和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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章末・後

「全く、今更ながら随分と暴れてくれたものだの。あの化物は」

 

 扶桑国が外街、その一角に佇む万年閉店中の古書店に潜伏する退魔士の老人は荒れ果てた自宅の内部を見て嘆息する。

 

 半ば禁術化している空間拡張の結界によって外観からは信じられない程の広さを持つ古書店は、しかしその内部は散々に荒れ果てていた。並ぶ本棚は悉く倒されていて、そこに納められていた大量の書物はぶちまけまれていた。しかもその内の少なくない数が裂かれ、破かれ、切り刻まれ、燃やし尽くされていたときていて、バラバラに粉砕された妖共の肉片と血が壁やら家具やらにへばりつく。とどめは荒れ果てた部屋の中心部に鎮座する血にまみれた仰向けになって倒れる巨大な熊の怪物の姿で………。

 

「防音効果の結界を張っていて正解だったの。これだけ暴れておれば騒音も相当なものだったろうて」

「そんな風に他人事みたいに言わないで下さいよお爺様。御願いしますから片付けを手伝って下さいな」

 

 嘆息しながら近場の書物の山に腰掛ける道硯に向けて彼女はジト目で文句を垂れた。翁が視線を向ければそこにいるのは舶来物の安楽椅子に腰かけてあれこれと人形の簡易式達を使役し、荒れ果てた部屋の片付けをさせている、年の頃は十代前半といった所の少女であった。その膝には猫又が周囲の状況に対して知らぬ存ぜぬとばかりに欠伸をつく。

 

 松重家二九代目当主晴孝が三女にして翁の孫娘の一人、そして今現在翁の弟子として一族を出奔して祖父の逃亡潜伏生活に同行する松重牡丹はこの年で一五歳、赤みを帯びた髪を肩まで伸ばした異様に肌の白い少女で、その顔立ちは悪くないが何処かか弱く、死の気配を漂わせている人物だった。

 

「そうは言ってもな。ふむ、まずはこいつを起こすとするかの。……ほれ、さっさと起きんか木偶の坊め」

 

 翁はそう嘯きながら、衣服の袖から物理的に考えて明らかに入っている筈のない長い杖を引き抜くと、いそいそと歩き始め、部屋の中心部でぶっ倒れたままの大熊……式神として使役している鬼熊の元に辿り着くと容赦なくその頭を数回打ち付ける。

 

『グルルルルル……………』

 

 空中から見えない糸で操られているかのように起き上がる鬼熊の源武。良く見れば力なく唸る熊の怪物の左腕はその肩部からごっそりと引き千切られていた。あの忌々しい碧鬼がこの店を飛び出そうとした時に止めようとして受けた傷であった。

 

「本当、大変でしたね。あの碧鬼、急に叫びだしては都に突っ込もうとするなんて………」

 

 式神にふっ飛んだ鬼熊の腕を運ばせながら牡丹は嘆息する。そもそもがあの鬼がここに居候していたのが可笑しいのだ。ましてやあれほど狂乱して暴れるなぞ……それもこれもあの素性も知れない怪しい青年が祖父の弟子になったせいだ。

 

 鬼月家の何処か訳有り気味な下人の青年を四六時中簡易式神で尾行していたあの悪名高き赤髪碧童子が、しかしその式神が破壊される瞬間何かを見たようでいきなり狂乱した瞬間を牡丹は鮮烈に記憶していた。

 

 それからが大騒ぎであった。あからさまに妖気を垂れ流し、この店から出て都に突っ込もうとする鬼を牡丹は祖父が使役する本道式(式神化した霊獣や妖)、それに室内に仕掛けていた無数の罠で以て捕獲しようとしたが……腐っても相手はあの碧鬼である。無駄に力があるせいで止めるのも命懸けであり、事実完全には止めきれなかった。

 

 結局囮役の本道式の大半を物理的に無力化してくれた所をどうにか翁の捕縛結界……事前準備に数ヶ月の時間を要する代物だ……で捕らえる事は出来たが、それとて時間稼ぎにしかならない。

 

 展開した瞬間にゴリゴリと凄まじい勢いで結界を削られたが……元より翁はこの碧鬼をこの程度の準備で止めきれるとは思っていなかったようだった。僅かに生まれた時間の間に翁はその弁舌でどうにか鬼を宥めて、辛うじてこのまま都……正確にはその下の地下水道……に突っ込むのだけは阻止した。代わりに何処かに飛んでいってしまったが。

 

「構わんよ。化物同士で殺し合ってくれるならば問題あるまい。出来ればそのまま共倒れしてくれれば万々歳ではあるがの」

 

 式神達が千切れた腕を鬼熊の傷口に押し付ければ翁はぺしぺしとその接着面に杖を数回叩きつける。同時に懐から何十枚と護札が飛び出して傷口を包むように貼り付く。本道式は甦った腕の痛覚に不機嫌そうに唸り声を上げる。

 

「………それで、お爺様としてはあれはどう処理する積もりなのですか?あんな得体の知れないもの、野放しには出来ないと思いますけれど?」

 

 牡丹は暇そうに膝の猫又の喉を擦り、鬼熊の腕を運んできた式神達に別の仕事を割り振ると祖父に向けて尋ねる。そうだ、目下の課題はそれだ。

 

「元々気味の悪い男でしたけど、よりによってあの化物の血を取り込んで、しかも一線級の退魔士の心臓まで……。正直、危険な因子はさっさと処理してしまった方が良いのでは?」

 

『妖母』と言えば、この扶桑国内で封印も討伐もされずに現存する化物の中では五本の指に入る厄ネタだ。何せ元は海の向こう出身の堕ちた神である。その上態態「産み直し」ではなく血を媒介しての妖化となれば………。

 

 ましてや変異を食い止める秘薬で以て誤魔化しているようであるが根治は出来ぬと来ている。寧ろ時間を掛ければ掛ける程肉体が妖化に馴染み、いざ均衡が崩れた際の急激な変貌でどうなるか知れたものではない。薮蛇になる前に薮ごと全て焼き払ってしまった方が安全ではないか……?

 

「ならぬ。確かにあのまま放置しても問題の先送りであろうがな。しかし、薮ごと蛇を燃やすとして此方にまで延焼せぬとは断言出来ん。今はするべきではなかろうて」

 

 しかし孫娘の意見を翁は否定する。それは甘さでも優しさでもなく、危険性を天秤に掛けた上での冷徹な判断であった。あの青年を殺処分する事自体は難しくはなかろうが、その後に鬼月の姉妹や祖母、それに碧鬼がどんな行動に出るか分からない。処分するのは危険過ぎる。……少なくとも今は。

 

「それに利用価値はあるからな。せめて鬼を始末するまでは潰れてもらっては敵わん。……とは言え、儂も妖化を根治するだけの秘薬の製法はとんと知らぬからのぅ。困ったものだ。色々と調べ直さぬといかぬか」

 

 翁は自身の白い髭をなぞり、心底困り果てたようにぼやく。

 

 正確には都に保管されている禁術の類いには恐らくは製法くらいは記述されている筈だ。しかし、翁が陰陽寮に勤務していた際研究していたのは主に妖魔の者共を封じ、滅ぼす類いのものが中心であり、治療技術の類いには殆ど関心なぞなかった。特に妖化の進む人間を治療する事柄に関しては。

 

 当たり前だ、延命ですら本来ならば馬鹿馬鹿しい程に入手困難な材料……一線級の退魔士の心の臓等……を必要とするのだ。ましてや根治なぞ、必要な材料はそれ以上に入手困難であり、割に合わない代物であろう事は分かりきっていた。態態そんなもの使ってまで治療するなら、いっその事殺してしまった方が遥かに安上がりであろう。とは言え、希望は薄くても翁は何もせずに放置する選択はないようであった。

 

「……驚きました。まさかお爺様が態態そんな事のために時間を使うなんて。たかが下人一人相手にそこまで手間をかける積もりなのですか?」

 

 打算的で、合理的で、功利的、何よりも冷徹な思考をする祖父が得体の知れぬ下人一人の為にそこまで動く積もりである事に孫娘は心から驚いていた。一瞬祖父が洗脳されたか殺されて誰かが皮を被っているのではと疑った程だ。

 

「ふむ、意外かの?」

「お爺様にしては甘過ぎます」

 

 若干顔を顰めて尋ねる祖父の言葉に孫娘は当然のように即答する。禁術の究明のために生きた人間や半妖を何人も残虐な実験材料にするというおぞましい所業故、朝廷から追放された老退魔士にしては言う事が緩過ぎるように牡丹には思えた。不信感から若干警戒を上げる。

 

「……そうだな、確かに自身で口にした後であるが、寛容かも知れぬな。警戒を上げるのは正しい判断ではあるの」

 

 ふむふむ、とそれとなく戦闘態勢を執る孫娘に対して翁は寧ろ感心するとともに自身の口にした言葉について考え込む。確かに甘い。我ながらあのような不自然な在り方の人間に対して甘過ぎるのだ。

 

 翁は性善説なぞ信じていない。人は根元的に性悪な存在だ。自らの命のため、利益のためならば他者を見捨てて苦しめる事すら厭わぬ存在であると確信していた。無論だからとて彼は別に人という存在を蔑視している訳でなければ失望している訳でもない。野の獣共や邪悪な化物共と違い、人は唯一縛り付け、締め付け、躾る事で自らを律する事が出来る万物の霊長であると信じている。

 

 故に不自然なのだ、あの青年は。学もなき貧農に生まれ出て、苦難と苦悩と苦痛ばかりしかないこの不条理な世に翻弄されて……無知蒙昧な唯人であれば全てに諦念するか、あるいは卑屈で粗野で浅ましくなるか位しか有り得ぬ事、それをあの青年は………。

 

「確かに不自然ではあるな。だが………」

「………?」

 

 はぁ、と小さく哀愁を込めた溜め息に孫娘は怪訝な表情を浮かべ困惑した事に翁は気付いていた。そして苦笑する。そうだ、甘い。甘過ぎる。それは分かっている。分かっているのだ。しかし、それでも………。

 

「やぁやぁ、帰りが遅くなったねぇ。おや?まだ散らかってるじゃないか。やれやれ困ったものだ」

 

 チリンチリン、と鈴の音と共にズケズケと入店してきた存在に翁と牡丹は同時に非好意的な視線を投げ掛けた。閉店の看板を掲げ、人払いの呪術を無視して当然のように入店してくる存在を翁も孫娘も一人……いや、一体しか知らない。

 

「これはまた、随分と派手にはしゃいだようだの?」

 

 全身人ならざる物共の返り血でびっしょりと紅く染まった修験僧姿の鬼に翁は冷淡に問う。あのまま面倒な化物二体、共倒れすれば良かったものを……この分では今一つもくたばっていないだろう。期待外れな事だ。まさかとは思うが………。

 

「いやいや、別に態と逃がした訳じゃないさ。俺からしてもあの忌々しいババアが彼に粉かけするなんて吐き気がするしね。ましてや彼がアイツを討伐でもしてしまったら俺の立つ瀬がないだろう?やっぱり彼の英雄としての輝かしい幕を飾るのはあんな気が狂った年増じゃなくて俺でなきゃね」

 

 鬼は悠然と自己中心的な物言いを吐いて見せる。自身があの青年に討伐される前提で話しているが、そもそもが鬼退治なぞまともな感性であればどれだけ大金を渡されてもやりたくない類いのものだ。其ほどまでに鬼は身勝手で、残虐で、おぞましく、卑怯な存在なのだから。

 

「まぁ、そういう訳さ。安心しなよ、あの気狂いはちゃんと俺が始末してやるからさ。……それより、風呂でも入りたいんだ、湯船を沸かしてくれないか?流石に俺も女の子だからね、何時までもこんな臭う姿はご免でね?」

「うっ、臭いが………これだから鬼は」

 

 ドシドシと室内を大股で歩いて自分勝手な物言いの鬼。その身体から生臭い血と臓物、その一方で鬼特有の酒精を思わせる強い汗が醸し出されていて、牡丹は思わず口元を覆って不愉快な表情を浮かべる。特に興奮したり発情している時の鬼の汗は一嗅ぎで人を酪酩させる事で知られていた。思わず猫又が臭いに耐えかねて牡丹の膝から飛び降りて未だに滅茶苦茶の部屋の何処かに逃げてしまう。

 

「ふむふむ、これは………確かに身体を洗って貰った方が良いな。ほれ、源武、湯船の準備をせい。……後程あの化物について話を伺うが宜しいかな?」

 

 色々と文句はあろうが実際問題碧鬼の放つ臭いは強烈過ぎた。翁は服の袖で鼻孔を覆いながら復活させた鬼熊を杖で叩きながら湯を沸かして来るように命じ、次いで『妖母』についての話を繰り出す。

 

 尚、つい先日鬼に半殺しにされたばかりの本道式は復活そうそうにそんな命令を受けて「えっ、マジ?」という表情を浮かべたが翁、牡丹、碧鬼から一斉に睨み付けられてションボリと顔を項垂れててくてくと隣の部屋の湯船に向かった。

 

「………本当、物好きばかりな事ですね。それはそうと、陰陽寮はどう動くでしょうか?散らした式神からの情報を見るに御上は事を隠匿する積もりのようですが」

 

 相応規模の正規の退魔士が動員されて地下水道の『消毒』が行われている一方で、水道の管理を委託されていた者達……特に公家衆と朝廷が何等かの接触を図っている事は把握出来ていた。とは言え今の現状維持と事なかれ主義の御上に期待が出来るかと言えば……。

 

「よりによって『妖母』だからな。朝廷も訝んではおったろうが流石にあんなものとなれば信用せんだろうの」

 

 流石に大物過ぎる。ましてや目撃者の面子も信頼性が低い者ばかり。これまでの前例からすれば表向きを有耶無耶に処理するか。あるいは方々が責任の押し付けをする事になるだろう。となれば……かなり厄介だ。

 

「……赤穂の娘は手を出される事はないでしょう。大物過ぎますし、本人も周囲の実力も手を出すには危険が大きいでしょうから。案内役の生き残りのあの男、これも関心は引きませんね。霊力の欠片もない人間なぞ尋問の対象としては意味がありません。そもそも立場からして発言の信頼性も、ありませんし。……そうなると面倒ですね」

 

 またこの目の前の鬼が動くか、あるいは鬼月のイカれた女共も要注意だろう。何はともあれ私達が一番留意せねばならないのは自分達の事まで吐かされる事か……。

 

(………やはり口封じした方が楽に思えてしまいますね)

 

 そう一人結論を出して牡丹がはぁ、と溜め息をつく。本当に得体の知れない青年である。一体何を狙って自分達に近付いたのやら。

 

「どちらにしろ、備えは必要ですか………」

 

 独白するように呟く赤毛の少女。逃げる準備は当然として、万一に備えて使う使わないは置いておいてあの青年の『処分』の用意もしておかなければなるまいだろう。場合によっては彼女独自にでも。

 

「けほっ」

 

 小さく咳をする牡丹。その口内に感じるのは鉄の味だった。それを飲み込んで、次いで口元を強く締めて彼女は顔をしかめる。

 

 そうだ、こんな所であの青年のせいで時間を無駄にしたくはなかった。彼女には目的があるのだ。あんな事をしてくれた忌々しいあの化物に復讐するために。そのために態態朝廷どころか一族からすら追放された祖父の下に走ったのだ。それくらいしなければ復讐は完遂不可能だと理解していたから。彼女に残された時間は決して長くなかった。

 

「本当、迷惑な奴………」

 

 ガヤガヤと碧鬼が聞かれてもいない武勇伝を語り始め、話し半分興味関心は更にその半分以下で祖父が適当な相槌を打つ中、彼女は消え入りそうな弱々しい口調でそう言葉を漏らしたのだった……。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 秋口の夜……三日月が夜の暗闇を照らしていた。

 

 夜の暗い夜、その小柄な少女は一人外側から鍵の掛けられた自室の中心で正座で座り込んでいた。その姿勢はキリッと背筋を正しく伸ばしていて、沈黙して瞑想に没頭する。その表情にはひたすら後悔と自責の念から来る苦悩が滲み出ていた。

 

 暗がりの部屋で一人控える彼女の名前は赤穂紫と言った。西土が退魔の名門赤穂家本家の直系、その末の娘であり、妖刀『根切り首削ぎ丸』の主君、そして、先日の無断での妖退治とそれに連なる失態で謹慎を言い渡された少女である。

 

「………」

 

 自室にてただただ重苦しく沈黙し謹慎する紫に、しかしその処遇への不満はなかった。寧ろそれは当然の罰……いや、犯した過ちとしては甘過ぎる処分である事も良く理解していた。

 

 一族に碌に話もせずに、目下の者共の嘆願も無視して、自身が油断して軽装で地下水道の妖退治に出向けば捕まり、しかもその後に逃げられたと思えばまたもや油断して喰われる寸前にまで陥って、最後は妖刀を御しきれずにたかが下人とは言え他家の者を殺しかけたのだ。その間に犯した大小様々な失態の数々……余りに散々な醜態に過ぎる。内裏での職務を終えて帰宅した父から軽率だと叱られたのも納得だ。

 

「醜態………確かに醜態ばかりですね」

 

 暗い自室で正座する紫は、目の前の鏡台にふと視線を向けるとそこに映る自分の澄ました表情を見て冷笑した。余りに滑稽だと思ったからだ。

 

 父らに対しては口にしてはいないが、実際はそんな可愛いものではない。妖相手に涙と鼻水を流して怯えて、命乞いして、下賤で無力な下人相手にすがりついた。退魔の名家の娘としては余りに浅ましく、余りに惨めで呆れた振る舞いである。いや、それ以上に無様なのは………。

 

「ふふ、こういうのを恥知らず……とでもいうのでしょうね」

 

 何よりも無様なのは、自身が敵視し、勝手に一人相撲を取っていた相手に頼りっぱなしだった事だ。それも、相手に頼られていたにもかかわらず………。

 

「言い訳はしませんし、出来ません。事実は事実、自己弁護なぞするだけ惨めなだけでしょうし」

 

 経験の差?自身が初めての妖退治だったから?よりによって相手があの『妖母』であったから?そんな事は言い訳にはならない。言い訳にするだけ惨めになる程に古い退魔士と下人との才能と実力の差は隔絶している。少なくとも彼と自身の立場が逆であればここまでの醜態を晒さなかったのは間違いない。

 

(無事、だとは思いますが………)

 

 其処まで考えて、紫は件の青年の事を案ずる。妖相手にあれだけボロボロになり、しかも暴走した自身の刀にあれだけなぶられた青年を思うと、たかが下人だと理解していても自責の念を感じて紫は胸を締め付けられる感覚に陥る。

 

 無事……そうだ、無事な筈だとは思う。紫はそれを半ば確信していた。そうでなければ今頃自分は生きてはいない筈だから。一目で分かった。あの従姉があれだけ執着する姿を紫は初めて目にした。もし彼がこの世からいなくなっていれば今頃あの尊敬する従姉が無理矢理この屋敷まで乗り込んで来て騒ぎになっている筈だ。

 

 ……だから無事な筈だ。そうに決まっている。そうであって欲しい。

 

「………まさか私があのような立場の者に対してそんな事を思うとは。もしや、祖父や父の言っていた戦場での信頼というものでしょうか?」

 

 紫は自身の胸のざわめきと痛みに対してそう分析する。本来ならば所詮奴隷よりマシな程度に過ぎぬ下人なぞ自身が慮る必要のある存在ではないが……常識と身分とは別に同じ場所で命を張り、共に戦い、運命を共にする者達に対して仮令それが目下の者共であろうとも確かに信頼と友情と敬愛を抱く時がある事を彼女は聞いた事があった。それが極めて珍しく、そして貴重な事であるとも。

 

「これが……そうですね。あれだけの経験をしたのです。たかが下人相手とは言え多少は……えぇ、多少は心配にもなりますよ。そうです、そういうもの……ですよね?」

 

 誰に言うでもないのに、紫は言い訳するように、あるいは言い聞かせるようにそう呟いた。いや、あるいはそれは自分自身への暗示であったのかも知れない。

 

 どちらにしろ、紫はそうやって自らの思いに折り合いをつけようとする。それだけ彼女は自身の感じていたその感覚に困惑していたからだ。そして思考は更に進んで従姉のあの態度もまた同じ方式で処理しようとする。そうだ、確か従姉もまた四年程前の仕事以来彼を御気に入りにしていたという。きっと、彼女もまた自分と同じ気持ちなのだろう、と。

 

(でしたらあの入れ具合も分かりますね。半日生死を共にするだけでもこれですか。確か従姉様は三日程、でしたか。ならばあれくらい特別に寵愛するのも納得ですか………)

 

 敵意すら抱いていた……それも醜い嫉妬だ……自分でもここまで心情が変わるのだ。より長く、蟠りもなかった従姉があれだけ彼を可愛がるのもある意味当然なのかも知れない。とは言え………。

 

「流石に少しやり過ぎなのも事実、その点は反省してもらいたいものですね」

 

 流石に頭に血が上っていたとは言え、従姉の実力であれば暴走する『根切り首削ぎ丸』をもっと穏便に鎮圧する事も出来ただろうに。お陰様で半壊した『根切り首削ぎ丸』は餌をやらなければ再生迄に数ヶ月はかかる事になるだろう。無残に砕かれた妖刀の『残骸』を一瞥した父がそう言っていた。

 

 ましてや自分の首元に霊力で強化した扇を振るおう等とはそれが幾ら脅しであったとしても……紫はそう思おうとしていた……幾らなんでもやり過ぎだ。従姉妹とは言えやって良い事と悪い事がある。親しき仲にも礼儀あり、だ。だから………。

 

「……抗議の必要がありますね」

 

 事が事だけに彼方から訪問があるかも知れないが、紫としては自らが直接乗り込んで問い質すべきであると感じていた。

 

 そうだ、確かに彼方から此方の屋敷に訪問するのはあの従姉にとっては敵地であろうが……あの人であればその程度の圧力気にもしまい。涼しくのらりくらりと追及を避してしまうだろう。ならば、逆に此方から奇襲的に乗り込んでしまった方が彼方の機先を制して、動揺を誘えるのではないか……?

 

 一度そう思ってしまえば、次第にそれが名案のように紫には思えて来ていた。無論、それは錯覚だ。鬼月の従妹は客観的に見て詰めが甘いが、それでも愚直で口が器用ではない紫では、仮令不意を突けたとしても口ではまず勝ち目はない。それくらい、普段の紫ならば理解出来ている筈であった。寧ろ、彼女にとってこの思いつきの真の目的は………。

 

「そう、ですね。一応、恩義はありますからね。……序でにあれの見舞いに顔を見せてやるのも良いでしょう。私が直々に見舞い品も用意すれば泣いて喜ぶ事でしょうね!」

 

 彼が土下座して礼を述べる姿を想像してそう宣う赤穂の末娘。その言葉の最後の部分で妙な程声が弾んでいた事に彼女は気付かなかった。それだけ彼女が内心有頂天になっていた証拠であった。そうだ、彼女は確かにそれを楽しみにしていたのだ。従姉に一泡吹かせよう等というのは言い訳以上の何物でもなかった。……紫自身は否定するであろうが。

 

 無論、それはまず謹慎が終わるまで待たなければならぬ事であったが。そして、それ以上に彼女はその案を実行するまでに時間が必要な理由があった。それは………。

 

「っ………!?目眩が、これは………うっ……………」

 

 興奮し過ぎた紫はふと、糸の切れた人形のようにふらりと身体の力が抜ける。突然の目眩で視界がグルグルと回転する中で咄嗟に紫は畳の上に片手を突き、包帯をした片方の手で不愉快そうに口元を押さえる。そこには困惑と疲労、そして僅かに羞恥の色が見える。

 

「……少しはしゃぎ過ぎましたか」

 

 紫は疲れた表情で、肩で呼吸しつつ小さく呟く。そして、自身の浮かれ具合を反省する。全く、こんな事で調子に乗ってしまうとは、やはり自分はまだまだだ、と。

 

 正直彼女もそれに気付いた時、最初は困惑したのだ。何せ母は小さい頃に死んで、男家族の中で育ったのだからその事について何も知らなかった。それも、よりによって地下水道から救出されたその日の夜に初めてともなれば妖や呪いの類いを最初に疑うのは当然の事だ。というか自身の体調の変化について相談した父も兄らもその方面の知識がなくて雁首揃えて真剣な顔で議論していた。

 

 ………だからこそ、顔を引きつらせた女中の一人が恐る恐るとその女性特有の周期的事象について説明された時はまず思考停止して、次いでその意味を理解すると身が悶える程に恥ずかしかった。そのまま切腹しようかと思った程だ。流石に暫く経った今は冷静になっているが。

 

 ………いや、それすらまだマシだ。本当に恥ずかしいのは記憶を振り返り、その不調と疼きが始まった最初の瞬間を思い返した時の事だ。あれは確か地下水道の中で、自身が化物になぶられる事を覚悟していた時の事だ。そう、完全に絶望していた時……ボロボロの彼が自分を助け、そして手を差し伸べてくれたあの瞬間、確かに紫はその胸を矢で突き刺されたような痛みを感じ、そしてその腹部の下で何とも言えぬ熱と疼きが………。

 

「っ~~~!!!???」

 

 そのまま紫は真っ赤に染めた顔を衣装の袖で隠し、女座りになって畳に蹲る。蹲りながら身悶える。思い出せば思い出す程に浅ましく、恥ずかしかった。

 

「違います!!えぇ、そうです!!絶対にあれは偶然です!!あるいは記憶違いに違いありません!!そんな浅ましい、厭らしい、気持ち悪い……!!!」

 

 紫は必死に自身の感情と記憶を否定する。そうだ、馬鹿馬鹿しい。これではまるで何に対しても発情する兎……獣と同じではないか!!ドン引きものである。彼女だって仮に知り合いがそんな事を言えば今後の交遊を控えるくらいには引くだろうし、恐らくはあの下人だって同じだろう。紫は彼が顔を引きつらせて距離を取る姿をありありと幻視出来た。

 

 故に、そんな事があって良い筈がないし、有り得ない。たかが下人相手にそれが引き金になるなぞ、百歩譲って記憶違いでないとしても絶対に偶然であろう。そうに違いない!!そうでなくては困る!!!

 

「えぇ、そうでしょう!そうですとも!!ただの、ただの偶然に過ぎませんよ、そんなはしたない、淫乱な事!絶対に!!有り得ません!!!」

 誰かが周囲にいる訳でもないのに顔を真っ赤にして喚くように叫ぶ紫。そしてはぁはぁ、と荒く深呼吸して高ぶる感情を落ち着かせていく。暫くして、漸く彼女は冷静になる事が出来た。

 

「はぁ……はぁ……はぁ………柄にもなく慌て過ぎましたね………。全く、こんな下らない戯れ言に慌てるなぞ、修行が足りませんね………!」

 

 自身の殆んど一人相撲のような醜態をそう評する紫。そのまま彼女は目の前の鏡台に映る自身を見つめ、息を整える。そして………ふと、視線を移した彼女は鏡台の側で埃を被っていたその小さな唐櫛笥に気付いた。

 

「………」

 

 漆塗りの、飾り気は少ないが上等そうなそれに、普段ならば全く興味も関心も抱かなかったろう。しかしながらこの時だけは違った。そのまま吸い込まれるようにして白魚のような白い手が伸びて、その蓋をゆっくりと開く。そしてその中身を一瞥して、彼女は思い出した。 

 

 いつだったか、それは確か彼女の菫色の髪に映えるように父が買ってきてくれたものだった筈だ。尤も、そんなものに興味もなく、ましてや当時の彼女からすればまるで自身の退魔士としての才が認められなかったように思えてそのまま腹だたしげに唐櫛笥に納めたきり半ば忘れていたのだが……。

 

「………」

 

 じっとそれを見つめ、紫は次いでちらちらと周囲を確認するように見渡す。覗きなぞいる筈もないのにしつこく見渡す。そして念入りに目撃者がいない事を確認すると恐る恐ると手を伸ばし、そして………。

 

「こう、でしょうか………?」

 

 女中に仕方無しに装着させられる事はあったが自分でその手の事をした事がなかったため若干紫はそれに苦戦する。

 

 そしてどうにかそれに成功した直後、彼女は目の前の鏡に映る自分の姿を目にして自然と嘆息した。

 

 瑞々しい水玉石を実に喩えるように嵌め込んで、銀を花弁のように加工して彩った櫛は、紫の髪の色と調和して共に美しく映えさせていた。

 

 思わず鏡に見とれる紫。この手のものに対して見識も審美眼も持たぬ彼女ではあったが、そんな彼女でも素直に美しいと思える程にその櫛は彼女との相性が良かったのだ。彼女以外の者がその姿を見ても同じように見とれて溜め息を吐いた事だろう。紫の父は随分とこの櫛を買う上で娘と合うかと念入りに考えたに違いない。

 

(似合って……います、よね?)

 

 化粧にも着飾る事への関心も知識もなかった彼女はそれが客観的に見て本当に似合っているのか不安を感じつつもこの櫛を気に入り始めていた。

 

 そして思うのだ。あぁ、この櫛を着けて見舞いに行ってやったら彼はどんな表情を浮かべるのだろうか?と。驚くだろうか?誉めてくれるだろうか?見とれてくれるだろうか?それとも………。

 

「………えへへ」

 

 その鏡に映る自身の姿に紫は極極自然に、照れたような笑みを浮かべていた。いや、それは正確には自身の姿を彼が見た時の反応を想っての期待感から零れ出たものであったのかも知れない。

 

 そして、彼女の視線はまるで当然のように鏡台の奥に鎮座する唐櫃に向かうのだ。そこには確か以前買ってもらったきり一度も着た事のない着物があった筈で………。

 

 

 

 夕食を持って来た女中が新品同然の着物を着こんで鏡台を見つめる紫を見て唖然とした事、その視線に気付いた紫が顔を真っ赤にして悲鳴を上げたのはそれから暫くしてからの事であった………。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

『………あぁ、彼女は失敗したのですね?』

 

 深海のような永遠の闇の中でその声は木霊のように響いた。それは美しい少女のもののようにも、しかし感情が何処までも欠落していて人理の外のものの声のようにも聞こえた。次いで嘆息するような溜め息が続く。

 

『元々彼女には余り期待はしていませんでしたが………そうですか。……えぇ、そうですね。では他の方々の頑張りに期待するべきでしょうね』

 

 元より認識も目的も、合っているようで合っていない相手だったのだ。神というのはいつもそうだ。話が通じるようで究極的には全てが自己完結している。故に然程彼女には期待はしていなかった。何ならこのまま後は好きに動いてくれても構わなかった。どうせ、計画はそう大きく狂うまい。

 

『さて、もうそろそろだろうか?……えぇ。それが良いでしょうね。どうせ指の一つも動かせないのですし。今はまだ……えぇ、ではもう一眠りさせて貰いましょう』

 

『それ』は淡々と、まるで誰かと話すようにそう嘯くと再び闇の中で沈黙する。まるでその存在そのものが闇の中に溶け行き、消え去るように………。

 

 誰も足を踏み入れる事のない都の地下深く、奥深くの監獄で囁かれたその言葉は何処までも鳴り響く。仄暗い地の底で反響する。

 

 しかしながら、同時に反響する中でその声音は形を変えていく……。そして、門番達の詰めるその監獄の入口まで届く頃には、それは最早只の風の音と化して、誰もその意味を解する事はなかった……。




 尚、ゴリラ様の初めてのタイミングも紫と同じようなものな模様。

 因みに言い忘れていましたが白狐は章末前半の間、ずっとゴリラ様達の部屋を覗き見して顔真っ赤にしてました。姉御様?R-18指定になるからね、仕方ないね。


 後二章くらいしてから原作ゲームスタート迄行きたい予定

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