を当てて溜め息を吐く夫人。吐息を吐く口元が艶かしく思えた。少し濃い紅を差していた。

 

「従姉様は気分屋な所がありますから……しかし、賢い御方です。無謀でも無防備でも御座いませんでしょう。其処は信頼して良いかと」

 

 紫は知っている。己の従姉の偉大さを。才色兼備。天が二物も三物も、それ以上に与えた寵愛の化身である事を。不遜な所があるのは事実であるがそれは血筋と才、美貌を思えば致し方ない事だ。寧ろ溺れ過ぎぬ故に、そしてその頭の回転と実力故に度々引き起こす騒動も容易に鎮火して魅せる様は却って瞠目するしかない。

 

「そうでしょうとも。私の自慢の娘です。故に良き相手を見繕い紹介しようとも思っているのですけれど……そういう時に限って失せてしまうのですから困ったものです」

「良き相手……」

 

 そして肩を竦めての再度の溜め息。揺れた。艶かしい。同時に紫は叔母の言を反芻しての意味を咀嚼する。世間話に思わせて、其処に大きな政治的な意味合いがある事を紫は察していた。正確に祖父と父から聞いていた。同時に、深入りはするなとも。

 

「……姫様方は年頃であり、大層美しくいらっしゃいますから。御誘いは数え切れぬ程でしょう。雛様なぞ、先日の式典の姿を拝見した貴人方から数多くの文が届いたと聞いております。茶の御誘いもあったとか?」

 

 事実のみを語った、琴線に触れぬ、御家騒動に介入したと思われぬ寸前の発言であった。

 

 鬼月の当主、長老連中の考えは外からは計りきれぬ。しかし相応の姫君が、特に上の姫が未だに嫁ぐ事なければ正式に後継に選ばれてもいない事は世間の耳目を引いていたのは確かである。一部の口の悪い者は……紫は知らぬが葵が魅惑して誘導した馬鹿な男共は……嫁げぬ程に醜女であるのだとか、お里故に品性がないのだとか、酷いものでは嫁ぎ先の血を汚し才を貶める不良肚であるのだかと口汚い噂をしていたという。

 

 流石にそのような品のない見苦しい噂は式典での顔見せ以来静まり返ったが……寧ろ双方が逸品である事が知られた事が尚更後継争いを過熱させた感がある。それも、世間を巻き込んで。

 

 皆が鬼月の動向に注視する。当主に、夫人に、探りを入れて、文を贈って、歌を贈り、茶に誘い、見世物に誘う。一方に肩入れする者がいて、同年代の姫君らの中には有望な貴公子が夢中になったせいで不満を漏らす者もいるという。公に姿を見せれば不躾な視線が集まる。美貌を、身体を、家柄を、資産を、見定めて皮算用する。

 

 流石に公衆の面前での初対面で論外な告白……貴女の子袋の品質に惚れました。是非その胎盤を利用させて頂きたい!……をしてみせてニの姫に前歯をへし折られた瑞堕家の者は論外を超えた論外としても、貴人の婚姻に打算や政治が関わるのは避けられぬものとしても、ここまで事態が世間を巻き込むものとなったのは厄介であろう。

 

(色恋の事となれば刃傷沙汰にもなりかねない。最悪世間を騒がせたとして隠居に出家を命じられる事だって……)

 

 当主や夫人、それどころか尊敬する従姉姫を含む双方の姫まで朝廷より沙汰を下される可能性だってあるのだ。一の姫は兎も角、従姉がそのような顛末で尼となる事は紫からすれば愉快ではなかった。

 

「そうですね。本当に沢山御誘いがあって……母としては良き縁と思う所もあるのですけれど……いざ席を用意しても掴み所なく流してしまっているようですわ。理想が高いのでしょうか?」

 

 本当に本当に困ったものだと。嫁入り前の娘の振る舞いを心配するような菫の仕草。母の記憶の薄い紫にはそれが本当に真っ当な母親の態度であるのか、残念ながら比べようがなかった。

 

「姫様方は才も美も優れていますので。己に似合う貴公子を選り好みしてしまうのは当然かも知れませんね」

「あるいは……意中の者でもいるのでしょうかね?」

「そのような事は……」

 

 夫人の意見に、しかし紫は疑う。付き合いが薄い一の姫は兎も角、ニの姫に果たしてそれ程に関係の深い男子はいたであろうかと。

 

(寧ろ女性の方が……)

 

 それこそ橘の令嬢とは良く茶会に観劇して、屋敷に泊まる事もあるという。己も同行しようとして忘れられたのは悲しい。今度こそはお供したいと願う。……話が脱線した。兎も角もそれらしい気配を、紫は関知していない。まさか女知音で貝合わせお泊まり会という訳でもあるまい?

 

(そう言えば……)

 

 そして紫の思考は更に巡り、ふと思い至るのは最早死んだも同然の男の事で……。

 

「誰か、心当たりが?」

「え?いいえっ!まさかっ!!」

 

 不意の呼び掛けに意味もなく慌てたように紫は否定の言葉を吐いていた。同時に思う。馬鹿馬鹿しいと。非現実的だ。まるで艶本ではないかと。それこそ先日発行された馬鈴草氏渾身にして問題の最新作『御卑雌調伏堕楽戯譚』のようではないか。高貴にして才色兼備なる従姉がたかが卑しき身の上に……それならば白狐の小娘と貝合わせで戯れている方がまだ現実的だろう。妖狐は性根は兎も角外面は愛でるに足る出来である。

 

 ……最早生きている訳もない男であるのだから、尚更有り得ないだろう。 

 

「……」

「どうしましたか、紫さん?」

「いえ、大した事ではありません。本当に、大した事は……」

 

 己で言ってみて、随分と落ち込んだ声音だと思った。これでは叔母に要らぬ疑念を抱かれかねなかった。全く以て要らぬ疑念を。

 

 そうである。有り得ぬ事だ。幾らお気に入りであったとしても、あくまで主従としてであった筈だ。厳然たる身分差は埋めようがない。世間が関係なぞ許さない。賢い従姉姫がそれを理解出来ぬ筈もない。何よりも、あの男はもういないのだから。杞憂を超えた杞憂であろう。従姉姫とて報告を聞いてから動揺したなんて素振りはない。何時も通りの天上天下唯我独尊である。惚れ惚れする程だ。

 

「……左様ですか。そうそう……紫さんもそろそろ御年頃。兄様や御父様から誰か見合いのお話なぞはあったりしません事?」

「ふぇっ!?み、見合いですか!?私がっ!!?」

 

 叔母から振られた変化球な話題に、紫は動揺の二度打ちを食らう。己の見合いなぞ、輿入れなぞ紫は考慮の外にあった。全く意識していなかったのだ。男が嫌な訳ではない。単に其所まで考えが至らなかったのだ。家でもそんな話題の素振りすらなかった。だからこそ、動揺……そう言えば客人らもそんな話振って来た事なかったなと思い少し落ち込む。子供扱いされてるのか、それとも魅力がないのだろうか?

 

「娘達の事もあり、色々と年頃の者の情報はありますから、よければ良い御方を紹介致しますよ?お好みの顔立ちや家柄はありますか?」

「え、えっとぉ……」

 

 流されるままに紫は想像する。己の男の趣味はどんなものであろうかと。

 

 家柄は……あった方がいいが絶対ではない。赤穂家は実力本位で家柄は後回しである。実際、家系図には出所の怪しい嫁や入り婿もいる。だから家柄は優先しない。大事なのは実力だ。

 

 同業者が良い。退魔の経験がある者術者よりも戦士。刀……せめて槍なり弓なり、武具の使い手の方が良い。戦い方に華美は求めない。泥臭くても実があれば良い。鍛練を怠らず、心の強き者が良い。

 

 性格は……悪性でなければ良い。勤勉ならば尚更良い。優しければ良いが、甘えさせるばかりでは駄目だろう。子のためにも線引きが出来る、公明正大であるべきだ。逆に、偶には甘えてくれても良い。勤めて疲れた身を甘えさせて癒してやるのは妻の務めというものだ。寧ろ世間では立派に振る舞いながら家内では甘えて来るのが可愛らしくもある。外では甲斐性ある旦那が己との褥で情けなく無様で剥き出しの姿を晒してくれるのは嫌いではない。

 

 身体は逞しい方がいい。小柄な己を抱き締めて包み込めるくらいの背丈が良い。抱擁力が欲しいのだ。同時に過剰でなくて良い。腹筋が割れているような見栄えなんぞは重視しなくていい。実のある鍛練で磨かれた実用的で実践的な身体が良い。傷跡なぞは気にしない。身内にだってそれくらいはある。鉄火場での傷は寧ろ誉れであろう。

 

 顔立ちは……まぁ整っていた方が良いだろう。だが絶対ではない。先程触れたように実こそ大事なのだ。飾るだけの優男は薄っぺらいから好きではない。それくらいなら強き醜男の方がマシだ。いざという時に家族を守れぬでどうする?

 

 子供は……うん。二人、いや最低三人は必要だ。男女一人ずつは欲しい。其所に予備の男子を今一人。……む、無論それで絶対に打ち止めではない。子作りは仕事柄必須であるし、妻としての甲斐性がある。求められるならばとことん付き合うのは務めであり、意地であった。

 

 そうだ。求めれれば求められるだけ受け止めよう。五人欲しいならば六人。六人欲しいならば七人作るつもりの気概が必要だろう。つ、艶本に書かれるような破廉恥な所業とて許そう!夫がやる気を出せるように、搾り出せるように妻として努力するのは吝かではない……仕方ない。子作りのため、妻としての務めのためだ。本当に仕方ない。うん仕方ない!頑張る!

 

 妾?側女?……愉快ではない。だが、子供ではないから分別もある。養えるというのならば置いても良い。子は多い方がいい。夫の家の繁栄のためならば致し方なしである。助平心も見逃してやろう。生まれた子はちゃんと躾けてやるつもりだ。己が腹を痛めて生んだ子と酷い差別はしない。嫡子と庶子故の差はつけねばならぬが筋の通らぬ扱いはするつもりはない。必要ならば身を挺して守る事だって覚悟している。女自身とて、秩序を乱さぬならば敵視はしない。同じ家の繁栄のために、夫を支える者同士であるのだから……。

 

「ふぅん。成程成程……承知しました。そのような条件で良き若者を耳にすれば紫さんにもご紹介して見ましょう」

「ほぇ?」

 

 頭の中で夫としての条件を羅列していれば目の前の叔母上の応答。微笑みながらの提案。一瞬思考が停止して、恐る恐ると問うてみる

 

「……もしかして、口にしてましたか?」

「えぇ。随分と詳細に語って貰って嬉しい限りですわ」

「あわわわわ……!!!??」

 

 動転しながら紫は振り返る。此方を何とも言えぬ表情で見る家の女中と苦笑いする下男。ここまでの妄想が全て聞いてしまった陽菜がその心中に一体何を考えているのか、紫は羞恥心から想像したくなかった。下男に至ってはそれ以上である。

 

「姫様……その、知らぬ間に立派に成長なされましたね?」

「姫様……此度の事は忘れておきやすので御安心下せぇ」

「いやあぁぁぁぁぁっ!!!??」

 

 色んな感情を混ぜこぜにした末であろう女中と下男の慰めの言葉に心からの悲鳴。涙目になってそのまま疾走して逃げる。逃げたかった。穴があったら入りたい。自分で穴掘りして隠れたい。殺せ。殺してくれ!

 

「やあぁぁぁぁっ!!!?ほにゃっ!!?」

 

 まるで願いが叶ったかのようだった。何故か不思議な力によって縁側に設置されていた甘蕉の皮で滑る。思わず間抜けな声を上げる紫。

 

 本人は何が起きたのかまるで分からなかったであろう。端から見れば唖然として反応する暇もなかった。クルリと器用に一回半回転して、そのまま阿呆毛から紫の頭は庭先に設置されていた沓脱石向けて、一直線に向かって……。

 

「姫様っ!?」

「あらよっと」

「ふぐゅ!?」

 

 陽菜と孫六が遅れて事態に気付いて走り出して、二人より距離があった筈の夫人は呑気に宣いながら縮地していた。刹那の内に傍らに来て、襟元に牛蒡を差し込んで頭蓋骨陥没は回避された。牛蒡によって落下が差し止められた代わりに衝撃で首元が絞まり紫は家畜が屠殺されたような鳴き声と共に白目を剥いた。口元から魂が出掛けている気がするが、菫が「えいっ」と殴打して無理矢理戻した気がした。多分気のせいである。

 

「あらあら、お転婆な事。私の若い頃にそっくり」

 

 釣り上げた魚みたいに牛蒡で宙ぶらりんの紫をそのまま駆け寄る女中と下男に引き取らせる鬼月当主夫人。ほほほほ、と朗らかに笑う。確か彼女もお転婆であったが間違いなくそれは紫とは方向性が違うと思われた。

 

「姫様!?御無事でっ!?」

「きゅ~ん……」

 

 一応一命は取り留めていると思われるが、悶絶気絶している紫は情けない声を上げるしかなかった。絶命していないだけ多分幸運であった。

 

「あらまぁ、伸びてしまいましたね。……御二方、赤穂の姫君を御車に。その内目覚めると思いますから御安心下さいな」

「はぁ……」

「そう致しましょう。……失礼します」

 

 菫の提案を孫六と陽菜は受け入れる。何時までも他所様の屋敷に世話になる訳にはいかぬ。勝手に自滅して気絶して寝床まで用意されるのは実に無様であった。これ以上恥の上塗りは出来ぬ。貸しは、もっと上塗りしたくなかった。

 

「いえいえ。もう少し優しく受け止めてあげるべきでしたわ。私もまだまだ未熟者……姪子に悪い事をしました。後日菓子折りでも持って御伺いさせて貰いますわ」

「……事前に文を頂けましたら」

 

 陽菜の形式ばった礼。そして紫を抱いて孫六共々退出する。緊張を孕んだ退出であった。まだまだ青く甘い紫と違って、陽菜は赤穂の枝葉たる鬼月の夫人を信頼し切ってはいなかった。あと敬うべき姫君が何処から如何わしい書物を目にしたのか尋問しなければならぬ。

 

 ……巧妙故に、赤穂紫の普段の間抜け具合故に女中も気付けない。会話の中にひそりと仕込まれた言霊術。それを呼び水とした自白の誘導。油断が招いた姪御の白状。

 

「えぇ。構いませんわ」

 

 にこりと見惚れる程に淑やかに微笑んで夫人は気絶した紫とそれを移送する女中下男を見送った。内心で見下げて失望して納得しながら。まぁ……然程期待はしていなかったけれど。

 

「………」

 

 夫人もまたその場を去る。一瞬だけ家人に召上げた蛍夜の娘の方向を見据えて立ち止まり、歩み出す。

 

 彼女の向かう先、それは鬼月が逢見家に貸し出された中で最も上等な一室。尤も厳重に護られた空間……。

 

「貴方、御加減は如何?」

「……良くはないな」

 

 通行証無しには弾かれる三重の結界を抜けて、入室すると同時の受け答えであった。薄暗い室内を見渡す。上等な調度品。部屋の奥に設けられた寝台、其処で胡坐を掻いた痩せた男の影が見える。辛うじて見える手元には広げられた文。足下には何かが蠢いている、式であった。幾つかの小鳥と鼠、蟲を象った式が屯している。闇の中で眼光だけが輝くそれらは皆傷つき、四肢の一部は捥げ、肌は焼け焦げているようにも見えた。典型的な潜入に失敗した簡易式の惨状……。

 

「……御無理は為さらないで下さいませ。その御体では、その魂の有り様では以前とは比べ物にならぬ負担でしょう?細事雑務は全てお任せ下さいまし。貴方は唯、下拵えを終えた後の最後の最後に動いて下されば……」

「この程度ならば問題ない。寧ろ何もせずにいると鈍って仕方ない。……赤穂の姫君と少々話していたか?」

 

 恭しく語る妻の言葉を最後まで聞き終えず、闇の向こうで被せるように拒絶して、話題を変える。菫はそれに何ら負の感情を見せず、問われたままに答える。

 

「環さんへの祝いの帰りに声を。……やはりあの娘は何も知らぬようですわね」

「だろうな。あやつらしい。……お前と良く似ているな」

 

 妻は探りを入れた結果を述べて、夫は納得の言葉を吐く。

 

「……そうでしょうか?私が、あの子と?」

「あぁ。……本当に良く似ている。憎らしい程にな」

「褒め言葉……と受け止めた方が宜しいのでしょうか?」

「……」

 

 闇の向こうの鬼月の当主は答えなかった。唯、手元の文を今一度見下ろして、再び菫を見やる。

 

「本家屋敷での騒動はまだ収まらぬようだ。日に日に不穏となれば義妹殿について、一旦他所に預けるらしい」

「まぁまぁ、鬼が居ぬ間と言わんばかり。随分と勝手をしてくれます事」

 

 先日生じた鬼月家本家屋敷での一件。居残り組にして当主の弟、隠行衆頭兼金庫番の中毒。一命をとり止めて回復しつつあるものの、それは居残る鬼月家家中の空気を重々しくした。屋敷に残る重石の、その最有力者が倒れたのだから当然であろう。長老組に分家が各々の目的で動いていると報告が来ていた。その中で、特に屋敷での立場が苦しく追い詰められているのは被害者の後妻殿であるとも。

 

「元々家格が合わぬものであったからな。呪蟲が仕込まれていれば尚更よ」

 

 実家からの中元をこっそりと飯に混ぜて、其処に呪いが仕込まれていた……表面だけ見れば完全に妻の実家による暗殺であった。表面だけ見れば。

 

「思水が独断で逃したらしい。羽山に下らせると」

「相変わらず思慮深い事ですわね」

  

 羽山郷……殊更貧しくなくとも豊かでもない其処の地主である若い当主は、退魔士としては所詮無力に等しく厄介な経歴持ち、付き添う小娘は家の絶えたようなものであり、かといって殺せば資産相続の面から方々から反発があった。周囲は全て鬼月の影響下にある。力を貯める事も出来ぬ土地。言うなればそれは監獄兼面倒事の島流し先であった。其処に容疑の姫を流す……言い訳のしようは幾らでもある選択と言えた。賢い判断であった。死んでしまえば取り返しはつかず、収拾は困難故に。

 

「当の旦那の方は離縁をと騒いでいるそうだ」

「寝床の上で、でありましょう?」

「無理をするものだ。身の丈を考えるべきだろうにな」

 

 一時は危篤ですらあったという。目覚めた後も職務には殆ど就けず業務はほぼ停止状態。助職・允職等が可能な限り代行しているというが……隠行衆としては兎も角、金庫番の役務についてはその席を巡り見苦しい光景が屋敷の彼方此方で目に出来た事だろう。前者のお役目よりも遥かに魅力的であった。

 

「ふふふふ。貴方がそれを仰いますか?」

「……文を書く。手を貸せ」

 

 口元を隠して一見朗らかに陽気に笑う妻に、やはり夫たる当主は答える事はなく淡々と無感動に要求を語る。恭しく礼をして、部屋の筆箱を取りに動き出す菫。

 

「式符の材を変えましょう。より上等な紙と墨を用意しておりますわ。触媒も、潜入方法もです。……あのような呪術的要塞の如き屋敷に忍ばせるにはこれでは些か不足かと」

 

 傍らに来て、箱を広げて書き物の用意をしながら耳元で艶かしく囁く菫。漸く間近で見た夫はやはり窶れていた。肉が削れ窪んだ眼窩。其処に収まる死んだように暗い剣呑な瞳。頬骨が覗いていて、見るだけで疲労しそうになる有り様。そんな男を熱に浮かされたような慈愛の眼差しで以て見つめ続ける妻……。

 

「……そうか。不足か」

 

 呟くように。そしてここで初めて男は妻に視線を向ける。

 

「ならばやってみよ」

「承知致しましたわ」

 

 冷淡な物言いに良妻らしく恭しく、菫は応じた。どうという事はない。妻として夫を立てるのは当然であり、その行く道の小石を取り除くのもまた務めと彼女は信じていた。淑やかな上面の下の煮え滾った溶岩のような狂愛。それが彼女の本質であった。何物も、それに優先される事はない。

 

「それと……失礼。忘れていましたわ。先程文を頂きました。御覧になりますか?」

「何処からだ?」

「影より」

 

 比喩でなく、隠語でもなく、それは事実であった。怖じる影より頂戴した文を、呪いの類いが仕込まれていないか検分し終えた文を、差し出す。

 

「先に言え。……読み聴かせよ」

 

 差出人が何者なのかを察して、幽牲が憮然として命じた。男はこの機会に文を出した女の魂胆を理解していた。自然に振る舞い傍らに来た、耳元で囁ける場所に据わった浅ましさを理解していた。

 

「はい。ただ今」

 

 女は悪びれもせず澄まして魅せた。密着する程に距離を縮めて、女は文の文面を語って魅せる。甘い色香を嗅ぐわせて、艶のある口元がそれ以上に妖艶な声音で啼き唄う。男ならば、それは心を揺さぶられて然るべき状況であった。傍らの男でなければ、心を囚われてしまっていただろう。

 

 ……最早心を囚われている男には、傍らの魅女の何もかもが意味を持つ事はない。それを理解しつつも女は無条件に尽くす。

 

 そんな細事は欠片も気にする事ではなかったから。目の前の最愛の人のために、そのためならば善悪も損得も聖邪も何も関係はなかった。

 

「全て、貴方の望みのままに……」

 

 愛しく愛しく、愛でるように狂愛の刀鬼は囁いて……。

 

『けけ。これまた随分と酔狂なこった。……そうは思わねぇかい、愛しき朋友諸君?』

『首輪全裸散歩させながら問われても返答に困りますわ』

『この様を版画で記録させに行くなんて朋友相手にする事ぉ?』

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