和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第二三四話

 赤穂家は忠君報国、勤皇攘夷の家である。初代当主にして最初の退魔七士として任命された刀聖たる姫君以来それは変わらない。帝の御為に朝廷に仇為す悪鬼羅刹に魑魅魍魎、鬼神乱力……即ち人理外の者共を見境無く打ち払い、民と安んじるのは崇高なる使命であり、一族の存在意義だ。

 

 今代赤穂家本家筋の末娘たる赤穂紫もまた、その例に漏れず家訓を骨髄に刻んで生きてきた。

 

 先祖代々の血生臭い責務を忘れたことはない。そのためならば、己の五体が異形に貪られ、無惨な肉塊と化すことすら幼き頃より覚悟していた。たとえ野に骸を晒そうとも、祖霊に顔向けできぬ不様だけは許されない。事は「個」ではなく、「家」の問題なのだ。

 

 そうだ。個ではない。家の問題だ。単に下僕共の問題ではない。赤穂の家名そのものの汚辱であり失態なのだ。  

 

 だから……。

 

「よもや……私が家の名に泥を塗ろうとは」

 

 その部屋の中央にて、背筋を伸ばしての正座をした娘は、赤穂家本家長女、末娘たる赤穂紫は呟いた。冷たさすら感じられる静寂な室内にて、彼女の声音だけが反響する。

 

 斎宮寮殿の一室は、非常に簡素だった。漆喰すら塗られぬ木目を晒した柱と壁。そこにあるのは、小さな文机と座布団、そして一つだけの燭台だ。燭台に嵌め込まれた霊蛍石が、青白い光で部屋を鈍く照らし出している。心なしか陰鬱な輝きに思われたのは気のせいであろうか?陽光を拒絶するその部屋には窓の類が一切なく、外部との唯一の接点たる扉の向こう側には衛士の気配を紫は感じ取っていた。警備である以上に、それは監視である事くらい承知している。客人を歓待する部屋でないのは明白だった。

 

 実質的な牢による謹慎。否、これは幽閉であろう。家として召し上げていた者が刃傷沙汰を引き起こした事。それがよりにもよって神聖なる旧都の斎宮寮殿での事であるのだから当然の事であった。管理不届きは雇い主の責でもある。そも、斎宮寮と神宮からすれば万一を思えば下手人の主筋を捕縛もしよう。事は個人の所業ではないのかも知れぬのだから。道理は分かる。道理は。

 

 ……無様。誠に無様である。幾重にも渡る恥の上塗りである。家の誉を穢し、主人としての威を穢し、朝臣としての信を穢し、忠君の義を穢した。そして、先達としての頼も、また。

 

(本当に恥ずかしい限りですね。このような有様、これでは従姉様の家……叔母様にも、鬼月の御当主殿にも合わせる顔がない)

 

 妹弟子の面倒を見るのも含めての随身としての同行。家族相手には言わずもがな、鬼月家に対しても赤っ恥も良い所だ。妹弟子相手には最早どうして先輩風を吹かせられようか?アレだけ注意して置きながら己はその足下すら見えていなかった。たかが下僕の一人すら御せぬなぞ……。

 

「しかし、何故あのような事を……」

 

 ……暫しの沈黙の後、眉間に皺を寄せて険しい表情を浮かべ、紫は再度俯き、そして滲むように呟いた。

 

 それが自己弁護に過ぎないことは分かっている。言い訳と謗られても仕方ない。人の心は妖の腹の中よりも知れぬし、起きた惨劇だけが全てなのだから。それでも、赤穂の姫はそれを口にせずにはいられなかった。それ程までに脳裏に疑問疑念が溢れ返っていた。

 

(何故ですか?卑しい身とは言え……其処まで暴挙を犯す程に無謀でも愚かでもない筈。寧ろ、小心者だった筈ですよ?)

 

 卑屈で、臆病で、気が小さい男だったと覚えている。今は亡きあの家人扱の後ろに腰を低くして付き従うような、それでいて何ら荒事には向かぬような者であった。妹思いだったとも認識している。妹の立場を思えば、尚更本来此度のような事態を引き起こす等と……旧都と斎宮寮殿については事前に礼儀について口酸っぱく説明している。よもや理解出来なかった訳でも無かろうに。衝動的に?突発的な乱心?しかし……。

 

(何か鬱憤を溜め込んでいるようにも見えなかった。少なくとも、常日頃から道理に合わぬ虐げを受けてはいなかった筈です……)

 

 それは間違いない。陽菜は顔が広く噂好きの話好き、口の軽くなる脇の甘さはあるものの、故にそのような所に機微に聡い。家中の者達に諍いの種があればそれを知らせてくれる筈であった。

 

「そうだ。陽菜……」

 

 そして思考がそちらに向かい、紫は一層焦燥して苦渋の表情を浮かべる。それは心配であった。不安であった。害意を受けた今一人の従者、死んではいないと聞いているが、意識が無いとも聞き及んでいた。果たして怪我の具合は如何ほどか……。

 

「口惜しい」

 

 親しくなかった訳ではない。そも、赤穂家は決して下僕だろうと冷淡に踏みつけ虐げ使い捨てる家風ではない。仕えている者共の面倒を見、そして護る事もまた忠君報国の家としての是と認識していた。喩え卑しき小物一人だろうが扶桑の民、故に朝廷の財であり、帝の子らであるのだから。

 

 なればこそ、陽菜の身を案じもするし、それに対して何も出来ぬ身を口惜しくも思う。そして恥辱まみれの現状に何処までも無力感に苛まれるのだ。何も出来ぬ己を思い、爪が掌に食い込む程に拳を握りしめる。

 

(本当に……あの下男がやったのですか?あの不器用な男に何年も健気に仕えていたような者が?妹の身を軽んじて?よりにものってあの陽菜を?陽菜は、良く面倒を見てやっていたではありませんか……?)

 

 陽菜は気が強くキツい所があるものの面倒見の良い女中だった。特に最近入ったばかりの兄妹には事あるごとに様子を見て教育もしていたのを紫は知っている。妹にも出来る事を尋ねて居場所を作らせてやってたし、兄の方にも厳しくとも決して不当には扱ってはいなかった。寧ろ身嗜みや立ち振舞いを赤穂に似合うように良く指導してやっていた。それを……それを……本当にあり得るのだろうか?分からない。分からない……。

 

「ふっ。詮無き事……私の目が、節穴でしたかね……?」

 

 そこまで思案して、自嘲の笑みが漏れた。唇の端を歪めた、凍りつくような冷笑。

 

 結局、どれだけ考えようと幽閉の身では確かめようがない。今願うべきは、ただ陽菜の命が繋がることだけだ。だが、神仏に縋るような無力な祈りのみだ。

 

 そして……神仏に祈り願うのはそれだけである。

 

 願うだけ、の無力な行為は……。

 

「……」

 

 紫は掌を見る。その手を手刀の構えとする。じっと睨みつける。そのまま手を腹へと当てる。己の腹部をなぞるように撫でる。一文字に。そして、十文字に。その奥を引き摺るように。

 

「っ……!」

 

 想像して込み上げる悪寒。唾を呑む。逸る気持ち。焦れる覚悟。心の臓の荒々しい鼓動。緊張を逃がすかのように静かに吐息を漏らす。……迷う。それを為すべきか否かを。誠心誠意を込めた一世一代の釈明をすべきか。

 

 それを、いっそ情に任せて今ここでやってしまうべきかを……。

 

「……違います。私は、決して」

 

 苦渋に歪む赤穂紫の、沈痛な呟きが部屋にひたすらに反響し続けた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 「赤穂紫」という死亡フラグの総合商社たる姫刀士の死に様は、実にバラエティに富んでいる。あまりに多種多様かつ猟奇的的で、何よりも彼女への愛故に前世のゲーマー達は狂ったようにそのバッドエンドを回収しまくり、攻略サイトで『紫様割腹・苗床目録』なる一覧を作ったり、動画サイトで「今週の紫様惨死集」なんて実況動画やMAD集が製作された。中には数年越しに見つけられたものすらある。以前触れたハッピーエンド改造した途端に仕込みがお出しされた隠れバットエンドがその代表だ。製作陣には人の心とか無いんか?あったらこんな鬱エロゲ作ってない?それは、まぁ……はい。

 

 ……赤穂紫のハラキリ=儀式フラグは亜種を含めて比較的多い彼女の死亡方法の一つである。幾つかの条件をクリアした上で彼女と共にクエストを受けて特定のパターンで失敗すると大抵発動する。主人公様の責任を取る形で、あるいは上司として、家の名誉のために腹を切って自害するのだ。

 

 彼女の切腹を阻止するのは難しい。何せ赤穂流は徒手でも刀を持っているのと同じだ。何等かの理由で公的に投獄、拘束されたとしても家柄故に武器を奪われても腕を折られたり切り落とされる事は先ずあり得ない。父や祖父、兄達に比べれば遥かに劣るとは言え紫の赤穂流手刀術は小娘の腹を裂くなぞ造作もなかった。そして彼女は家の名誉を極度に気にしていた。

 

 可愛がられる故に姫として扱われ、決して刀士としても退魔士として育つ事を喜ばれてはいなかった。身を案じての愛情は、しかし当人からすれば阻害感にも思えるものだ。圧倒的に身内と実力が劣るならば尚更だ。家の面汚しと思われるのを紫は極度に畏れている。だから逸ってしまうのだ。

 

 分岐物のノベル、漫画版ではその辺りが一層補完されている。主人公様のその後の行為、あるいは聴き込みの最中の些細な発言に、張り詰めていた彼女の葛藤は頂点に達する。衝動的に己の誠意、家の名誉、朝廷への忠信を示さんと素手で切腹してしまうのだ。何が酷いって首を落としてくれる相手がいないので無駄に苦しむ事である。下手したら手当せんとする者達が居て更に苦しむ刻が伸びる。悲しいね。

 

 ……冗談ではない。今の状況はかなり条件に当て嵌まりつつある。切腹三歩手前くらい条件が整っている。赤穂紫は色んな意味で崖っぷちだ。

 

「大臣は赤穂の姫君の元には伺わぬように、獄卒共には何も語らせぬ、立ち話すらさせぬように、か。……また酷く必死な語り様であったな?」

「人の命が掛かっているんですから当然でしょう?」

『馬鹿馬鹿しくも思えますがね。流石に軽挙に切腹なぞ……赤穂程の家柄で行うものでしょうかね?』

 

 旧都・斎宮寮殿の外、月明かりすら届かぬ暗闇の芒野を、互いに隠行の術を纏いながら、俺と我妻雲雀は声を潜めて歩いていた。因みに耳の中では蜂鳥を通じて孫娘の懐疑的な意見が響く。

 

 右大臣から斎宮寮殿で発生した事件の説明を受けた俺は即座に大臣に幾つかの要望を願い出た。神格の側面から断片的に知り得た光景という名目での赤穂紫に対する扱いについて必死に願い出た。

 

 唯でさえ思い込みの激しいおかっぱ姫様である。各媒体での自害の流れを思えば下手にエラ・イヒトが接触するのは禁じ手だった。多分腹を斬る覚悟を決めてしまう。それは避けたかった。同時に俺は捜索を願い出た。下手人たる孫六の捜索をである。

 

「赤穂の姫様に対する要望は兎も角、たかが下男の搜索の認可まで受け入れられたのは意外でした。それもこうもあっさり、ここまで自由にとは……」

 

 正直後者については拒絶されると考えていた。斎宮寮殿における刃傷沙汰である。朝廷の権威・面子に関わるとなれば如何なる理由あろうとも俺を横槍気味に関わらせるとは思えなかった。

 

「それだけ帝の御身体と御立場を思っての事という訳さ。お前様の顰蹙を買いたくないのだろう」

「目付は付けますがね」

「その程度で済ましてやってるのだ。誓約は結ばせなかったろう?……して、見つけ出してどうするつもりなのだ?」

「それは……」

『呆れたものです。まさか考えて無かったのですかね?』

 

 牡丹の耳内での詰りが理由ではないが、俺は足を止めて、言葉に詰まる。そもそも何故あれが暴挙に及んだのか分からなかった。そもそも本当にあいつがやったのか?馬鹿な。何かの間違いではないか?

 

「私は面識が殆ど無いから何とも言えぬが……お前さんがそうも動揺している以上はそれだけ有り得ぬ事、と考えるべきなのだろうな?」

「……あれは、妹思いの働き者ですよ。家族のためなら泥水だって飲むでしょうよ。恥辱を受けた位で人を斬るなんてありませんよ。あれは其処まで後先考えぬ程阿呆じゃない」

「では計画的犯行かな?」

「止めて下さいよ。人間不信になる。……そも、何のために?」

 

 この旧都の結界の性質を思えば我武者羅に逃げても逃げられまい。迷宮のようにグルリグルリと回り続けるだけだ。無意味な行為だ。隊列から、寮殿から許可も無く下手に離れると、最悪二度と何処にも辿り着けなくなる。目と鼻の先に街があっても延々と辿り着けずに飢え死ぬ事になる。その事は随身として指名された段階で末端に至るまで口酸っぱく講習させられていた筈だが……。

 

「其処だよ」

 

 そして核心に触れたように我妻は指摘した。

 

「神職共に衛士共が今も彼方此方と探し回っている。何刻もだ。今日此処に来たばかりの者なぞ結界に迷わされてとっくに捕まっていて然るべきだ。にも関わらず未だに行方が知れぬ。奇妙とは思わんかな?」

 

 旧都の結界は所謂人探しの呪いすら阻害する。それは斎宮や宮司の居場所を探られぬように、また迷わしの結界の効果からどの道好き勝手に逃げる事は出来ぬため問題は小さいと思われていたからである。実際衛士や神職共は直ぐに捕らえられると高を括っていた節があった。しかし……どうやら見つからないようである。可笑しい。明らかに、これは可笑しい。

 

「何か、仕掛けがある、と?」

「あるいは結界の道を知っているのかだな。それはそれで奇妙な話だが」

「……」

『…………』

 

 我妻の言わんとした事、その意図を俺は、そして耳内からでも分かる剣呑な気配に察する。よもや「中身」が入れ替わっているのではないか……そういう事だろう。この世界では有り得ぬ話ではない。鵺辺りならばやりそうな話でもある。

 

 紫のフラグに近似した事態である。俺の原作知識を読み取っているならばこれ幸いに彼女を朝廷と赤穂家の間に蟠りが生まれる形で自害させるように誘導したと考える事は出来る。

 

(いや、俺の記憶を覗いたならそれは無意味と分かる筈だ。赤穂の忠臣具合はその程度では揺らがない。却って兄貴らが都に来て敗北フラグになりかねない。……知識を断片的に読み取れただけとしたらあり得ない話ではないのか?)

 

 俺に自治圏の提案をしたのはそれ故であるのだから、連中が知識不完全で墓穴を掘る選択をした可能性は勿論ある。……それはそれで知識不完全を承知で赤穂家という救妖衆滅亡フラグに触れるのはらしくない気もする。特に鵺の野郎は設定上彼処の家に何回も痛い目を見ている。今更軽挙妄動なぞ、あり得るのだろうか?

 

 ……いや、蒼鬼程じゃないが割とその場のノリなエンジョイ勢な側面はあるけども。

 

「……散々、寮殿と寮殿から外に抜ける道は探しました。神職共の捜索も考えると此方にはもう潜みも逃げてもいないかと」

『まぁ。妥当でしょうね』

 

 俺はそしてその事実に触れる。捜索の過程で薄々と予感はしていた。人が物質的に消える事が出来ぬのならば、そして散々探して見つからぬのならば、考えられる答えは一つ。探す場所が誤っているのだ。牡丹も同意らしい。ならば、恐らくは……。

 

「お尋ねしても?ここから内宮に向かう道程を。あるいは、『真宮』に至る道筋を」

「……『真宮』は、何処で知ったかな?それもまた神格として断片を見たか?」

 

 我妻は此方の問い掛けに素直に答えず、探るように問い返した。

 

「そんな所ですかね。自分も、詳しくは知りません。殆ど用語のみです」

「……ふむ。嘘ではない、か?」

 

 此方を観察して、見分して、些か怪訝に首を捻りつつも我妻はその言を受け入れる。実際問題、それくらいしか俺がその存在を知り得る機会はある筈もなかった。あるいは、鵺辺りに伝えられた場合か?

 

「……ふむ、有り得ぬ話ではない」

 

 それが何方を意味しての呟きなのか、俺は敢えて尋ねなかった。暫し、我妻は沈黙する。考えに耽るように目蓋を綴る。そして……漸く口を開く。

 

「お前さんがその下男に仕込みしての自作自演の企て……等という可能性も無くは無いのだがな?」

「其処まで信用出来ませんか?」

「それが私の仕事だ。……内宮に行くとして、道筋は教えられんぞ?」

「承知しました。お任せ致します」

「うむ。では……行こうか?」

 

 そして我妻は狸尾を妖しく揺らした。左右にゆらりゆらりと。導かれるようにして視線が誘われる。蠱惑的な微笑。目元が不穏に。獰猛な獣のように。支配されていく感触に侵される。

 

 五感が霧散する。五感が遠退いていく。五感が溶けていく。全てが朧気に、刻の流れすらも曖昧に蕩けていき……。

 

「……さて、着いたぞ?」

『着きましたね』

 

 そしてパンッと拍手の音と我妻と耳内からの呼び掛けによって、俺は我に返った。つい先程まで佇んでいた場と風景は一変していた。

 

 そこはあるのは静寂だった。何処か荒涼とした芒の生い茂る一帯にいた。月光が辺りを蒼白く照らす、幻想的な光景……。

 

「……」

 

 視線を上げる。その先に鎮座するのは小高い丘。その上に林立する宮の棟……旧都内宮。あるいはそのように「改名」された神宮。

 

(夜は……明けていない。其処まで時間は経てないか?この分だと……)

『精々一刻といった所ですね。それよりも、不用意に動かないで下さい。死にますよ?』

 

 鼓膜を震わせながら伝えられる牡丹の補足と警告に、俺はチラリと余所見する。一面芒野の周囲を見やる。人外染みた五感と第六感の警告。肌を突き刺すくらいに鳴り響く危険信号。危機が直ぐ側に、目と鼻の先にある事を伝えていた。これは恐らく……。

 

「さて。取り敢えずはこの辺りを探すとしようかな?……あぁ、余り離れてくれるなよ?罠に嵌められて酷い死に方をするぞ?」

 

 此方の思考を読み取ったように機先を制して警告する我妻殿。そして捜索の道標として先導するように歩み出た。それは勝手に辺りを歩いて旧都の防衛機構を調べてくれるな、という意味もあるように思われた。不自由な事だ。

 

 ……まぁ、だからといって反発して逆張りするって訳にも行くまい。

 

「そりゃあおっかない。くわばらくわばら……」

 

 戯けるように、半分くらいは本気で怯えながら俺は狸様の手招きならぬ尾招く狸尾を目印に続く。しかしこれは……。

 

「因みに、探してる相手が既に罠に掛かってお亡くなりって事は無いよな?」

「案ずるな。その場合は遠目からでも分かるド派手な花火となって発動するから一目瞭然さ」

 

 そして、際どい忍装束の隙間から蠱惑的な肉体を覗かせた狸殿は事も無げに恐ろしい事を付け加えてくれる。

 

「……まぁ、その分罠の閾値は高めに設定してあるがな。たかが狸やら鼠やら、相手に一々対凶妖用の呪罠が発動されては敵わんからな。因みにお前さんは恐らく仕掛けの発動対象だからな?」

 

 そう語りながらも隠匿されているのだろう罠の間隙を歩む我妻。その直ぐ後ろを俺は続く。途上あからさまに進路を変えて、あるいは一旦立ち止まり、あるいは黙るように指示するのはそういう発動条件なのだろう。悪辣な。もしや発動範囲が巡回してるタイプのまであるのかよ?あと、牡丹。俺は牛骨

 

「これくらいは当然よ。ある程度知識があるとは言え私がこうして先導出来るのだ。その道に通じた……それこそ最高位の狐に猫、それにお前さんを鑑賞している鬼ならば抜けかねん。ここの仕掛けだけではな」

「ここの仕掛けだけなら、ですか」

 

 つまり二重三重に詰ませる罠があるという訳か。扶桑の魂が形になったような話だな。

 

「一応聞きますが……逸れたら助けが来るまで動かない方が良いですかね?」 

「場合によっては動き回って貰った方が良いかも知れん」

「何故?」

「今のお前さんならばここの罠の一つ二つくらいならば死なんだろう?寧ろド派手に居場所が分かるから探しやすいな」

「何か、扱い酷くない……?」 

『手っ取り早くはあるでしょうね』

 

 内と外からの、余りにもあんまりな物言いに俺は思わずしょんぼりと泣き言を漏らす。あの、その、もう少し手心をというか……。

 

「真っ当に中身が人ならばそうしてやるさ。否定しなかったな、お前さんは神擬きだろう?少なくとも、血肉は、な?」

 

 そして、彼女はそのように嘯きながら流し目気味に振り向き、不敵に ……酷く獰猛に笑う。

 

 我妻は極めて自然な動作で、懐から文字の彫られた苦無を引き抜いていた。動作、視線、意識の誘導。相手に殺声を悟らせず、認識すらさせない隠行の極致。

 

 クルリと振り向き、苦無を振りかぶり、狙いを定めて俺をじっと見つめていた。その瞳には、欠片の殺意も宿っていない。何が不可思議化と言えばこうして俺は行為を目撃して認識しているのに、その意味を認識出来ず、危機感も抱けずにぼけっと佇むばかりという事だろう。正しく、圧倒的な格の違いによる認識阻害であった。

 

「其処を動いてくれるなよ?」

「はい?」

 

 恐らく言うよりも早く投擲されていた。頬を掠めて苦無が通り過ぎていた。背後からのくぐもった音が漏れる。悲鳴というよりかは空気が抜けたような音だった。

 

 背後から音もなくアンブッシュを仕掛けようとしていた『何か』の機先を、彼女は完璧に制したのだ。そして、俺を助けた……。

 

「いや、しかし……警告くらいは……って、案山子?」

『ほぉ。これは……また酷く古めかしい型式ですね』

 

 背後を向いて、俺は背後から忍び寄って来ていた存在に眉を顰める。耳内からもある種感嘆したような呟き。

  

 それは仰け反った姿勢で、人で言う所の顔面に当たる所に深々と苦無が突き刺さっていた。大の大人でも頭の先まで見えなくなってしまう芒野に丁度紛れこめる程度の躯の、案山子だった。恐らくは傀儡型の式神で……直後式は苦無が突き刺さったままグイッと頭を此方に向けた。

 

 眼を模した文様の描かれた面を此方に向ける。次の瞬間にはバサリと襤褸着を纏う藁身から幾つもの刃身を生やしながら、一本足で飛び跳ねた……!!

 

「っ!?」

「動くな」

『動かないで下さい』

 

 応戦しようとするのを耳内の式と背後の我妻が同時に制した。跳躍した案山子は天高く飛び上がると一本足で軽やかに着地して、刃で薙ぐように身を振るう。

 

 ……俺達とは見当違いな方向に向けて。

 

「……?」

「苦無に幻術を仕込んでいてな。相手の距離感と方向感覚を狂わせるように出来ておるのさ」

 

 虚しくもひたすらに空を斬り続ける案山子を一瞥して淡々と我妻は宣う。偶に掠れたように振るわれる刃が彼女の髪を数本

、本当に薄く切り落としてさらりと宙を舞うがそれだけだった。彼女の肌には傷も怪我も、その片鱗すらも見当たらない。目と鼻の先の刃の風圧に前髪が揺れる……。

 

「それっと」

 

 そして足で払う。コロンと転がって刃が地面に突き刺さる。突き刺さって悶えて暴れる。そして……抜け出せずに刃を支えに宙に浮いたまま両手と一本足をブンブンとのた打ち回らせる。

 

 ……。

 

「……何か、間抜けじゃない?」

「あれは古い型式でな。正直言って今の基準だと馬鹿と言わざる得ん。しかも古い故に規格統一されておらんから、今の簡易式とは違って自律行動算式を改善する事も出来んのよ」

「丸ごと変えればどうなので?」

「勿体なかろう?」

「その結果が……これですか?」

 

 俺は短刀を手にしながら問た。芒野の彼方此方からそれらは現れる。同じように眼紋様の面を備えた案山子。一発目と同じように針千本宜しく刃を全身から突き出す物。あるいは鎖鎌を引き摺る物。大鎌をぶら下げた物。一本足が槌状の鉄塊となっている物……ゾロゾロと姿を現す。連携するかのように統制されて統率された動き。平穏とはまるで無縁の気配を漂わせて続々集結。

 

 ………明らかに幻術使いの存在を想定しての戦闘体制。位置取り。最初の一体はさしずめ斥候、小手調べであったか。何が馬鹿か。

 

「……呆けた、って訳じゃないでしょう?知らぬ間に改善されてたのでは?」

「改悪の間違いだろう?……流石に私も其処まで耄碌なぞせんよ」

「その心は?」

「鶏知な御上方が、今更旧都の中古傀儡式に金なんて出すものか」

 

 この上なく説得力のある御言葉であった。成程。ならばこれは事故でも現場猫でなく……となれば、本格的にきな臭くなって来たな?

 

「……其処から動いてくれるなよ?此奴らの意義は侵入者に罠を踏ませる事だ。私が対処しよう」

 

 そして罠を避けるような足取りで一歩二歩、我妻殿は前に出る。それに対応して案山子共も蠢き出す。中には手を地面にやって三本足となって蟹歩きする物も。面に描かれた眼紋が俺の方を見てる気がするのは気のせいではない筈だ。

 

「……因みに、我妻殿が対処し切れないものは?」

「其処で頑張れ」

「冗談でしょう!?」

 

 余りに無慈悲で無茶振りな返答に向け、緊迫した中で俺は衝動的に突っ込みを入れていた。

 

『『『『…………!!!!』』』』

 

 そしてそれを合図とでもしたかのように、直後一斉に案山子共が飛び掛かった。四方八方から、それは明らかに単独では対処仕切れぬ計算された同時攻撃であった。

 

「ほれ、来たぞ!」

「あああっ!畜生めぇ!!?」

 

 その場から一歩も動いてはならないという、実質的な移動制限という特大縛りプレイを課されたまま、俺は殺意満載の刃の雨を、迎え撃つ羽目になった。

 

 ……取り敢えずあからさまに胴体を泣き別れさせようとして来た大鎌を、イナバウアーで初手回避するのを強いられたという事だけはここで言及しておく。

 

『……この戦闘理論式は、まさか?』

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

『ナァー。ナァー♪』

 

 蛍夜環がそれに気付いたのはつい先程の事であった。そもそも、それが何時から其処に居たのかすらも分からなかった。唯、敵意が無い事だけは理解出来た。

 

「……君は、何処から来たんだい?」

 

 殺風景な部屋で、理不尽に囚われて、それきりに何刻経たか。流石に混乱と困惑、怒りに動揺といった感情も一旦鳴りを潜めて退屈を感じ始めていた所であった。故に環は思わず手招きをしていた。この旧都によもや邪なものが紛れている筈もないだろうという過信もあった。

 

 何よりも、それは酷く弱々しく愛らしく見えたのが一番の理由であったろう。犬のようにも猫のようにも、兎のようにも見えた。円な瞳に可愛らしい鳴き声。愛玩動物を思わせるそれが何であるか、環は知らなかった。このような生き物がいるのだろうかとも思った。妖であろうか、しかしそれにしても敵意も悪意も邪気も感じられない。妖ならば幼妖でももっと嫌な気配がしても良い気がするのだが……。

 

「あ、けど式妖ならそういう気配も薄いんだっけ?」

 

 招きに無警戒にやって来た存在の喉を撫でながら環は思い出す。師の一人たる御意見番は式遣いでありその道の専門家でもある。妖を使った本道式の中には品種改良や改造、誓約による規制により妖の負の側面を抑えられる事例もあると聞いていた。もしや、これも……?

 

『ナァー♪』

「ははは……君はお気楽だね。なぁなぁ♪」

  

 心地良さそうに喉を鳴らす音。気が抜けそうになる呑気さ。環は脱力しそうになる。やはりだ。触れれば分かる。これは犬猫程度の力しかない。余りにも弱い。下手すれば子供に蹴られただけでも死んでしまうのではないだろうか?警戒が一層緩む。膝を着いて、怖がらせぬように腰を屈めて視線を合わせてやって、応えるように自分も鳴き真似をして見せる。何も出来ぬ無力感を、鬱々とした今の気持ちを紛らわせるためであった。

 

「それにしても、本当に何処から……そう言えば?」

 

 そして環はふと既視感を抱く。眼前の愛玩動物の仕草に、思い出す。彼の少女の事を。何時ぞやの、『迷い家』にて出会した謎の退魔士の事を。鬼熊の式妖を操る彼女の傍らには、確か猫のような式もいて……。

 

「名前は……確か、牡丹さん、だったっけ?」

『ナァ!』

 

 最早亡き彼から余り口外してくれるなと言われた存在の名を呟いたのと、眼前の存在が反応したのを環は最初偶然かと思った。しかし……同時に訝る。

 

「いや。まさか、ね?もしかして僕を助けるためになんて……なんてね?」

『ナァー♪』

「……」

 

 またもや応答するような鳴き声に、環は本格的に訝んだ。待て。これは、此方の言葉を理解している……?

 

「……僕をここから抜け出させてくれたり、する?」

『ナァ!』

「本当に、此方の会話を理解しているの?」

『ナァ!ナァ!』

 

 ウンウンと、頷くような振る舞い。偶然?本当に偶然なのか?しかし……だとすれば何のために?一体、誰の差し金?牡丹という彼の知り合いだった人の?どうして?

 

「君を送り付けて来た人って、もしかして……わっ!?」

『ナッ!!』

 

 そこまで口にしかけた瞬間だった。獣がポーンと軽やかに跳躍したかと思うと、スルリ、と環が着ている着物の裾から、内股の隙間へと滑り込んできた。狭い場所を好む猫さながらの滑らかな動き。太腿の柔らかい肌に、獣毛の細かくこそばゆい感触が撫で擽る。

 

「きゃっ!?もうっ、びっくりするじゃないか!?」

 

 慌ててその場から跳ねて立ち上がる環。一歩二歩と仰け反る。当の獣は何処吹く風で、環の足元をグルグル走り回る。足の間を何度も遊ぶようにして潜り抜ける。環の白い肌の覗く脛を擦り、摩り付ける。甘えるように鳴く。

 

「も、もう!く、擽ったいっ!?こ、こらっ!!?このぉっ!?」

 

 環ははしつこく脛を擦り擽る痴れ者をガシッと捕らえた。余りにも容易であった。捕まえられたきり、持ち上げられてもそれはダラリと四本脚を垂らしてブラブラさせるだけであった。正にされるがままである。欠片も暴れる素振りもない。生殺与奪は完全に環の手の内にあった。円らな瞳はそれを理解しているのか、今一つ判然としなかった。

 

「悪戯者めっ!騒がさせないでくれよ?……気付かれちゃうだろう?」

 

 最後は声を低くして、扉の向こうの気配を気にして怒って見せるが、やはり何処吹く風の悪戯獣であった。何を怒られているのかすら……いや、もしやこれは、そもそも怒られている事すら認識していないのでは無かろうか?これは、仮に式妖とすれば相当な馬鹿なのでは無かろうか?

 

 だとすれば……。

 

「君は、一体何のために……」

「環殿、何かありましたか?」

 

 まともな返答があるか怪しくなってきた闖入者に無意味かも知れぬと思いながらも問おうとして、その前に扉の向こうから怪しむような呼び掛けに環は硬直した。ビクリとして扉の方を見る。緊張しつつ環は応じる。

 

「な、何でもないさ!ひ、独り言で気を紛らわせていただけで……!!」

「……!?入室しますぞ、良いですなっ!?」

「えっ、いや……えっと、今袴を脱いでいてさ……!?」

 

 言い訳に対してまるで無視するかのような返答に、環は咄嗟に言い訳をした。相手が思わず躊躇するのを狙って放たれた返事。しかし……。

 

「失礼仕る!」

「いや、待って……!?」

 

 容赦のない無慈悲で一方的な返事に、環の制止の言葉は間に合わなかった。直後には扉が勢い良く開かれていた。乱暴な物音が鳴り響く。険しい表情で衛士と神職が足を踏み入る。その狼藉に慌てて捕らえていたそれを背後に隠さんとする環。それは無駄な行いであった。

 

 環の眼前で、部屋を見渡す彼らは困惑して、そして唖然として、そして驚愕する。

 

「環殿?環殿は、何処に、一体何処に……!!?」

「えっ?僕はここに……」

「逃亡だっ!逃亡だぞぉ!!?」

 

 環が呼び掛けるのも気にもしてないかのような神職の怒鳴り声。卒倒するような叫びであった。衛士も彼方此方部屋を見渡して見当違いの場所を取り調べる。環は唯其処にいるというのに誰一人視線すら合わなかった。次第に人が集まり喧騒は大きくなっていく……。

 

「えっと……これは、どういう事?」

 

 ナァナァ鳴き続ける存在を背後に携えたままに環は眼前の事態に当惑する。訳が分からない。自分はここに居るのに、どうして気付かない?一体何が起きて……。

 

「……!もしかして、君が?」

『ナァ!』

 

 肯定を思わせる鳴き声と共に、獣がスルリと環の腕の中から擦り抜けて床に着地した。そしてまるで自慢げに長い尻尾をくねくねと揺らし、お尻を向けた姿勢のまま、首だけを器用に環へ振り返らせる。

 

 『ナァ!』

 

 一鳴き。そして、トテトテトテ、と短い足で歩き始めた。人の喧騒、人垣を抜けるように。

 

 ……まるで、「僕に着いておいで」と環を誘うかのように。

 

「何処だ!?」

「脱出した痕跡は無いのかっ!!?何か術を使役した痕跡はっ!!?」

「いえ、何も……」

「〜〜〜っ!!?呪具の類は全部没収したのだろうな!?」

「当然ですっ!そんな雑な仕事はしてません!!」

 

 目と鼻の先での会話に獣に向いていた意識が移る。神職共が顔を真っ赤にして怒号を飛ばし合っている。必死の形相だ。

 

「……に、認識阻害?」

 

 学んだ知識からの己の置かれた状況への考察。そして環は試しに、目の前を走り回る衛士の肩へ手を伸ばしてみて……。

 

「ええっ!?」

 

 しかし、その手はまるで実体のない幻影を撫でるように、相手の衣服を静かに『透過』してしまった。これには愕然とせざるを得ない。手応えすらなかった。

 

「ゆ、幽体離脱って、訳じゃないよね……?ちゃんと自分の足で床を踏んでる感覚はあるし……」

 

 思わず自分の身体を見下ろすが肉体が消えている訳でも、当然床に自分の死体が転がっている訳でもなかった。唯、世界の理から自分だけがズレてしまったかのような、何とも形容し難い浮遊感だけがあった。

 

 世界からズレている、あるいは世界を抜けてしまっているような感覚。水を掴めぬように、指の間から漏れてしまうかのような……?

 

『ナァ!!』

 

 悪戯獣は、既に開け放たれた扉の境界線を超えようとしていた。催促するように今一度、そして一際強く鳴くと「置いていっちゃうぞ」とばかりに、パニックに陥った衛士たちの股ぐらを悠々とくぐり抜け、廊下の曲がり角へと消えていく。

 

「え、えっと!?ま、待ってよぉ……っ!!」

 

 他に選択肢などなかった。環は、その愛らしくも底の知れない謎の毛玉の後を、吸い込まれるように追いかけるしかなかった。

 

 全ては、その者の掌の上で進んでいた……。

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