和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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章末です。一話に纏めようとしましたが実際に書いたら話が膨らんだので二話にする予定です

https://www.pixiv.net/artworks/85945723

 貫咲賢希様よりゴリ……葵姫のイラストです。チビキャラ葵姫可愛いなぁ(尚横の下人の思考)



章末・前●

 それは俺にとっては数ある理不尽で、命懸けで、思い出したくもない記憶の一つに過ぎなかった。

 

 懐のその少女は震えていた。ただただ震えていた。それ以外彼女には何も出来なかったから。

 

 本来ならば音を置き去りにして疾走でき、その腕は素手ですら有象無象の化物を殴り殺すことが出来た筈の少女は、今や完全に無力であった。その身体には力が入らず、溢れんばかりの霊力は、しかし完全に使い物にならなかった。

 

 神経毒で肉体を麻痺させて、肉食植物を模した妖の分泌する妖毒で霊力の流れを阻害された少女は最早何の力もない子供に過ぎなかった。今や彼女は最下級の幼妖にすら怯えざるを得ない矮小な存在に堕ちていた。簡易式の一つすら操作出来ぬ身であった。はっきり言えば役立たずの足手纏い以上の何者でもない。

 

「いや……いやよ……こんなのいやぁ…………」

 

 外套の内に隠した半裸の少女は怯えた、絶望し切った口調で何度も呟く。小さく呟く。呟き続ける。

 

 この世の全てに裏切られたような瞳に一杯の涙を浮かべての譫言は、しかしその受けた所業からすれば当然の反応であった。僅かに十歳の挫折も知らぬ少女にはその経験は過酷で衝撃的過ぎたから。

 

 ……そして、何よりも救えないのはこれでも本来の彼女の辿った運命よりも遥かにマシである事、そして……未だに問題は何も解決していない事であった。

 

「はは、マジ無理ゲーだろ。これ」

 

 深い深い深夜の、それも化物共が元気にさ迷う森の中、大岩と大岩の隙間に潜り込み、彼方此方うようよといやがる化物共から身を隠す俺は心底うんざりしたような口調でそう吐き捨てていた。実際俺はうんざりしていた。

 

「まさか此処まで厳しいとはな………」

 

 俺は引きつった笑みを浮かべて嘯く。死にたくないので可能な限りの備えをしてこの強制糞イベントに挑んだ訳だが……ははは、初日で備えのアイテムがほぼ全滅とか笑うしかないわ。甘く見ていた訳ではないのだけどなぁ………。

 

『グルルルル………』

「っ……!?近いな………」

 

 何処からともなく鳴り響く化物の唸り声に俺は表情を険しくする。恐らくはまだバレてはいないだろうが……長居は難しいか。出来るだけ体力を回復させたかったのだけどな……?

 

「………」

 

 ふと、視線を下に向ける。外套の中に隠した桃色の少女が怯え、すがるような涙目で此方を見上げていた。そこにあったのは絶望と恐怖と不安感だった。

 

(……聡い餓鬼だな。自分の状況を理解してやがる)

 

 捜索も救助も有り得ない事も、無力な自分がすがれるのが目の前の生意気な下人である事も、何よりも自分がこの森を抜ける上での邪魔でしかない事を、その幼くも賢い頭は理解しているようだった。

 

「……そんな顔しないで下さいよ。何、どうにかしますから」

 

 半分割れた面を被っていた俺はそう言って見せる。ふざける余裕なんか無かったが……ここで泣き叫ばれても敵わない。彼女の精神安定のために道化を演じるくらいはして見せるさ。

 

 ……まぁ、下人である以上余り表情豊かな姿は無用な疑惑を向けられる可能性があるので見られたくはないのだが。

 

「まぁ、そういう訳だ。………覗き見するなよ化物め!!」

 

 咄嗟に腰元から安物の短刀を引き抜くと、俺はそれを投擲していた。叢の中から此方の様子を窺っていた化け鼠が頭蓋骨を貫かれ、脳を破壊されて悲鳴も上げずに絶命する。仲間を呼ぶ前に仕止められたのは幸運だな。

 

「えっ………?あっ………」

 

 幼さと毒によって気配を察する事も出来なかった少女はその一部始終を見つめて口をぽかんと開けていた。はっ、漸く年相応の顔になりやがったな。

 

(まぁ、これ迄の生意気な態度よりはマシだな。これで少しは此方の言う事も聞いてやり易くなる……といいなぁ)

 

 世の中上手くいかない現実を思い、俺は自虐しつつ再度少女を観察する。どうやら俺の態度に不信感は抱いていないようだな。流石にそこまで考える余裕はないな。好都合だ。それにしても………。

 

「ひっ……!?」

 

 俺が手を伸ばすとびくり、と肩を震わせて怯える半裸の少女。近寄る俺の手を恐る恐ると凝視すると、最後は耐えるように目を瞑る。そして……頭に感じた感触に不思議そうに目を開くと此方を見やった。

 

「いやなに、前々から見ていて触り心地良さそうと思ってな?まぁ、こんな状況ですから、これくらいの見返りは許して下さいよ」

 

 俺は苦笑しつつ無礼な態度でそう申し出る。嘘ではない。絹のように柔らかそうで、鮮やかな髪は前々から気にはなってはいたんだぞ?

 

 ………それ以上に、別の理由がある事は否定はしないが。

 

「……………」

 

 不安そうにしていた少女は、しかし俺の目に敵意や悪意がない事を確認すると借りてきた猫のように静かに撫でられるがまま此方を見つめ、その後ぎゅっと抱き着く。

 

(………ちっ。本当、聡い餓鬼だな)

 

 ここで嫌がったら危険だと理解してやがる。まぁ、状況も考えず嫌々騒がれるよりはマシだが………年端もいかない子供にそんな我慢を強いるとは、本当にこの世界は地獄だな。

 

「ん……?寝ちまったのか?」

 

 どれ程時間が経っただろうか?色々と疲れてしまったのか、気付けば懐の少女は小さな寝息を立てていた。安心しきって……という訳では無かろうが流石に本能には逆らえないという事だろうか。

 

「……全く、こうして見ると余計そっくりで困るな」

 

 俺の脳裏に弟妹達との記憶が過る。顔の造形ではなく、雰囲気が似ていた。特に妹なんて怖い夢を見た後此方に大泣きして抱き着いて来たものだ。そのまま涙と鼻水で人の服を汚した後こんな風にすやすやと寝付いてしまっていたものだ。全く生意気な………。

 

「本当、生意気だよな。とは言え……」

 

 餓鬼なんて生意気でなんぼな存在だ。びくびく震えて怯えるよりかは健全だろう。少なくとも今現在のこの餓鬼には何の罪もない。それに、どちらにしろこいつを持ち帰らないと俺だって生きて帰れない。選択肢なんてない。やるしかない。だから……。

 

「どうにかこの森を抜ける迄は持ってくれよ、俺の身体……?」

 

 逃亡の過程で食らってしまった深い深い背中の傷……そこから流れる血によって、いつの間にか足下に出来ていた真っ赤な血溜まりをぼんやりと見つめながら、俺は空虚な笑みを浮かべていた。覚悟を決めた笑みだった。

 

 それは昔の事、そう確か四年前の事で…………。

 

 

 

 

 

 

 

「………夢、か?」

 

 それが現実の世界に意識が戻ってきた時に呟いていた俺の最初の言葉であった。そして意識に続いて五感が次第に現実感を取り戻していく。

 

「あ……うっ、ぐっ…………!?」

 

 混濁し、朧気な意識の中で、俺は呻きながら目を開いた。現実に帰還していきなり襲いかかってきたのは痛みと疲労感だった。

 

 身体中に激痛が走っていた。全身重度の筋肉痛といって良い程の痛み……それこそ指一本動かすのも辛かった。金縛りになったような感覚に俺は陥る。

 

 次いでやって来るのは頭痛だった。頭が割れそうな、脳の奥底から来るズキズキと脈打つような鈍痛に俺は歯を食い縛り耐える。

 

 ここで俺は熱と寒さを感じた。まるで風邪を拗らせたかのように身体の内側が熱く、その癖寒さも感じていた。吐き気がして、ここで漸く俺は上半身が全身包帯まみれで同時に汗でぐっしょりと濡れていた事に気付く。

 

 最後に来たのは倦怠感と徒労感だった。身体が鉛のように重く感じられた。骨の一本一本が、関節の一つ一つが磨耗しつくしたような感覚に陥った。猛烈な眠気が再度俺を眠りの国に誘う。それは抗い難い誘惑だった。

 

 それでも俺は本能的にその欲求を抑えつける。その程度の誘惑に耐えられぬようでは妖の幻術には抗えないからだ。直前の記憶が曖昧な俺は事態を把握するために視線だけでも動かして周囲の様子を確認する。

 

 天井があった。木材の天井……つまりここが何処かの室内である事を意味していた。

 

 次いで障子を視界に収め、暗くて良く分からないが掛軸や調度品の類いを確認する。布団と枕は羽毛だった。となればここは寝室………?

 

(どういう……事……だ?)

 

 少なくともここが下人の、自分に宛てがわれた掘っ建て小屋の中ではないのだけは分かった。しかし、同時に浮かぶのは疑問だった。

 

 ここは何処だ?何故ここに自分がいる?何故自分はここで寝ていた?下人に過ぎない自分がこんな場所で寝ているなぞ許されない筈なのに……?

 

「うっ……ぐっ…。がぁっ………!?」

 

 痛みと睡魔により朦朧する意識の中で俺は更なる情報を集めようと痛む身体を左右に揺らし、両手を動かそうとしてその一層激しい痛みに悲鳴を上げる。同時に俺はあの妖刀によって左腕を可笑しな方向に折られた上に掌から肩まで貫通された事実を思い出す。

 

「がっ……!はぁ……はぁ……はぁ……ど、どうなっているんだ……?これは……地下水道は……あの糞刀はどう、なった……?」

 

 ぜいぜいと息を荒げながら俺は呟く。糞、声を上げるのも辛いな………。

 

「だ、誰か……いないのか?誰……、あ……?」

 

 比較的怪我のマシな右腕を這うように動かす、そしてその存在に漸く気付いた。布団の中に、俺の直ぐ真横に誰かが、あるいは何かがいる事実に……。

 

「………」

 

 何時もの俺ならば、警戒して武器を持ってから、あるいはそもそも瞬時に布団から飛び出していただろう。残念ながら身体の疲労と怪我はそんな事が出来る程の余裕はなく、また近場に武器もなく、何よりも俺の擦り切れた思考回路ではそんな事を考える発想も出て来なかった。

 

 故に、俺は特に何も考える事もなく、ぼんやりと布団を掴み、そして剥がしていた。

 

 そして布団の中にいた存在に、俺は一瞬思考停止していた。何せ、そこにいたのは………。

 

「あお、い……?」

 

 そこにいたのは少女だった。桃色とも桜色とも称すべき鮮やかで艶のある髪、誰もが認めるだろう幼さと妖艶さを兼ね備えた美貌、細く艶かしさを醸し出すうなじが曲線を描く。透き通りそうな程に白く瑞々しい肌にそれでいて何処か肉感的な肢体、そして歳に不相応な豊かな胸元……凡そ女性として男が望む外見的な理想を形にした少女がそこにいた。……文字通りその身に一糸も纏わぬ姿で。

 

「………」

 

 数秒程、俺は言葉を失い、唯でさえ朧気な意識と思考を停止させていた。そして次に俺は彼女の立てる規則的な呼吸音に気付き、その瞼が閉じられている事から彼女が寝ている事を理解する。

 

 ……理解しても尚、疑問と疑念しか湧かなかったが。

 

(いや、そもそもこれは現実なのか……?幻覚か、あるいは夢でも見ているのか?)

 

 今認識出来る周辺情報だけを考えても到底それが現実と呼ぶには怪し過ぎた。故に元より意識が混濁している事も相まって、これが幻覚か夢である可能性が高い事と結論付けた。其ほどまでに俺を取り巻く状況は不自然過ぎたから。

 

「これは……涙の跡、か?」

 

 真横、それも肌が触れ合うような目と鼻の先で眠りにつく少女に対して不躾に視線を向けるのは明らかに事案であるが、それに気付いてしまうとどうしても意識してしまう。

 

 彼女の、鬼月葵の目元は赤く腫れていた。そして頬がしっとりと濡れていた。それはどうみても泣き腫らした跡にしか見えなかった。

 

「…………」

 

 俺はその姿に沈黙する。見とれていた訳でもない。欲情していた訳でもない。ただ、昔の記憶を思い返していただけの事だ。そう、四年前の、あの時の記憶を………。

 

「……こうして見ると、変わらないな」

 

 あの時もこんな表情をしていたか。

 

 ……いくら才能豊かであろうとも、実力があろうとも、その心は結局十才の少女に過ぎない。それが部下や親族に……いや一番慕い憧れていた者にすら裏切られ、その上身体も碌に動かせずにいつ無数の化物に食い殺されるかも、犯されるかも分からない森で三日三晩も逃亡する事になればどうなるか考える迄もない。

 

 屋敷を出たばかりの頃の傲慢で高飛車な態度はひっそりと消えて、ただただ怯えて、泣きじゃくり、頼れる者であれば何でも……それこそ賎しくて情けない程弱々しい下人にすら媚びて、すがりつく有り様は哀れだった。

 

「……多分、あの時の醜態も原因なんだろう、な」

 

 極々自然に、特に理由もなく、吸い込まれるように俺はその手を伸ばしていた。伸ばしてしまっていた。

 

 そして弟妹達や幼い頃の雛にそうしていたように、俺は幼さの滲む彼女の頭を、その髪をあやすように撫でていた。

 

「……はは、こりゃあ起きたら殴り殺されそうだ」

 

 たかが下人が高貴な名門退魔士のお姫様の頭を無断で撫でるなぞ、ひょっとしなくても仕置きものである。気の短い者なら打ち首にしているかも知れない。

 

 余りに危険で、リターンのない無意味過ぎる行為だった。愚行そのものであった。しかし、それでも………。

 

「……寝顔は昔と変わらねぇな」

 

 そして、撫でながらあの時散々自身の醜態を晒してしまったのもこのゴリラ様が俺を手元に置いている一因なのかも知れないと今更のように思い至る。

 

 そりゃあ幾ら十歳の頃の事とは言え、自分のあんな姿を見せてしまった相手を放置なんて不安で出来ないだろう。単に道楽という意味以上に手元に置いておいて下手な事をゲロらないように監視している、という側面もあるのかも知れない。無論全て推測に過ぎないが………。

 

「それにしても何でこんな姿で……それに涙なんて………」

 

 一瞬、俺はこの状況の合理的な説明を考えるが………いや、そもそもこれは夢か幻覚の可能性の方が高いから深く理由を考えても仕方無い事なのかも知れないと結論付ける。

 

「て、待てよ。はは、じゃああれか?これは俺の深層心理と欲望が見せてるって訳か?ははは、傑作だな。笑え……」

「……伴部?」

 

 その言葉に俺は口を止め、息を呑み、一瞬凍りついた。そして顔を強張らせてゆっくりと視線を向ける。

 

 俺の懐で添い寝する少女は目元を赤く腫らし、潤んだ瞳で俺を見つめていた。何処か透明で、子供のように怯えた眼差しだった。

 

「ひ、姫様……これは………!?」

 

 その頭を撫でる作業を止めた俺は言い訳を口にしようとして、しかし頭痛と睡魔により纏まらぬ思考では咄嗟にそんなもの思い付く筈もなく言葉に詰まり慌てる。そしてどうにかして言葉を紡ぎだそうとした時の事だった。

 

 そっと頬に触れられる温かく柔らかな感触……それが目の前の少女の手である事に気付くのに俺は僅かに時間を要した。

 

「止めないで、そのまま続けなさい」

 

 真っ直ぐと此方を射抜く瞳に淡々と紡がれる命令……その言葉が何を意味するのか、俺は咄嗟に理解する。そしてそのまま俺は困惑し、混乱しつつも彼女のその絹のような触り心地の髪を撫で続ける。

 

 そのまま暫し続く沈黙………俺は彼女の頭をただただ撫で続け、彼女は俺の頬を慈しむように触れてじっと見つめ続ける。それが同じ布団の中で、しかも互いに殆ど裸身での事である事に今更のように非現実的な感覚に陥る。

 

「……姫様、泣いているのでしょうか?」

 

 色々と疑問はあった。言いたい事もあった。しかし、最初に出てきたのはその言葉だった。そしてその言葉に葵はその瞳を震わせる。そしてその瞳を細める。

 

「そう。分かっていたけれど、それが貴方の選択なのね?」

 

 そう何処か悲しそうに、残念そうに、しかし納得したように呟く葵はふと頬に触れていたか細い手を、なぞるように俺の額へと移動させる。そして囁いた。

 

「まだ安静にした方が良いわ。安心しなさい、ここは安全だから。だから………眠りなさい」

 

 それが瞳術である事に気付いた時には遅かった。唯でさえ頭痛と疲労と睡魔に苦しんでいた俺は急速に意識が遠退いていく。既に深く考える事は不可能となっていた。そして、そのまま俺は瞼をゆっくりと閉じていき、そして……そして……………。

 

 

 

 

 

 彼が再び深い眠りに落ちたのを見届けた少女は、鬼月葵はその青年の顔を見つめる。見つめ続ける。恐らくは目覚めたとて彼はこの事を殆ど覚えていないだろう。それで良い。今はまだそれで………。

 

「………どうにかガワは誤魔化せたかしらね」

 

 起き上がった葵は何処までも物悲しげに、そして愛しげに青年の頬を撫で続ける。一時期は流石に誤魔化せない程に侵食が進んでいたが、どうにか処置は間に合ったらしい。少なくとも顔に関して言えば外から見える範囲でそこまで違和感はない。………その皮膚の下はどうなっているのか迄は分からないが。

 

「それにしても………意外よね。まさかあんな視線で見つめられるのは予想してなかったわ」

 

 別にそれを目的にしていた訳ではない。ただ大量の血を失い、身体はその先端は死人のように冷えきっていた。その癖内側は変異によって猛烈な熱を放つ有り様で………葵は熱冷ましと秘薬によって変異を抑えつけるとともに彼の身体が外側から腐らないようにしないといけなかった。だからこそこの姿で最悪の事態が来ない事を祈りながら布団に潜り込んでいたのだが………「期待」してなかったと言えば嘘になる。

 

「本当、流石に自信を無くすわよ?普通なら少しくらい反応してくれても良いでしょうに」

 

 葵は自分の美貌を自覚している。その顔の美しさも、その身体の魅力も、その血筋の高貴さも。そのどれもが男にとって何としても手に入れたくなる程の価値を持つ事も。

 

 ましてや、今の彼はその生命が危機にあり、しかも限り無く理性もなく、欲望に身を任せた化物共に近付いていたのだ。そんな所に一糸も纏わぬ姿の美少女が横に入ればどうなるか、考える迄もない。それを………。

 

「あんな目で見られたら困るわよ。これじゃあ私の方が獣みたいじゃないの?」

 

 情欲にまみれた目で見られる程度なら予想出来たが……あれはどう見てもそれとは違った。あれは友愛か、あるいは親愛といった所であろうか。

 

「本当、残念な事をしたわよね?折角の機会を無駄にするなんて」

 

 もし仮に、あの時彼が自分を押し倒していたら、組み伏せていたら、葵はそれに抵抗する積もりはなかった。そのまま彼の全てを受け入れる積もりで、貪られるままに、彼の為すがままに許してあげたのに………。

 

 そこまで考えて葵は自嘲する。何が許してあげたのに、だ?違う、違うのだ。

 

 それは自分の期待であり、自分の欲望であり、自分の望みの癖に。ただただ目覚めてから彼から向けられるだろう軽蔑と憎悪の視線が感情が怖くて、保険をかけようとしていただけの癖に。

 

「ふふふ。本当、滑稽よね?」

 

 これではあの頃と何も変わらないし、あの男の事を何も言えやしない。

 

 そうだ、滑稽だ。あの頃の、母を軽蔑し、失望し、その代わりに父の愛情を求めていた頃の自分と。努力すれば、活躍すれば、鬼月の跡を継ぐだけの教養を備えていればきっと父が愛してくれると呑気に考えていた頃の自分と。そうやって間抜けにもあの男の罠にかかって、あの男に裏切られた時の自分と……。

 

 あぁ……違うのだ。違うのだ。自分はあの男とは違うのだ。全て予想外だったのだ。自分は罠にかけたかった訳じゃない。意地悪したかった訳じゃない。

 

 ただ……そう、ただ彼に自分に相応しい人になって欲しいだけだったのだ。自分が傍らにいて良い人になって欲しかっただけなのだ。それが、それが……!!

 

「既成事実さえつくれれば、いくらでも言い訳は出来たのだけれどね?」

 

 まだ立場で言えば彼が下で自分が上で、だからこそもし目論見通りにいけばそれを出汁に彼を縛れたのに。彼の性格ならばきっとそんな事をしでかせば罪悪感から侮蔑するような視線を向けて来れないだろうから。それを………まさか、あんな目で見られるなんて。

 

「結局、借りは持ち越し、という事ね?本当、酷い人よね?そうやって焦らして焦らして、虐めたい訳?それとも利子でも付けたいのかしら?」

 

 そうふざけるように嘯く。そして両手で彼の頬を包むように抱いた。愛しげに、愛しげに………。

 

「許して……とは言わないわよ?あぁ、安心して。徳政令なんて事もしないから。ちゃんと………その時が来れば罰は受けてあげるから、ね?」

 

 私が貴方のものになれば、その時にいくらでも罰は受けよう。貴方の望む通りにしよう。貴方の望まれるままに尽くそう。だから……だから…………!!

 

「………覗き見かしら、お祖母様?孫娘の逢瀬を覗くだなんて趣味が悪いです事」

 

 背後の障子、その月明かりで浮き上がる鳥の影に向けて、葵は呟いた。何処までも冷たく、警戒した、何なら殺気すら含んだ声だった。それは先程までの甘く、感情的で、官能的な鈴の音のような美声と同一人物のものとは到底思えなかった。

 

「あらあら、また随分と冷たい事を言ってくれますね葵?折角可愛い孫娘のために一肌脱いで上げたというのに、お祖母ちゃんは悲しくなりますよ?」

「どの口でそれを仰るのかしら?その可愛い孫娘を見捨てた癖に」

 

 影から聞こえて来る甘ったるい猫撫で声に心からの軽蔑と敵意を込めて葵は吐き捨てる。四年前、この祖母が自分を嵌めるための罠を父が仕掛けた事を知っていながら何も手助けも警告もせずにいた事を彼女は知っていた。

 

「そう言わないで頂戴。お祖母ちゃんにはお祖母ちゃんなりの考えがあったのよ?実際貴女は無事じゃないの。それに、私が貴女のために色々と手助けして上げた事を忘れちゃいましたか?」

 

 式神越しの祖母の甘えた声に葵は舌打ちする。舌打ちするが、同時にその言葉自体は否定出来ないのが忌々しい事実だった。

 

 あの忌々しい鉄屑が彼を殺そうとしていた時点で嫌な予感はしていたのだ。ましてやあれだけの出血をしても尚息をしていた事実……それが意味する事は一つしかない。

 

 気付かれてはならなかった。逢見の屋敷に戻ると同時に家中の者達が彼を見て事態を把握する前に自室を幾十にも結界と人払いの術を重ねた。それこそ上洛団の代表たる宇右衛門でも簡単には破れない程厳重に、だ。彼の状態を見られたら取り返しがつかなかっただろう。

 

 良くて監禁封印、普通であれば殺処分、最悪は理究衆によって実験動物にされて死ぬよりも恐ろしい目に遭う所であった。ましてやあの『妖母』によって変異させられた被験体なぞ滅多に手に入るものではない。あの狂人連中に知られればどうなるか……最悪彼の異変を目にした人間をその場で死体も残さずに殺害する事すら想定していた。幸か不幸か、そのような事態は起こらなかったが。流石に死体ごと消したとしても屋敷の人間が行方不明となれば怪しまれかねないので助かった。

 

 とはいえ無事に自室に保護してもその後が問題だった。止血と傷口の縫い合わせ自体はどうにかなったが、体内に侵入した濃厚で濃密な化物の体液はゆっくりと、しかし確実に彼の身体を変質させていった。

 

 それはさながら芋虫が蛹の中でその身体を溶かして蝶に変貌するように、身体を内部から作り替えていく……彼女の自室で寝かせた時点でおおよそ全身の一割程度であろうか?恐らくは侵入したのは左目の眼球、そこから広がるように、脈打つように、犯すように異形に作り替えられていた。

 

 流石にこれを直ぐ様に解決するのは葵でも不可能だった。妖化を食い止め、延命する秘薬自体はあるがあくまでもそれは延命であり、根治ではない。あるいは朝廷の禁術の類いならば探せばあるかも知れないが……どちらにしろ今すぐにそれを発見し、調合するのは無理な事だ。

 

 ましてや、延命の秘薬すらその材料はかなり入手困難な代物だ。ようは妖化しつつある肉体を人間のそれに再度作り替えるのである。妖化が体内に侵入した妖力によるものであれば当然それに相反するだけの霊力が必要な訳だが……様々な材料の中でも、特に霊力の高い人間の血液やら心臓やらなぞそう簡単に得られるものではない。

 

 かといって低級な材料で代用というのも、有象無象の雑魚妖の体液によるものなら兎も角、その起源が堕ちた神族であるとも伝わるあのおぞましい『妖母』のそれとなれば中途半端な代物では多少の効果があるかも怪しい。葵はいっそ都の退魔士を数人闇討ちでもしてやろうかと覚悟していた。

 

「そこを助けて上げたのがお婆ちゃんですよ?恩を着せる積もりはありませんが、少し位は感謝して欲しいものだわ。ね?」

 

 年の功とでもいうべきか、鳥の影は優しく余裕のある声で同意を求める。正直言ってかなり追い込まれていた葵の下に姿を現したのがこの白鷺の式神である。恐らくは同じように彼に式神を貼り付けて状況を把握していたのだろう式神の主は、事態発生の二日後には秘薬の材料を一式揃えて葵の下に馳せ参じていた。そして葵は自らの才能を豪語するように、初見で作成難易度が極めて高いこの秘薬を完成させて見せ、そしてそれを彼に摂取させた。

 

 以来更に三日……幾度となく鎬を削るように人化と妖化を繰り返していた変異箇所は漸く、少なくとも表面上は大部分が人肌と変わらぬ迄に再生し、相当弱っているものの五日ぶりに彼は意識を取り戻した。それもこれも確かに祖母のお陰ではある。お陰ではあるが………。

 

「おおよそ見当はつくけれど、あの心の臓は……あの女の物、よね?」

 

 何処か抽象的な質問内容、しかし二人の間ではそれだけで十分だった。

 

「……一度や二度であれば兎も角、月に一回は摂取しなければならないとなればあの子のものが最適、それくらいは理解出来ますよね?」

 

 暫しの沈黙の後、白鷺は言い含めるように葵に確認する。鬼月の次女は不快感からか、僅かに眉間に皺を寄せるが最終的には肯定する。

 

「私も馬鹿ではないわ。あれほどの質の臓物がそうそう手に入る物でない事くらい承知してはいるわ」

 

 これが一度きりの事であればあの女の心臓なんて使いたくもなかったが……事はそんな感情論で判断出来る内容ではない。そう、これは延命であり、症状を抑えるだけの秘薬なのだ。根治するためのものではないのだ。

 

 何もしなくても、最低月一回は飲まなければあの妖化現象は再び彼を蝕むだろう。そう、最低でも月一回である。あの『妖母』の濃厚な妖力を含んだ体液を抑えるには相応の霊力を持つ者の臓器……出来れば心臓が良い……が必須であり、それを月一回?

 

 まともに考えればそんな事どれだけの大金を使おうが不可能だ。それをたった二日やそこらで望みうる限り最高峰の材料を新鮮なうちに用意して見せ、今後も何時でも取り寄せられると祖母は嘯いたのだ。

 

 となれば考えられる入手経路は一つしかない。あの後先考えず、頭も品性も足りない、その癖力と幸運にだけは恵まれた殺しても死ななそうな女………。

 

「私が文句を言える立場ではない事は理解しているわよ。理解は、ね」

 

 あの女の身体の一部が彼の中に入り込むだけでも、その肉体を構成するだけでも鳥肌が立ち、吐き気を催すのは事実だ。それでも耐える事は出来る。彼のためであればその程度の感情を抑える事は出来るのだ。

 

「それで?見返りに何を望む訳なのかしら?私だって傲慢じゃないわ。可能な限り譲歩はするだけの度量はある積もりよ?」

 

 最愛のあの人を明け渡す以外であれば大概の要求は素直に受け入れるだけの覚悟が葵にはあった。今回の一件の責任の一端は自分にあるし、それが彼を危険に晒したのは事実であるのだから。……無論、あのお花畑の馬鹿女でも流石に鬼月の家の状況的に絶対に譲れない彼の所有権の請求だけはして来ないだろうと確信出来ている故の余裕もあったが。

 

 しかし……ある意味で言えば姉の選択は葵という自尊心の塊のような少女にとって、どのような要求よりもその誇りを傷つけるものであった。つまり………。

 

「安心なさい。あの子が言うには見返りはいらないそうよ」

「……正気?」

 

 式神の言葉に葵は嘘臭そうな表情を浮かべた。

 

 幾ら再生すると言っても他人に気取られてはならない以上、自分で自分の腹をかっ捌いて心の臓を抉り出すのだ。その激痛が如何なるものか、実際に体験しなくても想像を絶するものである事くらいは分かろうものだ。それをあの姉が無償で自分に?到底信じがたい話である。この祖母があの女を洗脳したと言った方がまだあり得そうな話である。

 

「私はそんな事しませんよ?あの子なら事情を丁寧に説明すれば素直に要望を聞いてくれました。あの子が言うには、『どうして彼に上げるのに見返りなぞ要求するのか』だそうですよ?」

「っ………!!?」

 

 その言葉に葵は目を見開き絶句した。葵はあの姉の発言の意味を何処までも正確に理解していた。

 

 あの姉にとって、それは元より妹の事なぞ眼中になく、意識すらしていないのだ。ただ彼にとって自分の心臓が必要、だから自分の腹を捌く、それだけの事でしかないのだ。元より、あの姉は妹の事なぞ考えていないし、助けているとすら思っていないのだろう。そう、完全に葵は存在を『無視』されていたのだ。

 

 ……そう、それは葵が生まれてからずっと実の父にそのように扱われていたように。

 

「ふざけないで…………っ!!」

 

 思わず奥歯を噛み締める。あんな女に、あんなお気楽な女にここまで虚仮にされるなんて………!!葵の胸の内にドス黒い感情が目覚める。

 

 それは明確な憎悪だった。あの自分が欲しかったものに限ってあれもこれも持っていながら、易易とそれを捨て去った忌々しい女に対する殺意だった。ふざけるな……ふざけるな!!ふざけるな!!

 

(あいつは……!!何処まで私を馬鹿にすれば気が済むの……!!あれもこれも!!どれも自分自身が招いた事の癖に、あの女はまだそんな世迷い事を……!!)

 

 自分の限りなく万能な異能に驕っているのではとすら思える姉の傲慢さと厚かましさに葵は身に纏う霊力を荒立たせる。もしや、奴は自分は何があっても死なないとでも思っているのだろうか?甘い、甘過ぎる。

 

 確かにあの異能は脅威的ではあるが、逆に言えばそれだけの事だ。それならそれに合わせた殺し方があるし、何なら死ぬより遥かに苦しい状態に貶める方法だってある。そして葵の知性と知識であればその程度のもの即座に十は考えつく事が出来るというのに、それを、それを……!!

 

「そうよ。それならあいつにも教えてやりましょう。そうすればこんな馬鹿げた……」

「それは許しませんよ、葵?」

「っ……!?」

 

 その感情の窺い知れぬ冷徹で冷淡な警告に葵の怒りは鎮火される。式神越しからのその短い一言は、しかし濃厚な殺気と濃密に練り上げられた言霊の力が含まれていて、葵からそれ以外の事への関心を奪い去ったのだ。

 

「…………」

 

 暫しの沈黙、布団一枚だけを被る少女は最愛の人を守るように背にして、障子を挟んで相対する式神に対して最大限警戒する。流石に天才というべき葵でもまだ一四歳に過ぎず、文字通りの丸腰で背後に守るものがあるともなれば式神を中継しているとは言えあの祖母を相手に簡単には仕止め切れまい。ともなればこの反応もある意味当然だった。

 

「………ふふ、そう怖い顔しないで頂戴?別に私は貴女と喧嘩したい訳じゃないのに」

 

 その緊張を一方的に破ったのは祖母からであった。柔らかな声でそう宣うとともに殺気が霧散する。

 

「姉妹で仲良く……とは簡単にはいきませんでしょうけれど、そこまであからさまに敵意を向けるものではありませんよ?余り顔を顰めていると折角の可愛い顔が台無しですしね?」

 

 楽観的とも言える物言い……しかし葵からしてみればその言葉を額面通りに受け取る積もりはない。それが警告に類するものであると彼女は理解していた。

 

「………ねぇ、ずっと疑念に思っていたのだけれどお祖母様?貴女は一体何を考えて今更私に助け船を送っているの?今回の事にしろ、他の爺共の了承を得ている訳でもないのでしょう?」

 

 葵は探るように尋ねる。そう、その通りなのだ。今回の助け船なぞ、本来ならば許される事ではない筈なのだ。たかが下人一人相手にここまで自分が執着する事も、あの女が自分の腹を捌く事も、どちらも鬼月の家の歴史と体面を思えばやって良い事ではない。それをこの若作り婆は……何故自分達の味方をする?

 

「あら?そんなに不思議な事かしら?私は鬼月の長老である前に貴女達のお祖母ちゃんよ?可愛い孫達を可愛がる事も、その御願いを叶える事も、お祖母ちゃんとしては当然の事、違うかしら?」

 

 どの口でほざくか……!!葵は冷たい眼差しで祖母の式神を一瞥する。

 

(本当、心にもない事をいけしゃあしゃあと言ってくれるわね。本当にそう思っているなら、私もあの女も、あの男だってああなっていないわよ……!!)

 

 内心で猜疑心を抱きつつそう吐き捨てる葵。しかし、やはり口には出さない。口にしても意味がないし、どうせのらりくらりと誤魔化されるのがオチだ。

 

「……さぁ、どうでしょうね。何にせよ、あの女の事は分かっているわ。私が文句を言えない立場なのは自覚しているから耐えるわよ。だから………そろそろ下がって頂戴。折角の二人きりの時間を無駄にしたくないの。それとも、他に何か話す事があるのかしら?」

 

 つまりはもう失せろ、と婉曲的に伝える葵。

 

「ふふふ、分かりました。年寄りはそろそろ立ち去りましょう。……あぁ。伝えるべき事、でしたね。宇右衛門については私から話は通しましたから安心して下さいね?ちゃんと言い訳の内容は作りましたから此方から一々口にする必要はありません。それと……赤穂の家には後程謝罪しにいくのを忘れぬように。彼処は末の娘を溺愛していますから、無用な漣を立てたくなければ顔を見せなさい。此方から予定は入れましたから。最後に次の薬の材料ですが、遅くとも廿日後に送りますからね?」

 

 甘ったるい声でそう今後の事を伝え、命じる祖母。相変わらず油断ならない女だと葵は思う。この短い間にどうやって目立たぬように情報収集と根回しをしたのだか。

 

「では、身体には気を付けるように、ね?」

 

 そう宣った式神はぼっ、と発火してそのまま灰となって消え去る。尤も………。

 

(どうせ、何処かに小さな式神が隠れているのでしょうけれど)

 

 証拠はない、が葵はほぼほぼそれを確信していた。でなければ余りに対応が早すぎる。

 

「本当、何を考えているのかしら………?」

 

 相変わらず意味深で、何を目的としているのかも分からぬ祖母の動きに葵は舌打ちする。彼女なりに色々探ってはいるのだが……あの気紛れで狡猾で、おぞましい祖母が何の目的あって今回助け船を出したのか葵には分からなかった。全く以てその目論見が読めなかった。あの馬鹿な姉と自分、どちらが次の当主になっても影響力を残せるように両賭けでもしているのだろうか?分からない。ただ、一つ言える事は………。

 

「……嫌な予感はするのよね」

 

 言語化出来ないものの、ただあの雌豹のような年増を野放しには出来ないと彼女の本能が告げていた。だからこそ警戒だけは解かない。解くべきではない。だからこそ……。

 

「貴方に辛い思いをさせるのは分かっているわ。だけれど………今は我慢して頂戴」

 

 再び何よりも愛しい彼の横に寝そべり、その頬を撫でる。そしてそのまま抱き締めて、耳許で囁く。それがどれだけ残酷な事なのかを理解しつつも、彼と共に生きるにはそれしかないから。

 

「もっともっと、より強く、高みに、私の夫になるのだからそれくらいは、ね?」

 

 葵は寂しげな笑みを浮かべて呟く。それが半分欺瞞であると自覚してのものだった。確かに彼女は理想が高い。そこらの凡俗な男なぞ興味も関心もないのは事実だ。だがそれ以上に事実今の彼では自身の伴侶にするのは余りに困難で危険過ぎるのだ。だからこそ、彼には英雄になってもらうしかなくて………。

 

「……御免なさい」

 

 最後の最後に、その胸に眠りにつく彼を抱き入れて、小さく小さく、消え入りそうな声で彼女は囁いていた………。

 

 

 

 

 

「………本当、手のかかる不出来な孫娘な事。減点対象ね」

 

 闇の中でその光景を見つめていた式神から誰にも聞こえぬ大きさで冷笑染みた言葉が紡がれる。そこには到底孫娘に向けているとは思えない苛立ちと不快感が含まれていた。

 

「…………」

 

 式神を通じて彼女は何処までも冷たい視線を彼を抱き締める孫娘に投げつけていた。そして……顔を小さく顰めた。

 

 それが同族嫌悪であり、羨望であり、嫉妬である事を、彼女は自覚する事はなかった…………。


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