和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 夏場は暑いので投稿ペースが落ちます。ご承知下さいませ


第二三六話

 人里離れたその地に広がるのは、地を覆うが如き大樹林の影と煌びやかな満天の星空、そして果てなく伸びる輝く雄大な河川であった。場所を選べば、夜の天地を美しい河が分け隔つ絶景を目にする事も出来たろう。正に景勝地である。

 

 その川辺……河原に足を踏み入れれば、最初に鼻腔を突くのは濡れた苔と深い森の清廉な匂い、そして大地から間断なく滲み出る上質な霊気であった。鼓膜を震わせる清流の奏でるせせらぎの音色は傍に来れば意外に力強く、それでいて驚く程心地よい。山から来る澄んだ冷たい風が夏の蒸し暑い筈の夜を程よく涼しめてくれる。翡翠の可憐な鳴き音は実に優美であった。

 

 旧都と呼称される一帯の最外縁、その一角たる山奥。聖なる地に流れる壮麗な大河は、唯美しいだけなく、それ自体が要となり邪なる物を越える事を遮る障壁として機能している……。

 

『うーん、いいねぇいいねぇ。実に住心地良く風流だ。避暑地に庵の一つでも欲しいくらいだぜぇ』 

 

 それが河原の側にて深く腰掛けて寛ぐ蒼い鬼の、赤髪碧童子の第一声の感想であった。その足下には羽虫を祓うための除虫香の煙が立ち上り、傍らの台座には酒の詰まった瓢箪と水桶が安置されている。桶には霊気の染み込んだ川水が汲み取られ、其処に瑞々しい夏野菜達所狭しと浸し沈んでいる。

 

『さぁてとぉ。そろそろ……。にししし。よしよし。よく冷えてんな?』

 

 手を伸ばして胡瓜を桶の中から掴む。水の滴るそれをシャクリと小気味良く中程まで噛み砕く。すかさず瓢箪の中に詰まった辛い酒を呷った。喉を鳴らして二度三度……そして吐息。極楽気味に蕩け顔を浮かべる鬼が其処にいた。完全に夏を楽しんでいた。満喫していた。

 

『あー、やっぱ夏はこれだなぁー。おっと……来た来たぁ♪』

 

 耽溺していれば手元に掲げていた釣竿が反応する。引っ張られる竿を動きに胡瓜を咥えたまま鬼は応戦した。

 

『大物かね?うんよっと……ほいさっ!!あ、糞、坊主かよ』

 

 鬼がその膂力で一気に引き上げる直前、糸が切れる。釣り餌諸共獲物は逃げてしまう。川の流れに身を任せて遠ざかってしまう。口を尖らせて鬼は愚痴る。

 

『……って、んな事許すかよぉ!おらぁ、行っけぇ!!』

『うぎっ!?重いのよぉ鬼ぃ!!』

 

 腰掛けから勢い良く立ち上がって鬼は指を指して命じた。勢い良過ぎて腰掛けにされていた蛇が呻いて愚痴る。直後に蛇の眼前をそれは疾走して通り抜けた。脱ぎ散らされた衣が空を舞う。一瞬置いて水飛沫が舞い散る。静寂をぶち壊して何かが川を這い泳ぐ。そして影が投げつけられる。

 

『ひゃはははっ!大物ぉ!!』

 

 蒼鬼の賞賛。河原の砂利の上に放り投げられたそれは天魚であった。それもニ尺にも及ぶ大物である。央土の霊脈の恩恵を存分に受けた結果本来以上に肥え太った大物だ。打ち上げられても尚元気に跳ねる。川に向かわんとするのを無慈悲に蹴りつけて陸に押し込む。バシャバシャと何者かが川より戻って来る。

 

『あー、かぁか、かぁかぁ~!!』

 

 川より犬泳ぎみたいに豪快に水を撒き散らしながらそれは這い上がって来た。一旦四つん這いになって陸に上がり、よろけながらもどうにか立ち上がって、鬼を見つめると疾走する。瞳を綺羅綺羅と輝かせ、両の手を向けて、満面の笑みを浮かべて……。

 

『あらあら、先ずは身体を拭いて召し物を着ましょうね?何歳でも、身嗜みは大切よ?』

『あ~?』

 

 そんな存在に立ち塞がったのは黒い狐であった。九尾にてそっと包み込むようにそれを抱き込み、川の清水にずぶ濡れた身を手拭いで優しく拭っていく。されるがままに、仕方なさそうに堪えるそれを、あやして衣を羽織らせる。脱ぎ散らされた物を器用に尾で手繰り寄せ、砂を払って皺を伸ばす。甲斐甲斐しく世話をする。すくすくと、最早赤児とは言えぬ背丈まで育ったそれを、見た目相応に扱う黒麗。

 

 ……鬼はそんな事なぞどうでも良いように天魚を串刺にしていた。

 

『……全く。折角獲って来てくれたのですから、先ずは褒めてあげても宜しいでしょうに』

『んー?おー、良くやったぜー』

『かっか!かっか!!』

 

 世話をする黒狐の小言に鬼は雑に褒める。あからさまに適当な褒め様に、きゃっきゃっと無垢に反応する存在と見比べて黒麗は頬に手をやり深く嘆息する。鬼は欠片も気にせずに、下処理すらもせずに獲物を焼き始めていた。

 

『けけけけ。面白れーもの魅せてやんよ。おらっ!かーっ!ぶふぇ!!』

『いや、熱っ!熱いってのぉ!!?』

 

 鬼がやったのは火吹きであった。酒を呷り、その酒精を純化して、舌の摩擦を着火の切っ掛けとして酒を噴き上げる。火炎放射であった。豪快に魚を焼いていく。火の粉が腰掛けにされいる蛇神に降り掛かって罵倒と共に暴れ出す。全裸腰掛けだから尚更だ。

 

 ……悔しいが、これが誓約付きの賭けに負けた代償である。

 

『情けねぇ奴!……おっ、やっぱ面白れぇよな?けけけ、ほれほれ見ろ見ろ。ぐげぇー!』

『きゃっきゃっ!』

『端ない。教育に悪いですのに』

 

 汚い火炎放射を見世物染みて魅せてやればそれが拍手喝采の歓声を上げる。気を良くして更にぶち撒けてやる鬼を、黒麗は眉を顰めて肩を竦める。実に下品な水芸……炎芸であった。風流ではない。

 

『……おや。やはりですね』

 

 見苦しい光景に心底呆れ果てていた黒麗は、そして河の向う岸より舞い戻って来た狐……狐の簡易式の気配を感じ取って己の徒労を察した。

 

『蒼鬼殿、これで全て戻って来ましたわ。やはり裏口から訪問は無理のようですよ?』

『うげげげげ!……おー、そうかぁ。やっぱ無理だよなぁ』

 

 塩を蒔いて更に嘔吐染みて火を噴いて、パリパリに皮が焼けた所を摘み食って身への火の入り加減を確かめての鬼の感想であった。

 

 お気に入りの人外人を物見見物で追い掛けて、しかし狸の幻術により撒かれてしまった彼女らは、主に蒼鬼の我儘により旧都への侵入を果たさんとその裏口を探して、そしてそれは徒労に終わっていた。狐璃黒麗が使役して放った狐の簡易式は百と十八。四方八方から旧都の迷宮結界に向かい、半数は散々迷わされて舞い戻り、残りは気付けば滅していた。

 

『旧都の防衛機構はぁ、流石に伊達じゃないわよねー。四代前の私も散々酷い目にあったしぃ』

 

 尻を突き出しての全裸四つん這い状態でブー垂れる蛇の感想。彼女の代替り前の一柱は、この旧都に攻め入らんとして討ち果たされている。当時の記憶は今でも焼き付いている。

 

『畜生めぇー、今回は観戦抜きの結果待ちかよぉー。退屈だなぁ。……はむ。ぷふぇー!!』

 

 不満全開でドスンと蛇の尻辺りに座り込み、程よく焼けた天魚の脂たっぷりの身に齧り付く鬼。鱗も小骨なんぞ知らぬとばかりに呑み込んで酒で流す。酒臭い息を豪快に吐き散らす。黒狐は鬼特有の濃厚な臭いに、抱いたそれと己の鼻を隠してうんざりする。

 

『……そもそも、またあの人外人が訳の分からぬ騒動に巻き込まれると?この旧都で?流石にそれは非現実的に思えますけど?』

 

 嘗て……否、扶桑建国以来幾度も神妖共が攻め入り、あるいは潜入せんとして果たせなかった地、それがこの旧都と呼称される一帯である。ある種絶対の安全圏で、それも単なる貴人との対談に赴いてどうして荒事に巻き込まれるというのか?黒麗には疑問だった。

 

『騙して悪いがって展開だったらぁ、良いのだけどねぇ?命からがら抜き出してぇ、闇堕ち?してくれたら卵作りに乗り気になってくれるかしらねぇ?……痛っ!ちぃ、何するのぉ!?』

 

 鬼に腰掛けにされながら舌を出して蛇神は宣う。宣って、尻を鬼に叩かれて涙目になって憤慨する。肉付き良い臀部に紅葉の跡が浮かぶ。

 

『何って……排卵促進?卵なんて言われたら食いたくなんだろうがぁ!茹で玉子食わせろやぁ!!』

『しないけど!?叩かれて無精卵なんて産まないけど!?いひんっ!?』

 

 文句と共に更に何発も雑にペシペシと叩かれる邪蛇。何ならその間に水桶から鬼が一際大物の胡瓜を取り出して蛇の臀部と交互に見比べる。ザラザラとした胡瓜の表面を確かめる。

 

 …不穏な眼差しと共に牙を覗かせる蒼鬼。

 

『ちょい待ち!!それは本気でちょい待ち!!?せめてもっと小振りの可愛らしい形のを……んぎぃぃぃぃ!!?』

『くりゅー?』

『こらこら、あんなもの見てはいけませんよ?』

 

 絶叫と蛮行の前に尾で黒麗はそれの顔を覆ってしまう。視界を塞いでから光景を見て首を横に振るう。実に醜い八つ当たりであった。見てられない。教育に悪過ぎる。

 

「それにしても……」

 

 蛇の絶叫と鬼の高笑い、そして愚図る声音をあやしつつ、狐は河の向う岸を静かに見やる。

 

『……見てますね』

『こくー?』

『よしよし……気にしなくて構いません。此方の話ですよ?』

 

 抱いたそれが見上げながら不思議げに呼び掛ける様に、黒狐は何でもないかのように応じた。微笑みながら癖気のある翡翠色の髪を撫で回す。撫で回しながら……その意識はやはり河の彼方側に向けられていた。

 

『……不躾な事ね』

 

 本当に本当に、まるで値踏みでもするかのように安全圏から不躾に覗き見て来るそれを蔑む黒狐。感じる視線でその腐った性根は分かった。

 

 しかし、同時に感じる違和感。それは……。

 

『どうして、この視線の既視感は……?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーー

『キャウンッ!!?』

 

 犬の堕神は悲鳴を上げて後退る。その口から垂れるのは神血。そして顎の肉片がズレ落ちる。痛みに怒り狂い、鼻を鳴らして、耳で捉え、目蓋の縫われた大口神はそれを威嚇する。

 

「やはりな。……あくまでも空間を口内に引き摺って来るだけか!」

 

 後から込み上げて来た胃液を唾と共に吐き捨てて、俺は宣う。血に濡れる手車を携えて身構える。目の前の堕犬神の権能に当たりを着ける。

 

 顎を閉じれば、途端に空間が抉れる。百歩離れた所から一方的に相手を噛み殺せるのは確かに反則だ。唯の人間ならば、有象無象の武具のみならば。

 

(眼球を縫われてるのは視線で狙いを見抜かれぬようにって所か?あるいは臭いで食って良いのと悪いのを選別するように調教されてるって所か?まぁ、確かに其処らの下手人ならばそれで十分だろうよ……!)

 

 此方とて人を辞めかけてる身の上である。相手の耳鼻の動きからその機微を読み取り、人を辞めた六感もある。何よりも……俺には相棒がいた。

 

『(⁠>⁠0⁠<⁠;⁠)イヤチョットマッテヨ!』

「それ次だ!」

『(⁠ノ⁠*⁠0⁠*⁠)⁠ノマンマミーヤ!』

 

 馬鹿蜘蛛の直訴への警告。そしてその場から離れずに身を捩る。身を下げて、蜘蛛の乗る肩口があった空間に手車の糸を置く。ブシュと血飛沫が俺の顔に降りかかる。伸ばしていた手車の糸が千切れて、垂れた糸を伝うようにして血が滴り落ちる。眼前では悲鳴が鳴り響く。虫のように裂け広がる大口神の顎の一つがズリ落ちた。

 

「ははっ、悪いな。この糸、神格の外皮でも傷つけられんだわ。ましてや、柔い口の中に仕舞ったらそうもなるわな?」

『(⁠ ⁠;⁠∀⁠;⁠)パパノタメニケナゲニガンバルワタシカワイイ!』

 

 挑発するように俺は宣ってやれば白蜘蛛が自惚れるように感嘆した。なぁにが可愛いんだよ……!!

 

「一蓮托生だろうがっ!悲劇のヒロインぶってくれるなよ……!」

『(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)イッシンドウタイキタコレッ!』

「お前本当に前向きだなおいっ!?」

 

 切れた分、手車の糸を手繰り引いて俺は言い捨てる。馬鹿蜘蛛の死は俺の死であれば、これは決して動物虐待でも神格虐待でもない。

 

 ……大口神が最初に蜘蛛を狙った時に予感はあった。調教の生々しい跡を見れば、恭順というよりは屈服させて従えた存在であるのは明白で、そんなのが素直にお仕事してるだけな筈もなかった。

 

 明らかに堕犬神は馬鹿蜘蛛を狙っていた。力を蓄えるために、支配から逃れるために、純度の高い幼神は絶好の栄養源なのだろう。故にその動きは比較的読みやすかった。何処の空間を食い千切って来るのかが予見出来た。

 

 何処を噛み千切って来るか分かれば罠を張れる。置き蜘蛛糸の鋭利さは今更言うまでも無い。蜘蛛を食らわんとして顎を綴る刹那に糸を置いてやれば空間が千切られて共に転移した糸が口の中を切り裂く訳である。……多分唯の刀とかだとそのままバリバリされんだろうなぁ。

 

『問題はそれでは決定打にはならない事ですね。最下等な神格如きとはいえ、口の中を切り裂かれる程度では殺せませんよ?とは言え、罠だらけのこの場では一歩歩むのすら危険を伴うのが厄介ですね……』

「なぁに、元々殺すつもりはねぇよ。唯でさえグチャグチャに全身呪いが絡まってんだ。こんな所で追加で祟られたかねぇ」

『(⁠>⁠0⁠<⁠;⁠)イモウトヨワタシノウエニノッチャメー!(⁠ノ⁠*⁠0⁠*⁠)⁠ノワッショイ!?』

 

 馬鹿蜘蛛の頭の上に着地する蜂鳥の言に俺は応じる。蜘蛛は憤慨する。身を翻す。性懲りもなく噛み千切ろうとして来たのを避けて置きバズならぬ置き糸をしてやる。悲鳴。血を吐き出す大口神。馬鹿め。何度も同じ事を。鳥頭ならぬ犬頭かよ?

 

『ほぉ?ではどうするお積もりで?』

「それはこれから考え……ちぃ!?意地の悪いっ!?」

 

 咬撃を避けるために飛翔した蜂鳥との会話を打ち切り、俺は咄嗟に装束の腕元にこびりついていたそれを払い落とす。蛆虫を払い落とす。色合い的に明らかに普通の蛆ではなかった。

 

「うげっ……そういう種かよ?」

『あの男らしい仕掛けですね』

 

 俺と蜂鳥は同時にそれを目撃した。大口神の血の滴る口元からボトボトと零れ落ちる蛆虫共。地面に出来る血の池の中でのた打ち回っていた。ゲホゲホと咳き込む大口神の口から蛆が飛び散る。

 

『神格の口内、あるいは体内に毒素を持つ虫妖を寄生させてるようですね。空間を噛み千切ると同時に引き換えに蛆が転移する……いえ、噛む瞬間だけ空間が無理矢理接合されているのでしょうか?』

「何だっていいさ。取り敢えず相手を噛み千切る瞬間に見返りにアレを贈呈してくれる仕様って訳だろ?」

 

 口から溢れた蛆が装束に纏わりつく着くだけで済んでいたのは幸運だった。恐らくまともに食われたらアレが全力で傷口から潜り込んで来るに違いなかった。

 

『ッッッ!!!!』

「ちぃっ!?」

 

 顎が綴じられる。身を捩る。手車を振るう。攻撃ではなく防御のために。何もない筈の真上から撒き散らされた蛆が手車の糸で裂かれて払われる。

 

『下人………!!』

「分かってるっ!ジリ貧だな……!!」

 

 そして俺はチラリと背後を見やる。こちらあちら側は……手伝わなくても問題無さそうかな?

 

(つまりはやはり、此方が問題か……!!っ!?)

 

 寸前で咬撃を避け切って、俺は手持ちの手札を確認する。それが可能なのかを確かめる。行けるか?やれるか?……やるさっ!やってやらぁ!!

 

「馬鹿蜘蛛、腹を括れよ……!?」

『(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)ゴヒャン?』

「な訳ねぇだろがっ!!っ!?危ねぇな、おいっ!?」

 

 肩口を転移する咬撃が掠めた。紙一重ならぬ装束一重である。蛆は……大丈夫だ。皮膚抉って来ていない。こびりつく芋虫を手袋を填めた手で払う。頑健で柔軟な蜘蛛糸製の手袋は食い破る事は叶わない。

 

「ガツガツと食い意地が悪いこった!そんなに欲しけりゃあなぁ……!!」

『(⁠ ⁠╹⁠▽⁠╹⁠ ⁠)!?』

 

 俺は馬鹿蜘蛛を掴んで振り被る。突如としたその行為に蜘蛛は困惑する。何なら明らかに頭上に?マークが現れた気がしたが色々今更なので気にしない。気にせずに俺は……。

 

「くれてやるってんだよぉ!!」

『(⁠ノ⁠^⁠_⁠^⁠)⁠ノオソラヲトンデイルミター……』

 

 最後まで馬鹿蜘蛛が言い終える前に大口神の顎が閉じた。

 

 同時に飛翔する蜘蛛が空中で忽然と姿を消した。まるで空間そのものが切り取られたかのように。僅かに遅れて、眼前の犬は咀嚼音を奏でる。勝ち誇ったかのように口元を歪めてゴリゴリと。ガリガリと。その傷だらけの口内に豪快に咀嚼音を鳴らせて。

 

 そう。ガリガリと。ゴリゴリと。

 

 ガリガリと。ゴリゴリと。

 

『……?』

 

 硬直。咀嚼音が止まる。身震い。そして……ざまぁ見ろ!!

 

『ギャウンッッ!!!?』

『(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)パパヨ!ワタシハカエッテキタァ!!』

 

 次の瞬間に顎が鼻先まで纏めて粉砕された大口神は同時に噴き出していた。全身に回転する走縄を纏った蜘蛛がジェット噴射する巻貝に乗って金平糖の悪夢染みて此方に突撃していた。

 

 ダウンして此方の腕に巻き付いていた走縄を俺は投擲直前に蜘蛛に巻きつけていた。本調子でなくても蜘蛛に巻き付く程度まで躯を縮小すれば良い。巻き付いた状態で高速回転してもらう。俺が模倣体と戦った時に使った手である。肉に縄が食い込み粉砕する光景が口内で再現されるのを想像してみろ。エグいなんてものじゃない。

 

 加えて駄目押しにセットにしたのは天狗の法螺貝だ。正確にはその再生品だ。

 

 十薬家の地下での一連の戦い、そして最後の霊欠起爆の結果、俺は少なからぬ呪具を爆散させた。物を吐き出す法螺貝はその一つだ。

 

 葵は俺の炭化肉片を回収する際に、粉々に粉砕されてしまった法螺貝の、その一部も回収していた。そのままに再生するのは困難で、しかし緻密な作業の果てにダウングレードしてダウンサイズしての再利用は実現させて見せた。殻を継ぎ接ぎにした、大振りな梅貝程度にまで縮んでしまい、ましてや貯蔵出来る容量も相応であるが……何、口内でジェット噴射して蜘蛛を乗せて此方に戻って来る程度は出来た。そんで……。

 

「キャッチ!」

『(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)アンドリリース!』

「トゥ・ヘル!」

『(⁠ ⁠;⁠∀⁠;⁠)ソレダケノコト……(⁠>⁠0⁠<⁠;⁠)ハヤダー!』

「何やってんだろ俺……」

『(⁠´;⁠ω⁠;⁠`⁠)アリヘンハメイサクッテコトヨ……』

「何の話?ねぇ、何の話なの?」

 

 変な電波でも受信してしまったかのような馬鹿馬鹿しいやり取りを終えて、俺は改めて前方を見やる。結果は上々であった。

 

『また随分と酷い事をしてくれますね?正しく、皮を剥いだら化物な奴のやり口です』

「神格相手に問答も容赦も無用だろうが」

 

 蜂鳥の嘯きへの正当な反論である。

 

 大口神の惨状は酷いものだ。幾重にもあった顎は完全に引き裂かれている。もう何もかじれまい。口内で打ち上げロケット染みて噴射を食らったのだ。奥歯まで砕け散って、内臓まで損傷している事だろう。鼻からは汁を垂れ流している。そして……。

 

「流石、腐っても神格だな。しぶとい」

『(⁠ ⁠;⁠∀⁠;⁠)ソレワタシノォ』

 

 オチビにまで縮んだ走縄と梅貝を馬鹿蜘蛛からふんだくりながら、俺は呆れも込めてそう評する。

 

 眼前の大口神は正しく虫の息。恐らく縫われた目蓋の向こうで白眼を剥いてる事だろう。倒れ伏す身体を痙攣させて、だらしなく開いた口から吐血して涎と蛆の死骸を零している無様な大狼の有様……そして、それでも確かに生きていた。下手したら時間を掛ければ完全治癒すらするかも知れない。

 

 ……まぁ、祟りが怖い身からすれば半殺しで済むのは寧ろ好都合か。

 

『目が綴じていてくれて助かりましたね。あんな馬鹿みたいなもの、見えていたら口になんかしませんよ』

「同感だな」

 

 全身に走縄を纏い巻貝に騎乗するドヤ顔蜘蛛なんてどう見たって怪しい。罠だ。毒団子だ。視覚的に見えてたらスルーしたに決まってる。

 

「そちらも終わったか?……流石だな。伊達にこれまで幾柱も神格を葬ってはいないか。まるで神格狩り博士だ」

『(⁠。⁠•̀⁠ᴗ⁠-⁠)⁠✧ダテニパパトイッショニシュラバヲクグッテナイワヨ!』

「いや、お前に言ってないからな?」

 

 さっと気配すら感じさせずに風のように傍らに参上した我妻殿の、俺と悶絶中の大口神を見比べての感想であった。蜘蛛のドヤ顔の応答。そもそもお前は囮役しかしとらんだろが。

 

「もう少し早く来てくれたら嬉しかったんですがね……。そちらは、止めまで?」

 

 前門の虎たる『虎鬼』……の傀儡であった骸や式の残骸を一瞥する。最早うんともすんとも言わぬ様を見て、俺は問う。

 

「まさか。一時的に概念を霧散されてるだけだ。悪用されようとも元は旧都の防衛機構だ、完全に破綻はさせられんよ」

 

 我妻の語るその説明が不可能という意味なのか、それともしてはならぬという意味なのか、今一つ判断しかねた。深く尋ねる必要もなかった。確かに今の所はやり過ごせればそれだけで良かった。

 

 卵が先か鶏が先か。円環の理で結ばれた旧都の『虎鬼』は『迷い家』、あるいは悪名高き凶妖『化野』のように、その土地自体が一種の妖であるらしい。

 

「本来の虎鬼は単純明快なものだ。骸を使役するだけの捻りのない虎妖怪、有り触れた権能よ。……この地の場合は土地に概念を挿入した仕掛けなのが厄介でな?」

 

 霊力満ちる旧都の地力を利用して架空の虎への畏れを形成する。畏れから骸共を起こし、骸共の存在が鬼虎の概念を形成する。その循環である。骸ならば幾らでも用意出来る。死霊術への最も単純な対策は使役する者の殺害だがその使役者は架空で実体無ければ見つけようもない。最初から仕組みの深さに気づけなければ存在しない使役者を散々探し回る事になる。

 

「幻術で一時的にその循環の流れを掻き乱した。……それだけだ。刻が来ればまた概念が安定して復活するだろうな。早くここから去るべきだが……斎宮寮に戻るべき、か?」

 

 我妻殿の問い掛けに、しかし俺は首を横に振るう。

 

「いや。それは悪手でしょう。明らかにこの足止めは此方がそのように判断するのを狙ってます」

「何故かな?」

「斎宮寮殿に引き返すのを足止めするなら、それこそもっと引き離してからでも良い筈。それに……後門に狼と虎両方置いた方が良い。挟み撃ちする理由はない」

「則ち?」

「足止めする側としては前にも後ろにも行かせたくない。それを意図しています。その上で斎宮寮から態々引き離した。なれば……最早相手にとっては斎宮寮にてやるべき事は果たしたという事でしょう」

「成程。……私の式か」

 

 俺の言に同意した元陰陽寮頭は、同時に草叢から現れた子狸……それを模した簡易式に視線を向ける。恐らく、FUTA=NARI様と右大臣を護衛するために置いていたのだろう分身からのものだった。ミィミィと何事かを捲し立てる子狸。

 

「ふむ。ふむ……斎宮寮殿にて姿を晦ました者がいる、だそうだ」

「……環か」

 

 あの百貌の怪物がここでちょっかいを掛ける相手なぞ知れている。彼女以外にはあり得ない。……一体何が目的だ?いや、何処に連れていった?…………恐らくは彼処だな。

 

『あの子が!?あの子が消えたのっ!?そんなっ!?』

 

 遅れて蜂鳥の絶叫。その声質から発言者が変わった事は明白だった。淡々とした振る舞いから動転して酷く狼狽する。

 

「落ち着け。騒いでも仕方ないだろ?」

『だけど!?貴方っ!?あの子が……っ!?私の、私達の可愛いあの子……失礼。静かにさせました』

 

 蜂鳥を通じて漏れる雑音。そして再び淡々とした返答。滲み出るようなうんざりとした口調。向こう側は酷い狂騒ぶりであろう。

 

「すまん。……環の事は俺が何とかするから、安心して待っとくよう伝えてやってくれ」

『まるで娘を連れ戻す旦那みたいな物言いですね?』

「それ、分かってて言ってるだろ」

 

 牡丹の嫌味を込めた物言いに眉を顰めて、受け流す。咳払いして仕切り直す。

 

「……失礼、旧都に張り巡らされた裏道に抜け道、その中に斎宮寮殿から直接『真宮』に向かうものに心当たりは?」

 

 俺の問い掛けに我妻殿は渋い顔を浮かべる。

 

「公式には無い。無いが……そもそも私が全ての構造を知れてる訳ではない。それどころか朝廷すらも本当に全て把握してるのか知れぬ」

「ワンオペだったそうですからねぇ」

 

 愉快犯な初代陰陽寮頭なら誰にも教えてない道もあり得なくはない……いや、誓約かあるから勝手には出来ない?原作だと旧都に手を出せないようにも触れられていたが……分からん。原作ブレイクか?糞、誓約の内容が分かれば良いのだが。

 

『……何を考え込んでいるか知れませんが、どの道を辿っているか知れぬならば、行き着く先にて待ち伏せておけば良いだけの事です。違いますか?』

 

 迷走し、逸脱しつつあった思考を叱咤するようにそう述べたのは頭上に着陸した蜂鳥だった。牡丹の蜂鳥越しの簡素簡潔単純な、そして本質を捉えた意見。

 

「だそうです。……我妻殿、自分は『真宮』への入殿は可能ですかね?」

  

 俺の口にしたのは実に分を弁えぬ暴挙染みた暴言だった。この旧都が公的にはひた隠す、そして最も重要な聖域への土足での入場許可であった。本来ならば、それは秒で拒絶されても当然の要望だった。しかし……。

 

「……抜け道があるとして、単に旧都の外に拉致されただけかも知れんぞ?」

 

 即断の拒絶ではなく問い返された意味。それを理解して俺は自身の説明責任を果たすために口を開く。

 

「此度の企て、予想の者ならば態々旧都で攫う必要はない筈です」

 

 少なくとも旧都の防衛機構を弄れるが出来る事を知られぬのは一つのアドバンテージの筈だ。他所に連れ出すだけならばそれを晒す必要はない。ならば、逆説的にそれが知られてでもこの地で攫う理由があるという事……それを語る。

 

『蛍夜の娘……彼女の有する簒奪の力からすれば旧都は御馳走の山でしょうね。幾らでも大逸れた事に利用出来る筈です。あれは口が回りますしね』

 

 蜂鳥は忌々しく吐き捨てる。百貌の初代陰陽寮頭の甘言に夢中になった経験のある者の、実感の籠もった言葉であった。

 

「……貴様らを見張り取りなすだけが仕事と思って赴いた筈なのだがな?」

 

 我妻は苦虫を噛み潰したように呟いた。彼女がこの場で求められている選択肢を思えば当然の愚痴であった。

 

「見方を変えて下さい。俺と共にいる時に身構えておけば良いんですよ」

「言ってて虚しくならんか?」

「それは言わない約束です……」

『(⁠・⁠∀⁠・⁠)ミガマエテイルトキニモシニガミハクルモノヨ……』

 

 我妻の葛藤は、しかし短かった。大乱も知る彼女は時は金である事を知っていた。そして責任の取り方もまた同様に。

 

「上手く行っても切腹になるかも知れんな」

「自分が取りなしましょう」

「それは助かる。何処かの説明責任も果たさずに逃げ出した者とは大違いだ」

『……』

 

 俺と我妻の会話に蜂鳥の向こう側で誰かが目を逸らした気がした。狸殿は鼻を鳴らす。そして続ける。

 

「此方の動きを読んで待ち伏せもあるやも知れん。目隠しはせん。急ぐぞ。……向かう道程は忘れてくれよ」

「言葉の綾ではなく術的に?」

「当たり前であろう?」

「ですよねぇ」

 

 言葉のみの善意を信じる程に我妻は甘くはなかった。致し方なき事であり、妥当であった。

 

「消す記憶以外には触れぬし弄らん。約束しよう」

「……約束ではなくて誓約を頼みます」

「ふっ」

 

 不敵に笑う狸は、瞬きの次の瞬間には、最早人ではなかった。その躯は全力で見上げねばならぬ程になっていた。

 

 鋭さのある灰褐色の毛皮に覆われた四足の獣が其処にいた。鼻先は鋭く、顎を開けば牙が覗く。容易に人を丸呑み出来よう。怪物然として、しかし確かに理性と知性を残した眼は此方を見下ろす。

 

『私の毛皮は剛毛でな。刺々しくて乗りにくいだろうが……文句は言ってくれるなよ?』

 

 そして幻想を纏った獣が風も置きざりて疾走した。赴く先は旧都の一番の深淵。本当の意味での、狭義の意味での旧都へと。

 

 扶桑の始まりの地、岩戸の『真宮』へと。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ!!」

 

 河原の傍で鬼共が侍り、芒野を狸共が立ち去った頃。その一方で夜の山道をその凡俗な男がひたすらに走り抜けていた。息絶え絶えになっても尚も必死に走り続けていた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……んぐっ。っ……!!」

 

 我武者羅にひたすら走れば心の臓が高まり、口の中が鉄の味に満たされるのは道理である。熱を帯びた身体。汗が並々と流れる。唾を呑み込んで、更に走り続ける。無理を押しての疾走。ふと振り返るのは追手の有無を確かめるためだ。大丈夫、誰も来ていない。何も来ていない……。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……ここでぇ、道を、逸れる……!!」

 

 必死に道程を思い返して思い浮かべる。記憶と違わなければ中腹の杉の木の辺りに目印がある筈だ。小さな社で踵を返す。二周して、南に向かう。それが至る道程だ。

 

 決してここから先の木々を見ていてはならない。例え木々に無数の目玉があり此方を睨みつけていてもだ。人面樹と吸血樹を接木して交配させたその品種改良品は、見返して来る者を襲うようにその習性を調整されていた。監視の視線を常に気にするだろう潜入者こそが墓穴を掘るように……。

 

「っ……!?」

 

 慌てて足を止める。身を伏せる。予感は的中した。月に照らされる目の前の草叢に影が落ちていく。雲ではない。それは確かに影が這っていた。彼は巨影として潜むそれが過ぎ行くのを息を止めて唯唯待ち続ける。それが敵味方を考慮しない事は幼い頃に教えられていた。

 

 ……刻が過ぎる。もう既にそれは立ち去った。それでも暫し様子見る。急がば回れ、油断大敵である。

 

 ……気配を探る。慎重に気配を感じ取る。問題ない。問題ない……!!

 

「……!!」

 

 意を決した男は再び駆け出した。幸い何物も彼を噛み食いはしなかった。ならばこそ、待機していた遅れを取り戻すかのように一心不乱に走り抜ける。彼には、一瞬すらも無駄には出来なかった。

 

 どうしてこうなってしまったのかと、走りながら男は考える。果たして何処で誤ってしまったのか考える。考えてから、そんな考えを振り払う。

 

 誤りではない。選択したのは自分だ。自分が覚悟して決断したのだ。全て織り込んで、その上で選んだ道だ。だから今更何故と自問自答する意味はない。

 

 ……未練がある事は否定出来ないけれど。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……んっ。はぁ。そんなんはぁ、別にいいんだ。今は、守らねぇと。……あいつを、迎えに、いかねぇと」

 

 森の中。横合いの獣道を目にして迷い、そちらの道に惹かれて、しかし後ろ髪に引かれるその思いを断つ。

 

 何を優先するべきか、彼は理解していた。何があの人が何よりも望む事かを理解していた。だから、見捨てる。たった一つの望み。たった一つの護るべきもの。其れだけは見誤ってはいけない。

 

 己が託されて、己が選んだ道なれば、それを違えなければ良い……!!

 

『訳が分からないよ。君はもう違えているじゃないか。アレと共にここを去った時に』

「っ!!?」

 

 詰るような声音の反響に彼は思わず足を止めてしまう。周囲を見渡そうとして思い留まる。木々にめり込んだ数多の目玉と目が合ってはそれこそが最悪であった。だから足下を見るしかない。探索すらも覚束ない。

 

「だ、誰だ!?何故……、一体、何の、話をしてんだ……!!?」

 

 何故知っているのか……其処まで言いかけて、取り繕い恍けた。鎌を掛けられている可能性を思っての事であった。頭を項垂れながら、視線だけを出来うる限り周囲に向ける。妖樹共の目玉と視線が重ならぬ寸前まで視線の俯角を上げて探る。

 

 ……漆黒の樹海の茂みの向こうより、それは闇夜よりも深い黒瞳で此方を見ていた。犬のようにも猫のようにも兎のようにも見える何物か。あるいは何者か。

 

『必死に誤魔化そうとする様は健気な事だね』

『本当に健気だ。無意味な努力なんだからね』 

『全てが掌の上だというのにね』

『君がここに居るのがその何よりの証明だ』

『この刻に君が来るのは分かっていたよ。君がこの地から逃れたその刻からね』

『いや、君が産まれた時からね』

『その前からもね』

 

 立て続けに紡がれる声音は全く同じであったが、明らかに四方八方から発せられていた。反響ではない。明らかに複数人がかたっていた。それでいてまるで同一人物が語るような物言いにも思われた。

 

「……!?そこっ!?そちらもっ!?か、囲まれ……!?」

 

 一つ、二つ、辺りの闇から眼差しが増えていく。闇夜の中で何かの眼光が次々と瞬き現れていく。何もする暇すらなく、あっという間に囲まれていた。此方を凝視していた。

 

『禍麗枷は元気かい?』

「っ!?そんな名で呼ぶなっ!!」

 

 瞬間的に頭に血が昇って、彼は声を荒げてその名を否定した。否定せねばならなかった。名は人を表す。否、それは人の名ではない。物の名だ。そのような名は許されるべきではなかった。彼女には、正しく名があるのだから。正真正銘の、彼女を慈しむ母から授けられた名が……。

 

『じゃあ教えてくれよ。彼女の授けた仮名を』

「煩いっ!!」

 

 土足で心中に踏み入れるような物言いを罵倒して、彼は走る。正体不明の追手から必死に逃れんと駆ける。無数の足音が濁流のように追い立てて来る。

 

『待ってよ』

『お話しようよ』

『どうしてそう、無駄な努力をするのかな?』

『君の身の安全を保証してあげても良いよ?』

『しかも脳波操作も出来る!』

「黙りやがれ……っ!!」

 

 ぴょんぴょんと、無数のそれがあざとく跳ねながら追い掛けて来ているのが視界の端に見えた。何処か愛嬌と間抜けさのある姿形からは想像出来ぬ速さで疾走して甘言を撒き散らす。男は即座に罵り返す。それは言霊術を警戒しての意味もあった。正体不明の存在であるが、本当の意味で口で説得をしに来たとは思えなかった。

 

「畜生っ!!?くっ、おりゃあっ!!」

 

 悪路を必死に駆ける男は、しかし直後に湿地にまで来ると一気に身を切り返した。身を捻って無理矢理に足を止めた。地面に身を叩きつけるように引き返す。衣服を豪快に土に汚すが構わなかった。その先に足を踏み入れるよりは。

 

『あっ』

『おっと、危な……』

『むきゅ』

『あべしっ!』

 

 男がその寸前まで引き寄せたためでもある。全力疾走で追い縋っていた者共は、勢い余って男を通り過ぎてしまい、次の瞬間には短い悲鳴と共に纏めてその場から消えていた。否、吸い込まれていた。

 

「はぁはぁはぁ……へへっ。ザマァ見やがれ!」

 

 耳掻草子は凶暴な植肉植妖だった。沼地に湿地、水辺に茂るそれは人すら飲み干せる捕肉嚢を泥中に忍ばせている。そして獲物が迫れば即座に吸い込み飲み干して溶かしてしまう。犬猫程度の躯しかない者共ではそれこそあっという間だ。男は泥に汚れたままに勝ち誇る。

 

『うん。見てるよ。纏めて十二機も食われちゃったね』

 

 ……背後からの応答に男は引き攣った表情で振り返る。振り返り絶望する。

 

「……畜生っ!」

 

 追い着いて来た後続、いや、際限なく続々と森の四方八方から現れて来るそれらの馬鹿げた数の前には、彼の行いは賽の河原で石を積むが如き、余りにも余りにも細やか過ぎる抵抗であった。

 

『酷いなぁ』

『こんなのでも生産する費用は零ではないのだよ?』

『此方としては手荒な真似はしたくないのだけど……』

『こうなったら、仕方ないよね?』

『君が悪いんだよ?』

 

 何処か呑気にも思える口上を並べ立てながら何百という黒く生気を感じられない無機質な眼光が彼に向けられる。ぞわりとする感覚。背筋が凍る。慌てて立ち上がる。よろけながらも走って逃げんとする。

 

『おっと。逃さないよ?』

「あ、うっ!?」

 

 いつの間にか足下にいた一体。脛を擦るように擦りついていた。足が一瞬硬直する。何かにぶつけたように痛む。絡まりその場で倒れる。顔面ごと地面に転げる。思わず足を押さえる。涙目になる。苦悶する。脛を擦った獣が上に飛び乗って来る。此方を無機質な黒瞳で見下す。

 

『それじゃあ、少し乱暴に行くとしようか?』

「……っ!!?」

 

 咄嗟にソレを手で払い除ける。腕に直撃して吹き飛ばされる人語を語る小獣。しかし、無意味だった。

 

『やぁ』

『こんばんわ』

『お粗末様です』

『お話しようよ』

『予定調和。それだけの事』

『罪を憎んで人を憎まずだよ』

『また髪の話をしてる……』

『楽しかったぜ。貴様との友達ごっこはよー』

『全ては悪魔のようなあの男の企てた事さ』 

『糞蒼鬼の殺し方を教えてくれよ』

『百式の零を見せてやるぜ』

「ひぃっ!ぃっ!!?」

 

 それはまるで砂糖菓子に群がる蟻の大群だった。次々と四方八方から飛び付いて来ては訳の分からない妄言を捲し立てる小獣共。慌ててのた打ち払い飛ばすが余りにも手が足りなかった。

 

 何体かを吹き飛ばすがそれを遥かに超える速度で無尽蔵に纏わりついて来る。その重さに直ぐに膝を折っていた。腕にも次々に巻き付いて来て、抱き着いて来て、腕が上がらなくなる。視界が頭に抱き着く獣によって塞がれていく。一体一体は兎か猫程度であったかも知れない。それでも百を超えれば人を圧殺する事すら可能だろう。正体不明の存在は最早視界に見える範囲でその数を超えていた。

 

「い、や……かっ!?がっ!!?」

『大丈夫。安心しなよ。殺しはしないからさ』

 

 今にも圧殺されそうな重荷に倒れ伏す男の目の前にそれを宣う個体は優雅に歩み寄る。地面に頬を張り付ける有様で視線だけはそちらに向かう。相変わらず無機質な眼球に映り込む男の素顔。嘗てはこの旧都の地より逃れた神職の倅の絶望に染まる表情……。

 

『それに、会いたくはないのかい?君に託した彼女に。……それと、君が付き従っていた下人君の元に、ね?』

「っ……!!?巫女様、それに、それは……!?って、うわっ……ぁ!?」

 

 投げ掛けられた言葉による一瞬の躊躇、混乱、困惑。それが致命的だった。

 

「あ……ぁ、……」

 

 津波のように押し寄せる小獣により瞬く間に彼は呑み込まれて、最早完全にその姿が見えなくなっていた。押し寄せて、纏い着き、乗り掛かって来た傀儡獣共の肉の小山に埋まる。気付けば悲鳴すらも聞こえなくなる。月夜を背にして、折り重なる無表情の小獣共……。

 

『うんしょ。よいしょっと。……ふぅ』

 

 ……男に嘯いた個体がその小山に登り上がる。頂点に辿り着き、満月の空を仰ぐ。

 

『やれやれ。何時迄も世話が焼けるね。……ふむ。綺麗な月だ』

 

 無機質に無表情に、機械音染みた音調での呟きだった。霊絹で構成された尾を揺らし、養殖霊貝の黒真珠を使った眼球が満月を見つめる。

 

『月は何時も其処にある。地の喧騒なぞ気にも止めずに。……地に這う虫螻共なぞ意に返さずに。だったかな?』

 

 それは誰に向けた言葉か。あるいは誰の言葉を反芻したのか。小獣を模った傀儡は語らない。唯、暫し沈黙して……端末との接続を一旦停止して、再起動して感嘆するのだ。

 

『……へぇ、見事だね。もう突破したのかい?此方の想定以上だよ!』

 

 小獣は機械的に笑顔を見せた。傀儡の行動設定に用意されているあざとい程に愛苦しい笑顔の表情態を形成する。悪意の一欠片もなき賞賛であった。評価の上方修正を実施する。

 

 小獣染みたの端末共の小山が動き出した。それは蟻の群体のように蠢く一つの生きた塊になって歩み始める。道を引き返す。道を行く。真の宮殿に向けて……。

 

『それじゃあ行こうか、六輔君。……待ちに待った感動の御対面だね?』

 

 それは、何処までも悪意も害意もない、人の心の自覚の薄い口振りだった……。

 

 

 

 

 

 

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