和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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製作して頂いたファンアート類のご紹介をさせて頂きます。

 此方はシンジさんよりAIイイラスト、あざとい南蛮令嬢様。恐らく玲旺君目線の凛々しい外向けの面構えと思われるが……。
https://www.pixiv.net/artworks/137146915

 此方はobuchiさんより葵姫様。次の瞬間に相対する相手こ腹に風穴開けてそう……。
https://www.pixiv.net/artworks/137338428

 素晴らしいイラスト、誠に有難う御座います!



第二一八話●

 少女は息を切らせて駆けて行く。当てもなく駆けていく。まるで何かに突き動かされるように。五里霧中の中をひたすら走る。霧の向こうのそれを追い掛ける……。

 

 走る。走る。走り抜ける。霧がかった世界が少しずつ晴れていく……そして其処に導かれる。

 

 ……彼女の眼前にあるのは噎せ返るような熱に満たされた暗い室内だった。その奥の奥で二つの肉が重なりあって絡み悶えていた。彼女はそれを唯唖然と佇んで目の当たりにしていた。

 

『◼️◼️◼️◼️ッ!!!!』

 

 獣の断末魔の絶叫のように思えたそれは最早人の発するものではなくて、事実覆い被さるそれは最早人とは思えぬ有り様だった。それが、その人は、確かに自分にとって最も大事な家族であった筈なのに。頭では理解している筈なのに。

 

『に、にいさ……!!っ!?』

『◼️◼️◼️◼️ッ!!!!』

 

 何拍か置いての、勇気を振り絞っての呼び掛けは、しかしその人の咆哮に掻き消される。機先を制されてたじろいで、そして視線が重なる。抱き潰されて押し潰されて、白い肌を啜られて華奢な身体を貪られて、そして下から強く抱き返して絡まり着く女の眼差しと。

 

『あなっ……!?』

『ふふっ♪』

 

 ご機嫌に釣り上がる妖艶な口元。大切な人の背を引っ掻き回して痕跡を刻み付けていた腕を、その人の首元から己の眼前に回して、薄紅で塗って染めた其処に当てて魅せつけられる。片目を閉じて、まるで子供にしぃーっと叱りつけるような様。まるで相手を子供扱いして見下げるような大人びた女の振る舞い。

 

『……っ!!!?』

 

 それは彼女に底知れぬ屈辱を抱かせた。噴火しそうな程の怒りを滾らせた。暗闇の中でもその目を凝らせば分かるだろう。雌の指の爪に詰め籠められた血肉が。引っ掻き回して削り取った跡が。泥棒猫が鰹節せせこましく削り盗んだみたいだった。大切な人を傷つけて、その一部を盗み取った明瞭なる証拠……!!

 

『◼️◼️◼️◼️ッ!!!!』

 

 怒りに荒げんとした彼女の声音は、それ以上の暴風染みた叫びによってやはり掻き消された。それを口火のように、大切な人は一層荒々しく暴れ回る。白い丘線を赤黒く肥えた蛞蝓が果てしなく撫でる。赤子のように吸い付いて己の歯形を刻み付けていく。自身の所有を証明せんとばかりに一心不乱。此方の存在なぞ一切気にも止めず背を向け尻を突き見せんばかりだ。

 

 その太ましい腰の振る舞いは更に衝動的であった。己を奥深くに叩き付ける毎に野獣染みて喚き散らす。己の魂すらも籠め打ち出さんばかりだ。そして女はそんな嵐をただただ従順に受け入れる。貞淑にすら思える程素直に迎え入れて、歓待すらした。その手を再び背に回して、己にのし掛かる身体を寄せる。両の足は太く逞しい腰を挟み込む。一つに重なり合った場所からは水音が爆音と共に何度も何度も絶え間ない。受け止める細い腰を艶かしくかき混ぜるように振るう。

 

 野性的であった。野獣的であった。艶本の内容なぞ上品で幻想的であるように思われた。現実のそれはより醜くて、より穢くて、遥かに激情的であるように思われた。

 

 そして思うのだ。どうして?と。

 

『どうして……お前が其処に?』

 

 その問い掛けに対して泥棒染みた雌は、やはり冷たく嘲るだけであった。覆い被さる相手には見えぬ角度からのその態度は忌まわしく思えた。己を、それ以上にその人を愚弄しているように思えた。

 

 そうだ。愚弄に他ならない。だって……そうじゃないか?

 

『お前、なんかが……!!』

 

 そうだ。お前なんかがどうして其処にいる?どうしてその人の相手をしている?可笑しいじゃないか。そんなの釣り合わないじゃないか?

 

『そんな……薄穢い身でっ!!?』

 

 その人の身はお前なんかと違う。何れだけ小綺麗に飾ろうと騙されぬ。自堕落に遊び惚けて、無数の不特定の体液に汚れたお前とは違う。どんな病気に冒されているかも知れぬような身体とは違う。吐瀉物に浸した雑巾みたいなお前の肚とは違う。

 

 その人の身体は何処までも醜い。その人の身体は見るに堪えぬ程に酷く傷だらけだ。切り傷に打撲痕、絞め痕に火傷の痕。怪物と見間違える程に痛みきって硬く、黒ずんだ肌……だが違うのだ。お前なんかとは違うのだ。その苦難に痛めつけられた身体は、しかし己の欲望によるものではない。家族のための人柱の果てなのだ。比較になる筈がないじゃないか!?その身体はお前が汚していい身体じゃない!!それを、それを……っ!!?

 

『いやだ、お願い……やめて、やめてよ。そんな事、やめてよぉ……!!?』

 

 眼前の肉への渇望に我を忘れて没頭する浅ましい惨状に、ただどうしようもなく泣きじゃくり乞い願う。その場に伏して無力に嘆願するばかり。

 

『◼️◼️◼️◼️◼️ッ!!!!!!』

 

 雄獣と化した人は己をやはり顧みる事はなかった。それどころかその注挿は遂に劇的に至る。普段のその人とは思えぬ無思慮な振る舞い。いっそ間抜けな姿勢。肥えた皮袋は皺を浮かび上がらせて胡桃の殻の如く堅く引き締まり、もう撒き散らす寸前だった。捩じ伏せられる牝も余裕綽々とは行かない。怒涛を受け止めるために顔を強張らせる。……此方に勝ち誇りながら。

 

 止めて。止めて。お願い止めて。そんな物に夢中にならないで。そんな物で己を汚さないで。そんなのに無様な様を見せるなんて。そんな穢い畑に蒔くなんて。酷いよ。虐待だよ。可哀想だよ?

 

『そんなのに、そんな、それくらいなら……!!』

 

 そのためならば。そのために、ならば。それくらいなら……そうだ。そうだ。分かるだろう?

 

『私は、私がぁ……!!』

 

 壮絶な咆哮が部屋を轟かせた。全てを達する勝鬨の声。絶叫絶命の如き魂の叫び。魂の咆哮であった。遅れてやって来る静寂……終結。終幕。

 

『わた、しがぁ……!!』

 

 吐き気すら感じる淫臭漂う絶望の内で、咄嗟に彼女のその喉の奥から紡がれた言葉。その倒錯した想いを籠めた慟哭は……。

 

 

 

 

 

 

 

「っ……!?眩しっ!!?」

 

 爽やかな日射しが格子窓越しに部屋に爛々と注ぎ込む。央土らしい程好く温かな陽光であった。

 

「……夢、ですか?」

 

 重い頭に手を当てて、先程までの世界の正体を安堵したように呟く。纏う寝間着は汗でぐっしょりと濡れていた。着物の首元を緩めれば汗独特の噎せるような臭いがした。蒸せて噎せる。この臭いが己に悪夢を見せたのだろうか?

 

「本当に……酷い悪夢です」

 

 吐き捨てるような声音は自分で口にして刺々しさに若干驚いた。己がここまで悪意敵意を籠めた言葉を口に出来る事をよりによって今知った。己の賎しさ、心の醜さに顔をしかめる……。

 

「兄さんが……あんな事を言うから」

 

 責任の転化先は長兄へ。しかし……仕方ない事であるように思えた。あのような事を言うからこんな不徳な夢を見る。

 

 だってそうじゃないか。唯でさえおどろおどろしい宮鷹の家なのに。よりによってあのような評判の悪い姫の御傍仕なんて……返り際に当然面で姫が別の艶本を押し付けて来たのだから。あげる物を間違えたと不義の不倫物を寄越して来る了見は何事か?

 

「……兄さん」

 

 胸に両の手をやっての呟き。やはり、想えば想う程やはり心配は積み重なる。想定される兄の経歴からしてあの姫の戯言に上手く言い返せるとは思えなかった。色目にほだされるとは思えないけども、呆気なく騙されてしまいそうで仕方なかった。上手く騙されて、酷く恥をかいてしまうのではあるまいか……?

 

「だから……あれで、良かった筈」

 

 先日の入鹿達の諫言も押し退けての決断を、しかし鈴音は決して後悔はしない。己はあくまでも蛍夜家の、蛍夜の姫に仕える身。その姫は先日一時帰還したものの再びお役目があると外出してしまった。  

 

 主君は自分達を残置した。大臣家に世話になっている今、手持ち無沙汰といえども己が鬼月や逢見の女中に専念せねばならぬ理由はない。寧ろ余所の家の者の仕事を奪い過ぎるのは良くない筈だった。そうでなくても出自に似合わず厚遇気味な故に少し疎まれている嫌いがあったのだ。ここは少々離れてほとぼりが冷めるのを待つのが吉であろう。

 

 そう思えば角の立たぬ丁度良き機会であった。友たる姫の世話の要らぬ今しかこんな思いきった事は出来ぬと思えた。

 

 だから……。

 

「兄さん……大丈夫です。私が、側に居ますから」

  

 兄の身の回復のためと銘打った暫しの外泊。見舞いではない。もっと丹念に、丁寧に、甲斐甲斐しく世話をせんと思って。あるいは……己の甲斐性を見れば兄の考えを改めてくれるのではないかと仄かに期待もしていた。

 

 兄が己に世話にならないのは何時までも甘えてばかりの幼い妹と思っている側面があるだろうから……それは間違いだと分からせねばならなかった。自分は何時までも子供ではない。

 

「それにしても……」

 

 内なる決意を固めて、そして気が抜けて彼女は今一度夢を想う。今少し客観視して見て僅かに困惑する。

 

「……どうして私は豚なんか追い掛けていたんでしょう?」

  

 夢とはそんな纏まりも道理もないものと理解しつつも、少女はどうしようもなく困惑していた。

 

 ……己が人ならざる者に干渉されたなぞと、露とも思い至る事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 尋ねるのは昼下がりを予定していた。頃合いを見て荷を纏め上げて逢見の屋敷を出る。

 

「……入鹿、貴女反対してましたよね?」

「だからに決まってんだろ?環がいないんだ。だったらお前さんのお守り優先だろうが」

 

 散々泊まりに反対していた癖に当然面で同行する入鹿の態度に、その図太さに感嘆すらする鈴音。この友人らしくはあった。そも、それくらい厚かましくないと何時寝首を掻かれるか知れぬ監視役の退魔士の御家で呑兵衛なんぞ出来まい。

 

「それにしても良く許可が下りましたね?」

 

 何やら上の彼是のお陰で暫定無罪扱いされてるがあくまでもそれは暫定。友が過去に何か罪をやらかして睨まれている事は鈴音とて察していた。それを良くもまぁ……女中のお泊まりに同行させるのを許されたものである。

 

「どうせ向こうに報せが来てんだろ?そっちで襤褸出してくれるように仕込んどけーとか」

「確か、宮鷹と鬼月は誼があるのでしたね?」

 

 偉い家なぞ養子に婚姻にと何代も複雑怪奇に家系図が錯綜しているものと聞くから珍しくはない話である。しかし……やはり兄を世話する中で四六時中監視されるのは嬉しくない。その意味では同行されるのは好ましくはなかった。

 

「とは言え誰もお守りがいないのも問題、だろ?」

「否定はしません」

 

 勝手の違う余所の家である。陰謀好き呪い好きと噂の御家、しかも厄介な姫までいる。それに先日の見舞いの道中でも誰かに尾行されて監視されていたらしい。役満だ。となれば腕のある用心棒がいた方が心強い。鬼月の下人衆には其所までお願い出来る立場ではなかった。自前でどうにかせねばならぬ。だからこその入鹿であった。

 

 ……あるいは友の同行と外泊が許されたのはそのような責任の所在の明確化、という側面もあったかも知れない。

 

「俺が言えた義理じゃねぇが……お前も余り暴走すんじゃねぇぞ?またあの不良姫様に変な事に巻き込まれんぞ?二度ある事はって言うからな?」

 

 土壁で囲まれた公家屋敷街の通りを歩み続けながらの入鹿の指摘。それは兄の事で何かやらかす事が無いように釘を刺す意味合いがあるように思われた。

 

「余計な御世話です。入鹿こそ、勝手に敷地で賭博をしたりしないで下さいよ?」

 

 蛍夜の郷村では無論、鬼月家に監視を兼ねて厄介になってからすら容赦なく花札に賽子と下人に雑人、女中、臨時雇いの人足に出入の商人まで相手にしている事を鈴音は知っていた。勝ち過ぎて喧嘩騒ぎになり悪目立ちする事も度々……因みに大抵複数相手にその鼻はしらへし折ってくれやがってた。

 

「ちぇっ」

「ちぇっ、じゃありません。どうせ如何様する積もりなのでしょう?」

 

 入鹿の舌打ちに今一度注意。大抵勝ち過ぎる友が正々堂々と戦っているなぞと純な事は思わない。寧ろ何も知らぬ宮鷹に仕える者達を鴨と狙っていたに違いなかった。

 

「手品はバレてねーだろ?」

「そういう問題じゃありません!と言うかここで自白しますかっ!?」

 

 勝ち負けではない。賭博行為そのものが鈴音からすれば論外だった。宵越しの銭を一厘二厘と指折り数えて貯める事に必死な女中からすれば金銭感覚が余りにがさつな友とこういう話題では絶対合わなかった。

 

「お前は俺の母ちゃんかよ。……おい、俺の後ろに居ろよ」

「え?……っ!!」

 

 愚痴る入鹿の雰囲気が切り替わる。一瞬困惑。そして直ぐに察して入鹿の影に縮こまる。碁盤の目のように整然と区画整理された通りの道の、その向こうからその集団は騒々しくやって来る。

 

 それは到底貴人共の街には似つかわぬ集まりであった。笛の音に太鼓、三味線。仏語を連ねた襤褸の旗を掲げて先導するのは大道芸人共だ。それに続くように托鉢僧がいて、歩き巫女がいて、隠者共がいて、わらわらと襤褸着の浮浪者の群れがやって来る。あるいは病人に怪我人もいるように思われた。

 

 

「っ!?うぅっ!!?」

 

 嫌な臭いに道を譲って寄せていた鈴音は袖で鼻を隠す。入鹿も鼻白む。清廉とした都の一等地の空気に慣れてしまっていたからか。それは実際のそれよりも尚も酷く思えた。ひたすら続く人の群れ……。

 

「な、何ですか、……これは?」

「何ってぇ……乞食だけど?」

「わっ!?」

 

 異様な光景に唯々困惑していると背後からの返答。そして笠を被った姫の姿に、宮鷹の放蕩姫の姿に驚いて小さく悲鳴。入鹿が警戒すると両手を挙げて舌を見せる。無防備を印象付ける。

 

「あれわぁ、地方から寄せて来てる難民って所?その中でも色々と溢れて食うにも困り果てた輩共と言えばいいのかな?」

 

 扶桑の都は一口に都と語っても内実は違う。大きく括れば城壁に囲まれた内京とその外に広がる外京がある。そしてそれすらも更に細分化される。

 

 朝廷の中枢にして行政を司る内裏、そして東西南北の四方に拡がる京街、これ等を纏めて内京と称する。扶桑中の富が集まり、全てが整然とした世界である。食物は十分以上に満ちて飢えはなく、庶民を含む住民の殆どが一定の教育を受けていて治安は保たれている。四土に舶来の品が市場には山のように積み上がり、あらゆる娯楽に溢れて絢爛豪華な文化が百花繚乱に華開く。安全にして安定にして安心そのもの。それでいて新鮮にして斬新。公家にとって世間とは内京のみを指すとも言う。

 

 その外に広がるのが外京である。都に住む事許されず、しかしその肥沃の大地の、その都の富のおこぼれを預かろうとして大乱以降に難民に地方の上京者らが勝手に切り開き何時しか朝廷すら渋々と追認してしまう程に拡がった大都市。その面積と人口は内京以上。無責任に無法に無計画に成長する混沌とした大街は、しかしそれでも一様に乱れている訳でもなく、大半の区画では一定の秩序と人々の豊かでなくとも逞しく活力ある日常が営まれていた。今では内京での肉体労働は外京の者を日雇いするのが一般的な程である。内京の庶民は外京の者を同じ都人と思わず余所者と、狼籍者と蔑むが逆に言えば所詮その程度の賎しさであった。

 

 無論、人と富の集まる所には闇もまた生まれる。街の奥に奥に潜ればさしも検非違使も奉行所も向かうのをたじろぐような危険が満ちているが……それはまた別の話だ。

 

 扶桑の都はその豊かさから、その需要から地方からの移住者を十分吸収してきた。彼ら彼女らに仕事と食物を与えて来た。例え土地も金も縁もなく都に流れて来ても働き続ければ何時しか外京の長屋で所帯を持ち屋台で蕎麦を食い酒を呑める程度の生活は可能な筈であった。

 

「筈だった……」 

「可哀想にねぇ?御上の無策のせいで今の都は以前程物も仕事もないからぁ。あーやって当てもない連中が彷徨う事になる訳よ」

 

 嘲るような姫の冷笑。同時多発的な地方の不安定化は扶桑の物流を部分的に寸断している。需要が減り、日雇いの職は減り、物価高を引き起こし、それは平時よりも押し寄せた地方民の吸収を阻害した。それがこの何百の、あるいは何千という流民の群れだ。その群れの、ほんの一部に過ぎない……。

 

「……話は分かりました。ですがそれがどうしてここにっ!?きゃっ!?入鹿っ!?何をっ!!?」

 

 姫の説明に対する新たな疑問。直後に入鹿に引き摺られて鈴音は悲鳴を上げる。半ば抱かれるような姿勢になって驚愕して、直ぐにその理由を理解した。

 

「あ、あぅ……」

 

 托鉢を差し出す手は余りにも細かった。片足を不具にして、安っぽい棒のような義足。その反対側の目を眼帯で塞いだ小さく痩せ衰えた幼子。上手く言葉を出せないのか口から出る声音は唸るようだった。おどおどと怯えるように、それでも必死に見上げてお恵みを願う薄穢い乞食……。

 

「こいつはぁ……獣じゃねぇな。妖にでも食われたかね?」

 

 膝から下の足のゴッソリとした失い具合から入鹿は一人呟いた。哀れみはなく、淡々と事実を語るように。彼女は親しき者に優しくても弱き他人に慈悲深い性格ではなかった。友の装束に触れようとしたのを阻止して、軽く蹴飛ばして距離を取らせた。その眼光に嫌悪の色はなかったが敵意は明白だった。

 

「あらあら可哀想。御慈悲貰いに来ただけなのにねー?」

「勝手に近付いて来るからだよ。爆弾だったらどうすんだ?」

「大昔の卑劣爆弾じゃあるまいにぃ」

 

 嘲るような姫の追及に、しかし不明の尾行を警戒する入鹿は尚も冷淡だった。ぎっと睨み付ければ二人の会話をポカンとして聞いていた幼い乞食は更に怯え竦む。縮こまって涙目になる。まさに人食い狼でも見たような反応。

 

「……っ!」

 

 守られた女中は入鹿への謝意と共に罪悪感を抱く。幼子なのは勿論だったがそれと同じくらいに不具である事が痛々しく思えた。妖に足を食われた……その事が家族と、父の姿と嫌な程に重なる。大した小銭も入っていない托鉢が一層哀れだった。冷たい世間。過去の家族の決断を思い起こして、自然と懐の財布に手が伸びていて……。

 

「酷い狼さんねぇ?……ほぁら、これで良い?」

 

 機先を制したように忍鴦姫が動いていた。銭をじゃらじゃらと十枚程。托鉢に注ぐ。幼子は目を見開くと必死に立ち上がって頭を下げる。拙い声で謝意を伝えんとする。

 

「……」

 

 そしてその光景に鈴音の心中に形容し難き感情が沸き起こっていた。敗北感。喪失感。そして、劣等感……。

 

「よしよし良い子良い子……けどそれ見せちゃ駄目だからね?奪われないように隠しておきましょう?」

 

 虱がいそうな伸び放題の頭を嫌がる事もなく撫でて、助言までしてみせる。そうして過ぎ去る貧者の群れへと向かわせる。

 

「仁大臣曰く、当てつけだそうよ?」

 

 幼子に手を振りながら姫は嘯いた。話の続きであり、鈴音への返答であった。我に返った女中は遅れて言葉の意味を咀嚼して理解する。それを確認したように忍鴦は更に嘯く。

 

 度重なる地方での妖騒動。それによる悪影響の前にしかし、右大臣の一派の動きは余りにも鈍い。戦力の多くを央土に、そして都に集めて引き籠るかのようである。左大臣の一派の上奏する献策ははね除けられてしまう。その間にも苦境に立たされ続ける民草はいや増すばかり。

 

 代案は半ば強硬的であった。根本的な解決が行かぬならばせめて対処療法が必要だ。民草の救命救貧のための施しの提案は、流石に右大臣の一派も認めざる得ない。言質を逆手に取った。

 

「炊き出しに検診に直訴……まさか大臣様の御屋敷でやるなんて思わないからさぁ?ほら、警邏の連中どうにも出来ずに見てるだけでしょ?」

 

 からかうように指差して見せる姫。事実北京街を見廻る兵共は皆困惑して、あるいは唖然として群れを見つめるばかりで排除しようがないようだった。左大臣の名の元に執り行われた所業を現場は差し止める勇気はなかったのだ。上司達は部下の報告に見て見ぬ振りで沈黙した。左大臣に睨まれて、世間からも罵られたくなかった故であった。

 

 左大臣からのお役目……主君たる友姫の語っていたのはこの企てについてであろうかと鈴音は思い至る。あの姫君であれば張り切って手伝いそうだと思った。

 

 しかし、実際はより深い意味合いがあると宮鷹の姫は語る。

 

「合法的にこの北京街に入れちゃって世間に見せつけるのよ。外の惨状ってものをさ?宣伝してる訳、大義は何処かーって」

 

 上洛して参勤している大名家や退魔士家は兎も角、都に籠り政治を司る中央の公家にとってはこれは中々衝撃的な光景だろう。都の内では先ず目撃する事のない、地獄絵図でしか見た事のない悲惨で哀れな人々の群れ。憐憫を、あるいは嫌悪を誘う。そのどちらも左大臣一派にとっては好都合であった。

 

 垣間見する良識ある公家の姫君らは雑人らに命じて薬や飯を施しながら心底心を痛める。蔑む公家共にしてもこの貧者の群れの暴発を恐れて門を固め、問題を深刻に認識する。これが五倍十倍にと膨れ上がったら果たして今のように大人しくしているであろうかと……。

 

「それは……世論の誘導、という事ですね?」

「まぁそれも偽装なのだけどさ?」

「やはり……ってえぇ!?」

 

 推理に対するまるで梯子を外されたような卓袱台返しの姫のぶっちゃけ。思わず気が抜ける。ずっ転ける鈴音。深刻さが拍子抜ける。

 

「……」

「本当の所はひーみーつ♪流石に其処までは教える義務はないでしょ?」

 

 傍らで聞いていた入鹿の視線のみでの問い掛けに、口元に指を当てて返して見せる。正論であった。たかが女中と蝦夷に答えてやる義理もない。寧ろ最初の建前すら説明する必要はなかった。

 

「仁大臣って言っても世間からの上面での評価って事よ。聖人君主なだけで御上に成れる筈もなし。……まぁ、大人の世界はまだまだ早いかな?」

 

 片目を閉じて宣う姫。鈴音は内心でこの女の語る大人の世界は多分大臣云々とは分野が違うのでは?と突っ込んでいた。流石にこんな姫と同じ分類されるのは高徳の大臣閣下に失礼極まると思えた。彼女は兄を助けてくれた老貴人に恩義を感じていた。

 

「そういう所が青臭い」

「え……?」

「ふふっ。出迎えに来て上げたの。御兄さんが心配していたからねぇ。……怪しい気配、感じる?」

 

 哀れむ冷たい声音がしたような気がして、直後に姫は呑気に入鹿に問い掛ける。嫌そうに眉をひそめて周囲を見渡す。

 

「……さてな。急に臭くて騒がしくなったもんで分からなくなりましたよ。連中が来る直前は遠くに気配がしたような気もないですけどね」

「それは結構」

 

 態とらしく鼻を腕で押さえながら、一応の敬語で渋々と答える入鹿。そんな入鹿の態度を路傍の石かのように軽く流してクルリと背を向ける歌舞いた姫君。艶のある微笑を浮かべて流し目を客人らに向ける。

 

「北京街も物騒になって来たでしょ?不安よねぇ?早く行きましょ。御茶と菓子、御兄さんも交えて皆で楽しみましょうな?」

 

 善意なのか悪意なのか知れぬ提案をする忍鴦姫の姿は、鈴音から見ても悔しい程に妖艶で麗しく思えて……。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

「雑人共、炊き出しの用意は出来ているか?」

「勿論で御座います。十分に、十分以上に炊き出しておりますれば不足して醜態を晒す事はありませぬ」

 

 中年過ぎの雑人衆の頭が恭しく応じる。折角暴挙に近い手段を取ったのだ。ここで食い溢れた貧民共が不満を爆発させて狼藉に及べば忽ち此度の宣伝は恥となるだろう。残飯が山のように残るつもりで飯の用意は出来ていた。

 

「薬師衆はどうか?」

「一族に仕える者は無論、市井の者も呼び寄せました。人手も体力も、薬も十分。御安心下さいませ」

 

 小太りの仏顔の典医は応じた。病に怪我に、多くの患者が押し寄せる事だろう。外京のヤブ医者ではない。正式な医者から真っ当な薬を貰うなぞ彼らの金では本来不可能。殺到するのは確実であった。このために前日から皆には英気を養わせていた。

 

「警備の者、いざと言う時には頼む」

「ははっ!お任せあれ姫様!」

「承知致しました」

 

 最後に頼むのは棍棒や薙刀を手にした屋敷に仕える力自慢の男手組、そして祓護民衆の兵共である。此度の客人共は素行が信用出来ぬ。いざと言う時のために監視と鎮圧のために彼らの動員が必要であった。

 

「うむ。……期待しておるぞ?」

「……姫様、片意地を張る必要は御座いませぬ。いざとなれば責を負うのは我ら故、決して姫様の名に傷が付くような真似はありませぬ。どうぞ御安心下され」

 

 家老たる老人が屋敷の上座に君臨する姫君を宥める。そうだ。姫君をだ。

 

 まだまだ幼さを色濃く残す娘であった。十五にはなっていないだろう。髪を纏めて上げている故に額が広く見える。気の強さを感じさせる吊り上がった目元。白い肌。全体として整った風貌は、しかし箱入り感は否めない。その身に纏う気品ある着物は、しかし箱入り娘の姫が幾枚にも重ねる単ではなかった。水干、あるいは巫女のそれに近いだろう。

 

 敢えて豪勢な着物を着込まぬのは反発を買わぬためだった。寧ろ民草に親しみを与える必要があった。他の家の姫君のように御簾の内より扇で命じてお情けを与えてやる訳にはいかなかった。公家筆頭家の一つとして、人徳の家として必要な行いだった。

 

 部屋にて参列する屋敷に仕える者達の多くが哀れむ。何と辛い事であろうかと。本来ならばあのような賎しい者共が同じ場所、同じ空気を吸う事すら考えられぬ。それを分不相応な施しに加えてその姿を見せて宣撫する必要すらあろうとは……。

 

「御当主様も何と酷な事を……屋敷の敷地を跨がらせるだけでも仰天物でありましょうに。姫様のお姿を下衆共に見せつけるなどと……!」

「良い。全ては御家のため。御当主様……御祖父様のためです。きっと我々には秤知れぬ思慮があるのでしょう。なれば、我々はそれに従うのみ」

 

 背筋を伸ばして、細身の薄い身体を精一杯威風堂々と魅せるために胸を張って、彼女は宣言して見せた。左大臣百夜院継道の孫娘、百夜院の水松姫。此度の施しにおける、当主の若き代役……。

 

「姫様……」

 

 その健気な姿に、当主たる祖父を信じて尽くす様に一層仕人共は感嘆して頬を濡らす。両親を物心着く前に喪い仁大臣の職責故に中々祖父にも甘える暇のなかった姫の気丈な振る舞い。幼き頃よりその成長を見続けて来たからこそ御家のために身を粉にするその姿に打ち震える。

 

「御覚悟結構。しかしながら此度来客する連中は獣手でありますれば決して油断せぬよう。姫様とは生まれも育ちも違いますれば如何なる道理で害を為さんとするか図れませぬ」

 

 皆が感動する中で冷や水を浴びせるように淡々と意見するのは祓護民衆であった。彼ら彼女らの瞳には他の者達程に陶酔はなく、殆どの者が覚めていた。その心中にあるのは自分達の責とならぬように如何に姫君の安全を確保するか、それのみであった。

 

 

「……っ!!であるか。その心意気が良し。して、どうするか?」

「僭越ながら我らより近習をお出ししたい。連中の内に霊力持ちや呪い師が含まれていた場合には……屋敷の男手では手に余りまする」

 

 一瞬怖じけたようにも見えた姫の問い掛けに年長の衆の者が即答で応じた。ちらりと一拍置いて頼りなきと屋敷の男達を切って捨てる。それは否定出来ぬ事実であった。鎧を着込むでなく、日頃から厳しい教練もしていない護身術程度の者達である。一瞬の油断が姫の安否に関わるとなれば万全を期するべきだろう。

 

「……余り屈強な者を侍らせくはない。臆病と思われる。それに嘆願する民草に圧を与える事になるだろう?」

「我等の中には女性もおります。警護に相応しき者を二名程選抜しましょう。如何でしょうか?」

 

 衆の代表としての提案に家老達を見やる姫。渋々ながら彼らは同意した。

 

「情けなき事ではありますが……何よりも大事なのは姫様の御身の無事。ここはどうぞお受け下さいませ」

「万一の事態だけは避けねばなりませぬ。いざと言う時は我等一同腹を切る覚悟。お頼み申し上げます」

「そうか……うむ。そうか。分かった。頼もう。そのように語るからには既に選抜は出来ているであろうな?」

「無論。此方に……」

 

 そして祓護民衆の内より二名、恭しく前に出て膝を着き姫に頭を垂れる。彼女はその若さに内心で驚いた。今更のような気もするが姫は彼ら彼女ら一人一人まで把握はしていなかったのだ。片方、確かこの娘はこの前論功のあった新入りであったか……?

 

「……名を聞いても?」

「はいっ。鬼月家家人扱より出向致しました、蛍夜環と申します!!」 

 

 少年然とした雰囲気も醸した若々しい刀士は緊張に覚悟を秘めた表情で以て旺盛に名乗りを挙げた……。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーー

「南土三邦の海坊主の件は未だ引き摺る様子。残党を恐れた船乗り共のせいで海運と漁業に未だに支障が出ております」

「同地域の辺地では原因不明の熱病も流行しているという話もあります。感染の確認出来る地域は隔離して理究衆及び典医寮よりて人員を派遣するべきかと」

「西土で静かなのは豊葦邦一帯くらいのもの。他の地域は大なり小なり妖の被害が例年以上に報告されておます。赤穂と相生両家の者が走り回って対処している様子です」

「北土の蝦夷共の動きが活性化しているとか。氷海邦よりの渡嶋の湊を蝦夷の軍勢が攻め立てたのだとか。撃退したものの交易は困難だと……」

「辺地に派遣した軍勢の進捗は芳しくありませぬ。損失を恐れて慎重に進んでいるとの事ですが、今の状況では財政への負担が積み上がるとなると……」

 

 宮中を歩む老紳士に向けて、扶桑国が最高権力者の一人たる百夜院の当主に向けて、取り巻き達は次々と報告を伝えて行く。余りの勢い故に語る彼らの声音が重なる事すら珍しくなかった。

 

「どうやっても手が足りぬ。西土は赤穂、相生両家に支えて貰うしかあるまい。上洛の要請は正式に下げる事としよう。北土については温厚に対応するしかあるまい。決して先方に刺激を与えぬようにせよと伝えよう」

 

 丁寧に一つ一つの報告に判断を下していく左大臣。消極的な所があれど泰然とした態度は見る者の動揺を落ち着かせて安心させる所であった。

 

「河童の巣穴に向けて派遣した討伐隊については今後も連絡を密にするようにと伝えよ。慎重に、時と費えについて気にする事はないとも」

「しかし大臣……」

「無理はさせられぬ」

 

 遠方への大軍の派遣、継続的な補給は物流網が各所で支障を来たす中で大きな負担であったが左大臣の命もまた尤もであった。皆が渋々と納得する。

 

「やはり人手不足故に後手に回りますな。都の要員をもっと動かせれば良いのですが……」

「詮無き事を言うでない。右大臣殿の首を縦に振らせるのは容易ではない」

 

 取り巻きの家臣達が嘆く。右大臣の強い進言故に地方から上洛を名目に多数の退魔士と武士を留め置き、それらの再分配もまた遅々として進んでいなかった。辺境は中央から戦力を抜かれた状態で次々と巻き起こる災害に病災、そして妖害への対応を迫られていた。

 

「やはり右大臣殿への直訴が必要ですかな……」

 

 彼らに同情し、同調するかのように左大臣はぼやく。宮中の空気に合わせるように誘導をしていく。皆に押されて已む無く動くかのように装っていく……。

 

「おおっ、これは左大臣殿!!いやぁ、また見事な御手前で御座いますな?」

「…………」

 

 それはまるで見透かしたかのような皺嗄れた声音であった。表面に穏やかな表情を上塗って振り向く。己以上に年老いたようにも見える老貴人が見事な羽毛の外套を纏い、杖をして佇んでいた。

 

「これはこれは鴇柄の御隠居殿。それは……天狗の羽衣ですかな?噂には聞き及んでおりましたが実に雅なものでありますな」

 

 前中納言にして鴇柄家当主であった老貴人。鴇柄増道を見て呼び掛けに応じるのではなく、それを口にしたのは極々自然な流れなように場にいた他の者達には思えた。それ程までに羽衣の外套は素晴らしかったのだ。

 

 防刃にして防弾。防呪にして防火。水に強く、虫に強く、魂を護り、風を操り空を飛翔する事すら可能であると伝わるそれは市場でも、豪商に命じても滅多に手に入る事のない。単なる権勢を見せつける以上の価値を持つ、退魔士家ですら代々当主に継承されよう外套……鴇柄増道が引退前の最後の仕事に置いて化外の鳥共から贈呈された礼物たる宝具にして呪具。世間ではそのように謳われる。目にした途端に感嘆の言葉を口にするのは寧ろ当然であった。

 

「ほほほほ。そうでしょうとも。いやはや、毎度の事ながらそのように皆に褒め称えられると嬉しくも無図痒さを感じますなぁ」

 

 あからさまに喜ばしさを表す老貴人の姿に、左大臣を取り巻く者達は苦笑する。身を引いて役務がない立場で宮城を、内裏を徘徊してその外套を見せびらかす光景はもう何日も前から噂になっていた。内心で呆れつつも仕方ないなと皆が思っていたのだ。引退したとは言え多大な功ありて高貴な身でもある。羽衣を自慢する振る舞いは年甲斐もなく子供らしくもあったが微笑ましくもあった。何よりも噂に聞くその見事な衣の艶の前では多少の面倒さにも寛容になれた。眼福とは正しくこの事である。

 

 そのように話題を逸らして……そして、忘れる事を老公家は許さない。

 

「おおっと。話が逸れましたな。そうでしたそうでした。……噂になっておりますぞ?北京都での事は」

「もうですかな?また随分と早い」

「噂話とは面白可笑しく、あっという間に知れ渡るものですからな」

 

 すっ惚けたような他人事染みた物言い。齢に勝てず幾らか抜けた歯並びを見せて微笑む元中納言。取り巻き達の殆どは困惑して、事を知る同僚に耳打ちされて驚愕と共に納得する。左大臣の強かな政略を知る。

 

「大臣がここに居る、となれば屋敷を取り仕切るのは他の者ですかな?」

「えぇ。孫娘に一切を任せております。なぁに、部下共に実務は任せておりますから大した事はありませんよ」

「蘭姫様ですかな?これはまた随分と手厳しいですな。仁大臣らしくもない」

 

 脳裏にその姿を思い起こしたように顎に手をやり考え耽り、意地悪げに問いかける。

 

「だからこそです。許嫁の事を思えば寧ろ民草の覚え目出度い方が良いでしょう。夫の至らぬ所を支え補うが妻の役目です」

「その謀大臣殿は此度の所業、憤慨しましょうな。神聖なる内京に下賤の者共を練り歩かせるとは何事であろうか」

「右大臣の座にある者の悪い癖です。理に傾き過ぎて信仁徳を疎かにし過ぎます。誰もが、万事が理と利と数で動く筈もなし。そして過ち反省するならば若い時に限るもの……違いますかな?」

「はははは。私のような者には到底否定出来ませんな!」

 

 若き日に都を騒がせた我儘姫の、やはり無茶で我儘な求めに応じようとした貴公子達の一人であった老人は指摘を恥じるではなく朗らかに笑い飛ばすばかりであった。陽性の気持ちの良い笑いであった。当てられたように左大臣の取り巻き達も小さく笑う。

 

「ふむ……ふむ……。姫の御涙で嘆願して渋々と折れる謀大臣殿ですか。確かに良き題材。彼の御仁は少々切れ過ぎて世間では敬遠されがちではありますからな」

「決して冷徹無慈悲ではなく、温かな血も通っている……そう世間に知らしめる事もまた民心の治める一手でありましょう。彼の方針では地方の信望は離れるばかり。この後の治の負債となりかねませぬ。恩義よりも恨みこそ人は覚えているものですからな」

 

 実感籠るかのような饒舌さすら感じる物言いに、元中納言は目元を細めた。口元を小さく釣り上げる。

 

「まるで実感籠った御言葉ですな?」

「私も人の子でありますからな。特に未熟な若者の頃となれば」

「ほほぉ。……もしやと思いますが色恋の類いですかな?」

「はははは。さてさてどうでしょうかな?」

 

 破顔したように笑って見せた大臣。そして一礼。

 

「右大臣にはどうぞ良しなにと御伝え下さいませ。後日孫娘の元に訪問して頂けるならば家を挙げて、誠心誠意歓待致しましょう。それと……」

 

 一旦話を切って、左大臣継道は改めて鴇柄の老人を見据えた。心中を見透かして覗きこむような眼差し。そして、続ける。

 

「例え理に適うものであろうとも、道義に悖る政はこれを正すのが我等が役目で御座います。その事は御仁にも重々承知して頂きたいものですな。誰一人として、軽んじられて良い民草なぞおらぬのですから」

 

 仏を彷彿させる微笑にて、何処までも慈愛を以ての宣言。そして警告であった。謀に対する、介入の宣告……。

 

「……ほほほほ。いや全く、流石人徳の御方ですな。誠に見事な心構え。感服致しますのぉ」

 

 欠片も動揺もなく老貴人は宣って見せた。鈍く陽気に振る舞った。典型的な道楽に耽る老い先短い老公家らしい態度であった。

 

「その心持、まるで菩薩。その分なれば引退しても剃髪して仏門に帰依する必要も無さそうですな、羨ましい!」

 

 心底心底感服したような笑顔で何度も納得したように頷く元中納言。

 

「それは結構。……申し訳ないが次の仕事がありましてな。そろそろ失礼しても宜しいですかな?」

「おおっ、此れは失礼を。いやぁ困りましたな。お役目を解かれてから余計駄弁る事ばかり長くなってしまう。いや困った困った!」

 

 そして一礼して鴇柄の老人は踵を返す。満足とばかりにご機嫌に練り歩き去り行く。左大臣はその背を暫し見据えて、再び取り巻き共と歩み始めて……。

 

「そうでした。左大臣殿!」

「……何か?」

 

 先程よりずっと距離が離れた遠くからの呼び掛けに左大臣は振り返る事なく問う。変わらぬ穏やかな口調にて問う。

 

「近頃、大臣殿は新たな退魔士を召し上げられたのでしたかな?確か、北土の蛍夜という郷の出身でありましたか?」

「……それが何か?」

「いえ、奇遇と思いましてなぁ。丁度我が家にて御父君を泊まらせておりましての。折角ですので暇な時にでも家族水入らずに過ごさせてやりたいと思ってましての」

「……何ですと?」

 

 其処で漸く左大臣は首を背後に向けていた。僅かに強張る表情を傍らの祐筆だけが気付いていた。微かに、口元を愉快そうに釣り上げていた。

 

「郷にて召上げている用心棒が亥角の縁者であるそうでしてな。先日の暗摩では世話になったのでその誼に。旅先にて途方に暮れているのを見つけて世話を焼かせて頂いておるのですよ」

 

 十薬での事件が如何なる過程を経てか誤って伝わり、慌てて娘の安否を案じて上洛せんとした郷主。向かう途上で誤解は解けたものの世間では各所における妖騒動の不安と動揺から渋滞し、慌てての外出もあって金子は不足、行くも帰るも出来ずに待ちぼうけてしまったのだとか。其処に起きた妖の襲来、そして邂逅。

 

「いや良かった!隠居がてらの旅先での事でしたからなぁ。折角なので護衛共を嗾けて競争させて、そんな拍子に出くわしたのです。これは仏の導きに違いないと思いましてな!老人の長話に付き合って貰いながら泊まらせておる次第なのですよ!」

 

 何度も愉快そうに笑いながら、年寄の道楽とばかりに語る元中納言。

 

「……左様で」

「ははは、そうですとも!まぁ、それはそうとこの御時世故仕方ありませぬが先走って誤報を伝えるのは宜しくありませんなぁ。困ったものです。幸運がなければどうなっていた事か」

 

 やれやれと首を振って嘆息。深く深く天を仰ぐ。そして大臣に願う。

 

「大臣殿、私はもうお役目御免故、代わりに陰陽寮の者らに強く注意をお願いして宜しいですかな?とこのような連絡の失態が度重なっては皆が困りますからなぁ!!」

 

 破顔したように笑顔での要請。無礼の気はあるが元より破天荒気味な御仁である。最早職を降りて、何よりも年長者であった。故に誰も非難しべき機を失っていて……。

 

「……左大臣殿」

「……気が緩んでおるのかも知れませんな。確かに、高位の者が喚起せねばならぬかも知れませぬ」

 

 祐筆の、分を少々逸脱した催促に遅れて反応する継道。左大臣らしくない精細の欠けた反応であったように他の者には思えた。  

 

「ではでは、改めて失礼をば?」

「……」

 

 悠々と背を向けて一方的に立ち去る老人。身動きせず沈黙する大臣の雰囲気に、取り巻き達は暫し何も呼び掛ける事が出来ずにいた……。

 

 

 

 

「やれやれ、冷や汗が出るの。……これで良いのかな?」

『然り。御協力感謝致しますぞ?今度ともこの調子でお頼み申しまする』

「隠居した老人を鉄火場に放り投げてくれよって。素晴らしい友な事よの……」

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