和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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当然ながら今年最後の更新です
皆様、良いお年を


第三五話(挿絵あり)藪を覗いて蛇が出る

 広大な都の中でも、特に中流平民層の住まう邸宅が集中するのは内京の中でも東部から南部……東京と南京と呼ばれる地域である。

 

 いや、より正確に言えば北が公家衆や大名、豪商の屋敷や蔵、政府関連施設が集まり西が職人街や工房が密集する工業地帯となっているので必然的に東と南にそれ以外の民衆と彼らの利用する施設を集めるしかなかったというべきか。地理的に南部と東部が守りにくい事も無関係ではあるまい。まぁ。流石に見殺しという訳にもいかないので都の南と東側には出城代わりに有事に立て籠れる寺社仏閣の類いが多く建築されてはいるが。

 

 ……話が少し逸れたな。ようは此度の護衛相手である橘佳世にとって北京の市場は幾度も足を運んだ事があり、職人街としての趣の強い西京もまた婦女子の遊ぶ舞台としては相応しくない。つまり此度彼女が訪れる場所となると都の東か南か、という事になる。つまりは………。

 

「はぁ……牛車で何度か通りがかった事はありますけど、直に歩いて見るとまた雰囲気も違って来るものですね?」

 

 市女笠の隙間から外の様子を窺いながら佳世は感嘆するようにそう呟く。

 

 朝廷が認可した東西南北の市場の内、最も広大で雑然とし、しかし活気に満ちているのが東市である。都の住民の大多数を占める庶民の需要を満たすためなのだからさもありなんだ。

 

 碁盤の目のように整理された区画では米屋に八百屋、魚屋、呉服店に書店、床屋、薬屋、湯屋、花屋、大衆食堂に居酒屋、その他雑貨屋に露店……生活必需品から贅沢品、遠国や舶来の珍品まで、様々な商品が所狭しと並べられた店が立ち並ぶ。行商人は街道を商品片手に練り歩き客引きを行っていた。人が多いが都の治安を司る検非違使の兵が定期的に巡回もするので治安も悪くない。

 

 とは言え、やはりそれは都の平民らの基準であり、特に北京に密集する公家や大名家、退魔士、豪商らにとってはこの国で一番繁栄する東市すら好んで行きたがるような良い場所とは言い難い。故に佳世もまた牛車で通りがかる事はあれどどうやらこのようにして通りを直に歩いて見物する事は初めてのようだった。まぁ、牛車だと家紋見た瞬間通行人がどっと道開けて黙りこむからなぁ。

 

「最初は何処を見て回りましょうか、柚?」

「甲斐性がありませんよ?御自身で宣言したのですから先導くらいして下さい」

 

 俺が尋ねると少女は市女笠の下からでも分かるくらいにむっ、とした口調で命令する。これはこれは……流石に反論は出来んな。

 

(とは言えなぁ………)

 

 俺は彼女の期待、それに監視役らの事も考えて改めて予定を考える。

 

 彼女……橘佳世にとっては此度の外出は恐らく色々と期待して、楽しみにしていた事であろう。これは色恋的な意味ではなくて純粋に娯楽的な意味においてである。

 

 豪商の家に生まれた彼女は大名家や公家のように公的な身分がある訳ではない。それでも実質的な扱いはそれに準ずるものであっただろう。

 

 ましてや父親は過保護と来れば……これまでも変装して下市民(とは言え都の内に住まう時点でこの国の人間としては中流以上なのだが)に交じって遊んだ経験があるかも知れない。だが恐らくは立場や責任もあって余り自由に遊ばせなかった筈だ。あの老女中の言葉を借りれば父親たる商会長の不興を買ってまで彼女に自由を与えなかっただろう。当たり障りのない物見見物で終わった筈だ。

 

(同じようにしてやっても良いが………)

 

 どうせ鬼月家の都での上洛と警護の役務もそろそろ終わりなのだ。後一月もすれば一部の留守番組を残して鬼月の領地に戻る事になる。適当に応対してそのままおさらばしてやるという手もあるにはある。だが……。

 

(……まさかとは思うが俺のせいで主人公の足を引っ張りたくはねぇしなぁ)

 

 可能性は高くないが俺のせいで彼女の鬼月家への当たりが強くなる事も有り得た。何気に希少アイテムの取り揃えが良いんだよなぁ、橘商会。

 

 そうでなくても下手に不興を買うと娘に甘甘な父親が鬼月家にあれやこれやと圧力をかけて来かねない。そうなるとあの家における俺の立場が厳しくなり、無駄に死亡フラグが立ちかねない。

 

 いや、それだけならまだ良い。問題はそれが波及してエンカウントしてきた主人公との接触とサポートが難しくなる可能性だ。それは不味い。流石に主人公が達磨になったり監禁されたりした後になると俺の実力では助ける事は不可能だ。主人公にはこの国を救って貰うしかないし、そのためには彼に立ちまくるフラグを芽の内に摘みまくるしかないのだ。サポートが困難になるのは避けねばならない。

 

「そうですね。僭越ながらそうさせて頂きましょう。では、最初は………あそこ等、どうでしょうか?」

 

 思考実験の果てに予定を組み上げた俺は、一先ず芝居小屋を指差してそう宣ったのだった。

 

 

 

 

 

 芸能というものは古来より時の権力者にとって政治的な意味合いを持つ存在である。

 

 史実を見れば分かるが元より芸能は祭事的、儀式的なものであり、時代とともに簡略化や世俗化、大衆化して娯楽と化していった。その一方で権力者はそれら娯楽が民衆の勤労意欲を失わせ、時として権力批判に繋がるために弾圧し、しかし時代を経るに従い受容されて逆に国家の保護を受ける文化となった例も少なくない。

 

 そしてそれはこの世界におけるこの国、扶桑国も例外ではなかった。

 

 古来から続く儀式的側面の強い雅楽や神楽が朝廷から保護されて好まれているのに比べ、この国ではそれ以外の芸能は一段低く見られる傾向があった。辛うじて歴史的偉業や神話を下地にした能が公家や大名家に容認されているくらいであろうか。滑稽劇としての側面が強い猿楽や人間臭い内容や風刺の側面が強い歌舞伎は世俗的過ぎて少なくとも表向きは有力者が好む事を認める事はほぼほぼない。それどころか内容次第では摘発する例もある。

 

 それでも上に政策あれば下に対策あり、と言うように史実のそれ同様に遂に御上もこの手の娯楽を完全に摘発は出来なかった。娯楽が少ない時代である。庶民の数少ない楽しみであり、不満のガス抜きとして歌舞伎の存在を否定して抹消仕切れなかったのも一因だろう。

 

 そして何よりも、御上の中にも歌舞伎を密かに楽しむ者も少なくなかったのだ。

 

(で、あんな出で立ちで見に来る訳か……)

 

 広い歌舞伎座の客席、そこにぽつりぽつりと虚無僧笠や市女笠を被った集団が座っていた。市女笠で顔を隠す少女や夫人にそれらを守るように囲むのはきりっと背筋を伸ばして傍らに刀を置く男連中である。恐らくは何処ぞの大名家の者らであろう。御当主様の娘や妻とその護衛、あるいは秘密の恋人や浮気相手なんて事も有り得るかも知れない。服装の家紋が無いのは何処の家の者か知られたくないからだろう。

 

 ……現代における映画鑑賞に近い歌舞伎座での演目が俺が佳世に最初に勧めたものであった。

 

 無論、歌舞伎とは言え内容は千差万別であり何でも良い訳ではない。流石に騒がしく下世話過ぎる内容のものは好ましくはあるまい。客人の層も考えて、女性向けの恋愛を主軸に置いた内容をチョイスした。そうすれば客人も女性が多くなり騒がしさも薄れると考えたためだ。まぁ、俺が選んだというには少し語弊があるが………。

 

(……楽しんでくれてはいるようだな)

 

 芝居の内容に集中しているようで、先程から一言も話さず御行儀良く観劇している佳世をちらりと俺は覗きこむ。物語のストーリーは身分違いの恋物語で、美しくも継母とその姉妹に虐められている貧しい少女が若く勇敢な侍に妖から助けられて恋仲になっていく内容だ。そこにドロドロとした御家問題やら陰謀やらがアクセントとして加えられていて少し生々しいかも知れない。

 

(どっちかと言えば昼ドラぽいよなぁ)

 

 少女相手にどうなんだ、と思わなくもない。とは言え女は男が思う程に乙女思考全開ではない。もっと強かな存在だ。何よりもこんな世界である。子供だって世の中甘くない事くらいは自覚している。

 

 そも、身分違いな恋をしている時点でこの歌舞伎の内容は十分過ぎる程この世界の常識ではファンタジーだった。この世界では自由恋愛も、ましてや身分の釣り合わない者同士で結ばれるのは異例中の異例であり、例え双方が想いあっていたとしても、大抵その先には不幸しかないのだ。……そう、例えば姉御様の両親のように、な?

 

「……いや、そういえばこいつの両親はそうだったか」

 

 ふと、傍らの佳世の両親の事を思い浮かべる。そして先程の意見を撤回するべきか思い悩んだ。少なくとも彼女の両親について言えば親馬鹿ながら優秀な父親が上手く立ち回って家族を守っていた事は外伝その他の媒体からも察する事は出来たから。まぁ、流石にそんな父親でも脳味噌プリンしてくる狐にはどうにもならなかったがね。残念ながら暴力には勝てないからね、仕方ないね。

 

(で、それを回避したらこんな馬鹿げた役回りか。世の中どう回るか分からないものだよなぁ)

 

 はぁ、と傍らの少女に気付かれぬ程に小さく思わず溜め息を吐く。まぁ、だからといって天涯孤独になった幼い少女が爺共の慰みものやらお偉いさん相手の接待役(意味深)を強いられ、挙げ句には性夜の白濁サンタな薄い本ネタにされるのを放置しろってのも後味が悪過ぎる。脱力しそうではあるが後悔はしていなかった。いや、したくなかった。

 

 ……さて、転生前の感性で言えば生々しく、この世界における感性で言えば砂糖菓子のように甘く、男の俺にとっては少々苦痛なお芝居はそれ自体は一刻程で終わった。時間が短いのはこの歌舞伎を見に来る者達の客層を考えて敢えてであろう。他のパターンもない訳ではないが、特に若い少年少女の組み合わせが目立っていた。

 

(最後は二人が結ばれてハッピーエンドなのはやはり物語というべきか?)

 

 世の中ハッピーエンドで終わらない事だらけだ。物語の中くらい円満に終わって欲しいのだろう。特に恋愛物を見に来た乙女方にとっては尚更だろう。

 

「中々面白かったですね!正直、権兵衛さんってこういう演目に無知な気がして不安だったんですが杞憂で良かったです!!」

 

 多くの庶民らに紛れて芝居小屋を出てから何気に酷い言い様で此方を誉める佳世である。ニコニコ顔なのが余計残酷に思えるな。

 

「……お褒めに預り恐悦至極に存じます」

 

 恭しく、とする訳にもいかないのでそれとない素振りで俺は礼をする。実際の所そこまで誉められる謂われもない。彼女が満足出来た内容の演目を選べたのは一つに同じように原作ゲームで芝居小屋でヒロインらとデートするイベントがあった事が一因である。そして今一つの理由は………。

 

「随分とご機嫌取りが御上手なようで」

 

 淡々とした、それでいて冷たい声が耳許で囁かれた。それは周囲に気付かれぬように隠行した、肩に乗っかった小指の先程の大きさの蜂鳥……正確にはそれを模した式神からのものであった。

 

「ははは……恐縮です、牡丹殿」

 

 ガヤガヤとした喧騒の中、周囲が聞き取れぬような小声で俺は答える。実際恐縮な話であった。彼女からすればこんな事に手を貸すなぞ馬鹿馬鹿しい事であっただろうから。

 

 都の内である。滅多な事はあり得ぬとは理解していたが……念のために松重の翁に支援を頼んだ所に代わりにその役目を担う事になったのがその孫娘の一人であり、翁と行動を共にする松重牡丹である。本編たるゲームにこそビジュアル無しでのちょい役登場であるがその後の外伝小説や漫画で容姿が設定された鬱ゲーらしく鬱々しい設定を捩じ込まれた哀れな少女だ。まさか爺じゃなくて此方が来るとは。

 

「………何か変な事考えていませんか?」

「滅相もない」

 

 式神越しに不機嫌そうな口調で尋ねる松重牡丹。あくまでも事実を思い浮かべていただけの事ですよ。

 

「では権兵衛さん。お次はどのような予定なのですか?」

 

 そんな俺達のやり取りに気付かず振り向いた橘佳世が期待したような表情で次の目的地について尋ねる。さぁどんどん自分を楽しませてくれとでも言わんばかりの態度、厚かましい餓鬼な事だ。……さてさて、次の候補地ねぇ。

 

「そろそろ小腹が空いて来た頃ですね。休憩も兼ねて何処かの店にでも入りたい所ですが………そうですね。不躾な質問ですが好き嫌いはありますか?」

「好き嫌い、ですか?そうですね………納豆ですとか梅干しは余り口に合いませんかね?」

 

 どちらも和食の鉄板かつ外人の嫌がる御約束の面子である。そして、ぶっちゃけると俺も余り好きではない。奇遇だな。

 

「正直自分も余り好きな方ではありませんね。ではその辺りも考慮しますと………そうですね。折角の都ですし、私も少し贅沢したい所です。あのお店にしましょうか」

 

 きょろきょろと通りを歩きながら視線を動かし、そして俺が選んだのは歌舞伎小屋から少し距離を置いた所にある料亭……というよりかは大衆食堂というべき店であった。

 

 

 

 

 

 定食は庶民にとってはちょっとした贅沢というべき内容であった。タレの染み込んだ鰻重は錦糸卵が重ねられた飯の上に大ぶりの鰻の蒲焼きが乗せられて、そこに三つ葉と山椒が振りかけられていた。蕎麦の方は当然冬なので温かく、薬味の葱と川魚の天麩羅が乗せられている。後は新香と緑茶がついていた。

 

「はぁ……これが、ですか」

 

 給仕の持ってきた定食を見て佳世は興味津々といった表情を向けていた。それはあからさまに良家のお嬢様が庶民の味に向ける純朴な憧憬そのものであった。

 

 鰻も蕎麦も、前世で外食するとなると贅沢品であるが、当然それは前世の二一世紀日本においてである。

 

 天麩羅も蕎麦も鰻も、現実の江戸時代では元来下賤な庶民の食べ物だ。『闇夜の蛍』内においてもその辺りの歴史的事実に影響を受けていてこれらは常にではないし虐げられている程でもないが公家や大名家の食卓に上がる頻度はそこまで多くはない。

 

(ましてや橘商会のご令嬢となれば和食……この国の料理よりも舶来のものの方が食べる機会は多いかも知れん。そうなれば余計その頻度は少ないだろう)

 

 西洋被れでは無かろうが、多分仕事柄や母方の血筋もあってその可能性は高い筈で、その読みは目の前の少女の反応から見て正解と見て良かろう。後は………。

 

「そろそろ食べましょうか。折角炊きたてなのです、冷めたら不味くなりますよ」

「あっ、はい!そうですね!!」

 

 手を合わせて頂きますをしてから俺達は出された料理を頂く。

 

(あ、やっぱり音立てないんだ)

 

 蕎麦を音も立てずに箸で啜ろうと悪戦苦闘する佳世を見てふとそんな事を思った。ヌーハラではないが、やっぱり麺類は音立てやすいからなぁ。ナチュラルに音立てないように食べているのを見るにやはり蕎麦を食べるのは初めてと見て良かろう。

 

「その、余り食べている姿を見ないでくれませんか?この手の食事の作法を知らないのは分かっていますが……それでも見られていて嬉しいものではありません」

 

 俺の視線に気付いたのか、若干恥ずかしげに佳世は口を開く。まぁ、婦女子からすれば食事中の姿を異性に見られて嬉しい奴はおるまい。

 

「失敬を。ですが、そこまでお気になさる必要はないですよ。今の貴女は柚なのですから。それに、このような店で食べ方に一々ケチをつけるような者はそう多くはいませんよ」

 

 そう嘯き、別の席の方を見やる。ベラベラと芝居小屋の内容を言い合いながら、笑いこけつつ蕎麦を啜る男らの姿が見える。到底音を出さないように配慮している様子はない。豪快に啜る音を鳴らしていた。

 

「……まぁ、余り上品ぶる事はありませんがあれは少し大き過ぎますね」

 

 楽しく食べるのが一番ではあるが周囲に不快感を与えぬ範囲、というのは前提条件であろう。まぁ、それだけ会話に熱中しているとも言えるが。

 

「さて、自分も……」

 

 俺は小さく苦笑しながら蕎麦を食べる。あからさまではないがそれなりに啜る音が響いた。うん、旨いわ。蕎麦なんて此方に生まれてから初めてじゃないか?川魚の天麩羅もサクサクとしていて良い食感だ。やべ、懐かし過ぎて少し涙目になってきた。

 

「………。ふぅ、ふぅ。はむっ……ちゅる」

 

 そんな様子を見た後、雀の鼓動のように息を吹き掛けて冷まして、次いで意を決したように佳世はその小さな口で蕎麦を啜った。その小さな口にあった小さな可愛らしい啜り音であった。

 

「むむむっ………。はむっ、はふっ!!」

 

 自身の奏でた音に顔を赤くして、しかし覚悟を決めるとその後は音を気にせずに蕎麦を食べきってしまった佳世。そしてそのまま恥ずかしさを誤魔化すように、そして食欲に任せて鰻重に手をつけ始める。

 

(食べっぷりが良いな。まぁ成長期だからなぁ……)

 

 量的に食べきれるか少し不安だったが……こうも勢い良く食べる姿を見ると故郷の妹を思い出す。雪音も女の癖にがつがつ食べる奴だったな。いや、流石にその比較は佳世に失礼か?

 

「それでは此方も……お、やっぱり旨いな」

 

 俺もまた鰻重に手をつける。箸で鰻の蒲焼きの切れ端を口に運ぶ、とともにその甘いタレが染み込んだ濃厚な鰻の味に思わず感嘆した。前世では鰻と言えば夏、丑の日というイメージがあるがあれは寧ろ夏に売れない鰻を売るための江戸時代の広告戦略の結果だ。クリスマスやバレンタインの商売化と同じだな。元々鰻の旬は秋から冬で、そちらの方が脂が乗り骨が柔らかいものが出回り易いのだ。

 

(しかも庶民の食べ物なのでお手軽な値段と来たものだからなぁ)

 

 史実の江戸時代では腐りやすいので脂身の強い魚、赤身の魚は下賤なものという意識が強く、白身魚が好まれたとか。そして史実を多分にモデルにした扶桑国でもまた鰻はその脂身からか有力者には余り好まれていないようだった。

 

「……鰻の方はどうですか?」

「えっ?あ、はい。少し脂がしつこいですけれど、悪くはないかなと思います」

「それは良かったです。……さて、少し早いですが来ましたね」

「はい?あっ………」

 

 俺の発言に佳世が首を傾げるが、直ぐにそれが何を意味するのか理解する。

 

 向かい側の甘味処の店員が食堂の店員に二、三言話して此方の客席に向かう。俺は事前に佳世から受け取っていた現金を支払うと台の上にそれが提供された。

 

「これは……団子、ですか?」

 

 台の上に供された皿に置かれたのは団子だった。醤油砂糖のかかったみたらし団子だ。

 

「食後の甘味ですよ。串団子は余り食べた事はないかと予想したのですが、どうでしょう?」

「は、はい。確かにその通りです」

 

 普通の団子なら兎も角、買い食いや立ち食いもされる串団子は食べた経験が少なかろう。更に言えば冬場なので温かいものが良い筈、そうなると必然的にみたらし団子はデザートに選ばれる訳だ。反応を見るにその選択は間違ってはいないようだった。

 

「凄いですね。先程から私が食べた事がないものばかりです。実は何度か今回みたいに御忍びで出掛けた事はあるのですけれど……」

「余り楽しくはなかった、ですか?」

「……はい。もしかして心読んでたりしてますか?」

 

 首を傾げて不思議そうに尋ねる。佳世。やはりこれまでの街遊びはお付きが面倒事を避けるために庶民の遊びや食事はさせなかったらしい。

 

「……そんな訳ないでしょう。だったら流石に蕎麦か鰻か、片方だけにしています」

「やっぱり心読んでるじゃないですか!」

 

 けらけら、と子供らしく笑う少女。心なぞ読まなくてもそれくらいは想像出来る。

 

「蕎麦と飯だけなら兎も角、流石にあの年頃では団子まで加えると厳しいでしょうね」

 

 耳元で蜂鳥が囁く。確かにその通りだ。良く良く考えれば定食を頼む前にそこに気付くべきだった。定食を頼んで、しかも団子も注文して実際に料理が出てきてから漸く俺はそれに気付いた。どうやら俺も久方ぶりの蕎麦や鰻重に興奮していたらしい。相手の胃袋にまで考えが及ばなかったのだ。佳世が予想以上に食欲旺盛なのは助かったが、これではな。だが……分かっていたのならば助言してくれても良いと思うんだ。

 

「此度は貴方達の安全確保の支援が目的で、子供の面倒を見るのが役目ではありませんから」

 

 冷たく、淡々と答えて下さる牡丹様である。さいですか。

 

「……残してくれても構いませんよ?無理は良くないですからね」  

 

 牡丹の協力が得られない事に内心嘆息して、俺は佳世に伝える。食べ残しが良い訳ないが、無理して食べさせるのも宜しくあるまい。無理なものは無理なのだ。この際は仕方あるまいだろう。

 

「そうですね、三本全ては流石に苦しいです。うーん……そうだ!」

 

 僅かに悩んだ御嬢様は、ふと愉快そうな表情を浮かべる。そしてみたらし団子の一つを摘まむとそれを此方に差し出して……。

 

「はい、あーんして下さい!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 まるでこれまで何度もしてきたかのように自然な所作で、当然のような口調で宣う少女であった。しかもあざとく魔性を帯びた仕草も加えてと来ている。

 

「……柚、そういうのは親しい者同士でやるものですよ?」

「はい、存じてますよ?御父様と御母様は毎日のようにしていますから」

「あ、そうなんですか」

 

 仲睦まじい夫婦な事で結構。そしてだからこそ気付こう。俺とお前さんの間柄でするような事じゃ無いことを。

 

「?これはデートですよ?デートする間柄なら可笑しくないと思いますが?」

「本当にそう御思いで?」

「権兵衛さん、今回の貴方のお役目は私を心行くまで持て成す事でしたよね?」

「脅迫ですか?」

「お願いです」

 

 ニッコリと、可愛らしくあざとい愛嬌を向ける御嬢様であった。メスガキめ。そんなのだから同人誌で酷い目に遭うんだぞ。

 

「……一応意見しますが、あの態度ですと恐らく梃子でも動かないでしょうね」

 

 式神越しに渋々といった口調でそう助言を下さる松重の家の孫娘様であった。おう、アドバイス有り難うよ。糞みたいな内容だな。さて、ならば仕方ないな……。

 

「……一つ、条件があります」

「何ですか?」

「後々の際の弁護をお願い致します」

 

 それはこの光景を監視しているであろう鬼月と橘の人間、そしてその報告に対してである。返答?俺が渋々彼女の差し出した団子に食い付いた事から察して欲しいね。ん?あぁ、みたらし団子の味?悔しいくらいに美味しかったよ………。

 

 

 

 

 

 パキン、と湯飲みが割れる音が鳴り響いた。思わず周囲の幾人かの人影がそちらへと視線を向ける。とともに彼ら彼女らはそこにいた桃色の少女の醸し出す迫力に一瞬気圧された。

 

「……あら、傷んでいたのかしらね。割れてしまったわ。代わりのものと手拭きを持って来て頂戴」

 

 しかし次の瞬間、その異様な迫力は影も形もなく霧散して、少女は悠然と、悠々と、優美に近場の給仕にそう命じる。余りにも余韻もなく消え去ったそれに目撃者達もまた気のせいだったのでは?と自身の感じた感覚を疑ってしまう程であった。

 

 ……ただただ、少女の傍らに控える狐の少女のみが額に汗を垂らして、それが気のせいでなければ幻覚でもない事、そして優雅な所作で手を拭く主人の、その胸の内が溶岩のように激しい衝動が沸騰し、煮え滾り、荒れ狂っている事を察知していた。

 

「ぴゃあ………」

 

 思わず小さく何処か可愛いらしい悲鳴を漏らす白狐。従者とは言え、そして子供とは言えども半妖であるが故に事前に霊力や妖力を封印する護札を大量に服の下から貼り付けられた彼女は、しかしそれによる鈍い痺れやそもそも半妖であるが故にこの席で時たま向けられる蔑みや奇異の視線よりも遥かに主人の不興に対して恐怖していた。若干涙目になりながらおどおどと給仕から受け取った手拭いを手に葵の緑茶で濡れた手元を拭っていく。

 

「……本当、詰まらない事」

 

 手元を完全に拭き取られた葵はそんな狐娘の内心なぞ無視して小さく、そして何処までも冷たい口調で呟き、周囲の風景を見渡す。既視感のある代わり映えしない景色に改めて退屈そうに小さな溜め息を吐く。

 

 鬼月葵にとって大内裏が豊楽院はその記憶に新しい場所であった。ほんの幾月か前に傍らの狐(の分け身)の死骸と引き換えに褒賞と位階を授けられた場所がこの場所であったからだ。

 

 広い庭園とそれを囲むように建物が並ぶ豊楽院は朝廷、そして帝の饗宴と儀式の場であり、文武百官を集めての位階の授与の他、臣下を集めての節絵に射礼、競馬、相撲、神楽等の催事が行われるための場である。

 

 本来であればこの場に招かれるのは名誉そのものだ。事実、此度の園遊会に招かれた者の大半は五位以上の殿上人に上洛している大名家の当主、それに退魔士の中でも相応の立場を持つ者らだけだ。宇右衛門と逢見家の伝、そして彼女自身の先日の功により十代の若輩の身で招かれた葵は本来ならばその名誉に感激しても良い筈だ。そう、彼女が常識的な感性の持ち主であれば。

 

 ……そして鬼月葵は常識的な感性の持ち主ではない。彼女にとって見ればこんな場所で無為に時間を潰すくらいならばあのあざとい小娘に対する彼の接待姿を鑑賞し、それを自身に当て嵌めて彼との逢瀬に思いを馳せる方が幾千倍も有意義に思えていた。というか事実既に式神越しに彼女はそうしていて、巫女や女官らが行う目の前の可憐な舞踊も、御膳の華やかな料理も完全に上の空であった。

 

「どうですかな?葵殿、此度の会は?」

 

 園内で催される舞を一瞥してから逢見家の当主は尋ねる。自慢の庭園を彼女のせいでボロボロにされて思う所がない訳でも無かろうが、それとこれとは話が別である。彼にとっては血筋が確かであり、才能豊かで美しく、しかも位階まで授与された鬼月葵という話題の退魔士と誼を結んでいる事、そしてそれを周囲に見せつける事、それが重要なのだ。そのためならば庭が荒れた事なぞ瑣末な事なのだろう。

 

「大変華やかで素晴らしく思いますね。正直、私のような位が低く、しかも田舎出の小娘では場に合っているのか不安になってしまいそうで恐縮してしまいますわ」

「ははは、謙遜ですな」

 

 そうに決まっているだろうが糞爺が、と賑やかな笑みを浮かべながら内心で毒づく葵である。無論おくびにも出さないが。

 

 何せ将来的には鬼月の全てを彼のものにして、自分はそんな彼の妻にしてもらう積もりなのだ。彼女はとうの昔に公の場で彼に恥をかかせないように古今東西あらゆる場面での行儀作法を完全に習得していた。こんな園遊会一つのためにあたふたとして恥を晒す積もりなぞ端からないし、下手に暴れて将来の彼に迷惑をかける積もりもなかった。それだけを理由に葵はこの会に参列していたくらいだ。

 

 まぁ、田舎娘というのは完全な謙遜ではあるが、この園遊会に参列する有力者が自分に話しかけて来る機会は少ないだろう。

 

(どうせ私よりも彼方に話をしたいでしょうしね)

 

 ちらりと流し目で視線を移せば叔父……鬼月宇右衛門と幾人かの公家や退魔の家の当主達が清酒を注いだ盃片手に談笑に花を咲かせる。いや、花という表現は少し相違がある表現か。葵は彼らの会話の内容を耳を傾けなくとも、口の動きを読まずとも、大体予想出来た。

 

 鬼月の直系と考えれば弱い訳でないにしろ特段に手練れたる訳でない宇右衛門であるが、その口と損得勘定を計る頭の回転は一族でも一、二を争うだろう。砂糖水と豚の角煮が好物のあの豚は鬼月の金産み金育ての名人でもある。そして周囲に群がる者らもまた似たようなものであり、そうなると談笑の内容も予想がつく。

 

「全く失敗でしたな。板東の土地は手付かずの山が多いので上手くやれば木材を産する事も出来ると考えたのですが……」

「聞きましたぞ。化外の野人共に切り場が襲われたとか」

「護衛は雇わなかったのですかな?」

「雇いましたとも。元々は妖共への対策ですがね。それも含めて全部やられましてな。やれやれ、噂が広がるのは早い。彼方此方で平民共に追加の人手の募集をかけたのですが中々集まりが悪いようで」

「全く、あの蛮人共め。古の昔に帝が参集をかけたのに加わらなかったのは兎も角、未だにまつろわぬばかりか我らに弓を引き、財を強奪せんとはな」

「けしからぬ事よ。何れ征討せねばなるまいて。帝より征夷の将軍に勅命でも発して頂けるように上奏するべきですな」

 

 そこまで聞いて葵は豚共の会話から意識を逸らした。彼女にとっては心底どうでも良い内容であった事もあるし、目の前に『また』どうでも良い客人が現れたからだ。

 

「これはこれは、鬼月の二の姫で御座いますかな?お初に御目にかかります。私は……」

 

 目の前に現れた何処ぞの退魔の家の貴公子が今日何度目かの代わり映えもせず心も揺り動かされない自己紹介と美辞麗句を口にする。葵はそんな青年に対して和装の袖で口元を隠して形式の枠から一歩も出ない挨拶と礼をもって返す。

 

(あぁ、まただ。イラつくというよりかうんざりしてくるわね)

 

 口元を和装の袖で隠して愛想笑いを浮かべつつ、葵は冷めた表情を浮かべる。こうやって次から次へと退魔の家の貴公子は当然として公家や大名家の嫡男が顔を見せて来る理由を、彼女は良く良く理解していた。

 

 確かに家柄は無論、資産があり、才能があり、その上水準を遥かに越える美貌と和装の上からでも分かる豊満な身体と来ている。そこに田舎から出てきたばかりの純朴そうな少女を演じれば男共が這い寄って来るのも道理だろう。葵の中では所詮そんなものというある種の達観の域にまで達していた。

 

(全く、面白味もなくて退屈ね。……しかも当の主役まで暇そうなんて実に滑稽な事)

 

 目の前の貴公子に適当に応対しつつ葵はそちらを見る。

 

 葵のいる席から百歩余り離れた豊楽院の本殿、その中に鎮座する高御座の御簾越しに小さな影が見えた。恐らくその大きさからして其処に鎮座するのは十かそこらの子供であろう。御簾の裏越しからもそこに鎮座する者が退屈そうにしているのが見てとれた。

 

 その傍らに控えるのは孫でもある幼い帝に代わって実質的にこの国を支配する関白太政大臣である深い皺が刻まれた初老の男である。その様相から見て一筋縄では行かぬ手合いであるのは容易に予想出来た。あの宇右衛門ですら不用意に声をかけぬのだから相当なのである。

 

 また高御座から見て左右に二人の男が控えている。白く、整えられた口髭が印象的な優美な老人は公儀を纏める職責を負う左の大臣であり、孔雀の羽であしらえた扇子を持つのは未だ三十代の若々しく色白の男……八省を始めとした国衙を管轄する名家出身の右大臣である。

 

 更に彼らから少し離れた座敷には背が高く、和装越しでも分かる頑健な体つきの男が寡黙な面持ちで控えていた。東夷・西戎・南蛮・北狄……四方各々の侍共を束ねて逆賊に妖、化外の者共を征討する四大将軍らを従え、央土を守護せし軍団らを指揮し、実質的な国軍の総司令官である鎮守大将軍だ。

 

 彼ら合わせて摂関三公一将と称される扶桑国の最高権力者達である。生後半年余りの頃から彼らが後見し、以来十年に渡り唯々諾々と命じられるがままに印を押し、勅命を発する帝は最早彼らに逆らう事なぞ不可能な事に思えた。幼い少年の心中にあるのは恐らくさっさとこの大人ばかりしかおらず小難しい話しかない宴会が終わる事だけだろう。大して勤王的な訳でもないが、その点のみは葵も同意しても良い。

 

(まぁ、それはそれ。まだ二刻はあるかしら。先は長いわねぇ)

 

 賑やかに相槌を打ち、しかし目は一切笑わず、袖の下で小さく溜め息を吐く。そしてこの苦痛に近い無為な時間を慰めるために、葵は再度式神越しに彼女の唯一といっても良い娯楽を再開する。片目に意識を集中して隠行させた式神との視覚を共有して……。

 

「………はぁ?」

 

 都の一角に構える書店の店内で愛しい彼と、冬物の羽織を着込んだ馬鹿で愚かな従妹が鉢合わせした場面を網膜に映し出した鬼月の二の姫は思わず間抜けに、それ以上にドスの利いた声を漏らしていた。


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