和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第二六話 人生とは堅忍不抜

 現実はいつだって甘くなくて、苦労と苦痛で出来ている。理想は実現しないから理想なのであり、夢は叶わないから夢であり、努力が結果に結び付く事は人生における最大の幸福である。

 

 現代ですらそうなのだ。ましてや因習が蔓延り、身分の壁があり、死が身近に居座り、理不尽が蔓延する世界では一層生きる事は辛く、苦しい。現実の古代や中世で輪廻転生や末法、終末論の概念が生じるのもさもありなんであろう。

 

 しかし、それでも人は生きる。たとえ辛くても、苦しくても、救いがなくても、辛い労働に耐え、生きるために生きる。ひたすら今日の糧を得るためだけに。

 

 ………そう、それが鬱々しいエロゲーの世界であろうとも。

 

「痛い………」

 

 雪がしんしんと降る中で少年は思わず鍬を手放して自身の手を見た。そして冷えきって、かじかんで、皹すら起こした子供とは思えないくらい硬く、赤く腫れた両手にはぁ、と生暖かい息を吐き掛ける。

 

 最早肉体的にも、精神的にも限界だった。代官の命に従い安い給金で朝から必死に冬の、それも他人の畑を耕していた少年は日没に差し掛かろうという時に遂に耐えかねた。

 

 たとえ精神が転生によって人並みの子供より成熟していようとも、肉体はそれについて来るのは難しい。下手に家と世の中の事情を理解するが故に、泣きべそかいて手を抜かず働いていた結果がこの手であり、全身に筋肉痛すら感じる疲労困憊の身体であった。

 

 痛い……腕が痛い。手が痛い。指が痛い。足が痛い。全身が痛くて寒くて気だるい。

 

 朝に粗末な粥を食べただけの子供にとってその朝から夜まで続く労働はこの世界でも余りにも過分なものであったが……だからといって周囲が優しくしてくれる筈もない。理不尽な苦しみにはただただ耐えるしかない。

 

 故に手の痛みに耐えて、身体の悲鳴に耐えて、涙をすら流さずに踞る少年。その姿は実に痛々しくて、惨めで、哀れだった。

 

「仕事……続けなきゃ………」

 

 暫しの間懐に手を抱き温めて、漸く少年は皹の酷い手を地面に落とした鍬に伸ばす。そう、どれだけ苦しもうが助けなんて有りやしない。

 

 元より霊脈が通らないが故に痩せて寒い糞みたいな土地であるし、故に本来の何倍も手間暇かけても僅かな実りしか得られない田畑である。それでも年貢の取り立ては厳しく、それ故に何があろうとも期限中に畑の土を耕し終えなければ御上が派遣した代官が許さない。だから……だから………。

 

「もう暗い。お前は先に切り上げなさい」

 

 落ちていた鍬を拾い、その男は俺にぶっきらぼうに声をかけた。

 

「親父………?」

 

 少年は目の前に立つ男を見て、力なく呟く。過酷な労働で鍛えられた身体に古着の藁の防寒具を着こんだ表情の乏しい農夫がそこにいた。

 

「けど明日までに耕し終えなきゃ……」

「俺がやっておく。暗くなると妖共がこの辺りにも降りてくる。早くしなさい」

 

 その言葉に少年は唖然として視線を移す。自身よりも数倍は広い土地を彼は耕していた筈だ。それをこんなに早く……?

 

「けど………」

「何度も言わせるな。早く帰りなさい。母さんが竈を炊いている筈だ。先に食べてしまうといい」

 

 そう淡々と言って、目の前の男は……今生の父は鍬を土を耕そうとして、ふと思い出したように自身の着込む藁の防寒着を脱ぎ出した。そしてそれを少年の肩に被せる。

 

「……親父?」

「寒いだろう?俺は良いからそれも着て帰れ」

「親父は寒くないの?」

「餓鬼が一丁前に親の心配なんかするな」

 

 普段仏頂面しか浮かべない父が珍しく不敵な笑みを浮かべた。そして、乱暴に俺の頭に手を添えて掻き撫でる。田舎の貧農らしく硬く、荒れていて、その人生の苦労が偲ばれる手であった。しかしながら、大きく、温かく、優しい人を安心させる手であった。少なくとも少年にとってはそうだった。

 

「……済まんな。お前は長男だから、苦労ばかりかける」

 

 そして小さく零れるのは謝罪の言葉であった。父と母、それに少年を含めて四人の子供……貧農の家庭にとってそれを養うのは容易ではなかった。

 

 とは言え、この時代である。いつ病で、事故で、あるいは妖に食い殺されるかも分からぬ世の中である。特に子供はいつ死ぬかも分からず、年を取ってからの出産は命懸け、子供は貴重な労働力であり、老後の世話役でもある。

 

 故に何処の農家だって可能な限り子供を拵えるのが常識だった。同じ村には七人子供を作り全員が幼いうちに病で死んだ家すらあるのだ。四人しか作っていない少年の父は農民達の中では極々一般的な人数であり、その全員が生きているのは幸運であり、少年の両親が勤勉に働き食い扶持を確保した努力の結実でもあった。

 

「俺は構わないよ。兄貴だから、弟や妹のためにも頑張らないと。……それに一番苦労しているのは親父と母さんだろう?」

 

 その事を理解するが故に少年は現状を肯定し、両親を案じる。

 

「…………良い子に育ってくれて、本当に有り難うな。■■」

 

 表情を見せぬ顔で、高低の小さい声で、しかし確かに優しさと愛情を含んだ口調で農夫は少年の「名前」を口にする。口にしながら頭を撫でられる感触が心地好く、温かかった。

 

 確かに辛くて苦しい人生であるがそれでも……そう、それでもこの瞬間、確かに少年は幸福だったのだ。

 

 ……その日の夜中、人里まで降りてきた妖によって畑が荒らされ、数人の村人が食い殺されて、その数倍の人数が怪我を負った。

 

 片足を食い千切られて不具になった村人の中に少年の父がいた事、それによって少年の家庭の生活が一層困窮する事になったのはまた別の話である………。

 

 

 

 

 

 

『この辺りは索敵する限りは周囲に妖共の気配はない。一先ずは安心する事だな』

 

 耳元で囁かれるその言葉に俺は脱力して深く呼吸をした。

 

 どれだけ走ったのだろうか?日の光もなく、時計の類いも手元にない状態ではどれだけの時間が経過したのか判断がしにくい。相応に鍛えている筈の俺ですら汗で衣類がぐっしょりと濡れて、死にそうな程息切れする位には走り続けたのでそれなりの時間は経たのは間違いないが………。

 

「紫様、落ち着いて下さい。今周囲に妖はいません」

 

 取り敢えず灯りすらない暗い闇の中で喘息患者の如く激しく息をする赤穂紫にそう語りかけて落ち着かせる。暗くて顔は分からなかったが響く音だけでもこのままでは過呼吸で死んでしまうのではないかと思えたからだ。

 

「はぁ……はぁ……わ、分かっています。分かってはいます。はぁ……ですが………けほけほっ!」

 

 噎せたように咳き込む赤穂紫。下水道である。空気が宜しい筈もない。激しく呼吸をして、その気持ちの悪さに咳き込むのも、また道理だった。

 

「喉が渇いていませんか?水筒は用意しています。お飲み下さい」

 

 そう言って俺は懐から竹筒で作った水筒を差し出す。こういう案内役が逃げるか食われるかした際に備えて水や食料、その他の道具は用意していた。

 

「いえ、確かに喉の渇きは感じますが……正直この臭いで気分が良くないので………」

 

 暗闇の中、紫が口元を押さえているのが何となしに分かった。恐らく表情も余り良くないだろう。しかし、だからこそ……。

 

「御気持ちは分かりますが少しは飲んだ方が良いです。水分は無理に我慢するよりも小まめに摂った方が効率的ですから。一応、薄荷を混ぜていますので気持ち悪さを軽減させる事も出来る筈です」

 

 元より下水の流れる地下水道なんて長く居れば宜しくないものだ。薄荷の汁を水に混ぜ込んでいたのはそれを想定しての事だった。幸い臭いが臭いである。妖共も嗅覚で周囲を索敵なぞしまい。

 

(どちらかと言えば音の注意をした方が良いな。後は光学的手法以外での視覚も留意、か)

 

 暗闇で生きる生物は触覚や聴覚が発達するだけでなく、赤外線や熱等、光学以外を用いた視認手段を持つものも多く、それは当然ながら妖も例外ではない。しかも聴覚や触覚は兎も角、その手の視覚的な索敵手段に対しては採れる対応策は決して多くはない。

 

(となると、やはり此方が先に見つけて仕止めるか回避するか以外の方法はないか………)

  

 そんな事を考えていると手元の竹筒に誰かが触れる感触が伝わる。どうやら、俺の進言に従う事にしたらしい。ごくごくという水を飲む音が響く。

 

「竹筒はお渡し致しますよ。そのままお持ち下さい」

「ですがそれでは貴方の分は……」

「予備がありますので御心配なく」

 

 この地下水道で遭難する可能性は原作ゲームからの情報の時点で十分有り得る展開だった。というか糸蚯蚓共の濁流を切り抜けたら大体ゲームでも案内役がいなくなったりして迷子になる展開が多かった。

 

 その上でゲームならば飢え死にする事はなくとも実際に広大な地下で迷子になると考えれば……何日も地下水道を飲まず食わずでさ迷い歩く訳にはいかないし、また実力的に考えると最低でも今回の案件から生き残るには赤穂紫の生存と協力が必要なのは言うまでもない。そのために彼女の分の水や食料も事前に用意するのは俺の立場からすれば当然だった。備えあれば憂い無しとは良く言ったものである。

 

「……随分と用意が良いのですね。私は直ぐに終わると考えて碌に準備もしていませんでした」

 

 若干の苛立ちを含んだ口調で紫は呟く。俺はこの地下水道に入る前の彼女の姿を思い浮かべる。確かに随分と軽装だった。本来のこの地下水道に巣くっているだろう化物共の格と彼女の実力を加味すれば必ずしも無用心という訳では無かろうが……ゲームでもそうだったがあの過保護な家族にしては彼女の出で立ちは実に軽率に過ぎないか?

 

「これまでも似たような経験はありましたので。念には念を入れただけの事です」

 

 そう答えつつ、俺は内心で考察する。

 

(流石にゴリラの時のように嵌められた訳ではなかろうが………)

 

 そも、少なくとも今回の発端はゴリラ様であるし、地下水道の奥に鎮座するあの忌々しい妖母の存在も殆どの者は把握していまい。となると考えられる可能性は………。

 

「此度のお役目、御家族はご存知で?」

「っ………!?」

 

 びくり、と紫が肩を震わせたのが暗闇の中でも分かった。成る程………。

 

(恐らくは原作でも、なんだろうな………)

 

 少しだけ……ほんの少しだけ彼女の家族の助けを期待したが諦めるしかなかろう。ゲームでも結構軽装だと思ったがあれはなめていたというよりも大掛かりな準備が出来なかったのだろう。流石に完全武装すれば家族にもバレるか……。

 

「………これからどうする積もりなんですか?」

 

 赤穂紫は吐き捨てるように俺に尋ねた。刺々しい口調には、しかしそこには明確な不安と、同時に僅かな期待が見え隠れしていた。あからさまに話題逸らしのための言葉ではあるが同時に鋭い質問でもあった。このタイミングでその話が来るか……。

 

「………理由は分かりませんが、この地下水道に巣くう妖共は事前の想定よりも危険で数も多いようです。このまま準備不足のまま進み続けるのは危険でしょう。……少なくとも紫様は兎も角、私では荷が重過ぎます。一旦地上に戻って報告をするべきでしょう」 

「分かりました。ですが……道は分かるのですか?」

 

 俺が話題に乗った事に安堵したような物言い、しかし直ぐにまた不安そうな言い草になって恐る恐ると言ったように紫からの質問が返ってくる。質問自体は元より想定していた内容ではあるが……。

 

「問題ありません。全て想定内です。御安心下さいませ」

 

 俺は朗らかにそう答えた。大嘘だった。

 

 ……いや、一応ある程度の想定はしていたのだ。方位磁石は用意していたし、曲がり角等に密かに目印を貼り付け、脳内で進みながら大まかな見取り図は思い描いていた。しかし………。

 

(命あっての物種とは言うが……逃げた時に座標を見失ったな)

 

 しかも、案内役は三人共行方不明と来ている。内部空間を把握しているだろう彼らも可能な限り助ける積もりだったが……現実は甘くないようだ。

 

『過ぎた事は諦めるしかあるまいて。問題はこれからの事じゃ。主らの場所ならばもの探しの呪術である程度掴んでおる、時間はかかるが出れぬ事は無かろう』

 

 爺の言うもの探しの術は俺も手解き程度ではあるがゴリラからも教わっている。霊力やその残り香を基に探し物や尋ね人のいる方向やおおまかな場所を特定する卜占術……つまりは占いである。無論、御守りの類い同様この世界ではその効果は本物ではあるが。

 

 爺の行っているのはその中でも恐らくは扶箕であろう。恐らくは肩に乗っている式神に込めた自身の霊力を媒体に居場所を割り出し、地図上から振り子で居場所を特定しているのだと思われた。

 

『問題はあの妖共じゃ。元より地下水道は穢れが強く妖共が集まりやすいのは自明。故に霊脈を誘導して地下水道に霊力が流れぬようにしておる筈。小妖ばかりとは言え、あれだけの化物共が群れを作るなぞあり得ん事じゃ』

 

 老退魔士は疑問を吐露する。特大の霊脈の真上であり、穢れが溜まる地下水道……妖共にとっては絶好の立地である。故に人間側も工夫を凝らす。

 

 霊脈から流れる膨大な力を誘導して地下水道に流れぬようにしていた。また主だった水道への出入口には探知用の結界を張り巡らせてあるために強力な、あるいは多数の妖が侵入すれば直ぐに察知可能だ。取り零した多少の霊力こそ地下水道に流れこんでいるだろうがあれだけの妖共が群れを作る事なぞ普通は不可能である。

 

(そう、妖母さえいなければな……!)

 

 俺は知っている。それもこれもあの理不尽な超再生お化けのせいだ。

 

 妖母の能力は大きく分けて二つ、反則なレベルの再生能力、そして『産み直し』だ。

 

 一つ目については言うまでもないだろう。そも、妖母が大乱後も討伐されず、陰陽寮に気付かれずに地下水道で潜伏する事が出来たのはその再生能力のお陰だ。幾人もの退魔士のチート攻撃でも殺しきれず、更には自身を一時的に小妖レベルまで弱体化させる事で探知結界をすり抜けて地下水道に入り込み、一度地下の奥深くまで潜れば少ない地脈の霊力で最盛期には遥かに劣るものの急速に自身の力を回復して見せた。

 

 今一つの能力、単に『産み直し』と称されるそれが地下水道で妖の大群を作り出せた理由だ。

 

『妖母』は人間を含むあらゆる生物を摂食し、そして妖として『誕生』させる事が出来る。

 

 その力は凶悪の一言しかない。短期間の内に妖の軍勢を作り出せるその能力は大乱時代は元より、原作ゲームにおいても虫や鼠しかおらず、霊力も不足する地下水道内で大量の妖を産み出し得た。しかも素材が優秀であれば優秀な程より強力な妖を産み出す事が出来るとあって大乱中空亡の参謀役であり同じく大軍を産み出す能力を有していた「貘」と並んで朝廷の最優先討伐対象とされていた。

 

「師よ、疑念は分かりますがこのまま調査はご免ですよ?流石に何があるか分からない中で準備もなしに調査はご免です」

 

 俺は小さく、紫に聞こえぬように囁く。実際は原因は分かっているが……どの道俺の実力と人脈ではどうにもならない問題だった。どうしてたかが数ヶ月都に滞在しているだけの下人が数百年行方の知らない妖母の居場所知っているんだよ。

 

『その程度の事は承知しておる。だが……儂がいた頃ならばこのような異常があれば直ぐに察知していただろうに、最近の陰陽寮は随分と仕事が雑になったものだのう』

 

 嘆息したように式神の向こう側で溜め息を吐く翁。彼の気持ちは分かるがそこはある意味筋違いであろう。寧ろ陰陽寮の形としては今の情報共有をせず、互いに猜疑心を持ち足の引っ張りあいをしているような状況の方が普通なのだ。

 

 玉楼帝が他にも純粋な実力者は幾人もいた中で態態陰陽寮頭に吾妻雲雀を任命したのはその顔の広さと性格、潤滑剤としての役割からだ。そして翁が陰陽寮に所属したのは吾妻が既に陰陽寮頭に就任した後の事だ。その所属期間の全期を通じて彼女がトップとして組織を運用していた頃を思えば今の陰陽寮が仕事が遅く感じてしまうのはある意味仕方無い事であった。

 

「……これだから退魔士って奴は」

「……?あ、あの……な、何か言いましたか?」

 

 俺が思わず呟いた独り言に少し怯えた赤穂紫は声を上げる。俺の剣呑な口調に、この余り良くない状況も加わって不安を感じているのだろう。糞、ミスったな。

 

 俺は内心の焦燥感と苛立ちを抑えながら、可能な限り穏やかな口調で口を開く。

 

「いえ、何もありません。少し今後の計画を立てていたので……紫様、どうか落ち着いて下さい。ここは安全ですから」

 

 ふと、暗闇の中で袖を引っ張られる感触を感じたので最後にそう付け加えた。しかしながら、そう諭しても尚、手元からは震える感触が感じ取れた。

 

 当然だろう、幾ら実力があろうとも、その精神は根本的には一三歳の少女なのだから。そして、碌に実戦も知らぬ身であんなR-18Gな場面を見てしまえば……原作のゲームでもそうだが、この娘はやはり実力は兎も角性格的に退魔士としては向いていないな。プロならば目の前で女子供が惨たらしく食い殺されようと眉一つ動かすまい。

 

「………」

 

 哀れに思わない事はない。可哀想に思わない事もない。

 

 しかしながら、だからといって事が事であるから、俺は彼女をただただ甘えさせる余裕なぞ無かった。そして同時に彼女が不安と恐怖に押し潰されようとしているこの時がチャンスだと冷静に、冷徹に理解していた。だから……。

 

「……紫様、今少しすればこの地下水道から脱出を開始します。まずは式神を先行させて周辺を警戒します。可能な限り戦闘は避けますが……戦闘が不可避な場合もあり得ます。その時は……失礼ながらお力添えを御願い致します」

 

 周囲に声が響かないように可能な限り小さな声で、彼女に近づいて俺は説明と助力の申し出をする。あの蚯蚓共は数が多いにしろ雑魚は雑魚、白燐玉でもどうにかなったが、妖母の生んだ糞餓鬼共の大半はあんな小細工が通用しない。そして下手に時間をかければ直ぐに家族を呼ばれてしまう。

 

 だからこそ彼女の助けが必要だった。有象無象の妖であれば一撃で仕留められる彼女の力はゲーム内での運命を無視すればこの地下水道から脱出する上で欠かせないものであった。少なくとも俺一人で脱出を試みるよりかは遥かに生き残れる勝算があった。

 

 そして、彼女を利用して生き残るため、俺は少女の弱った心に煽てるように更に甘い言葉を吐きかける。

 

「助力……ですか?私の……?」

「無論です。ここから逃げる上で紫様のお力は欠かす事が出来ません」

 

 俺は仮面と暗闇で見えない事を承知で賑やかな笑みを浮かべていた。賑やかな笑みを浮かべながら悪魔の言葉を口にしていた。………緊張から額より嫌な汗を流しながら。

 

(何処で碧鬼が見ているか分からんが……この程度ならば問題はない筈だ。そうだろう?)

 

 それがまだ子供と言える少女の心の隙間に入り込み、利用しているだけとは理解していた。しかし……俺と彼女、双方が生き残るにはそれしかない事もまた事実であった。幸い、この程度ならば碧鬼の性格ならば逆鱗に触れる事はない。故に人としても、決して道を踏み外している訳ではないのだ。……そう言い繕って俺は自分自身を弁護する。言い訳する。誤魔化す。

 

(俺だってこんな場所で死にたくないからな。それに……)

 

 それに……可能であればこの世界がバッドエンドを迎えるのは避けたかった。

 

 確かに糞みたいな理不尽な世界ではあるが、少しのミスで滅びてしまいそうな世界ではあるが、所詮は二度目の人生ではあるが……それでも守りたいものくらいは俺にもある。最悪の社会で、最悪な国でも、最悪な環境でも、それでも最低限守りたいものを守るために、最悪の終わりを避けるために、俺は彼女を他の多くのものと同様に利用する。

 

 そう。あの時、彼女に対してそうしたように………。

 

(あの時……?)

 

 一瞬俺は、自身の思考に違和感を覚える。何かを忘れているような、妙な喪失感を覚える。しかし、そこから直ぐに俺は意識を現実に引き戻した。今はそんな事を考えている暇は無かったから。

 

「私……私の力が………」

 

 俺の内心の困惑なぞ知る由もなく、ぽつりと小さく、力なく、しかし何処か喜色を含んだいたいけな少女の呟き声が地下水道に響いた。

 

「………」

 

 その声に俺は上手く誘導が効いているのを理解して目を細める。そして、俺は後一押しであろうと察して一気に畳み掛ける事にした。  

 

「はい、紫様。残念ながら私の霊力では長時間妖と戦い続ける事が出来ぬばかりか式神を使うだけで精一杯です。どうか、紫様のお力を頼らせて頂きたいのです。御許し下さいませ」

「頼る……頼られる?私が?私が……頼られる?頼られているのですか、私は?」

 

 もし暗闇でなければどんな表情を浮かべていたのだろうか?ぽつりぽつりと熱にうかされるように呟き続ける赤穂紫の声に何処か覚めた表情で聞きながら俺はふとそんな事を思った。

 

「はい、紫様。どうか御願い致します。……貴女の助けが必要なのです」

 

 きっと、そんな言葉を吐いた俺の仮面の下の表情は人でなしのようだった筈だ………。

 

 

 

 

 

 複数の地下水道から汚水が流れこむその大広間は異様な程蒸し暑かった。それは汚水の熱もあるが、それだけではないのも明らかであった。

 

 灯りがないために人間には分からないだろう。しかし、もしもこの大広間の中がどんな惨状になっているのかを知ってしまえば大概の人間はそれだけで言葉を失うか、発狂の声を上げていただろう。

 

 其ほどまでにこの部屋の中はおぞましく変質していた。暗闇の中で大量の何かが這いずる音に鼓動する音、蠢く音はそれだけで聴く者に言い様のない恐怖を感じさせただろう。

 

 そんな大広間の中央で彼女は唄を唄っていた。豊かな緑色の髪を床にまで伸ばし、惜し気もなく上半身の白い肌を露出させた絶世の美姫……何処か幼くも見え、しかし妖艶な熟女のようにも見える女がこれまた歌姫のごとき美声を以って奏でるのはこの国の言葉ではない。

 

 遥か西方、今は亡き西方帝国で一般的であった赤子をあやすための子守唄……それが彼女が愛情一杯に口ずさむ唄の正体であった。

 

 そしてふと、彼女は唄うのを止める。そして慈愛に満ちた表情で振り返る。

 

「あら、坊や達。そんな姿で一体どうしたのかしら?」

 

 振り向いたその先にいたのはおぞましい化物だった。全身粘液がへばりついた赤黒い糸蚯蚓。おおよそ人間を丸飲み出来そうな巨大なそれは周囲に大小の兄弟達を侍らせて「母」の下へと参上する。……その身体の彼方此方に焼け爛れた痛々しい傷痕を残して。

 

「まぁまぁ。坊や、可哀想に。一体何があったの?」

 

 声と言えるか怪しい謎の音を鳴らしながら巨大な糸蚯蚓はズルズルと「母」のもとへと向かう。おおよそおぞましさしかないその醜い化物に人外の女は寄り添い、よしよしと撫で上げる。そして目を閉じてこくこくと怪物の言語とも言えぬ言葉に頷く。

 

「うんうん、よしよし。……そうなのね。痛かったのね?大丈夫よ。直ぐに良くなりますからね?」

 

 そして次の瞬間には蚯蚓の化物の焼け焦げた皮膚はぼろぼろと崩れ去る。その下から見えるのは瑞々しい張りのある赤黒い皮膚であった。

 

 うねうねと「母」にじゃれつくように巻き付く化け蚯蚓をあやしながら、「妖母」は呟く。

 

「そう……そうなの。またお客様達が訪問したのね?うんうん、そう……それは大変ね。このまま地上に帰したら私達の存在が見つかってしまうわねぇ」

 

 何処か気の抜けた口調で怪物共の母はぼやいた。実際、都の地下に彼女のような存在がいるとなれば朝廷は全力でそれの駆除を試みる事だろう。そして、幾ら化物共の母であろうとも、今のように単独で、子供らの頭数も揃わぬ内に朝廷が本気で潰しにかかられては楽観出来ない事態に陥るだろう。少なくとも「今の」彼女に勝機はほぼない。

 

「困ったわねぇ。このままだと空ちゃんに怒られちゃうわぁ」

 

 一応、今の計画が御破算した際の代わりの計画は幾つか事前に伝えられてはいるものの、それはそれとして妖母は「友人」からの叱責を想像して頬に手をやって陰鬱な溜め息を吐く。その憂いを秘めた表情はそれだけで強力な「魅了」の権能を放っていた。

 

 そして、暫し考える素振りを見せた化物はふと、良い事を思い付いたとにこりと笑みを浮かべる。

 

「ああ、そうよね。このまま地上に戻って知られたら困るのだから、答えは簡単な事よね?地上に戻れないようにすれば良いのよ」

 

 そして、彼女は更に続ける。

 

「そうね、折角だもの。お客人は良く良くもてなしてあげませんとね?……うふふ、そうね。そうしましょう。この際ですもの、お客人には一足先に私達の「家族」になって頂きましょう?」

 

 まさに名案!とばかりに楽しげに宣う妖母。その態度と物言いは皮肉でも狂気でもなく、ただ純粋に彼女がそう思う事を口にしているだけのように思われた。

 

 実際問題、彼女の考えに基づけばその考えは当然であった。彼女があの大乱に加わったのも、ましてや未だにかつての指示に従うのも、決してそれは人間を敵視するが故の事ではない。

 

 寧ろ彼女は人間を、この世の生きとし生けるもの全てを愛していた。ましてや彼女は一度たりとも人間の殺戮を目的に動いた積もりなぞ無かった。寧ろ逆だ。彼女にとっては全ては愛と善意故の行動であった。……それが人間から見てどれだけ異様で、異常で、狂気に満ちたおぞましいものであろうとも。彼女にとってそれは完全な「善意」であり、「愛情」であった。

 

「それじゃあ坊や達、お昼寝はここまで。皆、目を覚まして頂戴?」

 

 鈴の音のように響き渡るその言葉に反応するように暗闇の中を幾百、幾千、あるいはそれ以上の数のナニカが一斉に蠢き出す。広間のありとあらゆる場所から血のように赤い瞳の光が無数にところ狭しと現れる。そしてそのどれもこれもが部屋の中央に鎮座する彼らが「母」の方向を向き、その命令を待ちかねるように沈黙する。

 

「さぁ、可愛い可愛い坊や達。お行きなさい。お客様方に対して丁寧に、そして丁重にお連れするのですよ?彼らもまた、貴方達の「家族」になるのですから、ね?」

 

 善意と慈愛と狂気に満ち満ちた「母」のその命令に、次の瞬間には人外の化物の軍勢が広間の四方から繋がる下水道通路に向けて、黒い大波となって雪崩れ込んでいった……。

 

 


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