和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 貫咲賢希さんより前話漢服葵様のイラストを描いて頂けましたので紹介です。
https://www.pixiv.net/artworks/88608066

 胸が大きいのが分かりますね。姉御様にも同じ物着せて見比べたいです(鬼畜)


第四七話● 旅行は旅支度が一番興奮するもの

 護摩焚きの炎の光だけが照らし出す薄暗いその部屋で読経の声が延々と鳴り響いていた。そう、一体何百、何千反読まれているのか、最早時間の感覚も分からぬ程延々と続く読経、それはまるで呪詛のようにも少年には思えた。

 

 部屋を包みこみ思考を不明瞭にさせるのは香の薫りと阿片臭………そしてそれでも誤魔化せぬ程に強い酒精と汗と、そして噎せ返りそうになる牡の臭いだった。

 

 衣類を剥ぎ取られ、組み敷かれて一体何刻を経たのだろうか?肉が擦れあい、水音が鳴る音、そしてくぐもった悲鳴………それらに対して彼は最早思考するのも止めていた。ただただ心を閉じて、無感動に、無表情に、全てが過ぎ去るのをひたすら待つ。

 

 聖儀なんて嘘っぱちで、秘儀なんて虚像で、奇蹟なんてただの欺瞞だった。ただそこにあるのは欲望の奔流だけであって、自分は、自分達はただその哀れな生け贄だった。

 

 事を終えて自身に覆い被さっていた肉の塊が退く。漸く解放されるかと思ったらそれは間違いで、待ちわびていたかのように次の客がやって来る。そして少年はそれを拒めない。

 

 少年はこの儀式において仏の化身として俗世のあらゆる罪と欲望とを受け入れ許さねばならず、より現実的にはこの場を逃げ出しても最早何処にも帰る所がなかったから。どれ程に辛くとも彼には選択肢なぞなかった。ここを出ても彼に待っているのは物乞いか盗人か、あるいはここと同じような仕事の何れかの運命であって、そしてどれにしろそう長くは生きる事は出来ぬだろう。いや、そもそもここから生きて逃げ出せるのやら…………。

 

(はっ、何考えてんだろ。俺)

 

 そこまで考えて少年は冷笑する。力なく冷笑する。詰まらぬ事を考えている事それ自体が一種の現実逃避である事を自覚したから。普段ならば無心で天井の染みでも数えているが、遂にそれすらも出来なくなったと見える。

 

 ………つまりは、自身を取り巻く状況の全てに彼は疲れきっていたのだ。

 

 そして、それ故に。

 

(いっその事…………)

 

 自身に覆い被さる影が獣のように吠え、自身という存在を塗り潰してくる現実に、少年の眼に怪しい色が滲む。揮発した酒精に当てられて酔ったのか、据わった目付きで、何処か惰性的に少年は考える。

 

 どうせどうにもならぬ人生で、どうしようもない人生で、救いのない人生だ。この世に聖者なぞいなければ、搾取されるだけの弱者に極楽浄土も、救世も有りやしない。浮き世は世知辛く、弱い者はただ家畜のように収奪されるだけなのだ。少年は両親から僅かな金子と引き換えにこの寺に厄介払いのように預けられてからその事をもううんざりする程に知ってしまった。

 

 あるいはこれが悟りであるとでも言うのだろうか?だとすれば随分なお笑い草だと冷笑する少年。正に無間地獄とはこの事か。

 

「本当……お笑い草だ」

 

 だとすれば最早この世に未練なんかない。どうせこの先希望もなく、辛いだけの、苦しい人生なのだろう。ならばいっそ……いっその事…………!

 

 自身を貪られながら、少年はふと視界にそれを………打ち捨てられた金剛杵を見付ける。そして僅かに目を細めた彼はゆっくりと床に打ち捨てられていたそれに手を伸ばす。その瞳に怪しげな光を宿して、口元を悲惨に笑い歪めて、そして掴んだそれを、次の瞬間には振り上げていて……………。

 

 

 

 

 

 

「はっ!?」

 

 激しい動悸と共に白若丸は目覚めた。寝間着は汗でびっしょりと濡れていて気持ち悪い。蒸し暑さからか無意識に暴れてしまい少しはだけてしまっていた。慌ててそれを直した後に少年は気付いた。いつもならば目覚めとともに鼻腔を刺激する酒精と香と牡の残り香がしない事に。

 

 そして気付く。自身の目覚めたこの場所が寺院の一室ではない事に。

 

「一体………」

「あら?もしかして白若丸さん………起きられましたか?」

 

 突如響いたその声に身体を震わせてはっ、と視線を向ける。彼が寝ていた布団から少し離れた所に彼女はいた。床に座りこみながら布団を折り畳み片付けている目を閉ざした黒髪の少女………。

 

「ここは…あんたは………?」

「?白若丸さん、覚えていらっしゃいませんか?昨日此方にお越しになられた筈ですが………」

「えっと………」

 

 その言葉に混乱していた少年は昨日までの記憶を漸く思い出す。思い出して、慌てて何か言おうとして……腹が鳴った。元気良く、何処か子供らしく腹が鳴る。

 

 暫しその場に流れる沈黙。窓からコケコッコー、と何処か間抜けな鶏の鳴き声が響く。

 

「………ふふ、もう巳の四つ時ですね。お腹もお空きになりましょう。ご飯は沢山残してありますので朝支度の後にどうぞ?」

 

 その言葉に漸く少年は台所から漂ってくる炊きたての飯と味噌汁の匂いに気が付いた。同時に胃の空腹感が再度刺激され、唾液が溢れる。

 

「うぅ……えっと……毬…さん……?」

「毬で構いませんよ?白若丸さんは御客様なんですから」

 

 にこりと微笑みながら盲目の少女は答える。年こそ少年が幾らか下ではあるが、同時に二人は主人に仕える雑人とその客人であり、厳然たる上下関係がそこにはあった。

 

「それとも、毬お姉ちゃんでも構いませんよ?伴部様やお兄様から聞くに私よりも年下だそうですから」

 

 くすり、と少しだけからかうように言えば白若丸は羞恥に顔を赤らめる。人の不幸を楽しむ訳ではないが、少年は目の前の女性が盲目で良かったと思う。

 

「……もう他の人は起きているんですか?」

 

 気恥ずかしさに顔を赤らめる少年は呻き、そして誤魔化すように尋ねる。どうやらこの家の他の居住者らは全員起きてしまっていたらしい。彼一人が寝坊したという事だ。

 

「申し訳ありません。………伴部様が起こすなと言っておられたので。お疲れだったのですかね、随分と深く寝ていたそうですから」

「い、いやっ……そういう訳じゃ………ただ、仕事が………」

 

 盲目の少女は申し訳なさそうに答えると白若丸は狼狽える。別に彼も非難しようとしていた訳ではなかった。ただ、普段ならば……以前彼がいた場所であればこんな時間まで寝入っているのは有り得ぬ事であったのだ。そんな事をしていたら折檻される。例え寝不足で、疲れが溜まっていたとしても、夜明けには起きて仕事をしなければならなかった。

 

「ふふ、お気になさらないで下さい。白若丸さんは御客様ですから。……確かに暫く此方におられるとなれば少し御手伝いもしてもらうかも知れませんけれど、伴部さんも流石に昨日今日来たばかりで勝手も知られぬ方にいきなり頼み事は致しませんよ?」

 

 年長者としての慈愛に満ちた表情を浮かべ、毬は答える。そこには同時に自身の雇い主への純粋な信頼が見て取れる。それは同時に目の前の少年に安心感を与えようという彼女の気遣いであり、思い遣りでもあった。

 

「……そう」

 

 尤も、その言葉に対して、しかし少年の返答は素っ気なかった。そこには不信と疑念と、警戒の感情が垣間見えた。

 

「………?」

 

 そして、視覚が殆ど使えず、故に嗅覚や聴覚等が鋭敏な毬だからこそ気付けた。その言葉に僅かな嫉妬の感情が含まれていたのを。しかし………何故嫉妬が?

 

 しかし、その疑念を深く考える時間はなかった。刹那、毬の耳はその足音に気付いた。人には其々その歩き方に微妙な癖があり、故に毬は完全ではないにしろその僅かな差違が誰のものなのかを聞き分ける事が出来た。そしてこの足運びは恐らくは…………。

 

「伴部様、朝練御苦労様です」

 

 戸口から槍を背負って現れた男に、その出で立ちが所謂僧兵に似たものであった事もあって白若丸は動揺して後退りした。しかしながら毬の穏やかな声による出迎えに直ぐに相手が誰なのかを理解する。

 

「あんたは………」

「ん?起きたか。なら早く朝支度して飯を食ってしまえよ?今日は昼頃から出るからな」

 

 汗の臭いもあって顔を歪め、鋭く睨み付ける白若丸。その姿は何処か威嚇する捨て猫を思わせた。残念ながら少年の女の子のような顔立ちもあって、威嚇には然程迫力はなかったようで、相手の男は顔色一つ変えない。いや、待て。それよりも………。

 

「出る?」

「あぁ。使いだよ。一人で行こうかと思ったんだがお前も連れに来る事になった。……まぁ、俺が決めた訳じゃねぇから我慢しろや」

 

 毬から手拭いを受け取って戸口に戻りながら男は、毬から伴部と呼ばれた男は嘯く。何処か冷笑するようなその態度に白若丸は一層顔をしかめる。

 

「外出ですか。急なお話になりますね?」

「白奥の街までな。二、三日中に帰るから支度は簡単で済む。兄貴に任せておけ」

「寂しいなぁ」

 毬が不安そうに口を開けば男は軽口を叩くようにそう答える。

 

「いえ、せめてお弁当に握り飯だけでも作らせて頂きます。白若丸さん、何か欲しい具材はありますか?」

「えっ?いや、その……俺は…………」

 

 いきなり振られた話に少年は動揺し、困惑する。そこには先程までの剣呑な雰囲気は消え失せていて、ただただ女性相手に気恥ずかしがる年相応の少年の面影だけがあった。

 

「ふっ、俺は梅干とおかかで頼もうかな。塩は多めで頼むぞ?」

「はい」

「えっ!?いや、待てって……おいっ!?」

 

 最後に小さく苦笑すると言うだけの事を言って立ち去ろうとする男にしかし、少年は追い縋ろうとするが元より玄関にいた男はそそくさと戸口から出ていってしまう。

 

「白若丸さんはどうしましょうか?」

 

 そして、呑気に、そして優しげな表情でそんな事を尋ねる毬。

 

「………沢庵でお願いします」

 

 ………断るのもやりにくく、少年は小さな声で注文を頼んでいた。

 

 

 

 

 

 時節は冬が過ぎて、春が巡り、夏の入り口に入るかどうかいう卯月の中旬の事であった。家の中で微笑ましいやり取りをしていた毬と白若丸を少しからかった下人衆允職………つまり俺は朝の鍛練から帰ると僅かに彼を冷やかしつつ事を伝えて濡れた手拭い片手にその場を去った。汗の臭いも、男の半裸も、少年は吐き気がする程に嫌いであったろうから。

 

 汗を拭い着替えると、まず俺が足を運んだのは馬屋であった。

 

 俺は鬼月の屋敷の馬屋から一頭の馬を借り入れた。特に珍しくもなければ血統が良い訳でもない栗毛の駄馬を一頭である。自身が乗るというよりかは礼物を運ぶためのものだ。

 

 たかが下人が馬なぞ生意気………馬屋で世話をする雑人の幾人かはそんな非難の視線を無言の内に俺に向けていた。

 

 駄馬とは言え馬は馬である。その価値は前世で言えば自動車に匹敵しよう。機械ではなくて小まめに世話しなければ死んでしまう動物である事を思えばもっと高価かも知れない。

 

 とは言え俺だって使者としての役目がある。生意気だの偉そうだの言われてもどうしようもない。文句ならお上に……言えないからその下に当たるんだよなぁ。

 

「ほら、ちゃんと鞍に乗れ。鐙に足を入れて、手綱は放すなよ?駄馬とは言え落ちたら下手したら死ぬぞ?」

「わ、分かっているって………っ!?そんなにべたべた触るな!!って痛え!?紐もそんなに強く締め付けるなよっ!!?」

「私も乗りたいなぁ」

 礼物に、次いで子供を鞍に乗せて落馬しないように紐で締め付ける俺に対して、締め付けられる本人は心底嫌そうな顔をする。締め付けられる事それ自体もあるが、俺に触られる事も相当嫌らしい。気持ちは分かるが今回は我慢しろ。

 

「糞、そもそも俺一人だったら楽なんだがな…………」

 

 使者として行く際に宇右衛門がもう一人付けるように言ったのに思水が乗っかった結果が稚児上がりのこの少年の同行だった。鬼月の使者が一人だけというのは流石に貧しすぎるというデブの言葉に稚児上がりならば礼儀作法も心得ているだろうという思水の言葉によって決定した。

 

『良いではないですか。いざという時の囮には良い餌でしょう?』

 

 ぶつぶつと愚痴る俺の耳元でそう囁く声は蜂鳥からのものであった。より正確には蜂鳥を模した式神からのもの。

 

 都から松重の爺と孫娘は留まった。札付きの彼ら彼女らからすれば態態ド田舎で排外的な北土に向かうなぞ自殺行為以外の何物でもない。それでも碧鬼、そして恐らくは俺の監視を兼ねて数枚の式神を俺に貼り付けていた。………もしかしたらいざという時に備えて何処かに俺の口封じ要員も伏せているかも知れない。

 

「……よし、こんなものだな。少し待っていてくれ。まだ荷物がある」

 

 小僧を馬から落ちぬように念入りに縛り付けた後、俺はそう口にしてその場から距離を取る。隣の小屋に置いていた背負いの荷物を取りに行くためであり、今一つの理由としては式神に返答するためだ。

 

「餌、ですか。退魔士というものは相変わらず恐ろしい事を平然と言ってくれますね」

『退魔士というものがそういうものだと言う事はもう散々知っているでしょう?』

「理解するのと好感を持てるかは別問題だという事はお分かりの筈です」

 

 小屋に入り荷を背負子に包み込みながら、式神の言葉に対して俺は平静を装いながら答える。才能と血統を接ぎ木して、濃縮し、研鑽した退魔士は貴重であり、妖の中には初見殺しのような理不尽な奴らがうようよといればそうなるのもまた必然。それは分かる。分かるが…………。

 

『………別に責めている訳ではありませんよ。こういう考えが妖共の思考と紙一重な事も、世間では血も涙もない所業な事も理解していますから。寧ろ安心しましたよ。貴方のような甘ちゃんさんがそれに躊躇なく賛同していたら頭まで妖化したと判断している所でしたから』

 

 そのまま駆除対象です、と淡々と口にする式神の使役者。それはそれは………俺を試しやがったな。鬼に比べれば遥かにマシだが何処に死亡フラグがあるか分かったものじゃねぇな。

 

「……さて、こんな所か。道中の索敵はお願い出来ますね?」

『………常に見ている訳にはいきませんので自動になりますが構いませんね?』

「それでも助かりますよ。此方は常時式神を維持する程の霊力何てありませんので」

 

 背負子を背負った俺は槍を仕込んだ杖を手にして謝意を口にする。まぁ、朝廷が管轄する大街道なのでそうそう危険な妖が出てくるなんてないが………多少はね?

 

 小屋を出る。すると馬に乗っていた少年の周囲に幾人かの雑人が囲んでいる光景を見つける。何やら言い合っている姿は少なくとも穏やかではなかった。

 

(これは………出発前に面倒な事を)

 

 僅かに苛立ちと怒りを浮かべ、しかし直ぐに冷静になって俺は騒ぎの場所に足を運ぶ。そして可能な限り淡々と言葉を紡ぐ。

 

「失礼。雑人共が此方の預り子に何用かな?俺達はこれから使者として出る所でね。……ご用件ならば俺に申し出て欲しいものだな?」

 

 俺の言葉に剣呑な表情で雑人共が振り向いて、同時に狼狽える。般若面つけて正に杖に仕込んでいた槍先を引き抜いていればある意味当然の反応だった。

 

「い、いや我らは……何でもない!」

 

 此方を一瞥した後、疎むように視線を背けて彼らはそそくさと去っていく。

 

「ちっ、裏切り者の恥晒しの分際で虎の威を借るものよ」

「本当、昔から取り入りばかり上手い奴よな」

「稚児上がりと共にとは、全く似合いの組み合わせな事だ」

「彼をいじめるな」

 去りながらぶつくさと蔑みの視線を向けて呟く雑人共。おいこら聞こえてんぞ。………まぁ、最後は兎も角俺に向けた前二つの内容は否定出来んがね。

 

「…………」

 

 俺は自嘲しながら馬に乗る少年の方に視線を移す。すると少年は目を潤ませて、身体を恥辱に震わせていた。短く、荒い呼吸………雑人らの最後の言葉と合わせて、この少年が彼らにどんな屈辱的な言葉を言われたのかが容易に予測出来た。恐らく相当悔しくて、悲しくて、何よりも事実であるが故に反論出来なかったのが余計辛かった筈だ。

 

「…………っ!?」

 

 そして今更のように俺の存在に気付いた稚児上がりの少年は怯えた表情で俺を凝視する。先程俺が彼を縛っていた時に向ける敵意と猜疑心とは違い、それは弱者が強者に向ける、あるいは草食獣が肉食獣に向ける恐怖の視線であった。

 

 ………搾取され続けてきた者が向ける臆病な視線だった。

 

「………何を言われたか知らんが雑人共の言葉なぞ無視しておけ。どうせ唯の嫉妬の類いだからな」

「全部あいつのせいだもん」

 稚児上がりの分際で家人になるかも知れぬともなればな。俺の預りというのも当たられる原因かも知らなかった。

 

「…………気にしてなんかない」

 

 鼻を啜ると、ぽつりと、はきすてるように少年は呟いた。強がるような物言いだった。

 

「そうか。ではあんなものは放っておいてそろそろ行くとしようか?一々気にしてやる必要がある程大層な奴らじゃねぇしな」

「貴方はいつもそういって強がる」

 まだ預かって幾日も経っておらず然程親しい訳でなければ突っ込んだ話をするのも宜しくない。故に俺は少年の言葉を肯定して馬の綱を掴み、引っ張る。駄馬は首を引かれたのに反応して動き出す。

 

「わっ!?」

 

 慌てて馬の首を掴み慌てる少年。俺が面の下から小さく笑うとそれに気付いたのか、むすっと不機嫌な態度を取る白若丸。どうやら拗ねたらしい。

 

「なぁに。直ぐに慣れるさ。こんなのでビビっていたら仕方ないぞ?」

 

 俺はからかうようにそう宣うと馬を先導して歩き始めたのだった…………。

「早く帰ってきてね?」

 

 

 

 

 目的地たる白奥の街までおおよそ一日半程度、春から初夏に向かおうという時節故に道中は快適と言えた。強いて言えば極々たまに現れる低級な妖共が問題か。

 

「とは言え、所詮は小妖どころか幼妖。恐るるには足らんがな」

 

 ぼんやりと宙を泳ぐ魚のような幼妖を仕込み槍で薙いで払う。たったの一撃で消し炭になった妖は小妖ですらない。下手しなくても鍬を持った農夫でも殺せるだろう。生まれて精々一日二日といった所か。

 

「ひっ!?妖っ!?なんで………」

「白若丸!馬を引いて後ろに下がっていろ!!」

 

 馬の方は腐っても退魔の家で飼われているだけあり動揺する事はなかったが、迫り来る妖共相手に半ば恐慌状態にある同行者にそう命じてから俺は飛びかかってきた人食い貂を口から槍で口刺しにする。そのまま更に槍を突き出してその背後にいた化け猫の頭蓋を打ち砕く。流石に允職用に支給される槍ともなれば大量生産品であっても切れ味が違うな。

 

 時刻は昼下がり、道中で腰かけて昼食に弁当(孫六と毬特製の握り飯)を食べていた所である。森の中から蠅のように飛び出して来た幼妖の群れを払うように殺していく。

 

『右から突っ込んで来ますよ。それに……後ろに回りこんでいるのが一体。これは………』

「う、うわっ……!?来るな!?うわっ!?こいつ登ってっ……!!?」

 

 耳元からの声に続いて背後で悲鳴。それに振り向けば白若丸が悲鳴を上げていた。俺の命令通りに馬の綱を引きながら俺の背後に控えていた少年の足に人間の拳大の蚤がいた。昇っていた。カチカチと顎で衣服に噛み付いていて、それが叶わぬと見て少年の顔目掛けて昇っていた。彼の内にある霊力に引かれているらしい。霊力ある人を食ってより高みを目指そうとするのは妖の本能である。

 

「が、動きがトロすぎるな」

 

 まず右側の木々の中から何処ぞのエイリアン宜しく舌のような物を出しながら俺の顔面に飛び込んできた蜘蛛を回し蹴りで染みに還させる。次いで早歩きで悲鳴を上げる同行者の下まで行けばガシッ、と大蚤を掴み上げてそのまま地面に叩きつけた。それでぐちゃと潰れれば念のために槍で押し潰した。後は適当に埋めれば土に還る事であろう。というか還れ。

 

「十二か。雑魚ですらない幼妖とは言え街からそう離れていない道でこれだけ纏まった数と出会すとはな……」

『そこの少年の霊力に引き寄せられたのもあるでしょうが、それを含めても異様ですね。恐らくは………』

 

 小さく呟く俺に対して、傍らで隠行する式神が答える。互いの脳裏に面倒臭過ぎる鬼の姿を思い浮かべてほぼ同時に小さく溜め息をつく。

 

「………こんなものだな。少し長居し過ぎたらしい。飯を食べたら歩くぞ」

 

 周辺を警戒してそれ以上妖力の反応がないのを確認すると、そう語って俺は先ず殆ど肉片や染みとなった妖の死骸を処理していき、その後に岩の上に腰かけて笹の葉で包まれた白米と雑穀の握り飯(孫六作成梅干入)の咀嚼を再開する。馬の上は揺れるので案外乗馬は疲れるし、慣れてなければ尻も痛くなる。故に幼い同行者の体力も考えて長めに休憩を取っていたのだが………。

 

「あ、あぁ…………」

 

 妖に襲われたからか、俺の言葉にしおらしく答えて少年は同じく岩肌の上にちょこんと座り込む。そして同じく食い掛けだった握り飯を食べるのを再開する。因みに此方は妹の方が作ったもので沢庵入りである。目が見えないので形は不恰好なのは御愛嬌だろう。

 

『あの程度、特にあんな蚤ならばあの少年でも普通に殺せたでしょうに。随分と臆病ですね』

「寺住みだったからな」

 

 耳元で情けないとばかりに毒舌を吐く式神に対して、俺は一応同行者のフォローをしておく。寺住みだったならば妖と会う機会なぞ殆ど無かろう。そもそも普通に考えて拳大の蚤とか気持ち悪過ぎてパニくるのも道理だった。寧ろ躊躇なく掴んだ俺って実は相当感覚が麻痺しているのでは………?

 

「………もう一刻程進んだら旅籠がある。今日はそこに泊まるとしよう」

 

 田舎の妖が多く徘徊する街道なら兎も角、この辺りならば人の出入りも多いので数キロごとに宿場街があるし、駅や関所もある。泊まる所には困らない。だが、念のために駅や関所に泊まるのは避けたかった。

 

「………分かった」

 

 握り飯を黙々と食べながら少年は答える。僅かながら沈黙が場を支配する。それを破ったのは少年の方からであった。

 

「………なぁ」

「うん?」

 

 握り飯を食い終えて竹の水筒を取り出した所で遠慮がちに声をかけられる。視線を向ければ気まずそうに此方の様子を窺う少年。

 

「………いや、何でもない」

「そうか」

 

 握り飯を食べるのを再開する少年に対して俺もそれ以上突っ込む事はなかった。少年の言おうとした事は分かっているし、それに対して寧ろ俺は謝罪しなければならぬ立場であったのもあるし、この後の事を思うと少しげんなりしていた事もある。はっきり言えば可哀想だが余り相手にする暇がなかったのだ。

 

 食事を終えたのはそれから程無くして。歩みを再開して、丁度予測していた通りに一刻程して、俺達は小さな宿場街に辿り着いた。

 

 央土と四方を結ぶ四街道八脇街道及びその沿線の村落は朝廷の直轄地だ。伝令の馬替えや休憩のための駅場に人と物の往き来を監視する関所、そして数里ごとの宿場街が軒を連ねる。これらは扶桑国の物流と経済を支えると共に地方の退魔士家や邦の大名家の動向を監視し、有事には迅速に朝廷の軍が進軍するためのもので、最悪の時には侵攻してくる反乱勢力や妖共の足を止める時間稼ぎのために設けられている。………尤も今となっては上洛する大名や退魔士らを宿泊させ、金を落とさせるという目的が一番大きいかも知れないが。

 

 夕方頃になり、柵と土壁で囲まれた宿場街の門は閉ざされる準備がされていた。俺達の入場手続きが終わると共に門は閉ざされる。

 

「危ない所だったな。折角経費が降りるのに野宿は洒落にならねぇぞ」

「けどどうするんだよ?こんなギリギリだから何処の宿ももう満員みたいだぞ?」

 

 都に近い一万人近い人口を持つ宿場街ならばいざ知らず、今宵滞在する事になった恐らくは百人も住民のいないこの宿場街の収容人数は然程多くはない。そして既に宿の多くは飛脚やら旅人、行商人に朝廷の役人が泊まっていた。

 

 特に毛皮と木材を運んだ橘商会の馬車二十台とその行人に護衛合わせて四十人と鉢合わせたのは客観的には不運だと言えた。この大所帯の応対だけで宿場街は混乱していた。尤も、この先もこの後ろの宿場街も同じように商会の隊伍で満席になっていたと知るのは少し後の事だ。昨年以来北土での橘商会の活動は以前にもまして活発化しており、それにより物流もまた混雑していた。

 

「なぁに。混雑してるっていっても中心部の話さ。何処にでも穴場って奴はあってな?」

 

 俺が目をつけたのは宿場街の中心から外れた外縁部に店を構える宿だった。中心部のそれに比べたら質素で小さな宿屋はまだ宿泊者がいないようでそこを借り受ける。

 

 太平の時代………とは言え、それは過去と比較しての事。妖の脅威がある中で宿場街の内とは言え外れにある宿はいざという時に危険性が高いので人気は少ないのだ。尤も、ある意味では俺にとっては人気のない宿の方が都合が良かった。何せ………。

 

「お前のような気狂いが何をしでかすか分からない以上、巻き添えを作る可能性は低い方が良いからな」

 

 宿に泊まって身体を拭いて、飯を食べて白若丸を先に寝かせた後、小さな庭先が見える宿の縁側にて俺は苦々しく警戒した表情でぼやく。

 

「酷いなぁ。折角仲良くなれるような機会を与えてやったんだぜぇ?」

 

 いつの間にか傍らにそいつはいた。自身が背負う錨を庭先に突き刺しておいて、そんな庭先を風流そうに観賞しながら、寝転がって瓢箪に入った酒を飲む修験僧姿の女は宣った。

 

 碧い、人外の美貌を纏った化物は宣った………。

 

 

 

 

 

 

「いやぁ。この時節外れの月見も中々乙なものだねぇ。お月様も綺麗で酒飲みには丁度良いと思わないか、えぇ?」

 

 何処から拝借してきたのか肴として漬物の乗った皿を手元に置いていた鬼はその線の細い白魚のような指でそれを摘まむとポリポリと噛み砕く。そして流し込むようにぐいっと瓢箪の酒を呷ると口元を僧服の袖で拭いぷふぁー!とおっさんのように息を吐き出す。文字通りに人間離れした美貌もその振る舞いで完全に台無しである。

 

「あ、これかい?中央のでかい宿から拝借してきたんだけど……食う?酒と良く合うよ?」

 

 俺の視線に気付いた鬼はにかにかと笑いながら瓢箪と皿を差し出す。どうやら此方の視線を物欲しげなものだとでも勘違いしているらしい。あるいは態とか………。

 

「いや、要らねぇよ」

 

 当然ながら何が入っているかも分からぬものを、それも鬼と間接キスはご免なのでその誘いは無視する。それよりも俺は確認すべき事がある。

 

「………あの雑魚はお前の差し金だよな?」

 

 傍らに立ち込める妖気と酒精に吐き気を感じつつもそれを表情に出さないようにして、膝元に槍を仕込んだ杖を置いて俺は半ば断定するように化物に尋ねた。鬼はそんな俺の然り気無い所作を見て、目を細めて愉快そうに口元を吊り上げる。此方が油断せずにいる事に大層機嫌が良いらしい。うん、意味分かんない。

 

「御名答。いやはや、あの時直ぐに勘づくとは中々だねぇ。これが所謂心が通じ会う関係、以心伝心って奴かな?」

「おい止めろ。冗談抜きで気持ち悪い」

 

 ガチでお前と以心伝心とか引くぞ。

 

「おいおい、気持ち悪いとは酷いなぁ。俺とお前の仲じゃないか!ましてや女の子相手にそんなはっきりとだなんて……傷つくぞぅ?」

「いや、そもそもどんな仲だよ」

「殺し殺されあう仲(予定)?」

「それって以心伝心出来る仲なのか………?」

『相も変わらず鬼の思考は全く理解出来ませんね』

 

 肩に止まる式神が嘯く。嫌悪感を剥き出しにして呟く。俺も全面的に同意する。

 

「二人共冷たいなぁ。もう少し博愛精神ってのはないのかい?鬼だって淋しいと泣いちゃうんだぜ?」

『そして泣きながら其処らの村でも襲うのですか?』

 

 淡々と冷淡に式神は宣う。取り敢えず人間には理解出来ないロジックで思考するので鬼の行動を予想するのは困難だ。そんな事が出来るのはこいつ含む四凶を嵌めて退治した当時の卑劣な右大臣様くらいのものである。

 

「それはそうと……仲を取り持つためとかいったか?どうした?何を考えている?あいつにお前さんのほざく英雄の素質でも見つけたか?」

 

 瓢箪を呷る鬼に向けて俺は質問する。唯でさえ種族的に嘘つきな上に同類の中でも飛びきりイカれているこの鬼が何を考えているのか分からんが、一応の確認のためのものであった。

 

「んー?ははは。伴部、お前も冗談が上手いな?」

 

 しかしながら俺の質問に対して横たわる鬼は自身の長い髪を掬い上げ、弄びながら冷笑する事で返した。

 

「あんなのでは英雄にはとても成れんよ。余り見損なわないで欲しいなぁ。これでも俺って人を見る目はあるんだぜ?まともに考えても見ろよ?あんなお古で薄汚れた襤褸雑巾が俺様と相対するに相応しい英雄の素質があると思うのかい?」

 

 鬼は鼻で笑う。それは嘲笑であった。見下すように、蔑むように、嘲るように化物は俺の預かる少年をこき下ろした。人でなしのように、愚弄する。

 

「…………!!」

「……ふふ、良いねぇ。ゾクゾクする視線だ」

 

 余りの言い様に思わず向けた敵意と殺意に対して微風を浴びるように飄々と、しかし楽しそうに、愉快そうに鬼は口元を吊り上げる。その態度が余計俺の神経を逆撫でした。

 

「これだから鬼って奴は………!!」

 

 嫌悪感を滲ませて俺は吐き捨てる。こうだ、これだからこの鬼は嫌いなのだ………!!

 

 原作のゲームを始めとした各種媒体でもそうであった。気に入った相手以外には自然体に相手を見下して貶めて、蔑み、塵のような視線を向ける。気に入った相手すらも少しでも気に食わなければ掌を返す。何処までも自己中心的で、自分本位で、独善的。そんなのだからここまで辛辣で心ない言葉を口に出来る。

 

「おお怖い怖い。けどそそるね。鬼相手にそんな視線向けられる奴なんてそうそういないからな」

 

 殺意の意志に対して、寧ろ心地好さすら感じてそうな鬼である。実際問題、この鬼からすれば俺の殺意なんざ人間相手に小動物が威嚇しているようなものであろう。健気さに愛らしさは感じるかも知れないがそれを恐れる可能性は皆無だ。そして、もし本気で命の危険に陥ればかつてそうしたようにこの鬼は溢れた腸を押さえながら全力で遁走するだろう。涙目で。

 

「………全く話にならねぇな」

 

 俺はジリジリと縁側を移動して鬼から距離を取る。この鬼と出来るだけ離れたかったし、その噎せるような酒の臭いがきつすぎたのもある。そんな俺の姿を見てかかか、とおっさんのように嗤う鬼。何処に嗤う要素があったのか全く分からねぇ。

 

 相変わらずの気狂いぶりである。正直これ以上話すのも億劫だし、下手に会話して地雷を踏み抜きたくもない。無視しておきたい。

 

(全く、主人公も良くこんな奴と付き合ってられたものだな。にしても…………)

 

 ふとそこで疑念を抱く。この無駄に凝り性で気難しく、身勝手な鬼が好き嫌いが激しいのは今更であるが………こいつからして今の俺の状態はどう認識しているのだろうか、と。

 

 薬のお陰でガワこそ人間のままであるが………松重の孫娘に抜き打ちで試される程度には予断を許されない身体なのは俺も自覚していた。

 

 あれ以来、自身の五感は如実に鋭敏になっていた。まるで獣のように嗅覚も、聴覚も、視覚も鮮明に、繊細になっていた。肉体はより頑健になっていて、霊力を使わずとも素の身体能力も若干向上しているように思われた。傷を負っても止血はより容易になり、傷が塞がるのも早い。

 

 無論、どれもあからさまに人間の枠からはみ出ぬ程度の事ではあるが…………それでも自身の身体が変質していると自覚するには十分で、それは恐らく日を経るごとに一層表層化する事だろう。後何年、周囲を誤魔化し切れるか知れたものではなし。しかも、重傷を負えばその均衡も危うくなりかねない。

 

 ……一度化け物になって以来、自分が本当に人間なのか断言出来なくなる時がある。そして、目の前の鬼はかなり歪んだ人間讃歌の主義者である。故に、俺には目の前の鬼が内心何を考えているか気が気でなかった。

 

 死にたくはねぇが……せめて、暴れるならば無関係な奴らを巻き込まないで欲しいものである。

 

「いやいや、そこまで不信の目で見なくても良いじゃないか?俺はこれでも………」

「………誰かそこにいるのか?」

 

 鬼が何かを口にしようとした次の瞬間の事であった。突如、障子の向こう側から声が響いた。声変わりしていない少年というよりも少女に近い声音。

 

「っ………!?あっ!?」

 

 一瞬俺はどうするべきか慌てて、次いで預かっている少年の身の安全をどのようにして守るかに思考を巡らせる。

 

 ただ、これは杞憂であったかも知れない。縁側で寝転がっていた鬼は笑いながら俺に手を振るとさっと風になって消え失せた。肩に止まっていた蜂鳥はいつの間にか何処かに去っていた。おい、逃げるなてめぇら。いや、居ても滅茶苦茶困るけども。

 

「………何してんだよ、あんた?」

 

 そんなこんなしてる内にさっと障子を引いて、白若丸は現れた。月光に照らされた寝間着姿の美少年は恐らく何も意識していないだろうに官能的だった。

 

 あー、これはプレイヤーも男に走りますわ。

 

「うっ………!?酒臭い!?」

 

 そんな少年は次の瞬間顔を歪めて鼻を腕で押さえる。恐らくは吐きそうな程の酒精の臭いに当てられたのだろう。俺はもう色々慣れてしまったが一般的に考えて常時酒を飲んでいるような鬼の口臭と体臭は慣れぬ者にとっては即座に昏倒しかねないものだ。

 

「あ、あぁ……少し酒盛りしていてな。済まんな。起こしてしまったか?」

 

 取り敢えず俺は誤魔化すように鬼の置いていった肴の皿を手にしてそう言い張る。この少年は少なくとも今は俺の味方ではない。碧鬼やら松重の式神の存在を教えてもややこしくなるだけだ。故に、誤魔化す。

 

「………酷い臭いだな。余り飲み過ぎるなよ?明日あんたが酔い潰れたら俺が困るんだからな?」

 

 鼻を押さえ、嫌悪感丸出しで少年は語る。俺は苦笑いを浮かべてそれに応じた。そんな態度が気に入らないのか目を細めて「寝る」とぴしゃりと障子を強く締める白若丸。

 

「………はは、嫌われたな」

 

 あの少年が酒が嫌いなのは知っていた。ゲーム内でも地雷ポイントとして注意されてたくらいだ。どう考えても墓穴を掘った。

 

「……気に入らねぇな」

 

 残していった漬物を傍らに置いてから、俺は好き放題に言い放ち、面倒事まで増やしてくれた鬼に向けて舌打ちしていた。

 

 …………この皿、どう処理しよう?

 

 

 

 

 

 

「………嘘つき」

 

 障子の内から漏れ溢れた失望と嫌悪と寂しさを滲ませた声は、夜の闇にひっそりと消え、それを呟いた者以外誰も聞く事はなかった。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 北土の経済的中心であり、朝廷から勅命にて土長官と将軍が派遣される白奥の街はある種の要塞都市だ。

 

 前世で言えば鎌倉やら小田原城をイメージすれば良いかも知れない。元々は名のある妖の住みかであった北土でも一、二を争う良質な霊地を朝廷が武力で奪い、その上に築かれた北土最大の街は四方に向けて街道は整備されているものの、同時に山脈や河川の連なり、その隙間を埋めるように関所に山城、砦、柵、物見櫓等が設けられている。それらによって囲まれた盆地は更に結界で覆われる事でその内に邪悪な存在が侵入する事を拒む。

 

 朝廷の一軍が駐屯する他ら陰陽寮から派遣される退魔士らに周辺の大名家や退魔士家からも軍役で多くの人手が留まる白奥は北土で最も栄える街であると共に万を越える妖の軍勢に攻め立てられようとも何年も持ちこたえられるように作られた朝廷の重要な拠点でもあった。

 

 谷間に設けられた石と木材、更には鉄で補強され、霊術的な防衛も為された関所は高さにして五丈、門の大きさは縦に一丈三尺、横に二丈五尺あって数台の馬車が並んで出入りが出来た。加護が与えられた鉄の鎧弩を手にした兵士達に備え付けられた国崩しは攻め込んできた妖を遠方から殺害するための装備で、これで止めきれない場合裏手の小屋に詰めた数人の退魔士が投入される事になる。

 

「待て。何処の者か。手形を出されよ」

 

 関所の前に築かれた柵で一旦俺達は止められた。槍を持った兵士らが数名近付くので、俺は鬼月の屋敷より交通書代わりに受け取った螺鈿と蒔絵の施された印籠を見せつける。鬼月の家の家紋が刻まれたそれを見れば兵士らの態度は一変して直ぐ様に門が開かれる。

 

「これはこれは北土の名門鬼月の方とは。一体何用で街へと?」

 

 慌てて駆けつけた関所の長が恭しく頭を下げながら礼をした。………馬に乗ってる白若丸に。あぁ、うん。まぁこいつの稚児服って結構上質だし、顔良いものなぁ。

 

「えっと………」

「鬼月の二の姫より橘の商会に礼物を届けるための使者として遣わされた次第。慎んで通行を許可して頂きたい」

 

 困惑する白若丸を制する形で俺は申し出る。同時に面の内から視線で黙っているように命じる。白若丸はごくりと唾を飲んで以来、口を閉ざした。彼が口を開くのは関所を通った後の事である。

 

「い、いいのかよ。あんな………」

「下手に間違いを指摘して薮蛇にするのも面倒だからな」

 

 間違いを指摘しても良かったが、それはそれで先方に恥をかかせる事になる。鬼月の者でなければ使者の代表でもない稚児上がりの小僧相手に下手に出ていたなぞ良い恥晒しである。

 

「………そういうものなのか」

「うん?」

「寺だと、序列に厳しかったから」

 

 視線を逸らして呟く白若丸。その脳裏に過るのは恐らくは寺住みの頃の生活だろう。

 

 多くの組織が秩序維持と指導のためにそうするのと同様、宗教においても階級制度は存在し、現実の世界では宗派ごとに多少の違いがあるものの仏教の僧界においては十五前後の階級が存在していて、それはこの世界においてもほぼそのまま設定流用されているようだった。現実との差異があるとすればよりそれが厳しいという事だろうか?まぁ、正確にはこの世界に、扶桑国にあるのは仏教ではなくてそれを元ネタにした架空の宗教なのだが。

 

 ましてや稚児にも序列があり、現実でも虐めがあったらしい。当然ながら白若丸は公家等の子息がなる上稚児ではない筈だ。ともなれば寺での生活は愉快なものではなかっただろう。

 

 ………尤も、一番酷い話はそんな寺生活でも妖や飢えの危険がないだけまだマシな方って事なのだが。ははは、やっぱこの世界って糞だよなぁ。

 

「………そうか」

 

 俺はそう短く答えるだけだった。白若丸も別に話を広げる積もりはなかったようで小さく頷くとそれきり黙ってしまう。

 

 関所を越えて、白奥の街に辿り着くまでの間、俺達はひたすら沈黙して進み続けた。

 

 白奥の街に、そしてそこに立つ目的地、橘商会北土支店本店に入店したのはこれから約一刻程後の事であった………。


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