和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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第二八話 独眼母?

 扶桑国が都、内京……内裏を囲むように建つ公家や大名、豪商に退魔士一族の広く豪奢な屋敷は同時に有事の際に内裏を守る出城としての役割も担う。

 

 内京の中でも西京寄りのとある武家屋敷を一人の青年がぐるぐると歩き回っていた。線が細く、色白の端正な美青年……彼は屋敷中を見回り、そして遂に観念したようにある部屋の前に立ち止まると、障子越しに一言声をかける。

 

「紫、ここにいるのか?返事をしろ」

 

 平坦で感情の余り窺えない口調で青年は障子の向こう側にいるかも知れない人物に声をかける。しかし………。

 

「……開けるぞ?構わないな?」

 

 百数えても尚返事一つすらなく、遂に青年はそう申し出る。十数え、これまた返事がないために、仕方無しに青年は障子を開けた。

 

 予想とは違い、呪術の一つも、結界の一つもなく、青年は簡単に部屋に足を踏み入れる事に成功した。年頃の退魔士の家の娘ならば自室に家族とは言え男が無断で入ってくるのを嫌がり大なり小なりの罠を仕掛けているものであるのだが………どうやら部屋の主はそんな事を考えるような性格ではないらしい。

 

 青年はくるくると首を回して室内を確認する。畳の床の部屋は中央の壁掛けを境に左右で全く趣を異にしていた。

 

 壁掛けから東側を見ればそこにあったのは飾られた刀剣に幾重にも呪術をかけた甲冑の類が飾られ、囲碁や将棋の台が置かれ、本棚には兵法書や妖に関する各種の伝承や知識について記された書籍がみっちりと詰まっていた。典型的な武具を主武装とする退魔士の自室らしい様相である。

 

 しかし、青年が反対側に視線を向けると、そこには東側とは全く趣向が異なる世界が広がる。

 

 御簾が中央にあって、その背後にあるのは美麗な屏風だった。壁には鮮やかな十二単が飾られていて、大きな鏡台に高価な衣装を納めた漆塗りに金箔押しの唐櫃に調度品を納めておくための二階厨子の上には火取り香炉に唐櫛笥、泔坏が設けられている。そして、それら全てに埃が被っていた。

 

「…………」

 

 沈黙の内に、青年は屋敷を見回り、部屋を一瞥してこれまで集めた情報から事態を推測する。彼女につけた女中や下人はいない。そして馬も一頭いなくなっていて、何よりも彼女に授けた妖刀も何処を見ても見つからない。となれば考えうる可能性は彼女が外出したという事であるが……故に事態は奇妙であった。

 

 牛車でも馬車でもなく、馬という事が問題だ。つまりは何処ぞの屋敷が訪問先という訳ではないのだろう。ましてや家族に一言も言わずにとは明らかに何時もとは様子が異なる。

 

「……地図と振り子を用意しろ」

「はっ」

 

 青年の命に傍らに控える雑人の一人が礼と共に応じる。直ぐ様青年の手元に都全体を示した地図と振り子が用意される。

 

 広い庭先でそれは行われた。彼女に由来する触媒は幾らでもあった。これが父や長男であれば、あるいは後二、三歳年があれば可能な限り彼女の自由意思を尊重して、いちいち監視するような無用な詮索なぞしなかったであろう。しかしながら未だに彼女は一三歳、そして兄弟の中でも比較的過保護な四男であり、何よりついこの前他所様の屋敷で彼女が問題を起こしたばかりともなれば話が違って来る。故に青年は人探しの術を用いて、そしてある意味ではその判断は「正解」であった。

 

 吊り下げられた振り子は触媒に繋がる「縁」を通じて彼女が何処にいるのかを指し示す。だが………。

 

「何………?」

 

 垂らされた振り子の先が奇妙な場所を指し示した。導き出された答えに青年はその端正な顔を僅かにしかめさせ、その瞳を疑念と不審とに細める。そして、暫し熟考した後、漸く決断した。

 

「動かせる家人と下人を集めろ。仕事着でだ。杞憂かも知れんが……念は入れておいた方が良かろう」

 

 そして踵を返す青年は自身の部屋に足を進める。

 

「私も出る、支度の準備を。本日の予定は全て取り消せ。女中、湯漬けで良い。出立前の腹拵えだ、用意しろ」

 

 そう、周囲の者らに命令する青年。その表情は一見何の変わりも無さそうに見えたが、見る者が見れば焦燥している事が見てとれた。そして………。

 

『………』

 

 庭先でそんな屋敷の様子を一枚の式が観察していた………。

 

 

 

 

 

 

 

 神経毒の効果が薄れ、漸く俺が意識を取り戻した時、最初に目にしたのは瞳であった。文字通り目と鼻の先で此方をじっと見つめる鮮やかで、しかし何処か恐ろしい雰囲気を醸し出す瞳……。

 

「っ………!?」

 

 悲鳴を上げなかった自分を称賛しても良い。其ほどまでの恐怖であった。当然だろう、訳が分からぬままに意識を失い、次いで目覚めていきなり目にするのが此方を至近で凝視する、深淵を見つめるような翡翠色の瞳なのだから。しかも、その瞳は明確に狂気の色が垣間見えていた。

 

「あら、起きましたか?それは良かったわぁ。何時までも目覚めないものだからどうしようかと困り果てていたの。人間の皆さんって脆いのが多いでしょう?坊や達が手加減し間違えたのかと思って心配していたのよ?」

 

 此方が目覚めたのに気付いて、一旦顔を離して女はにこにこと笑みを浮かべて宣う。優しそうで、一目見るだけで本能的に母性を感じさせる魅力的で包容力に富んだ美貌を纏った女。

 

 長い髪を垂らしてその上半身に一糸も纏わぬその姿は一見扇情的で背徳的でありながら、同時に神々しさも感じさせた。しかし、その下半身を見ればそんな印象もまた一変する。

 

 ……それは巨大な肉の塊だった。肉饅頭のような肥大な肉の塊……そこからは出鱈目のように様々な生物を模した手足が生えていた。おぞましさを感じさせるその醜い姿は白く線の細い上半身との対照性も相まって一層グロテスクに思える。

 

(ここ、は……?)

 

 俺は目の前に鎮座する化物に気圧され混乱する思考で、それでも周囲を見渡して、いや視覚だけでなく五感の全てを総動員して必死に状況の把握に努める。

 

 薄暗い部屋は湿気ていて、何よりも異臭が酷かった。生塵と腐った水を混ぜたような生臭く、強烈な臭いは地下水道に廃棄された汚水だけが原因とは思えない。

 

 いや、それ以上に異常なのは地下水道そのものの姿だ。壁中にぬめぬめとした何かが貼り付いていた。そして無数の卵が産み付けられていた。床だけではない、壁や天井にも、何百、あるいは何千か、心臓のように鼓動するそれ自体が生物のようなものから鳥類や爬虫類のような殻の卵に、あるいは虫のそれのようなもの、汚水溜まりの中には蛙の卵のようなものが無数に浮かんでいた。見るだけで鳥肌ものの凄まじいビジュアルだ。

 

「ここは…まさか………」

「ふふふ、ここはですね?子育ての御部屋なのですよ。ここで可愛い坊や達を産んで、大切に育てあげているの」

 

 殆ど独り言のような呟きに対して低く、何処までも優しい口調で女の姿をした人外の化物は答えた。その言葉を聞く前に既に予測はしていたが……やはり女は人間ではないようだった。いや、その外見を俺は見た事がある。恐らくこいつは………。

 

「ひぃぃぃぃ!?た、助けてくれ!!?誰か!!助けてくれぇぇぇ!!」

 

 その悲鳴に俺は視線を動かす。壁の一角、気味の悪い肉が貼り付いたそこで一人の男が叫んでいた。あれは……。

 

(あの野郎、生きていたのか)

 

 糸蚯蚓共の群れに襲われた時に俺達を見捨てて逃げた案内役だった。三人の中で一番痩せていて卑屈そうな男は肉の中に身体を半分埋められていて、拘束されていた。ざまぁ見ろ。

 

(そしてあれは………)

 

 視線を動かしてそれを発見する。喚き散らす案内役から少し離れた場所、そこには赤穂紫が同じように拘束されていた。此方もどうやら五体満足な姿のようだが、意識を失っているようでぐったりとしていた。

 

「ぐっ……糞、俺もか……!?」

 

 そして今更のように俺も肉のような粘性の物質で拘束されている事に気付く。どうにか右手は動くが……それ以外は今すぐ動かすには難しそうだ。

 

(いや、問題はこの拘束から抜け出せた後、か………!)

 

 そうだ。仮にこの拘束を抜け出せた所でどうすれば良い?目の前の『妖母』を殺す事は限りなく困難であり、奴の餓鬼共がどれだけの数なのかは今更言うまでもない。今現在、周囲を見ても精々いるのは卵を世話する蟻のような小妖ばかりが数十体程度だが……目の前の化物が一声呟けば何処からともなく膨大な数の怪異共が雪崩となって押し寄せて来るだろう。

 

(糞が。こんな所で詰むつもりはねぇぞ!?どうする?どうすれば良い……!?)

 

 必死に頭を回して、俺は翁の式神の存在に思い至る。そうだ、あの翁ならば目の前の化物の存在に気付いて指を咥えて放置なんて事はない筈だ。もしかしたら既にある程度情報収集もしているかも知れない。まずは翁と式神を通じて連絡を………。

 

「あら?もしかして貴方が探しているのはそれかしら?」

 

 俺が何か探しているのに気付いたのか、嫌みでも嫌がらせでもなく、本当に尋ねるように『妖母』はそれを指し示す。足下に視線を向ければそこにあったのは………切り裂かれた幾枚かの紙切れだった。

 

「何か隠れていると思って捕まえたら暴れてしまいましてね?つい押さえようとしたらそのまま破れちゃったの。……御免なさいね?もしかして貴方にとって大事なものだったかしら?」

 

 心底心配そうにそう質問する化物に、俺は事態の深刻さの余りに笑ってしまいそうになった。ははっ……糞、最悪だな。こりゃぁ、碧鬼辺りがストーキングに使っていた他の式神もやられているな。他の分は誰が寄越したのかは知らんが、この際はどうでも良い事だ。というよりも気にするような余裕なぞない。

 

(これは……かなり不味い、かな?)

 

 詰んだ……完全には詰んでいないだろうが、限りなく詰んだ。この時点で俺はその事実に気付いてしまった。どうやっても逃れきれない『死』という運命が立ちはだかり、俺は目眩すら覚える。あぁ、糞!待て、落ち着け……そうだ、諦めるな、自棄になるな。落ち着け、そうだ、落ち着け、策はある筈だ………!!

 

「んっ……こ、ここ……はっ……?ひっ!!?」

 

 そんな時だった。先程まで意識を失っていた赤穂紫もまた目を覚まし、同時に事態を把握して悲鳴を上げる。右左と首を動かして、俺の姿を見つけると一瞬安堵したような表情を浮かべ、しかし直ぐに絶望したように顔を青くさせる。

 

「こ、これは……一体……!?い、嫌っ……た、助けて……!!嫌っ……!!?」

「落ちついて下さい紫様、ここで騒いでも意味はありません。まずは深呼吸して精神を平静に保って下さい」

 

 未だに悲鳴を上げて助けを求める案内役を一瞥して、俺は平静を装いながら紫に助言する。ぶっちゃけると俺自身発狂しそうではあるが……皮肉な事に紫や案内役がパニックになっているお陰で逆に冷静になれた。

 

「うふふ、大丈夫ですよ?子供の大声は元気な証ですもの。喜ぶ事はあれ、それを疎む事なんてありません。貴方も、あの子達みたいに元気で大きな声で鳴いてくれても良いのですよ?」

 

 そんな俺を見ながらニコニコと化物は口を開く。あからさまに善意から来たであろう『妖母』の言葉に俺は無理に笑みを浮かべて答える。

 

「それは生きの良い獲物だと分かるからか?あんたは何者だ?まぁ、都の地下をこんな模様替えしている輩な時点で碌な奴では無さそうだが……?」

 

 時間稼ぎに俺は質問した。残念ながらこの絶望的過ぎる状況の打開策が思い付かなかった。取り敢えずは一分一秒でも食い殺されるまでの時間の引き延ばしをする事だけが俺に出来る唯一にして最善の道であった。

 

「ふふふ、そう焦って沢山質問しなくてもちゃーんと答えてあげますからね?慌てない慌てない」

 

 挑発と探りの意味を込めて若干敵対的な物言いでの質問に、しかし案の定化物は一切怒っていなかった。それどころか複数の質問を口にした俺を元気な子供扱いする。

 

「……そうですね、やっぱり母親としては子供の元気な姿が一番ですからね。その意味では彼方の御二人方はとても元気が良くて、私としてはとても嬉しいものです。それに比べて貴方は……少し静か過ぎて困りましたが、ちゃんとお話が出来る程には元気があるようで安心しましたよ?」

 

 心底嬉しそうにそう宣う化物。そりゃあ結構な事で、気狂いめ!!

 

「さて、次の質問でしたか?えーと……あぁ、私が誰かでしたね?見ての通り、私は貴方達の母親ですよ?」

 

 おう、意味分かんねぇ。いや、分かるには分かるが相変わらず思考回路可笑しいわ。

 

「母親?悪いが俺はあんたの股の間から出てきた覚えがなければ養子縁組みした覚えもねぇよ。良い歳して足腰が痛くなってるから老後の世話役が欲しいのは分かるが、流石に母親詐欺は引くぜ……?」

「そうは言いましても、事実ですもの。私は貴方も、そこの御二人に対しても母親として心の底から愛しておりますよ?生きとし生けるものは全て、私が愛情を注ぐべき存在ですもの。……それに、貴方の心配なら問題ありませんわ。ちゃーんと私が御腹を痛めてでも『産み直して』あげますからね?」

「……はっ、そりゃあどうも」

 

 まるで此方を安心させるかのような斜め上の物言いだった。此方の罵倒も挑発も目の前の化物はそもそも認識すらしていないようで、文字通り此方の言葉を額面通りにだけ解釈して答える。俺は冷笑しながらそう吐き捨てるしかなく、それすら「どう致しまして」とにこやかに返される。流石元「地母神」である。何処までも懐が深い。話になりやしねぇ。

 

「さて、最後に何故この地下水道を子供部屋に模様替えしているのか、でしたか?そうですね。空ちゃんから余り話し過ぎないように昔から言われていましたが……まぁ、これから新しい「家族」になりますからね。それくらいは良いでしょう。……あら、調度良い時に孵りそうですね。ほらあれをご覧なさいな?」

 

 そうにっこりと指差す先には一つの肉袋があった。ドクンドクンと鼓動する黄色と赤黒の混ぜたような形容し難い色彩の醜い肉の塊……その中には何かが蠢いていて、その鼓動は次第に激しくなる。そして……。

 

『シャアアァァァァァァ!!!!』

 

 気味の悪い肉袋を膜のように引き裂いて現れたのは醜悪な怪物だった。全身粘液にまみれたそれは爬虫類のようにも、あるいは骨の浮き出た人間のようにも見えた。後方に膨らんだ頭蓋を持ち、窪んだ大きな目玉に出鱈目に生えた鋭い牙、手足は異様に長くその先端からは恐竜のような爪が生え、蛇のような尻尾がうねる。

 

(……これはこれは、実に可愛い赤ちゃんな事で)

 

 生臭い臭いを全身に纏わせたおぞましい化物はその何を考えているかも分からぬ目玉で此方を見つけると猿のような俊敏さで此方へと駆け寄って来る。俺は無論、紫も案内役もそれに対して恐怖から何も言えずただ黙ってその行動を凝視する事しか出来ない。

 

『グルルルルルル………!!』

 

 俺の目の前に立つ化物は珍物でも見るように首を傾げながら此方を覗く。鳴き声を鳴らす口はネバネバとした糸を引いていて、腐った魚のような強烈な臭いに吐き気を催す。赤黒く、太く、長い舌がだらりと出てきて俺の頬を一撫でした。思わず鳥肌が立つ。目を逸らしたくなる。

 

 そして、暫く此方を窺っていた化物は何かを決めたように俺の目の前で顎が外れたのかと思える程口を大きく開いて………。

 

「あらあら、駄目よ坊や。その子は食べちゃ駄目ですからね?」

 

 傍らに現れる『妖母』の優しげな声に生まれたてベイビーは振り向く。そして粘液滴る身体でとぼとぼと声の主の下まで歩み出して、その目の前で犬のように四つん這いとなって尻尾をフリフリと振るう。

 

「よしよし、言う事聞けて偉いですね。坊やの御飯なら彼処にありますからね?」

 

 撫で撫で、と粘液まみれの化物の頭を撫でてから、『妖母』はその方向を指差す。その先にあったのは山のように吊るされた何かの肉だった。精肉工場のようにも思える餌場……骨の形からしてその肉の正体はただの動物だけではないのは明らかだった。

 

 犬のように駆け出して骨付き肉の山に飛び込みボリボリとおぞましい音と共に御飯タイムに入ったベイビー。その音に俺も紫も、思わず顔をしかめる。

 

「御免なさいね?産まれたてだからお腹が減っていたみたい。前も似たような事がありましてね?その時は折角産み直してあげようとした子達を坊や達が食べちゃって大変だったの。殆どが死にかけてて慌てて食べてあげないといけなくてね。……今回は目を離さずにいて良かったわぁ」

 

 ぱぁ、とした笑顔でおぞましさしかない内容を悠々と語る化物。どっち道食われる方からすれば碌でもねぇ話だ。

 

 ……そういや、漫画版だと中途半端にベイビー達のランチタイムを止めたせいで内臓ぶちまけて苦しみながら産み直しの順番待ちをさせられた退魔士の描写とか追加されてたなぁ。あの美麗絵でオリグロシーン追加とかやっぱりこのゲームの関係者頭可笑しいわ。

 

「………一応尋ねるが、ありゃあ元人間か?」

 

 恐る恐ると、そして半ば確信を持って俺は尋ねる。

 

「ええ、その通りですよ?随分と元気な子でしょう?ふふふ、最近人間の皆さんが沢山来てくださりましてね?これからもっと沢山坊や達が生まれてくれますの。きっとこの御部屋ももっと賑やかになるでしょうね」

 

 楽しみだわぁ、とわくわくとした表情を浮かべる『妖母』。それは結構な事で。

 

(素材は先日失踪した調査隊の傭兵、といった所か……見たところ中妖クラスって所か?)

 

『妖母』の産み直し……つまり他の生物を摂食して妖として再誕させる能力は素材によってその出来も変わる。素材が低級であったり、少なければ下等な……つまり昆虫や魚類、爬虫類のような卵として産卵するし、素材が上質であったり、多数を複合した場合はより大きな肉袋状の卵だったり、胎生で直接出産したりする……らしい。少なくとも設定集ではそう説明されていた。場合によっては人間だった頃の記憶すら個人差があるが受け継ぐようで、紫の場合は素材が上質なお陰でバッドエンドの一つでは胎生出産の上、ほぼ完全に記憶を引き継ぎ、最後は鬱々しいシチュエーションで家族にぶっ殺される事になる。

 

(となれば……成る程、流石にまだ人間を素材にした餓鬼共は少ないか)

 

 部屋を見るにまだ肉袋系の卵は少なかった。精々二、三十といった所か。何百あるいは何千という卵の殆どは虫や魚のそれに似ていた。地下水道で得られる素材なぞ程度が知れているのでまぁ、こんな所だろうな。

 

 その点だけで言えば原作のゲームより状況は遥かにマシだ。原作ゲームのクエストが受けられるのは恐らく今から見て三年程後、地下水道や外街、周囲の村で失踪事件が相次いで、水道管理を委託されていた商家や公家達が事態を秘密裏に処理出来なくなり、なりふり構わなくなった時点である。

 

 ……因みに主人公が都に来て直ぐにクエストとして選べるって事はそれだけハードルが低くて他のモグリの退魔士や傭兵も沢山受けているって事であり、何時まで経ってもクエストが残り続けるという事はメタ的視点で考えるとつまりは……そういう事だ。

 

(そういえば一部の考察組では敢えて捨て駒を突っ込ませているなんて説なんかもあったな)

 

 一代二代しか歴史のないモグリの霊力持ちと何百年も続く退魔士一族とでは実力は隔絶しているし、同時に死亡時の損失も比較にならない。流石に朝廷も地下にヤバい何かが潜んでいるのはクエストが解放されている時点で勘づいていただろう。その上で地下がどうなっているか分からない段階で一線級の実力を持つ貴重な正規退魔士の不用意な喪失を避けるためにモグリ共を突っ込ませて情報収集しているなんて分析もあった。まぁそのルートでは、最終的に対策を完成させる前に時間切れでベイビーズの御披露目会が開催される訳だけど。

 

「………ははは。本当、碌でもねぇな」

 

 小さく俺は独り言のように呟いた。それはこの状況についてか、目の前の化物についてか、それともこの世界そのものについてか、俺自身にも分からなかった。

 

 そして、そんな俺に対して堕ちた神族は何を思っているのか、慈愛に満ちた瞳を細めさせる。

 

「……可哀想に。まるで捨てられた子犬のようね」

「はぁ?」

 

 唐突な、そして何処までも憐れむようなその言葉に俺は思わずそう口にした。目の前のイカれた化物の発言に俺は困惑する。

 

「ふふふ、私は皆さんの母親ですからね。子供達の事なら何でも分かりますよ?そうこれは………本当に可哀想な坊やな事」

 

 此方を覗くように見つめる『妖母』。その瞳は拘束された俺の顔を映し出していて、その瞳の中に映る俺の眼は化物の姿を映し出していた………。

 

「私も、色々な子らを見てきましたわ。本当に色んな子らがおりました。命はいつだって一つに対して一つきりのものですが、人間達は特に一人一人違っていて本当に成長を見ていて楽しいものです」

 

 ちらり、と拘束されている紫と案内役を一瞥する『妖母』。ずっと前から半狂乱になって喚いている案内役は兎も角、紫は俺達の方を見て不安と恐怖に怯えていた。

 

「ですがこれは………中々興味深い魂ですね?」

 

 再度此方に視線を戻して、女はまるで魂を見透かすかのように見つめて、嘯く。いや、まるでなんてものではない。これは………。

 

「本当、可哀想に。辛いでしょうね?苦しいでしょうね?当然ですもの。貴方は無知ではないのですから」

 

 その言葉は妙に俺の耳に反響し、溶けいるように響いていた。明らかにそれは普通の言葉ではなかった。耳をふさぐべきだった。だが………意識は殆ど無理矢理に化物の言葉に向けられていた。抗えない。無視出来ない。

 

「確かに貴方のような苦難を辿った者も、貴方よりも悲惨な境遇を歩んだ者だって幾らでもいますでしょう。けれど、本当に絶望するのは幸福も充足も知りながら絶望の淵にある事、そうでしょう?」

 

 死が満ちている世界では人間は生に固執しないだろう。理不尽と差別が横行している世界で人は自らの不当な扱いに怒る事はないだろう。飢えの苦しみがありふれている世界で人は美食を望まないだろう。

 

 当然だ。知らないからだ。安全な世界も、平等な世界も、飽食の世界も知らなければ、現状だけしか知らなければそのような羨望も概念も思い至らず、あるがままに世界を受け入れるしかない。少なくともそのような苦しみにある者達は、同時に学もなく、尚更そのような発想に思い至るのは困難で、少数であろう。

 

「だからこそ、何よりも不幸なのは満ち足りる事を知っている事。幸福が何かを知りつつ、それが永遠に得られない事を知っている事。自身がどれだけ希望も救いもないかという事を知っている事。……そうでしょう?」

 

『母』は真理を語る。知恵があるが故に、人は苦しむ。最底辺の無知蒙昧な貧民はある意味ではまだ幸福だ。今生の苦しみも来世へ、あるいは極楽への期待から耐えられる。それが仮令現実逃避の手段としても、何らの根拠のない空虚な妄言であったとしても、今目の前の無間地獄のような現実から心を守り、支える事が出来るならまだ幸福だ。ではそれすらない者は?

 

「あっ……う……お、お前……何、を言って……いや、何を知って………?」

「本当に可哀想な子。逃げる事も、目を逸らす事も、逃避する事も出来ないなんて、その上誰にも理解される事もなく、孤独に生きるしか出来ないなんて、どうして貴方の生きる道はそこまで残酷で哀れなのでしょうね?」

 

 染み渡るような『母』の言葉には何処までも深い慈愛と憐憫と、同情の感情が含まれていた。それは明確に思いやりと優しさがあり、聞く者に強制的に安堵を感じさせ、同時にその心を激しく揺さぶらせ、俺の長年蓋をしてきた感情の濁流を無理矢理抉じ開け、決壊させようとしていた。

 

「よしよし、良くこれまで頑張りましたね?もう良いのですよ?もう頑張らなくても、苦しまなくても良いのですよ?」 

 

 それをされてから俺は初めて気づいた。いつの間にか目の前にいた『母』が、俺を優しく抱き締めていた事に。装着していた面は床に捨てられ、柔らかな胸元に抱擁されて、その頭は赤子をあやすように撫でられていた事に。全て気付いた時にはそうなっていた。いつからそうなっていたのか、全く分からなかった。理性が溶けて、激しい感情の渦が溢れそうになっていた。

 

「あっ……ぐっ………?」

 

 目元が潤み、嗚咽が漏れそうになるのを必死に押し止める。もしそうなればもう戻れない事を本能的に気付いていたから。

 

「ふふふ、我慢しなくても良いのですよ?甘えても良いのですよ?泣いても良いのですよ?感情に従うのは生き物として当然の、自然そのものの行動なのですから。そして『母親』として、私がどうして子供が甘えてすがり付くのを拒絶しましょうか?」

 

 何処までも優しくて、弱さを肯定してくれる『母』の言葉が頭の中に鳴り響いていた。温かく、優しい微睡みが俺の思考を塗り潰していく。全ての思考を放棄して、全ての現実から目を逸らして、赤子のように、ただただ『母』の胸の内に甘えたくなる。目元から安堵と悲しみから涙が溢れ出てくる。

 

「あ……うぅぅ………ぐっ…………!?」

「はいはい、大丈夫ですよ?もう大丈夫。もう何も心配しなくても良いですよ?『母』はここにおりますから、ね?」

 

 何処までも甘く、甘美な誘惑に俺は次第に赤子のように目蓋を閉じていく。その光景に震えながらも何かに気付いた紫が此方に向けて何か叫ぶが……既に脳はその言葉を聞く事も、理解する事も拒否していた。疲れていたのだ。何もかも。ただ、ただひたすらに楽になりたかった。

 

(あぁ、このまま眠ったら楽なんだろうな…………)

 

 もう何も深く考えなくても良くて、ただただひたすらに動物のように本能に忠実に、欲求に忠実に、感情に忠実に生きていければどれだけ楽なのだろうか?それはまさしく妖の在り方であり、そしてこのまま『母』に全てを委ねればそれは叶う筈だった。それは何処までも魅力的な運命であるように思われた。だから……だから………だから……………。

 

「さぁ、いらっしゃい。■■、貴方も今日から私達の『家族』ですよ?」

「か……ぞ…く…………?」

「そうです。貴方も坊やの一つとして、私達『家族』の一員となるのです。何も孤独ではありませんよ?何も恐れる事はありません」

 

 そうだ。そうすればもう孤独ではない。もう辛くもない。皆で群れて、集まり、食らい、生きれば良い。それだけで良い。そうすれば悩む事もなく、幸福で、気楽で………。

 

(いやまて、なにか……わすれているような………なんだっけ………?)

 

『母』の胸に抱かれ、穏やかな気持ちになりつつも俺は何かが引っ掛かった。そうだ、何か可笑しい。決定的に何かが可笑しかった。家族?俺の家族はこんな奴らだったか?俺の家族は……俺の家族はこんな奴らじゃなくて、こんな奴らなんかじゃなくて…………………。

 

『にーちゃん!』

 

 ………脳裏に、両親や弟達と手を繋ぎ、にひひっ、と屈託のない笑みを浮かべてそう叫ぶ少女の姿が過ぎ去った。それは何処までも懐かしくて、何処までも恋しくて、そしてもう二度と会えなくて、だけれども確かに存在していて………!!

 

(そうだ、俺の家族は……俺の家族は…………!!!!)

 

 

 

 

「ふざけるな…………っ!」

 

 その小さな呟きと共にグサリ、と何かを突き刺した音が地下室に響き渡った。

 

 巣の中にいた妖共は誰もがその動きを止めて、それを見ていた。何かを必死に叫んでいた赤穂紫はそれを止めて唖然とした表情でその光景を凝視していた。案内役だけが何があったのか良く分からず周囲を見渡していた。

 

「あ、あら……?」

 

 人の姿を型どった化物は自身の胸元に走る痛みに困惑しつつ抱き締めていた腕を開く。胸元に突き刺さっていたのは短刀だった。幾重にも呪いを重ねがけされた鮮やかな桜の紋様が刻まれた金箔と漆の柄の短刀………それは懐に抱いていた人間の手の中に握られていた。

 

「ど、どうして……?」

 

 怒りではなく、困惑と悲しみをもって呟くように尋ねた。それに答えるように、先程まで胸に抱き締めていた人間はその顔をゆっくりと上げた。そして、口を開いた。

 

「ふざけるなっ!!俺のっ……俺の家族の記憶を塗り潰そうとするんじゃねぇぞ!!人の家族を奪うなっ………!!」

 

 涙に顔を濡らして、震える声で、しかし明確な殺意と憎悪と怒りを込めて青年は叫んだ。そして……胸元に突き刺した短刀を無理矢理に引き抜く。白い肌から吹き出す赤い血漿が青年の顔を濡らす。そして………。

 

「坊や……?一体何を………」

「母親面するな、化物がっ………!!」

 

 何も聞くつもりはなかった。次の瞬間、青年によって振り下ろされた鋭い短刀の刃は、確かに堕ちた地母神の左目を突き刺していた………。


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