和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 作:鉄鋼怪人
絶えず揺らぎ、捻れて、歪み続ける薄暗い視界の中で、それは繰り広げられた。
土竜の顔面を抉り潰した。迫り来る蜘蛛共を薙ぎ払い、千切り裂いて、切り捨てて、握り潰して、踏み殺した。止めどない激情を発散するように咆哮を洞窟の中で轟かせた。無限に反響する獣染みた己の絶叫。
身体が内からどんどん変質していくのを感じていた。筋肉が、細胞が、内臓が、骨が、身体を構成するあらゆるものが破壊されて分解されて、ドロドロに溶けてしまっては再結合していく。身体が作り替えられていく。名状し難い激痛が全身を全方向から襲い掛かり、それでも身体は思考を置いて人外染みた機動で動いていて、その事もまた異常だった。己の肉体と精神が人理から逸脱していっているのを証明していた。理性を押し退けて獣如き本能が身体を最適に突き動かしていく。
それは己が己で無くなっていく明瞭な予感だった。それへの恐怖が頭の中を詰め込めるように満たす。思考が怯える。溢れる惰弱な心情を、俺は鋭い爪と尾と共に振り払う。代わりのように侵食して来るのは圧倒的な暴気であった。
『さぁ殺しましょう?弱きを踏みにじり自然の競争に打ち勝つのです♪』
『さぁ支配しましょう?この群れと巣穴を貴方のものとするのです♪』
『さぁ喰らいましょう?弱肉を以て身を養う糧とするのです♪』
『さぁ犯しましょう?ひたすら種を蒔きその血統を繁栄させるのです♪』
『生の本懐を果たしましょう?さぁ♪さぁ♪私の声に従って、その本能に身を委ねるのですよぉ♪』
(こんチクショウ!!だ、まってろよぉ!!!!?)
それはまるで無数に耳元で囁かれるように。溢れ返って窒息すらしそうな欲望の濁流。地母神の洗脳染みた幻聴。自然の摂理。野生の論理。理性を墨汁で塗り潰さんとするそれを、しかし恐怖と違って完全に否定する訳には行かなかった。
向き合わなくてはならない。手綱を握らねばならない。荒々しい狂気を理性で以て繋ぎ止めて、しかし同時にこの衝動を御して眼前に向けて叩きつけねばならない。この暴こそが己の心を闘争へと仕向ける薪であった。狂暴な本能はしかし、守るためには確かにこの力が必要だったのだ。
……そうだ。守らなければならない。誰を?誰を?誰を……?落ち着け。分かってる。忘れるな。敵と味方を見間違えるな。誤るな。眼前の女はお前のその衝動を向けるべき相手じゃない。救い守る相手だぞ。
あぁ。確かに止めどなく涎が垂れて来るさ。手弱女は老いて尚瑞々しく、その身に染み込む霊気は芳醇だった。今すぐにでも組伏せたい。今すぐにでも喉が嗄れるまで祝を吐かせ続けたい。今すぐにその衣を毟り取りたいし、腰が壊れるまでよがり踊らせたい。その身に齧りついて、吸い立てて、啜り立てたい。その肚を捩じ伏せて己の所有物なのだと刻み付けたい。堕とし膨らませて隷巫女として侍らせ続けたい。……無限に欲望を掻き立てられる。何て罪な牝であった。罪深い。罰を与えねば……ふざけんな阿呆!!
『グッ、ウ"ォ"ォ"!!』
ちぃ!!?だから履き違えるな!己が何のために戦っているのかを忘れるな。護るのだ。この牝も、他の奴らも、護るのだ。そのためにこの力を振るっているのだろう?だから。だから……鎮まれ。鎮まってくれ。頼むよ、俺に、護るためにこの力を使わせてくれ……!!
「あっ………」
衝動との葛藤と衝突に身を打ち震わせて、発散するように熱を帯びた息を吐き唸らせたその刹那、眼前の若作りし過ぎた婆と視線が交差した。互いに、その瞳の奥に渦巻く情を混じ合わせる。
「……」
直後、此方の情を察したように身を震わせつつも視界に映る彼女は行動した。その手が差し出されるようにして此方へと伸ばされる。それはまるで親が児を招き、迎え入れんとばかりの振る舞いだった。
『ッ……!!』
その慈愛の行為に俺は一瞬だけ甘えたくなって、その極限まで張り詰めていた気を解いていた。そう。まるで、巫女に慰撫されて鎮まる荒御魂のように理性が表面化していく。
直後に、隙を狙っていたような猛烈な激痛が背後から腹を貫通した。そして、腹から突き出した芋虫が此方を見て嗤い掛けて来ていて……。
「ぶふぁ、!!?あぇ……ぁ……!!?」
悪寒が全身を襲った。遅れて気怠さが、関節の痛みが酷く脳に向けて悲鳴を叩きつけていた。瞳孔は光に慣れていないようで開く事は困難を極めた。四肢に力が入らない。地面に蹲るだけだった。五感の反応はずっと寝ていたかのように緩慢で、何ら役目を果たしてくれなかった。
「な、なひぃ、がぁ……!!??」
何が起きたのか?混乱に混沌する。直前までの記憶と今この瞬間の状況が繋がらない。結びつけられない。ゴッソリ記憶が抜け落ちてしまったかのようだった。
「し、……しりゅ……?」
最も最初に戻って来た感覚は触覚だった。己が恐らく裸で、そして全身粘度の強い汁まみれな事を理解出来た。遅れて生臭い独特の臭気を嗅覚で読み取る。まるで破水した腹から産まれて来たかのような酷い状態に思えた。更に混乱する。一体己はどうなってしまったのかと。
己は土竜か蜘蛛にでも丸呑みされて糞として排出でもされたのか?いや、どちらかと言えば吐き出されたのだろうか?デブ衛門辺りにでも腹パンされてゲロったのだろうか?あるいは己が不味くて食中毒にでもなったか。有り得そうだ……そんな発想が脳裏に過る。
……そうであったら。ある意味幸せであったろう。
「誕生日おめでとう」
パチパチパチと、漸く戻って来た聴覚が空虚な拍手の音を拾った。知らない声音が鼓膜を震わせた。
「……師匠殿。その言い方って正確なんですかね?誕生なんですか、これ」
「むっ。確かにそれもそうだね……これは失敗だった。折角格好つけて見たのに台無しだ」
遅れて、聞き覚えのあるような声音が意見して、それに知らない声音が素直に応じて思案するように唸る。訳が分からない。一体、何の話をしている?ここは何処だ?俺はどうなった?
胡蝶は?葉山は?白若丸は?白は?桔梗は?朝霧は?矢萩は?柏木は?他の連中は?あいつらは、どうなった?
皆は……どうなったんだ?
「安心しなさい。大半の者達は、無事あの一件を乗り越えて今も逞しく生きているよ。『君』のお陰でね?」
「っ……!!?」
まるで見透かすような応答に、俺は身震いして首を上げた。漸く光に慣れ始めた瞳を開いていく。そして理解したのだ。最悪の事態を。眼前にてしゃがみこんで此方を見下す見知らぬ男を、しかしその中身を一目で俺は見抜いていた。先方もまたそれを察して微笑む。まるで俎の上の魚を見るかのように。
終わった。全てが終わった。詰んだのを理解した。どうにもどうしようもなくなった。何もかも御破算になったのを、この瞬間に確信した。
「お、れはぁ……!!?」
「まぁまぁ落ち着いて。……取って食らおうって訳じゃないんだからね?折角知性があり言葉を使えるんだ。先ずは話を聴かないかな?」
どうしようもない絶望に悶え嗚咽する俺に、眼前の存在はそれはもう爽やかに微笑みかけて来る。実に空虚な慈愛の笑みだった。軽薄な亡霊は、そして一つの提案を嘯くのだ。
「君の大切な物達を守るための善意の提案を、ね……?」
それは余りにも一方的で、それでいて抗い難い悪魔の囁きで……。
俺はその吊るされた蜘蛛の糸の罠に、手を伸ばす事しか出来なくて……。
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「何が、善意だよ」
脳裏に焼き付く、あるいは魂の欠片に焼き付く記憶をふと思い返して冷笑する。俺であって俺でない記憶。『俺』が俺となった記憶。俺が屈伏した……恥じて忌むべき始まりの追憶。
だとしてもこんな末路はないだろうに……内心で思わず嘆息。そして間髪入れず背後から執拗に追尾していた式蝶を振り向き様に槍の穂先が引き裂いてやった。立ち拡がる鱗粉は絶対に吸わぬように袖で口と鼻を咄嗟に隠す。使役者を想定すれば何が混ざっているか知れたものではない。
「この、まま……っ!!」
そのまま監視を撒くように茂みを走り抜ける。隠行で足音を、足跡を消しながらの疾走の失踪。幾度もそれが来るのを空を幾度も仰ぎながら待ちかねる。
程無くそれはやって来た。月明かりを大雲が覆い隠していく。闇夜に浸される樹林の一角で遂に立ち止まって息を整える。息を潜める。風音が鳴る。気配を殺す。五感を総動員して周囲を感知する。
「……ぐっ!!?」
歯噛みは軋むような四肢の痛みに耐えるために。薬と加護と「祝」を得ても尚、無理矢理に身を動かすのは苦難に値した。苦悶の悲鳴を、噛み潰して呑み込む。
(どうして……どうして、こんな事、によぉっ!)
分かっている。分かっていた。覚悟していた。それでいても苛立つ。腹が立つ。理不尽に憤慨する。行き場のない怒り……いや、怒るべき相手が多過ぎて誰を憎めば良いのか分からぬというべきか。何にせよ、無益な感情だった。
あぁ。本当にどうしてこんな事になってしまったのだろう?どうして。どうして。俺は、唯……。
「っ!!もうかよっ!!?」
『こんばんわぁ』
此方の欺瞞なぞ無意味とばかりに早速看破された偽装と潜伏だった。殺気に寸前で身を翻していた。樹木を盾として刃を凌いだ。木屑が宙を舞う。幹を深く切り裂いていた。俺の首の高さだった。容赦ないと思った。
『私のお陰だよぉ』
……そして視界の端に目撃する。槍を横薙ぎに振るっていた黒装束を。俺よりも明白に良き装備。着のみ着ではない、実戦前提の身嗜み……全く、狡いなっ!だがっ!!!!
『上手い具合に拮抗しろー』
「隙ありぃぃ!!」
『うわー♪』
俺はそのままの姿勢で槍を突き出す。穂先が吸い込まれるように相手の心の臓に向かう。そして……荒縄に絡め取られる。
『たすかったぁ♪』
「何じゃそりゃあ!!?」
『良い子良い子ー』
『俺』の懐から飛び出したかと思えば蚯蚓染みて槍に巻き付いて来た縄。キツくキツく締め上げて来て、それにより刺突する勢いは殺された。それどころか此方を引っ張り上げようとまでして来る。
『ふぁいといっぱぁつ!』
「こっ、くっ……ぅ!!?」
『がんばえー』
手綱を引き合うような均衡は直ぐに崩れた。身体が浮かぶ。引き寄せられる。槍を手に、その間合いに入るのを待ち構える『俺』……。
『不運を此方に注ぐー』
「舐めるなぁ!!」
「っ!!?」
『ナニが出るかなー』
俺は腕を構えた。『俺』は俺故に理解しただろう。射線より退避せんとする。
『んー?』
「遅ぇよ!!」
「ちいぃっ!!?」
『わっわっわっ!』
直後、寝間着の下に隠すように腕に巻き付けていた爆薬が弾けて、無数の鉄片と鉛玉が超至近より『俺』に向けて降り注いだ……。
『ともべ・ふぇいす・しーるど!』
『危なかったぁ』
「懐かしい、とでもいうべきでしょうか?特製火薬を仕込んだ籠手ですか」
醜悪な自傷行為を囲んで距離を取り観察していた者の一人が語る。陰陽服の赤毛の少女であった。彼女は、松重牡丹は、それを本当に懐かしい光景だと思った。
鬼月の呪具師と共同して作ったという件のお手製火薬は普及している黒色火薬とは爆裂力が比べ物にならない。それを爆破と共に仕込んでいた金物を撒き散らすのは単純ながら実に効果的な仕様であった。
「にゃは。そうなんですか?私達が没収した時の装具にはあんなの無かったんですがー?」
横槍入れるように口を開いたのは十薬の女だった。蟷螂女は天真爛漫、興味津々とばかりに牡丹を見やる。牡丹にとって嫌な眼差しだった。
「……確かに、近頃は備えていませんでしたね」
牡丹は冷淡に答える。その理由は分かっていた。
お手製の特製火薬は呪具師の者との共同製作な上に爆発物である以上、維持管理に手間が掛かるものなのだろう。ましてや籠手に仕込むとなれば安易に生産出来るものではあるまい。一度使ったら同じ物を作るのに何れだけ費用と時間が掛かる事か。味方への誤射も恐ろしいだろう。
加えるならば、近頃は安易に妖化を多用する事甚だしくもあった。神蜘蛛の吸血により丸薬以外の手っ取り早い復帰方法を見出だせたからだろう。身体に無理をさせての妖化は、しかしその力を思えば小手先なんぞより魅力的で、乱用もしたくなるものだ。
「けど……あれは妖化せずにその小手先を使っている」
「……」
今一人の、十薬の人擬きは呟く。呟いて、牡丹を見る。その瞳が訴える所を察して、牡丹は淡々と応じる。
「えぇ。つまりはそういう事なのでしょう。……獅子舞さん。大丈夫ですか?」
「うぷっ……こんなの、大丈夫な訳ないじゃないの……!!」
牡丹の呼び掛けに、離れた場所で口元を押さえていた毛深い荒女は嫌悪感を吐露した。獅子舞麻美……そう仮称すべき式にとって、眼前で行われている戦いは果てしなく醜悪で残酷に思えた。吐き気すら込み上げていた。
「……まぁ、貴女の気持ちは理解しますよ」
「そちらの御方は……にゃはぁ。また面白い構造してそうですねぇー?」
獅子舞麻美の来歴を思えば当然だろうと横目にジロリと睨む牡丹は淡々と納得。一方かやは、顔を青くする獅子舞の身を両手を後ろに組んでジロジロ観察したかと思えば愉快そうに、興味深そうに笑う。知的好奇心を容赦なく晒し出す。
「……良くそんな軽い態度でいられるわね。話は聞いてるわよ?貴女達からしても決して愉快な惨状じゃあないでしょうに……!!」
十薬家等という退魔士家の二人の娘が真っ当に生まれた存在でない事を獅子舞は伝えられていた。当初は同じくまともな存在ではないものとしてある種の親近感すらあったのだが……あの男の、あの男同士の殺し合う様への余りにも平然とした反応を見るとそんなものは消し飛んでしまう。共感性が死んでいるのではないか?
「いやいやいや。別にそんな事ありませんよっ!可哀想だなーとは思いますよ?ただまぁ……それも銭の裏表、賽子の丁半みたいなものですし?運が無かったなーと」
「私とかや、それに貴女も幸運に選ばれた側。引け目を感じる事はない」
かやとはなは己が幸運に幸運を重ねた存在である事を知っていた。自分達が自分達として完成するまでに何れだけの失敗作が製造されたのかを知っている。安定的に量産出来るかの実験で肉塊や奇形に悶える己の様も目にしている。故にこういった光景は見慣れていた。喩えそれが「兄」であったとしても……二人はそれを素直に受容出来る感性があった。
「割り切り過ぎでしょ……」
「記録の問題もあるでしょうね。貴女と違ってそちらの二人は生前の記憶まで刻み付けてはいないでしょうから。その意味で共感しにくいのでしょう」
余りにもサッパリとした言い様に唖然とする獅子舞に向けて、牡丹が淡々と補足する。
表面的にでも生かすために間に合わせの転写重ねの結果その自己同一性に不安がある獅子舞と、明確に駒として割り切りしているように思われる十薬家の二人では根幹となる精神性が違う。あるいはかやとはなは自己意識の安定のために精神補強の調整がされているのかも知れない……松重の孫娘は祖父譲りの思考でそんな事を淡々と分析をする。
「まるで他人事みたいに……!」
「他人事ですからね。それとも、そんな形で意識が継続するのは不本意でしたか?」
「……ちっ。贅沢言えないのは分かってるわよ」
獅子舞自身、今の己が生きているのか生きている振りをしているのか、己が『獅子舞麻美』と言えるのかはっきりとは分からなかった。しかしながら生きている……ようにある程度自由な自己意識があるのはまだマシな筈だった。何はともあれ自己認識では自己意識を保存出来てるように感じられた。何よりも、もう己はあの塵屋敷の奴隷ではないのだから……。
「……それにしても、物好きよね」
嫌な過去を振り払い、獅子舞は今に立ち戻り指摘した。目の前の泥臭い泥沼の戦いを見やり評した。
「あんな事しなくても……折角こんな舞台整えたのなら皆で袋にすれば良いでしょうに」
何なら自分自身が参戦する必要すらないだろう。多勢に無勢だ。その方が早く蹴りが着く。寧ろ……都の者に気取られる危険を犯してこれだけ集めたのはそのためかと思ったのだが。
「生きるのが下手な男ですからね。そもそも合理的に生きていればあんな様にはなっていませんよ」
獅子舞の疑念き対して辛辣な松重の孫娘の論評であった。一切の間違いなく正論でもあった。非合理的な感傷、それがこの状況を形作っている……。
(躊躇でもすると思ったのですかね?)
他の連中ならばいざ知らず、己に向けても同じ評価であるとすれば心外だった。そんな詰まらぬ感情に流される程己は甘くない。
そうだ。要請してくれれば四肢を裂くくらい訳もない。散々に嬲り倒して半死半生に貶めるのも容易だ。妖化が可能なのか知れぬがそんな隙すら与えぬ。病を克服した今の己ならば、汁で以て力を向上させた全力でならば、それが出来ると牡丹は客観的に評価していた。事は一瞬で終わらせられよう。
「その後はどうするんですか?」
「……その後、ですか?」
好奇に満ちた表情で此方に問う十薬の蟷螂に牡丹は眉をひそめる。何を理解しかねてのものであった。
「にゃは。その後はその後ですよ!四肢もげたくらいだとアレ、死なないでしょう?」
「殺害ではなく、捕獲前提?理由は?」
「……」
かやが、そしてはなの疑問の問い掛けに対して牡丹は唖然としたように沈黙していた。己に唖然としていたのだ。指摘されて初めて気が付いたのだ。そうだ。何故己は「生かして捕らえる」事を前提としていた……?
自分は、何時からそんなに甘くなっていた……?
「……馬鹿馬鹿しい」
本当に本当に馬鹿馬鹿しい己の発想に、牡丹は己が頭を振って払い除けた。
……眼前で行われる醜悪な自傷行為は、尚も泥沼で終わる気配は見えそうになかった。
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「白破・空鳴響打!!」
それは赤穂流基礎九九技法、その内で大技に類する九破技の一つであった。衝撃が辺り一面を呑み込み、音が無限に反響したように空気を震わせる。
衝撃と震動で以て相手を打ち倒す刀技自体は赤穂流の基礎技法には幾つかあるがこれは特別であった。
第三代当主白黒斎が編み出したそれは己が赤子を妖により人質に取られた時に即興で編み出した名技であるという。唯の震動ではない。妖気と同調し、一際響き揺らがせて打ち砕く特殊な反響の波は人妖入り交じる最中においても有効この上なかった。蛍夜環はその神業を以て寺院に屯する何十という妖を、それも人に化けた者すら選別して破裂させたのだ。
「邪魔っ!!」
危険は排除した。操り人形の唯人が如何程のものか。亡者染みて尚も此方向けて襲い掛かる人集りを、まるで猫を思わせる疾風迅雷の疾走で以て抜けて行く。横合いから飛び込んで拳を振るって来た像を身を回転させながら刃で捻り裂いた。霊刀は環により、環は霊刀により、相乗して強化されていた。鋼の身体は粘土同然であった。
「……!!」
咄嗟に環は思い付いて実行する。物切りにされたそれを更に己の足場とした。跳ねて、蹴り飛ばして、一気に加速を付けて突貫する。反動で飛ばされた銅像の身体はひしゃげて土壁にぶちこまれた。
寺院本殿の桟唐戸を、環は空中で姿勢をくるりと回転して魅せて、飛び蹴りの姿勢で以て蹴飛ばしへし折り乱入する。
「武器を置いて!儀式を止めてお縄に付いて!このご家紋が目に入らないか!!っ……!!?」
羽織に縫われた百夜院家家紋を見せての宣告。相手が降参してくれるのを期待した淡い希望。しかし、状況は環の想定する斜め下であった。
皆倒れていた。皆枯れていた。木乃伊のように干からびていた。先ず生きていまい。
「あ、うぁ……?くっ!!?」
思わず唖然として、しかし直ぐに気を取り戻す。一瞬の油断が落命に繋がる事は散々思い知らされていた。だから前を見た。燃え盛る護摩焚きの、護摩壇の方角に何かを感じた。儀式の気配?誰かいるのか?今一度、何時でも刀撃出来る構えをしてゆっくりと歩み出して……。
「後ろっ!!?」
「うおっ!?怖っ!!?」
闇の中から背後より来ていた凶刃を、背後を振り向かずに防いだ。後ろに向けて刀を構え、見事に短刀を塞き止めた。見ずとも急所を守り切り、そして逆撃までして見せる。慌てて下手人は距離を取る。其処で環は漸く振り返る。
「お前は、あの時の……!!」
北土での、山姥の一件で出会した男の風貌に環は目を見開いて敵意を露にする。好意を向けられる筈もなかった。
あの戦いで何れだけの犠牲が出たのか。それに対して眼前の存在が如何に関与したのか。それこそ、目の前で実際に下人を、常盤を殺害した男である事を環は知っていた。
「怖い顔するなよ?折角美人な顔なのにさ?ほら、笑顔笑顔」
「黙れ、痴れ者め!!」
「残念。……朝敵だよっ!!」
「ふざけるなぁ!!」
人の命を余りにも軽く扱い、大逆の罪を余りにも嘯く男に、環は怒りを心頭させて突撃した。脚力を霊力で強化した上での赤穂流の脚運びによる飛躍的な加速、肉薄であった。下手人たる元蝦夷の怪物はそれに反応する事は出来なかった。胴体を一刀両断される。繋がるが。
まるで夢幻の如く、煙のように。真っ二つの身体は五体満足に。
「ちぃぃぃっ!!」
「それは此方の台詞なんだけどね!!?痛いんだけどぉ!!?」
分かっていた結果で、だからこそ環は過剰に加速しての一撃離脱をしていた。一刀両断したままそのまま突き抜けて相手の背後に回っていた。床に刀を突き立てる。急停止。刀の刃を軸にしての急停止の急回転。
「てぇ!!」
そのまま振り向き様に予備として懐に仕舞い込んでいた短刀を勢い良く投擲。風切音と共に神威の頭蓋に突っ込んで、そして闇の中へと消える。呑み込まれる。
「容赦な……!!「『風切』!!」ぐおっっ!!?」
仰け反った神威が言葉を放つ瞬間を狙った風撃は四撃。やはり頭を狙っていた。ザックリ斬られて、斬られて、斬られて、そして回復……。
(短刀は呑み込まれて消えた。霊刀は無事。霊力の膜で瞬間的な中和は可能。何度頭を潰しても死なない。意識による再生じゃない……!!)
床に突き立てた刀を見て、そして神威を見て、そして即座にそれが自動で発動する権能の類いであると結論付けた。
環の連撃は無意味なものではなく、相手の特性を把握するためのものであった。赤穂流の、師達の指導により彼女は戦闘の最中でも客観的な分析を行う技法を会得していた。
「可愛い顔して酷いっ……くっ!?つ!!?」
神威の発言を遮るように、刀を引き抜くと踵を返しての再度の果敢な突貫。その狙いは頭ではなく腕であった。相手の短刀に刃を叩きつける。刃を弾き捨てさせた。得物を奪い、そして環は刀で軌跡を描いた。途端に旋風を巻き起こして、神威の身が吹き飛ばされる!!
「がっ!!?はぁ!!?」
神威の悲鳴。風に弄ばれるようにグルグルと独楽のように荒々しく回転させられる神威。そのまま下手人の身は護摩壇の光すらも届かぬ寺院の奥の奥。真っ暗な部屋の片隅にへと追いやられてしまう。追いやられて……闇に溶け込む。
(どうだ……!?)
敵の潜む暗闇を睨み付けながら真剣に身構える環。物理的な刃の打撃は通らずとも、衝撃ならば通るらしい事は友の言から知っていた。実際に行って見てその事が良く分かった。これまでとは違う、余裕のない本物の苦悶の声音だったからだ。少なくとも今の攻撃は確実に効果はあった。演技ではない。
「……」
環は刀の切っ先を向けて闇の向こうからの反撃を警戒する。正面を見据えて身構えて、身構えて、身構えて……直後、死角から放たれた投擲を刀を振るい落として弾き落とす!!
「やっぱりっ!!」
弾き落とした短刀の、その意匠を確認して環はそれを確信した。影を裂いていた時にも違和感はあったのだ。下手人の影の違和感に。それは短刀の存在で明白となった。
「さっき弾いたのと同じ……!!」
全く以て同じだった。その刃の僅かな反り返りに汚れすらも瓜二つ。赤穂の師より学んだからこそ分かる、刀剣の差異を見抜いた。有り得ぬ事だった。弾いて、拾う暇すらなかった筈の短刀を男はまた持って投擲した。
「切り裂いた時から影の動きに違和感があると思ってた。影と同期させてるんだね?それに……他の中にも潜り込める。だから飛ばされた後死角に回り込めた」
何時しか弾いた短刀は煙のように消えていた。そして闇の中から現れた神威の手には全く同じ短刀……。
「そこまで見抜かれたか。中々の観察眼だね」
「入鹿から聞いた話も加味してのものだよ。勿論、こうして実際に自分で試して確認させて貰ったけどね」
「アイツの説明はザックリしてるからなぁ。雑な内容で分かりにくかったろ?」
神威の物言いに環は記憶を思い返す。山姥の一件の後に入鹿と、そして彼との情報共有。言いにくそうに過去の一端を語る友と、それを補助する黒装束の光景……。
「っ……!!入鹿が言ってたよ。ぶん殴り殺してやりたいってさ」
名状し難い苛立ちを八つ当てるように環は化物と化した男に吐き捨てる。そして続ける。
「降参して、お縄に付くんだ。さもなければ……斬り捨てる。仕組みが分かった以上、対策は出来る。もうお前は無敵じゃない」
警告であり宣告であった。実のある脅しであった。ここまでで環は、唯人ならば神威を何度も殺せていた。神威の権能故に叶わぬ事であったがその種が確信出来れば最早意味はない。赤穂流の技ならばこのような事態でも有効と言えるものが幾つか思い浮かべる事が出来た。次の一手で、神威は少なくとも四肢の一つは喪うであろう。それは願望でも予想でもない。事実である。
「出来るのかい?甘ちゃんの君に?」
警告への応答は、腕の切断だった。短刀を持つ利き手の断絶。直後の神威の絶叫。血が噴き出して、絶叫する。再生の気配はなかった。
「『目暗』。刀身で以て光を全方位に反射させる技だよ。辺り一面の影を瞬間的に消し去った。……やっぱり影がない瞬間に受けた傷は再生出来ないみたいだね?」
切断された手首を押さえて膝を着く神威を冷酷を装い見下す環。師達より学んでいた。敵の心の折り方を。どれ程残酷であろうと、命を取らぬためには止む得ぬ事がある。甘い振る舞いは却って敵の軽挙を招く。畏れで以て心をへし折る事は寧ろ救いである……環はそれを実践して見せた。
「ぐっ、はぁ……くぅぅぅっ!!?」
床にダラダラと血が溢れて池を形づくる。人であればとっくに痛みと貧血になっていたかも知れない。人を止めているからこそ神威は未だに明瞭とした意識があった。神威の師は彼の身体と精神に様々な備えを与えていた。師としての誓約への誠意であった。
「く、そぉ……!!本当に、容赦、ない!!」
「今一度言うよ。降伏しろ。洗いざらい、ここで何をやろうとしたのか誠心誠意吐くんだ。此方としては、最悪その頭の中だけあればいいんだよ?黙秘すれば殺されないと思うな」
神威の文句に、環は一方的に更に宣告する。最終警告だった。環は腹を括っていた。外の、そして寺院に転がる木乃伊の数々からして、何れだけの犠牲が生まれたのか環は理解していた。覚悟は決めている。己の甘さがより多くを死なせる。それは許される事ではなかった。十五歩は距離はあったが、環は数瞬の内に神威を殺害出来る体勢にあった。絶対的な優勢の状況……。
「はっ。ははは……」
「何を笑っている?」
……そんな環を見上げて、神威は小さく笑い声を漏らした。嘲笑だった。環は怪訝に眉をひそめる。違和感。こいつは、何かを企てている?いや。だとしても。
「……来たね」
環はその足音に蹴飛ばされた寺院の扉を瞬間だけ見やる。その人影は直ぐにやって来た。
「ちぃ!!?美味しい所を持っていってくれて!!」
「……そいつが主犯?」
環に続く形で突入した髢屋操媒と陰獄育魅の各々の言。一方は不満たらたらに、もう一方は手負いの神威を見て環に問う。そして油断なく周囲を警戒する。
「祓護民衆か……」
「他の仲間達もどんどん来るよ。奥の手があるのかも知れないけど、僕を殺せても逃げられると思うな」
「ぐっ"っ"っ""!!!?」
そして環は神威の左耳を斬り散らした。頬まで削れて血が辺りに飛び散る。再生しない。先程と同じだ。瞬間的に辺りの影を刀身の反射で照らして掻き消して権能を無力化した。
「新人」
「闇に注意して下さい。……お尋ね者です。この案件にも関与しているかと」
環の言き髢屋は陰獄と目配せして背後から神威に迫る。特に髢屋は霊縛捕縄を取り出していた。これで締め上げれば霊気だろうと妖気だろうと阻害される。人外人を捉えるには必須の装備だ。
「お前は其処で構えてなさい。何かあれば、分かってるわよね?」
「首を狙います」
「正解……!」
髢屋が要求。環が応じる。陰獄は一歩下がった位置から警戒。何かあれば即座に髢屋を支援出来た。三者共油断なく、痛みに悶え踞る神威を包囲する。逃げ場はなかった。
……そう。場にいる存在がこの四人だけであれば。
『頭が高いぞ。女郎共』
「え……」
突然響いた野太く渇いた声音。護摩焚きの明かりを隠す翳り。環は振り返り、漸くそれを認識した。身の丈にして一丈半はあろう人影。突如として現れたそれを唖然として、仰ぎ見る。
……その直後、環は尋常ではない轟音と共に吹き飛ばされていた。
「………っ"っ"っ"!"!"!"?"?"」
何をされたのか目視できてはいなかった。唯、鬼月の当主夫人との手合わせで覚えていた感覚が環に最善の選択肢を本能的に取らせていた。即ち、刀を構えての受け身。赤穂流の柔の刀反受術故に環は生きていた。
「な、何がぁ……!!?」
混乱。混乱。ただただ混乱の坩堝に環はあった。事態の理解は追い付かぬ。彼女が理解したのは今己は空中高くに回転して、全身に風を叩きつけられているという事。痺れる両腕に顔を歪め、ガタついた霊刀の有り様に驚愕し、そして……遠目にそれを見据えて息を呑む。
……遥か彼方。寺院の向拝一帯では粉塵が舞っていた。寺院の建材が木っ端微塵となり、地面すら抉れて飛び散っていたのだ。そして、そんな寺の奥よりてそれはゆっくりとその輪郭を浮かび上がらせる。
鋼の如き鈍色に染まった、筋骨隆々の皮膚だった。巨木のような豪腕は剛力である事が一目で分かる。火傷しそうな程なのだろう、全身に確かに蒸気を帯びていた。殆ど裸と言って差し支えない有り様で、何よりも……その髪の乱れた頭部に生えた一本の大角が環の視線を釘付けとする。
「鬼神……?」
それは灌頂の密法。促身促仏の秘術。数多が信者の生と欲を搾り取る事で成し得る、化外の奇蹟。
人工的に人の身の上を辞める、鬼化の禁術の産物だった……。