和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

54 / 136
 貫咲賢希さんが本作の一~三話まで漫画で書いて頂けたのでご紹介します。エイプリルフールだけど嘘じゃないよ?

https://www.pixiv.net/artworks/88830797


第四八話●

 霊脈の真上に築かれ、北土全域と街の行政を司る政務所でもあり、幾十の城壁と水堀空堀で守られた軍事的な要塞でもある白奥城より少し離れた場所にそれはあった。

 

 北土最大の街である白奥の中心部、その繁華街………豪商らが店を構えて北土中の、そしてそれ以外の土地から運ばれた様々な商品が溢れんばかりに並べられた通りにおいても、人一倍その店は目立っていた。

 

「おい……一応聞くがあのキテレツな館が件の目的地なのか?」

「不満か?」

「いや………別にそういう訳ではないけどよぅ………」

 

 口では言いつつも抵抗感がありありと見える表情を浮かべる少年に、俺は面の下から苦笑する。まぁ、木材の日本建築が基本なこの国でこの館は確かにキテレツで抵抗感はあるだろう……そんな事を思いつつ俺は正面に鎮座する館を再度見やった。

 

 窓硝子に赤煉瓦製の、前世で言えばロシア建築でも思わせるような南蛮風の商館………しかし、それは決して見栄のためだけではなかった。

 

 断熱性と耐火性に優れた煉瓦は唯でさえ木造建築が多い扶桑国で、しかも厳しい厳冬と吹雪から室内でのボヤ火になり易い北邦の街には寧ろ向いていた。煉瓦の赤色は材料に鉄が多く含まれている証明で、それは近隣の鉄山から採掘時に出てきた土砂を流用している事を意味していた。木材が豊富な北土では煉瓦作りに必要な薪は比較的仕入れやすい。ある意味でこの商館は予想以上に合理主義的な背景をその背後に持っていたのだ。

 

「さて、何時までも立ち話もなんだからな。行くぞ」

「あ、あぁ………」

 

 俺がそう言えば白若丸に選択の余地はない。彼の乗る馬の手綱は俺が握っているからだった。俺達は商館に向けて歩み出した。

 

 用心棒が入場者を監視する橘商会北土支店正面玄関まで来た所で俺達は商館の職員に止められた。そこで此方の所属と目的を伝えれば直ぐに俺は待合室へと通される。

 

「失礼、馬と付き添いの方は彼方へ。雑人が馬屋まで案内致します。礼物に関しては此方で御運び致しますのでご安心下さい」

 

 応対として来た袴姿の受付嬢がにこりと答える。それに従うように人足が駄馬に背負わせていた荷を手押し車に載せていった。

 

「こいつを連れてはいけんか?」

「失礼ながら先日使者としての使いは一人までとなりましたので………」

 

 大変済まなそうに受付嬢は答える。いきなりの決定だったのだろう。受付嬢も困惑し、恐縮する。

 

 しかしながらそれがある種の感染予防である事にこの時点で俺は気付いていた。どうやら上の方は事情を把握しているようだが下っぱにはまだ極秘のようだった。

 

「………分かった。白若丸、少し待っていてくれ。出来るな?」

「はっ!別に逃げたりはしねぇよ。……どうせ逃げたら死ぬだろうしな」

 

 俺の頼みに皮肉気味に答える少年。多くの下人が逃亡防止用に呪いを掛けられているが、どうやら立場がはっきりしない彼もまた同様らしかった。これが家人となれば恐らく解呪はされるのだろうが………。

 

「……」

 

 掛けるべき言葉もなく、俺は案内の受付嬢と人足と共に控え室へと向かった………。

 

 

 

 

 

「此方で少々お待ち下さいませ」

 

 その言葉と共に厚い杉の扉は閉められた。人足が運んできた礼物と共に俺は控え室に取り残される。

 

「さて、流石に座るくらいは許されるよな?」

 

 正直結構足が疲れていたので俺は控え室のソファーに腰掛ける。そして室内を一瞥する。

 

 パチパチと暖炉では薪が焼けていた。断熱性のある壁紙が貼られ、天井にはシャンデリアがきらきらと輝く。壁には舶来品の油絵が飾られていて、足下には緋色の絨毯が広がる。

 

 暖色で統一された南蛮風味の調度と内装、しかしその一方で和風の内装も見られた。蒔絵の屏風に油絵の横に飾られていたのは鞘を漆と金箔で彩られた数本の刀に扇子だった。黒壇の階段箪笥は螺鈿で色鮮やかに飾られていた。水棚は硝子越しに陶器の皿が納められていて、高級そうな白磁器の壺に、大物の孔雀石を削りとって作られた鳥の置物………。

 

「随分とまぁ、大仰なもので」

 

 和洋混在しながらもそこには雑然としておらず確かな調和があった。和洋折衷とでも言うべきか。まるで明治か大正時代にでも来たみたいな珍妙な感覚に囚われた。あるいは当時の人間も同じような感覚を味わったのかも知れない。

 

「物の良し悪しは分からんが、どれも高価なんだろうなぁ」

 

 当たり前だろうが俺の買い取り価格よりも高いだろう。これ売ったらその金で自分を買い取れるんじゃないか?

 

「欲しいのでしたら二、三程お土産に見繕いましょうか?」

 

 ふと、調度品の数々を吟味していると鈴の音色のような綺麗な、それでいて幼い声が響いた。聞き覚えのある利発で可愛らしい声だった。

 

 首を声のした先に向けて、次いで俺は立ち上がり頭を下げる。立場からして俺なんぞが座って相手を迎えるのは非礼だった。

 

「………御意地の悪い。せめて扉を叩いてから御入り下さい」

 

 頭を上げた俺が目にしたのは悪戯っ娘のような微笑みを浮かべた見知った金髪の少女だった。

 

 

 

 

 

 

 北土の産物と言えば都では毛皮に木材、鉄に砂金、昆布に鮭、鰊、氷である。見ての通りどれもこれも所謂一次生産物でしかない。需要は高いが付加価値なぞ殆どない商品であり、北土であれば何処でも取れるような物ばかりと言えた。

 

 橘商会が、そして橘佳世がこの一年余りの間に行った事の一つには産業の多極化と独自化が挙げられた。前者は生産物の種類の増加であり、後者は名産品の開発である。

 

 紅花と林檎、琥珀が北土の新たな産物として芽吹きつつある。態態佳世が高い金を使って都や舶来の農学者や地学者を呼び寄せて気候や地質から北土に合った農産物を選び、有望な鉱脈を探し出した結果である。無論、まだまだ発展途上ではあるが同時に期待も大きい。

 

 独自化の要は工業化であった。完全にではなくとも基本的には一次生産品を輸出して都や他の土より工業製品を輸入していた北土であるが、一部とは言えそれを改めて自給せんと試みた。

 

 鉄山や金山が多くある事から鉄製品や金細工の自給、ひいてはその輸出を始めていた。品質という面では未だに都に見劣りはするが………それでも庶民向けに限定すれば値段の安さもあって地元での需要は着実に延びていた。態態北土から都に鉄を運び、加工して北土に輸入するよりもその方が遥かに安い。

 

 より将来が期待出来るのは機織物等の繊維業であろう。北土の厳しい冬は多くの者達が家に引きこもる。そこを狙って機織り機と原料を無償で貸し出して機織りさせ、完成品を買い取るのだ。副業なので出来高に合わせて安く買え、工場を造らなくて良いのが魅力だった。所謂家内制手工業というものだ。

 

 一年余りという短期間でありその効果は未だ限定的ではあるものの、その将来性は明るく、商会に少なからずの利益をもたらした事は否定出来ない。そしてそれが例え周囲の支援があったとしても十を少し過ぎた程度の少女が立案し、推進し、成功させた事実は変わらない。

 

 故に橘佳世に対しての商会北土支店の者達の評価は既に「親の七光りで要職に就いた苦労知らずの我が儘娘」から「七光りはあれど特筆するべき商才のある若き才媛」に変わっていた。それはつまり北土支店に勤める商人達が佳世を大なり小なり認めたという事である。

 

 こうして短期間の内に利益と発言力を得た橘商会の次期商会長候補である。あるのだが………。

 

「伴部さん、お飲物は何にされますか?緑茶に紅茶、ああ、烏龍茶もありますよ?御好みはどれですか?」

 

 黒壇の円卓に置かれた茶器に触れながらその当人たる橘佳世は嘯く。丁度成長期だからか以前見た時よりも背が高く、その身体はしなやかに曲線を帯びていた。醸し出す大人びた雰囲気……この年頃は少し目を離しただけで驚く程如実に成長するものである。

 

 まあ、それはそれとして…………。

 

「何故お茶会を?」

「?伴部さんはお茶はお嫌いですか?でしたら珈琲もありますけれど………」

「いえ、そういう事ではなくてですね?」

 

 当然のように、そして手慣れたように円卓の上で茶を煎じる橘家の御令嬢に俺は待ったをかける。

 

「………僭越ながら、持て成しには客人相応の格式というものがあります。残念ながら私めに対して御自身でお茶を煎じるのは歓待側からすれば軽挙かと」

 

 俺は面の下から部屋の端で余り愉快そうでない視線を向ける女中らを確認してから答える。

 

 豪商は無論、公家にしろ大名家にしろ、退魔士家にしろ、主人が自ら持て成すのは最大級の誠意を意味する。目上か、あるいは同等の相手に対してならば可笑しくないが少なくとも允職とは言え下人相手に行うのは相応しくなかった。所詮下人は下人であり、雇われどころか隷属する立場に過ぎないのだ。

 

「………皆さん、退席して下さいな」

「っ……!?お、御嬢様!?それは……!!」

 

 俺の懸念と心配を察した佳世は殆ど反射的にそう命じたように思える。慌てて佳世に何か言おうとする女中達に、しかし佳世は叩きかけるように言葉を放つ。

 

「ここは屋敷ではなくて商館で、今は勤務時間で、客人の前でもあります。御嬢様ではなく副商館長と呼びなさい」

「っ……!?」

 

 責めるような佳世の鋭い言に気圧される女中達。そして、佳世は更に命令を続ける。

 

「今から鬼月の使者と秘密のお話をします。機密を守るためにも部外者は退出して下さい」

「で、ですが……!!」

「これは私的な御願いじゃありません。業務命令ですよ?………上司の命令を聞けない労働者は解雇しちゃいましょうか?」

 

 にこり、と佳世は可愛らしく微笑みながら宣う。しかしながらその声音は明らかに友好的なものとは程遠かった。それは強制であり、強要であり、脅迫であった。

 

「っ……!?し、承知致しました……!!」

 

 そそくさと、怯えながら退出する女中達。俺と佳世はそんな彼女らを無言で見送る。

 

「………御嬢様、余り下の者を脅迫するのは宜しくないと存じますが?他者の悪感情を態態集める必要はないのでは?」

「あれくらいで根に持つ方の忠誠心なんてたかが知れていますよ。鶴なら平気で言い返して来るでしょうし、それくらい肝が据わっていましたら信頼は出来るのですけれどね」

 

 事態の推移を見守っていた俺の諫言に対して佳世は苦笑するような、困るような表情を浮かべる。………先年の親族が仕出かした一件以来、この娘は何処か人間不信な所があるように思われた。いや、確かに親戚に娼婦落ちさせられる寸前だった事考えればこうもなろうか。

 

 とは言えあの女中らにとっては常識を言っただけで脅迫紛いなパワハラを受けたようなもの。理不尽な事この上なくて気の毒ではあるが……まぁ、この世界では労働三権なんてないからね、仕方無いね。

 

 …………糞、何か自分の職場を自虐している気分になっているな。悲しくなってきたぞ。

 

「………して、御嬢様の信頼出来るお鶴の婆さんは何処におられるので?」

「この場にいてもらったら口五月蝿そうなので、ご訪問を知られる前に適当な我が儘を言って買い物にいって貰いました」

「それはまた………」

 

 人生五十年なこの世界で年寄り相手になんて仕打ちである。というかそれ私的な命令だよな?さっきと言ってる事微妙に違くね?いや、どの道パワハラだけども。

 

「むっ、だって折角初デートの相手兼恩人の方が来て下さったんですよ?ちゃんと持て成したいじゃないですか!鶴がいたら口煩くあれこれ横槍入れて来て雰囲気台無しになっちゃいますよ!それとも、伴部さんはそれでも宜しいので!?後折角二人なんですから他人行儀は止めて下さいな!」

 

 俺の指摘に対して頬を膨らませて拗ねるように佳世が答える。その姿は年相応の子供で、到底利に目敏い商人には思えない。

 

「私個人の感情は兎も角、御嬢様は……失礼、問題は後で佳世があれこれ言われる事なのですよ?」

 

 俺は途中で佳世のジト目の非難に呼び方を訂正して、しかし忠告する。幾ら商才あろうと子供なので仕方無いが目先の欲求にばかり優先するのは宜しい筈もない。

 

「伴部さんは直ぐそう言いますね。冷たくて悲しいです」

「御嬢様、余り人をからかうのはおやめ下さい。嘘泣きなのは分かりますよ?」

 

 うえんうえんと、あからさまに嘘泣きの真似をするので俺は溜め息交じりにそう頼み込む。恐らく面越しにも分かるだろう呆れ具合だった。

 

「……えへへ、バレちゃいますか?」

 

 俺の態度と言葉に先程まで嘘泣きしていた少女は豹変するように笑い始める。そりゃああんなあからさまな嘘泣きなんてしてもバレるだろうよ。

 

(やれやれ、世話の焼ける………)

 

 やはり我が儘御嬢様である。しかしながら嫌悪出来ないのはその境遇に同情している事もあるが……子供っぽい我が儘な所と何処か甘えるような仕草が弟妹を思い起こさせるからかも知れない。

 

(とは言え、互いに立場があるからな。色々思うところはあれど線引きは大事だな)

 

 親しき仲にも礼儀あり、という事だ。ましてや俺と彼女の関係はそんなに深いものとは言えない。都での一連の出来事はある意味濃厚な経験を共にしたと言えるのは確かであるが、誉められる類いの経験ではないのも事実だ。

 

 故に俺はこの機会に改めて使者としての役割を演じる事にする。はぁ、と溜め息をついてから俺は彼女に向けて報告する。

 

「我が主君、鬼月の二の姫よりの御言葉で御座います。先日贈られた進物、大変感謝致すと。そして今後とも変わらぬ友誼を望むと共に謝意の印として此度は返礼の品を贈るとの事であります」

 

 そして先程から傍らにずっと置いてあった手押し車に積まれた荷を一瞥する。中身については事前に聞いていた。

 

 鬼月谷村で着色料として伝統的に作られるのは植物の根から絞り出した汁を使った鮮やかな紫と茜の色だ。絹布をそれで染め上げるは色艶豊かな鬼月谷紫茜根染である。それを凡そ三帖。それに豊かな自然で春の若芽を食らって肥え太った白貂の毛皮が十枚、射止めた妖共が牙を切り落とし、象牙の如く彫刻を施した置物が数点に、最後は鬼月の家で従える龍が十年に一度脱皮の度に落とす鱗を削って作り上げる櫛や首飾り等小道具が幾つか……それがゴリラ様が佳世のために取り揃えた品の全てである。

 

「これはまた……大変素晴らしい贈り物ですね」

 

 荷からほどいて差し出した返礼物に対して、佳世の言葉は世辞半分本音半分といった所であった。扶桑国の国内外で商いする商会の娘である。珍品名品ならば飽きる程見てきただろう。鬼月家は地主としても富豪であるが、同時に一地方に根を張る豪族に過ぎない。地元の特産品なぞたかが知れている。目の肥えた彼女にとって貂の毛皮や彫刻程度は珍しくもなかろう。

 

 それでも染め物と龍の鱗を使った小道具類は魅力的に思えただろう。特に龍なぞ今やこの国で実存するものは本当に少ない。その中でも黄金色の鱗を身に纏う金耀のそれは、まるで鼈甲のように鮮やかで、しかもその一枚一枚が極めて硬く、厄除けの力が宿っている。脱皮が十年に一度であり流通量が少ない事、その半分近くが朝廷に献上する事になっている事、その加工の難しさもあって幾ら佳世でも瞠目せざるを得ないようであった。

 

「お喜び頂ければ姫様も満足致しましょう。今後とも鬼月と姫様、共に宜しくお願い致します」

 

 龍鱗の櫛を鑑定するように手にとって見つめる佳世に向けて俺は恭しく頭を下げて宣う。

 

「ふふふ、別にそこまで気を使って頂かなくて良いのですよ?」

「いえ、商会のご厚意には非常に助けられます。先日の依頼の際にも、商会から調達した道具類にはとても助けられました」

 

 それは世辞ではない。先日の依頼の際に餓者髑髏を捕らえた縄と鉄鎖は橘商会を通じて都から仕入れた上等品だ。あれが自前で用意したものであればあれほど上手く捕らえきれたか怪しい。

 

「大袈裟にも思えますが、お役に立てたのでしたら幸いです。態態仕入れた甲斐があるというものですね。………それで、此度は一体何を御所望なので?」

 

 贈り物の櫛を髪に挿した後、極自然な所作で両手を重ねて頬を乗せ、首を傾げてあざとく笑みを浮かべた佳世は……しかし、直ぐにその目を細めて俺に探りを入れるように宣った。一瞬にしていたいけな少女から抜け目なき商い人にその雰囲気が一変する………。

 

「………これはこれは、随分と耳が早い事で」

 

 受付対応の時点で察していたが……やはり、か。

 

「商人にとって情報は一番大切な資産ですから。………そうでなくても、普通に業務していれば分かりますよ。朝廷が郡を丸々封鎖するとなると考えられる事例は限られますから」

 

 俺の上げた驚きと感嘆の声に対して何処か自慢するように、しかし同時に事の大きさに緊張するように佳世は答える。彼女もまた、今回の事案の厄介具合を理解しているようであった。

 

「………既に北土長官より此方へも内々にお話が来ております。河童、ですか。橘の商会以外にも見境なしに商人らに声をかけて武器と傭兵をかき集めようとしている様子です」

「そこまで分かっているのでしたら話が早い。鬼月の一族から商会に注文が………とは言え、説明は不要にはなりましたが注文するには一足遅かったですね」

 

 恐らくは既に朝廷から相当の大口注文が届いている筈だ。もしかしたら北土の大名家や他所の退魔士家からも………そんな中でどれだけの注文を鬼月家に回せるかと言えば到底………。

 

「御安心下さいな」

 

 そんな俺の内心の心配と諦めを読むように佳世は宣った。にっこりと、俺の焦りと心配を払拭するように笑顔でもって、答える。その意外な返答に俺は面越しにまんじりと彼女の顔を見つめていた。

 

「御心配は無用ですわ。鬼月の二の姫様にはこれまでの投資分がありますから。使者の伴部さんにも、その御主人にも恥をかかせる積もりはありません。ちゃんと御注文品は取り揃えますのでどうぞ御安心下さい」

 

 そして、佳世は口元を吊り上げて笑った。幼い表情を妖艶に、艶かしく歪めて。そして、俺に言付ける。意味深げに、囁く。

 

「されば、姫様にどうぞ良く良くお伝え下さいまし。その悲願成就の暁には、どうぞ私に分け前を下さりますように、と。……お願いしますね?」

 

 俺に一歩近づいて佳世の呟いた言葉は幼げで、愛らしく、しかし何処までも蠱惑的で、甘ったるく、まるで聞くものを惑わせる魔性の魅力を放っているようにも思えた………。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーー

 

 朝廷から公式にその地位を認められる退魔士家と、モグリのそれとの差異は何か?それは幾つも要因はあるが、最大の差異は朝廷の課す幾つもの服務に耐えうるかどうかであろう。

 

 定期的な都への上洛と守護の義務はその代表例である。各家ごとに定められた数の人員を都に派遣する……それだけならば容易に思えるかも知れないが、実際は何か功績を立てぬ事には朝廷は謝礼なぞしない。実質的には雑人等を含めた数十人もの人手を半年間物価の高い都にて無給にて食わせるだけの財力が退魔士家には求められた。当然ながら必要な金は相当な大金である。

 

 今一つの代表的な義務は国元の守護である。朝廷の地方行政は最小単位として「村」があり、それを複数纏めて地元の名主が治める「郷」、それを更に複数纏めて以降は朝廷の役人から任命されて郡司の治める「郡」、そして邦司の治める「邦」、帝より直々に任命された長官の監督する「土」と昇格していく。

 

 一つの退魔士一族・一門は最低でも自分達が根差す土地を含む一個の「郡」における妖に関わる全ての事柄に対する責任を請け負う。それは家の格式と規模によって肥大化し、例えば西土の名門たる赤穂家や龍禅寺家ともなると一郡どころか一邦全域における妖退治に霊脈の管理と儀式、モグリの退魔士や呪術士・呪具の摘発、更には周辺地域の他の退魔士家の監督まで求められる。

 

 当然ながらその義務を果たすためには一族における退魔士の質量を十全に整え、莫大な費用を捻出し、更には指導力すらも求められる事になる。ぽっと出の、しかもその多くは無学で下層の出の一代二代の退魔士らには到底不可能な所業だ。

 

 扶桑国が北土白銀邦の六郡が内四郡の守護を朝廷より任じられている鬼月家は一族の退魔士三八名、家人一一名に及ぶ大所帯である。これは北土の退魔士家としては三本の指に入る規模だ。その上下人衆や隠行衆等の各衆も相当な数を揃え、財力に至っては鬼月谷村を含む複数の郷の実質的な支配者として年貢を徴収しておりかなりの蓄えがある。正に北土の名門退魔家と呼んで間違いない。

 

 そして、そんな鬼月家ですら、此度の案件に関しては一切の予断を許さず、ましてや悠然と対応する事は許されないようである、と鬼月家の長老格にして相談役たる鬼月胡蝶は上座にて脇息に凭れながらぼんやりと考えた。考えた上でふぅ、と煙管から煙を吸うと甘い吐息を吐き出した。

 

 白い肌の肩が見える鮮やかな和装に豪奢な簪、口元には紅と、まるで高級花魁のような出で立ち………その外見の若々しさと美貌も相まってその実年齢が信じられないような芳醇な色香を醸し出す彼女は暫し漂わせていた視線を倦怠気に正面へと移す。

 

 鬼月の一族の屋敷、その本殿にて一族の退魔士のほぼ全員に一部の家人が参集していた。その上で彼らの大半の表情は硬い。それだけ此度の案件は厄介事であったためだ。

 

「して、奴らの動向はどうなのですかな、宇右衛門殿?」

 

 参列者の一人が恐る恐ると尋ねる。その表情には明らかな嫌悪感があった。さもありなん。これから語られる存在はそれだけ人界にて忌避される存在であったから。

 

「隠行衆の者を二人、調査のために送り込んだ」

「………して、結果は?」

 

 鬼月の一族に属する一人の退魔士が尋ねる。宇右衛門は険しい表情を浮かべ答えた。

 

「三日の内に戻ったのは一人じゃった。其奴は要項に基づき処分した」

 

 何処か義務的な、淡々とした言葉に参列者達がざわめく。それはある種の驚愕からであった。

 

「話には聞いていたがまさか本当に………」

「南土の奴らめが言っていたのは本当だったな」

「真に恐ろしき事よ………」

 

 一度に百の妖を皆殺しにして、大妖数体を纏めて殺害する事も出来るような鬼月の第一線の退魔士らが顔を強張らせて囁き合うのは決して臆病風に吹かれたためではない。それ相応の理由がある。それだけ河童という妖は退魔士達に恐れられていた。そして嫌悪されていた。

 

「…………」

 

 その一方で、席の隅にて参列する若い銀髪の退魔士の少女はその言にそわそわと、焦燥するような表情を浮かべていた。更にその傍らで胡座をかく青年は不機嫌そうな態度で小さく舌打ちする。

 

 凶妖『河童』……その名を冠する妖は、実の所個々の戦闘能力としての脅威はそこまでではない。様々な階層があるものの、大抵の場合は精々が上位の小妖から平均的な中妖程度であろう。

 

 河童の恐ろしさの一つとして、まずは霊力が効かぬ点が挙げられよう。奴らは霊力による攻撃……より正確には霊力で作り出した風の刃や炎の海といったものに対して完全な耐性を有していた。霊力による筋力強化による物理的な殴打や刀による直接の斬撃は有効であるが、それだけの事である。霊力による遠方からの多人数対象の攻撃手段は、その大半が無効化されてしまっている。

 

 更に言えばその繁殖力も凄まじい。奴らは男も女も犯して同胞を孕ませる事が出来るばかりか犯される本人すらも同族に変えてしまう。

 

 ましてや彼らの中には潜伏個体というものすらあった。これは河童でありながらその外面は人間そのものという厄介なもので、しかも中には自身が河童であると無自覚な者すらいるのが一層質が悪い。主に体液を通じた接触で次々と人間を同じ河童にして、気付けば南土の街が丸々一つ河童の巣になっていたなんて事例もある。

 

 ………その特徴から、ある意味河童という妖はある種の病に似ているかも知れない。また陰陽寮では河童という妖がある種の念話能力を持って蟻のような社会的習性と知性の存在が観察出来る事からも個々ではなくその集団で一つの妖と見るべきだと提言している。何れにせよ、妖の中でもかなり特殊な存在であるのは間違いない。

 

 尚、南土の街での大流行の際には朝廷が大軍を動員し、文字通り街を包囲して最後の一人まで、当時の将軍の「四殺三滅要項」の下、七日七晩かけて人間も河童も問わず虐殺し尽くして事態を終息させた。今でこそ河童対策に判別方法が……無数の人体実験の果てに……確立しているものの、当時はそんなものはなく唯人と人に欺瞞した河童の区別がつかなかったのだ。しかも掃討する側も幾人も感染し、味方に処分されている。虐殺を命じた将軍に至っては作戦中に自身も感染したと確信した瞬間に部下達に同じ事態になれば手本とするように命じた上で自ら切腹して果てた。

 

 この二点だけ切り取っても河童という妖の厄介具合は容易に想像出来よう。退魔士は圧倒的に少数精鋭であるにもかかわらず河童は退魔士達の優位点を完全に殺し、そして圧倒的物量は下手に戦えば歴戦の退魔士達すら呑み込まれかねなかった。

 

 そして、其れほどまでに厄介な妖が……この北土にて発見された。

 

「………既に芦品、野本両郡は封鎖されておる。朝廷だけでなく、近隣の大名家からも武士団が動員されておるそうな」

 

 情報となればその役柄もあって宇右衛門の耳は早い。恐らく彼はこの中でも最も現在の事態を正確に把握していた。

 

「両郡を守護していた退魔士家は?」

「そうだ!蓮華は!?朝熊は!?」

 

 鬼月思水の言葉に、続くように一族の一人が声を荒げる。確かその者は蓮華家の縁戚だったか………?

 

 必死の形相の一族に対して、しかし宇右衛門は首を横に振って応じた。同時に周囲から漏れる呻き声………。

 

「蓮華家は不意討ちを食らったようだの。元より人も少なく、しかも相性が悪すぎる」

 

 宇右衛門は隠行衆と式神から得た情報を基に答える。芦品郡を守護していた蓮華家は鬼月に比べて人が少なく霊力の質も低い。霊力を炎の龍に変じさせて幾百の妖を呑み込む術は見事であったが……残念ながら河童の前では殆ど意味を為さなかった事だろう。ほんの少し前まで人がいたような、それでいて完全に静まり返った屋敷は式神越しとは言え不気味だったのを宇右衛門は覚えている。

 

「朝熊の家は今少し抵抗したように見える。屋敷は籠城した痕跡があり、辺り一面に返り血が見え激しく荒れておった。奥間は火事の跡があった。恐らくは生き残りはそこで………」

 

 野本郡を守護していた朝熊家は同じく小身ではあったが先祖が武士の出ということもあって比較的近接戦に優れていた家である。残る痕跡は籠城の最終段階にて生き残りらが自刃したと共に火を放って自らが河童にならぬように、その肉を利用されぬようにしたのだと推測出来た。

 

 宇右衛門の言葉に暫しの間沈黙する合議……何時まで続くかも分からぬその静けさを打ち破ったのは鈴の音のような声であった。

 

「それで?方針は如何にするのかしら?」

 

 脇息に肘掛けて、恐らくは最近手にしたのだろう異国風の衣装を見せつけるように着込んだ鬼月の二の姫は気だるげに、些事のように尋ねる。その悠然とした態度は、尊大ではあるがこの場においては反発よりも寧ろ頼もしさすら感じられた。

 

(本当、この娘はこういう時ばかり要領が良いものねぇ……)

 

 しかし、胡蝶はそんな自身に顔立ちの似ている孫娘を内心冷ややかに見ていた。皆がとは言わぬまでも大多数が意気消沈しているというある意味で最高の瞬間に彼女は発破をかけたのだ。それも高慢に、傲慢に。そしてそれが周囲の敬服を受けるためなのは明らかであった。

 

 目の前の桃色の孫娘自身は一族の評価そのものには大して価値を見出だしてはおるまいだろうが……それが彼女の将来的な目標達成のための幾多の布石であるのは間違いなかろう。全くもって狡猾な事だ。胡蝶は自身の夫であり、その身体を半ば無理矢理に犯したあの男の姿を孫娘に重ねた。思えばあの男らしい強引さと尊大さである。

 

「誰も意見を言わないようなら言うわね?このまま奴らを放置する訳には行かないのでしょう?だったらいつも通りに奴らを纏めて退治する、それ以外に何もない筈よ。違うかしら?」

 

 葵の言葉に誰も反論する事は出来ない。当然だ、事は既に朝廷も知る所である。鬼月を始めとした北土各地の退魔士らは何としても件の河童を狩尽くさねばならぬ。

 

 とは言え、二郡を呑み込んだ河童共の総数は最低でも数千、一万を越えるやも知らぬ。対して退魔士らの数は近隣の者達を集めても投入出来る者らは百人を越える事はないだろう。しかも対集団戦用の霊術は殆ど封じられているとなれば………。

 

「この際は兎も角頭数が必要だな」

「近隣の家々共々下人衆と隠行衆は総動員か」

「数会わせにモグリ共と傭兵も雇い入れるかの?」

「信用出来るのかね、そんな者共」

「何、精々囮にでもなれば良い。働き次第で家人に召し抱えるとでも謳えば集まるだろうさな。直前まで河童共の事は伏せて置いても良い」

「さてさて、集まった者らの幾人が生き残れるかの」

「ふふふ、それは言うまいて」

 

 漸く、意見は一歩前進した。一族の年長組らが戦力を集めるために意見を口にしていくのを葵は頬杖をしながら見つめる。

 

 胡蝶には彼女の心中が容易に想像が出来た。彼女にとってこの家も、その家の者共も無能にしか見えず、それどころか彼女の目指すそれの障害でしかないのだ。彼女のその冷淡な瞳は、目の前の老害共をどれだけ有効利用して処理しようかと思考を巡らせているように思える。……そして、それは例え自身を次の当主に据えようとしている者達ですら例外ではない。

 

「……して、誰が此度の任を果たすのだ?」

 

 長老衆らを中心に議論が深まった所でそのある意味劇薬とも言える問いを投げ掛けたのは二の姫と丁度対面で座する長身の少女だった。胡蝶同様に艶やかな烏の濡れ羽色の髪に、妹と違ってぴっしりと男物の着物を着こなして、背筋を伸ばして正座する少女……鬼月の一の姫たる鬼月雛の言葉に再度場は静まる。

 

 さもありなん。相手が相手である。普段は有象無象の妖共を虐殺してきた鬼月の退魔士らも今回の任にはどうしても二の足を踏みたくなるのが人情であろう。しかして今や大きく二つに別れつつある一族の派閥の問題からして、あからさまに降りるとも言えぬ。危険が多く仕損じれば派閥が破滅しかねぬ任ではあるが、成功の暁にはその見返りは計り知れぬ。

 

(まぁ、つまりは誰も彼も利でしか動く積もりはないという事………実に分かりやすい事ね)

 

 雛の問いに再度沈黙し、重苦しい空気が流れる席を観賞しながら心の奥底で嘲り気味にそう評する胡蝶であった。

 

「そんな話知れた事、まさかと思うけれど御姉様が行くとでも?」

「そういう貴様はどうなのだ?剣技に長けた私は兎も角、扇を使うお前には相性が悪かろう?」

 

 ……沈黙を破ったのはまたもや葵だった。挑発するように姉にそう宣えば、それに応えるように淡々と、しかし言葉の端々に刺のあるような物言いで雛は答える。

 

「あら、それは心外ね。火遊び以外に特技のない方にそんな事言われるなんて………ふふ、剣技ならば御心配はいりませんわ。御姉様の棒振り程度ならば二、三回程観賞させて頂ければより洗練させて見せますわよ?」

「っ………!!?」

 

 妹からのあからさまに過ぎる罵倒に、思わず雛は目を見開いて殺気を放っていた。直ぐ側にいた数名の退魔士が思わず恐怖に転げる程の濃厚過ぎる殺意に、しかしそれを対面で直接受ける葵は涼しい表情に冷笑で返した。

 

「妹………幾ら何でも冗談が過ぎるぞ!!この場を何処と心得ている!!」

「あら、冗談なんて酷いわ。私は何時だって真面目よ?………何処かの感情に任せて取り返しのつかない失敗をしでかす人に比べてずっと真剣よ」

「ほざくな………!!」

 

 恐らく傍らに刀があれば、雛は迷う事なく引き抜いていたであろう。しかしながら刀がない事が幸いとは言い切れない。何せ彼女は全身に禍々しい炎を纏い初めていたから。その霊力で作り上げられた炎の特性を思えばある意味刀を引き抜かれた方が余程マシだったかも知れない。

 

「雛殿!?お止め下さいませ!その炎は……その炎はやり過ぎですぞ!?」

「葵殿、流石に姉に対してその物言いは………!!」

 

 周囲にいた者ら、あるいは双方の派閥に属する大人達が怯えつつ二人に声をかけて諌めようとする。しかしながらそれは保身からのものであった。彼女らがもし全力でぶつかればほぼほぼ間違いなく巻き添えで彼らはその命を虫けらのように消し飛ばされるだろうから。

 

「はぁ………、思水」

「はっ」

 

 事態を静観していた胡蝶は溜め息……心底うんざりした溜め息と共にその者の名前を呼んだ。同時に答えた鬼月思水はその瞳に一触即発の姉妹を映す。

 

「ちぃっ……!?」

「あらあら………」

 

 同時に姉妹はその身体を見えない縄で縛られたかのように拘束される。尤も、それも時間稼ぎにしか過ぎないが………それでも二人に冷や水を浴びせるには十分だった。

 

「姫君方、どうぞ落ち着いて下さい。このような場所でのいさかい、双方の品位を落とすだけの事ですよ」

 

 一人はぎっと敵意を向けて、今一人は冷ややかな視線を向ける中で、しかし思水は淡々と二人に向けて諫言する。

 

 暫し流れる剣呑で重苦しい空気……姉妹の周囲を取り巻く者達は緊張し、不安げにその動向を見守る。そして………。

 

「………そうね。下人衆頭の仰る通り、ここで騒ぐのは品がないわね。諫言感謝するわ」

「っ!?………分かった。甚だ不本意ではあるが、ここは下人衆頭の顔に免じて矛を収めよう」

 

 愉快そうに先ず葵が引けば、彼女の言葉に反応するように雛も苦虫を咬みながら渋々と引き下がる。その様子に両者の取り巻きは安堵して、場を収めた思水に謝意を込めた視線を向ける。流石元当主候補とでも思っているのだろう。

 

(………滑稽な事ね)

 

 そしてそんな姿を見て相談役は小さく笑った。冷淡に笑った。それは明確な嘲りであった。思水本人は兎も角、残る者達の目の節穴具合は噴飯物のように胡蝶には思えたのだ。あの姉妹が引いたのは相手が思水だからではない。下人衆頭であったからに過ぎないのだから。

 

 思水の行動が気に入らなくても、だからといって二人共思水を傷つける事も、ましてや殺す事も元より選択肢にはないのは胡蝶は分かっていた。思水は確かに手練れで、殺すのはかなり難しいだろう。しかしそれ以上に彼を殺す事は間接的に姉妹が共に恋慕するあの青年を苦しめるだけだという事を良く良く理解していた。

 

 残念ながら、今鬼月の一族の内において下人衆頭に相応しい格式を持つ者で思水よりも最善と呼べる者はいなかった………それだけが二人がこの場で騒がなかった唯一にして最大の理由だ。

 

(それにしても………)

 

 全く、不出来で愚かな孫娘達だ……鬼月の相談役は先程のいさかいから血の繋がった二人の孫に対して辛辣な評価を下す。水と油のような姉妹であるが、その実この二人は同じ穴のむじな以外の何物でもないというのに……。

 

(どちらもあの子を理想化し、自分の願望を押し付けて、見たいものしか見ようとしないのですからね。本当、御目出度い子達な事………)

 

 胡蝶の下す孫娘らへの評価は余りにも辛辣ではあるし、鬼月という家そのものに対する偏見もあれど、少なくとも間違いではなかった。

 

(………本当、可哀想な子。辛いでしょうね。苦しいでしょうね。余りにも哀れだわ)

 

 それこそ彼女は彼がこの家に買われて屋敷に来た時から知っていた。ずっと見てきた。上の孫の我が儘と、大人達の命令と、周囲からの視線に耐えてきたあの少年の苦労は偲ばれる。あの年にしてあの状況に陥り破綻せずに済んでいたのは奇跡といって良い。そしてその均衡を崩し、あまつさえ今日日の状況にまで貶めたのは上の孫娘だ。

 

(そしてそんなあの子を更なる苦行に追い落としているのは下の孫娘と来たもの。本当、呆れてものが言えないわねぇ……)

 

 姉の罪を列挙した所であの大事な時に限って詰めの甘い下の孫に呆れる胡蝶。………心底失望する祖母。

 

 ………片やあの子を盲愛しながら理解しようとせず苦しめ、その癖に自身とあの子の運命を確信し、片や自身が添い遂げるために危険過ぎる境遇にあの子を晒し、その癖に理想の未来を妄想する。

 

「……愚かな事」

 

 それは小さな、本当に小さな独り言であった。

 

 ……あぁ、そうだ。本当に愚かな孫娘達だ。そんな事、あの子は望んでなければ欲してもおらず、いざ差し出されても困惑するだけだろうに。

 

 あの子の求めているのはただただ平穏なのだ。安心なのだ。安息なのだ。ただの、変哲もない日常こそがあの子が唯一欲するものなのだ。そう、それは人の身としては少々長生きし過ぎている胡蝶にとって遠く、懐かしいあの頃のように。あの人と過ごした微笑ましい日々のように…………。

 

「…………」

 

 かつての記憶を辿る胡蝶は静かに身体を震わせる。過去の追憶と共に自身がどれだけ老いたのかに気付いてしまったからだ。

 

 外見こそ若々しく、瑞々しさを保とうともそれは所詮はガワに過ぎない。その思考は鈍重となり、その魂は軋み停滞し始め、その記憶は錆びれ色褪せていく。ほんの数年前は鮮やかな色で思い返す事が出来た世間知らずで純情な少女時代の記憶は、今や白黒の物悲しい色でしか思い出せない。

 

 いや、真に恐ろしいのはそれではない。少女時代に彼女が甘え、頼り、恋い慕っていたあの人が、愛しいあの人の姿が日々少しずつ掠れていき、その顔も思い出せなくなっていく事、それこそが半ば惰性に生きるこの鬼月の家の相談役にとって一番の恐怖だった。

 

「…………あら、嫌ね。壊しちゃったわ」

 

 小さく、冷笑するように、自嘲するように胡蝶は呟いていた。周囲の誰も気付かなかったが、彼女の手元にあった煙管はへし折れていた。恐怖の余りに力加減すら出来ずに握り潰してしまっていたのだ。

 

 そして内心で思う。言い訳する。自己弁護する。その選択を選ぶ事についてそれらしき理由を脳内で長々と並べ立てる。しかし、所詮は言い訳は言い訳。真の理由は別にある。そう別に。

 

(あの子が心配ね………)

 

 幾ら下人衆の允職に就いたとて、所詮下人は下人である。前、前々任者がどのような最期を遂げたかを思えばその地位にいたとて何を安心出来ようか?ましてやあの子はあの人と同じだ。部下を死地に送り自身は安穏と後ろに控えなぞすまい。あれこれとそれらしい理由を付けて現場に出向くのは分かりきった事だ。そして、彼を理解していない一の姫にも、毎回のように詰めが甘い二の姫にも、彼を預けるのは危なっかしくて仕方なかった。

 

 だから、彼女は宣ったのだ。まるで仕方無いとでも言うように取り繕って、悠然とした態度を装い、余裕を見せながら嘯いたのだ。………その下心を隠して。

 

「仕方無いわねぇ。だったら此度の勅、久方ぶりに私が足を運ぼうかしらねぇ?」

 

 姉妹の意思を他所に、派閥争いの激化と次期当主候補らが失われる危険性から一族が胡蝶の申し出を採択するのに、更に一刻程の時間を要するのだった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ、帰っちゃいましたね」

 

 北土の寒さに備えた商館の二重窓越しに蜂蜜色の髪をした少女は嘯く。その視線の先には何やら不機嫌そうな顔つきの少年を馬に乗せて、何やら軽口を口にするあの人の姿が映る。

 

 折角だから一泊して欲しかったのだが、残念ながらそのお願いは却下されてしまった。故にせめて名残惜しげに佳世は彼の後ろ姿を見送る事にしたのだった。尤も、世の中はそう上手くはいかないものである。何せ……。

 

「御嬢様……してやられましたわ。全く貴女という方は!!」

 

 背後では必死に駄々を捏ねて買い物にいかせた老女中が怒り半分呆れ半分といった口調で此方を見やる。どうやら退席させた女中らから話は聞いているようで、きっとこれから長々と説教される事になってしまうだろう。それについては佳世は最初から覚悟の上であった。

 

「ふふふ、許して下さいよ鶴。これが食べたいって言ったのは本当なんですよ?」

 

 そういって一瞥するのは街の中流階層が食べるようなありふれた甘味処で売られているみたらし団子だった。まだ温かいそれが陶器の皿の上で湯気を上げている。強いて違いを挙げるとすればそこの甘味処の店主が央土出身のために都風の味付けな事くらいか。何にせよ、身分制度が厳しいこの国で上流階級たる佳世が直接足を運んで買うような代物ではない。

 

「………それにしても、御同行の子は見慣れない顔ですね。あのような方、鬼月の家にいたでしょうか?」

 

 去り行くあの人の背中を見据えながら佳世は疑問を口にする。窓を見ている故に誰も気付かなかったが、その時の佳世の瞳はすうっ……と細まっていた。何か言い合う二人の姿を、いやより正確には馬に乗る少年の方を妬ましげに睨む。

 

「あの出で立ちですと、寺社の稚児ではないでしょうか?霊力のある子供の中には預けられる事も少なくありません。更にそこから退魔の家に売り払われる事も良くある話ですので」

 

 鶴は特段珍しげもなく推測する。霊力持ちというものは退魔士のように隔絶したものがなければ却って生きる上で不便なものでしかない。妖を引き寄せるそれは、特に田舎の村では忌避されても可笑しくないのだ。

 

 そして、そんな厄介な子供を、親兄弟、あるいは村の長達が僅かな金子と引き換えに寺社に献上するという事例は、しかし大昔に比べれば随分と穏便になったとすら言えた。何せ大昔ならばそれこそ霊力を持つ事が発覚した瞬間に間引きされたり、あるいは山に捨てられたりしたものだ。寧ろ寺社が彼らを稚児として預かるようになったのは一種の社会的救済のため、善意のためであった。………少なくともその始まりは。

 

「へぇ、そうですか。稚児……そう、稚児ですか」

 

 聞いているようで聞いていないような何とも言えぬような物言い、そこには同時に嫌悪感が含まれているようにも一瞬、鶴には思えた。そして何処か不穏な感覚を老女中が感じたその時であった。がりっという印象的で軽快なその音が響いたのは。

 

「あ。………へへへ、間違えて噛んじゃいました」

 

 振り向いた佳世は誤魔化すような笑い声を上げて口を開いた。何処かばつが悪そうな、悪戯が見つかった悪餓鬼のような何とも言えぬ表情。その態度に鶴は気付く。

 

「……御嬢様。まさかとは思いますが会談中ずっと飴でもお舐めしてましたか?」

「あはは………」

 

 再度誤魔化すような笑み。そして口元からハッカ飴だろうか?白い小さな塊を懐の巾着袋に戻す。都を出る時以来この少女のお気に入りらしく常に手元に置いてある飴入れの袋………鶴は思わず呆れかえる。

 

「何とはしたない!御嬢様、お父上の跡を継ごうと頑張っているのは分かりますが、そのような行儀の悪い振る舞いをしては台無しですよ!!」

「えへへ……その、口が寂しくて…………」

「えへへ、ではありません!」

「ひゃい!ま、まぁそんな怒らないで……折角買ってきたんですから一緒に御団子食べましょうよ?」

 

 鶴の叱責に肩を震わせる佳世は、しかしながら怒り心頭の老女中の機嫌を取ろうとでもするかのようにそんな提案をした。

 

「御嬢様?」

「ひぃっ!?」

 

 ………当然ながらそんな態度の御嬢様に対して呆れたように鶴は更に説教する事になる。説教は長々と、暫くは続きそうであった。

 

(しかし、それにしても…………)

 

 そして、説教の最中に老女中はふと思った。そう言えば、この蜂蜜色の少女はハッカ飴の事が苦手ではなかったか、と。しかしあの口から取り出した飴は確かに白色で…………。

 

 尤も、そんな疑問は些細な事である。あの飴が何の飴であろうが問題ではないのだから。問題は彼女の軽挙な行動と無作法なのだから。

 

 故に鶴はくどくどと小姑のように口煩く説教して、躾ける。例えそれが相手の少女にとって嫌なもので、自身が彼女に嫌われる事になろうとも構わなかった。本人のためにも佳世が立派な女性に、そして礼儀作法の出来る気品と教養ある商会長に、そして淑女になって欲しいと鶴は心から願っていたのだから………。 


▲ページの一番上に飛ぶ
Twitterで読了報告する
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。