和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

260 / 263
 製作して頂いたファンアートをご紹介させて頂きます。

 此方ナマズさんより、第一三章第一八九話の迷わし神です。因みに作中にて未遂になった錫杖は薙払いビームを撃って来ます。ワンチャン主人公及びかやはなを全滅させられます。
https://www.pixiv.net/artworks/147551555

 素晴らしい作品、誠に有難う御座います!


第二三七話●

 此方を振り向いたその人に抱いた第一印象は無地の如き無垢であった。直感的に思った。其処で無垢と純粋と純情が人の形を成していた。

 

「始めまして。貴方が私の守人ですね?これから長き付き合いとなりましょう。……宜しく御願いしますね?」 

「……っ!?お、お初に御目に掛かりますっ!自分、阿孫の家より選ばれましひゃ、っ!?いひぇ!?」

 

 甘ったるさすら感じるその撫でやかで艶やかな声音に呆然としていて、父に尻を蹴り上げられて急ぎ挨拶をして舌を噛んだ事を朧気に覚えている。黒い長髪を揺らして、その人に……その御方に生温かな眼差しと共にくすくすと穏やかに笑われて、羞恥に酷く俯いて身を縮こませていたのを覚えている。

 

 ……前々から話は聞いていた。守人の人選がある事を。それでも未熟なんてものじゃない小僧の自分が何の前触れもなく選ばれるのは正しく仰天物であった。子供とすら言えよう自分に、どうしてこのような天下の大任が務まろうか?思わず視線は傍らの父に向かう。ここに至った訳を眼差しで問う。

 

「未熟だからこそよ。大人であれば……分かろう?立場すら忘れて不届きな下郎が出かねん」

 

 精神強化の呪いが付与されているという、何処か間抜けにも見える潮吹面を被りてその容貌を隠した父の、その出で立ちには似合わぬ何処までも重々しい言であった。

 

「……」

 

 何処か釈然とせずに父と、そしてその御方を相互に見比べる。稚心にも朧気に、父の言わんとする意味が分かったような気がした。此方の理解具合を図ったかのように父が言葉を続ける。

 

「しかしながら仕来りである以上守人は付けねばならぬ。ならばこそ貴様よ。未だ幼く男心も付かぬ故にな。……その幸運と名誉に深く感謝せよ。そして、断じてそれを裏切らぬように努めよ。分かったな?努々、この忠言を忘れるでないぞ……?」 

 

 実に重々しい警告であった。剣呑で殺気すらも滲み出ていそうな物言いに緊張と緊迫が戻って来て、思わず胸が締め付けられる。息を呑み、蛇と対面した鼠のように怯え切っていたのを覚えている。理解し切れぬながらでも、己の責任の重さに押し潰されそうになる……。

 

「ふふふふ」

 

 ……そんな己を見て、その御方はやはりクスクスと心地良く笑みを浮かべるのだ。一欠片も悪意なく、優しさに溢れた笑声を漏らすのだ。

 

 神格すらも魅了する、甘い甘い蕩けるような微笑み……。

 

「其処まで驚かさなくても良いでしょうに。こんなに、親離れも出来ぬ程に幼いのに……可哀想では御座いませんか?」

「全ては巫女様の御身を最優先なれば、何卒非礼も御容赦を。この者にも情けも甘えも無用で御座います。巫女様のために、全て投げ出させて使い潰すお積もりで、控えさせて下さいますよう……」

 

 庇うようなその御方の擁護を恭しくも冷淡に父が応じた。自分以上の責を背負う者の態度であった。この地の社にて、何代にも渡り神職を勤めていた者としての矜持が其処にあった。

 

「……分かりました。其処まで語るのならば遠慮するのも非礼というもの。存分に利用させて貰いましょう。良いですね?」

 

 その御方が確認するように呼びかけたのは父ではなく己に向けてであった。その事に不意打ちを食らった気分になって仰天して、しかし胸を張って精一杯に答えるのだ。

 

「は、はいっ!!貴女様の目となりて、手となりて、足となりてっ!!誠心誠意お仕えさせていただきますっ!!」

 

 若干上擦った声だったかも知れない。それでも必死に、己の誠意を籠めて宣言するのだ。唯唯直向きに見上げて、忠義を示すのだ。それが未熟者にも出来る唯一の事であったから。

 

「ふふふっ!元気なお声で宜しいっ!では貴方……えっと?……!御免なさい。御名前、まだ聞いていませんでしたね?そうそう!私もまだでした!」

 

 そしてここに至りその御方は気付いたように目を見開いた。清らかで艷やかな見栄えを思えばそれは些か子供らしく見える。それが逆に見る者を虜にする魅力に溢れているようにも思われた。

 

「それではお先に私から名乗りましょうか?……仮名を繭果。この旧都が真宮にて代々住まう純統の巫女が一人。あるいはもう最後の一人かも……?改めまして、宜しく御願いしますね?」

 

 人懐っこさを感じさせる少し戯けた口調で声を奏でながら、その御方は屈託なく名乗る。

 

 ……座敷牢の鉄格子を挟んで、無数の呪符が壁一面に張り巡らされた部屋の中にちょこんと座り込んだままで。それを当然のものとして受け入れて。

 

 ……まるで籠の鳥のように。

 

「それで、私の御世話をしてくれる小さな守人さん。……貴方の名前は?」

 

 そしてそれら全てを感受した御方の優しさに溢れた問い掛けに、己は自らのその真名を口にして……。

 

 

 

 

 

 

『やっと目が覚めたかい?それじゃあ……感動の御対面だね!』

 

 蠢く肉の塊を前に、獣は嘯いた。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーー

「……」

 

 夜も深まり、逢魔が刻。物忌の浄め事を終えて白無垢の寝間着を身に纏った幼さを残す貴人は御簾の内から天を覗く。残念ながら曇天が月を隠してしまっている。

 

 風情がない……少年は思った。その退屈そうな仏頂面には隠し切れぬ疲労が滲み出ている。実際、日頃を思えば此処に至るまでの旅路と、辿り着いてからの一連の勤めは大変な忙しさであった。

 

 ……遠くから足音がする。床の軋む音だ。人の気配がゆっくりと迫る。その歩み方から即座に御簾の内の住民はそれが誰なのかを察する。

 

 ……思わず良からぬ期待に胸が高鳴る。

 

「宜しい。中へ」

「……ははっ」

 

 その人の機先を制するような命であった。互いの立場を考えれば先方から声を掛け得ない事を思えば、この身が物忌の立場である事を思えば、それは実に思い切った呼び掛けであった。口にした彼女自身、遅れてその行為が酷く大胆に感じて来て、思わず頬を薄く染める。曇天である事に感謝した。暗闇が火照りを隠してくれる。

 

 ……擦れる音と共に恭しげに襖が引き開かれる。入室するその人を迎えんと御簾の内で振り返る。視線の先には腕を組み頭を垂れる凛々しい貴公子が其処にいた。御簾を挟みて視線が重なる。貴公子は些か怪訝に、そして案じるように表情を浮かべる。

 

「夜晩遅くに失礼をば。様子を伺おうと近くに寄りまして……まだ起こしでいらしましたか」

「……」

 

 その言に応じるように、沈黙と共に御簾を寄せてその顔を覗かせる若い貴人。男とも女とも断じ難い線の細い扶桑で最も高貴な人物は直に顔を向け合う臣を前に、一瞬発すべき言葉に迷いう。迷いつつ、どうにか組み上げた短な返答を辿々しく紡いだ。

 

「……緊張、していて」

「……御心中、お察し致します」

 

 明日の、御簾の内の存在の斎王としての務めについて、敢えて口にした弱気な吐露に、臣下たる若人は寄り添うが如く応じてみせる。

 

「御安心下さいませ。全て打ち合わせは出来ておりますれば、主は唯その場にて君臨するのみで問題ありませぬ。何時も通りに。……そう、何時も通りに振る舞って下されば何も問題はございませぬ」

 

 腕を組み、頭を垂れ、辰園の右大臣は申し上げた。申しながら、大臣自身大変酷い物言いである事を否定出来ずにいた。さもありなん。それは実質傀儡宣告であったのだから。

 

 歴代で精力的に政を推し進めた帝がいなかった訳ではないが少数派であった事もまた事実。半数以上が趣味にその生を捧げ、公議において唯唯主座に居座る事のみの存在であった。一言すらも口にせず、唯聞いて、唯追認し、唯判を押すだけの存在であった。堅康が述べた言は、正にそれに倣う事を命じるに等しかった。

 

 付け加えるならば、此度の斎王としての勤めに至っては極め付けの傑作の部類だ。御簾の内の少年からすれば先程まで顔を合わしていた奉幣使たる大臣とそしらぬ顔で御簾越しに労い、己が判を押した詔を受け取るのだ。しかもその両方共に『畏れ多き故に』代理を挟んでのやり取りと来ている。同じ牛車に詰めて此処に訪れたというのに!

 

 愚弄で、無礼で、非礼な扱い。臣とは聞いて呆れる……辰園堅康は己の立場と行為を蔑む。

 

「……申し訳御座いませぬ。主におきましては、此度多大な負担と無礼を働く由となった事、痛く反省しております。……主があるべき姿に返り咲きし時にはこの不肖の身、如何様にも処断されようともお怨み申しませぬ」

 

 深く深く、右の大臣は頭を垂れる。其処に一切の嘘偽りはなかった。御簾の向こうから顔を出す彼は、否、彼女もそれを重々承知していた。寧ろ彼女からすれば彼が忠君の士である事に異論の余地はない。宮中にて誰よりも最も信に値する忠臣だった。

 

 ……そんな物を求めてない事を除けば、理想の臣であった。

 

「……外が騒々しいけど。まだ収まってないの?」

「皆、懸命に捜索をしておりますが……残念ながら」

「ふぅん」

 

 嬉しくない会話の流れ、余り愉快でない話題を断ち切る意味合いもあって触れたそれは、此処に訪れた際に知らされた刃傷沙汰について、その下手人についてである。この最高の貴人も唐櫃に詰め込まれ隠れていた際に事については聞き耳立てて知っていた。散々騒いで未だに捕らえられぬのは、正直呆れ返るばかりである。

 

 ……彼女が知れる事情は、其処止まりである。

 

「御安心下さいませ。斎宮寮の者共と、随身させた護衛共が主を御守り致しますれば、指一本とて触れさせは致しませぬ。懸念は一切無用で御座います」

「……そぅ」

 

 だったらこのまま此処にずっと控えて欲しかったが……それは口にしない。迷惑に思われるのは分かっていた。例え口にせずその心中のみであっても嫌われたくなかった。

 

(そう。嫌われたくない。だから……従おう)

 

 何だったら本当は密かに面会したあの下郎だって信用出来ないし、その言葉だって嘘臭くも思えた。人ではない代物の言葉、それも仁徳で知られた左大臣を謗るような相手である。何よりも己のあらゆる意味で恥部を晒し見せなければならぬ事が卒倒しそうな程の恥辱であった。此処に来るのだって嫌だった。全部全部、拒否したかった。

 

 そして、それら全ての不満も不快も不安も癇癪も呑み込む。傀儡は口答えすべきではない。

 

 唯、目の前の人にとって都合の良い存在であれれば、それで……。

 

「明日は早朝より支度があります。御気持ちはお察し致しますが何卒、お早めのご就寝の程を。……では。就寝の邪魔とならぬように臣はこれにて」

 

 そして右大臣は沈黙の後、恭しく一礼してその場を引き下がる。実に誠心誠意を籠めた、主君への礼節を籠めた所作であった。欠片も私情なき振舞いによる退出……。

 

「あっ……」

 

 その余りにも短く味気ない逢瀬に名残り惜しさを覚えつつも、御簾の内より顔だけを覗かせる彼女は小さく嘆息するだけしか出来なかった。思わず引き止めんと伸ばしてしまっていた細く小さな手も、唯虚空を掴むだけで、何も捕らえる事は出来やしない。

 

 それは正に、熱に朦朧としていた時の、御簾の内で寝入っていた時と同じ無力な少年の様……それを改めて自覚して、御簾の内の存在は底知れぬ虚無に沈む。

 

「かたやす……かた、やす、ぅ……!」

 

 傀儡たらんとする少年は御簾の内で、強く枕を抱いて塞ぎ込むようにしていじける。モジモジと身を捩る。ウジウジと割座する足を擦り合わせるように悶える。悶々として枕に顔を埋める。欠片も眠気が来ない。心の臓の鼓動、内からの熱に身を火照らせる。

  

 その姿は、気弱な少年帝というよりも、寧ろ初々しい乙女そのもので……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今一人、行方知れずだとか?」

 

 主君の様子を、その身の安全を確認し終え、寝殿の渡殿を歩む右大臣は、先程までの労りを滲ませた表情を険しく歪めて問い掛ける。いつの間にかその傍らに控えていた我妻雲雀は粛々として報告を続ける。

 

「一刻程前よりからとの事。先触の退魔士……例の蛍夜の者です」

「それはまた……静謐な筈の旧都が今日一日で随分と騒々しくなったものですね」   

 

 その反応は些か皮肉を含んでいた。騒々しさを持ち込んだ元凶の一人としての自覚から来たものであった。そして……その事態が未だに公式に神宮側から伝えられていない事に向けてのものであった。

 

「……彼の陰陽寮頭殿の影があるとか?」

「彼方に随行する分身からの知らせです。旧都の防衛機構が想定外の起動をしています。内宮に向かう道程で既に戦闘を。……制圧後、此方の判断で真宮に向け発しました」

「自作自演の可能性は?」

「幸いといっては何ですが……その可能性は低いかと」

「そうですか……」

 

 渡殿の途上で足を止め、右大臣は逡巡する。暫し考えに耽り……決を下す。

 

「現場の判断、それも元陰陽寮頭のものとなれば無下には出来ませんね。……そちらは任せましょう。責任は持ちます。増援の必要は?」

「最悪を思えば備えは必要かと。ですが……帝の身の回りの守護は足りますでしょうか?」

「元より神格擬きと事を構える覚悟でいましたから守護は多めに連れ出しています。幾らか、適当な名目で動かしましょう。しかし、侵入者ですか……」

 

 辰園の右大臣は、其処で言葉を止め再度考えに耽る。此処までの事態に若い大臣は何かが引っ掛かっていた。

 

「噂には聞きましたが……もしや、本当に?」

「大臣?」

「いえ……分身との連絡は密に。急変次第、直ぐに報告を頼みます。現場で最善と考える全ての行動を許可しましょう」

 

 僅かの迷いを、しかし直ぐに押し込み大臣は信頼する元陰陽寮に命じる。命じた上で、彼は幾分眉間に皺を寄せる。疑念と不信を其処に滲ませていた。

 

「急ぎ宮司殿と顔を合わせる必要がありそうですね。それと……漸く目覚めたのだとか?」

 

 我妻はゆっくりと頷き肯定する。

 

「式によって監視中です。既に神職共が接触しております」

「では先にそちらに向かいましょう。……場合によっては神宮側を詰める必要がありそうですね?」

 

 そして恐らく……今夜は眠れぬだろうと、この時点で大臣は予感していた。

 

「明朝前には此度の始末はしてしまいたいものです。長旅と面会だけでも負担をお掛けした。これ以上帝に無用の心配をさせたくはありません。……先帝へ向ける顔が無くなる」

 

 最後の言葉は本当に神妙な面持ちで懸念するように右大臣は呟いた。

 

「……命を賭してでも対処致しましょう」

 

 そしてその理由を深く知る我妻は、厳かに応じた。彼女もまた同じ気持ちであり、その意味では同志でもあったから……。

 

『その意気や良し、だね』

「っ!大臣、背後に!」

 

 呼び掛けとほぼ同時に元陰陽寮頭は右大臣を引っ張り背後に押し退けていた。そして戦闘体勢を取りながらも全力での周辺探知すら実行していた。

 

 

 その眼前には、あざとさしかない愛嬌で構築された獣……否、肉の塊。

 

「……傀儡か」

『御名答。流石元陰陽寮頭だね?呼び掛けるよりも先に気付かれるなんて、少し驚いた』

 

 無警戒に語る白い獣肉に、我妻は最大限警戒する。ここに至り即座に此度の一連の騒ぎの犯人を確信する。そして懸念する。背後の大臣をどう避難させるべきかを。

 

「大臣、此処は……」

「いや、待て。……良い」

 

 避難を勧めんとした我妻に、しかし辰園の若人は制止する。そして自ら前に進み出る。一瞬止めんとした我妻は、押し黙り控える。何かあれば直ぐに護れる体勢を維持しながら。

 

「成程……これがですか」

『おや、驚かないのかな?結構反応を楽しみにしてたんだけどね?』

「お人が悪い。いえ、『人』ではありませんか。人でなし」

『その物言い……ふぅん。そういう事か』

 

 首を傾げる獣は、しかし大臣が宣えば合点がいったように頷いた。そして……続けるのだ。

 

『それならば話が早い。……私の提案、一先ずは聞いてくれないかな?』

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

「うわっ、わっ、わっ!?わっわっわっわわわわわわわぁっ!!!?」

 

 文字通りの意味で、蛍夜環は急傾斜の坂道を転がり落ちていた。転がりながら、そしてその先に広がる空間にて、彼女は反射的に臀部での着地で以てその衝撃を受け止めた。痛かった。猛烈に痛かった。

 

「痛ぁ……」

 

 流石に目元に涙を浮かべつつ、彼女は暫く己の尻を擦り静かに悶える。悶えつつも顔を上げて周囲を観察する。

 

 小さな空間だった。人が四、五人程詰められる程度の円蓋状の空間だった。そして其処から更に奥に、何処までも続く、剥き出しの岩肌の細道が開いていた。表面に露出する霊蛍石の原石が辺りを浮かび上がるように照らし出している。肌に触れる空気は地下故にか冷たい。

 

「ここは……何処?」

『この細道は採掘抗だよ。より正確に言えばそれの跡を流用した隠し通路さ。……大昔、外の様子を監視するために設けられた通路だよ』

 

 共に落ちたにも関わらず弾力ある団子状になって転がっていた故か、獣は痛がる素振りもなく平然と歩み出す。人一人が通れる程度の通路に足を踏み入れる。

 

 ……先刻、獣の案内に従い、あるいは誘導されて、斎宮寮殿の書庫の床に設けられていた隠し扉にその身を投じた環は坂道をひたすら転がり落ちてここに辿り着いた。向こうが暗闇であったので底の深さ、傾斜の高さを読み違えたのは失敗であった。

 

「あんなに遠い……」

 

 振り向く……というよりは見上げて見れば、環は思わず気が抜けるように呟いていた。転がり落ちた傾斜の向こう、書庫の灯りは最早遥か遠くであった。戻れぬ訳ではなかろうが、正直かなり難儀しそうだった。

 

 何よりも……今更戻った所で何の意味もありやしない。

 

『さぁ。来ておくれ。歩みながら事のあらましを説明をしていこう』

「説明って……助けて、欲しいんだっけ?君は、何者なんだい?それに、真宮って……何の事だい?」

 

 旧都の守護獣、野辺、そのように己を名乗った獣の歩みに続きながら環は首を傾げて再度確認する。

 

『私は野辺。それ以上でもそれ以下でもないよ。それに……真宮の事だね?正しくそれについても説明しようと思っていた所さ。お願いする身で説明しないなんて不誠実だものね?』

 

 獣は狭苦しい通路を歩みながら振り向いて再度微笑む。何処か薄っぺらさを感じる環は、しかし同時に相手が嘘を語ろうとしているようにはどうしても見えなかった。

 

(精神操作……?仮に、そうだとしたら……)

 

 環は内なる力をほんの僅かに、微かに解き放つ。それを己の身の内に渦巻かせる。それは彼女の編み出した力の活用法の一つであった。

 

 精神操作は聴覚に視覚、あるいは嗅覚を介在して気を使って認識に介入してくる代物だ。即ち、精神操作が働いているという事は相手の気が己の身に注ぎ込まれている訳だ。ならばそれは環の持つ力の対象足り得る。侵入して来た相手の術を、それを構成して機能させる気を食らう。これを更に推し進めれば、あるいは術を介して相手の本体すら食らえるかも知れない……其処まで辿り着くのはまだまだ先としても、環は既に己の内を蝕む術を食らう事は可能としていた。果たして……。

 

「……?」

 

 己の身体の内を、その隅々まで簒奪の力が走査して、しかしそれは肩透かしの空振りであった。何もない。外部からの干渉は存在しない。精神を操られてなければ、幻術も見せられてはいなかった。納得。安堵。そしてだからこその困惑……。

 

『本当に凄い力だね。やっぱり私の目に狂いは無かったよ』

「っ!?気付、いて……!!?」

 

 獣より掛けられた言葉に環は絶句する。己の内にて完結して外部に放出されぬ技を、しかし獣が即座に認識した事への驚愕であった。即ち、それだけ己がこの獣に警戒されている証明で……。

 

「君、僕を……!?」

『おいおい、待っておくれよ。私が君の心に何も干渉していないのは分かった筈じゃないか?……気持ちは分かるけどね?君のその傍若無人で貪欲な力を思えば、観測くらいはさせて貰っても罰は当たらないと思うよ?』

 

 まともに武器もないので徒手格闘の構えを示す環に、何処か呆れたような獣の物言い。愛嬌のある溜息。それ自体は確かに正しい意見であったが……それが問題ではない。

 

「煩いっ!!君は僕の……力を理解しているのかい?君は、この力の何を知ってるんだい?」

 

 不安と興味のない混じりになった環の質問であり、詰問であった。キッと睨みつけるようにして、霊力を四肢に行き渡らせて身体強化する。今の環は素の回し蹴りで鎧を砕き、その拳は瓦を十枚割も可能だろう。実際鬼月家での鍛錬でそれを試してやって見せた。目の前の無力な獣を八つ裂きにするのは容易だ。

 

(あの、よく分からない力を使われなければ、だけど……)

 

 斎宮寮殿から抜け出る時に生じていた周囲に認知されず、干渉されず、逆に干渉も出来ぬようになる現象を思い出して環は圧倒的な武力の差を理解しつつも油断しなかった。

 

 当の獣はと言えば欠片も動転も焦りも、敵意の類を見せず……環は己が敵として全く認識されていない事を即座に察した。

 

『舐めている訳ではないよ?先程も言ったように君の一挙一動を気にかけるのは仕方ない事だ。この地の霊脈を、君がその気になれば穢し食い漁るのも可能なんだからね。君も逆の立場ならば念のために同じ事をする筈だ。油断大敵、常在戦場、それが退魔士の常識だからね。そしてそれだけだ。敵視してないからのだから敵意を向けない。……何か可笑しい事かな?』

「……可笑しくはないよ。けど、此方が警戒する理由には答えてないよね?君は僕の力の何を知ってるんだい?」

 

 内在的に力を使っていても、それを外には放出していない。何故、自分の力を其処まで知っている?

 

『それは君、単に私の解析能力が高いだけだよ。先程は自覚的に力を使っていたけれど……君はまだまだ完全には統制出来ていないね。僅かながらに常に君の内で力が漏れ出ているよ。この地の霊気は濃厚だ。それが君が吐き出した息に含有される霊気と来たら、あり得ないくらいに薄い。君の内の力のせいだろうね。そして、それだけで君の有する力についてはある程度その中身は予測出来るというものさ』

「……」

『……嘘じゃないよ?』

「……」

『……本当だよ!?』

 

 ジト目で嘘臭そうに睨む環が、腕を翳さんとして流石に獣は少し慌てて答えた。本気で焦っていた。これは嘘じゃない。

 

「……本当に、この力について知らないんだね?」

『本当さっ!……あー、その力の本質についてはね?知っているのは、あくまで表面的に観測して導き出せた仕組みに対してだけさ!』

 

 立ち上がって前足をブンブン振っての説明する獣。多分……嘘じゃない。環は漸く身構える姿勢を解く。

 

「……まぁいいよ。それについては、信じよう」

 

 環は理不尽でなければ相手を憎んでいる訳でもない。八つ当たりするつもりはない。己の未熟は素直に受け入れる。相手を責める道理がなければ責める事はない。

 

 ……相手の何とも形容し難き嘘臭さは拭えないけども。

 

「じゃあ話を戻して……説明をしてくれよ。この地について。君の要望について。君から切り出した話題だよ?」

『勿論さ。……ふぅ、心臓に悪いね。脅さなくても良いだろうに?』

 

 深く深く、溜息を吐く獣。胸を撫で下ろすように振る舞い四つん這いに戻る。そして環の要求に応じる。 

 

 そして語っていくのだ。この地の物語を。

 

『これから赴く先は「真宮」。この旧都の要。最も大事な地だ。……より正確に言えば真なる「内宮」と言った方が良いのかな?』

「真なる……内宮?」

 

 歩みながらの獣のいきなりの言葉に、環は己が事前に伝えられた、したり顔の紫から語り聞いた蘊蓄との大きな乖離に困惑する。

 

「それって……どういう事?じゃあ、僕らの知る内宮は何なんだい?」

『外宮だよ?』

 

 即答の返答は、環を愕然とさせた。己が学んだ知識が否定されたに等しいのだから当然であった。あるいは、衝撃を受けた本当の理由は別にあったかも知れない。朝廷が退魔士家すらも偽っている事に……。

 

『少し考えれば分かる事ではある。五百年前、人妖大乱前から旧都の宮は内と外に分かれていた事が記されている。そして共に民草には開放されていなかった。……税収が欲しいからといって、護国鎮守の要たる宮を片方だけとは言え無思慮に民草に開放する訳がないだろう?』

「それは……」

 

 言われて見れば納得出来る理由ではある。寧ろ、その方が朝廷の政を信頼出来よう。目先の金のために護国の要、聖なる地を民草に開く等、言われて見れば碌でもない話だ。

 

『そもそも、旧都とは何か、君は何処まで把握しているのかな?扶桑の発祥の地?数多の神格を封じた牢獄?扶桑の存亡に関わる際の朝廷の避難先?それらは確かに事実の一側面だよ。しかし……それらはあくまでも副次的なものでもあるんだ』

 

 通路を歩み続けながら獣は語る。声音が狭い通路に果てしなく反響していく。その度に獣の発する何処か愛嬌のある声質はくぐもっていく……。

 

「じゃあ……旧都は、何のためにあるって言うんだい?」

 

 環は野辺の物言いに幾分か棘のある声で問うた。勿体ぶるような語り口への反発が其処にはあった。この小さい存在が何を言いたいのかが分からずにいた。

 

 環を振り返り見る野辺は瞼を細めたように見えた。

 

『……扶桑国は神を否定した国だ。人の、人による、人のための国だ。それこそが国是だ。扶桑の公式記録もそれに準拠している。そのように編纂されている。あらゆる魑魅魍魎の貢献の痕跡が、物語から排斥された』

「……何を言いたいんだい?」

 

 獣の紡ぐ言葉の、その不穏な意味合いを察する少女刀士。身震いするのは地下の寒さ故か。しかし、それにしては汗も流れていた。冷や汗だった。何か……自分は知ってはならない物語の外殻に触れているような気を彼女は感じていた。

 

『勘違いしないで欲しいけど……』

 

 野辺は環の反応を観察するようにして付け加える。

 

『私はそれを否定してる訳じゃないんだ。……この国の成り立ちが偽りと虚飾に塗れてるのは間違いない事実だ。見せ掛けの平穏のために見えない犠牲を無数に、幾度も積み重ねて来た事も。それら全ての在り方を、私は受容している』

「さっきから、何か含む所のある言い方だね?それにまるで上から目線で……っ!?」

 

 言い様の無い憤慨に其処まで詰るように語って、そして環はそれ以上の言葉に詰まった。言葉に詰まり、思わず後退りする。それは眼前の光景を目の当たりにした故のものであった。

 

「はぁ……」

 

 言葉に詰まり、後退りして、そして……蛍夜環は深く感嘆していた。

 

 通路の終わり。その先には夜があった。夜の夜景がそこにあった。青天の天蓋に、数多の色に輝く星々があった。地の下に空があった。先程までの感情も忘れてしまいそうな程の魅事な絶景……。

 

「こ、ここは……?」

『鍾乳洞だよ。元々天然の南北に一里近く、東西にも九町近くあった大洞窟を採掘を兼ねて拡張した末端の区画だよ。ほら、良く見てごらん。あれは天井だ』

「天井?まさか……」

 

 思わず否定しそうになりながら、獣の言に従い目を凝らせば……確かにその通りであった。

 

 ここは外では無かった。空は閉ざされていた。それは岩肌の円蓋であった。辺りを見渡せば彼方此方に削り残されたかのように岩柱が佇んでいて空を支えているのが分かろう。

 

 確かにここは外ではない。美しき地の底だ。しかし……ならばあの青々しい美しさは?あの七色に輝く星々の煌めきは?

 

『青々しい夜空は霊蛍石によるものだよ。夜は地に染みる月光により霊蛍石、朝は日光により霊陽石が、この鍾乳洞を其々照らし出す。鮮やかな星々は岩肌から露出している霊蛋白石に霊鋼石等の原石の輝きだね。他にも霊鉄や霊銅もこの地下の岩盤は高い含有量を誇っている』

 

 獣は神秘的光景の謎を、その真実を淡々として公開した。ある意味無粋であるようにも思えたが……獣は気にもせず更に語る。

 

『この地質の特性のお陰でこの洞窟には朝夜があってね。湧き水に地熱、そして鉱光のお陰で地下深くにありながら種類にさえ目を瞑れば農業すら可能だった。自給自足は無論、採掘出来た鉱物は他の隠れ里に対する産物として重宝されていた。際立って頑丈な岩盤は神格同士の激突にすら耐える事が出来たから、住民は天地が焼かれる日には岩塊で戸口のように出入口を閉じて、皆で肩を寄せ合い嵐が過ぎ去る事をひたすらに祈っていたよ』

 

 それは文献の説明というよりは経験談を、目撃談を語るようにも見えた。人伝えではない、まるでそれを実際に見て来たかのような語り草であるように環には思われた。

 

『当時の人口は凡そ三千人。扶桑国建国における最初期にして最大の母体。通称「岩戸の陰里」。始まりの帝が助けを求め、その長の姫と出逢い、皇后に迎えた里だ』

 

 そして、今では殆どの者が立ち去りて、忘れ去られ、『真宮』と呼ばれるに至った地……。

 

「……」

 

 野辺の説明に、環は言葉もなく再度見渡す。其処にある歴史を感じ入る。同時に奇妙な感覚にも囚われていた。

 

 自分は……ここを見た事がある?自分は、この地を知っている?

 

「……まさか」

 

 一瞬浮かんだ感覚を、環は即座に否定した。己は今日まで御蔭詣りに赴いた事はない。ましてや真宮と呼ばれるこの鍾乳洞ならば、尚更である。

 

 他の記憶と混同している?そういう見知らぬ地への既視感というものは、時として誰にでもあるものだ。しかし……。

 

『……さて。行こう。余り刻を掛けたくない』

 

 共に暫し沈黙……というよりも停止していたように見える獣は、先に動き出すや否や四つ足でテクテクと早歩きし始める。佇んでいた環を急かす。

 

「っ!?待ってくれよ……君、急いでいる?」

『急ぎたくもなるさ。何せ人の生き死にが掛かっているんだよ?焦燥もする……わっ!?』

 

 獣は、次の瞬間には掴み抱かれていた。横脇に抱えられていた。そして、それを為した環は疾走をしていた。

 

 赤穂流行の歩行法にて、最低限の霊力消費のみで環は広大な鍾乳洞を駆け抜ける。霊蛍石の光によっては浮かび上がる洞窟内の景色は、しかし次々と背後へと過ぎ去っていく。

 

「何処!?何処に向かったらいいの!!?答えて!!早くっ!!」

 

 環は声を荒げて問い詰める。一飛び毎に五歩分は跳ね跳んで、その髪を風にはためかせながら必死な表情を浮かべて野辺に急かしかける。

 

『ひ、必死だねぇ……!?待ちなよ、此方としては先ずは段階を踏んで説明を……!』

「人の生き死にが関わってるんだろう!!?だったらそんな悠長な事言ってられる訳無いじゃないか!?君だって急かしてただろっ!!」

 

 野辺の苦言に環が激しく言い返す。そして今一度問う。己が向かう先を。目的地を。

 

『やれやれ。……このまま直進するといい。すればこの空間の突き止まりに辿り着く。そうしたら左から二番目の通路を通ってくれ。其処から先はまた指示しよう』

「分かった!!」

 

 そして環は駆け走る足を更に速める。薄暗く足場も悪い洞窟内の悪路を苦もなく突き進んでいく。

 

 環は急いでいた。人の生き死にが掛かっている。それだけであらゆる疑問も疑念も課題も、環は後回しに出来た。脇に抱えている獣が何物かも、何を企てているのかも同様だった。少なくとも嘘を口にしている訳ではない事だけは直感で分かった。

 

(なら今は其処に向かうだけ!例え罠だとしても、それを突き破って向かうだけ……!!)

 

 斎宮寮殿での騒動も気はなるが、今すぐ誰かが命を落とす訳でもない。己が不在である事で、逆に残る者達が手荒に扱われる事もないだろう。ならば目先を優先しても構うまい。責は後程己一人で受ければ良い。後悔する積りもなかった。

 

 己の身可愛さで誰かの命を取り零す後悔は、したくなかったから……。

 

 

 

 

『……そうだね。諦めたらそれまでだよ』

 

『君ならば残酷な運命を変えられる。そのための力が君には備わっている』

 

『君自身さえ、それを選び取ってくれるのなら、ね?』

 

 脇に抱えた物の囁く声音は、風切音に掻き消されてしまっていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……尚。

 

「方々で皆さん其々動いてる中で、何で俺達は触手プレイで戯れてるんスかね?」

「私が言えた義理ではないが……余り暴れてくれるな。早く殺されるぞ?」

「太陽の光よ!」

『竜胆の霊花を探して来ます。何方も其処から動かないように』

「あっ、そっちの方なのね……?」

『(⁠・⁠∀⁠・⁠)カツジツナガリネ!』

 

 真宮への裏口たる山の裂け目での、肉触手に囚われた一行の壮絶な会話であった……。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。