和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 作:鉄鋼怪人
檜造の広間に白装束が集まっている。燭台の灯に照らされて人影が伸びる。蠢くように囁きが飛び交い合う。
「巫女の弱りが止まらぬと?よもや斯様な事が……」
「如何にするか。このような事前代未聞」
「当たり前であろう。元よりこの地を整えた彼の陰陽寮頭もこのような事態を想定してはいなかったろうて。なれば異常が起きるのも道理というものよ」
「これもそれも朝廷の者共の勝手故の事……!奴らめ、平穏な都に居るからと呑気な事をしてくれよって!我等の務めを何と心得るか!」
剣呑な場の空気は緩和する所か益々と悪化しているように見えた。日夜交えられる議は日を追うごと荒声が交じり始めていた。鬼気迫る様に、背後に控える彼は声を挟む事は出来ずにいた。
そして……致命的なそれを未だに告白出来ずにいた。
「止めよ。不用意な言葉を口にするでない」
「うむ。朝廷と神宮の関係をこれ以上拗らせるべきではあるまいて。何処に耳目があるか知れぬ」
「しかし……!」
「事は我らの面子だけではありませぬぞ!?それで済めば易きもの、この扶桑の安寧に関わる大事でありますぞ!?」
「左様!正しき斎王を今すぐにでも連れ戻して……」
「馬鹿めっ、連れ戻した所で何とする!?あのような形で巫女として扱えるものか!!」
「ではやはりお隠れして頂き……」
「口だけは達者な事ですな。既に二度も、勝手に行い御破算したのを忘れましたかな?仏の顔も三度までとか、大臣は何度でしょうかな?」
「控えよっ!誰ぞに聞かれたらどうする!!?」
余りにも口外してはならぬ内容に、議を囲む者の一人が掣肘する。荒々しく鋭過ぎる声音に、思わず彼も肩を震わせる。
「……六輔、もう良いから貴様は下がれ。それとも、他に何か口にする事があるか?」
参列者の一角より、父の命。それは助け舟のように思われた。あるいはたかが小僧にこれ以上不味い話を聞かせるべきではないと思ったか。何にせよ、利害は一致する。
「……これにて」
一礼して応じる。他の神職共もそれを止める事はない。但し、釘を刺す事は忘れない。
「うむ。巫女のため、誠心誠意務めを果たす事だ」
「貴様の世話に国運が掛かっておるのだ。常々、覚悟せよ」
「決して邪な事は思わぬように。務めを果たした折には相応しき報いを与えよう」
「守人として、先人方に恥ずかしくなきように」
「彼の日封の巫女の守人のように……分かるな?」
脅すようで、同時に頼むような、怯えを含んだ震える声音であった。物心ついた頃から顔を見知る大人達の必死な姿に、揃って口にする言葉の意味を理解しつつも嫌悪する事が出来なかった。彼もまた、事の深刻さを分かっていたから。
……そしてだからこそ、それを口に出来ないのだ。
「……」
今一度、沈黙しつつ頭を伏せて礼をして、彼はそそくさと立ち去った。まるで逃げるように。
「……っ。違う」
違う。言い訳するな。明白に逃げたのだ。自分は逃げ出したのだ。あの場から、やるべき事をせずに退散したのだ。
「糞っ……」
宮の渡殿を足早に歩みながら、眉間に皺を寄せて忌々しく吐き捨てる。
言えなかった。また言えなかった。勇気を振り絞れなかった。でかかった言葉は、また喉奥に呑み込んで、黙り込んで先送りにした。皆を裏切っていた。自分はとんだ裏切り者だった。
「だけど……どうしろってんだよ……!?」
怒気を漏らしながら歯を食い縛る。握り締める拳は血が滲み出していた。
それは葛藤だった。ひたすらに葛藤だった。板挟み。義務と良識と常識が絡み合ってせめぎ合う。ひたすらに。唯、ひたすらに……。
「っ!早く、行かないと……」
果たして何時までそうしていであろうか?その行為自体の無意味さを理解して雁字搦めの情動を振り払って己の帰るべき所に足を向ける。
父から授けれれた勾玉を血のこびりついた掌に握り締めて己を盲へと隠す。そして定められた道程で以て斎宮の各所を巡る。そうすれば自ずと人払いの呪いは解かれて其処に導かれる。斎宮の外れの、人気なき蔵の一つにである。
「……」
周囲を見渡し人目の有無を確認する。南京錠で鍵を開けて中に入り込んでしまう。湿気と埃臭い寂れた蔵の、壁を伝うように手を伸ばしていく。
感触。押す。回転扉。
「っ」
閉ざされていた冷たい風が顔を撫でた。くるりと回った木板の先に手狭で足下も見えぬ暗い階段が姿を晒し出す。
「……大丈夫、だよな?」
改めて背後を見渡して人目が無いのを認めれば、彼はさっさと階段を下り降りて行く。果てが見えぬ程に長く急な階段を大股に突き進む。足を滑らせたら転り転りすっとんとんとして当たり所悪ければ死んでしまうかも知れない。故に彼は草履に念入りに滑り止めを塗っていたし、紐が切れぬように常日頃から注意を怠らない。
……果たして何処まで下り降りたのだろうか?何時しか急勾配はなだらかな道に、そして苔の臭いが鼻孔を擽り青々しい鈍い輝きが照らす洞路に変わっていた。空気が一層甘く感じるのは地上より霊気が濃いからだろうか。長い歩みにより染み出す汗は地下の冷たい空気で直ぐに冷えて乾いてしまう。
「……」
そしてまた彼はその風に心を冷やしていく。歩みながらその心中を虚無へと沈めていく。心を殺し、情を切り捨てる。欠片の漣もせぬように静謐に努める。冷たい風と長い道程はその心持を整えるのにうってつけであった。
恐らく、全てはこの地が建てられた時に意図した通りの効果であった。代々の守人の心情に配慮して、あるいは見透かした造り……。
「封日の守人様も……この道を歩んだのかな?」
守人の誉、守人の手本、そのように教えられた先人を少年は思う。恐らく同じくこの道を歩んだのだろうその人に、その心中に思いを馳せて、身の程知らずにも立場を重ねる。
重ねて見て……己の不忠を悩んだ。果たして、彼の御仁ならばどうしたのだろうかと苦悩する。分からないからではない。明白に分かるからであった。
何という不忠。不徳。不義。不敬。そして不道……自分は正反対だった。扶桑の神職の在り方にこれ程に違える者はいまい。最低最悪の裏切者だ。
あぁ、分かってる。だけど……だけども。あぁ、糞。
「……着いた」
悩み悩んで病み悩み、ぐるぐると同じ事を円環のように逡巡しながら歩み歩みて辿り着いた先の果て。霊蛍石が群青の夜空を描く洞窟の奥にそれが広がっていた。
それは地下にあって異様に壮麗な街並で、それでいて、まるで神宮がそのまま地下に移設されたかのように荘厳さであった。凄まじき……虚飾だ。
それが祀るためではない事は、蓋をして、閉じ込めて、封じるためのものである事はとっくに知っていた。そうでなければ黒壇に鉄に鉛を建材に使うものか。ここまで人気が無いものか。ここは監獄で、ここは重石だった。
「……何を、怯えてるんだよ」
宮の境にまで来て、立ち止まり、己を奮い立たせて神宮の、神宮を装うそれの敷居を跨いだ。何時ものように人気のない死んだような通りを歩む。
何、とっくに見慣れた光景だ。何を恐れる必要がある?少なくともこの地は自分達を害する事はない。宮の最奥の御殿まで一直線に歩みを進める。
そう。今更恐れているのはそんな事ではなかった。本当に、恐れているのは……。
「……巫女様。不肖六輔、只今戻りました」
御殿の奥の部屋に辿り着き、膝を着けば引戸越しに呼び掛ける。
「あら、もうですか?……そんなに急がずに良かったですのに。折角の地上でしょう?楽しんでくれが良かったでしょうに」
「巫女様の御世話がありますれば。万一も思い一刻も早くに、と」
「そう。分かりました。……では、お入り下さいな?」
「ははっ」
内の主君の認可を得て内に足を踏み入れようとして、一度彼は躊躇する。握り締めたままだった勾玉の思い出して掌を開く。血のこびりついた勾玉を睨みつけて……数瞬の自責の後に懐に閉まった。
そして参上するのだ。主の元に。
「お帰りなさい。……御免なさいね、重たくて動けないから……」
御簾の内にて、脇息に身を凭れる主君。疲れ果てて、窶れ果てた微笑みには隠し難き死が滲み出ていた。そんな窶れ果てた面持ちで、それでも主たる巫女は慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら、小首を傾げて尋ねるのだ。
「皆様方は……この子の処遇は、何と?」
禍々しき瘴気と濃厚な毒気を溜めに貯めて膨らんだ腹を擦りながら、またしても何も言えずに逃げ帰って来た己に向けて優しく問い掛けるのだ。
祟りを濃縮させて凝縮させた、穢れた神気の塊をその肚に懐きながら。
……あぁ。何て説明すれば良いのだろうか?
ーーーーーーーーーーーーーー
「これは……神宮?」
其処に足を踏み入れた環は、先程までの疾走と跳躍を止めて一度様子を伺った。額に粒のように浮かんでいた汗を拭い、眼前を見据えて警戒する。助けに応じんと脇目も振らずに急いでいた環ですら、それを選択するだけの光景だったのだ。
霊蛍石で照らされた複雑に入り組み繋がる鍾乳洞の連なりの、その一際大きな空間に辿り着いた環が目にしたのは地下という舞台に余りにも場違いな壮麗な社だ。
いや、あるいはそれは地上の宮より立派なのではないか……そんな事を思ってしまう程にその建造物群は威容を誇っていた。大門なぞ中々の門構えだった。太ましい注連縄が吊るされた立派な随身門であった。
「地下なんて、湿気が酷いのに。黴一つも……。っ!?」
瞠目して困惑しつつ、恐る恐ると境内に一歩足を踏み入れて、直後に動揺して環は足を引っ込めた。後ろに跳ねる。十歩分は退いた。
そして、額に汗を流して門前を凝視する。否、門そのものを睨みつける……。
『うん?どうしたんだい?』
脇にずっと抱えて道案内させていた獣が問い掛けた。環は門を見渡してから問い返す。
「ねぇ。これ、もしかして……『迷い家』?」
『……どうしてそう思ったんだい?』
「感覚が……似ているからね」
『まるで経験したような物言いだね』
「経験者だからね」
あるいは勘の良い者であれば正体が分からずとも違和感を見抜けただろう。環の場合は鬼月家の屋敷に牛車、あるいは『宝落山の迷い家』での実体験があったからこそより明白に気取る事が出来た。
「異界に足を踏み入れた……といったら良いのかな?兎に角、普通の空間から断絶させられた感触なんだ。それも結界なんて無機質なものじゃない。『迷い家』の中は独特の感触なんだ。生き物の腹の中にいるみたいな感じさ」
それこそ、一歩足を踏み入れた刹那に環が脳裏に幻視したのは捕食者の舌の上に自ら転がり込んだ光景だった。
「だから退いたんだ。……ほらね?」
改めて門を見れば、その意匠はまるで顎を開いた鬼か何かにも見える。目を凝らせば門左右の脇間の木格子の隙間より随身像が此方を凝視するように覗いていた。明らかにそれは門を潜る前とは姿勢も表情も違えていた。
「確認するけど……罠だったりする?」
『この場面で問われて罠と認める者はいないだろうね。但し、信用してくれるかは別として私としては誠心誠意込めて否と答えるよ。二重の意味でね』
「二重の意味?」
『これは君に仕掛けた罠ではなく、またこれは『迷い家』ではないという事さ』
その自信満々な返答に、環は思わず眉を顰めて怪訝がる。
「その言い方……まるで用意は自分がしたのは認めるみたいだね?」
『それは否定しないよ。そして君を目的としたものでもないし『迷い家』でもない。ここは地下だからね。『迷い家』は陽射しを浴びたがる。洞窟内には向かない。これは『鼠浄土』だよ』
「鼠浄土?」
『うん。お結びころりんすっとんとんっ♪てね?』
「……」
あざとく手振り交えて唄う獣に環はやはり疑念の眼差しを向ける。何がおむすびころりだ。
「君が言うには、真宮こそが真の神宮……だったね?」
環が口にするのは抱えられながらここに至る道中で獣が語った内容だった。
『そうさ。この地こそが旧都の要。旧都の本体。災厄を封じる要の蓋の役割がある』
「それが妖なんだろ?それはどうなのさ?」
扶桑を冒す災厄を閉じる蓋、それがよりにもよって妖とはどういう事か。環が不審がるのは無理はない。そして同時に今更の話であった。
『正確には蓋の上にあるものが、かな?それに、恐らく君も知っているだろうけども……妖は常に人に仇なす物じゃないさ。適切に管理運営すれば養殖する事も、御す事だって可能だ。君の語る迷い家自体がその実例だよ。特に植妖は上手くやれば自意識を目覚めさせずに機械的に活動させる事だって出来る』
淡々として理知的に説明する獣。その物言いに何処か人を逆撫でさせる所があるのを環は感じていた。
「……危険はないわけ?この中に、助けが必要な人が?」
やはり罠なのではないか?環の脳裏に浮かぶのは「宝落山の迷い家」での苦い記憶だ。救えなかった。元から手遅れだった。妖による狡猾な罠。同じ訳ではあるまいか……?
『鼠浄土がここまで立派に生えるまで、旧都が何もせずにいた愚か者の集まりとするのは頂けないね。安心して欲しい。この鼠浄土は決して人の世に仇なすものじゃない。寧ろ守ってるんだ。鼠浄土はこの内にある物を抱き守るためにある。蓋を守っている』
「それが……君が僕を呼んだ理由って?」
『哀れで愚かな者さ。人柱だ。人災の犠牲者さ。そして、それを救えると見て君を見出した』
「うーん、嘘臭い……」
自信満々に嘯く獣を、やはり不信感たっぷりで、ジト目で以て見下ろす環。しかし……。
「……虎穴入れねば虎子を得ず、った奴かな?」
未だに信じるべきか、信じざるべきなのか分からない。しかし環の直感、あるいは第六感か。それが確かに訴えるのだ。この内にて確かに誰かが苦しんでいるだろう事を。
どうしてそれを確信してしまえるのか。体験している環にも分からなかった。それを信じるに足る根拠を潜在的に覚えているのだろうか?分からない。分からない……しかし、信じざる得ない。
「……何か、中で注意するべき事は?」
『猫の真似はしない事だね。鼠浄土が怯え震えて、中を捻じ曲げてしまう。臆病者なんだ』
「捻じ曲げるって……何となく理解は出来たよ」
迷い家での任務とその経験を思い出せばおおよそ言わんとする事を想像する事が出来た。この手の妖にとって内側ならば多少の道理を曲げて非現実的な光景を見せて来るのは可能だろう。
『それと不用意に灯りを……特に火は使わないようにね』
「何故だい?」
『鼠は光に突っ込むものだからね。殺到されたくないだろう?』
「……鼠、出るの?」
『鼠浄土だからね』
「……そっか。うん。そうだよね。うん」
無常に宣言される道理に少しだけ遠い眼差しとなって、そして環は覚悟を決める。為せば成る。為さねば成らぬ何事もである。
「道案内、頼むよ?どうせこれも迷わせて来るような代物なんだろう?」
『御名答。安心してくれ。私の役割は道案内もあるんだ。安全安心に、君を導いてあげるよ』
脇腹に抱えた獣の、面の皮の厚そうな物言いに何度目かの嘆息をして、道連れか囮にはなろうかと思いながら環は諦め気味に再度境内へと足を踏み入れんとして……。
『口が足りないですね。内の物を食らうな、呼び掛けに振り向くな……その辺りについては触れてやらないのですか?』
直後、背後に佇む極小の蜂鳥の冷たい物言いに、環も獣も、暫し口にする言葉を失い沈黙していた……。
ーーーーーーーーー
世に体現する神格にとって、肉とは魂の牢獄であり、しかして自己確立するための寄辺でもある。肉を持つからこそ五感があり、肉があるからこそ喜怒哀楽がある。肉を持たぬ神格は権能そのものであり、唯唯世界を回す歯車、其処にあり道理に従う理である。和魂……等という言い方は人の立場から見た場合、何と都合良き呼称であろうか。寄るべき肉を失い、自意識もなき単なる理は正にこの宛字に相応しい。人にひたすら利用されるだけの理論である。
では対比たる荒御魂とは?単純な話だ。肉そのものである。魂を引き剥がして理と変えても、容れ物の器に過ぎぬ身で尚神格は凄まじく、そして悍ましい。魂の本質を失いて肉のみに至って尚、神としての意思を持つ。
そうだ。肉のみとなって尚、神格共は意思を持つのだ。
『この地の下に眠るはその肉だよ。彼の神の肉。半身にして荒御魂。和魂に切り捨てられた不要で哀れな片割れだ』
獣は、野辺は、その周りを回りながら語る。
『人による人のための人の国……それは正確では無いのは知ってるね?そもそもが最初の同志に天狗が居るんだから。そして彼に手助けしたのは天狗だけじゃない』
獣は嵌め込まれた黒真珠の眼球を此方に向けて、表情筋を停止した風貌を向ける。
『……数多の神々が覇権を争う中、人と結ぶ事を考えた神が一柱とていなかったと思うかい?』
首を傾げながら獣は問い掛ける。
『その日神は、密かに彼と手を結んだ。そして自らの権能と、虚飾の鏡で以て神々を引き寄せて……地の底に封じ込めせしめた。己の半身、己の血肉、己の荒御魂と共にね。力ある最上位の魑魅魍魎共を道連れとして……』
永遠に続くかに見えた神々の争乱。怪物共の共食いは、突如として絶えた。そして、力の空白は迅速に埋められた。最初から用意されていたかのように。人外の存在共が草と侮っていた猿共は、しかしあっという間に央土に術的基盤を築き上げ、魑魅魍魎共が互いに牽制している内に気付けば不用意に手を出せない有様に変えていた。この地において最高の霊脈、その要は人によって抑えられた。
『即ち偉大なる人の世の始まり、という事だね!』
パチパチパチと、器用に前足で拍手して見せる獣。心からの偉業への賛辞。
「年寄の昔話かよ。……それが、何だって言うんだ?」
『己の半身を空手形で捨ててやる訳無いだろう?』
俺の追及に獣は宣った。
『数多が御柱と共にその半身を地の底に埋める事と引き換えに、彼女は彼に誓わせた。……正確には切り捨てられる事になる半身が誓わせたという方が正確かな?ほんの細やかな約束だよ。神格からすればね。尤も、子孫からすれば心底うんざりした事だろう。最初の裏切りで斎王が建てられた。いやぁ、大変だったよ。アレを宥めすかして納得させるのは、さ?』
それはまるで見てきたかのように……否、確かにその場に居たのだろう男の言葉であった。荒ぶる神の、その欠片を必死に必死に説得した者の心底苦労の滲んだ嘆息。
「……祟り同士をどうぶつけ合わせて対消滅させるか。祟りの中にその均衡を調整してくれる奴が入れば、そりゃあ簡単ではあるな」
『本当にその通りなんだよ。彼はそれを良く知っていた。だから誓約を受け入れた。余りにも軽い代償故にね』
いかんせん人と神格とでは時間感覚が違い過ぎるし、喉元過ぎれば熱さを忘れるものだ。何世代も前の誓約とて、神格からしたらつい先日の事だというのに。代理を立てるなんて、実に酷い裏切りに聞こえたろう。
『中間管理職の悲哀というものだね。酷く荒ぶるもので話をするのも一苦労さ。だからお気に入りを指名させてやる必要があった。その程度で済ませてくれた』
即ち斎王が選ばれる儀式の仕組みである。呪いを受け、鏡を抱く役割を帝から斎王へ。そして御立派な神宮を建てて己が選んだ代理人に己を祀らせる……その誓約すらも反故にされたが。
「その結果が、これと?」
俺は祭壇の上にて震える肉を見て問うた。獣はプニプニした前足でそれに触れんとして、しかし擦り抜ける。肩を竦めたような仕草をして語りを続ける。
『正確には違うね。これには別の道もあった。最後の慈悲さ。格別の慈悲さ。その慈悲の手すらも振り払ったからのこの始末なのさ。……そうだろう、六輔君?』
そして亡霊の獣は『鼠浄土』の中央殿にて、その内にて祀られる祭壇上の肉の傍らで力なく膝を折る男を見やった。六輔。神職の阿孫家が六輔。孫六。毬という娘の兄を。兄と装う元神職を。
嘗てこの旧都より呪われし乳飲み子を抱き逃げた神宮の裏切者を……。
「巫女様……お許しを、あぁ、お許しを……」
当の本人は心此処にあらずとばかりに、此方の事を気付いてもいないように……いや、実際目に入ってもいまい。唯唯蠢く肉塊に身を寄せて沈痛に俯くばかりだった。謝罪を、贖罪を続ける。
その傍らに、俺がいるなぞ露とも知らずに……。
(……さて。どうしたものかな)
周囲を一瞥して、此処に至る経緯を思い返して、俺は混沌とした状況を整理する。
山の裂け目から触手と戯れつつ中に堕ちて、蜂鳥は環の下に、地下深く鎮座する絢爛豪華な『鼠浄土』に入りた俺と我妻は、しかし内部の仕掛に下僕共によって瞬く間に分断されてしまった。
元々防衛機構として安置されていたのだから覚悟はしていたが……その激烈さは我妻が知るものとは最早別物であるらしかった。何せ『鼠浄土』内でミニ霊欠起爆まで発生する程だ。溜め込んだ霊気を一気に解放して俺達のいた異界化した区画の一部を丸ごと消し飛ばしてくれやがった。人で言えば癌細胞を臓器ごと摘出しようとしたようなものだろうか?正直死を覚悟した。
……起爆の寸前に何処からともなく現れた獣に脛を擦られるまで。
『間一髪だっただろう?感謝して欲しいね。霊欠起爆の熱と毒は地獄のように辛いよ?』
「言われず共、もっとデカい奴の爆心地にいた事あるから知ってるわ」
足下の獣を蹴飛ばさんとして、しかしスルリと滑らかに獣は蹴りを受け流してしまう。妙な感触だった。空気でも蹴ってるような歯応えの無さだった。如何に力を込めて叩きつけようと表面を滑り流れるように蹴りは獣の身を擦り撫でるばかりだった。
「正に脛擦りってか。接触時の摩擦の類を消してるのか?いや、それだけじゃねぇな。そいつはオマケか。本命は……位相を擦ってズラすって所か?」
恐らく今俺が掛けられてる魔法の正体であった。絶体絶命の密室零距離霊欠起爆に生存して、そして今は孫六に完全無視されている状況……後者だけなら俺が嫌われてるかドッキリと思う事も出来ようが、前者は誤魔化しようもない。
『正解!この端末の基本機能だよ。身を擦る事で一時的に世界と位相をズラす事が出来るんだ。……より正確に言えば、そうだね。其処にいるけど世界からは別の時間にいるようなものかな?』
ある場所に人が居ても、永劫に其処にいる訳ではない。その場、その時間に居ながら位相をズラす事で世界の認識する存在時間をズラす……下世話な表現をするならば夜の女湯に足を踏み入れても世界から見ると認識をズラされて誰もいない朝に闖入したと思われているという事だ。そして入浴者にも知覚出来ない。夜の浴場には居ないと思われているためだ。代償は……干渉も出来ないという所か?どうやら脛を擦った対象も権能の御同伴に預かれるらしい。
『この端末には旧都全域を監視する耳目としての役割があるからね。実際の物理的介入は他の物を利用したら良い。偵察用の器材で戦闘なんてしなくて良い……というのは言い訳かな?流石に其処までの欲張りな性能には仕上げられなかったんだ。活動可能範囲も旧都圏に限られる。まぁそれで私の存在意義としては最低限満たしているのだけどね』
「……可笑しいと思ってたが、やはりか」
俺がそれを確信すると、人を苛つかせるような態とらしいキョトンとした表情を浮かべた獣。そういう風に設定されたのだろうかと邪推する俺の内心を知ってた知らずか、獣は改めて宣うのだ。
『今一度言おう。私は野辺。この旧都の管理者さ。管理運営機能の、その端末だ。……三度目の紹介は必要かな?』
「煽るな」
『煽ってないけど?』
「冗談キツイな」
そして俺は認める。己の誤りを。認識の間違いを。早とちりを。
「成程。……お前は旧都そのものって訳なんだな?いや……この『鼠浄土』は、お前自身だな?」
周囲の光景を見渡して、カラバリ……近縁種とも言える『迷い家』の生態を思い返して、俺はそれを確信する。陽射しの悪い所でもスクスク育つ品種、といった所か。
当時陰陽寮頭であった百貌の亡霊からすればそれは当然の帰結であったのだろう。雑多で多種多様な方々での仕事をワンオペする必要が何処にある?単調な管理運営ならば被造物に委託してしまえば良いのだ。つまり……あの霊欠起爆は自作自演って訳だな?あの糞鵺の被造物らしい。
『正確に言えば私もまた祟神憑嗣だよ。この地を整えた時の彼さ』
「……分け身って所か?本当、因子さえ刻んでおけば憑依先は何でも有りなんだな」
恐らくはこの『鼠浄土』が憑依先であった。旧都圏の維持運営に必要な各種機能を実装した上で分け身した魂に憑依させた……というのがザックリとした絡繰だろう。細々とした技術理論については知らん。
「お前さんの本体はどうしているのか把握しているのか?」
『この地に訪れた者から情報収集はしているからね。大乱に纏わる咎で逃亡したらしいね?君等の話を聴き耳した限り……何やら企んでいるのかな?』
「他人事かよ」
『ここを製作する過程で相互干渉は出来ないようにされているんだ。そういう誓約を下に請け負った。当時の右大臣には先見之明があったね』
「バックドアでも仕掛けられてねぇだろうな……」
訝る眼差しを向ける。原作で旧都が無事であるらしい描写を思うと本当に大丈夫なのだろうが……請負に際しての誓約で行動や思考に制約を掛けられていたのだろうか?ザマァ見ろである。
……尤も、だからといってこいつを簡単に味方とは思えないのだけども。
「孫六に……それに環を此処に連れ出して、何を企んでいる?」
俺の尋問に似た問い掛けに、脛擦り型の肉端末は暫し沈黙した。沈黙して此方を見上げていた。まるで機能停止でもしたように黒真珠の眼球の奥の光が消えて……そして再起動したように口を開く。
『……おっと御免ね。判断機能は一つだからさ。複数作業を並行していると緊急性が低いものは処理が後回しにされてしまうんだ』
「ポンコツか?」
『失礼だね。ね……こほん。千手観音の手を借りたいくらい彼是してるんだよ?』
「話を逸らすなよ」
俺の容赦ない追及に観念したように、管理機能は端末越しに嘆息する。
『……私のこの端末の機能の副次的な恩恵はね。未来予知なんだ。正しくは位相を擦りズラす結果としてその座標における別時間の状況を観測出来る。代理の代理たる巫女が担がれた時、私はそれを利用して先々を観測した。その果ての結果についてもね?』
「この状況を演出したという事か?」
『そうでなければ六輔君を見逃さないよ。この時系列においてはそれが最良と視た。……六輔君は良い子だろう?だから君は動いたし、彼女も沙汰を引き起こした。良き撒餌だった』
「彼女?」
『赤穂家の女中だよ。……裏切られたように見えたんだろうね。それに、失うとも。アレは中々の見応えのある光景だったよ』
「何を言ってやがる?……環を連れ出したのは何が目的だ?」
亡霊の片割れの物言いに首を捻りつつも俺は話を進める。孫六もだが、環に唾を着けんとする行為には不穏しかなかった。
『代役の代役を押し付けられた哀れな巫女殿のためだね。彼女の力が必要なのは……この肉塊を見たら見当は付くだろう?』
「……」
凝を怠……こほん。その巨大な肉塊を見上げて俺はそれを感じ取る。赤黒く、血管が躍動して蒸気を発散しているそれから感じるのは外見なぞではない、根源的な意味での嫌な気配だった。
(負の情念?妖気?いや、祟りか。溜まりに溜まっている。いや、溜め込んでいるというべきか?糞、蜂鳥が居たらリモートで分析してくれるんだがな)
判断ミスを悔やみつつ、俺は己の見立からその有様について推測する。
「祟りをぶつけ合わせての対消滅……を放棄した結果といった所か?」
『先程も言及したが調整役たる日神殿の片割れが御立腹でね。段々酷くなって今では御覧のように生かさず殺さずだ』
「何故殺さない?」
『地の下の蓋を開く事を片割れも望んではいないんだ』
「競争相手が増えるからだな?」
強大な神格の数多を半身と共に地に封じ込めたのだ。嵌められて封じられた側の恨み辛みは中々のものだろう。扶桑国だけでなく日神当柱にも多勢無勢して来かねない。原作バッドエンドルートですら空亡が旧都にノータッチだった理由かも知れない。彼の右大臣殿ならそれこそ蓋を開く事を取引の材料にした可能性もある。死せば諸共という事である。
『……まぁ、それも一つの理由かもね?』
「……?何か違う理由があると?」
『少なくとも、巫女殿が素直に贄を捧げて入ればここまでの仕打ちは無かっただろうね……』
何処か追憶するように脛擦は、肉端末は呟いた。贄、か。
(孫六の奴の反応を見る限り……多分、そういう事だろうな)
未だ俺の存在を認識出来ずに肉に抱き着き謝罪の言葉を呪詛のように吐き続ける兄貴殿を見て、俺の脳裏に過るのはその盲目の妹だ。妹として慈しんでいた存在だ。
異様な程に惹かれていたのは……はっ。仕様という事か。
『代役の巫女の肚に彼女が作らせた贄を、しかし巫女は捧げる事を拒んだ。最後の慈悲を拒んだんだ。だからこんな姿へと変えられた』
「孫六に預けたのか。……お前はそれを放置したと。いや寧ろ、追手から逃げられるように仕向けたな?」
『先程伝えたように、この地の内に関しては私は未来を観測出来る。利用するようで悪いけど、その方が都合が良かった。彼の神の片割れに好き勝手使える端末を与えたくもなかったしね?』
「端末……それは、確かにな」
巫女の肚より処女懐妊した神格の産ませた存在である。それを端末として使われるなんて確かに管理運営からしたら許せないだろう。容れ物と自由を得た怒り心頭の神の血肉、神の片割れが何を仕出かすか。想像も出来ない。殺さなかったのは……この場面に至るためか。
『察しが良くて助かるよ。その通り、彼を巫女の仔共々放ったお陰で君が来た。そしてあの娘も……蛍夜環君だよね?待ってたよ。ずっとね』
「にしては酷い出迎えだった気がするが?」
『未来を見てるからこそさ。蝶の羽搏きが嵐を呼ぶ事もある。色々と導くのにも過程の調整が必要でね。君の実力や状態も知りたかった。神格相手となると流石にある時点で観測した光景だけで判断するのは危険だ』
「神格は世界に対して面として存在している、だったか?」
『私が観測出来るのは一点だけだからね。横槍を入れられて無理矢理流れを逸らされる可能性もある。……実際、捻じ曲げられたようだしね?』
「……何?」
『さてっ!では話を本題に移ろうか!』
その引っ掛かる言葉に問い質そうとする前に、運営の端末は話を切り出した。
『君について、君達について、事情や経緯については……悪いけど聴き耳させて貰った』
「右大臣殿との面会の時だな?」
『御名答!』
端末は賛ずるが、何の事はない。あの場面くらいしか此方の事情を口にしていないのだ。薄っぺらい煽てである。
『それでだ。分けた片割れの私が何を目的に遊んでいるのかは分からないけれど……此方の私は祟神憑嗣であると共にその思考経路と行動規範は縛られている。私の存在目的は唯一つ、この地の維持運営だ。現状維持だね』
そしてそのためにも今の体制……扶桑国の存続は此れにとっては望む所であるのだろう。魑魅魍魎が跋扈する世情は人の世よりもずっと不安定であるが故に。
「信用……するしかないとして、それで?」
『君達を支援したい。と言っても私に出来る事はこの旧都圏内に限られるんだけどね。それでも手伝える事はある筈だ。最悪に備えてここに身内を匿うとかね?……それとも私の事だ。もしかしてもう彼方からも接触されて取引でも持ち掛けられたりしてるかな?自治区の設定とかね?』
「キッショ。何で分かるんだよ」
『酷い言い様だね!……やはりか。だったら助言役なんて役割も出来るかな?』
『勘弁してくれよ……』
相方ならばもう足りている。……いや、蜂鳥を此処に置いて間接的に助言を貰うのは悪く無いか?葵やら翁ならば此奴相手に丸め込まれる事もあるまい。
悪い提案ではない……いや。
「……彼方からも、と言ったな?」
つまりこの支援は取引だと分け身は認識しているという事だ。即ち……。
「何が取引条件だ?」
『蛍夜環、彼女の身柄が欲しいんだ。彼女を次の代役としたい。駄目かな?』
……はは、そんな所だろうと思ってたよ。