和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 作:鉄鋼怪人
『闇夜の蛍』という物語において、その分岐する物語の一つにそれはあった。バッドエンディングに至るに繋がる、その任務はあった。
白若丸という稚児上がりの幼くも気難しい家人との交流を「好感度・友好」にまで深めた後に右大臣との友宜を結ぶ事になる「八魔羅大蛇騒動クエスト」を攻略、そしてそこから更に、「陰間茶屋潜入クエスト」と「御舞妓道化酒宴小遊戯」を最高評価で達成する事でその任務は解放される。
唯でさえ女性然とした柔で線の細い顔立ちの蛍夜環少年は、右大臣の護衛として女装までした。元は任務で、それを切っ掛けに酒宴で化粧させられ舞妓遊びを共にして、無駄に経験で磨かれた結果が美少女と言える完璧な変装だ。そして都の街中で仲睦まじく語らう二人の姿を、一人の少女が目撃してしまう。右大臣の許嫁たる、左大臣の孫娘が。
許嫁の間柄とは言え右大臣は常に警戒を解かず、一線を引き礼節に煩い人物。一方で左大臣の孫娘は礼儀に厳しくも同時に甘く育てられた姫君……未来の夫を慕いつつも両者の間には見えない壁があった。否、右大臣の者達は代々そのような者達であったからそれだけなら納得出来た。しかし……。
その世間からの評判からして女を侍らせる事のない筈の許嫁の男が見知らぬ姫君と語らう様を見れば話は別だ。それも、普段ならば公の場でも見せぬ感情豊かな表情を魅せていたとすれば、尚更だ。動転する姫君。あらゆる不安が彼女の運命を狂わせる。
右大臣は冷徹であるが、決して邪悪ではなかった。報国の意志強く、役目や民への責任感も厚かった。現実主義で数字で物事を見るものの、決して血の通わぬ男ではなかった。
故に夢見がちで理想高く、地に脚着かぬ蛍夜環という少年とは水と油に思わせて、その根の本質としては寧ろ共感すら抱けるものだったのだ。それ故の態度。右大臣の私的な友にして、懐刀。御忍びでは必ず護衛として連れ添う忠臣。護衛が女装に文句を言い、主君がからかうのは愛嬌というものだ。以前の任務で潜入のために少女に偽装したのが運の尽きだった。油断を誘いつつ、放たれる鋭い反撃はあからさまに護衛をして見せるより余程効果的だ。
本当に、運の尽きだった。左大臣の孫娘にとって。
その立場故に気丈に努めつつも病めに病める姫君に、端正にして妖しげな法師が言葉巧みに取り入って陥れる。人質に囚われた姫。許嫁を一人呼びつける密文。右大臣は軽挙を選ばなかった。代わりに友を頼んだ。蛍夜環は友として親しみ、主君として敬する男のために外京の寺へと討ち入った。
薬と廃人と化した上に破戒僧に巫女崩れ、浮浪者に遊女による乱行の犠牲となった姫の惨状。乱痴気騒ぎ。欲望の祭典。挑む蛍夜の少年は、しかし敗北する。毟られて操られた姫を盾にされてしまった故だ。法師崩れの卑劣な罠に嵌められた。
地獄はここから始まる。敗北エンドに主人公の救いはない。牝堕ち。凌辱。元稚児たる男の雄も雌も豊富な手練手管の前に、肉の欲を知らぬ清廉な少年の心はズタズタに引き裂かれてしまう。堕ちる。堕ちる。身体を堕とされていく……。
元稚児の男からすれば蛍夜環という少年の性根そのものが疎ましかったのかも知れない。それは必要以上の尊厳破壊。稚児時代の己が受けた仕打ちを再現するかのように。秘技「涅槃境徳浄絡孥」による絶叫は迫真だ。環は己が孕むのではないかとまで絶望する。
……元稚児の失敗はその加虐の性質にあった。男は蛍夜環の壊し方を間違えた。これが他のバッドエンドならばこうはならなかっただろう。
逃避の選択肢を与えなかった。快楽に堕落させきらなかった。右大臣との関わりで現世に希望を抱き精神が安定していた事もあるだろう。最後の最後、心の一線のみは踏み越えず……敢えて踏み込まずに理性と良心を残したのだろう。故にこそ蛍夜環は中途半端に状況を分からされて苦しめられる。己の惨状を理解して絶望させられる。憎みと怒りが、恥辱が蓄積される……!!
処女も童貞も、純情も純潔も、尊厳も自尊も、明白に認識した状態で奪われた少年は遂に堪忍袋の尾が切れた。手足を囚われたままに己が袋を奪われた痛みと共に、怒りの絶叫と共にそれは体現するのだ。
『北外京の大部分と内京の一部を喰らい抉りた騒動の、その理由を知る者なし。十万近き犠牲を出した大事件は後に右大臣家主導による一大遷都に繋がらん。苔生しりたる碑にて長く永く、摩訶不思議な災厄として後生まで伝われり……』
『真相知る者は、今や無し……』
黒塗りに白字の字幕のみで語られる結末……バッドエンド。然れど、果たしてそれは真にバッドエンドなのだろうか?
『それはつまり、その未来だと朝廷は存続している可能性があるって事かい?』
「正解。遷都と慰霊碑。少なくともそれが可能な状況な訳だ。ある程度国家として統制が取れている事になる。何よりも彼の右大臣殿が生きているらしいのが頂けない」
趣深き茶室にて亡霊と鼬が語らう。此度の予定の大幅変更について懇切丁寧に説明する。尊大に胡座を掻いて子分の送り狼を膝枕してあやす鎌鼬と、茶釜を挟んで茶を煎じる亡霊の依代の語らい。
「何ならそれ以上かもね。真相知る者はいないらしいからね。怖くないかい?」
それは即ち、一連の謀を企てた我々すら最早いないという事ではあるまいか?今現在とは諸々の事柄の細部は違えど、果たしてそれが結末に如何程に影響しよう?誰にも分からない。
『だから折角長年温めてた計画を変更すると?……正直信用ならないんだけどなぁ?妄想の類いじゃないのそれ?』
狼夜の喉を鳴らさせながら、鼬枷は非難がましく意見する。自分達の計画が漏れている。それも所詮一介の猿如きに?あの忌まわしき雄猿に?冗談だろう?茶菓子の羊羮を一切れ摘まんで疑りながら喰らう。
「冗談ではないから問題なんだよ。果たして如何なる手品か、直接記憶を覗けた訳ではないけれど我らの頭目殿が語る以上、それを嘘とは断定出来ないよ」
掻き回していた茶筅の手を止める。頭目殿という単語に呑んでもないのにもう口元を渋くさせる鼬を見て、亡霊は茶を差し出して続ける。
「予知の類いの異能なのか……あるいは時間逆行の類いかも知れないね。彼の近くにはあの白狐がいる事だし、未来から何らかの干渉をした可能性もあるんじゃないかな?」
それこそ、二百年程前には五十年年単位で先の未来を予知が出来る異能持ちに大分計画を荒らされた事がある。宮鷹の姫君の体験した事を思えば遠い未来にでもまたあの白い九尾が大幻術を使ったのやも知れぬ。何にせよ、似たような前例がない訳ではなかった。
『嫌な記憶を思い出させてくれるねぇ』
「それは私もだよ。いやぁ、アレは本当に想定外だったねぇ」
……それは時の右大臣に召し上げられた秘蔵っ子なのもあり最悪だった。時の刀聖と組まれた結果軽く百年は計画が後ろ倒しになった苦過ぎる過去。救妖衆の幹部が複数滅されてしまった。多くの企てが水泡に帰した。軽く地獄の時期だった。
まぁ、今では皆墓の下であるし、間違えても蘇らせるつもりも鵺にはなかった。そちらはそちらで歴代刀聖の僵尸化計画が大失敗した時に反省している。危うく全てが御破算する所であった。ちゃんと事前に耐性が無いのを確認してるのに催眠術も思考統制も効かないのは理不尽過ぎる。
「……こほんっ、そういう訳での計画変更と再利用という訳だ。右大臣殿が誘いに乗らぬ以上、あの寺も、あの弟子君も、より有意義な別の用途に活用せねばならないのさ」
流石右大臣家の生まれである。若過ぎる歳で押し込んだのに一切の油断も隙もない。多くの未来において彼は祖国の破滅から逃げおおせ、残党を率いて抵抗しているように見えた。
……そして稚児上がりの弟子擬き。その手練手管、その丸め込み堕とす口先はそれなりに見所はあった。性格も扱い易い。何よりも惜しくない程度に優秀な才。当初の右大臣を始末するための策に活用が出来ぬ中で、ではどのように無駄なく使い切るべきか。その結果が此度の計画だ。そして今の所、その経過は良好であるように見えた。
『あーあ可哀想に。当て馬かよ』
鼬は茶を受け取ってあげつらう。猿の運命を嘲る。肩を竦めてから気分を直すように大陸産の名物と金竹針の茶葉の香りを笑顔で楽しむ。
『うんうん。長生きしてるだけあって見事な点前だね。其処は認めてあげるよ』
伊達に未練がましく時代を渡っている訳ではない。鵺の茶の道は十分な技前だ。手並みを褒め称えながら鼬は茶の鮮やかな湯面を数度程揺らしながら鑑賞して……当然の如く飲まずに放り捨てた。ガチャンと無慈悲に割れる音。軽く三十両はする茶器は粉々だ。え?棄てるの?ときょろきょろと姉貴分と畳に散らばる茶器の残骸を何度も見比べるのは膝枕されてる狼だった。
……いやだって、亡霊の点てた茶なんて飲みたくないだろう?絶対に変な蟲がいる。何処ぞの狐と違い鼬枷は隙がなかった。そもそも茶の一杯目は棄てるものだ。少なくとも鼬枷にとっては。建水を用意しなかった亡霊が悪い。
「当て馬というのは心外だねぇ」
眼前で茶器が駄目になって、序でに畳が駄目になった事を気にする事なく、点てた茶を捨てられた愚弄行為を気にせず、ただ首を傾げて、腕を組んで、亡霊は鼬枷の感想に反論する。
「考えても見て欲しい。精々が地方の街を一つか二つ煽る程度の器なんだよ?元々御尋ね者だしね、拾ってあげなければ何処かで失敗していただろうさ」
そして間違いなく縛り首であろう。それが彼の限界だ。
『それを人を超えて徳僧級で漸く至れる鬼種に成り上がらせてあげたんだよ?それも代償を肩代わりさせられる絡繰まで用意してあげただろう?寧ろ至れり尽くせりじゃないか?』
『死んだら意味無いだろーがー?』
「いやいや、仮に此度を生き残れた場合、大願成就の暁には相応の立場を用意してあげるつもりだったさ。其処についてはもう事前説明したよね?だから紅鬼君にも見守りをお願いしたんだよ?」
『仮にって何だよ。仮にってよー?』
話せば話す程に分かる。薄っぺらい形ばかりの優しさ、儚な過ぎる予定だと鼬枷は冷笑する。本気で厚遇してやる気があるなら影染みた弟子だけ先に回収させまい。もう見切りつけているのは丸見えだ。白々しい。
長らく連んで来たがやはり信用出来ない。その知恵、その知識は認めざる得ないがだからこそ獅子身中の蟲だと、鼬は思った。幾度目かの再確認。
『……そんで?どういう再利用の狙いな訳?』
「彼の知る未来から都合の良い分岐をね。其処に近づけようという訳さ。彼女は……寧ろ乙女である事は都合が良かったね」
問い掛けに対して、亡霊は苦笑した。脳裏に過るのは狂信的な弟子の御執心する少女の姿。男子でないのは却って手間が掛からずに良かった。器に対して手間の掛かる大工事をせずに済むのだから。
『お前さんも大変だねぇ?あんなイカれた御弟子の介護とは。何年拗らせてんだよ。感情が風化して熱を喪うのは人の特権だろうにさぁ』
五百年。凶妖にとって神格にとって、それは決して長過ぎる月日ではない。だが人間にとっては……濃縮して濃縮して濃縮して煮詰めた情はそれまでに踏みにじり切り捨てて来た罪も重ねて狂気の色をこれ以上ないくらいに増している。あの協力者の裡は、見るに堪えない。
……無論、鼬枷達人外理の者共からすれば為すべき事を為してくれればそれ以上はどうでも良いのだけれども。
「そうだね。じゃあ一つ観てみるかい?」
『はは。床やら庭やら、御点前やらを褒め称えるよりは面白そうだねぇ?』
侘び寂びも分からぬ茶の道にはそろそろ飽きて来た。提案に賛同。膝枕する妹分の狼の耳を揉んで起こす。名残惜しげに黙って起き上がる狼夜の宥めながらすすっと身を引き摺って寄る。茶釜に向けて身を寄せる。
とある妖の頭蓋を削りて漆に金箔、蒔絵で飾った一級の名物にして呪具。明鏡視髄釜。その効果は一定の条件を満たす事で遠方を生ある者の視覚を釜内の湯面に映し出す効果。そしてそれ以上に大事なのは視覚を通じて向けられる呪いをこれを通じて観測する事で遮断出来る効果だ。
「では皆様方、どうぞご照覧あれ。何てね?」
亡霊が幾分勿体ぶってその蓋を開く。湯気が立ち、茶の芳醇な香りが手狭な茶室を一層満たす。そして亡霊と鼬の双方、更に遅れて狼が釜の内の湯面を覗きこんだ。
『わぁお。見事に真っ黒黒助だねぇ~』
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それは黒かった。黒くて、黒くて、黒かった。黒以上に黒かった。漆黒で、真黒だった。
何もかもが塗り潰されていく。何もかもが呑み込まれていく。何もかもが染め上げられて、何もかもが食い潰されていく。正に簒奪であり、強奪であった。
生きとし生ける全てが対象だ。地を這う獣どころか虫までも。草木に、矮小な苔すらも。一切の例外は無かった。その底知れぬ『黒』の濁流にして暴風に呑み込まれたからには全てが絞り取られて搾り取られて、塵と化す運命だ。
尤も近くにて、そして尤も最初に『黒』を被った鬼の運命は数瞬の内に決した。元稚児にして法師崩れよりて成りし鬼は、殆ど事態を理解する暇もなかっただろう。故に苦しむ刻も比較的短く済んだ筈だ。
寺院より盗み出した秘具、嘗ての高僧の即身仏の指は鬼神の儀式に際してより高位の鬼と成るためのものだ。木乃伊より切断せし両手足の指二十本が一つ。それを喰らう事で法師崩れはその身に余る鬼と成れた。無ければ矮小な色鬼止まりであったろう。
大出世だ。成り上がりだ。其処に点鬼簿の呪具……帳簿に名を記し者に持ち主のあらゆる儀式の代償を肩代わりさせる……を合わせる事で事は完全な成功と成る。一流の退魔士すらも手を焼く雷を征する大人鬼が完成する。それでも尚、無意味だった。
闇の嵐はその身に纏っていた妖気を即座にふんだ喰った。そして無防備の巨躯を呑み込んでその生気を絞り取った。木乃伊のように成り果てて、この時点で鬼は絶命した。人であった頃よりも軽くなってしまった枯れ果てた骸はそれで終わらない。最後の最期まで。骨も皮も砕けて塵と化して分解される。魂すらも、逃げられない。声とならぬ絶叫の果てに気に還元される。魂の負荷を他者に背負わせる呪具は処理能力が間に合わなかった。
……僅かの差でしかないが最も長くこの収奪より耐えたのがよりによって突きつけていた逸物であったのはこの男の経歴故であろうか?否、恐らく臨戦体勢故に最も生力を溜めていたからだ。
鬼は食殺され塵殺された。だが、それで闇は止まらない。果て無き渇望は次の獲物を貪欲に求める。
そうして四方八方に渦を巻いて生を貪り喰らう嵐が荒れ狂うのだ。瞬く間にそれは幅一丈から十丈に、そして百丈に……それは爆発的な拡散であり、拡大だった。
小屋は真っ先に粉砕された。木々は枯れ果てて塵と化した。豊かな土もまた同じ。地面が溶けるように崩れていく。石すらも風化する。虫も鳥も獣も、皆逃げ出した。逃げ出す前に殆どが枯れた。枯れて砕けてやはり塵と化す。空気すらも死んだように風味を奪われる。近場の小川に達した『黒』は水を飲み干さんばかりに収奪していく。魚は骨すら残らない……。
『あひゃひゃひゃひゃ。こりゃまた中々の食いしん坊だなぁ?』
『だー♪』
児を肩車して、大樹の上で惨状を物見見物しながらの蒼鬼の感想。眼前の凄まじき地獄を見ても尚、その性質を理解しても尚呑気に振る舞えるのはこの鬼故であろう。
『差し詰め、寄越せ御兄ちゃんだぞってか?何とまぁ強欲な権能なこった』
『して、彼の蒼鬼としてはどうですかの?よもや怖じ気づくという訳でもないでしょうが』
鬼にけしかけるように嘯くのは翁の声音で大仰として語る蜂鳥であった。鬼はニヤリと獰猛な笑みで以て返す。
『このまま終わっても興醒めだろ?約束だからな、ちゃーんと果たしてやるさ』
そしてまるで最初から其処にあったかのように蒼鬼は得物を担いだ。己の身よりも大きな錨を。『黒』に負けぬ程に毒々しく黒く、そして赤く躍動する大錨を。
数多の人、妖、神格すらも屠って来た唯の錨。特上の呪具と変じた悪名高き凶器……。
『んじゃ、墜ちるなよー?』
『あー』
警告への喃語の応答よりも先に鬼は動いていた。蜂鳥の視覚からはそれは消えたと言って良い。突風と共に立ち消えた。鬼はもう既に『黒』の嵐の眼前にまで突っ切っている。
膨大にして濃厚過ぎる妖気、神気すらも醸し出している気配に『黒』が殺到した。それは木の皮で飢えを凌いでいた餓鬼が山盛りの白飯にまみえたかのような反応だった。四方八方。前後左右上下から。包囲して呑み込まんばかりに……。
『邪魔だってのおオオオオォォォォォッ!!!!』
鬼の解決策は単純明快だった。咆哮で以て前方の闇を吹き飛ばした。正確にはそれは咆哮自体に猛烈な妖気を乗せて、言霊術を合わせた上での気圧の暴力だった。
この手の権能異能攻略の定石である。捕食するにしろ分解するにしろ吸収するにしろ、その処理能力を飽和させるだけの力攻めをすれば一時的にでも押し退ける事は出来るものだ。それこそこの『黒』が呪具の効果すら呑み込んで先程の雷鬼の魂を食い殺したように。殆ど同じ論理である。
無論、一流の退魔士すら仮に同じ事をしようとすれば即座に霊力が枯渇するだろう。鬼は平然とやってのける。結果として『黒』に抉り取ったかのように穴が開く。直ぐに押し出して穴は塞がっていくが十分だった。元より鬼は音速に近い速度で突っ込んでいたのだから。穴が塞がり始めるより前にもう突き抜けていた。
『どの辺りだぁーて……見っけたぁ!!』
凄まじい風圧に蒼髪をはためかせながら、鬼は『黒』を見渡す。四方八方よりこの瞬間も己に迫る『黒』を気にも止めず、ただただ地を見渡して探る。その貪欲な濁流の発生源を。そして見出だす。台風の目を。
宙での方向転換は力づくで。身を回転させて何もない虚空を蹴りつけた。赤穂流の歩行法なような気で足下を作るのですらない。純粋な踏力である。空気を圧縮して無理矢理地面にして蹴り付ける。蹴飛ばされた空圧はそのまま鬼に津波のように覆い被さって来た『黒』を弾き散らす。正しく規格外だ。
そして突貫する。『黒』の溢れ出す先へ。その泉脈へ。人影を見出だす。
その身より、まるで放出するかのように。黒い靄が全身より溢れ出して、空気と化学反応でもしてるかのように拡散したそれは明瞭な『黒』となりて四方へと拡がっていく。当の少女は殆ど裸だった。裸のままに俯いて、整えても束ねてもいない髪は共に垂れ下がる。ブツブツと、焦点の定まらぬ眼で何かを呪詛のように紡ぎ続けている……。
そして……鬼はがさつ故に容赦もしない。
『はぁい。ぶらざー?』
「……っ!!!??」
着弾と同時の素振りだった。環の正面斜め上より突っ込んで来ていた蒼鬼は容赦なく錨を振るっていた。巨大な錨に妖気を厚く厚く纏わせて、環をまるで玉を打ち飛ばすかのように顔面から振り殴っていた。環の身体がまるで羽毛のように翔んでいく。鬼もまた、錨を振るった遠心力を利用して再度錨ごと宙に翔んでいく。正に非常識。雑に強化された身体能力によるゴリ押しだ。
鬼種にとって、最も正統にして正道の、そして王道の戦い方である。
『けっ!!大食いの上早食い過ぎっての!!』
錨に纏っていた妖気を吹き飛びながら乱暴に散らし払う鬼。宙に舞う己の濃厚なそれが環に触れた事で付着した『黒』にドンドン食い潰されていくのを見て詰る。詰りながら周囲を見渡し探る。
『……』
鬼の五感は遥か上空からでもそれ捉えていた。地上に『黒』を囲むように幾つもの気配。荒事に長けた猿共の気配だ。『黒』に未だ呑まれる前のようで、蜘蛛の子散らして後退している。
一人、腐り切った魂の気配がする。此方を憎々しげに見上げている。満面の笑顔で返す。鬼らしい獰猛な挑発の笑み。殺そうと思えば殺せるが……そこまでしてやる義理はない。期待している英雄候補にお任せだ。
(さてぇ……)
そして天を見上げる。空を弾道軌道で滑空しながら墜ちながら、鬼はそれをちゃんと計算していた。
己と交差するように大地に引かれて落下していく『黒』。『黒』を纏う人影。ニヤリと嗤う。今一度地を見下ろす。憎悪の形相に舌を出して片目を綴じて合図。必要のない挑発。そして……今一度錨を振るう!!
『頑丈だなぁ!!さては、中々吸収効率が高いなてめぇー?』
「っ……かぁ!!?」
錨による最初の殴打と二度目の殴打。間違いなく身構えた一流退魔士でも十度は挽肉と化した。けれども『黒』を溢れさせる人影は全くその形を崩していない。
最初に喰らった鬼を含めて、有象無象の命を喰らった生の貯金故であった。恐らく分解吸収率九割五分はあるのではないか……鬼は呑気にそんな事を考える。考えながら宙を圧縮して蹴り付ける。肉薄。三撃目を振り被って……。
『だー!!』
『おわっと!?ないすないすぅ!!後で女狐の乳吸わせてやるかんなぁ!!』
突然に角を手綱宜しく引っ張られて、それに即座に従って身を翻しての器用にして急速な軌道変化。貫くように幾条もの『黒』が襲い掛かって来ていた。寸前でその隙間を縫って弾幕を突破する。頭に乗せた児を褒めて、軌道を微調整。目標に向けて接近する。
虚ろな眼差しで苦しむように顔を歪ませる小娘の姿。胎児のように丸まったままに、自由落下しながら周囲より間断なく溢れ続ける『黒』が迎撃するように鬼に襲い掛かる。少しでも触れれば其処から命を貪られる。『黒』の雨霰。
鬼は畏れず舌舐めずりして破顔する。
『兄弟姉妹ってのを盾にする態度は嫌いでなぁ!!ちぃっと八当たりさせて貰うぜぇ!!?』
鬼は常人が見たら嘔吐しかねない程に濃縮した妖気を錨に纏わせる。錨から無数の目が開く。目が醒める。多くの命を吸った錨が怒る。鬼の妖気に復讐を望み奪われた命共の重みが加わる。
そして、気に食わない力を行使する少女に向けて理不尽に鬼は質量の暴を叩き付けに迫った。
『長兄』の名の下に暴虐な簒奪を求める力に向けて、まるで過去に溜め込んだ鬱憤を晴らすかのように……。
ーーーーーーーーーーー
グサリと突き刺した。突き刺して刀身に染み込ませた。
『痛いの痛いのやってこーい♪』
グサリと突き刺した。突き刺して刀身に染み込ませた。
『痛いの痛いのやってこーい♪』
グサリと突き刺した。突き刺して刀身に染み込ませた。
『痛いの痛いのやってこーい♪』
グサリと突き刺した。突き刺して刀身に染み込ませた。グサリと突き刺した。突き刺して刀身に染み込ませた。グサリと突き刺した。突き刺して刀身に染み込ませた。グサリと突き刺した。突き刺して刀身に染み込ませた。グサリと突き刺した。突き刺して刀身に染み込ませた。グサリと突き刺した。突き刺して刀身に染み込ませた。グサリと突き刺した。突き刺して刀身に染み込ませた。
『痛いの痛いのやってこーい♪』
グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。グサリと。
『感覚は鈍らせなーい♪』
誰も何も言わない。悲惨過ぎて凄惨過ぎる惨状に横槍を入れる事すら出来ない。
『逃避させなーい♪』
特に数合わせで集められた屋敷の者達の動揺は酷いものだ。ある者は泣き崩れて、ある者は失神して、腰を抜かしてわなわなと口元を震わせて、失禁して、無表情に心を閉ざして現実を受け止めるのを拒否する者もいた。頭数揃えるために連れて来たのは失敗だったかも知れない。
『世を恨めー』
元々動転していたせいだろう、師弟は事態を見つめて呆然としていた。外部協力者の獅子は苦虫を噛んで目を背ける。不愉快な光景だからだろう、当然だ。その主人は淡々としている。場数が違った。義妹二人は平然として周囲を警戒している。これはこれで酷い。白狐は沈痛な面持ちで事態を見守る。
『運命恨めー』
そしてあいつは……姿を見せない。何処かで見てはいる筈だ。結界の維持と偽装のためだと思われた。信頼はしておく。
『全てを恨めよー』
「……」
『憎めよ』
そして、そんな晒し者に近い状況で俺はやはりまた刺していた。ザクリと、また刃が肉に深く突き刺さる。引き抜く。赤黒い鮮血が舞い散る。
『堕ちろよ』
外部からの何等かの影響による変異。何かの押し付け。それは自然に収まったが新たに流れ込まなくなっただけの事。残ったものは抜かねばならぬ。膿は絞り出さねばならぬ。その手段、俺は持ち合わせている。
『怒れよ』
忌まわしい男の妻より授けられた『悪帰守丸』は刺す事で呪いを先延ばしにする。災いを溜め込む。溜め込んで何時かは爆ぜる。その持ち主に振り掛かる。これは、せめてもの手向けだ。刺す側から刺される側への慰めだ。
『良い子ぶりやがって』
「……はっ。せめて、人の形くらいにはしてやるよ!!」
『どうしてそんなのかなぁ?』
言い訳半分に宣って、恨まれてやるために嘯いて、そして俺は俺を背後から突き刺す。もう何十回も。突き刺す度に眼前の己の内に溜め込まれた良くない『モノ』が血として刀身にこびり付いて、そして染み込むのだ。
『当て付けかよ』
「…………」
『私とは違うとでもいいたいのー?』
相対する俺はもう何等抵抗すらしない。ただ突き刺されるに任せるだけだった。槍が腹を貫通してそのまま穂先を地面に突き刺して固定されてしまっているから逃げる事も出来ないのだ。ただただ呻いて、吐血して、身震いして、そして何もしない。俯いているからその表情すら確認出来ない。
『強がりやがって』
……多分、底知れない憎悪に歪んでいるのだろうけども。
『……』
あぁ。そうだな。硬貨の裏表だ。全ては紙一重だ。逆だったかも知れない。詮無き事だ。お互い今更やり直せない。分かってるんだろ?
『気に入らないねぇ』
「……引き払いと片付けの用意をしてくれ」
「りょーかいです!」
「あいあい、さー」
『だけど大好きだよぉ?』
グサリ、と。背中から刺して抜いて、俺は頼む。最初に応じたのは十薬の義妹らだ。屋敷の小娘連中を叩いて引き起こして、耳元で声を掛けて我に返させる。そして事で各種証拠の回収と片付けを命じていく。
『今は連れて行けないけどぉ』
「で、ですが……」
「命令ですよー?従えませんかぁ?」
『今だけの話』
幾人かが残りたがるが無理にでもかやが連れ出していく。
『屋敷でちゅーちゅーして』
「そちらは……?」
「仕込みと、それと体液と肉の回収がありますので。獅子舞さん、用意は良いですね?安心して下さい、変な物が混ざっていても問題ないようにその身体は改修しておきました」
「もう少し言い方考えてくれる?……えぇ。分かったわよ」
『ドンドン大きくなるものね』
はなは牡丹らに呼び掛ける。淡々と牡丹が命じて、獅子舞が応じた。嫌そうに己の身体の一部を粘体に戻して散らかる血肉を回収していく。俺と、もう一人の俺のそれをだ。手際良い作業に待ちかねてたんだなと呆れる。刺して、抜く。
『そうすれば枷が外れていく』
「そちらの御二人方も……」
「あっ……?」
『二人共私のものだ』
顔に槍で腹から噴出した血を浴びたままにしていた胡蝶がはなの呼び方に現実に引き戻される。はなを一瞥して、此方を振り返る。崩れそうな面持ちで見上げて来る。
『お前らの魂を連れていく』
「も、もう……良いでしょう?ほら、もう十分に、ね?もう、こんなの止めましょう、ねぇ?」
「……」
『独占してやる』
媚びるように、嘆願するように、おねだりするように胡蝶は呼び掛けて来る。俺は黙って短刀を突き立てた。突き立てて引き抜いた。
『牝共の所には返さないよ』
「ねぇ、お願い……。わ、私が責任持って閉じ込めておくから、ね?絶対に貴方に危険が及ぶ事はしないから……ね?」
「……」
『ずっと私と遊ぶんだ』
俺は悲惨に媚びる胡蝶を見て、黙って作業を続ける。刺して、抜いて、刺して、抜く……。
『ずっと私と暮らすんだ』
「お、お願いっ!それ以上は止めて!?分かってるでしょう?貴方よ?それも貴方なのよ!?偽者じゃない!確かに貴方自身なの!!駄目、駄目なの!!そんなの……そんなの、貴方自身だって!」
「はな」
「了解です」
『私のものだ』
必死に訴える胡蝶の声は俺の呼び掛けに応じたはなの声と共に途絶える。
『誰にも渡さない』
「えっ……」
『誰にも盗ませない』
恐ろしい程に早い手刀。胡蝶は式神遣い。身体強化は得意ではなく、そもそも外見に比べて内は老いている。意識を狩り取るのは容易だった。気絶する直前に此方に悲しげに見つめて、そして地面に崩れる黒蝶婦……。
『だから今は赦してやるよ』
「師匠……。あ、兄貴ぃ?」
「それを連れて、去ね」
『その方が都合が良いものね』
崩れる師匠を見て、白若丸は迷子の子供みたいに此方を見る。命令を求めるような様に俺は即座にそれを与えてやった。
『人生万事塞翁が馬』
「……わ、分かった」
『あの巫女崩れも』
何か言いたげに、しかしそれが我が儘とばかりに呑み込んで白若丸は応じた。式神を放つ。人形のそれを体現させて師を運び出す。はなに誘導されて白若丸は師を連れて場より退く。
『その淫魔共も』
「え、えっと、私は……」
「にゃはぁ♪幻術使えるんなら一緒に証拠隠滅に行こーねー?」
「あわわわわっ!?」
『骨折り損のくたびれ儲け♪』
どうするべきかと迷っていた白を、かやが引き返して引っ張って、そして連れ去る。良い判断だった。これ以上醜悪な光景は教育に悪いから見せたくなかった。
『私のために苦労したようなもの』
……そして人気は去った。牡丹と獅子舞以外はこの場にいない。少なくとも、直接この場には。
『苦しゅうないぞー♪』
「……続けるぞ。良いな?」
「……待ってくれ、よ」
『貴方達は苦しそうだけどね?』
短刀を突き立てる。呼び掛けられる。俺は手を止める。牡丹達が警戒する。その光景に今一人の俺はどうしようもなく苦笑したように見えた。
『痛いよねぇ?』
「何も、しねぇよ……。少し、聞かせてくれても良いだろう?警戒するなよ」
「俺の往生際の悪さはよく知ってるんだよ」
『我慢してね?』
そしてまた背後から突き刺した。歯を食い縛る俺。堪えながら耐えて、そして尚も語る。
『私と一緒になれるまで待ってね?』
「頼むよ。……だからの、人払いなんだろ?糞、何でハーレムしてんだよ、おぃ?」
「五月蝿せぇよ。さっさと言えや」
『私が居れば他には要らないもんね?』
愚痴るように語る俺への催促。どうしてハーレムかって?はっ、俺が聞きてぇよ。
『私は期待も憧れもしない』
「はっは。……今日まで、何人死なせた?」
『何も背負わせない』
それが何を意味するのかは理解していた。脳裏に、その全員の名と顔を思い浮かべる事も出来た。
『責任も取る必要もない』
「……七人。柏木には悪い事をした」
「そうか。この無能め」
『罪悪感も要らないよ?』
歯を食い縛って忌々しげに。仇を見るように。それは当然の権利だった。
『理解も要らない』
「そうだな。……それだけか?」
「……葉山と、桔梗は、どうなった?」
『理解する必要も』
暫し沈黙して、震える息を整えての問い掛け。最悪を想定して、覚悟を決めての質問。
『される必要も』
「安心しろ。それはアイツらは無事だ」
「待てよ。それはお前の……これからの頑張り、次第じゃねぇか。えぇ?」
「……あぁ、早計だったな。悪い」
「はは、……しっかり、してくれよ。なぁ?」
『そんな面倒は要らないでしょ?』
謝罪に対しての詰りは嫌味ではなく本気を感じた。本当に頼むようだった。後を託す相手に縋るようだった。
『ただ一緒に遊ぼう』
「全く……よ。詰めが甘めぇ」
「俺だからな。……他には、何かあるか?」
「……そう、だな」
『俗世を捨てて』
そしてほんの暫くの間だけ静寂が場を包み込む。荒い吐息だけが低く響く。息をどうにか整えようと悪戦苦闘する『俺』の存在。此方を横目に見つめて、複雑な感情を呑み込んでいるようだった。理不尽への覚悟を固めるかのようだった。
『離脱して。解脱して。悠久に。永遠に』
そして……精一杯に強がるように不敵に笑って見せて俺は語るのだ。
『お互い都合良く家族として甘え合お?』
「頑張れ。……やって見せろよ、■■?」
「……はっ、何とでもなる筈さ」
『何ともならないからこうなったのでしょ?』
恐怖を誤魔化すための、ふざけた辞世の句に俺もまた乗っかるように応じて、そして……短刀を降り下げた。
『大丈夫だよ。怖がらないで』
それが、事が終わるまでのひたすらの刺突の間に俺達の交えた最後の言葉だった。
『死ぬのなんて、皆やって来た事』
そして……。
『貴方だってやれるわ』
『前の「人生」だって死ねたんでしょう?』
『肉体は檻。魂の揺り籠』
「人殺し」
そして……俺は愛する家族の憎悪を籠めた罵りを受け止めるのだ。
『一切合切分解されて溶け合わされるよりは……私と二人ぼっちの方が良いでしょう?』
正しく、予定調和に……。
『全体は孤独』
『個たる全体に、家族なんてものは存在しないのだから……』