和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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宇佐見さんよりファンアート、橘佳世ちゃんのイラストを頂きました

https://www.pixiv.net/artworks/86237659

尚、髪飾りはお偉い様からの贈り物(意味深)の上着は両親の形見の模様。……これは薄い本のネタに困らない子ですね(菩薩の微笑み)




第三三話● 千両箱でどーなどな

 それは傍目からすれば異様な光景であっただろう。整然と区画整理され碁盤の目のように広がる都、その通りを一台の牛車と二人一組の人影が並びながら進む。

 

 いや、そこまでならば何らの問題もない。問題は幾人かの女中と下男を侍らせた豪奢な牛車に刻まれたその家紋と、何よりも中の人物の常識から逸脱気味と言わざるを得ない行動であった。

 

 扶桑国において五本と言わずとも確実に十本の指に入り、特に舶来品等、海外貿易のみで言えば三本の指に入る大商会で知られる橘商会、その商会の所属である事を意味するとともにその商会長を世襲する橘家そのものをも表す橘の家紋が牛車には堂々と金字で飾られていた。

 

 当然のように海の向こうの珍品が多く集まり、商会の本店が構えられている都で、この家紋はそれだけで絶大な権威を持つ。殿上人や大大名であれば兎も角、形ばかりで碌な荘園も持たぬ貧乏公家や百人程度の武士団しか動員出来ない零細大名家程度であればすごすごと道を譲ってしまう程だ。

 

 今一つ衆目の注目を与え、そして同時に見る者に奇異な印象を与えるのはその牛車に乗り込んでいる少女の奇行とも、暴挙とも言うべき行いだろう。

 

 牛車に乗り込む少女は橘商会の商会長の娘である橘佳世である。この国では珍しい鮮やかな蜂蜜色の髪と翡翠を思わせる瞳……西方の南蛮人を思わせる異国情緒溢れる色白で可愛らしい顔立ち、着込むのは南蛮の意匠も盛り込んだ緑色を基調とした袴。橘の家にちなんだのか仄かに柑橘系の甘い香りがするのは香水のためだろうか……?おおよそ珍しさしかないそんな人物が牛車の物見窓を開けて顔を見せれば確かにそれだけでも注目を浴びよう。高貴な女性は不特定多数の面前で不必要に顔を見せびらかさないものなのでその衝撃は一入だ。

 

「やっぱりそのお面、可愛くありませんね?やっぱりお外し為さったら如何ですか?視界も宜しくないでしょう、足下が危ないのでは?」

「その御提案については以前御伝えした通りで御座います」

「それは残念です」

 

 ……ましてや普通の一般人から見て雲の上の御嬢様な彼女が物見窓を全開まで開けて、よりによって下人と子供の白丁にニコニコ顔で殆ど一方的に話しかけていれば悪い意味で周囲の耳目も惹くのは自明の理である。しかもその会話の内容が義務的な内容ではなくて明確に私的なものであれば……。

 

(そして大概、ヘイトは此方に向くんだよなぁ……)

 

 敢えて帰還するには遠回りになるのを承知で中央の大通りから外れて正解であった。今ですら擦れ違う度に人々から好奇や疑念、驚愕、あるいは嫌悪……様々な感情を向けられていると言うのに、これが渋滞気味な朱雀通りだったらどうなっていたか。

 

 ……嫉妬もない訳ではないだろうが、そもそも身分社会であり成り上がるどころか生きるのもやっとで、その上娯楽も少ないこの世界である。そんな中で格上の相手に目をかけられた格下の人間は悪目立ちし過ぎる。分を弁えず、卑しくも世間知らずの御嬢様に取り入る卑劣漢に見えない事もないし、仮に違ったとしても彼らには構わない事である。

 

 ……真実も、実情も、実際も、そんな事は重要ではないのだ。ただこの苦しい世の中において憂さ晴らしの、八つ当たりの対象が欲しいだけなのだ。そして今の俺はその対象として絶好過ぎる。

 

 まぁ、少し違うがリア充や逆玉が嫌がられるのと同じ理論である。……俺の場合は一寸のメリットもないけど。

 

「そうそう、先日の事についてはかねがね聞いていますよ?御父様が随分と御迷惑をかけたそうですね?」

 

 そんな俺の内心の陰鬱を知ってか知らずか、少女はそう宣った。

 

 佳世の語る先日の事……それは地下水道での一件を意味しているのは明らかであった。

 

 ……地下水道の一件は箝口令が敷かれ、当然のように俺は朝廷の使者から口封じの呪いを掛けられた。朝廷のスタンスとしては俺や紫の報告に対して懐疑的であるようだったが、それでも『妖母』ではなくても何かがいたと理解しており、極秘に退魔士を動員して地下水道の残敵を掃討している……というのはゴリラ様から聞いた話だ。

 

 朝廷からしたらそりゃあまぁ、『妖母』が足下にいたなんて信じたく無かろうし、殺した妖共にしてもその大半は紫に肉片残らず消し飛ばされたり、あるいは共食いで消費されたのだろう。物的証拠は隠滅されたといって良い。

 

 あるいは一部の退魔士の異能を使い記憶を覗く、という手段も必ずしも万能ではない。元より記憶は曖昧なものであり、時間が経過すればする程それは顕著となる。

 

 退魔士の使うそれは覗かれる側がそう思い込めば記憶を覗く側もそのようなバイアスの掛かった記憶を閲覧する事になる欠点があった。あるいは偽の記憶を捩じ込まれていればそれはそれで意味がない。更に言えば記憶を覗く事で精神的、人格的な悪影響を受ける事すら有り得た。

 

 何よりも記憶を見られるなぞ相手に丸裸にされて洗いざらいの秘め事全てを吐かされるのと同意だ。これ程の恥辱はない。一族の秘伝の技や秘密も知られかねない。大罪でも犯さぬ限り退魔士は無論、公家や大名とて記憶を覗かれる行為は拒否するものであり、それは認められている。

 

 当然ながら、地下水道での目撃者の内、一番発言の信用度の高い紫の記憶を覗くのは親族一同で大反対するだろう。とは言え生き残った案内役の記憶を覗くなぞ、身分制度の強固なこの世界では退魔士側から願い下げだ。穢れが移ると鳥肌を立たせながら拒否するだろう。

 

 あるいは唯一、バイアスの掛からない確実な記憶を覗く手段もあるが……その対象たり得る俺の所有者たるゴリラ様は流石に許さないようだ。そりゃあ自分の玩具を『壊され』たくはない。無論、補償金は相応の額を提示されているようであるが……兎も角もゴリラ様が首を縦に振らない限りはこの身は安全という訳だ。ド畜生な性格のゴリラ姫ではあるがそこだけは感謝しなければなるまい。

 

(まぁ、それはそうとして……)

 

 この場で彼女がそれに触れたとなると次の狙いは………。

 

「態態私に謝罪の言付けは必要御座いません。既に鬼月家には景季様より使者が遣わされております。佳世様がここで改めて謝罪の御言葉を口にせずとも宜しいかと」

「安心してください。私が謝罪するのは鬼月ではありませんから」

 

 咄嗟に面倒事を避けるために謝罪は不要であると答えるが、橘佳世はここで大胆にも一歩踏みいった事を口にする。ちっ、分かってたよ。となると次に出てくる言葉は………。

 

「御嬢様、お止し下さいまし。橘の家の娘が憚られるようなみっともない事をするものでは御座いませぬ」

 

 そう口を挟んだのは俺と白同様、牛車に並んで歩く老年の女中であった。目元は鋭く、見るからに厳しそうな老女。

 

「もう!毎回毎回私に指図しないでくれる?本当に口煩いんだから。あんまり横槍入れるんならあんた、首にしちゃうわよ?」

 

 老女の言葉に心底不愉快そうに佳世は言い捨てる。どうやら彼女はこの老女と付き合いが長いらしい。自身の発言に釘を刺された事に心底ご立腹のようであるが、俺からすればナイスアシスト!と叫びたい気分だった。

 

(公衆の面前で俺『個人』に謝罪されたらどうしようもないからな………)

 

 そのまま適当な理由をつけてお願いなり御誘いなりされたら俺が断る選択肢は完全に消え失せる。たかが下人が御公家様並みの財力のある大商家のご令嬢の御誘いを袖にしたらどうなる事か。鬼月家の許しを盾にしようにも、守銭奴で打算家のデブ……鬼月宇右衛門が橘家と俺を天秤に掛けるなぞ有り得ない。故に発言が繰り出される前にそれを潰した老女中の働きは俺からすれば拍手喝采物だ。

 

(……もしくはもっとエグい『脅迫』の可能性もあったが、まぁ流石にそれはないだろう)

 

 俺は一瞬、絶対に逆らえないような酷い『脅迫内容』を思い浮かべるが即座に否定する。流石に甘やかされた小娘がこの歳でそんなえげつない事を思いつくとは思えなかった。

 

 俺の内心の心情とは別に目の前では商家のご令嬢様と老女の会話が続く。

 

「残念ながら御嬢様には私めに暇を出す権限は御座いませぬ。奥様も御許しにならないでしょう」

「じゃあ、御父様に御願いするもの!貴女に払っているお金は御父様の稼いだものだって分かっているの?」

「御嬢様、お父上が奥様に逆らえるとお思いで御座いますか?」

「………」

 

 淡々とした老女中の反論に急に黙りこむ佳世。あ、橘家の力関係ってそうなんだ………。

 

「むぅ、本っ当に煩いわね!……そうだ!伴部さん、このまま逢見の屋敷までお帰りになるのですか?何だったら屋敷まで牛車で送っても良いですよ?どうですか?」

 

 口煩い目付役に拗ねたように口を尖らせる佳世は、次の瞬間には名案を思い付いたようにころりと表情を変えると首を傾げて提案する。

 

 まだまだ幼く、無邪気そうな物言いであるがその声や表情、仕草の一つ一つが異国情緒溢れる美貌も相まって蠱惑的で魅力的で魅惑的で、しかしながら一歩引いて考えるとある種のあざとさすら感じてしまう。問題はその何処までが演技で何処までが素なのかだが………。

 

「……御言葉は大変嬉しいのですが、恐縮ながら御遠慮させて頂きましょう」

「?一体何故ですか?橘家の娘の折角の御誘いですのに!」

 

 若干頬を膨らませて尋ねる佳世。その姿は年相応の幼さが見て取れ、同時にその苦労知らずと甘やかされから来る傲慢な性格が垣間見えた。

 

「恐れ多くも、私は此度は付き添いとして外出しております故。もし牛車に乗車するというのならば彼女も共に乗せなければなりません」

 

 ちらり、と此方の袖を掴み歩調を合わせる白に視線を向ける。済まないが、ここは彼女の存在を利用させて貰う。

 

「それは……成る程、そういう事ですか」

 

 一瞬何が言いたいのか分からずに怪訝な表情を見せる佳世は、しかし白から滲み出る独特の感覚に気付いたらしく顔を強ばらせ、蔑みを含んだ視線を半妖に向ける。

 

 流石に一度妖に襲われた少女からすれば、それが実は同一人物とは知らずとも半妖を自身の牛車に乗せようとは思うまい。余り白が半妖である事をこんな形で利用するべきではないのだが……。

 

「そ、その……わ、私は大丈夫ですから………」

 

 此方の面越しの視線に気付いて白が小さく、俺にだけ聞こえる声で答える。ぎゅっと袖を掴む力が強くなった気がした。佳世の非好意的な視線に耐えているのだろう。

 

(食い物で釣る訳ではないが……後日何か買って機嫌取りした方が良いかな?)

 

 白に内心で謝罪して、俺は再度視線を牛車の物見窓に向ける。佳世はジト目で此方を見ながら口を開く。

 

「……伴部さん御一人では駄目ですか?」

「お役目ですので」

 

 こればかりは譲れない。俺には彼女を保護する義務がある。その義務を故意に破れば呪われる。流石に佳世も俺が呪われる可能性があるとなればそこまで無理強いは出来ない。

 

「むっ………」

「ひっ……」

 

 心底不満げに佳世は白を睨み付ける。敵意を向けられた白は小さな声で怯えて俺を盾にして物見窓の佳世をびくびくと覗きこむ。俺は当然白の味方に回る。

 

「余りそのような目で見ないで下さい。彼女に罪がある訳ではありません」

「随分とその白丁の肩を持つのですね?」

「同じく鬼月の家に仕える仕事仲間ですので」

「人擬きですよ?服の袖なんて掴ませて……」

「迷子になるよりはマシです」

 

 淡々と、そう淡々と俺は佳世の追及を受け流す。甘やかされて育ったのか、あるいは南蛮の血であろうか?結構怖いもの知らずでガンガンと距離を詰めて来る少女ではあるが口喧嘩の経験はないのか口で逃げるのは然程難しくはなかった。……少なくともゴリラ様を相手にするのに比べれば。

 

「………むぅ、狡いですね」

(何がだよ)

 

 今度こそ栗鼠のように頬を膨らませる佳世に俺は速攻で突っ込みを入れておく。

 

「……佳世様、今更言うまでもありませんがこのように何時までも憚られるような行いは為さらないで下さい。余りお父上を困らせるべきではありませんよ?」

 

 娘が家の牛車を並走させて家畜や奴隷よりはマシ程度の人間とだらだら会話していたなんて話、噂でも広がって欲しくはないだろう。それだけこの世界では身分の壁は厚く、体面が重視されている。

 

「それでしたら良い解決方法がありますよ、伴部さん?伴部さんが………」

「以前にも御伝えしましたが下人の買い取りであれば私ではなく姫様の方に御提案下さいませ」

「むぅ……せめて最後まで言わせて下さいよぅ!」

 

 プンスカ、と怒った表情を見せる橘嬢である。とは言え、俺としては余り周囲に聞こえる状況であれこれ話されたくない。噂が広がるのは早く、しかも大概噂は事実に対して無数の尾ひれが生えているものなのだから。

 

「………じゃあ、目立たなければ良いのですか?」

 

 俺のうんざりした態度を察したように、少女は目を細めて、確認するように尋ねた。おう、何か嫌な予感がするな。

 

「……何を企んでいるのですか?」

「ふふふ、秘密です!楽しみにして下さいね?」

 

 俺の質問に対して橘家の御嬢様は無邪気で、愉快そうな表情を浮かべるのみだ。

 

(確か元来、笑顔は好戦的な意味合いを持つ表情、だったか……?)

 

 ふとそんな前世の知識を思い出す俺である。ゴリラ様の笑顔もそうだが、この世界の女の笑顔は安心出来ないものばかりだとつくづく思わされる。……腹痛くなってきた。

 

「安心して下さい。そこまで無茶な事では有りませんから。本当、簡単な事ですから、ね?」

 

 此方の不安を宥めるように、言い聞かせるように佳世は宣う。おう、一寸も安心出来ねぇな。

 

 そんな事を考えている内に、俺達は若築橋の前に迄辿り着く。広大な都には当然何本かの川が流れており、縦に十丈半、横幅三丈余りあるこの若築橋は丁度公家衆の屋敷の集まる区画と中流平民の集まる区画を分かつ境界であった。平民が足を踏み入れる事自体は許されているものの、橋の両岸には小屋があって、槍を携えた兵士が背筋をのばして佇み、こそ泥等怪しい者なぞが入ればこれを捕らえる事となっている。

 

 ……因みにこの橋はゲーム内では都ルートの小イベントの舞台にもなっている。依頼を受ける事でこの橋に憑りついて悪ふざけをしている九十九神を成敗する事になるのだ。

 

「……では、今回はこれくらいにさせてもらいましょうか。余り袖にされてしまって寂しかったですが、仕方ないですね、次に期待させてもらいますね?」 

 

 物見窓から身を乗り出して、ニコニコと幼い愛らしさと美しさを兼ね備えた笑顔を見せて無理矢理約束を取り付ける橘佳世である。正直俺もその傍若無人な態度にもかかわらず少し揺らぎそうになるくらいには魅力的だった。あざといが、魔性と言って良い。

 

(この歳でこれ程とはな。まぁ、そのせいでゲーム内での扱いはアレだけど)

 

 何なら薄い本界隈でもアレだった。可哀想だけどかなりイケちゃう系の物が多くてね……うん、某先生の奴とか全ページ美麗フルカラー、緻密な背景に容赦なくあのエゲつない内容を捩じ込んだのは凄かった。続編含めて三部作全て速攻売り切れたものな。

 

「……すみません、伴部さん。何か失礼な事考えてましたか?」

「恐らく気のせいではないかと」

 

 首を傾げて怪訝な表情を浮かべる佳世に淡々と俺は応じる。女って奴はどいつもこいつも無駄に勘が鋭い事で。

 

「……まぁ、良いでしょう。それでは伴部さん、失礼致しますね?また後日………」

 

 何処か納得いかない、という表情を浮かべつつも佳世はニッコリと笑みを見せて一礼する。目上に礼をされれば目下としては礼を返さなければならない。俺も、一瞬遅れて白もペコリと御辞儀する。

 

 物見窓が閉じられた音が響いた。牛車がゆっくりと動き出して目の前を通過していく。一瞬牛車の傍に控える護衛の下男が舌打ちしたような音が聞こえたが気にしないでおこう。この世界と時代の価値観からすればある意味当然の反応だった。

 

 牛車が完全に通り過ぎたのを確認した俺は漸く地面を向いていた頭を上げた。………そして直ぐ目の前に佇む老女中を視界に収める事になった。

 

「っ……!?」

 

 流石に油断していた俺は驚きの余り少し仰け反る事になった。別に気配を消していた訳ではないのだが意識していなかったので目の前に現れた事に動転してしまったのだ。一方、老女中はそんな俺の態度に冷たい視線を向け、小さく溜め息を吐く。

 

「僭越ながら少々御時間を頂きたく存じます。宜しいでしょうか?」

 

 姿勢を正して老女中は尋ねた。無論、この質問に対して元より俺に拒否権はない。形式的な質問だ。

 

「……何用でしょうか?御嬢様が離れてから切り出す、という事はそういう類いのお話で?」

 

 俺は若干の警戒を含んだ口調で問うた。老女中は暫し沈黙してから淡々と言葉を紡ぎ出す。

 

「………余り御嬢様の前でお話するのは嫌がられるでありましょうから。無論、決して橘家を疎み、軽んじる内容では御座いませぬ。その点は御留意頂きたく存じます」

「………御用件をお伺いしましょう」

 

 ちらり、と若築橋の前で直立不動の姿勢を貫く兵士達を一瞥した後、俺は聞いた。邪な話をしている訳ではないという証人が必要だった。幾ら記憶が信用しきれない世界とは言え、社会的な立場のある者の言葉は無視し切れないし、何よりも記憶の操作は手間がかかる。対象が複数人となればそう易々と改竄し切れるものではない。ようは保険だ。

 

 そして、俺は身構えるように老女中の口にする言葉を待った。

 

(さて、どんな内容なのだかな………)

 

 大体予想はつくが……この老女中からすれば半分お遊びとは言え他家の下人なんぞに関わるのは宜しくない筈だ。恐らくはその方面の内容で………。

 

「下人殿、御気持ちは存じますが、どうか余り御嬢様を疎まないで上げて下さいませ」

「はい、それは此方も………はい……?」

 

 老女中の言葉に俺は一瞬同意しかけて間抜けな返答をする。俺は自分自身の耳を疑った。老女中の完全に意表を突き、想定していなかった言葉であったからだ。

 

 この見るからに口煩く厳格そうで、古風そうな老女がたかが下人でしかない俺に、佳世についてそのように述べるとは想定出来なかった。出来る筈がなかった。ましてやその言い草は………。

 

「それは………」

「少々強引な所があるのは否定出来ませんが、御嬢様は決して身勝手なお方では御座いません」

 

 此方が話す隙を与えぬようにそう機先を制する老女中。そしてそのままちらり、と立ち去る牛車を一瞥する。その瞳には祖母が孫娘に向けるような優しい愛情が見て取れた。

 

「乳飲み子の頃から御嬢様を見て来ましたが、本当は寂しがり屋なお方なのです。ですがやはり御出身が……お友達も、信用出来る側仕えも少なく、ですのでいざ仲を深めたい相手がいても距離の近づけ方が分からず……御許し下さいまし」

 

 時代と世界観から仕方無い面はあるにしろ、扶桑国は島国根性で村社会で階級社会である。そこに南蛮系の血を引き継ぐ佳世は唯でさえ浮いた存在である。ましてや父親たる橘景季は若くして橘商会を盛り立てた才人であるが、同時にその強引で昔からの伝統や因習を無視したやり方は少なくない反発もある。商売敵からの嫉妬もあるだろう。

 

 故に橘佳世は浮く。どうしても浮いてしまう。そうなるとやはり中々友人が出来ない訳で、父親は謝罪の意味もあって甘やかせてしまう、という訳だ。分かる、それは分かる。しかし………。

 

「………事情は理解しました。ですが、それを何故態態私なぞに?」

 

 そう、ここでの問題は橘佳世の性格でも境遇でもない。もっと根本的な部分が問題であった。

 

「失礼ながら、正気でそのような事を私に仰っておいでなのでしょうか?このような話、耳に入れば景季様がお怒りになるのでは……?」

 

 御家の問題をたかが下人なぞに晒け出すなぞ誉められた行為ではなかろう。ましてや娘に甘いという商会長であれば尚更の筈だ。いや、それ以前の問題としてこの言い様はまるで………。

 

「私をお雇いされておりますのは奥様です故、私が指示を仰ぐ方もまた同様で御座います」

 

 老女中は淡々と先程佳世との言い争いの際と同様の事を口にする。成る程、つまりこれが意味する事は………。

 

「……承知致しました。ですが御嬢様のためにも流石に無分別は避けた方が宜しいでしょう。自由と放任は違います。えっと………」

「お鶴と申します」

 

 そう言えばこの老女の名前を知らない事に気付き一瞬口ごもるが、すぐにそれを察した老女……お鶴は自身の名前を答える。

 

「……ではお鶴殿、奥様に御伝え下さいませ。碌な学もないたかが一下人の浅知恵でありますし、奥様には深い思慮がおありなのかも知れません。ですが佳世様御自身のためにも、娘の一時の感情のままに振る舞わせるのは宜しくないだろう、と」

 

 それが出過ぎた真似であると、そんな事を口に出来る立場にない事を理解しつつも俺は進言していた。進言してしまっていた。

 

「何せ歳が歳です。恐らくは半分も本気ではないでしょう。お遊びのようなものです。一時の感情のために佳世様に要らぬ噂が纏わることが宜しくないのは自明でありましょう。どうぞ御再考下さいますよう」

 

 橘佳世の母親の考えはだいたい予測がついたし、それが娘のための善意から来るものだとも理解出来た。出来たが……せめてもう少し相手を考えるべきであろう。少なくとももう少しマシな相手くらいいただろうに。なぜよりによって下人なんぞに白羽の矢を立てるのだか。

 

「………下人殿の御言葉、奥様にも御伝え致しましょう。ですが、その御言葉に応じるかは保証致しかねます事御留意を」

 

 俺の言葉を最後まで聞いた老女中は、少しの間考え込む様な素振りをするとそう答えて儀礼的に御辞儀をする。そして、そのまま街路を進む牛車に向けてすたすたと早歩きで立ち去っていき……。

 

「伴部さん………」

 

 俺がその光景を鋭い視線で暫く見つめていると、ふと傍らから俺の名を呼ぶ声が響く。視線を向ければ、話が余り良く分からなかったのだろう、白が何処と無く不安そうな表情で此方を見上げていた。

 

「………全く、無駄な遠回りをさせてくれるものだよな?早く戻ろう、腹が減ってきたしな?」

 

 俺は半妖の少女を笠越しにその頭を撫でた後、もう直ぐそこの逢見家の屋敷にまで足を進める。白はそんな俺の様子を窺い、しかし無言でてくてくと後に付いていく。掴まれる袖には皺が出来ていた。

 

(さてさて、ゴリラ様にどう報告するべきかな……?)

 

 唯でさえ薬に後ろ楯と、厄介になっている肩身の狭い立場でこの上新しい問題を加えるとなると………流石に手放されなければ良いのだが。

 

 そんな事を考えながら若築橋を渡った先、鬼月家が間借りする逢見家の屋敷が遠目に見えて来る、と俺は思わずその圧力に息を止めて、足を止めていた。

 

 ……桃色の鮮やかな和装に着飾った少女が屋敷の目の前で佇んでいた。細身で小柄で、しかし服装の上からでも分かるくらいに豊かな胸元の美少女……そんな人物はまだ相当に距離がある筈なのに明確に俺を凝視していた。

 

 そして、俺と目があった瞬間、彼女は扇子で口元を隠しながら笑った。凄惨に、肉食獣が獲物をいたぶるように。そう、それはまるで子供が玩具代わりの昆虫の足を毟っている時のようで………。

 

「ぴぃっ!?」

 

 思わず変な悲鳴と共に白が飛び上がり俺の背後に隠れて足に抱きついていた。服装と笠で隠しているが恐らくその下では尻尾と狐耳が萎びいている事であろう。

 

「……やっぱり、この世界の笑顔なんて碌なものじゃねぇな」

 

 俺はひきつった笑みを浮かべてそう一言呟くと、まるで死刑執行の刑場に向かう囚人のような重苦しい足取りで歩みを再開していた………。

 

 

 ………追記すれば、橘紋が記された千両箱を傍らに置いた宇右衛門から俺が一日橘商会にレンタルされる事になる事が伝えられたのはその日の夜の事であった。はは、畜生っ!!

 

 

 

 

 

 

 ……都に夕刻が近付いていた。

 

 笠を被り、杖を持った旅人姿の人影が二つ、夕方の人で溢れる都の大通りの茶屋に座っていた。各々温かい茶を一杯に数本の串団子のみを頼んで何時までも居座る旅人達に茶屋の娘は若干不満げであるが直ぐにそんな表情は打ち消して新しくやって来た客に愛想を振るい注文を受けに向かう。

 

 旅人達は笠の下から人の波を見つめる。夜が近付き、仕事帰りの官吏や職人、家の炊事のために急いで帰宅する女衆、物売りを終えて付近の村に戻ろうとする百姓に、門限前にギリギリ飛び込んだ荷馬の隊列が蔵に向かう……十台以上の牛車が通れる都の大通りとは言え、流石にこの時間ともなればごった返す人と車と家畜を前に大混雑するらしかった。そんな喧騒が飛び交う騒がしい通りで旅人達はただ一つの目標を探す。

 

 それは直ぐに見つかった。それはそうだ。その牛車には堂々と家紋が刻まれていたし、その牛車が通れば人垣がざっと割れるのだから。一目で見つける事が出来た。尤も、話で聞いていたよりもこの通りを通るのが遅かったが。

 

「あれだな………」

 

 旅人の片割れが無感動に呟く。牛車の物見窓を引いて顔を出し、傍らに控える老女中に何やら不機嫌そうに語る少女を見つめる。しかし……そこにあるのは好奇でなければ恋慕でも憧れでも、嫌悪でもない。ただただ無感動に獲物たる目標を観察する昆虫のような無機質で無感動な視線であった。

 

 その旅人は未だ串団子の残りがあるのも気にせず代金の銭を置くと立ち上がる。もう一人の若人は慌てて団子を食うと同じように銭を置いて彼に続いた。

 

「あれが目標で?影武者か何かじゃあないんだよな?豪商のお嬢ちゃんがあんな堂々と顔を見せるなんて………」

「それくらいはお前ならば判別は付けられる筈だ。……兎も角、今のうちに目標の顔を……あるいは臭いを覚えておけ。いざ依頼日になって他人を、なんて馬鹿な事をするなよ?」

 

 牛車の後をついていく人影……その都では少々見慣れぬ小汚い田舎風の出で立ちもあって注目されても可笑しくない筈であるが……誰も彼らを気にしなかった。いや、不自然な程意識していなかった。それは高度な隠行術の賜物であった。

 

 結局、牛車だけでなくその護衛を含んだその周囲の随行人も、牛車が橘商会の本店に戻るまで誰も彼らの事に気付く事も違和感を抱く事もなかった。

 

 そして、牛車から降り立った少女の顔を垣間見た二人組が、いつの間にかその場から風のように消え失せてしまっていた事もまた、誰一人として気付く者はいなかったのである……。


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