和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 今章ラストです。

 貫咲賢希さんから前話の佳世ちゃんのイラストを頂けましたのでご紹介致します。恋する乙女は可愛いですね(白目)
https://www.pixiv.net/artworks/88172532


章末・後●

 時は丑の三つ時であった。広大な朝廷の内裏、その一角に構えるその国衙にて、男は窓越しに深夜の空を見やる。見やりながら手元に置いた舶来の硝子グラスにこれまた舶来の葡萄酒のボトルの中身を注ぎ込む。

 

 予め硝子グラスの中には氷が入っていたようで、赤い酒を注がれたグラスは手に持てば月の光を反射させて中身を万華鏡のように美しく、幻想的に輝かせていた。

 

 ………そして、それら全てが彼がとある商人から受け取っていた賄賂そのものであった。

 

「梅の酒であればこの国にもあるのだがね。葡萄となるとそもそも栽培していないので必然的に舶来の物しか市場に出回らないんだ。特にこれは半世紀余り寝かせていた一品であるとか。中々趣のある味わいだよ、君も一杯どうかな?」

 

 男は……弾正台の少弼の地位にある男は背後……執務室の陰にいつの間にか佇んでいた青年にして駒……神威に向けて説明するようにそう勧めた。

 

「いやいや、自分は遠慮しておきますよ。これでも下戸でしてね。酒精の少なくて甘い濁酒でも直ぐに酔い潰れてしまうくらいなんですよ。しかもこの状況でしょう?なので今回は遠慮しておきますよ」

 

 神威はははは、と手をひらひらと動かして困ったような表情で誘いを断る。何処かおどけているようで、しかしそこには明確な警戒感が垣間見えた。事実、神威は目の前の相手の差し出す物をこれまで不用意に口にした事はなく、また今後も絶対にするつもりもなかった。目の前の官人は、それを装った存在はそういう心掛けが必要な相手だ。

 

「ふむ。それは実に残念だね」

「そも、そんなお話する余裕なんてあるので?お外見てくださいよ。お月様なんて見てる余裕ないくらいおっかない事になってるじゃないですか?」

 

 建物の外は実際、神威の言うようなそんな可愛いものではなかった。一刻程前から自然体で始まった異変は気付いた時には完全に手遅れだった。まずは巡回の衛士が、次いで見回りの体で近衛が、そして退魔士が、武士共が……いつの間にか弾正台の国衙の周囲は数百もの兵によって包囲されていて、中にいる者達を逃さぬ構えを取っていた。その国衙にしても、いつの間にか誰もがいなくなっていて、正にこの執務室に二人いるばかりで………。

 

「尤も、俺の方はいるのはバレていないですがね。あんたのお陰で随分と便利な身体になったものですよ」

 

 ずずず、と見せつけるかのように夜影と一体化した神威は演技がかった口調で答える。元々蝦夷の技で人から若干ズレた位相の存在となっていた神威であるが、その忠誠と所属を密かに目の前の男……いや目の前の存在に鞍替えして以来、その性質は一層人間から乖離しつつあるようだった。

 

「……ふむ、どうやら私は売られたらしいね。まぁ、この身体の出自を考えれば順当ではあるか」

 

 外の包囲を見つめつつ、弾正台少弼は他人事のように呟いた。

 

 橘倉吉の密貿易に大なり小なり関与していた者は数多くいた。弾正台少弼はその中でも比較的深く関わっていたのは事実であるが……他の者達は自身の罪の隠匿、あるいは軽減のために縁戚もない平民出のこの官人を生け贄とする事にしたらしい。元々罪深くはあるが、その上有る事ない事罪状が追加され、あるいは押し付けられている事であろう。そして、それを事実とするために捕縛された暁には壮絶な責め苦が待ち構えている事は想像に難しくない。

 

「……さて、突入はそろそろかな?」

「どうするので?俺の力を使えばあんたを逃がすくらいは出来るぜ?」

 

 緊迫する状況で優雅に、余裕を持った態度でそれを観察する弾正台少弼に対して、神威は一応と言った態度で訪ねる。

 

「いや。止めておこう。それでは面白くない」

 

 平然と少弼は宣った。まるで他人事のように宣った。いや、ある意味で実際彼にはそんな事は他人事であった。

 

「どうせ次の寄り代があるからね。この身体はもう用済みだよ。寧ろ、そちらの方が彼らを疑心暗鬼に出来るだろうね」

 

 そしてその不信感がこの国を一層腐敗させてくれるだろう。罪を被せる筈の相手が何者かの手にかかる………人というものは常に自らの影に怯える生き物だ。後ろめたいものがあるからこそ、他者を疑い、警戒し、訝しむ。それこそがこの国に、この国の都の上層部に潜り込むように命じられた彼の役割であった。定命の人には認識出来ぬ程に長い時間をかけてこの国の指導層をゆっくりと、しかし確実に腐敗させ、疑心の種を蒔き、規則や法を骨抜きにしていく。有能な人材が頭角を現せばそれを失脚させて、あるいは堕落させる………。

 

「うん。やっぱり味わい深い味だ。色々と拗らせて、執着していた御老人だが、どうやら物を見る目だけは本物だったようだね」

 

 その老商人を始末するように命じた立場の男は何処か呑気にそう嘯く。他人事のように宣う。

 

「執着、と言えば時に………例の下人についての対処はどうします?残念ながら口を割らせる事は出来ませんでしたが。今一度接触した方が良いですかい?」

 

 ふと思い出したように、悪名高い妖達の母に目をつけられ、そしてそのせいで目の前の人の皮を被った存在にも目をつけられた鬼月の下人について、神威は尋ねる。

 

「記憶は見させて貰ったよ。随分と面白い変質をしていたようだね?あの状況で自身を律していたのも興味深いが………それ以上にあの変化そのものが気になるね。まさか彼女の血によってあんな姿になろうとは………」

 

 その話題に少弼は食い付く。何処か子供のようにも思えるような純粋に興味があるといった態度を示す。

 

 実際興味深いのだ。彼はあの堕神の血を良く知っている。それこそ大乱の時代、彼女の血を浴びた者達は実は少なくない。そして、その大半の末路は詰まらぬもので、極極少数の例外の変貌も、ある意味では代わり映えのしない在り来たりなものであった。それが………その変貌の在り方も、その精神も、共にこれまで見てきた事例とは違うようで、それは極めて魅力的な研究の対象になり得る事は間違いなかった。

 

「では………」

「いやいや、今は止めておこう。今は、ね」

 

 興味が出たといって直ぐにどうこうしようというのも無粋なものだ。何事にも葡萄酒のように熟成期間というものがある。関心があるからと直ぐに食い付くのはそれこそ知恵なき獣の所業だ。

 

 そうだ、熟成という一手間が素材の味わいを一層引き立てるのだ。些細な、しかし丁寧な一手間と我慢、それこそがより素材をより濃厚に、芳醇に、そして魅力的にしてくれる。今は焦らず、その期間を待つべきであろう。彼はお楽しみは後々まで残しておく性格だった。

 

「そも、……おや、突入開始かな?」

 

 その先を蘊蓄のように語ろうとして、しかしそれは事態の急変のために中断される事になった。窓を見れば一階の正面門から衛士が雪崩のように突入したのが見える。どうやら遂に始まったらしい。

 

「ん。じゃあ予定通りに?」

「そうだね。出来るだけ効果的に、彼らが動揺したり、困惑するように頼むよ。……あぁ、そうだ。忘れていた」

 

 と、そこでふと思い出したように少弼は振り向いた。振り向きながら口を開く。

 

「伝令として使えるから、そこの子も連れ出してくれたまえって……………」

 

 傍らに置いていた鳥籠を指してそう宣う少弼は振り向いたと同時にその身体に軽い震動を感じた。そして、淡々と自身の胸元を見る。…………腹には貫通した大きな穴が出来ていた。

 

「………やれやれ、流石に事前の声かけくらいして欲しいものだね。伝える前に喋れなくなる所だったじゃないか?」

「あー、すんません。ではご命令、承りましたよ」

 

 状況に合わぬ呑気な言い合い、直後に少弼の頭は吹き飛んだ。背後の壁や窓に脳漿と骨とを四散させた。がくん、と頭と腹を失った肉の塊は背後の椅子へと重力に従い倒れこむ。それはまるで着席しているようにも思えた。

 

「さてさて………で、お前さんかい?」

『オ前サンカイ!オ前サンカイ!』

 

 鳥籠から取り出された洋鵡は鳴く。自身が口にしている言葉を理解しているのかしていないのかは分からない。一つ言える事は顔面が割れて鋸刃のような無数の牙と、触手のような複数の舌をくねらせる姿は相当に気持ち悪いものである事だ。

 

「うえ。余りはしゃがないでくれよ?……それじゃあ行こうか?」

 

 階下を激しい音とともに上る無数の音に聞き耳を立てながら神威は嘯いた。嘯きながら彼はその腕に乗る洋鵡と共に闇に沈んでいく。

 

 不正の下にその身柄を拘束せんとした朝廷の兵が執務室に突入した時、そこにあったのは最早記憶の抽出すら出来ぬ程無惨な状態と化した目標の死体のみであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 牛車と馬車と、徒歩の隊列がしんしんと雪が降りしきる山道を進んでいた。朝廷が整備する国道である北山中道は決して険しい訳ではないが、それでも寒さと降り積もる雪の前にはその動きは鈍らざるを得ない。事実、余りに雪が積もるがために遂に先頭の馬車が動けなくなった。

 

「糞、これ以上は無理だ、一旦隊列を止めろ!!」

「人足と雑人共は早く雪を掻き分けろ!おい、隠行衆と下人衆は周囲の警戒を怠るな!!」

 

 鬼月の分家の退魔士が叫ぶ。仕える者共に命令をしていく彼は、しかしふとその影に気付いた。気付いてしまった。

 

「おい、貴様何をしている!?そのような所でぼさっとしている暇があればさっさと己の仕事……を………?」

 

 その人影に向けて駆け寄りながら近付く退魔士は、しかしその人影から二十歩余りの距離まで接近して漸くその事実に気付いた。それが人影ではなく、文字通りの影である事に。白い雪原を濁ったような輪郭の不安定な「影」が佇んでいた事に。

 

『……………』

 

 無言の内に影は最初は少しずつ、しかし次第に加速度的に巨大になっていく。十数える間は精々青年から馬車程度の大きさに変わっただけであるが次の十秒後にはそれはちょっとした家くらいの大きさに成長して、今や小山になろうというくらいに肥大化していった。

 

「の、乗越入道だぁ!!?」

 

 雑人の一人がそれに気付くとともに悲鳴を上げた。同時にそれは悪手でもあった。これでこの妖の巨大化を防ぐ手段は限りなく消えたのだから。

 

 視認されればされる程に大きくなるこの影法師の妖は、寧ろ遭遇が単独であれば対処のしようがある。

 

 逆説的に言えば複数人で視認した場合、その巨大化を止めるのは極めて困難であり、しかも巨大化すればする程に更に巨大に、そして強力になるこの大妖は集団にとって極めて厄介過ぎる存在であった。

 

『っ………!!!』

 

 そして、影が歩き出す。雪山の街道を進む隊列を踏み潰さんとして。蹴りあげられた雪が人々を、車を呑み込み、吹き飛ばす。そして………次の瞬間、妖は首を蹴りつけられ、そのまま捻り切られた。

 

『っ……!!!??』

 

 鳴き声すら吐く事なく、しかしあからさまに困惑して、混乱していたのが分かる仕草をしながら、乗越入道は、大妖の中でもかなり上位に食い込む筈の化け物は、呆気なく首と体を泣き別れさせて絶命し、次いで轟音とともに雪原に倒れた妖は割れた風船のように縮んでいく。

 

「あらあら、詰まらない事。もう片付けてしまったのかしら?」

「あ、あれは一体……何が起きたのですか………?」

 

『迷い家』と化している牛車の物見窓越しに鬼月葵と橘佳世は外の光景について各々呟く。特に佳世の方は何が何なのか良く分かっていない様子であった。

 

「え、えっと……伴部さん。さっきのは一体……何か黒い影が出てきたと思ったら首が……」

 

 そして牛車のすぐ傍らに控えていた俺に向けて佳世は尋ねた。

 

「私も良くは見えませんでしたが、恐らく襲撃してきた妖が頭を蹴り飛ばされたようです」

「蹴り飛ばされた……?」

 

 佳世が信じがたいというような表情を浮かべている所にそれを為した本人はほくほく顔で現れた。

 

「ははは、お騒がせして申し訳ありませんな。橘のご令嬢。何、たかが妖が一体出た程度です。この儂自らが出向いて始末しましたのでどうぞご安心なされよ……うう、寒い!もっと毛布を用意せんか!」

 

 厚着で牛車に向けて脂肪たっぷりの身体を揺らして鬼月宇右衛門は寄り、そう口上を垂れる。都での一件もあって彼はこの道中妖と遭遇する度に自身が直々に動いて何度も秒殺していた。尚、寒がりのために牛車の外に出る度に部下に八つ当たり気味に怒鳴り散らしている。にしても………。

 

(流石は鬼月の長老級だな。顔は小物の癖に普通に強えぇ)

 

 正直先程の妖、俺が準備無しで当たっても、いや準備を入念にしたとしても先ず勝ち筋が見えなかった。それを蹴り一発で殺害とは………そりゃああんな残像見えそうな動きでアンブッシュされたら主人公様も戦闘に突入する事すら許されずにくたばるだろうさ。………ゴリラや姉御様と戦うルートだと逆に即落ち二コマな返り討ちにされてるけど。

 

「……これで何回目なのですか?僭越ながら、国道でここまで何度も何度も妖共の襲撃を受けようとは、北の土は其ほどに魔境なので……?」

 

 佳世の傍らに控える形で女中のお鶴が呻く。俺の記憶が正しければ都を出立してから二十日近い期間の間に妖共による襲撃は今回を含めて既に一八回を数えていた。俺が気付かぬ間に終結したものを含めると間違いなく二十を越えるだろう。ほぼ一日一回の計算であった。

 

「いえ、流石に北の土でも普段であればこれ程頻繁な襲撃は御座いません。何分、妖も冬の時分となると餓えるようですので」

 

 冬篭り……という訳ではないが、人間を食らう妖にとって冬はその人間の出入りが少なくなる季節であり、獲物が減る。特に北の土は雪に閉ざされるがためにその傾向が強く、多くの人々は御守りの貼られた家々から用もないのに態態出ようとしない。国道にしても等間隔で設けられた関所や宿場街、駅に屯する朝廷の兵もこの季節に雪に埋もれる道を行き来して巡回なぞしないだろう。

 

 食うべき人間がおらず、狩られる事もない妖共がそんな中で退魔士という極上の獲物を含めた何十という人間の隊列を見ればどうするかは分かりきった事だ。俺も実際にこの冬の帰郷の列に参列したのは初めてではあるが、下人衆の先達から幾度もこの時期の国道の危険性は聞いていた。……もう、誰も生きてないけど。

 

「ははは、何そう心配せずとも構いますまい!先程のように有象無象の妖共なぞ儂に掛かればこの通りですからな!もう何度も帰郷しておりますが毎年精々この道中に食われるのは下人や雑人が一人二人といった程度です。まぁまぁ、そう心配為さらず!」

 

 宇右衛門がお鶴の言葉……というよりかは心配する佳世を宥めるために景気良くそう嘯く。おう、せやな(遠い目)

 

(それはそうと………)

 

 俺はちらりと妖怪が倒れた方向を見つめると踵を返す。

 

「伴部?」

「恐らく先程妖が暴れたせいで幾らか被害が出ている筈です。そちらの救援に向かおうかと」

 

 流石に死人こそ出なかっただろうがただでさえ雪で足を取られた中で山のような雪が雪崩のごとく蹴りあげられたのだ。浅く生き埋めになった者が幾人もいるし、車の中には損傷したものもある筈だ。そちらの対処をするべきだろう。

 

「ぬ!?そのような事はせんで良いわ!貴様は命令通り牛車を………」

「良いわよ。お行きなさいな。どうせ貴方がここにいてもいなくてもここの安全性は大して変わらないでしょうしね」

 

 橘佳世の護衛のためもあって牛車に控えていた俺が行こうとするのを宇右衛門が不機嫌そうに止めようとして、しかしその命を無理矢理押し退けるようにゴリラ様は宣った。

 

「ぬぬ!?しかしな、葵よ。客人もおるのだ。万全な態勢を………」

「あら、私の手持ちの下人一人、随分と高く買っているなんて光栄だわ」

 

 宇右衛門の反発に、それを言い切る前に皮肉と嫌み満点の笑顔で言い返すゴリラ様であった。袖を隠して嗜虐的な笑みを浮かべるのは彼女が良い性格している証拠に違いない。

 

「むっ………!?」

「佳世さん、貴方も構わないわよね?」

「私が所有権を持っている訳じゃありませんので。葵様のご自由にして頂いて宜しいかと」

 

 そして宇右衛門の更なる反発の前に佳世の言質を取って反論の余地を潰すゴリラ様だった。そして止めは………。

 

「万全を、と仰るなら叔父様。そこの下人の代わりに叔父様がこの車の護衛をして下されば良いでしょうに。まさか、伴部よりも叔父様が弱いなんて事ありませんでしょう?」

 

 その意地悪な言葉を言いたかったのが全てのように俺は思えた。ここまで言われてしまえば寒がりな叔父でも面子のために無視する事は敵わない。

 

 つまりは、少なくともここで足踏みしている間だけでも宇右衛門はその挑発に乗る以外の選択肢が無いわけで………。

 

「そういう事よ。さっさと行ってらっしゃいな」

「はっ!」

 

 反論も出来ずぐぐぐと呻きながら牛車の傍らに佇む叔父を尻目にゴリラ様はそう嘯いて、俺は場の空気に耐えられず逃げるようにその場を離脱した。八つ当たりはされたくない。

 

 ……雪に足首まで埋め、若干息切れしつつも俺はそこに辿り着く。既に救助作業は始まっていて、生き埋めになった雑人や下人が次々と大根のように引き抜かれて、急いで焚いた焚き火に毛布にくるまれながら当てられていた。あるいは車軸が歪んだ馬車や牛車の修理が行われ、足を挫いた馬や牛には止めが刺されていた。

 

「孫六、大丈夫かっ!?」

 

 俺はよたよたと頭に雪を乗せながらふらつく地下水道で知己を得た雑人に向けて叫ぶ。

 

「へ、へい。俺は軽く頭に被っただけでさぁ。それよりも………毬!?」

 

 孫六はふらついた足取りで必死になって周囲を探す。そしてそれを見つけると同時に血相を変えて走り出した。妖の襲撃時の衝撃で車輪が外れた馬車から弾き飛ばされたように雪に倒れる人影………。

 

「毬!?大丈夫か毬!!?」

「早く馬車の中に戻すぞ。この風は寒すぎる。……少し待ってろ」

 

 その人影を孫六と共に馬車の中に戻すと、そのまま雪に呑まれて身体を冷やした者達が集まる焚き火に向けて走る。

 

「悪いが二、三持っていくぞ!?」

 

 焚き火の火元に積み上げられていた石を幾らか頂戴すると、それを適当な巾着袋に入れて馬車へと戻る。

 

「焼き石だ、これを懐に入れて暖を取れ。毛布は……遭難時用の予備があった筈だな………」

 

 孫六と、彼が労る相手に其々馬車内の予備の毛布と、焼き石の温石を与えて身体を温めさせる。

 

「大丈夫か?寒ければ追加で毛布でも用意するが………」

「い、いえ……大丈夫です、伴部様。私なぞ相手に御気遣い、有難う御座います………」

 

 北土の冬の寒さは余りに厳しい。ましてや「迷い家」となってもいない幌の馬車では寒風が隙間から情け容赦なく吹き込んで来る。故に俺は勧めるのだが………荷台で幾重もの布にくるまり横になるその人物は寒さに震える声で、遠慮がちにそう答えた。

 

 見るからに清楚で、内気そうに見える少女だった。十代前半だろうか?長い黒髪に、肌は不健康に白い。目は閉ざされたままであるが、仮に瞼を開いたとしてもそこにあるのは瞳孔の開ききった光を映さない濁った瞳だけであろう。

 

 鬼月家の……より正確にはゴリラ姫様の新たな下男として雇われた孫六の唯一の家族にして妹がこの少女だった。名は毬、幼い頃に事故で両目の光を失い、足も悪くして以来兄に世話されて今日までどうにか生を繋いで来た無力な少女である。先程も、馬車から落ちても目が見えず、杖がなければ立つ事すらも出来ぬために雪の上で這いずる以外何も出来なかった。

 

「遠慮するな。北の土の冬は央土なんかとは比較にならないぞ?孫六、お前も注意しておいてくれ。皹になったら辛いぞ?」

「へ、へい!兄貴、申し訳ありやせん!」

 

 俺が毛布を投げ渡せば言葉通り心底申し訳無さそうな表情を浮かべて孫六は頭を下げる。

 

(俺と関わらなきゃこんな場所まで来ないで済んだのかね?いやまぁ、今更言っても遅いが………)

 

 眼病で虚弱な妹共々長旅させないといけない孫六達に俺は何とも言えない罪悪感を覚えるが……まぁ、それはそれで地下水道で妖共があれだけ繁殖していたと思えば兄の方はいつ食われても可笑しくなかったし、兄がいなければ目が見えず歩く事も困難な妹の運命なぞ………まぁ、だからといってこの状況を全肯定するのはそれはそれで自己正当化というべきだろう。

 

「………もう少しで屋敷まで着く。それまでは我慢だな。屋敷の中は都みたいに暖かい。多分、出迎えのための飯も作っているだろうから楽しみにしておいてくれ」

「兄貴、馬車は………」

「其ほど酷い痛み様ではないからな。何処かに逃げた御者でも捕まえて一緒に直すさ。無理するな、お前はそこで妹でも看病してろ。お前自身も結構冷えただろう?」

 

 そういって俺は馬車から降りると未だに慌ただしい周囲を見渡して、妖を見た瞬間に車も荷も同乗者も捨てて逃げたであろう御者の捜索を開始した。

 

 ………隊列が再び前進を開始したのはそれから約二刻程後の事であった。

 

 

 

 

 

 央土が白木河の関を越えた先、雪と氷の世界がそのように呼ばれていた。

 

 冬が長く、凍てつく大地に険しい山脈の連なり、深く妖や獣共がさ迷う森、排外的な蝦夷共………央土とその四方の土の中でも、北土は最も人が住みにくく、厳しい自然が広がる土である。

 

 無論、それでも人は住まう。野を焼き、森を切り拓き、獣や妖を狩り、蝦夷を討ち、大地を耕し、家を建てる。古代から育つ木々は太く頑丈で木材として有望であるし、長らく人の手が伸びなかった故に山の幸と海の幸もまた豊富だ。山では幾つかの鉄山や金山も開発されている。確かに厳しい土であるが、不毛の大地ではない。

 

 北土で最も栄える街の名は白奥、朝廷の直轄地として北鎮府が置かれている街でもある。人口は十万を超える。名実共に北土の中心地だ。

 

 そしてそこから歩いて一日ないし二日程掛かるその谷にその屋敷があった。千五百人程の農民が暮らすその里を見下ろすように佇む里の規模に対して不似合いに豪勢なその屋敷はこの一帯を治める退魔士一族の屋敷である。

 

 退魔の一族の名前は鬼月、この谷……鬼月谷と同じ名であり、血縁的には谷の名前の由来となる鬼退治を為した者達の末裔に当たる由緒正しき家系であり、少なくとも鬼月谷とその周囲の村においては神に等しいだけの影響力を保持していた。

 

 そして白奥の街と別れる街道で橘商会の隊列と別れて一と半日、雪に足を掬われそうになる道を乗り越えて隊列は漸くその件の谷へと辿り着いた。

 

 目の前が真っ白……とは言わぬまでも、やはり雪が降りしきる中では視界が悪く、谷に入るとともに鬼月の屋敷の命を受けて動員された村人や雑人が手に提灯を持って道標となる。一体何時間待たされていた事か………都からの帰郷の隊列は民草らの提灯の光を頼りに里を通り抜けて、そのまま鬼月の屋敷の門構えへと辿り着く。

 

「待たれよ。屋敷に入る前に検分をする」

 

 しかし直ぐには屋敷へ入れない。屋敷に詰めていた一族の退魔士や下人等が門前で隊列を止めると隊列の者達や荷を検分し始める。荷の中に呪いの品が交ざっていたり、あるいは隊列の者が妖に掏り替わっている事態を憂慮しての事だ。

 

「主ら、見慣れぬ顔だな。知らせにあった奴らか?」

 

 孫六と、彼に背負われる形の妹を見た一族の退魔士が険しい顔付きで問う。特にゴリラ様が連れて来た新参者らは何処の馬の骨か分からぬから特に慎重に吟味する。この初老の退魔士は検分の魔瞳持ちであり、巧妙な妖の変装も注視すれば容易に見分ける事が出来た。……まぁ、碧鬼の潜入を見抜けないのは許してやって欲しい。あんな頭可笑しい奴でも格は本物なのだ。

 

「ふむ、良かろう。さっさと入るが良い」

「へ、へい………」

 

 目が見えぬ妹を抱き締めて労りながら、孫六は卑屈な笑みを浮かべつつ検分役らの横を通り抜ける。

 

「待て、そち………伝令にあった半妖だな?」

「ひ、ひゃい!!」

 

 牛車から下ろされた白は検分役にギロリと睨み付けられて怯えすくむ。何なら舌を噛んだ。ピクピクと、上目遣いで白は検分役の様子をちらりして、不安げな表情を浮かべる。もしかしたら次の瞬間に自身が退治されるのではないかと思っているのかもしれない。

 

「………姫様、困りますな。先程のもそうですが、このような半獣までも御拾いになられては。由緒ある鬼月の屋敷にこのような出自も分からぬ輩を次々と入れられては格式が下がるというもの、御留意頂きたい」

「話は終わりかしら?くどくどと言う前にさっさと入れるか入れないかを決めなさいな?」

 

 重々しく苦言を口にした検分役に対して、ゴリラ様は完全に挑発以外の何物でもない物言いで嘯いた。

 

「………そこの半妖、さっさと入るが良い」

 

 暫しの沈黙の後、検分役は黙々とした態度で短くそう命じる。白はびくりと震えながらもその言葉に従い牛車へと戻る。

 

「それで良いのよ。………じゃあ、進みなさい」

 

 そして悠然と、当然のようにゴリラ様は牛車の行者に命じる。

 

「お待ち下さいませ姫様。まだそこの下人の検分が終わっておりませぬ」

 

 検分役は牛車内にて葵の護衛として詰められていた俺の事を指してそう口にする。しかし、その言葉に対しての返答は冷たい視線だった。

 

「何?まだ私を待たせるつもり?」

「いえ、しかし…………」

「しかし?」

 

 一瞬にして周囲の温度が数度下がった。濃密な霊力の奔流が周囲に渦巻く。耐性がなければそれだけで酔ってしまうだろう程の圧迫感………。

 

「………いえ。何でも御座いません姫様。通せ」

「くすくすくす、おかえりなさい」 

 殺気すら滲ませた眼光に、検分役も遂に折れるしかなかった。目の前の気紛れな姫君の逆鱗に触れるなぞ、賢者のするべき事ではない。部下達に牛車を門に通らせるように命じる。

 

 ………そうして俺は検分される事もなく見逃される事になった。

 

「まぁ、結界くらいなら誤魔化せるでしょうけれどね。余り見識の魔瞳で深く探られたらどうなるか分からないわ」

「ふふ、やっと貴方もこっち側に来れたね?」 

 動き出す牛車の中で葵は嘯く。そして、傍らに控える俺の方に身体を傾けると、目を細めて俺の頬を閉じた扇子で軽く叩く。

 

「……もし、その下の状態を知られたら大変よね?きっとばらばらに解剖されてしまうでしょうね。もしかしたら実験材料になっちゃうかも」

「そんな事、私が許さないわ」 

 怖い事よね?と何処か態とらしく嘯く。その視線は底意地の悪い、狡猾で狂暴な肉食獣を思わせた。

 

「………姫様の寛大なお心と御気遣いに感謝申し上げます」

 

 そして、俺は答える。屈服するように、全面的に臣従するように。目の前のこの娘の気分一つで俺の命運は決まってしまうからだ。

 

「ふふ、安心なさいな。そう簡単に手放すような事はしない………あら、この気配………」

「あいつが来た」

 嗜虐的な微笑みを浮かべていた葵は、しかしその顔をしかめてそれに気付いた。

 

 次の瞬間、牛車が激しく揺れた。同時に物見窓が無理矢理抉じ開けられ、「何か」が牛車内に侵入する。

 

「これは……っ!?」

「失せなさい」

 

 俺は咄嗟に槍を手にして、侵入者と相対しようとするが、それよりも先にゴリラ様が動いた。接近してくる巨大な影は、しかし刹那に振るわれた彼女の拳を叩きつけられてそのまま牛車内の壁に衝突する。そして、この時初めて俺は侵入者の正体を視認する。

 

「龍……!」

 

 牛車の中でとぐろを巻く全身を琥珀色に輝く鱗に覆われ髭の生えた蛇のような生き物は完全に東洋の龍のそれであった。鬼月の一族が五百年以上前に調伏して、本道式として使役する、そして今は鬼月の一の姫が従える現存する数少ない式神としての本物の瑞龍……『黄曜』である。

 

「何故……こんな事……!?」

「済まないな。丁度調教中だったのだが、抑えきれずに暴走したようだ。許せ妹よ」

「嘘つき」

 俺が絶句していると背後から淡々と、異様な程に冷静な声が響いた。

 

「ちっ……!」

 

 ゴリラ様の舌打ちの声が小さく、しかしはっきりと聴こえる。俺はゆっくりと、若干緊張しつつも振り向いた。

 

 そこにいたのは男物の袴姿をした艶やかな黒髪の鬼月の一の姫……鬼月雛の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

「………これはこれは手荒い歓迎ね、御姉様?お久し振りにお顔を拝見出来て嬉しいです事」

「都での生活は随分と快適だったようだな葵?半年も見ない間に随分とふくよかになったか?」

「さて、どうでしょうね?」

「二人共死んじゃえばいいのに」

 俎板のような姉の身体を嘲るように一瞥した後、敢えて胸元を持ち上げるように腕を組んだゴリラ様であった。完全に嫌味であり、挑発だった。

 

「………っ!!」

『グルルルルル………!!』

 

 無表情に一瞬、鬼月雛は顔をしかめた。同時に怒るように唸る『黄曜』。大妖を超えて凶妖相手ですら正面からぶつかれる霊力と、神気すらも発する式神……。

 

「ひっ……!?」

 

 龍の威嚇に白は肩を竦めて怯える。怯えながら思わず尻餅をついた。俺は龍を刺激しないように極自然な動きで白の前に移動する。雛はそんな龍をぎろりと睨む。すると式神は威嚇を止めて静まった。

 

「……随分と躾のなっていない蛇ね?飼い主としての努力が足りていないのではないかしら?餌はちゃんと良い物でも上げなさいな。……どうせ幾ら食べさせても減らないでしょう」

 

 暗に自分でも食わせておけ、と罵倒する葵である。一方、姉の方はその挑発にどこ吹く風な態度だった。

 

「何、餌ならば暫くは不自由しないさ。活きの良い生き餌を幾らか捕まえたからな?」

「………?」

「あぁ。聞いていないのか?先年の末頃にな。朝廷の認可を受けて禁地の遠征をしたんだ。化物共の頭を二体討伐した次第だ。今は牛鬼共々手足をもいでこいつの餌としている」

 

 その言葉に俺は息を呑む。平然と放たれた言葉は余りにも衝撃的過ぎたからだ。凶妖を生け捕りするのすら容易ではなく、しかもそれが朝廷が禁地のものともなれば………朝廷が立ち入りを禁止している土地の妖ともなれば相当な格であろうに。

 

「その功あって、近々朝廷より官位を頂く事になっている。従六位だ。………まぁ、これは別に態態言うような事でもないな」

「………」

 

 自嘲するように薄く笑う雛に、その言葉を無言で聞く葵。その言葉が挑発なのは明らかだった。そして、雛の言葉は葵が都で上げた功績が実質全て無意味となった事を意味していた。

 

「あぁ。まだ迎えの挨拶をしてなかったな。おかえり、葵」

「此方こそ、御姉様。只今ですわ」

 

 互いに軽薄に、冷淡に、冷酷にそのように挨拶をした。当然の事ながら、そこには肉親に向ける情は欠片として感じる事は出来なかった。目を細め、互いに相手を睨み付ける。ただでさえ密室に龍がいるせいで霊力が濃密になっている所に、一流の退魔士があからさまに敵意を向けあっているのだ。場の緊張は極限まで達し、そして………。

 

「……邪魔したな。そろそろ私は失礼させてもらう」

 

 雛が踵を返すとともにその圧迫感は霧散した。龍はとぐろを巻いてゆっくりと物見窓から出ていく。

 

「っ……!?はぁ……はぁ………」

 

 俺は思わず倒れそうになりふらつくのをどうにか耐えきった。余りの緊張感からか呼吸を忘れていたようで、今更ながら荒く深呼吸する。

 

「伴部さん………!?」

「だ、大丈夫だ。問題ない………」

「無理しないで良いのに」

 背後の白が心配そうに此方を見るが、俺は面越しに笑みを浮かべて彼女を安心させる。まだ、こんな虚勢を張るだけの余裕が、俺にはあった。そう、まだこの時点では。

 

「あぁ……忘れていた。先日、下人衆の允職の者が死んでな。相応の人材が残っていなくて次の任命を誰にするか決めかねていた所だったんだ。………伴部、実績と実力からして貴様を推薦しておいたぞ。努々、務める事だ」

「はっ………?」

 

 淡々とした、事実の報告のような雛の言葉に、しかし俺は絶句していた。それは驚愕であり、同時に絶望であった。

 

 昇進が事実上内定した事に対して、鬼月家やその縁者が就く頭と助を除けば実質下人衆の筆頭格となった事に対して、その知らせを聞いた所で俺は少しも嬉しくなかった。

 

 何故ならば、それは今の下人衆の状況の深刻さを証明するだけの事でしかなかったのだから………。

 

 

 

 

 

 

 上洛していた一行が屋敷に帰郷した次の日の事である。屋敷と谷間から半刻程離れたその山に俺は登っていた。背中に荷を背負った俺は雪空の下積もる雪を掻き分けてその小山を登る。

 

「…………」

 

 自分でも屋敷に帰った直後にこんな所を登るのも馬鹿馬鹿しいとは思ってはいた。しかし………帰りの道中で見た空模様からして明日には今日とは比較にならぬ程の雪嵐になるのは大体予想が出来ていた。そして、それが何日にも渡って続くだろう事も………ならば多少無理をしてでも今日帰ってから直ぐにあの場所に出向いた方が良かった。先日の知らせも可能な限り急いでここを登ろうとした理由だ。任命を受ける前にどうしてもここに来たかった。

 

「はぁ……はぁ………もうすぐ、だな」

 

 一旦止まり寒さに悴み白い息を吐き休憩する俺は、しかし直ぐに山道を登るのを再開する。石造りの階段を一段一段と上り、其ほど時間は掛からずに漸く俺はそこに辿り着いた。

 

 小山の山頂部……そこに広がるのは粗末な墓石の連なりだった。鬼月の家の者も、里の村人達も滅多に寄り付かぬような墓所………。

 

「糞っ!!ここの階段きついなぁ………荷物背負いながらだと余計エグいな」

「大変なら登らなきゃ良いのに」

 ぜいぜいと、俺は舌打ちする。舌打ちしながら呼吸を整えると愚痴もそこそこにやるべき事を始める。流石に日が落ちるとこの雪である。油断すると遭難からの凍死もあり得なくはない。さてさてまずは………。

 

「えっと、八尋の奴は………あぁ、これだな。お前さんにはこいつをやるよ」

 

 八尋の墓を見つけると、その前に幾枚かの煎餅を置いてやる。確かあいつは醤油味のものが好きだった筈だ。

 

「平群はあられに、丙は……確か金平糖だよな?高いから少しだけしかねぇが我慢しろよ?」

「後でつまみ食いしよ♪」

 俺は荷を下ろすとその中から部下だった馴染みの墓に其々の好物を供えてやる。特に丙の奴は昔幸運にも一度だけ食った金平糖に夢中になり、事あるごとにまた食いたいとぼやいていた筈だ。

 

 宵は水飴を、癸は焼き栗、鹿江の墓前にはきな粉餅を置いてやって、連銭にはどういう訳か良く口にしていた味もしない煮干魚を、柳の好物は……干し柿だったか?間違ってたら済まねぇ。

 

「まぁ、そもそもこの下に埋まってねぇ奴らも多いんだけどな?」

 

 死体が見つからない奴、あるいはあっても腐るのでここまで運ばず現地で処理したものも少なくない。空っぽの墓なので本当に意味があるのかどうか………そうでなくても全員が親しかった訳でもなし、そもそも俺が来る前や来て直ぐにくたばった奴らも多い。そんな場合は適当な物を供えている。

 

「にしても管理が適当だなぁ。雪で埋まって潰れてるのまでありやがる」

 

 そもそも下人の墓なんて管理しても仕方無い代物であるし、唯一極たまに来てくれる里の僧侶も死にかけのじいさんなので無理はさせられない。なのでこういう時は俺が雪掻きしてやるしかない。

 

 粗方の墓に積もっていた雪を払い捨て、俺は最後にその墓に立ち寄る。乱雑に立てられた墓石の一つに俺は立ち止まるとしゃがみこんだ。

 

「久し振りですね。元気にしていましたか………って言うのは可笑しいよなぁ。もうおっ死んでいるからなぁ」

「未練がましい」

 良く良く考えれば死んでる奴相手にとてつもなく不似合いな物言いだと思い苦笑する。苦笑して、俺は現状報告するように呟き始める。

 

「遅くなったのはすみません。何せ行く前にも伝えましたが都でしたので。……えぇ。あの姫様のご指名ですよ。いやぁ、全く困ったものです。あっちでは散々でした。何度死にかけた事か」

「貴方がいけないんだよ?」

 何時もならば盆には一度顔を見せているのに、今年はそれがなかった事について言い訳を加えながら俺は挨拶する。挨拶しながら都での散々な経験についてぼやく。いやマジ、狐の事とか覚悟してたけど色々斜め上だったわ。あんなに死にかけるとか聞いてないんですけど?

 

「……まぁ、そんなこんなで俺の方は色々と問題はありますが、一応五体満足で生きてはいますよ。全く幸運な事です」

「そうかなぁ?本当にそう思う?」

 それこそ俺よりずっと強かったこの先輩ですら全身ボロボロの傷だらけで指を数本も失っていたのだ。それに比べれば自身が五体満足で指の欠損すらない事がどれだけ運が良い事か。

 

 まぁ、そんな事は今は脇に置いておいて……。

 

「さて、先ずは差し入れにこいつでも」

 

 一方的にそう言って俺は荷の中からそれを出す。都の商店で手に入れた質の悪い安物の清酒だ。

 

「とは言え品質が悪いって言っても都で正規に売ってる物ですからね。下の里の路地裏で出回るような代物なんかよりかはずっとマシな筈ですよ」

 

 軽口のように、冗談めかすように俺は自己弁護する。まぁ、どの道あの人なら俺の話なんて無視して酒瓶ふんだくって勝手にらっぱ飲みしてそうではある。糞みたいなこの世界における現実逃避みたいな一面があったが……本当に酒にだけは目がない人だったからなぁ。 

 

「そんな訳です。折角の後輩の奢りなんですから、駄々こねずに頂いて下さいよ?」

 

 そんな事を嘯きながら俺は墓前に酒瓶を置く。返事はない。そんな事は分かっていた。別に期待していなかった。所詮は自分を納得させるための儀式に過ぎないのだから。

 

 自分の無力感を、罪悪感を誤魔化すためのものに過ぎないのだから………。

 

「………允職に任じられていた白戸の兄貴が死にました。どうにか重傷で生きてたらしいですが七日七晩苦しみ抜いて………ほんの数日前の事らしいです」

 

 そして俺は義務感のように報告する。目の前の墓前の相手にそれを伝えるのは余りに当然の事のように俺には思えたから。

 

「貴女が死んでからもう四年です。先輩方はもう殆んど生きてません。笑えませんよ。この俺が允職に任じられるそうですよ?」

 

 あの人がいた頃には想像もしてなかった事だ。あの頃はまだ俺は漸く半人前を卒業したばかりであり、俺よりも経験豊かな先輩下人は幾らでもいたというのに。まさかそれがこんな………。

 

「せめて貴女が生きていれば………今更言っても仕方ありませんがね」

「そんな顔しないでよ」

 そうだ。あの人がいればこんな事にはならなかった。こんな椅子が俺に回って来る事もなかった。いや、それ以前の問題として、そもそも俺がいなければ誰も………それこそあの人だって…………!!

 

「………はは。きっと、今の俺の姿なんか見たら拳骨物だろうな」

「そんな風に笑わないでよ」

 俺は笑う。悲惨な顔になりながら乾いた笑いを漏らす。きっと、あの人ならば俺の頭を殴ってこう言った筈だ。「ウジウジ泣くな。皆のために自分の役目を果たせ」と。

 

 実際彼女はその言葉を自分自身で体現していた。一人でも多くの仲間が生き残れるように糞みたいな環境で必死にもがき、足掻き、抗った。恨む事も、憎む事も、妬む事もなく、ただがむしゃらにやれる事をやった。俺も下人に落とされて右も左も分からぬ時に世話になって以来、面倒見られっぱなしだった。

 

 そして、そんな善良な彼女もまた運命には逆らえなかった。あの忌々しい、鬼月葵の、鬼月一族の陰謀に一緒に巻き込まれて、遂には俺のせいでその命を、そして………。

 

「っ………!?」

 

 ズキン、と鈍い痛みが頭に走って俺は顔をしかめる。

 

「糞っ……忘れて良いような話じゃないんだけどな」

「忘れてよ。私だけを見てよ」

 最後の最後にドジをやったのだったか?大怪我を負ったせいであの時の記憶は所々で朧気になってしまう。お陰様であの人の最期も何処か曖昧で、その記憶の歯抜けは先日の一件で頭が吹き飛び、化物になる体験をした事で一層悪化した事に気付いたのは少し時間が経ってからの事だ。

 

 自身が人から離れていく事や、人格が歪んでいる事もおぞましかったが……その事実が一番悔しくて、恐ろしくて、悲しかった。

 

「…………糞」

 

 白い雪が降り積もっていく墓場で、俺は座り込むとうずくまりながら小さくそう毒付いた。頭の中によぎるのは不安であり、恐怖であり、罪悪感であり、寂しさであり、孤独感で………。

 

「う…うぅ……うぅぅ…………」

「………」

 ………残念ながら、暫くはこの場を離れる事は出来そうになかった。

 

 

 

 俺が下人衆允の地位に任じられたのはそれから一月後の事であった………。




・ちょっとした補足 
 龍が突っ込んだのはあわよくば主人公を拉致ろうとしたため、失敗したので次善策の允任命で主人公を危険な任務から、あわよくばゴリラ様から引き離そうという卑劣な策略

 因みに誰のせいとは言いませんが本作世界線では原作ゲーム中よりも下人の消耗率が高く、全体的に練度は低下しつつある模様。

 最後の墓は前々代下人衆允(下人衆の第三位、下人から出世出来る最高位)の墓。下人衆に落ちた主人公の面倒を見て、武器の選択や心構え等主人公が今日まで生き残れた様々な要因を身に付けさせてくれた聖人にして恩人、しかも他の奴らと違い拗らせていない模様。ゴリラ様トラウマイベントに主人公と巻き込まれて死亡。









 尚、死因は主人公に首を絞められての絞殺です。

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