和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第二一九話

 公に向け開かれた百夜院家邸宅における貧者救済の施しは盛大にして順風、そして順調と言えた。

 

 訪れた民草は入れ替わり立ち替わり、合わせて千を超えるだろう。苦界に喘ぐそれらの要望に十分に答えられるだけの備えは幸いにも用意されていた。 

 

 屋敷の雅な庭園の趣をブチ壊すように大鍋が軒を連ねていた。白米に根菜と葉菜を混ぜ込んで生姜と大蒜を刻み混ぜ、玉子でまろやかに味を整えた雑炊が椀にたっぷりと掬われる。あるいは具材をたっぷりと入れた汁物が用意され、幼児には慰めのために菓子が与えられた。

 

 病に、あるいは呪いに苦しむ者達のために正規の典医と薬師、呪師達が触診し祈祷し、薬を処していく。人を集めて手当の仕方、病への向かい方を講釈し、手術を必要とする者は別室に運び入れて泊まらせて、後日に執り行う。

 

 裏手では湯浴びの場を用意してやった。襤褸に替わり新たな着物を用意してやった。護符を与えてやった。持ち帰りのために干物や干飯までもが配給される。生まれ変わったかのように清潔な身形になった彼ら彼女らは帰り際には幾度となく涙を流して大臣家の厚意に礼を述べる。

 

 直訴と嘆願の列が屋敷正殿前に並んでいた。悲壮で悲惨な者達が現れたその高貴な姿に恐れ多く頭を垂れる。正殿正面の上座の御簾にて君臨する姫君に、深く土下座する。

 

「お、おぉ……ひ、姫様。何卒お願い申し上げまする……どうぞ我等の願い、御聞き下されますよぅ……」

 

 御簾の内から薄らと見える面影のみで、それですら一目見て身分が隔絶しているのを分からされた老人が声音を哀れな程に震わせる。圧を感じた。存在の大きさを感じた。そのように元より演出されていた。権威を飾り、畏怖を見つけるために屋敷の上座の諸々の人と物の配置は計算されていた。支配階層に受け継がれる民草を圧倒するための細やかな知恵である。

 

「……面を上げよ」

 

 それは神仏の宣告のように思われた。空気を反響させるような鈴の音の如く麗しい呼び掛け。皆がそれに恭しく従う。それを見て苦笑したように笑みを漏らして、先程より幾分か優しい声音で以て姫は語り掛ける。

 

「臆する事はない。元よりお前達の陳情を聞き入れるために場を設けているのだ。余程の無礼なければ罰する事はない。心安らかにせよ」

 

 そして御簾が上げられた。その内に隠されていた姫の姿が晒される。一生に一度あるかないかと思える機会に立ち会った事に、そして姫の姿が明瞭となった事で皆のどよめきが響く。

 

 ……其処には垢なぞ欠片もこびりついていない。白い肌は強い日射しも凍てつく寒風も知らぬのだろう。何処までも潤い柔らかそうに見えた。髪は丁寧に整えられて艶が出ている。虱も蚤も、雲脂すらも到底あり得ない。絹を仕立てられた着物は百夜院の基準で言えば粗末であるが彼らの麻の襤褸に比べるべきではなかった。その身からは華のように心地の良い香りが醸し出されている。誰もが生きている世界が違うと想い知らされた。極楽浄土の天女を思わせた。

 

 ……そのように日頃より身の手入れに余念なく、化粧と装飾には力を入れていた。その効果は抜群であった。鋭く装った眼差しで民を射貫く。そして更なる機先を制する。

 

「さぁ、語り聞かせるが良い。それが百夜院と朝廷の役目よ」 

「は、ははぁ……!!」

 

 慈愛を取り繕い宣告すれば、畏れ多いとばかりに皆が自主的に頭を再度垂れる。そして一人一人と、彼ら彼女らは内なる訴えを口にしていく。どうしてこのような身に墜ちたのかを。妖に災害、疫病に盗賊、呪い、理不尽の数々……それらを開示して陳述していく。

 

「役人は皆の動きが悪う御座います。幾ら嘆願しても事態は変わりませなんだ」

「どうして朝廷の皆様は対処をして下されぬのか。都にはこれ程までに士も米もあるというのに」

「右大臣様が討伐に反対しているという噂は本当なので御座いますか?事実とすれば余りに御無体!」

 

 最初は恐る恐ると、しかし不満が漏れて恨み辛みが吐き出されるのは致し方なき話であった。姫は内心で幾分かの不満を抱いたがそれは表には出さぬ。民に仁と信と徳で接する事が百夜院であるのだから。

 

 不安を抱き、言を否定出来ぬ事もまた理由ではあった……。

 

「……皆の不安は良く理解した。然るべき事案については対処していこう」

 

 そして家中の者達に一つ一つ、嘆願者達の前で指示を出していく。口だけの憐れみではなく、直ぐに対応を命じる光景は実に心強いものであった。しかし、学があれば察するだろう。それらの指示があくまでも表面的で場当たり的で、何処までいっても百夜院の権限の及ぶ範囲のものに過ぎぬ事を。扶桑という国家単位での責任と権限によるものではない事を。

 

 水松姫は姫君でしかない。朝廷において実権ある役職も位階も有していない。何処までいっても名門百夜院の、そして左大臣たる祖父の付属品なのだ。だからこその限界。そしてどこからといってなにもせぬではそれこそ百夜院と朝廷の権威を傷つける。だからこそこのような対応となる。元より分かり切っていた予定調和であった。

 

 尤もそれが百夜院である。百夜院の。左大臣位の御役目であった。民草は移り気で短気で、短絡で無責任だ。魑魅魍魎共が巣食うこの世にて、政は常に冷酷で冷淡な選択を迫られる。しかしだからといって切り捨てられる者が納得出来る訳ではない。己が切り捨てられる訳でなければ幾らでも嬉し涙もでよう……朝廷の施策を常にそのように論う者はいるものだ。だからこそ左大臣位を背負う百夜院は宣撫せねばならぬ。仁義を、信義を、徳義を見せつけねばならぬ。民の朝廷への信望を繋ぐ事、それこそが百夜院の建国以来の役目。そのための権勢……。

 

「……此度は良き語らいが出来た。礼を言おう。案ずる事はない。帝も、朝廷も、常に民草の事を見ておる。目の行き届かぬ所あれど、それは信用して欲しい」

「は、ははぁ……!!」

 

 頃合いを見ての締め括り。厳かな手向けの言葉に恐縮に恐縮に、土下座して感謝の感嘆を漏らす陳情者達。納得して安心して退く彼ら彼女らの背中を見届けて姫は気付かれぬように安堵の嘆息。汚く臭く惨めで哀れな者達と共にいるのは中々に緊張して恐怖して疲弊する所であった。皆の向ける頼るような眼差しに気負い重荷になる。流石に陳情の内容を忘れて、応急処置的対応に誤魔化す事に罪悪感を抱かぬ訳ではなかった。

 

「姫様……」

「麗しい姫君よ。お初に御目にかかります。拙僧の名は弰剴と申しまする」

 

 傍らから呼び掛け。そちらに振り返ろうとして……それを遮るようにして正面からその名乗りが発された。無意識に向き直る百夜院の姫。

 

 そして彼女は視線を交えたのだ。沼に沈む蛙のように濁り暗い眼差しと……。

 

 

 

 

 

 

 それは明白に不意打ちであった。陳情を受けて疲弊していた姫の心の隙を明らかに狙うものであった。加えるならば周囲に控えていた家中の相談役達が座を離れた所を狙いすましていた。姫は存在に気付き正面を向く。其処には隠しても隠し切れぬ動揺が見えた。それら全てを理解して、薄汚くも色白い宣言者は影にて口元を緩まる。姫君の底を知る。

 

「常日頃は外京にて民草に法施を施しておりまする。……百夜院の姫君よ、この度は民に対する仁愛に満ちた施しを頂けた事、誠に深く感謝致しますぞ。御仏もその功徳、決して忘れる事はありますまい」

 

 僧は深く深く頭を垂れて上座に控える姫を讃え敬った。肌の白い僧侶であった。線の細い美麗な顔立ちに不似合いな襤褸の僧衣。鋭い視線には、しかし何処か泥のような粘り気もあるように感じられる。その口上は尊大で軽薄さを感じる口調にも思えたが……相手は外京にて民草の心安めるために説法する僧なれば、水松姫は礼節を以てそれに応じる他ない。悪評を広められては堪らない。

 

「そのように評して頂けるのでしたならばこのような場を設けた甲斐がありましょう。百夜院は仁愛の家。その仁愛は常にあらゆる民草に注がれている。その事を世間に改めて知らしめる事が出来たのでしたら、御当主様も満足でありましょう」

 

 淡々とした振る舞い、威厳ある態度を心掛けて、まだまだ幼さの残る姫は動揺と緊張を圧し殺し語った。己が百夜院、扶桑の名門公家の代表である自覚の為せる業であった。

 

「御当主……姫君の祖父様で御座いますね?して、左大臣継道殿は何処に?」

「……それを聞く理由は何か?」

 

 僧の求めに、僅かに無礼を感じて姫は追及した。再度深く頭を下げて襤褸着の僧は語る。

 

「僭越ながら左大臣殿は信仰篤き御方と聞きまする。然るに……」

「つまり……布施か、寄進かの求めと?」 

 

 その先を遮るように姫は語った。同時に胡乱な目を眼前の粗末な出で立ちの僧に向ける。

 

 まぁ想定の内ではある。扶桑でも五指に入る権勢を誇る百夜院を頼む僧に神職なぞ幾らでもいる。大寺に所属していないのだろう。遊行僧……否、私度僧の類いやも知れぬ。何とも嘘臭い。生臭坊主の類いではあるまいか?

 

「……民草のため働く徳僧を助けるのは仁の家としては吝かではない。しかし物事には順序というものがある」

 

 周囲には相談出来る者はいない。護衛や女中に相談するものではない。そのような情けなき事は出来ない。故に、自身で判断してこの者を追い散らす事とする。

 

「教えを受けた師と、修行を受けた寺を申し出よ。そちらを通じて弰剴殿へ……」

「そうではありませぬ。姫様」

 

 まともに大寺に所属していないだろうと見越して布施の名義を盾にせんと説明するのを遮る僧侶。無礼な横槍に怪訝に首を傾げた姫に向け、僧は悪びれる事もなく更に続ける。

 

「そうではないのです。姫君。そのような細事のためではない……私はこの仁の家のため、姫様のため、ひいては朝廷のためにと思いお声掛けをしているのです」

 

 慇懃に、そして故に無礼であった。己を高く見せつけるような尊大な物言いであった。水松姫は僧の態度に流石に反発を抱く。

 

「それは……出仕したいと?」 

「見た所、姫様は大分心労がある様子。深き悩みに苛まれているとお見受けします」

「……っ!!?」

 

 半ば問い掛けを無視する見透かすような物言いに絶句して、動揺した。己の体面が上手く出来てなかったのかと不安となる。其処に更に僧が騙り語る。

 

「おお、やはり。……仁の家、百夜院の家名はやはり重きものでありますかな?その重責を背負い、家の名に恥じぬ者として振る舞うのは実に実に大変な事でありましょう。そうでしょうとも!!」

 

 それは確かに姫の内心の一角であった。軽薄な僧はそれに寄り添うかのような物言い。だが……この程度の事、少し想像を働かせる事が出来れば誰にでも分かる事ではあるまいか?何を畏れる必要があろうか?

 

「ふむふむ、許婚殿との関係にも悩みが御座いますな?如何に振る舞うか、応対するか、仁の家の者としてそれに苦慮している……そうでありましょう?」

「それ、は……!!?」

 

 今度こそ驚愕する姫君。図星であった。仁徳信を常に振る舞いに求められる百夜院の姫にとって、いやだからこそ、その殿方との関係性は誠に悩ましきものであったのだ。それを……どうして!?

 

 ……それもまた考えれば決して想定は難しきものではなかった。女の悩みを常日頃から聞き集めていれば、姫の立ち振舞いを観察していれば、鋭き者は嗅ぎ付ける事は不可能ではない。其処にまで想像が働かぬのはそれだけ姫が悩んでいた証明であり、だからこそ警戒する余裕も打ち砕かれてしまう。

 

 箱入り故の弱点であった。水松姫は決して心強き者ではない。皆が慮り扱うためにこのような手合いへの耐性は低かった。

 

「私は幼き頃より稀なる法力を備え、それを鍛え、民草を導いて来ました」

 

 ゆっくりと僧は迫る。語りながら当然のように無礼を働く。

 

「と、とま……」

「多くの民草の悩みを聞き受けて、解き放ち、体だけでなく、心の病より解放して来ました……!」

 

 制止の言葉に被せるように僧は更に口走る。歩みは小走りとなっていた。砂利を踏み荒らして、みるみる内に距離が詰まって行く……。

 

「え、えっと……!?」

 

 晒け出される動揺。露呈する虚飾の泰然。姿勢が崩れて仰け反る水松姫。それを機と見たように上座に迫り来ようとする僧。押せば折れる。その弱い精神を見切って……。

 

「姫の御前であります。どうぞ御下がりを」

 

 僧が正殿正面の階の一段目を踏み出そうとした刹那、その眼前を影が遮った。

 

「退け女よ。拙僧は姫君に要件がある。賎しき身で邪魔立ては許さぬぞ!」

 

 殆ど条件反射で罵倒して、遅れて僧はその姿に目を見開いた。

 

 とても背丈の高い女であった。上の階に佇んでいるとは言え、思わず首を大きく上げねばならぬ程であった。のっぽとでも言うべきか。肉付き良く、身体の均整は取れていた。長身なのだ。大柄な笠を被っている。それが一層見た目を大柄に見せた。笠の下の影よりて、雑に伸びた髪の隙間より垂れ下がり気味の半眼で以て僧侶を見下す……。

 

「許されなくて結構。……我々のお役目は百夜院の、姫君の身の安全を約するものなれば。僧の御方、恐縮なれどもどうぞここはお控え下さいませ?」

 

 言葉は丁寧なれど形ばかりで己への敬意が籠っていない事を弰剴は即座に見抜いた。見下している。恥辱に憤慨、女の背後を見る。気付けば侍るように控えていた麗人の刀士が姫を支えて介護していた。動揺する姫に言葉を掛けている。絶好の機会は失われようとしていた。

 

「ぐっ……!」

「お控え下さいますね?」

 

 先程以上に圧のある声音であった。目の前の大女の先程と変わらぬ表情での要請。……否、それは牽制であり警告であった。

 

「……っ!!?」

 

 破戒僧は硬直していた。身動きしない。身動き出来ない。それを感じ取っていた。背後に複数の気配。獣の気配。獣の吐息。獣の唸り。異能の殺傷範囲。周囲の喧騒が遠くに思えて来る。それ程までの、緊迫……!!

 

「……」

 

 僧侶は大女に目配せする。視線だけで語り合う。一歩、二歩と震えながら下がる。それに合わせるように背後の殺気もまた退いていく。三歩目にはその気配は霧散していた。少なくとも、見掛けでは。

 

「……これは失礼を。迷える者を目にすると僧としての宿痾からか、救世せんと必死になってしまう所がありましてな。まだまだ未熟、お恥ずかしい限りで御座います」

 

 辛うじての取り繕いであった。喧騒が戻って来ていた。殆どの者は事態に気付けていないようであった。皆、施される飯に、服に、薬に夢中であった。

 

「……」

「姫様」

「っ!こほんっ!下がるが良い!」

 

 刀士の護衛に促されての姫の命に、僧は渋々礼をして下がる。背を向けて遠退く様を凝視して、いきなり引き返して来ぬかと内心怯えながら見送る……。

 

「……姫様。お疲れ様で御座います。御茶でも御飲みになられますか?」

「え?あ、……うむ。貰おう」

 

 幸いにも僧が完全に見えなくなって、其処に傍らに控えていた護衛からの呼び掛けに緊張し切っていた気が抜けた。そして提案に思い出すように感じた。渇きを。

 

 結界により適温に誘導されている内京内と言えども、夏はやはり暑さを感じるものでそれこそが趣でもあった。意識すれば口元も、喉も酷く乾いていた。慰めるためには潤いが必要だった。

 

「では、此方を」

 

 予め女中にでも命じて用意していたのだろう。刻を経て温めとなった茶。護衛はそれを小皿に少し移して己が飲む。毒味であった。味を認める様が何処か色気があった。美少年にも見える麗人然とした風貌故であろう。

 

「……問題ありません。どうぞ」

「有り難う」

 

 改めてお出しされる湯呑を呷る。茶の苦味と旨味が身に沁みて心を落ち着かせてくれた。

 

「ふぅ……その、助かりました」

 

 麗人の刀士を見て、姫は礼を述べる。

 

 美少年にも見えた相手は、しかし良く見ればやはり己と同じ少女であると体型から分かる。尊敬する祖父が呼び寄せて来た少女刀士……。

 

(最初は、少し残念にも思いましたが……)

 

 茶を啜りながら姫は思う。祖父が鬼月よりこの女刀士を引き抜いて来たと聞いた時、彼女が期待したのはその一の姫君であったからだ。宮中の儀式にてその舞いを見た、凛々しく可憐な黒髪の美女……それは場に出席した者達の心を良く魅了した。男だけでなく、女すらも。

 

 否、二の姫については寧ろ余りにも牝らしく、橘家の令嬢に近いという話もあったから、姫君達の間では余り人気はなくてその分一層心を掴んだかも知れない。血の半分が賎しいとも聞いたがそれを考慮しても姫達にとって鬼月の一の姫、雛姫の姿は誠に素敵だったのだ。中には彼女が当主の座を捨てるならば己が召し上げたいと願った姫達もいるのだとか。水松姫も、話を最初聞いた時にはもしやと思ったもので故に勝手に期待して勝手に失望してしまった所がある。

 

 だがそれも……。

 

「良く護衛として働いてくれました。……そちらも。陰獄家の者、でしたね?勿論報酬は用意しましょう」

 

 年上の刀士を上の立場よりて讃えて、序でじっと見てくる背丈の高い彼女の同業者にも呼び掛ける。「んっ」と端的な返答を返す笠女。仏頂面であるがそれを咎めはしない。祖父は働きあれば礼節を其処まで拘る事はなかった。それが大器であると。それに倣う事とする。それよりも、此方の刀士だ。

 

「蛍夜の……環殿、ですね?何か。欲しい物は?御近付きの証として、友として何か贈って上げましょう?」

「姫様の……ですか?」

「百夜院ではなくて、なのが不満で?」

 

 困惑気味の刀士の表情に、その意図を察して先に指摘する。無言の反応は肯定を意味している。

 

「この程度は元より護衛の役目の内、褒美を与える程のものではない……と言ったら不満で?」

「にも関わらず礼を?」

「要は面子の問題なのです。……あの程度の小物相手に怖じけた等と公にしたくはない。ですが、謝意を示さぬのもまた百夜院の家訓に反する事になります」

「だからあくまでも、姫様の私的な贈り物という事なのですか……」

 

 其処まで説明する必要があるのも刀士が面子に疎い証明であった。説明してやっても尚しっくり来ないという環の有り様は殊更姫には珍妙に思えた。 

 

「また随分と平和呆け……蛍夜郷はそれ程に平穏なので?御家騒動は世の常の筈だが家中も円満と?」

「そう……なんだと思います。どうも郷の外とは感覚が違っていまして……今でも差異に困惑する事ばかりです」

 

 それはもう心から悩むように蛍夜の刀士は、蛍夜環は呟く。垢抜けぬぎこちない様からして嘘を言ってないのは一目瞭然だ。

 

 化物の骸を肴に祓護民衆に迎え入れられた時には恐ろしい戦闘狂にも見えたものであるが……護衛としてこの短い付き合いのみでその純朴さをまざまざと見せ付けられたら印象は変わって来るし、百夜院の姫はそれをとても好ましくも感じていた。このような者の方が却って気を楽に接する事が出来るように思えたのだ。

 

「そうですか。家族仲が良い事、民草との関係が円満なのも良き事です。蛍夜一族は扶桑の郷司家の模範と言えましょう」

「恐縮です……」

 

 本当に恐縮していた。同時に姫君の称賛の声に環は誇りを抱いた。家族が讃えられる事は名誉であるのだから。……そう、例え血が繋がらぬ家族であろうとも。

 

「家族仲といえば……姫様は左大臣様を大変尊敬しているように見えました。祖父、なのですよね?」

「えぇ。両親は幼い頃に……祖母も早逝してしまい、一番身近な血の繋がる身内は祖父だったのです。良き、善き祖父でした。私が最も尊崇する御方でもあります」

 

 思い返すように水松姫は語る。その微笑は決して外向けの取り繕ったものではない。純粋な本心であった。身分故に数多の悪意に晒される幼子を守り慈しみ、立派な姫君に育て上げたのは間違いなく恩義に値した。水松姫は祖父に確かな親愛と信愛を抱いていた。

 

「確かに……公明正大で、信義に厚く、とても賢き御方だと思います。僕も大変恩義があります。厳格でありながら柔軟で、今の扶桑に真に必要な人物かと存じます」

 

 そして環は屋敷の庭を一瞥する。飯を貰い、手当をして貰い、風呂に入り、新しい服を着て、まるで生まれ変わったかのように心機一転する民の姿。それは環が求めて期待して、幾度も幻へと消えてしまった理想の光景だった。心温まる、優しさに満ちた情景……。

 

「……贈り物について、また考えて貰っても?建前だけでなく、私個人としても、本心より貴女を気に入りました。其処まで純粋に祖父を賛じてくれる方は珍しいから」

「は、はい……是非に」

「ふふっ。どのようなものが来るのか、楽しみにするとしよう」

 

 話を戻しての願いに、慌てて我に返って承知。とは言え環からすればいきなり贈り物言われた所で思い付くものはないのが現実だった。

 

 ……否。願いはある。求めるものはある。しかし、それはこの姫君に求めるのは筋違いであったろう。友からの贈り物と思えば猶の事だ。相応しくない。そうなれば環の求めたい物はやはりぎゅっと減ってしまう。己の想像力の浅さを嘆く。

 

(かといって要らないというのも無礼だろうしなぁ……)

 

 護衛としての警戒を務めながらウンウンと姫に気づかれぬように悩む環。因みにもう一人の護衛役の同僚がジト目で見ている事には気付いていなかった。ちゃんと仕事しろ、という視線であった。

 

(そうだ。どうせなら……)

 

 悩んで悩んで……そして、ふとそれを思い出した環。そのまま口元を綻ばせる。良き願いだと思った。その願いは己のためではなかったが、己のためであった。実に実に、蛍夜環らしい願いであった。

 

(……今は護衛のお役目だね)

 

 しかしながら今の為すべき事を自覚して、遅ればせながら身を引き締め直す環。彼女は時と場合を理解していた。今すぐ急ぐべき事でもなかった故でもあった。己を引き上げてくれた百夜院の家の顔に泥を塗ってはならない。何よりも、今は民草への施しこそが一番ではないか。

 

 ……それは蛍夜環という善性を捨てきれぬ少女らしい判断だった。それは正に讃えられるべき高徳であった。そして、だからといってそれが良き結果に至る訳ではなかった。

 

 それはどの道の話ではあった。ここで無理に御願いをしようと何ら結果が変わる事ではなかった。全ては予定調和に仕組まれていた。何も何も、変わらない。

 

 それでも、彼女はこの時の選択を酷く後悔する事になるのだ。

 

 己の、取り返しようのない罪に苛まれる事になるのだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーー

 人がひっきりなしに行き交う北京都の大門、其処を警備する衛士達はその常軌を逸した様子に困惑し、思わずたじろいだ。

 

 元より左大臣の企てにより都に相応しくない不埒者共が大挙して出入りしてしまい非常に不快であったが、その者の異様さはまた異彩を放っていた。

 

「おのれ……ふざけよってからに……私は……痴れ者共め……邪魔を……仏敵めが……」

 

 ブツブツブツブツと、みすぼらしい僧が大門を出ていく様を衛士に官吏達は遠目に蔑み見やる。明らかに異常者であった。延々と虚空に独り言をほざく様は、その見開かれた眼もあって尋常ではなかった。その妙に整った美貌、白い肌が猶更それを際立たせているように見える。不釣り合い具合見る者に異物感を抱かせるのだ。

 

 弰剴と自称するこの男、実の所僧侶とは名ばかりであった。仏の教えを齧りながら、それから最も遠くにある人物であった。

 

 ……ある意味ではあり来たりな話ではあった。辺地に生まれた霊力持ちの少年はそれ故に皆に疎まれて面倒事をおしつけるように寺に預けられた。帰る場所もなき美少年が稚児として不徳の奉仕をする身の上となる事もまた物珍しき事ではない。しかしながら、この男の精神は実に逞しいものがあった。

 

 神酒と語り名酒を呷る様を、托鉢の三浄と称して山海の珍味を食らう様を、悪霊を祓う儀式と称して密室で女とまぐわう様、美少年に高徳の秘蹟を授ける様、それらを目にした少年の心中に芽生えたのは嫌悪ではなく憧憬であった。

 

 権力と富に対する憧憬だ。酒池肉林を、屁理屈を弄して肯定して見せる様。傍若無人の正当化。それは正に力であった。己もまたあのように成り上がりたいとすら思った。それは薬粥を啜った後に豚のような住職に乗り掛かられても同様だった。寧ろ、己を磨き上げて一層多くの寵愛を得んとした程だった。時には祈祷に来た老婆の相手とてした。二人三人を同時に相手もした。老若男女問わず、その褥の内で猫撫で声で甘えて、己の地位を幾人に約束させた事か。立場は盤石、その筈であったのだ。

 

 ……刻とは残酷なものだ。成長して妖精の如き面は堅く骨張る。男らしく変遷する身体。声変わり。避けられぬ変貌。何よりも新たに迎え入れた新人が彼の人生計画を狂わせた。

 

 美少年だった。誰よりも美少年だった。実に美しい童であった。全てを諦めた虚ろな瞳すらも魅惑的だった。薄い衣を金細工で飾った華奢な身体、艶かしい躍りに舞い散る汗の粒すら極上の甘露だった。たった一度の舞いで、その新人はあっという間に高僧達を魅了してしまった。雄共の寵愛は一斉に。砂糖に群がる蟻の大群のようであった。

 

 嘗て深き仲となった高僧共の掌返しは凄まじきものであった。受戒会の参列を約束した者達はそれを違えた。師としての後ろ盾の役も、寺院の後継、荘園の相続権も、約束は全てが反故にされた。それらは二回りも年下の稚児に与えられた。誰もがその少年に夢中だった。群がっては少年の耳元で御褒美を約束する。栄光を確約する。少年を振り向かせて、その笑顔を見ようとして、我先にと競い合う。

 

 納得出来る訳がなかった。これでは何のための努力であったのか?直訴すれば折檻された。嘗て己を貫いた住職は己を殴り、そして稚児を背より抱き締めてその頬を削り舐める。そして底冷えするような優しい声音で約束するのだ。嘗て己にした約束を。それ以上のものを。稚児が欠片も喜ばぬ事が一層憎らしかった。

 

 疎まれた故に、面倒がられた故に、何よりも自分達が寵愛する少年の身を案じて、嘗て稚児であった若僧は流された。他流派との交流を名目に辺境の古寺に追いやられた。その流派が己が知るものとは欠片も違い貧乏臭くて、暑苦しくて、荒々しくて、何よりも妖相手に挑むような修行を行う時代錯誤で時代遅れの苦行を行っているのが論外だった。派遣から逃亡まで僅か十日である。

 

 風の噂では嘗ていた寺では刃傷沙汰が起きたと聞く。その原因となった稚児は何処ぞに追い出されたとも、寺の高僧が揃って追放されたとも聞く。今となってはどうでも良い事である。最早正規の僧として成り上がるのは不可能であった。かといってこのまま流れの法師となる事も、還俗する事も認める事は出来なかった。己は……このような所で終わる男ではない……!

 

 手はあった。己が稚児時代から磨いて来た美貌は、話術は、所作振る舞いは、手練手管は未だ無学の輩には通用する。言葉で、教えで、知識で、そして快楽で、愚民共を煽動して先導するのだ。

 

 知だけではない。暴とて嗜む。元より霊力持ちの身。其処らの連中よりは腕に自信があった。逃げ出した古寺から駄賃代わりに持ち逃げした呪具もあった。それが己に力を与えてくれた。

 

 そして何よりも……。

 

『振られちゃったか?逆玉は失敗か。残念だったね?』

『ザンネンダッタ!ザンネンダッタ!』

 

 薄汚い外京都の路地裏にまで来た所で一人と一匹の声がした。僧擬きの男は不愉快げに振り向く。長屋の影から進み出る軽薄げな青年に、その肩に乗りギョロリと無機質な眼孔で睨みつけて来る怪鳥……己への協力者の、その遣い。周囲の気配は他になかった。人払いの結界が張られていたのを弰剴は知っている。知っていてこの路地裏に来たのだから。

 

 さて先ずは、こやつらに言うべき事から言わねばならぬ。

 

「……導師殿には何も伝える必要はないぞ。あの程度の小娘、堕とす手段は幾らでもある。まだまだ、これからよ!」

 

 流れの法師として行き先行き先を食い物にして去り行って来た中で巡り合う事になった同業者。その先達。己よりも卓越して狡猾なその技量に感服して男は弟子として仕えた。仕えて、その技を盗まんとして、多くのおこぼれを預かって来た。そんな導師の企て、野望、願望……それがこの稚児上がりが都にまで上がって薄汚い外京で民草を集め先導して、姫君に迫った理由であった。

 

 残念ながら心身を絡め捕り取り入る事には失敗してしまったが。

 

『安心しろよ。導師様はもう把握してるって。そんで別に御叱りもねぇよ』

「流石導師殿、お耳が早い。では貴様がここに来た訳は……そういう事だな?」

 

 弰剴にとって目の前の男は使い走り。それが己の失敗を把握した導師が遣わしたのだとすればそれが意味する所は一つである。

 

「このまま計画は次に移行。儀式の用意をしろとよ。俺はその手伝い……まぁ護衛という訳だな。嫌だね、鉄火場は」

『イヤダイヤダハタラキタクナイ!!』

 

 肩を竦めて心底面倒がる使い走りに呼応して怪鳥が人の言葉を真似る。果たして何処までその意味を理解しているのやら。煩い馬鹿鳥だと侮蔑する僧崩れ。

 

「所詮学もなく、暴以外の得手もなき貴様にはお似合いよ。精々我らのおこぼれで我慢する事だな。俺と導師が成ればその分旨味をくれてやる」

『葉菜の切れ端みたいな、か?』

「国の旨味よ。切れ端如きでも凡夫には十分だろうて。相応しき器なければ身を滅ぼすもの、分を弁える事だな」

 

 高慢に傲慢に鼻で嗤う僧崩れの元稚児。その様は己の才を、己の価値を欠片も疑っていないようであった。

 

 向上心が強く自惚れが強く、自己愛に満ちて多少の才はあれどそれだけの事……また随分と都合の良い物を見つけて育てたものだと内心で舌を巻く神威。毎度の事ながらその場その場で必要な要素のある人物をどうして事前に見つけて育てて誼を結んで用意出来るのだろうか?

 

(ま、こいつを馬鹿にしてる俺も師からすれば似たようなものなのかね?)

 

 多分自分はこいつの次くらいには馬鹿認定されているのだろうなと思いつつ、神威はそれを表に出さずに話を進める。

 

『あっそ。それなりに期待しておくさ。……そうだ。ほれよ』

 

 そして師より命じられていたそれを放り投げた。舌打ちしながら僧崩れは虚空を舞うその小物を素早く受け止めるとじっくりと検分する。

 

「導師殿からのものか……おぉ、これはまさか!」

 

 先程までとは打って変わって大いに驚嘆する色白男。それは一見すれば単なる掌程の大きさの点鬼簿に過ぎない。しかし……それは単なる法具なぞではなかった。

 

 手の内のそれはとある大寺にて封印されていた忌むべき呪具である。噂には聞いていたがよもや本当に実在……否、紛失していたとは。

 

『もう中身は埋めてるからそのまま使えるとよ。と言ってももう何枚も残っていないけどな』

 

 神威の言う通り残る項は両の手で足りる枚数でしかない。己が盗み出した呪具と合わせればあっという間に使い切ってしまうだろう。構わない。企てには十分である。それにしても……。

 

「ふふふふ。ここまで貴重な呪具を授けられるとは。やはりそれだけ導師殿は俺を買っているという事か。……良いだろう、ならばそれに似合う働きをしてやろうじゃないか?」

 

 少なくとも己を使うだけ使って放り捨てた僧共よりは遥かに良い。あの導師は少なくとも手伝えば見返りは寄越してくれるし、必要な道具は揃えてくれる。信頼している訳ではないが過去の実績が信用に値していた。よもやこれだけ下拵えして途中で放り投げて逃げる事はあるまい……弰剴はそのように判断した。

 

 ……導師を装う亡霊からすれば彼に見せた手札なぞ掃いて捨てる程度の物でしかない事を想像すら出来なかった。演技を、演出を、その観察眼で以てしても見切れなかった。年季が違っていた。

 

「ククククッ……今から心踊るものだなぁ!連中の必死な顔が思い浮かぶ!!」

 

 あの姫君が、あるいは己に敵意、軽蔑の視線を向けた護衛共、否、貧民共を連れて北京都を抜ける時に四方八方から向けられた貴人共の表情を思い浮かべて嘲笑する。楽しみだ。本当に楽しみであった。連中が己に頭を下げ、己を讃え、己に媚を売る様を見るのはそう遠い事ではない……それを男は信じていた。

 

「俺は……俺は、俺は勝つんだ!」

 

 そうだ。それこそ誰よりも高みに。全てを踏み台に。登り切る。己を食い潰した連中を。嘲った連中を。俺を蔑んだ他の稚児共を、偽善な僧共を、あの詰まらなそうな面をして寵愛されていた糞餓鬼すらも!全てを、見下してやるっ!!

 

「はっ!ははっ!!はははははっ!!」

『……人払いの結界は直ぐに切れるからな?』

『キレルキレル!スグキレル!!』

 

 仰け反るようにして一人高笑いする男にそう言い捨てて、元蝦夷の人妖は闇に消えていく。

 

『キレル!キレル!ツカイキリッ!!』

 

 ……使い走りの肩に乗り掛かる鸚鵡の反芻する声音が明瞭な嘲りを含んでいる事に、一人狂い嗤い続ける男は気付き得なかった。

 

 

 

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