和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

245 / 255
 制作して頂けたファンアートの紹介です。

 此方は陸佐re大尉よりAIイラスト三点です。ふぅん。巨・貧・貧という事か。
・鬼月葵
https://www.pixiv.net/artworks/140224728
・赤穂紫
https://www.pixiv.net/artworks/140225287
・松重牡丹
https://www.pixiv.net/artworks/140226104

 此方はシンジさんより同じくAIイラスト、毬ちゃんです。
https://www.pixiv.net/artworks/140625288

 素晴らしい作品、誠に有難う御座います!


第二二四話●

 鬼月胡蝶はかつて身分違いの恋をした。分を弁えぬ愚かな恋をした。

 

 そして今もまた恋をしている。恋をして、愛している。愛に狂っている。

 

 良い歳をして恥ずかしいとは思っている。最早無垢の乙女でもない。愛していない男に輿入れして、その身を内まで犯されて、児を四人も産んで、今では上面ばかり若作りした婆だ。その事は弁えている。弁えても尚、この情愛の業火は消せやしない。過去に想いを断たれてしまったからこそ、余計に。

 

 運命なのだ。彼との巡り合わせはそうとしか思えなかった。天の御慈悲に違いなかった。彼を思わせる顔立ちに、彼を思い起こさせる人となり。そして彼とそのままの過ち……鬼月の愚かしさの、犠牲。胡蝶の忘れたい過去の愚行の再現。

 

 だけどもこの子は彼と違い生き残ってくれて、そして己は幼児の頃と違って力があって、なのにまだこの子は身を危険に晒されていて……それでも、この子は逞しかった。

 

 難事を乗り越えて、その度に牝を引っ掻けて、けどそれを羨ましいとも思った。それは過去の己が望んでいた光景だから。そして、己はその立場にはなれないとも思っていた。せめて、彼が幸せになれる事を手助けたいと思っていた。それで十分の筈だった。

 

 あの洞窟に囚われて、人を止めても己を助け出してくれて、年甲斐もなく二度目の恋に堕ちてしまった。あの日の続きのように思えた。それはこの青年があの人の末裔の女の肚から産まれ落ちたのだと知って確信に変わった。こんな偶然、偶然と流して良い筈がなかった。

 

 故に鬼月胡蝶は女になった。母を捨て、祖母を捨て、御意見番の立場すらも。そんなものは仮初めに過ぎない。何よりも彼女は「女」である事を優先した。愛する人を慕い焦がれて愚かに狂う。愛するために、愛されるためにあらゆるものを捨てるし犠牲とする。例外があるとすれば同じように奪われた最初の児を思わせる姫君くらいであろうか?あぁ、三人で家族を過ごしたい……。

 

 ……分かっている。分を弁えねばなるまい。社会的な立場のためにではない。年甲斐のためでもない。良識でもない。唯、彼のために分を弁えなければなるまい。

 

 中古品の老い耄れなぞ、誰が好き好もうか?家柄?血統?そんなもの孫娘が持っている。財?商家の令嬢の方が遥かに貢げよう。美?冗談だろう?雄は若く美しい牝を好むものであるし、そんなものを囲み揃えて好き勝手にしたがるものだ。彼のための楽園ならばとっくに用意されている。己なぞ出る幕はない。

 

 ……分かってる。だけども欲望には逆らえない。何とかしてその御慈悲の一滴でも媚び求めたい。黒蝶婦としての悪い噂でも聞いていたのか、彼は殊更に己を警戒していたから一層真摯に誠意を見せねばならなかった。胡蝶は彼の信頼と信用を得るためならば何でも出来た。

 

 それこそ最初に無様に兎博嬢の衣装に首輪を嵌めて、尻に張り型を捩じ込んだ様で彼に土下座した。拒絶を覚悟しての死装束だった。献じた彼への愛と覚悟を籠めた経は五十万字に達していた。全てを諳じる事が出来た。そしてそれ自体が誓約書であり、絶対遵守の誓約の祝でもあった。

 

 彼のために権利を捨てる事を誓った。鬼月家に有する一切合切の己の資産を彼に継承する事を誓った。己自身を含めて。この髪の一本すら、心すら、刻すらも、全て全て、彼だけのものだ。

 

 縁切りを誓った。家族の縁、一族への情、鬼月への帰属意識、全てを捨てる事を誓った。子や孫すらも命じられればその手に掛けよう。御家を滅ぼせと命じられれば全力でそれを行おう。

 

 分を弁える事を誓った。己の身と財の価値なぞ知れている。だから彼の一番なぞ求めない。有象無象の捌け口の一人で良かった。彼の礎で良かった。彼のためにこの身を売っても良い。罪を引き受けて首を打たれても良い。使い捨てる玩具のように雑に扱われても良い。他の牝と纏めて使われても、認知されなくても、堕ろさせられても受け入れる。受け入れて絶対の忠誠を誓おう。

 

 ……言葉だけでは信じられないだろう。誓約があっても不安だろう。だから刻む。己に刻み付ける。雄を雌に、雌を雄に変える事も出来るのだ。この身に誓約を刻み付ける程度なら難しくない。己の肚の内に刻み付けた。五十万字を刻み付けた。呪いに等しいそれは己の根源へと成り変わった。主従の逆転だ。己が誓約するのではない。誓約のために己がいるのだ。

 

 挙げ句にその全てを記録するのだ。転写した記憶を書に刻んだ。それらは彼自身と、孫娘と商家の令嬢に与えられた。裏切ればこの恥態を超えた惨状は公に、公となれば身の破滅だ。座敷牢送りなら幸い。間違いなく毒を呷る事を強いられよう。御家の恥だ。

 

 生殺与奪、現在、過去、未来、名誉も栄光も畏れも財も、家柄も、積み重ねて来た全てを、所有する全てを、本当に全てを捧げる宣言だ。これをただただ彼の信用を得るためだけに捧げた。これで己が彼の足下に侍り隷属する権利を頂けるならば格別だった。

 

 沈黙は恐ろしくて、今にも自刎してしまいたい程で、それでも死にそうな想いで彼女は待ち続けた。待って、待って、待ち焦がれた。願った。頭を踏みつけて求めを受諾してくれる事を……。

 

 身体を起こされて優しく抱かれて、耳元で囁かれて想いを受け入れられた時はもう洪水だった。そのまま甘えて絡まって、甘えん坊を演じたものだ。幼児のように甘えて、その後は夫婦のように手を絡めて睦言と共に、その後には逆に赤子のようにあやさせてくれた。最後には互いに獣になっていた。獣以下になっていた。それは奉仕だった。彼による己への奉仕。己の心の穴を埋めてくれた。気が済むまで埋めて詰めて注ぎ続けてくれた。全てを塗り潰してくれた。自分だけを見ろと怒鳴り付けてくれた。

 

 そうして彼の密かな婢として貰えたのだ。表裏の四八手なぞ一晩で経験済みだ。人ならざる姿でも肌を重ねて汁に漬物にされた。朝にはそのまま身体を洗うために姫君のように抱いて浴場に運んで貰った。お互いそのままの姿で、逞しい腕に抱かれて、謝意を込めてこの身を糠袋の代わりにして、湯女のように彼を清めた。共に湯に入り戯れて、抱いて貰い、寄り添い侍り、頭を撫でて吸わせさせた。

 

 勿論、その光景も孫娘に見せて書に記憶を記録させた。彼の顔と声だけは彼自身の安全のために伏せたが己はそんな修正もない。もう自分の全ては彼と彼に従う牝共の掌の上だ。何て甘美な事実であろうか?

 

 そうだ。全て捧げた。逃げ場は自ら断ち切った。全て覚悟していた。どんな汚れ仕事だってして見せる。どんなおぞましい任務だってして見せる。良識をどれだけ踏みにじるような行いでも、尊厳を溝に沈める行いでも、彼のためならば、彼の命令ならば、恋する乙女のように喜んで受け入れて、彼の足の裏を舐めて謝意を示す。使役して貰える事、利用して貰える事に最大限の感謝の意を捧げる。どうせ老いた身だ。一度きりの人生、残る命数思うままに使いたい。後悔はしたくない。後悔なんてしていない。

 

 だから此度も監視と包囲と人払いのために己を頼り連れ立って貰えた事が嬉しくて嬉しくて、その相手の存在が憎らしくて憎らしくて、己が直に手を下したいと思えるくらいの彼への侮辱だったから、彼の心労となる行為が忌まわしき妹と合わせてひたすらに腹ただしくて。

 

 だからこうして、まさに追い立てて追い詰めた男の様は良い気味で……。

 

「これは………流石に厳しいかねぇ?」

 

 その筈なのに……。

 

「どう……して………?」

「……?あぁ。御意見番、殿、ですかね?多分。はは、お元気そうで……何よりです」

 

 木の根元に背を乗せて座り込む彼が顔を上げる。認識阻害の効果を付与した外套を着込む鬼月胡蝶を見抜いた。

 

 酷い顔だ。蒼白く、痩せこけているように見えた。疲労もあろう。しかしそれ以上に血が足りていないのだろう。彼が押さえる横腹からは赤い染みが装束越しに拡がり続けていて、地面には壮絶な溜まり池を作り出していた。口元は小刻みに震えている。隠し切れぬ苦悶にどうしようもなく顔を歪めて、珠のような汗を額に浮かべていた。軽い物言いは虚勢の役割を果たしていなかった。

 

「……っ!!」

 

 彼女の脳裏に過るのは幼い記憶だった。あの人との別れの記憶。彼の妹を出汁にして、追跡者の下に向かう手負いの彼の姿。そして今を思う。比べ見る。これは酷い戯曲だった。己は仇役だ。あの女と同じ、愛する人を追い込む悪役の役目……。

 

「師匠……!」

「っ!!?」

 

 胡蝶の動揺に気付いたのだろう、傍らから弟子たる元稚児の非難がましい呼び掛け。我に返り、その叱咤に気を持ち直さんとする御意見番。だが、しかし……。

 

「そちらは……お前、白若丸、か?はっ、そうか。『俺』は上手くやったか。あの亡霊の……出任せじゃ、なかったか」

「……っ!?兄、きっ!!?え、これ、は……!」

 

 同じように外套で声も顔も認識出来ないだろうに、直ぐに彼は正体を見抜いて見せた。見抜かれるとは思えなかったのだろう、弟子の動揺は師以上だった。驚愕、そして怯え。困惑。混乱。そうして口から出る言葉は言い訳にもならぬ程にしどろもどろとなる……。

 

「…………」

 

 非難ではなく、同情の視線を胡蝶は向けていた。彼女には弟子の気持ちが酷いくらいに分かった。想定外だったのだ。ただ一言言葉を掛けられただけで分かった。偽物とたかを括っていたのだ。だが、これは。これは……どうしてこれを偽物と認識出来ようか?こんなの、どうして偽物と思う事が出来ようか?

 

 こんなの、まるで……待て。待て。待ちなさい!ふざけるなっ!!

 

「っ!!?まやかして、くれて……!!」

 

 思い込みそうになる己と、そこまでの出来に苛立ち歯噛む黒蝶婦。一体どうやってここまで模倣した偽物を用意したのか。一体どのような目的で誰が拵えたのか。愛する人は何も説明しない。このお役目に連れ出された時はそれでも良かった。彼の言われるがままにすれば良いと思っていた。盲目に従えば良いだけだと。それで良かった筈なのに……。

 

(なんて情けない話っ!!)

 

 頭で分かっていても、目の前の光景に胡蝶はどうしようもなく心を揺さぶられる。あぁ。せめて目の前の存在が所詮唯の物真似た代物に過ぎないのだと、今すぐ愛しい彼に断言して欲しかった。頬を叩き、髪を引き、叱責して命じて欲しかった。それさえしてくれれば、そうして、くれれば……!!

 

「……幾つか、聞いても?」

「黙りなさい!その喉を最初に切り裂くわよ……!!」

 

 彼の声音での呼び掛けに、恐怖が身を震わせて胡蝶は怒声を放っていた。圧するように汚く罵倒。背後に禍々しい獣の簡易式共を展開して殺伐として脅迫する。予感がした。これ以上話させてはならないと。これ以上は持たない事を。これ以上は、これ以上は……!!

 

「……」

「止めなさい!そんな目で、私を見るのは!!媚びるように惑わすのは!!お止めなさい……!!」

 

 何かを訴えるような眼差しに、胡蝶は続けて声を荒げて糾弾した。糾弾というには余りにも懇願にも聞こえた。彼と瓜二つのそれの眼差しは胡蝶の心を抉る。まるで、自分がとんでもない大罪を犯しているように思えてしまい……。

 

「止めなさいと、言ってるでしょうぉ!!!?」

「師匠っ!!?」

 

 尚も従わずに見つめ続ける彼の姿に、胡蝶は耐えきれずに無理矢理それを逸らさせた。侍る簡易式の一つが、山犬を模したそれが飛び掛かり瞳の持ち主の喉元を咥える。彼の首を無理矢理上に向かせて、喉仏に鋭い牙が当てられる。命令があれば式は即座に偽物の喉を食い破ってくれよう。

 

「はぁ、はぁ、……妙な動きはしないで頂戴。少しでも怪しい行動をすれば、その首を咬み千切る事になるのだから!!分かったぁ!!?」

「……ははっ。そんな必死な顔で言う事ですかね?」

 

 胡蝶の警告は、最早嘆願だった。そんな叫びを叩きつけられた彼はと言えば、喉元に食い付かれている状態で肩を竦めて苦笑する。己の状況を理解しているのだろうか?苛立ちすら胡蝶は覚える。

 

 そうだ。貴方は何時もそうだ。身の丈に合わぬものを背負い傷つき悶える。もっと弱く臆病でいてくれたら見ている此方も心を痛めずに済むのに。

 

 あぁ、だけどそんな貴方だから私の願いも聞いてくれて、そんな貴方だから私の無茶に付き合ってくれて……違う。違う!違う……!!

 

「……脅迫になりませんよ」

「あっ……」

 

 グサリと、喉元咥える式の首に突き刺される。折れた槍の穂先が突き立てられる。ビクリと痙攣する式は、しかし簡易式故に反射的に彼の喉を裂く事はない。そして胡蝶はその命令を下す事も、また……。

 

「あ、なた……」

「そんな必死に訴えられたら、はぁ、殺したくないって言ってるようなものでしょう?バレバレですよ……」

 

 溶けるように符に戻る式。いらりゆらりと足下に漂い落ちる。彼はゆっくりと立ち上がる。血が、噴き出すように溢れ出す。地面に落ちた符は瞬く間に真っ赤に染まり濡れてしまっていた……。

 

「っ!!?ま、待ちなさい!何処に行くつもり……!!?」

「何処って……はぁ、はぁ、逃げるんですけど?」

「逃げる……?逃げるって、どうして……?」

「貴女達に殺せる覚悟は、無いみたいですからね……?式遣いが、姿を見せるって、やる気ないって事でしょ?」

 

 そして苦笑。儚い苦笑。自嘲も含んだ苦笑……。

 

「『俺』の稼いだらしい好感度を盾にするようで、卑怯ですけどね。済みませんが、こんな性根なのが俺ですので。……ふぅ。まぁ、偽物風情とでも納得して恨んでおいて下さいよ」

「あ……」

 

 去り行こうとする彼が微かに振り向いて嘯いた。己の向かう先にどのような絶望が控えているのかを分かりきった者の台詞だった。そうだ、理不尽な死を前にして、尚もその一部である筈の相手への罪悪感を抱いた謝罪の言葉……。

 

 彼との別れの、最期の背とどうしようもなく被ってしまって……。

 

「駄目!!?行っちゃ、駄目よっ!!?」

「師匠ぉ!!?」

 

 弟子の制止も振り切って、胡蝶は駆け出していた。駆け出して、愛する人に背後から抱き着いていた。衝撃に呻き蹲る彼の、脇腹に手を添えて傷を押さえる……。

 

「駄目、駄目よ。そんな傷で行っちゃ駄目……手当てしないと。大丈夫、これくらい、私に任せてくれたら治せるから……」

「おいおいおい……冗談、だろ?」

 

 縋るようにブツブツと。殆ど独り言のように呟いて訴える。彼の困惑の声が聞こえた。当たり前の話だった。

 

 それは明白な裏切りの行い……。

 

「師匠?何言ってんだよっ!!?」 

 

 弟子が声を荒くして行為に反発する。道理である。しかしながら引き下がれない。胡蝶にとっても己の行為はまた道理だった。

 

「馬鹿おっしゃい!!彼を殺すつもり!!?」

「そいつは偽物だろうっ!!?」

「そんな訳がないでしょう!?その節穴でちゃんと見なさい!!」

「っ……!!?」

 

 鬼のような気迫痴話喧嘩染みた罵り合い。気圧されて、元稚児は抱かれる男を見る。外見ばかり似せただけの男を見て、此方を疲労困憊で見やる眼差しを直視して……。

 

「うっ……!!?」

 

 否定の言葉は喉につっかえる。本物じゃない筈なのに、拒絶も否定も憚られた。心が訴えるのだ。これが本物である事を。馬鹿な。そんなのあり得ない……!!

 

「そんなの……!?じゃああっちが偽物だって言うのかよ!?」

「そんな訳ないでしょう!!」

「じゃあどうなってるんだよ!?両方本物だってのかよ!!?訳分かんねぇよ!!?分け身か何かなのかよ!?だとしてもよ……!!?」

 

 本当に訳が分からなかった。白若丸だけでなく、胡蝶も分からなかった。理性と感情がぐちゃぐちゃだった。

 

「余り、騒いでくれんで貰えるか……?傷に、響くんだよ」

「……!!」

「……っ!?」

 

 ぜいぜいと死にそうな息遣いでの苦言に師弟して身震いして恐縮する。言い争う声音は即座に打ち止めして黙り込む。黙り込んで彼を見る。酷く酷く心配するように見やる。

 

「……式で運ぶわよ。安全な場所に連れて行くの」

「あ、ぅ、ぁ……」

 

 師の緊張し切った命令に、白若丸は最早声を荒げたりはしなかった。変わりに動揺し切って何も手付かずに、しかし言われるままに師を手伝おうとする。

 

 ……感情の赴くままのそれは、浅ましいまでに女の所業だった。

 

「阿呆共め……。何やってるんだよ。誰の味方だっ、が、ガッ、グゥォ!!?」

 

 馬鹿げた行いをせんとする二人を見て呆れ果てたように文句を言い掛けて、しかし造られた男はそれ以上は続かなかった。突如として苦悶に悶える。激しく苦しみ始める。

 

「貴方……!?」

「ふっ、ぐ、どけぇ!!?」

 

 胡蝶が悲鳴を上げて何等かの手当てせんとするのを彼は振りほどいた。押し退けて、立ち上がり駆け出す。駆け出そうとしてよろけて直ぐに膝を着く。横腹からは赤黒い内容物がはみ出てしまう有り様だった。口元からは血を吐き出していた。その状態で、手を振り回して胡蝶達がやって来るのを退ける。

 

「は、はぁ……"はははは、"何じゃこりゃ"よぉ!!?」

 

 ……そして振り回していた手が最早人の形から逸脱していて、彼は笑うしかなかった。皮膚が剥がれ落ちてるかのような血塗れの手。異様に太く、指が長く、爪は捻れていた。

 

「あ、あっ"!?"ア、ァ"ァ、"あ""ァァ""ァ"ア"ァッ!"!"!"?""?"""』

 

 そして頭の中に流れ込んで来たのは記憶であり情であった。激烈で激動な負の情だった。憤怒に恐怖、食欲に物欲、色欲、そして暴性の衝動。煩悩。断末魔の……絶望。それらをぐちゃぐちゃに砕いて汁にして、頭蓋に穴を開けられて直接注ぎ込まれているような感覚。まるで誰かの背負う筈の苦悩を、背負わされているかのような……?

 

『ア"ア"ア"ア"ア""ァ""ァ""ッ""!"!"!"?"?"』

 

 彼にそれ以上思考は出来なかった。目玉が飛び出しそうになって、喉の奥から人外染みた絶叫が鳴り響く。身体が半ばまで崩れて変質していく……。

 

「一体何がっ!!?」

「こ、これは、妖化!!?だけど、どうしてこんな……!!?」

 

 彼の妖化なら胡蝶は知っている。その条件もまた知っている。彼自身がそれを求めるか、あるいは極度に瀕死状態でなければそれは表面化する筈がなかった。なかった、筈。それが、何故……!?

 

 そんな事を胡蝶達が思っている間にも、目の前で彼女らの愛する人の、その偽物と思えない偽物が変貌していく。半端に悶えて中途半端に変貌していく。まるで鬼のように筋肉が盛り上がり、服が所々で裂け千切れる。目が正気と狂気の間で揺れていた。まるで奇形児のような、身体の傍らが異様に肥大化して傾いた惨状に成り果てていた。血の混ざった涙が止めどなく垂れ流れている。

 

『ァア、"ア、か"ァ"ッ"……ッ!!?』

 

 その瞳が胡蝶と白若丸を射貫く。それだけで二人はその場にへたりこんだ。修羅場を知っている二人が一睨みされただけで腰抜けたのは愛する人の悲惨な光景からか、あるいは何等かの権能故か。何にせよ、その二人を映し出す瞳には食欲と色欲と暴欲の色が浮かび上がりつつあった。

 

「し、師匠……どう、したら……」

「……」

 

 白若丸の縋るような問い掛けに、胡蝶は返答出来なかった。仕留めるのは易い。四肢をもぐのも出来る。半端な狂化と妖化は、それ故に彼の血の真の力を発揮出来ぬままであった。しかし……。

 

「師匠……!!」

「駄目……駄目よ……出来ないわ。そんな事。だってそうでしょ?」

 

 

 半端な狂化。半端な妖化。その理由に思い至るのはそれこそ一層容易だった。

 

 彼だ。彼が抗っているから。見てみるといい。その瞳を。理性と野生の狭間をさ迷っている。自分達に襲い掛かるのを必死に抑えてるのだ。己を刈り立てんとしていた牝共を、それなのに欲望を抑えて手を出さぬように堪えているのだ。それは尋常な自制心ではなかった。

 

『ア"、"あ"ァ""ァ"…"…!"!"?』 

 

 倒れて四つん這いになって、師弟に迫る。血の涙を流して涎を垂れ流して、身体を打ち震わせて、まるど赤ん坊のように必死に這いずる。犯し食らい殺さんばかりの形相で、しかし助けを求めるようにも見えた。

 

 愛する人が必死に己を抑えていた。あの時の洞窟でのように。

 

「あ、ぅ……」

 

 白若丸も、それを察してしまうともう何も出来なかった。その場から逃げる事すら出来なかった。彼を置いて逃げるなんて、それこそ出来なかった。寧ろ……。

 

「……いいの。いいの。いらっしゃい。……ほら、ね?」

 

 恐る恐ると、招き寄せるように胡蝶は胸を開いて、手を差し伸べて、迎え入れようとしていた。殆ど本能的なものだった。苦しむ彼を受け入れて、救うのは己の役目であると思えたのだ。

 

「遠慮……しなくて良いのよ?ほら、ね?怖くないわ。大丈夫だから。全部許してあげるから……」

 

 まるで母親のように胡蝶は囁く。彼への裏切りだった。裏切りだが彼のためだった。目の前の彼を見捨てる事なんて胡蝶には出来なかった。

 

 だって、この彼は彼だったから。あの日、洞窟で身を焼きながらも己を救い出してくれた彼だったから。激情を押し殺して己を守ろうとしてくれた彼に違いなかったから。女の勘がそれを激烈に訴えていて、胡蝶はそれを疑う事もなく信じる事が出来た。ならば、どうして捨てる事が出来ようか?次の瞬間に彼が何を己にしようとも、それをどうして拒絶する事が出来ようか?だから……。

 

「来て、良いから。遠慮せずに、ね?ね?」

『ア"ァ""……』

 

 媚びるように甘声に、異様に長く伸びた彼の舌が頬を撫でたのに微笑んで、行為が『彼』への裏切りである事を畏れつつも心身共に最早目の前の人を受け入れる準備は万端だった。己の愚かしさ、浅ましさ、淫らさを蔑み、しかし迫る彼に笑顔を向けひきつった笑顔で迎えて……。

 

 そして、胡蝶の顔面に彼の吐瀉した真っ赤な血がぶちまけられた。

『どばー♪』 

「あ……」

『汚ねー花火だぜー』 

 事態に唖然として、彼の鉄臭い嘔吐物が滴るままに任せて、胡蝶は彼の背後の人影を認めて、遅れて怒り、そして怯えた。

『肉欲を乗り越えられなかった末路ー♪』 

「……どちらが情けねぇんだよ。この、馬鹿野郎」

『それだけお前らの頭の中が歪んでる訳だぜー』 

 彼の背後にて『彼』が忌まわしげに自虐的に悪態を吐いていた。

『割り切れなかった末路ー♪』 

 まるであの時を再現するかのように、彼の身体を槍で突き貫きながら……。

『解脱出来なかった末路ー♪♪』 

『これぞまさに、身構えていても死神はやって来るものって事なんだよねぇ、◼️◼️?』 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 蛍夜環は震えを感じていた。肌寒さを感じていた。

 

 姫君とは言え、所詮は田舎の郷村での話である。豊かな土地とは言え、緩い支配は支配する者とされる者との距離を縮めていた。故に都の公家の姫達と環は同じ姫であっても全く違った。

 

 泥にまみれて田植えを手伝い、虫を採りて戦わせて、川遊びでびしょ濡れになって村の糞餓鬼な友らと一緒に温泉に叩き込まれるような幼少期である。女として身体が成長しても、本質は変わらない。流石に男も女もない幼児の頃とまでは行かぬものの、やはり高貴な姫君とは言い難い振る舞いも多かった。

 

 夏場に薄着を着込んで、寝相悪くしてそれもはだけて、女中らが朝に起こしに行けば布団もぐちゃぐちゃにして涎を垂らして腹を出して寝込むなんて事も珍しくはない。そのせいで身体が冷えてしまって夏風邪なんて事も年に一度はあったものだ。

 

 小さくしっかり者の友が御側付きとなって次第に改善してはいった。とは言えやはり限界はある。油断してると昔のように寝る向きが逆になるなんて事も。はしたない。否、はしたないだけなら良かったがそれで風邪になって皆に迷惑を掛ける事が問題だった。寝ずに看病する家の者達には申し訳なく思った。

 

 食中毒でお縄になって名ばかりの婢に就職した半狼の女が提案したのが人間湯湯婆だった。恐らくは性別が同じで年も近い故の己の売り込みだった。効果は絶大だった。

 

 四季の変遷でも獣が常に毛皮を身に纏うのはこういう事なのだろうと思ったものだ。夏には通気性があり、冬は温かい。ふわふわして抱き着きたくなる。面倒見が良いのだろう、定期的に着物や布団を直してくれた。それが狼な友と友宜を結んだ一因だ。

 

 心理の心底にある寂しさがそれを夢中の環に思わせた。故郷の家族と別れ、友達を引き離し、恩人たる人を喪って、寂しい。淋しい……故に環は温もりを求めんとして、何かを求めんとして温もりに触れて、そして抱き着きそうになって……違和感を覚えた。

 

 待て。待て待て待て。何か忘れてないか?そうだ。任だ。己は何のために来た?誰の命で来た?

 

 思い起こす。覚醒する。全身の筋肉痛を思い出して、肌寒さが一気に現実へと意識を呼び起こさせる。

 

『ほぉ。漸く目を覚ましたか。良くないなぁ、そんなに鈍くては』

「ひっ……!!?」

 

 目の前に破顔した鬼の形相が目一杯に広がって思わず環は小さな悲鳴を上げていた。身震いして竦めあがる。ここは故郷の家ではなかった。山奥の、無人の木挽小屋だった。夏の生温い夜風はそれでも冷たかった。

 

「な、何が……!!?ぐっ!?」

 

 混乱して、身動ぎしようとして……果たせない?

 

『ははははっ、何時まで経ても起きぬからなぁ。下拵えをし終えてしまったわ!』

「何を言って……!?い、いやぁ!!?」

 

 鬼の嘲笑の意味が分からなくて、己の身を見て今度こそ絶叫に近い悲鳴を上げる。当たり前の事だった。

 

 爪で何度も何度も遊ぶように切り裂かれたのだろう、装束を散々に引き裂かれて殆ど白い肌を晒されていた。そして全身の亀甲縛り。気の流れを撹乱する呪具の荒縄だった。程好く引き締まった肉付きが縄で絞められて肉を浮かばせ丘陵を形作っていた。それは女として恥辱そのものの有り様だった

 

「見るな!見るなぁ!!」

『はははは。そう騒ぐな。今更であろうが?貴様の身体ならば寝ている間に余さず鑑賞させて貰ったわ!』

「っ……!!」

 

 嗚咽混じりに、必死に怒鳴り糾弾しても、それは一層大きな咆哮の嘲りに掻き消されてしまう。同時に言葉の意味に顔を紅く染める。屈辱と恥辱、そして恐怖だった。己の寝ている間にナニをされたのか……今の身の有り様にそれを想像して怯える。

 

『クハハハハッ!!可愛らしいものだなぁ!!強がって退魔の兵を装っても所詮は女子かっ!!おお、そうだった!!驚いたぞ、貴様は生娘だったなぁ!!』

 

 鬼のここ一番の爆笑。場に反響するかのようだった。そしておどけるように、ふざけるように、馬鹿にするように鬼は続けるのだ。

 

『安心するといい。寝ている間に等と不粋な事はせんよ。それでは楽しみ甲斐がないのでなぁ!!』

「ぐっ!!?」

 

 決して長くはない群青色の髪を掴まれた。殆ど頭ごと掴まれて引っ張られて、無理矢理に立たされる。細切れの衣服が更に破れて、あるいは布がズレ落ちて、環の身を晒し出す。手は背後にて縄を掛けられていたから前を隠す事は出来なかった。痛む脚を綴じて少しでも下を隠そうと健気な努力をする。恥辱に顔を歪める。痛みも合わさり涙に瞳が潤む。

 

 心は屈しないと示そうと睨み付けようとして、目の前にそれが突き立てられた。

 

 特大の、特大の肉塊をである。

 

「う"っ""……!!?」

『はっはっはっはっ!初な、本当に初よなぁ!!!!』

 

 流石にこれは環も即座に仰け反り顔を背けた。背けなければ頬に直撃していた。鬼と環の身長差が為せた技であった。双方が立ち上がれば丁度環の眼前にそれが君臨するのだ。鬼は殆ど裸に近かった。環と違い、内から裂けたように服の残骸が巻き付いている。そんな腰に残る装束から突き出したように物は屹立していた。待て、この装束の残骸は……?

 

「お、お前……まさか、大臣の御屋敷のっ!!?」

『今更気付いたか?格好ばかりで頭の鈍い小娘よなぁ。だからこのような目に合うのだよ……!!』

 

 一度気付けば不穏で怪しげな雰囲気を醸していたあの法師崩れと眼前の鬼の面が重なる。だからと言って今の状況が変わる訳ではない。にじり、と前に出るソレに更に腰を曲げて環は逃れんとする。背骨の痛みに苦悶する。仰け反って、眼だけを向けて怯える。

 

『立派なものであろう?これぞ鬼に金棒。百凡のそれとは訳が違う。人如きでは至れぬ、強き者の証明よ。ははははっ!!』

 

 下品過ぎる台詞。しかしある意味で事実であった。あらゆる意味で唯人では勝ち得ぬ有り様だった。黒曜石のような色彩は微かな光に照りついてすらいる。全体に血管が浮き出て脈打ちすらする。剥けた形も深く禍々しく、凶器を思わせた。紅く黒い様が一層それを強調する。胡桃なような皺が浮かぶ特大の巾着袋が釣り下がっていた。ずっしりと身が詰め込まれている事を一目で分からされる。

 

 巨にして大にして太にして厚であった。黒にして紅にして熱にして凶であった。臭ですらある。少し前に討ち取った猿よりもおぞましい。これ程凄まじきものを見たのは二度目であった。環にとって、これまで見た中で二番目の逸品だった。持ち上げられて引っ張られる頭皮の痛みも無視して触れぬように首をひたすら捻る。鼻孔に異臭を感じ取る。

 

「な、何が、何が目的で、こんなっ……!!?」

『これは異な事を。鬼が欲望を発散せんとするのに如何なる理由が必要か?』

 

 その通りである。鬼とは欲望の象徴。欲望の権化。女子を手籠めにせんとした所で何を不思議に思う事があろうか?環の言はどちらかと言えば時間稼ぎに近かった。鬼も分かっていた。敢えて乗ったのは、嗜虐故に。

 

『強いて言えば憂さ晴らしよ。百夜院の姫、あれも中々に初ものだった。あのような生真面目で気丈娘こそ、一度その面を砕けば弱々しく、堕落すれば何処までも堕ちて行くもの。手練手管で啼きじゃくらせて媚びへつらう様は楽しみでいたものだ。貴様ら取り巻きに横槍を入れられねば涅槃、極楽浄土の悦楽を仕込んでやったものを……』

「……っ!!その、腹いせって事!?そんな馬鹿な事で…?!!?」

 

 己を誘拐した事は兎も角、そのためにあの廃寺の騒動を、あれだけの生け贄を、人を止めて、人を殺して、大罪を……!?

 

『馬鹿な事だとぉ?』

「あ……かひゅ!!?」

 

 腹に圧力。特大の圧迫。肺から空気が締め出される。誘拐される前にもされた故に腹部は元より鋭敏になっていた。しかも今回は指ではなかった。指よりも遥かに硬かった。鉄の思わせる重み、そして焼きゴテを思わせる熱気……!!?

 

「かひゅ"っ"、かっ"、ひゃっ"……!"!!""?」

『最初に面見た時に苦労のなさそうな坊っちゃんと思ったが案の定だな。いや、姫様だったな?何にせよ、口は災いの元ダナアァァ!!?』

 

 蔑み嘲り怒り狂う鬼。悪鬼の形相。獣の咆哮。禍々しい妖気がその身から烈火のように溢れ出る。狂気に満ちた眼光は、しかし……。

 

『ッ……!!?ヌッ。チィ……折角滾る情まで削がれてしまうのは欠点だなっ!!』

 

 苛烈な気配は、直後には霧散してしまったように環には思われた。いや、これは霧散しているというよりも……搾られている?流れている?

 

(て、寺での遭遇時と……同じぃっ!!?)

 

 廃寺での戦いでも似たような気はあった。そも、人から鬼に変じた者がまともな会話が出来る程の理性を残すのは相当に難しい。明鏡止水の境地に達した徳僧でも困難を極める。あの小物染みた法師崩れの男が鬼に変じて尚流暢に語るのが奇妙だった。何かの仕掛けがある?

 

『クククク、まぁいいっ!荒々しくする代わりにねっとりと、骨抜きにしてくれよう!!』

「ぐひゅ!!?」

 

 疑問を考察する暇はなかった。彼女は小屋の壁に背中を押し付けられる。木板が肌に触れて擦れる。ヒヤリとした感触。腹に突き立てられて叩き付けられたのだ。

 

「ぎっ、が……!?はぁ、にゃ、にゃにぃ、この、感触はぁ?うぇっ!!!?」

 

 腹に押し付けられたそれを理解して、そのおぞましさと穢らわしさに環は顔を歪めた。先から粘ついた汁の気配を感じて、それが肌に触れて鳥肌が立つ。必死に脚閉じた。脚を引っこ抜かれても広げぬ悲壮な覚悟を示す。だが、鬼は更なる嘲笑で答えるのだ。

 

『はっはっはっはっ!!!!健気、実に健気!しかしなぁ!残念だが無意味よぉ!!』

 

 そして環の晒された臍に指を突き立てる。鋭い爪で臍をカリカリと触れる。少し力を入れたら一文字に切り裂く事も、腹を貫通する事すら出来そうだ。だが……鬼は環の恐れる事態の更に上を行く事を宣う。

 

『我は雷鬼。天になり変わり統べる鬼よ。……ところで雷神と言えば臍を抜かれると言い伝えがあるのは知ってるかな?』

「それが……どうしたんだ!?」

『クククク。今一つ語ろうか。稲妻は豊穣の遣いでもあるのだ。我が怒りは即ち繁栄の証でもある』

「だから……っ!!?」

 

 訳が分からぬとばかりに鬼の戯言に吐き捨てようとして、押し黙る環。その言の意味を繋ぎ合わせて、理解した。理解してしまった。おぞましき可能性を。

 

『我が稲妻は土に雷獣を産ませる。では、牝の臍の穴で我が怒りを抜けば果たしてナニが産まれようかな?試して見るのも一興とは思わんか?』

 

 そして、環の腹にめり込むように押し付けられていたそれが引き抜かれる。環の臍に向けて照準が向けられた。環はこれまでになく叫んだ。絶叫だ。

 

「止めろ!!いやだ!!いやっ!!やめて、やめてえぇぇぇっ!!?」

『ハハハハハッ!!』

 

 環の虚勢も何もない半狂乱の叫びに鬼は嗤う。これまでで最高の嗤い声であった。環の必死の抵抗が楽しくて仕方ないという態度である。

 

『そう嫌がるな。意外と癖となるかも知れんぞ?なぁに、我が手管を信じよ。このモノで存分に悦ばせてやろうぞ?』

「いやぁ!いやあぁぁぁぁぁぁっ!!?」

 

 身体を揺らして環は暴れる。亀甲縛りした身体を揺らして臍を狙わせぬように抵抗する。肉付きが豊かな訳ではない胸元や尻が付随して揺さぶられる。その哀れな様が鬼にとっては最高だった。その醜態だけでも肴として酒を何枡でも呑めそうだ。

 

 逆に環は絶望の淵にあった。無様な様。抵抗すら出来ず、覚悟は無意味。己の純潔をまともでないやり方で奪われる。無力さを分からさせつつ。狂乱するのも已む無しだった。

 

「いや、いやぁ!!?助けて!!だれか、おねがいっ!!だれか、誰かぁ!!?」

 

 脳裏に過るのは家族の姿で、故郷の皆の姿で、友の姿で、師達の姿で、弟子仲間達の姿で、同僚の姿で、そして、そして……。

 

「いや、いやぁ……」

 

 そうだ。彼はもう助けてくれない。あの恩人はもういない。環は底抜けに絶望する。誰も頼れぬ事を分からされる。己が今から地獄を見るのを理解して現実を拒絶しようとする。泣きじゃくる。覚悟は決めてなかったのかと糾弾されるかも知れないが、実際に逃れられぬ運命の前に平静でいろというのは無理な話だった。

 

 無慈悲に、それはもう迫って来ていた。文字通りに目と鼻の先まで。狙いをつけられていた。

 

 幻視する。それが己の臍の穴を抉り、袋まで蹂躙する様を。化物の児を宿して、奇形な程膨らんだ肉袋として飼われる己の姿を。人ならざるおぞましき物が溢れ出て、それに乳房を食まれつつ新たな怪物を宿さされる光景を。それは余りにも、異様な鮮明な想像……。

 

「そんなの、そんなのぉ……」

 

 奪われる。尊厳を。純潔を。誇りを。初めてを。大切な人にだけ許す筈の身を……奪われる。『奪われる』。

 

 何もかもを、奪い取られる……。

 

「そんなの……イヤダ」

 

 直後、紡がれた声音は環のものではなかった。

 

 直後、世界は黒く塗り潰された。

 

 奪われる前に、全てを奪い尽くす。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。