和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 作:鉄鋼怪人
大丈夫だと、男は胸中で念じ幾度も己に言い聞かせた。問題ないと、彼は己を奮い立たせる。これしきの事で揺らいではならぬ。誤ってはならぬ。抜かりはない。
そうだ。何も気取られる事はなかった。覚悟を決めたお陰だ。だから、このまま大過なく終わる筈だった。嵐が通り過ぎるのを待つだけ。己を偽るだけ。
これまでの通りに……。
「……悪者にさせたなぁ。済まねぇ」
目の前で、馬房を圧するように屹立する青毛馬。その見事な体躯を見上げ、彼は心中よりの謝意を込めて囁き労った。たかが畜生相手に、誠心誠意に感謝する。それだけの理由が確かにあった。
『ブルルル……』
獣は呼びかけを理解しているのかしていないのか、ふざけたように鼻を鳴らして彼の鶴禿となった頭を不躾に突つく。そして、当然の権利とばかりに口を開け、褒美を、あるいは袖の下を催促した。
「へいへい、これですね。そぅら、たっぷりありますぜ?」
要求に従い、彼は桶に山と積まれた人参を一つ、摘み上げた。突き出して差し出す。
大ぶりだ。極太だ。霊地の滋味をたっぷりと吸い出したお陰で干草なぞより遥かに甘みの強い橙色の根菜をシャクシャクシャクと。涎を垂れ流しながら差し出させた人参をその馬は貪り食らう。あからさまにはしゃいで齧る。
別に干草が嫌いな訳ではない。しかしながらこの馬は純粋に根菜や果物の方が好みだった。そこらの駄馬と違って美食家だったのだ。大食漢でもあった。豪快にかっ食らう。あっという間に一本を食い切れば、すかさず給仕役の頬を叩いてお代わりを命じた。ペシペシペシと、頬を小突く。
「そう急かさんといてくれって……」
戯れるように、それでいて横柄な馬の態度に苦笑しながらもう一本を差し出して、そして……そして、背後の薄暗がりに、確かな「人の気配」が忍び寄るのを彼は直感的に感じ取っていた。
「……」
それは生来の卑屈さと臆病さが為せる技であった。敵意が無い事も感づいていた。だから努めて平静に彼は切り替える。自分を装う。卑しく無教養な下男らしく振る舞う。
「懲りない人ですね。自分の頭を毟った馬の世話等と……」
近頃聞き慣れて来た涼やかな女の声音に、彼は何時もの表情を拵えて切ったのを確認して振り向いた。獣臭の漂う、灯火も乏しい厩の入り口。夕焼け空を背にして其処に佇む場違いな出で立ちの女中の姿に、彼は下男特有の落ち着きのない所作で応じる。普段の己を取り繕う。
……いや、卑屈さと愚かさは元からのものか。
「はははは。いえ、だからこそでして。……神聖な宮なんですよね?なら、ここの神職方の髪を噛み千切らせる訳には行きやせんでしょう?自分ならもう喪う髪もありませんので」
「何を笑っているのですやら……」
男の滑稽で愚かしい物言いに、女中は吐息と共にそれ以上の言葉を呑み、尊大な態度で厩の奥へと歩み寄った。揺れる着物の袖に反応するように色めき立つ馬共の唸り声を、彼女は嫌そうに眉を顰めて受け流す。そして……遂に至近にまで歩み寄ると、まるで吟味するように男の顔を凝視し始めた。
「ふむ、ふむ……」
「えっと、何でさぁ?」
「これ、邪魔ですよ」
唐突な推し量れぬその視線に困惑している隙に、彼は頭を隠していた頭巾を女中に無造作に剥ぎ取られる。
「うおっ、おっ!!?」
「今更素っ頓狂な声を出さないで下さい。減るものでもないでしょうに」
腕を振り上げ、反射的に剥き出しの頭を隠そうとするが、彼女はそれを叱りつけるように制する。左右、正面、斜め。若き女中は、自らの同僚である筈の下男の貌を執拗なまでに観察し続けた。吟味するかのように。
「あ、あのぉ……?」
「やはり、髭を剃って顔を洗えばそんな冴えない面でも幾分かはマシにもなりますね。……尤も、その見事な禿頭では台無しですけれど」
「は、ぁ……?」
先程の視線同様、唐突に投げかけられた女中による評。その中身に彼は言葉を失った。その意図を測りかねる。
「えっと……あー、どう反応すれば?」
「自分で考えて下さいな!」
「あいてぇっ!?」
ペシンっ、と掌で禿頭を叩かれる。まだまだひりつく頭皮に鋭い刺激が走る。思わずしゃがみ込んで涙目となる。馬の小突きの方がまだ配慮があった。
「痛がり過ぎです!そうでなくても自業自得です!全くもう、情けない!」
『ブルルル……』
女中の不本意げな言葉に、青毛馬の嘶きが重なる。それは、確かに彼への嘲りを含んでいるように聞こえた。尤も、女中はその嘶きにも不本意そうであったが。
「あいた、たたた……自業自得、です……かぁ?」
「何ですかその言い方は?何か文句でも?」
「い、いえぇ……」
「……何時迄も冴えない面で姫様の元に仕えられても赤穂の体面に関わりますからっ!折角の機会、屋敷に戻ってからでも野暮ったくて詰まらない髪を結いてやろうかと思ってましたのに!妹さんには及ばずとも、今様な髪型にすれば面共々人様に見せてもマシなものになると思っていたのを……それが、それがっ!この禿っ!」
「あいてぇ!?」
ペシン、と。それは先程よりかは幾らか優しく、労わるような感触を伴っていたが、それ故に彼女の指先の温度が彼の肌に熱く残った。……いや、やはりヒリヒリする。痛い。
「手弱な女子相手に、情けないですよ、もう!」
「そうは言いますがぁ……」
「本当、腰抜けで締りがありませんねぇ!ほら、背筋を伸ばして!面を上げて!みみっちいですよ!男なら、卑しかろうとシャキッとして下さい!」
「は、は、はは……」
彼女の理不尽な物言いに、しかし彼は心底からの苦笑を漏らしていた。女中は知らぬだろうが、その指摘は、残酷なまでに真理を突いていた。
自分は腰抜けだ。臆病者だ。卑怯者だ。
だからこそあの日、自分は逃げたのだ。背を向け、大切なものを棄てて。取捨選択して、抱いて逃げ去ったのだ……。
(いや、旦那の事も思えば二度も、ですかね……?)
そして、脳裏に過る以前の主人を思い一層冷たく自嘲するのだ。因果は回る。正しく自業自得。だからこそ自分は頼りになる人を失い、今はこのような鉄火場に身を置く事になっているのだろうか?
ならば、果たしてこれで罰は終いであってくれるのだろうか……?
「……」
「……?どうしました?大丈夫、ですか?」
「……あ、いや。何、ありませんよ。って、うおっ!?」
突然沈黙に落ちた彼を案じたのか、彼女の顔が不意に彼の視界の全てを占めた。
鼻先が触れ合いそうな程に近い。覗き込むような、怪訝で、それでいて確かに心配する眼差しであった。彼女の存在を認識して今更に、奇襲するかのように彼の鼻腔を擽ったのは甘き香の残滓と、石鹸の爽やかさ。そして彼女という生命が放つ新々しき匂い。女子の匂い……。あぁ。いけない。それは無礼だ。
「あの、顔が近いので……余り見られるのは……」
「え?あ、それは……失礼を」
余りにも居心地悪さに立場を弁えずに願う。すると彼女は思いの外狼狽して、動揺したように願いに応じた。まるで自分でも気づいていなかったかのようにさっと退いて距離を取った。良く手入れした己の髪を弄り気まずげ気に。
「……?」
その普段の尊大な振る舞いからはらしくない反応に違和感を抱きつつ、しかしそれ以上に場は名状し難い雰囲気に満たされていた。双方共に、これ以上の言葉を紡ぐ機会を逃したかのように沈黙してしまう。お互いをちらりと見合い、窺うように。相手のその先の言葉を待つかのように……。
珍妙で奇妙な静寂……。
「えっと……何で「何者か?」っ!?」
重苦しさは何時まで続くのか、先に切り出そうかとして、しかしその覚悟をも呑み込むように淀んだ空気を裂いた誰かの言葉であった。二人して視線を向けていた。そして目の当たりにする。提灯を手にした神職のいかつげな面構えを。
「よもや物の怪の類では……女?それに。男もか」
此方から見えるように、彼方からも見えた。手にした提灯の灯を突き出せば、二人の姿を厩の薄暗がりから強引に引き摺り出す。出仕の男は、二人の正体を見出すと、その出で立ちを認めると、尚一層訝しげな眼差しで彼らを射抜いた。
「見慣れぬ顔だな。先触の者か?」
「え、あ……はい。そうです」
女中が答えた。彼は自然と彼女の背後に萎縮するように隠れていた。その様に神職は更に怪しむ。
「その後ろのは?」
「赤穂の下男で御座います。何分賤しく見栄えが悪う御座いますので……」
「……禿を愚弄するのは頂けんな」
「はぁ……はい?」
思っていなかった些か斜め上の、あるいは斜め下の返答に思わず女中は聞き返していた。神職の出仕はそんな反応を気にも留めず、仏頂面で厩の奥へと足を踏み入れる。
「この神聖な地で男女二人で睦み合うのは宜しくないな。穢れ事はせめて門後街でやって欲しいものだ」
「っ!?ち、違います!こんな厩で、まさかそんな事!!?」
とんでもない勘違いを、あるいは辱めを受けた赤穂の女中はその顔を赤銅色に染め上げて憤慨する。当然だと彼は思った。己のような者とそんな風に纏めて見られるなぞ恥辱であろう。心より同情する。
……そして、そのような事を思っていたために油断していた。出仕が此方を凝視していた事を。眉間に皺を寄せながら迫られる。そしてその名を、紡がれるのだ。
「お前……まさか六輔か?」
この地より、連れて去りた時に棄てた筈の名を……。
グサリ、と。人を刺す音が厩に響いた。
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半日に及ぶ巡拝を終え、七つの社と三つの祠に奉幣を捧げ終える頃。既に空が燃えるような茜に染まり、影が長く地に伸びる刻限、奉幣使の一団は遂に旧都の表通り、門前街へと足を踏み入れた。
「おぉ……実に見事な街並みよな」
「全く。都よりも秩序立っておるのではないか?」
一団の随身達はその街の素晴らしさに感嘆して密かに囁き合う。
そこは、この世の喧騒から切り離されたかのような清浄なる坊条であった。都と同じく整然と区画された古都は、この時代において稀有なほどに磨き抜かれていた。舗装された街道には塵一つなく、ましてや獣の骸などという不浄は微塵も存在しない。鼻孔を擽るのは、檜材の爽やかな芳香。立ち並ぶ家屋は白漆喰の壁で統一されていて、夕映えを跳ね返して白銀に輝いている。
沿道にて膝を突き、額を地に伏せて一団を迎え入れる民草もまた、異質であった。身に纏うは糊の利いた清潔な装束。辺地の民のような薄汚れはなく、かといって都の者のように奢侈に溺れ、狂ったように歌舞くこともない。素朴ながらも野卑な影はなく、古式ゆかしく風流なその出で立ちは、ある種の耽美ささえ湛えていた。
その整然とした街並みを一瞥するだけで、随身達の長旅に荒んだ心に自然と静粛な気が芽生えて行く。旧都、その名称に違わぬ街であると一同に認める。実に見事な、素晴らしき美麗であった。
……街を見回りたいという衝動を抑えて一団はその先へと向かう。表参道を辿り、街の灯が背後に遠ざかると、人の気配は潮が引くように絶えた。
「……」
肌に刺さるような冷たい静寂に満たされる。重苦しさに、皆が異様に静まる……。
行きて、行きて、そして行く。その先に次第に揺らめくように浮かび上がったのは、巨大な鳥居と、滔々と流れる河に架かる一本の橋……神宮の「火除橋」であった。
「ここが……」
「注意せよ。隊列寄せよ。古式に則るのだ」
一団は、神の通り道であるとされる真ん中を避け、畏れを持って橋の端を渡り行く。薄霧の中を奥に奥にと……。
「っ!?」
そして橋を渡り終え、対岸の土を踏みしめた瞬間。一団の誰もが、世界の「色」が変わったのを肌で感じ取った。
結界を、超えたのだ。
「はぁ……」
それは、果たして誰の溜め息であったのだろうか?まるで清らかな甘味を飲み干した後のように艶めかしかった。実際、空は湿り気を帯び、吸い込む息には微かだが確かな、蜜のような甘みが混じっている。
大気に満ちる霊気が、あまりにも濃密なのだ。濃厚でありながら、しかし息苦しさはない。寧ろそれは、胎内の揺り籠に守られているかのような、根源的な安らぎすらも抱かせる。全身の毛穴が開き、巨大な「何者か」に全身を抱かれているような錯覚……。
遅れて、そして無意識の内に、彼方此方から吐息が漏れ出る。理を持たぬ牛馬すら、その神気に圧倒されたのか、短く嘶いた切り、石像のように黙り込んでいた……。
「勅使の皆様。良くぞお越し下さいました。先触より御達しは聞き及んでおります」
「っ……!?」
「こ、これは!?」
感嘆していた故だろうか。呼び掛けに漸く彼らは気が付いた。視線を向ける。まるで最初から其処に居たかのように悠然と彼らは並び立っていた。
火除橋を抜けて直ぐに設けられた神楽殿。それを背にしたように立ち並ぶ白衣の一団。神宮からの出迎え……。
「驚かせてしまいましたなら、申し訳ない。……して。勅使殿は、何処に?」
最前列に立つ老境の禰宜は随身らの動揺なぞ気にも止めず、実に実に恭しく、慇懃にそう問うた……。
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一度その役目を思い出せば、静謐を誇った境内は、否応なしに俗世の喧騒に呑み込まれていく。
「宮の者らの誘導に従い、各自定められた宿場に。神聖な宮である。粗相無き様にくれぐれも心掛けよ」
「下郎共めが、神楽殿の仮巫女共になぞ現を抜かすな!処断されたいか!?護符や守りならば後で頂戴出来るのだから言い訳は聴かぬぞ!」
「鞭の不快な音を鳴らしてくれぬよう。ここを何処と心得るか。……宥めながら牛馬共は向かわせよ」
「騒ぐな!皆、勅使の随身たるを忘れず、粛々と己の職務に務めよ!良いな?」
木霊するのは、仮巫女らの祝の神楽歌ではなく武人による人を統べるための野卑な怒号だ。五百人の人足と、それと同数の牛馬。それらが吐き出す熱気と獣臭、そして玉砂利を無作法に踏み散らす蹄の音が、本来あるべき風の音を掻き消していく。
どれほど個々人が慎みを守ろうとも、五百の呼吸が重なれば、それは最早濁流だ。格式高い外宮の庭園は今や、田舎の祭場のような、卑俗な熱狂に台無しにされていた。致し方なき事である。
「……」
その喧噪の最中、牛車から降り立った若い大臣は、その瑞々しい正装の袖を揺らし、眼前に額づく老神職らを見下ろした。その双眸には、謝意と、そして冷徹さが同居している。
「勅使の数を増やし続けたせいだな。……済まぬ、禰宜殿。神聖な宮を騒がせる」
出迎えの神職は深く、地面に擦り付かんばかりに頭を下げる。
「例年の事なれば。ここは外宮、この程度の喧騒は常の事であります」
見世物の観光地たる外宮は五百年前の大乱後に拡張され、そして数多の民草を迎えて来た。この程度は今更であると語る。微かに糾弾の色が見えたのは右大臣は受け流す。伝統をぶち壊して見世物小屋にされて神宮側からすればこの程度の小言は言いたくもなるだろうと承知していたからだ。
「ここより先は我らの先導にて。……神宮司がお待ちで御座います。外宮の参拝後に斎宮までお送り致します。お付の方々は事前の通りで宜しいかったですかな?」
「うむ。宜しく頼む。……個人的に進物も寄進しても?」
背後には天秤棒を通して手下共に運ばせる幾つもの大柄な唐櫃。趣味の良い漆塗の箱はそれだけでも価値があった。果たしてどれ程の進物が納められている事か……。
「……大臣の篤き信心。とくと承りました。神宮の者共一同、謹んでお受け致しましょう」
僅かの沈黙。そして再度の礼。そして誘う。外宮のその奥へと。鬱蒼とした山林を貫く石段の向こうへと。右大臣以下、随行する者共五八人が一団より離れてその先へと向かう……。
「……我らは共に行かなくても良いのかな?」
「うむ?汝は初めてかな?我らはここで居残りよ。結界故に不届き者共は宮の奥に向かうには必ずここを通らねばならぬ。我らが役目はここにて屯し、門番たる事よ」
「成程。そういう事か」
外宮の奥へと向かう右大臣らを遠くに見ての武士と退魔士の語らいであった。忙しく彼方此方へと行き交う混雑喧騒を一瞥して納得する。
斎宮や内宮を目と鼻の先で護っていてはその時点で手遅れというもの。外宮は所詮外宮。常日頃は胡乱な民草共すら参拝するに任せる上物である。其処が幾ら戦で荒れようと神宮としても朝廷としても許容範囲という事なのだ。大多数の随身はここにて控え、万一の時にはこの先を死しても通さぬように務める……それが役目であった。
「致し方なし。役目ならばそれを果たすが朝臣の務めよな」
「そう悪い話でもなかろうて。外とは言え神宮は神宮。交代で参拝は許される。大変名誉な事よ」
その上神楽殿では御朱印に御守、神札が随行する者共に「朝廷による格別の恩寵」により無償で授与される決まりであった。神宮特製かつ、随行者共に向けた特注品は霊紙や霊木の品質も良い。退魔士家ならいざ知らず、他の者共にとっては有難い実益である。官製の大量生産品とは二級は上等だ。例年、人足共の中には無償かつ自ら荷運びの務めを志願する者が珍しくない……。
「……うん?」
「どうした?」
「いや。見よ。あれを」
「?あれは……」
語らう武士と退魔士はその小さな異変に気が付いた。遠目に見える神楽殿。仕える神職共の様子が可笑しい。特に先程まで静かに控えていた仮巫女達だ。突如として身震いし始める。口元をわなわな震わせる。瞳孔が見開かれる。揺れる眼差し。そして……。
「っ!?」
「!!??」
まるで半端に糸が切れた浄瑠璃の人形のように。一人、また一人と膝を折り、朱色の袴を震わせている。顔を青くして、しかし同時に酷く紅くする器用な様で、彼女達はまるで自分でも訳も分からぬと言うかの様に困惑して混乱していた。近場の出仕や衛士が急ぎ寄りては何かを彼女らと話す。やはり困惑しつつ肩を貸してやり、彼女らを殿の内へと連れ運ぶ。仮巫女らはその顔を恥とばかりに隠してされるがままとなる……。
「……あいや、何事か?」
「いや、まさか……まさか?」
武士は刀を、退魔士も己の得物に手を当てて辺りの気配を探る。何かの呪いか?あるいは不届きな魑魅魍魎共か?よもや、疫病の類……?
二人以外にも事態を察した随身は幾人もいた。僅かに迷い、その内の一人が逸るように衛士の元へと向かった。仮巫女を神楽殿まで運び終えた衛士に何やら問い掛ける。やり取り合い、そして些か悶着して別れて戻り行く……。
「待ち給え。……そなたは燕集院の御方かな?」
「左様です」
衛士と語り合っていたのは西土の名門退魔士家の分家筋に当たる若者であった。幼さの残る顔立ち。実際十代半ばに至っているかどうかであろう。些か軽率な行動は若さ故のものか。
「事態については察している。……一体何事か。あの仮巫女共の不調、一体どうしたか聞いておるかな?」
宮仕えの神職らの遠目から此方を気まずげに見やる光景に怪訝な気持ちを抱きながら若者に問い掛ける。神宮と朝廷の関係、朝廷と武家と退魔士家の関係は繊細だ。事が荒立つ可能性を思えば目の前の恐れ知らずの若者に尋ねる方が賢明であった。
「いや、それが……中々奇妙な事でして。しかしながら衛士共は気にして無闇に辺りに語るべきではないと。仮巫女共の名誉に関わるのだと言っているのです」
「それはまた異な事を」
「一体何事か。随身たる我らは知る必要があるであろう。たかが仮巫女共の名誉と神宮と大臣の安全、比較出来る筈もない。違うか?」
「はぁ……それは、もう。しかし、本当に妙な話なのです」
そして少し迷いながら神楽殿を一瞥した若い退魔士の少年は意を決してそれを語った。
「それが、突如巫女共が目眩がしたと。……その、障り?で袴を血で汚してしまったと。恐らくは勅使の出迎えの心労から周期が乱れたのだろうと。……月の物とは、一体どういう事なのでしょうか?」
「……」
「……」
武士と退魔士は向こうに佇み警備する衛士を見やる。何とも言えぬ表情を返された。そして改めて自分達が問い質した若く純朴で、穢れを知らなそうな若者を見下ろした。
「……?」
首を捻り困惑する少年に、如何に説明するべきか二人は心底苦慮せざる得なかった……。
ーーーーーーーーーーーーーー
斎宮寮……それは外宮より西に位置し、単なる寮舎の名を借りた壮麗な宮殿である。代々斎王が君臨するその地は、旧都における「内裏」に他ならず、その表現は決して誇張でも虚構でもない。厳然たる事実の羅列であった。
実質、威瀬邦は神宮の強固な統制下にあり、斎宮寮頭は伝統的に邦司を兼務している。各々に十万の民が犇めく門前街と、その帰路に栄える門後街。この巨大な経済と行政を統べる寮殿が、組織だてられた小内裏として機能するのは歴史の必然であった。あるいは、万一都が陥落した際の「遷都の地」として整えられたのだと、秘かに語り継ぐ者もいる。事実嘗ての大乱の際には一部の公卿らが避難していた。無論、一部の臆病風に吹かれた連中が逃げ出した事をそれらしく取り繕っただけとも言われるが……。
兎も角も、斎宮寮は寮とは到底言えぬ充実した規模を誇っていた。その広大な敷地は大きく三つに分かたれている。帝の代理たる斎王の御座所、旧都どころか威瀬邦全体の行政を司る寮衙、そして儀式を司る大神宮司ら神職の領域。三者は互いに協力しつつも、鋭い三竦みの緊張を孕んでいる。
「其処に勅使の存在……よもや刃傷沙汰はあり得ませんが、言葉尻を取られて何かあっては堪りません。常々、発言と行動には注意を向けて下さい。分かりましたね?」
「え、えっと……」
「分かりましたね?」
「……はい」
それは斎宮寮の宿場で夕餉を囲む、赤穂と蛍夜環、二人の先触による会話の一幕であった。
果たして誰にとっての幸か不幸か、当たりとして遂に斎宮にまで辿り着いた二人は、宿場の下見と検分を終えると、次の務めに移った。勅使たる大臣らの到着を前に、夕餉を済ませることにしたのだ。これは古くからの慣習である。同じ釜、同じ鍋の夕餉を毒味する意味合いがあり、また随身として出迎えの席で腹を鳴らす無様を晒さず、いざという時にはその本領を損なわぬためでもあった。
そんな先触れ二人に充てがわれた室内は都の貴ぶ華美とは一線を画す、檜の香りが漂う素朴ながらも優美な設えである。そして供された御膳もまた、飾り気のない質実なものであった
蒸し飯、椎茸と昆布の出汁が利いた山菜の汁物、豆腐、がんもどき。祭戒に従い、五葷や魚肉、酒、茶さえも徹底的に排した献立。清火にて調理されたそれらは、しかし厨房の練達の技によって、素材の滋味が最大限に引き出されていた。賞味する環は、肉や魚の不在に寂しさを覚えつつも、豆の脂味と里芋のねっとりとした甘みに、束の間の安らぎを見出す。
寧ろ、問題は……。
(其処までしつこく言わなくてもなぁ……)
じっと正面の姉弟子を見やる。眉間に皺を寄せて神経質げに。そしてそんな彼女は隙あらば小姑めいて発する御小言の数々に、流石に環もうんざりもして来た。箸先を咥えて、気付かれぬように恨みの視線を向ける。姉弟子として、先触の代表たる紫からすれば面目の死活問題なのだろうが……。
「環さん、箸を咥えないで下さい。下品ですよ」
「あ、はは……」
指摘に誤魔化すように箸を煮物へと向ける。里芋美味しい。椎茸の煮汁が良く染み込んでいるように思われた。
「全くもう……。あぁ、もうっ!」
憤慨しつつ蒸し飯を運ぶ紫の手先から、ポロリと米粒が零れ落ちる。普段からどこか間の抜けた所のある姉弟子だが、今日の彼女はらしくなかった。明らかに精彩を欠いていた。
(あ、そうか。緊張してるんだ)
遅れて合点が行く。先触とは言え、紫はよもやこのような当たりを引くとは思ってなかったのだろう。それが今や斎王がおわす斎宮に、そして右大臣らがこれよりやって来る。妹弟子を前に立たせるわけにはいかないという責任感が、彼女を焦燥へと駆り立てているのだ。そう思うと、不満は霧散し、寧ろ同情が芽生えた。
そして二つの意味で反省する。一つは事実矢面に立てぬ己の未熟さに。そして、今補突としては……。
「むっ?何ですか、その目は?」
「あ、いや……ははは。御免なさい」
ジロリと睨みつけられて、有耶無耶にしようとして、諦める。こういう時の姉弟子には愚直に真っ直ぐと付き合った方が良い。
「同情はいりませんよ。為すべき者が為すべき事を為す。それだけです。赤穂家本家の者がよもや他所家の家人に、それも浮気者の田舎娘を自分の代わりに前に出す等と恥晒しも良い所ですよ。……貴女の尻を拭くように、鬼月の御当主様方から頼まれていますしね」
紫は炊いた山菜を齧り、再び環を鋭く見据えた。
「……私の目を節穴とは思わぬ事です。何か隠し事をしてますね?恐らく、この随身に任じられたのもその理由、違いますか?」
「……気付かれちゃった?」
「一年も退魔の務めをしていない田舎娘とは場数が違うんですよ」
誤魔化し笑いを鼻で笑う紫。これは観念するしかないと環は諦める。互いに箸を止めて真正面から向き合う。
「その……紫さんは僕の力、見た事あるよね?」
「……関街での一件ですか」
蝦夷共の拝していたという古き化外の神獣。その堕ちた成れ果てに環は触れて、そして滅した。代替り。宮鷹の乱行姫が拐ったあの仔犬神がどうなったのかも気にならぬ事もないがここでは脇に置いて置く。大事なのはそれを成した蛍夜環の力である。
「神罰、祟り。神格を討てば当然襲い掛かる筈の代償……それがなく、挙句にあのような始末の仕方。言い当てましょう。貴女の力は他者の力の簒奪、捕食の類ですね?」
「やっぱり、その道の人には一目で見抜かれちゃう?」
「当たり前です。何だったらあの場で貴女が言ってましたよ。『神気が面倒ならそれを奪えば良いだけだ』……でしたかね?妖気なり神気なりを後天的に取り込むとは随分と悪食な力とは思いますがね」
「あ、はは……」
何気に抉るような物言いに環は苦笑いする。憤慨しないのは知識を身につけていく過程でその評価を否定出来なくなっているからだ。そしてだからこそ尚更自惚れる事すら出来ずに思うのだ。己の力が恐ろしいと。
「特異。そう……非常に特異である事は否定出来ません」
妖気や神気なぞ、身に取り込むものではない。合わぬ水は身を崩すという。妖気を取り込むなんて事は妖肉を食らうよりも遥かに危険だ。
「今の所……体調の変化はありませんか?」
「幸か不幸か、元気一杯だね」
「それは結構。消化されているようですね」
紫は箸を再び動かす。小気味良い音と共に漬物を齧り、飯を頬張る。
「旧都には秘法の記録も数多ある……それが目的、そうですね?」
「……其処まで分かるんだ」
「私も馬鹿ではありません。それくらいの見当は着きます。左大臣程の御方ならば尚更貴女の事情を知るのも難しい事ではないでしょう。……何処まで許されているので?」
「其処まで……旧都の書庫で幾らか閲覧出来るものを、ね?」
「成程。くれぐれも認可されたもの以外、忌庫の禁書なぞ読もうとは思わぬ事です。……もしや、我々が此度当たりの先触だったのはそういう事ですかっ!?」
(あ、其処には今頃気付くんだ)
はっとして憮然となる紫を見て、内心で突っ込みを入れていた環であった。いや、気付く順番逆じゃない?
「むぅぅ……掌の上で踊らされたかのような気分になりますね?私だけ除け者でしたか?」
「何処まで左大臣様の采配かは……気分悪くした?」
「否定はしません。ですがそれに目くじら立て続ける程子供でもありませんよ。あっつ!?」
そっぽを向いて汁物を啜る紫。勢い良すぎたのか舌に若干火傷して涙目となる。うーうー、と唸る。
「……目的は理解しました。ですが何事も随身の御役目が何よりも先決。それだけは理解する事です。貴女が己の力に何か含む所があろうとも分別を弁えて下さい。分かりますね?」
調べて納得いかなくとも諦めよ。随身としての務めを半端の上の空で務めるな……紫の言わんとするはそういう事であった。
「……うん。有難う」
環は紫の忠告に謝意を述べる。否定せず、反発もせず、己が道化にして負担を押し付けられる事になるにも関わらずただ素直に受け入れてくれて諫言してくれたからだ。赤穂紫は、姉弟子はやはりそういう人柄であった。口調は鋭くとも其処には労りがある……。
「感謝なぞいりません。貴女も大概頑固な所がありますからね。左大臣の差配にケチをつける訳にもいきません。ならば……ここが落とし所というものです。神宮で恨まれて刃傷沙汰なぞそれこそ私は責任取って切腹物ですよ」
「切腹って……そんな大袈裟な」
「本当に、大袈裟だと思いますか?」
「……前例があったりする系?」
「軽挙妄動はくれぐれも慎むように。頼みますよ」
「……はい」
肩を竦めて明言せず、紫は腕を取りて汁を飲み干した。環は口元を苦笑いしたままに引き攣らせる。己の責任が思ったよりも重大である事を知らしめられてしまった。緊張で胃が痛くなって来た……。
「因みに、折角出された夕餉を残すのも止めるように。失礼千万ですからね!」
「ふぇぇ……?」
「幼子のような声を出すのは止めて下さいっ!」
お残しは許しませんっ!とまるで母親のように腕組しながらの命令。手厳しい。環は困り果てるが……しかし確かに、無礼ではあった。手元の膳を見下ろす。残り六割といった所か?
「大臣の出迎えのために……急いだ方が良いよね?」
「当たり前でしょう。さぁ、ぱっぱと食べ切りますよ。お喋りは、取り敢えずはここまでです」
「うん」
そして二人は箸を動かして残る目先の夕餉の片付けに取り掛かろうとする。そして……気配を感じ取る。
「……?」
「何、足音……」
聞き慣れた、しかし忙しい足音が迫っていて、それが誰のものなのかを思い起こす前に襖は引かれていた。面を備えた黒装束が、矢萩が現れた。息絶え絶えに肩を上下に揺らして。尋常ではなかった。
「な、何をっ!?ここを何処か承知ですか!何と見苦しい……」
「急を要する事態です!環様っ!紫様っ!!」
紫の糾弾に被せるように、矢萩は叫ぶ。礼節を知らぬ彼女が荒げる声音。それだけで事の大きさが分かった。
「一体、何が……」
「孫六です!あの者が、それに、陽菜殿がっ!!」
「え……?」
矢萩の叫びに、紫は唖然とする。その名を出されただけで一瞬思考が停止する。そして濁流のように押し寄せる嫌な予感に胸をざわめかせて……。
「くっ!?うわっ?」
何か気配を感じ取って背後を振り向いた矢萩は、しかし抵抗する事が出来ずに制圧される。突如何もない場所より姿を現したのは旧都に詰める、斎宮寮の衛士達であった。首に勾玉の首飾りをした何人もの兵に押し倒されて槍と刀を突きつけられる。
「なっ!?止めて!?何、突然何を……!?っ!?」
静止せんとする環に向けて、衛士達は警告するように刀の刃を向けた。怖じけて環は一歩退く。衛士の背後からは幾人もの出仕が棍を手にして部屋に入る。衛士達よりも軽装だが、ある意味より気が立っているようにも見えた。
「……これは如何なる了見でしょうか?我々は勅使の先触、このような扱いをされる謂れはない筈。説明を頂いても?」
どうにか平静を装い、紫は口上を述べた。傍らに置いていた愛刀をそれとなく掴み、最悪に備える。矢萩をその場で斬って捨ててない以上は刃傷沙汰にはならぬとは思うが……。
「……宮に仕える出仕が斬られた。刃傷沙汰だ」
衛士、恐らく長であろう。彼は一歩前に出ると重々しく答えた。それはあってはならぬ穢れであった。神聖なる地、神聖なる社における流血。平穏無事に事が進むと思っていた所に生じた事態に息を呑む環。
そして、環の姉弟子は蒼白として目を見開いていた。何か予感を抱いているように刀を手にした腕が震え出す。衛士長は、続ける。
「先触殿に付き従う女中も倒れていた。意識なく、同じく怪我をしている。少々重体だそうだ」
「そんなっ!?まさか、陽菜が……!?」
環は告げられた内容に雷を打たれたかのように衝撃を受ける。直ぐにでも見知る女中の元に向かわんとして……。
「鎮まりなさい!勝手に動くんじゃありません……!!」
神職や衛士が堰き止める前に紫は妹弟子を怒鳴り諫める。その凄まじく殺気だった物言いは環にとって初めてのもので、思わずあの姉弟子の声音なのかと疑った。周囲を取り囲む斎宮寮の者共も同様に、静かに吹き出す霊気に当てられて僅かに腰が引ける……。
「……して。下手人は、見当が?」
「……斬られた神職が語った。加えて血濡れの出で立ちで逃げ行く者の姿を仮巫女共が目にしている。赤穂家の姫殿よ。そちらの御者の下男だ。名は孫六、相違ないな?」
衛士長の述べた名に環は思考が停止する。発言を、今この現実を疑う。紫を見やる。今やあの人に代わりその主人たるおかっぱ頭の少女に否定を言葉を求める。しかし……。
「……連れ出た下男が誰か、という意味では相違ありません」
静かに、淡々と、覚悟したように紫は認める。唯何も、尋ねられた事のみを応える。
「主君として下手人を匿い隠している可能性がある。寮として部屋の検分、先触とその随員への質疑を執り行わせて頂く。宜しいな?」
「……到着後、大臣方と面会の機会は頂けますね?」
「承知致した」
感情を削り切った義務的な紫の問いに、衛士長は厳粛に同意した。そしてぞろぞろとその背後から部屋へと土足で押し寄せる兵共。部屋の彼方此方を探る光景に、環が非難せんとするのを、紫は視線で静止する。
「紫さんっ!?」
「軽挙妄動は止めよと、言った筈ですよ」
「っ……!」
つい先程交えた約束を持ち出されてそれを破れる筈もない。環は押し黙る。両脇に衛士が固める。
「此方にどうか」
「御願い致します」
「……矢萩を手荒に扱うのは止めて貰えるかな?女人だよ?男として恥ずかしくないのかい?」
環の要求に衛士らは目配せ。頷いて、床に押し付けていた矢萩から退いて刃を下ろし立たせる。
「もう一人、連れていた下人は?もう捕らえたの?」
「いえ。そちらに連絡手段は?」
「残念だけど無いね。……見つけたら説得するから力づくってのはよしてくれるかな?これ以上刃傷沙汰はそっちも嫌でしょう?」
「了解しました。その時は是非お頼み申します」
努めて平静を装い、この場で確認すべき事と要求すべき事を環は語り切る。再度紫と目配せ。頷き合う。衛士達に護衛され、引率され、そして監視されながら環は部屋を出る……。
「……」
「赤穂の姫君。貴女様も、どうか」
「分かっております」
環の連れて行かれる光景を凄まじき無感情で見送る紫。衛士達の勧めに従い歩み始める。丁重に丁寧に、被疑者として連行されていく。
「長……」
「言うな。……それが我々の務めだ。致し方無かろう」
傍らの兵を窘めて、衛士の長は先触の中でも殊更に小さな背丈が遠ざかり尚更小さくなっていくのを見つめ続けていた。門前街に住まう己の娘と同じ程の齢であろう事を今更のように自覚して、思わず何とも言えぬ気分となる。
「……っ!」
そして長はふと床に目をやって点々と滲みる血痕に気付き、その痕跡を視線で辿り、息を呑むのだ。
去り行くおかっぱ頭の姫君のその強く強く握り締められていた拳からは、止め処なく赤黒い雫が垂れ落ち続けていた……。