和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 作:鉄鋼怪人
https://www.pixiv.net/artworks/150188405
素晴らしい作品、誠に有難う御座います!
『ふむふむふむ。【蒼】の鬼姫に大陸の【三禍狐】が銀悪狐の義妹様、そして八岐の大蛇の無尾殿か。これはまた豪勢な面子が揃ったものだね。正直戦々恐々も……』
『その名で呼ぶんじゃねーよっ!』
野辺のその端末が言い切る前に鬼は喜悦の笑みを浮かべたまま文字通りに塵殺した。下駄を履いた足での踵落としだった。グチャっと肉袋は押し潰されて中身が地面に向けてめり込み破裂して四方に向けて吹き出した。
『……消耗は考慮しているけども無駄遣いしたい訳ではないのだけどね?』
『おー、じゃあ口に気をつけろよ溝鼠さんよぉ?』
繁みからテクテクと当然面で現れた模様の違う野辺の返答に河岸で寛いでいた鬼はニタニタと宣う。潰れた血袋を見せつけるように何度か踏み潰した。肉と骨の押し潰れる音が鳴り、粘ついた水音が奏でられる。鬼は犬歯を覗かせて意地悪そうな表情を浮かべた。
『此方は別に事を構えたい訳でもないからね。その程度ならば承諾しよう。……目的は彼かな?』
鬼の傍らで四つん這いで屈辱的な出で立ちと姿勢を強制され続ける蛇を一瞥だけして、触れないままに野辺は問い掛ける。鬼はと言えば我が意得たりと言わんばかりの笑顔であった。
『そうそう。其処よ。折角今回の英雄様の男気見たさに足を運んだのに、立入出来ないってんだから無粋なもんだろ?……だからさ、ちょっとお前さんの視覚寄越せよ?ナマで見せろよ。ナマで。生放送をよ?』
鬼は当然のように要求する。お気に入りの今回の活躍を特等席で見たがる。しかし……。
『……それで納得するというのならば構わないけども、恐らく君の望む形での光景は見られないと思うよ?残念ながら肩透かしだ』
『あぁん?』
鬼が眉を顰める。野辺は続ける。
『確かにこの地の巫女の運命のために、私の目論む贄巫女の更新のために反対して一触即発にはなったけどね。残念ながら君の期待するような見所ある場面が来る前にしめやかに御開きになってしまったよ。残念だっ……』
グチャっと。野辺が潰される。また踵落としだった。殆ど垂直から振り下ろされた雌鬼の端なさなんぞ気にしない一撃で赤い肉の花が河岸の砂利に咲き誇る。新たな端末が参上する。
『これで満足してくれたかな?』
『んっなのでする訳ねーだろ。楽しみ返せよぉー楽しみをよぉー?』
ブーブーと駄々を捏ねる鬼。川砂利に倒れて手足をブンブンと振り回して雄叫びを上げる。母親に玩具を強請る幼子の如き幼稚な振る舞いであった。幼稚な癖に鬼神の剛力なのだから悪質この上ない。
はてはてと、端末を通した管理運営機能はどうするべきかと考え込む。そして基本設定の高い知能と積み重ねて来た経験値、手元の資源から提案を口にする。
『……謝罪といっては何だけど御神酒を樽ごと一つ用意しようか。お摘みは乾物はどうかな?』
『髑髏が欲しぃー。俺の楽しみ奪った奴の金箔貼の髑髏が欲しぃー』
酒の肴に悪趣味なものをごねながら要求する蒼鬼。冗談にも聞こえるが真っ向から拒絶すると洒落にならない暴れ方をして来るだろう事を理解していた野辺は慎重に慎重に次の言葉を選ぶ。大臣の首をこんな下だらぬ要求のために提供する訳には行かない。
『肴と言えば、此度の寄進物の中に髑髏を象った落雁なんてものもあったね』
『落雁ー?』
口にした言葉に鬼が関心を抱いたのを察した野辺は、平然を装い続ける。
『あぁ。まるで本物そっくりで驚いたよ。匠の技というものだね。……味も中々なんだけど欲しいかい?』
『ほぇー?また頓痴気な代物もあるもんだなぁ?……中身何か入ってんの?』
『黒餡に上から蜜と白餡を塗り重ねたものを詰め込んでいるようだね。紅染した求肥を舌に象って、眼窩には琥珀糖を嵌め込んだ逸品さ。何やら都の銘菓店に発注させたらしいよ?』
『何それウケる!』
ゲラゲラゲラゲラと腹を抱えて爆笑する鬼。抱腹絶倒と言って良い豪快な爆笑であった。正直何処に笑う要素があるのか分からないし実際に共にいる狐と蛇も胡乱げだ。
……まぁどうでも良い事である。菓子如きで癇癪持ちの鬼の気が逸れてくれたのならばそれで十分だ。
『……聞くだけで胃が凭れそうになる寄進物な事ですね。全く、元は何のための代物であった事やら』
『あー?』
ここでこれまで会話に入らなかった黒狐が実に優美な声音で嘯いた。その腕の中に人を装った幼い異形を抱きながら。
『いーじゃねーかよ!面白いじゃねぇか!……お前だって甘い物は大好きだよなぁ?』
『かーぁ!かーぁ!まぁー!』
『止して下さいな。この歳で虫歯にさせるお積もりで?そのような悪趣味なもの、食らうなら一人でして貰いたいものですね?』
鬼の問いに応える喃語。そしてそれを咎める黒狐であった。全裸四つん這い首輪な蛇が『丸呑み……』等と呟くのはまぁ気にしないでおく。
『……して。退去のための捧げ物を頂戴出来るのでしたら、私にも一つ寄越して戴いても?』
そして極自然に狐は便乗して要求した。実に狐らしい振る舞いであった。構わぬ。予想済の事態であった。
『反物かな?それならば奉幣の品に良い染物が届いているよ?それとも鼈甲か螺鈿でも御所望かな?』
『まぁお惚け下さる事!』
待ってましたと野辺に、クスリクスリと黒狐は微笑んだ。その眼差しは笑っていない。
黒狐はずっと前から気付いていた。その気配に。その感触に。先程の鬼に向けたそれよりも遥かに刺々しく咎める口調で語りかける。
『皮は良いでしょう。見栄え良く、珍物として古来より求められておりますもの。ある意味で誉と言えましょう。良い出来に仕上げているようですしね?ですが、アレについては……』
最後まで言わず、口元を袖で隠して非難がましい指摘。明白な苦言。軽蔑の眼差し。しかし……それだけであった。
『まぁ。私が言えた義理ではありませんが。……そうですね。では反物を頂いても?翠鮮やかなものが良いですね。この子のための御召物を縫わなければ』
『あっあっあー!!』
よしよしと抱いたる物をあやしながらの穏当な要望。黒狐の語る言葉の意味を果たして何処まで解しているのか知れぬまま、ソレは元気よく喃語で応じる……。
『……分かった。工面しよう』
『私わぁ、ここの太歳をぉ……ぐぇ!?』
更に便乗して要求しようとした蛇は当然面で伸し掛かった鬼によって苦悶の声と共に四つん這いの姿勢のまま押し潰される。鬼の骨密度と筋密度は見た目からは信じられぬ程だ。さもありなんの結果である。
『おいおいおいお蛇ちゃん、そりゃあ流石に安直に過ぎて風情が無いってもんだろうがよぉ?なぁ?溝鼠さんよぉ?』
『ん、ふぅぅぅぅぅ……!!?』
押し潰された雌蛇は必死に呻くが鬼は肘をそんな蛇の頭に乗せて頬杖までして甚振って見せる。そして野辺に問い掛ける。
『そうだね。それでは本末転倒というものだ。そもそも私の設定ではそれを認可する選択肢が存在しない』
雌蛇の御所望品、太歳……それは即ち肉塊と成り果てた巫女そのものの事を指している。祟と共に神気もたっぷり溜め込んだ肥大した塊は、魑魅魍魎にとってはある種のご馳走である事は言うまでもない。雌蛇がそれを望む理由もまた考えるまでもない。そして当然ながら野辺が受け入れる訳もない。存在意義そのものの否定に等しい。鬼からすれば蛇の言は余りにも無粋な要求過ぎた。所詮代替わりに代替わりを重ねた無尾の最後の残機といった所か。小物臭さを否めない。
『そっだなぁー。こいつには卵酒でもくれてやれよ。樽一杯によ。……そうだねぇ。長鳴鳥の卵なんてどうだい?』
『だそうだよ?どうする?』
『新鮮な太歳の丸呑ぃ……ぃぐべぇっ?』
『それで良いってよ!!』
グイッと更に体重を掛けて完全に雌蛇を組み伏せての鬼の一言。バタバタと手を地面に叩きつけて、尻尾をのた打たせて藻掻く蛇の有様は明らかに了承からは程遠い。そして鬼と蛇の力関係を理解した野辺はそれを無視して了解する。
『特上の逸品を用意しよう。誰が飲むのかは知らないけどね。……しかしその蛇も相当の格であろうに、良くもまぁここまで明確に力関係を築けるものだ。誓約かな?』
『賭博だよ』
『やれやれ、実に鬼らしい話だね』
果たして如何なる賭け事の結果か。ここまであからさまに上下関係を確定出来る誓約に至るなぞ、相当な遊戯であったに違いない。やはり賭博は悪い文明である。賭事駄目絶対。
……何はともあれ、取り敢えずはどう気紛れに動いて物事を滅茶苦茶に掻き乱すか知れぬ魑魅魍魎共を抑えつけられた事に野辺は内心で安堵する。元よりこの地の守護と管理を旨とするこの存在とって、当に今執り行われている儀式はより一層慎重を期する必要があった。雑音も騒動も御免被りたい話であった。
『けけけけ。安心しろよ。俺等は動かねぇさ。俺は、な?』
そんな野辺の内心を見透かしたかのように、蒼い鬼は牙を見せながらせせら笑った。
そうだ。己達は動かない。誠意と袖の下に免じて誠心誠意何もしない。そうだ。何に対しても。誰に対しても。
『何があっても、誰に対しても、絶対に動かんさ。……なぁ?』
そして鬼が遥か地平線の向こう側へと流し目をして嘲るように宣う様に、野辺はその視線を追いかけるようにそちらを見据えた。
……その先において佇む人影の見開かれた真っ黒な眼孔と、野辺は確かに目が合った。
『これは……ふむ、少し早まったかな?』
そして旧都の管理運営機能は、新たな来訪者をどう対応するべきかと戸惑い首を捻った……。
ーーーーーーーーーー
『これはこれは……忌み仔の分際で随分と立派に飾り立ててくれるじゃないか。余りにも身の程知らずで逆に感心してしまうよ』
立て鏡の中で、己が己の知らない表情を浮かべていた。
それは蛍夜環という娘が生まれてこの方一度としてした事のない寒気のする面持ち。まるで溺死体のように陰のある光の無い眼が垂れ下がる前髪の隙間から覗いていた。見下げるように冷笑する口元が不気味に吊り上がる。己の声音が罵っていた。
『ふぅん。この状況……あの切れ端の差金といった所かな?』
そして一人で勝手に納得すると、まるで蔑むように、嘲るように、己の姿を偽った存在は鏡に倒れかかるように身を寄せていた。身を寄せて、出荷する家畜を検分するかのように環を凝視する……。
「っ……!!?誰っ!?」
思わず舞を止めて、そして身を仰け反らせて退いて、環は荒い声音で問い質す。その眼には明白な嫌悪と、そして隠し切れない怯えが入り混じっていた。
『私は貴女』
「何をっ!?」
『なぁんてね?……はははっ。冗談だって!そんなムキにならなくても良いのにっ!可愛いねぇ?』
「……っ!!」
鏡の向こうのふざけた態度に環は苛立つ。自分が自分と懸け離れた振る舞いをしている事が無性に腹ただしかった。嫌悪感といって良い。あからさまな反発……そんな環を見やり、鏡の向こうの自分は更に口元を吊り上げる。
『あぁ。だけど……貴女は誰なのか。貴女自身は知っているのかな?』
「は……?」
鏡の向こうの存在の奇妙な物言いに、しかし怒る環は困惑する。意味を測りかねる。そんな環を置いてきぼりにして、鏡の向こうの存在は話を進める。
『私達はある意味で似た物同士さ。捨てられた者同士だもの。切り捨てられた者同士。不要とされた者同士。……そう思うと何処か親近感が沸いて来ないかな?』
「何が似たもの同士だっ……!そんな、そんな……不要、品?」
鏡の向こうの太々しい言を反射的に拒絶して、遅れて言葉を咀嚼して、環は思わずその意味に惹きつけられていた。どうしようもなく言の葉が心に引っ掛かる。不安に苛まれる。喉に魚の小骨が引っ掛かるような感覚……。
その感情の出所は言うまでもなく己の出自であった。己の由来。捨て子たる己の出生。その秘密。自分は自分について余りに知らない。知らない事が多過ぎる。自分の事でありながら余りにも自分に無知だった。それを自覚していた。
だから、その言葉は環の心をどうしようもなく惹き寄せて……。
「何なんだい。まるで……そんな言い方、僕を……僕の事を知っているとでも言うのかい?」
『逆にどうして知らないと思ってるのか教えてくれよ。だって、ほら……』
そして鏡の向こうの己の指先が、己の頬へと艶やかに触れる。
『これは君の顔だ』
そして鏡の向こうの己の掌が、自らの胸元をなぞるように撫でる。
『これは君の身体だ』
そして鏡の向こうの己が装束を開けさせた。毟るように乱暴に千早を破り千切り、まるで皮を剥ぐかのように下の衣装まで裂いて、晒が贓物を見せつけんばかりに晒される。堅く巻き上げられた胸元が衝撃に微かに揺れ動く。余りにも唐突な暴挙。
そして舌舐めずりして蠱惑的に首を傾げる。
『巫女とは依代。そんな物の真似事をしようというのだから……今の君と私は正しく二心同体だろうさ。ほら、見てご覧よ?』
「ぁ……」
そして自らを見て漸く気付くのだ。己が鏡の向こうの己と全く同じ有様であるのを。同じ姿勢で、そして自らの手が自らの衣装を引き裂いていた。垂れ下がる布地の裂け目すらも全く同じで……背筋が凍る感覚に襲われた環は唖然として鏡に視線を戻す。凄惨で陰惨な笑みが此方を見据えていた。
「言霊…術……?」
途切れ途切れに漏れた単語。環の混乱する思考で精一杯に紡いだ理解の言葉。事象への推測。何等かの術中に嵌められた余寒。鏡の向こうの己はそれに答えない。唯一方的に言葉を続ける。
『うん。本当にそっくりだよ。要らないから捨てられた。捨てるために捨てられた。……うぅん。捨てるために造られたんだね?本当に、私達はそっくりだ』
けらけらと、環がこれまでした事のない嘲笑う声音が残酷に反響する。環はそれにどうしても受け答えてしまう。
「造られた……捨てるために?何が?」
『騙るために。流すために。祓うために。人柱だよ。そのためだけに君は産まれて来た。御家の人柱だね。名誉ある、儀式の生贄だ』
「人…柱の……生贄⋯⋯儀式?」
その形容に、その単語に、環は既に聞き覚えがあった。確か、あれは……。
"うーん、たかが一退魔士家の分際で随分と大それた儀式をしたようだからねぇ。色々と齟齬が生まれてしまってるみたいだ。だからこんな事になる訳だね。"
脳裏に蘇るのは、何時かの誰かの言葉。大それた儀式と。その齟齬だと。それが己なのだと⋯⋯。
(そうだ……あれは夢、夢の内容、で……)
都が外街での一件の後、百夜院の屋敷で眠りに落ちていた環が見た奇妙な夢。夢とは目覚めた途端に泡沫のように忘れていくものである。それでも環は朧気ながらにでもその内容を忘却の彼方より掘り起こさんと頭を働かせる。
そうだ。アレは、共に舟に乗っていたあの存在はその後に何と宣っていたか?確か……確か……?
『"……本来の目論見たる呪いの押し付けも失敗しているようだし?"⋯⋯かな?』
「っ!?」
環は瞠目した。機先を制した鏡の向こうの存在は冷笑を浮かべる。当たり、と嗜虐的に囁く。低音の艶声。見透かしたような冷たい眼差し。
そうだ。呪いの押し付けだ。呪いとは……一体?己の持つ力と、何か関係があるとでも言うのだろうか?
『まぁ折角の儀式も、結局は捨てられ損の草臥れ儲けだったね。……あぁ、彼方からしたら捨て損なのかな?何にせよトコトン親不孝な仔なんだねぇ?』
「何を言ってるんだ?訳が分からないよ……本当に、君は、何を言って……」
『嘘をつけよ』
環の震える言い訳を断つかのように、鏡の向こうの存在は剣呑に言い放つ。
『そうやって良い子ちゃんぶって。本当は分かってる癖に。自分自身の事だろうに。覚えている癖に。そうだろう?舟に乗せられて、流されて……全部覚えているんだろう?違うかい?』
「舟……?舟って、あの……?」
『違うだろ』
件の夢の中の情景を思い浮かべて、しかし口にする前にバッサリと鏡の向こうの己に否定される。叱責に怖じける。上目遣いで環は鏡の向こうを見やる。
『違うだろ。あれも所詮は反映だ。お前のもっと奥の記憶の模倣に過ぎない。もっと奥だ。もっとだ。もっと奥だ。遡れよ』
それは命令だった。命令に、しかし環は拒絶が出来なかった。それは図星を突かれているような言い様の無い感覚。親に叱られて本当の事を白状する子供のような気分。
⋯⋯言霊により話の流れを導かれている事を頭の隅で認識出来ていた環は、しかしだからといって己で己を止める事が出来ずにいた。
『さぁ思い出しなよ。思い出せよ。ほら、記憶を手繰って。手繰り寄せて。掘り返せ。……あぁ。邪魔してるのがあるのか。だったらほら、私が手伝ってあげるからさぁ?』
そして鏡面をバンバンと荒々しく叩く己の呼び掛けに環は吸い込まれるかのように導かれる。同じように、重ねるように、恐る恐ると迫る白魚のように細い手を振り翳す。ゆっくりと怯えるように、まるで初夜を迎える乙女のように打ち震えながら、環の掌は触れていく。
そう。神楽鈴を握るその手を鏡面に向けて。あぁ。これでは邪魔だ。本当に邪魔だ。これでは鏡の向こうの己と手を重ねられないじゃないか。じゃあ仕方ないね。一旦こんなものは手放さなければ。思い出さなければ。今はそれを何よりも優先しなければ⋯⋯。
……止めろと、誰かが悲鳴を上げる。手放すなと、誰かが強く叱責した。引き返せと、誰かが狂ったように喚き散らす。
そして彼の献身を無駄にするのかと、彼女が怒鳴り叫んで……。
「……彼?彼って……誰の事?」
それが切っ掛けだった。夢遊するような意識が微かに蘇る。蘇り、我に返った環は即座にその身を翻していた。
「⋯⋯っ!?!?」
刹那の精神の混乱と錯乱。そして狂騒。それが収まり前を見れば、其処では鏡面の己が些か間抜け気味な姿勢で仰け反っていた。そして心底警戒するように己に訝るような視線を向けていた。⋯⋯何の事はない。鏡に己の姿が映り込んでいるだけだ。
「僕⋯⋯だよね?」
呟きと連動するように鏡の己の口元が動いていた。身振り手振りをして見ても同様だった。己と全く同じに混乱し切って、訳の分からなそうな表情を浮かべていた。額に汗の粒が垂れて、悪夢でも見たかのように少し蒼白で……。
『何をぼさっとしているんだい?早く舞を続けなよ?』
「えっ、あ……う、うん……」
いつの間にか足下まで来ての、非難がましい野辺の要求に環は慌てて応じようとして、思わず迷う。迷って、己の胸元を隠した。
「〜〜〜っ!!?」
千早が裂けて、衣服も裂けて、晒巻の胸元が覗き見えていた。赤面して、野辺を見下ろす。助け舟を求めるように、一旦儀式を中断を望まんとする。
『舞を止めないで』
「だけど……!?」
『裸ん坊でも踊り続ける儀式もあるんだよ?それくらいちゃんとしてくれよ。この手の儀式が軽々しく何度も出来ると思わないで欲しいな。小道具類を総取っ替えだよ?』
「……!!?」
そして環は周囲を見やる。孫六の姿を探す。何処にも影も形もない。
『あぁ。彼らなら君が乱心して服を破いた辺りで自主的に退室をしたよ』
「嬉しいなぁっ!!!!」
当時の情景を想像して半分程泣き顔で、そして投げやりに環は舞を再開した。晒された胸元が激しく舞い踊る様に連動して破廉恥に揺れる光景に何よりも環が羞恥する。羞恥しつつも、振り切れたようにひたすら踊り続ける。有言実行を環は忘れていなかった。己の行為が一人の人間の進退に関わる事もまた同様である。
……故に神聖なる舞は再開される。
「……?」
焼けっ鉢気味に荒々しく舞いながら、高らかと祝の神歌を捲し立てながら、環はその違和感に気付く。
(軽い……?)
そうだ。異様に身が軽い。先程までの舞の最中の重苦しい倦怠感が欠片もなく霧散していた。困惑する。困惑しつつも歌う事も舞う事も決して止めはしない。寧ろ神楽鈴を一際強く握り締めて、鮮やかな音色を奏で続ける。そして……その奔流が迫り来ているのを感じ取るのだ。
「……っ!!?」
『止まらないで。振り向くのも駄目だ。大丈夫だ。その千早は多少破かれていようが効果は失わない。君は護られる』
野辺の言から然程刻を経ずに異変は生じた。環は視覚を通じてそれを明白に認識した。瘴気である。怨たる呪だ。先程まで鼻についた肉塊の腐臭とは次元が違う。鼻腔を痺れさせる程の臭い……否、正確には臭いではない。もっと直接的に、脳を刺激する類のものであった。根源的に生ある者が疎む気である。
「此れ程……!?」
目で見えぬ筈なのに、確かに環の視覚はそれを捉えていた。どうして此れほど濃厚なものを先程まで分からなかったのか逆に不思議なくらいであった。
……そして、儀式は躊躇もなく次の段階に移行する。
「っ……!!?」
『操作誘導を開始する。……大丈夫、全てを任せて。力まずに、抵抗せずに、流れるがままに受け止めるんだ』
野辺が語る。それと同時に確かに環は感じていた。己の内の深い所に何かが介在している事を。簒奪の力に触れられている事を自覚する。それを慎重に引き摺り出されている事もまた……己の身から強欲な力が溢れ出て漲っている事を感じ取る。
「気をつけて……!この、力は……暴走を……!!」
『させないために君と事前に合意しているし、私の演算能力を大分割いている。君は君の成すべき事に集中を。動揺される方が不安定になる』
環の懸念に野辺が即答する。その剣呑を隠せぬ声音から、決してそれにとっても易々とした行いでは無い事が見て取れた。環は息を呑み、しかし神歌を再開する。乗り掛かった舟である。今更降りる事は許されない。ならば……行き着く所まで後悔せずに全力で突き進むのみである。
「んっ……!?っ!?」
身から迸る闇が四方に拡散していく。泥のように粘り気のある、しかし霧のように触れられなさそうな見た目の漆黒であった。環は瞠目する。思わず視線が邪気に向かう。注連縄と青竹により仕切られた結界によりそれは際限なく広がるのを妨げられる。
……浸蝕されるように劣化していく注連縄を見るに、決して長く持つようには見えないけども。
『気にしないで。備えはしてある。……やれやれ、当初の予定通りにしておけばもっと制御は用意だったのだけどね』
「?」
野辺の嘆息に環は首を傾げる。直後に変化は生じた。溢れ出る暴食の闇が明らかに勢いを削がれていた。精細の欠けた悶えるような蠢き。そして、それは何かを形作っていく。
……腕のようなものを形作ったそれが直後に獣を飲み込んだ。
「野辺!?」
『問題ない。所詮は苦し紛れの最後の抵抗だ』
環の悲鳴に答えたのは真反対の位置に鎮座する色違いの野辺であった。平然と己の別個体を飲み込んだ闇を見やる。
『腹を空かせているのならもっと精のあるものを食べると良い。ほら其処に、たんまりと蓄えたものがあるだろう?』
野辺の示す先は環の背後、巨大な蠢く肉塊を指し示す。打ち震える闇はやはり身震いすると、まるで蛞蝓のように其方へと誘われていく。
「其方は……!?野辺っ!?」
『大丈夫。認識付はしたよ。……兄弟姉妹の物は奪えても母親の物は奪える道理が無いだろう?』
「は、母親……?」
野辺の言に環は困惑する。言葉の意味を今一つ理解出来なかった。
『何故簒奪出来るのか、その由来が分かれば簡単な論理だよ。……それにしても醜いものだ』
「……!?」
野辺の蔑みの言葉に環は視線を戻す。そして見た。己の闇の様を。
それは不格好に形づくっていた。まるで骨のない崩れた肉塊のようで、出来損ないの人形だった。四つん這いの足は、しかし分かれてすらいなかった。辺りを滅茶苦茶に荒しながらそれは肉塊に迫り来て……動きを止めて環を見つめた。
「え……?」
顔のない顔と視線が重なった気がして、それが酷く懐かしくて安堵すら覚えるようで……環は酷く動揺した。この場で、この状況で、その感情は場違いに過ぎたから。
「何で……」
『早く向かいなよ。忌子は孝行すら出来ないのかい?』
環の呟きを掻き消すように野辺は吐き捨てた。果たしてそれを理解してかどうか、出来損ないのナニカは肉塊に向かうのを再開する。これまでに比べて余りにも辛辣な物言いに思わず野辺に訝るような視線を向けていた。
……そして、それは肉塊に到達した。到達して、まるで抱き着くように両手を伸ばす。触れる度に焼けるように蒸気が肉から噴き出した。悪臭だった。果たして何処からのものか、絶叫が結界を満たす。環は野辺に不安を視線で訴える。
『眼を閉じよ。光を失うぞ?』
蜂鳥が急降下して頭上に着地すると訴えた。寸前で環が見たのはナニカが花が咲くかのように頭らしき所を広げて肉塊に伸し掛かった光景だった。そして肌身に感じた。神気が二つ。相反するそれが一方が拒み、一方が無理矢理にでも結合せんとする気配。力の奔流が、濃縮し、縮小して、そして、そして……!!?
『まぁ多分取り越し苦労なんだろうけどね』
「えっ……!!?」
直後のその声音が合図であった。突然にして唐突であった。果たして何処に潜んでいたのか、四方八方から現れた獣共が津波となって環に向けて一斉に殺到して来た。
『ネコと和解せよ』
『猫といいつつ実は鼠に近い容器だったりする』
『権能で基盤素材は安く作れるんだ』
『しかも脳波操作も出来る!』
『家計にも優しい』
『愛嬌ある外見故に怪しくない』
『親しみ易さも倍増!』
『欺瞞だ。欺瞞に満ちている』
『ぱふぱふな場所を確保!』
『愛玩動物と監視役を兼ねる』
『えッ!?えっ!?ええっ……!!?」
次々と頭に、腕に、足に、背中に、腹に、肩に、胸に、太腿に、飛び跳ねて、あるいは抱き着いて、隙間なく、瞬く間に彼女の視界が埋まっていく。胡乱過ぎる言葉の濁流と共に行われる行為に環は理解が追いつかなかった。
否、それは理解を追いつかせぬための発言であったのだろう。言葉の濁流で混乱させる事で環の反撃の隙を封じたのだ。その狙いは完璧で、環は全身が鮨詰めに密着する野辺らに包み込まれてしまう。最早抵抗は欠片も叶わない。獣共に押し蔵饅頭にされてしまう。
「んっ!?んんんんっ!?」
上下左右前後、全方向からの均等な圧迫と圧縮であった。締め付けらっれるような生き苦しさに環は満たされる。裏切られた?いや違う。敵意と悪意が無い事を環は直感的に感じ取っていた。苦しいがそれが害意を宿したものではない。
寧ろ、これは………?
「……!?」
脳裏に過る疑念。その直後、野辺達の密着により生じた視界一面の闇の奥から一点の小さな光が漏れ出した。そしてそれは際限なく広がっていって……。
「な、何の光っ……!?」
余りにも余りにも、強烈過ぎる光芒に視界を満たされた環は、序で遅れて感じた身を打たれるような轟音と衝撃の不意打ちに気を喪ってしまっていて……。
「……!!?この光は!?」
背後からの輝きに、嘗てこの地に勤めていた神職の男は、今を孫六と名乗る男は振り向いて酷く緊張する。その輝きが放たれる方向に何があるのかを知るが故に焦燥する。
『安心しなよ。……どうやら儀式は上手く行きそうだ。君の恐れている事態にはならないよ、六輔君』
案内、というよりかは誘導するように先行して歩んでいた鼠とも猫とも兎とも言えぬ獣が振り向いて彼に語りかける。紳士的な口調が却って外見の異様さもあって彼を警戒させた。
そもそも彼にとって眼前の獣に対して不信感しか無かった。己をここに連れ込んだ存在。恐らくはこの旧都の防衛機構の一種であろう獣が行う事は彼にはその意図が見えなかったのだ。
森の中で囲まれて、攫われて、かつてお仕えした御方の成れの果てと巡り合わされて、どうしようもなく自己満足でしかない贖罪をひたすら口にしていたら何時しか獣は何処かに消えてしまっていて、化物が三体も現れたかと思えば突然現れた獣が命じて帰らせて、蛍夜の姫様を連れて来て、挙句には彼女に怪しげな儀式を求めているのだから、彼が野辺を疑うのも無理は無かった。
「環様は……無事なのか?」
『おや?お仕えの巫女様じゃなくてそちらのかい?乗り換えかい?』
「当たり前だろ!?環様にゃ、ここの事は何等関係無い事だ!巫女様だって、同じ事を言うに決まってらぁ!!」
あの方が救われるのならば、せめて無間の苦痛から開放されるならば、彼は己の身すら惜しくは無かった。己を兄として慕ってくれる「妹」の事は心配だが……赤穂の家がどういう家かは彼は既に十分理解していた。決して無体な事はないだろう。だから自分が贄になるならば問題なかった。受け入れよう。だが、蛍夜環は違う。
これはあの御方と己の、せめて旧都と朝廷の問題だ。蛍夜環という御人好しで善良な人物を巻き添えにして、あるいは犠牲にするべき道理は無い。そんな事されねばならぬ理由が無い。
『それは異な事だね。仮に蛍夜の姫が此度の事態に陥る過程に関与しなくても、それを収拾する上で有用ならば活用しても問題無いと思うけれど?特にそれによる益が甚大ならば尚更だ。積極的に犠牲を払うのは本末転倒だが、取捨選択の中で大のために小を捨てるのは治世の基本だよ』
「っ!!?そりゃ、まさか……!?」
『おっととと。待ちなって。一般論を言ったまでの事じゃないか。……此度の事案に当て嵌まるとは明言していないよ?』
咄嗟の激情のままにその首元から掴み上げて振り揺らす元神職の行為に対して、明瞭としない物言いでの野辺の返答。その軽薄な口調が一層彼に疑念を抱かせる。
「俺はぁ……お前さんを欠片も信用出来ねぇ!環様のあの儀式は、何なんだ?あの大仰な大鏡は、一体……!?環様は何と話してたんだっ!!?」
脳裏にあの光景を思い返す。あれは間違いなく独り言では無かった。環姫は鏡の向こうに魅入られていた。彼が場をこうして離れたのは環が自らの装束を破った事それ自体ではない。より一層深刻だった。自らが鏡の向こう側の存在に認識されて、投げ掛けられる言の葉に魅入られぬように、その苦肉の策であった。逃げる他無かった。
それすらも野辺からの助言である事が、今となっては寧ろ不信で仕方ない。今すぐにでも引き返すべきかと悩み迷う。
『……やれやれ。其処まで不信がられるのは心外だなぁ。……私としては別に君と無闇に敵対したい訳でも無いんだけどね?寧ろ、その逆だ。君とは円滑な関係を望みたい』
「逆ってぇ……一体何を言ってるんだ?円滑って、訳が分からねぇ……」
彼には獣の語る言葉の意図が全く分からなかった。この存在は自分に何等かの価値を見出しているらしいがそれが納得出来なかった。自分如きに一体何を期待しているのだ?あるいは……何に利用するつもりなのか?よもや、人質だとでも言うのか?だとすれば、その相手は?
『人質だなんて、人聞きが悪いね。……えっ?自業自得だって?それこそ心外だよ。……うーん、そんなに私は信用が無いのかな?』
元神職の男の内心を見透かしたかのような返答。そしてそのまま虚空に語り掛けるかのように更に言葉を連ねる野辺。いやこれは……誰かと話している?
『……分かったよ。それでは君に任せよう。それっ』
「あっ!?」
スルリと、まるで水が指の隙間から流れるように、脛擦は元神職の男の掴む掌から抜け出していた。しかしながら獣は逃げる素振りはなく、唯何かを擦るように回り始める。
「何を……!?」
『別に?唯君が信用してくれる相手に対話の続きを委ねるだけだよ。私では無意味らしいからね。……では、後は頼むよ?』
黒真珠の瞳で元神職を見上げての淡々とした物言い。そして遅れて彼は気付いた。いつの間にか目の前に立っていた人影を。真正面に佇む、外套を被った男の姿を。彼が良く知る男と全く同じ背丈の人物の姿を……。
「アンタ、は、一体……一体?」
何者かと問いかけんとして、しかし彼の声音が其処で止まったのは明確な予感があったからだ。決して遠い昔では無い筈なのに、既に懐かしさすら抱く気配。もしや……まさか?
「なぁにが頼むだよ。我が身を振り返って態度を改めろってんだ。……悪いな。後で誓約にサンドバック権を加えておくからよ?」
その聞き馴染みのある声音に、彼は思わず目を見開いた。眼前の光景が現実かと本気で疑う。幻術の類ではないのか?
「貴方は……馬鹿な。貴方、は……?まさか?まさか?」
「まぁ。そのまさかなんだわな」
半信半疑で混乱すらしていた彼に、当にあの人らしい返答が返る。外套の被りを脱ぐ。そして闖入者はその面を晒した。晒して、問い掛ける。
「まぁ、あれだ。……俺が情けないせいで色々と苦労掛けたな?」
「孫六」の今は亡き筈の「旦那」は、幻術にしては余りにもそれらしい困り顔で労いの言葉を口にした……。
次、章末予定です