和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 大変光栄な事に読者の方がPIXIVにて本作の記事を作成して頂けたので記載させて頂きます。

https://dic.pixiv.net/a/%E9%97%87%E5%A4%9C%E3%81%AE%E8%9B%8D


第四九話 団体客の御来店

 人と妖は本質的に違う存在だ。 

 

 特に妖の精神構造は人間とは隔絶しているといって良い程に違う。本能と欲望を剥き出しにして生きる彼らにとって人という存在は単なる餌に過ぎない。人が食用に過ぎない豚を思いやる事がないように、妖もまた人に慈悲をかける事はない。あるとすればその妖が通常とは違う方向に精神が歪んでいるだけの事だ。例えば人と羽虫を同価値として見なして深く愛する堕ちた地母神のように………。

 

 その意味ではこの地獄のようなおぞましい地下の巣穴は、寧ろ妖の価値基準で言えば正常であるのかも知れない。

 

「認めてやる気はないけどな………」

 

 繭に包まれた無数の「保存食」の安置所を岩影から一瞥した少年は吐き捨てる。

 

「成る程、感染源はここという訳か。やってくれるな…………」

 

 当初はただの事故の可能性も考えたが………流石は妖である。此方の予想を裏切らず奴らはおぞましい企みを、罠を仕掛けていた。

 

「無事辿り着ければ良いが………」

 

 共にこの地に調査に向かった相方は先に帰した。此度の騒動に隠された悪辣な罠、その片鱗を本家に伝える任もまたこの地に残るのと同様に険しい道となるであろう。追っ手の迫撃もある筈だ。少年に出来る事はと言えば相方の安否を祈るだけの事だ。

 

「さて。問題はここからどうするか、だな………」

 

 そして巣穴の影から覗き見るように少年は目を細める。ある意味では選択肢がなく課せられた役目のみを果たせば良いという立場は気楽である。その意味で彼は先に撤収した相方の立場が羨ましかった。

 

 一方で少年は選択を迫られていた。失敗する事の許されない、人命すらも賭けられた重大な選択を、である。

 

「選択、か。………はは、因果なものだな。よりによって俺が選択をか」

 

 少年は冷笑する。自身に課せられた選択が如何に自身に不適合で、厚顔無恥で、皮肉に満ちているものなのかを少年は良く理解しているからだった。

 

「相方が行ってから目撃する事になるとは………まさかと思うが罠じゃねえだろうな?」

 

 その安否を確認するべき対象達が連行されていくその姿を少年は目撃してしまった。目撃してしまった以上は無視出来ない。任務としても、人としても。ましてやその中に子供までいるとなれば………。

 

「勝算は高いとは言えないが………増援が何時来るかも分からないし、そもそもその時まで無事とも言えないな」

 

 そして少年は渋い表情を浮かべる。そして呟く。

 

「………後悔は、したくないな」

 

 後に悔いるから、後悔………若い隠行衆はそれがどういう事なのか、どういう意味なのかを良く理解していた。嫌になるくらい良く分かっていた。

 

 時間は巻き戻す事は出来ず、覆水は盆に返る事はない。行き着いた末路はどれ程残酷であろうとも目を背ける事は出来ない。ただあるがままにその選択の答えが突きつけられる。どれだけ悔いる事になろうとも。

 

 だからこそ……少年は悔やむ選択肢は選びたくなかった。悔やむ選択は本人の心を長々と、深々と抉り取るのだから。苦しめるのだから。

 

 故に、少年は選ぶ。例えそれがどのような結末を迎えるとしても、後悔しない選択を選ぶ。

 

 それが少年にとっての、為す事の出来うる唯一の選択肢であったのだから…………。

 

 

 

 

 

 

 清麗帝が御世の十二年皐月の十日、扶桑国が北土において異例とも言えるだけの朝廷による退魔士家の大動員が行われた。

 

 動員された家は三一家、参上した人員は退魔士だけでも八六名に及ぶ。ここにその数倍の下人衆に隠行衆、その他の衆が加わる。

 

 またこれの補助として一時雇いの在野の呪い師や退魔士らが加わる。数にして凡そ七十名である。更には臨時で雇われた民間の人足に雑用、商人等が百名近く随行する事になる。

 

 合計すれば七百名近い人員………龍狩りか鬼ヶ島への遠征にでも行くかのような大所帯は、しかし今回に限ればまだ数の上で心細いと言わざるを得なかった。

 

 河童が流行するは北土が能代邦の二郡、朝廷が戸籍として把握している限りの人口は併せて凡そ一万六千余り、恐らくはその全てが掃討対象であった。それも………。

 

「我々だけで、か………」

 

 名城郡から野本郡に入る境界線の関所を潜り抜けながら俺は呟く。幾重にも柵が立てられた関所には鎧を着こんだ上に弩や火縄銃、あるいは長槍を構えた官軍の兵士が緊張の面持ちで郡の方向を睨んでいた。葡萄弾を装填した大筒すら数門確認出来る。

 

 兵士らの装備はあからさまに飛び道具が充実していた。霊力が殆ど無効化され、しかも鉄を曲げる程の腕力を持ち、不用意な接触は感染の可能性も高くなる。その装備は可能な限り遠方から接近を許さずに予想される敵を殺害しようという意志に満ちていた。

 

 ………残念ながら、彼らが此度の掃討作戦に投入される予定は今のところはなかったが。

 

「………」

 

 無言。そう、無言の内に鬼月家の退魔士と各衆からなる隊列は関を越えていく。それに続くのは無数の馬車で、その中には朝廷より賜った此度の討伐作戦における切り札が納められている。それらは特に慎重に運ばれていた。

 

 そして、ちらちらと兵士達は鬼月家の隊列を一瞥していた。その眼に含まれる感情は同情と恐れ、あるいは蔑みもあるように思える。

 

「………あいつらは参加しないんだったよな?」

 

 俺の直ぐ側で荷を背負いながら歩く少年が呟いた。雑用も兼ねた見学として此度の任に同行する白若丸は釈然としない口調で関所に屯する兵士達を見つめる。

 

「まぁ、そもそも妖退治は俺達の領分だからな」

 

 俺の言葉は半分正解で半分間違いであった。朝廷の軍や各地から動員された武士団は河童によって制圧されたと思われる二郡の封鎖には投入されるが妖退治は基本的に退魔士の仕事としてこの大掃討作戦に参入するのを拒否していたのだ。

 

 職務怠慢とは言えない。当然だろう、下手に取っ組み合えば感染し、同族になりかねないのが河童という妖である。戦って死ぬなら兎も角、化け物になってしかも味方に殺されるのはご免被る筈だ。そんな事は専門家共にやらせたいという訳だ。あるいは兵部省と陰陽寮との間にある組織対立も関係あるかも知れない。

 

「にしても、これは面倒な事になったな………」

 

 黙々と行軍しつつ俺は小さく呟く。事態は俺の想像だにしない状況に陥っていた。

 

 無論、そもそもこれまで俺の受け持ってきた依頼も、その殆どはそうであるが、公式資料集や外伝で触れられないような内容が殆どだった。本編のゲームよりも前の時系列であるし、態態公式に記述されるような大それたものではなかった事もあるだろう。

 

 それは良い。一々中妖や小妖退治の依頼まで細かく原作で触れられている筈ないのは元より分かりきっていた事だ。

 

 ………だが、今回のような相当重大で大事な依頼内容すらも俺の記憶にある限り一つもそれを匂わすような設定も記述もないのは想定外であった。それが本編時空ではこれといった問題なく任務を終えたのか、それともこれが本編の時系列から外れたイベントなのか、この時点では判断がつかなかった。

 

(とは言っても、端から原作沿いに行く訳にも行かなかったしなぁ)

 

 そもそも原作沿いに行くならば九割方バッドエンドな時点で詰んでいる。原作ゲームの主人公様がどれだけ黄金の魂を持っていようとも実際殺されたり監禁されたり達磨にされたりするルートがある訳で信頼しきれない。

 

 そうなると、そのカバーのために大なり小なりイベントに介入しないという選択肢はなくて、それも原作がスタートしてから介入なんて遅すぎる。原作スタート前から介入しないとあの状況は間に合わな過ぎるしそれでも足りないくらいだ。というかゴリラ様の輪姦イベントに至っては強制参加だったしな。

 

「何にせよ、目の前の問題を終わらせる以外にやりようがねぇ、か………」

 

 奥歯を噛み締めながら俺は一人ごちる。色々考えるが所詮俺は下人衆の允職に過ぎない。此度の任には何十人も退魔士らが参加する以上俺に何かお鉢が回ってくる可能性は皆無であろう。故に俺に出来る事は目の前の仕事を処理していく事だけである。

 

 少なくとも、この時点でそう考えるのは何も間違ってなかった。そう、この時点では…………。

 

 

 

 

 野本郡に入って半日、郡内の街道は不気味だった。過ぎる村々は人気が全くなかった。忽然と、住民らだけが消えてしまったような状況………。

 

「村の井戸や残置された食糧には絶対に手を出すなよ。理究衆の奴らが調査した後消毒作業をしてから油を撒いて焼く手筈になっているからな。各班に指示を徹底させろ。これを破った者は問答無用で斬首する事になるぞ」

 

 野本郡に進軍した退魔士家らによる討伐隊は盆地の一角に陣を張った。天幕を張り、柵を打ち立てる。そんな作業の喧騒で賑わう中で俺は班長達を集めて注意喚起させていた。南土が港街で引き起こされた河童の大流行の際に厳命された「四殺三滅要項」の内容は今回も準じられる。

 

 任務に参加する者の河童化を抑え、かつ河童の感染者を完全にかつ確実に殲滅するためのこの要項は、これを違反した者もまた一切の例外なく殺害対象となる。故に俺は念入りに注意を促す必要があった。

 

 班長らを解散させた後俺は面越しに上空を仰ぎ見る。何十という鳥類の式神は周辺警戒のためのものであり、同じく周囲の叢や森の中にも虫や獣の姿を取る式神が多数展開、更に言えば鳴子等の警戒用の即製罠も多数張られているだろう。結界や呪い、御守りの類いが殆ど用をなさないどころか却って霊力で引き寄せかねない河童相手には早期警戒態勢の構築は急務だった。

 

 次いで鼻腔に焦げ臭い臭いがした。天を仰いでいた俺はその視線を臭いの発生源へと向ける。

 

 討伐隊と共に輸送された資材、それによって構築されつつある柵と逆茂木の物理的障壁……その更に向こう側で臭いは発生していた。

 

 紅蓮の炎がうねる。黒煙を吐き出しながら燃え盛るのは最早住む者のいない村の家屋………その周囲を散策している黒衣の集団の影は、一瞬人間ではないように錯覚してしまう程に異形であった。西方帝国から製法を習得して独自改良して生産している黒死病医の着込むような防護服………。

 

 公的には陰陽寮が、また独自に退魔士家が設ける理究衆は他の衆とはかなり性質が異なる集団であり、相当特異な集団でもある。

 

 正確に言えば公的な理究衆は上位機関たる陰陽寮というよりも朝廷の下部組織であり、各退魔士家の設立しているそれとは源流が異なるのだが………その仕事は変わらない。霊術や霊脈、妖、呪いと言った超常の理の実験と研究、調査を役務とする彼らの仕事は表沙汰に出来ぬものも多い。事実原作ゲーム「闇夜の蛍」でもルート次第で彼らのおぞましい所業が分かるどころか主人公自身が実験体にされるエンドも存在していた。

 

 此度の任においても鬼月を筆頭に大所帯の退魔士から各々数名、更には朝廷からも幾人かが派遣され、退魔士らに対する助言と「消毒作業」、そして標本採集を始めとした調査を行う事になっていた。

 

「この村の標本は不作だな。返り血と肉片はあるが本体が見つからん」

「あぁ。恐らくは討伐隊に気付いて引いているな。奴ら、集団で離れていても思考を共有出来るからな。戦力を集中させて迎え撃とうという魂胆だろう」

「となると被験体が手に入るのは二、三日後か。出来れば数体程生かして捕まえたいが………」

 

 何かを納めた箱を手にして会話をしながら直ぐ目の前を通り過ぎていく鳥頭のような仮面を装着する理究衆の衆員ら。何処か軽い口調で、しかし会話の内容はぞわりとするおぞましさがあった。

 

「…………」

 

 思わず俺は無言の内に緊張していた。妖を生かしたままに、それどころか半妖でもその頭蓋を切り開き針を差し込むような事を平然と出来る彼らにとって今の自分の状況を知られればどういう目でみられるか語るまでもない。

 

 彼らにとって、妖母の血が混じった人間なんてゴリラ様の言った通りに格好の標本であり、実験材料に他ならない。今の自分の体の秘密を知られるのは無論、受け取って隠し持っている薬すら知られる訳にはいかなかった。彼らならば薬を見ただけでその材料と効能、そして俺に起きている変化に気づきかねなかった。

 

「……………」

 

 同時に俺は陰鬱な気持ちになる。薬で誤魔化していてもあの化物の血は着実に俺の身体を蝕んでいるのだから。そして、それはいつか俺を完全に…………。

 

「伴部さん?宜しいでしょうか……?」

「っ!?……し、白か?」

 

 ふと背後から掛けられた声に思わず身体を震わせながら振り向いていた。そして視界に白狐の少女の姿を見た時、俺はそれが白のものである事に今更に気付く。

 

「す、すみません。その、やっぱり御忙しかったですか………?」

 

 俺の反応に心配したのか、不安を感じたのかおどおどと尋ねる半妖の少女。いや、実際不安なのだろう。

 

 此度の討伐隊の、鬼月家からの派遣団の代表が誰になるのか、危険は高いが見返りも大きいこの任の代表選びに雛派と葵派とで綱引きがあったのは想像に難しくない。

 

 結局は双方共に此度の派遣団の代表に自身とその手の者を就ける事は叶わなかったが、代わりにそれ以外のポストに互いの息のかかった者を捩じ込もうと躍起になったように思える。そして白はその犠牲者の一人だ。

 

 自身の侍女の半妖を派遣団の雑用として送り込むとはゴリラ様も容赦ない。挙げ句の果てに俺に面倒見ておくように言いつける始末だ。パワハラ上司とは正にあのゴリラ様の事と言えよう。

 

(一応、保険はつけているようだが…………)

 

 ちらりと一瞥して俺は確認する。本人が首元に吊るした御守りは幾重にも呪いを重ねた代物であり、大妖程度の攻撃ならば数発は耐えられよう。それだけでなく気配を消しているが本人の側に隠行した式神が幾つか控えているようであった。

 

(まぁ、原作の冷淡さに比べればかなりマシな方だな)

 

 尤も、凌辱イベント回避してもそれくらいの優しさもなかったら怖いけど。………いや、そもそも半妖の子供をこんな危険地帯に送り込んでる時点で全く優しくねぇわ。

 

「………伴部さん?」

 

 俺がそんな事を思っていると白は首を傾げて再度俺の名前を呼んだ。だんまりで自身を見つめている事に不安を抱いたのかも知れない。

 

「いや、少し考え事をしていてな。驚いただけだ。それよりも問題か?」

「い、いえ…そういう訳ではなくて……その、伴部さんにお呼びがかかっているのでご報告にと」

「お呼び?」

 

 その言い様からして呼び掛けは目上からのものなのは間違いなかった。そして白が来たという事は共同している他所の家ではなくて鬼月の、身内からのものなのもまた間違いなかった。そして、今回同行する鬼月一族の中で俺を態態呼ぶような面子と言えば………。

 

「………分かった。案内してくれ」

 

 面倒事の匂いがするのを自覚しつつ、俺は白に案内を頼んだ………。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 陣内の中でも特に大きなその天幕を潜り中に詰める人物を一瞥した俺は驚き半分納得半分という心境であった。

 

 まず最初に飛び込んできたのは太った男である。特注の椅子に座り、団扇を扇いで果汁水を啜るのは隠行衆頭豚………ではなくて鬼月宇右衛門である。

 

 次いで視線が向くのは上座にて敷かれた畳の上にしなだれる女性である。

 

 遊女、それも最高級の花魁かと一瞬思い違いしてしまいそうになるが、それもある意味では仕方無かった。

 

 手元に煙管を手にした黒髪の美女が豪華絢爛な袖引きの衣装を、それも白い項や肩、胸元まで見えるような抜き襟で着込んでいるのだ。目元の泣き黒子に気だるげで妖艶な瞳、直ぐ側に置かれた香炉からたなびく何処か怪しげな甘い香の香りもあって、その想像を一層補強する。

 

 鬼月家長老格、御意見番が鬼月胡蝶………此度の討伐隊における鬼月家の代表である。

 

 最後に視線が向くのは前者二人に対して衝撃具合では数段下がる手合いであった。幼げな顔立ちにしかし大人びた風貌もある銀髪の少女。弓道着と狩衣を組み合わせたような出で立ちは弓矢の扱いに特化していた。

 

 鬼月家分家筋が若手退魔士、鬼月綾香は遠慮がちに小さく俺に会釈した。

 

「………下人衆允職伴部、御命令に従い参上致しました」

 

 俺はそう宣言した後、恭しく頭を下げた。

 

「態態仕事中に呼び出して悪いわねぇ?人手不足で大変でしょう?」

「……いえ、与えられた任に最善を尽くすだけの事で御座います」

 

 咥えていた煙管を外してふぅ、と煙を吐いた後御意見番が何処か間延びした言葉で労うのを、しかしそれが只の社交辞令の域を一歩も出ない事を理解するが故に俺はただただ義務的に返した。

 

 それだけの事、そう社交辞令に対して社交辞令で返しただけの事であったが……しかし、残念ながらこの場ではそれは失敗だったらしい。

 

「そんなに肩肘張らなくても良いのよ?私達が知りたいのは今回連れてきた人数で事前の予定通りの任を果たせるか、それだけなのですからね?」

 

 朗らかに、しかし何処か圧迫感のある言葉………ここで俺は率直な意見を求められている事実を察する。

 

「………正直な所、現状の人数では少々無理をする必要があるのは事実であります」

 

 此度の任がために抽出した下人衆の数は四九名に及ぶ。教練中で碌な戦力にならぬ若手を除けば正規かつ現役の下人衆の人員の六割余りを動員したに等しい。事実上の総動員に等しかった。そして、それほどの人数を集めても尚、此度の任においては少々人数的に厳しい所があったのだ。

 

「…………」

「だ、そうだて。儂の部下共とて暇ではない。ましてや作戦の開始は迫っておる。今更そのような事に動かせる人手なぞおらん。諦める事じゃな」

 

 俺の実直な意見に対して綾香は顔を強ばらせる。同時に宇右衛門はむすっとした表情で嗜めるように綾香にそう言い放った。

 

「宇右衛門、その話は後にしなさい。態態下人の前で言う事ではないわ。…………下人衆の現状については理解したわ。こんな事で呼び出して悪かったわねぇ。もう退席して良いわよ?」

「………もう宜しいので?」

 

 呼び出しから退席の指示までの余りにも短い時間に、そして議題の内容が説明こそなくとも決して軽い内容とは言えぬ事を直感で理解して、俺は確認するように尋ねた。

 

「えぇ、勿論ですとも。……そうでしょう、綾香?」

「………はい。胡蝶様」

 

 釘を刺すように分家の少女を呼んだ胡蝶である。びくり、と名前を呼ばれて鬼月綾香は一瞬俯き、しかし無理に平静を装いながら答える。

 

 ………相当な葛藤を抑え込んでの返答であった。

 

「…………それでは、失礼致します」

 

 俺は事の次第を知りたい欲求に苛まれるが、それを抑え付けて淡々と、そう淡々とそう宣うと天幕を後にする。所詮允職は允職、俺にこの場に無理に留まる権限も、話題に参列する資格も皆無であったから………。

 

 

 

 

「………行ったわね」

「相も変わらず無愛想な奴ですな」

 

 下人衆允職が天幕を去ったのを確認して胡蝶が呟けば何処か不快げに、不機嫌そうに息子たる宇右衛門が嘯く。胡蝶はその物言いに僅かに不快感を覚えつつもそれを表に出す事も、指摘し糾弾する事もなかった。それが何らの意味もない事を理解していたから。

 

 胡蝶にとって宇右衛門は、少なくとも息子らの中においては決して嫌悪する者ではなかった。無才故に産んで直ぐに捨てられた長男は別として、あの男の生き写しのようだった元鬼月跡取りの次男に、その跡を継ぎ、今日に至る面倒事を引き起こしてくれた三男は兎も角、この末の息子については胡蝶はどちらかと言えば可愛がってすらいたのだ。少なくともこの末の息子は、良くも悪くも鬼月の悪癖が似る事はなかったから………。

 

「……………」

 

 煙管を再度吹かして胡蝶は暑さを誤魔化すように果汁水を仰ぐ息子を一瞥する。無論、だからといって何でも許してやれる訳ではないのだが………この末の息子が彼を疎む理由に同情はせずとも理解は出来るので特別に目を瞑ってやろうと胡蝶は思っていた。目をかけていた分、裏切られたと感じた時の怒りは大きいものだ。

 

 ………尤も、あの件に関しては実際の諸悪の根源は愛に歪んだ三男と心底愚かしいその孫娘なのも確かなのだが。

 

(まぁ、それの処理は後々の事。それよりも目下の問題は………)

 

 視線を移せばそこにいるのは俯き、悲痛な表情を浮かべる分家の少女だった。衣笠郷を預かる衣笠鬼月家の直系鬼月綾香………彼女が此度の討伐隊に同行したのは本人の志願によるものだ。

 

「綾香、気持ちは分かるがの。元よりも隠行衆も下人共程でなくとも何時何処で躯を晒すか知れぬ身じゃ。あやつとてその覚悟は常日頃からあった筈。元より主とは生きる世界が違うしの、割り切る事だて」

 

 嗜めるようにも、慰めるようにも、あるいは言い訳をするようにも取れる物言いで宇右衛門は答える。とは言え、綾香がその身を案じる相手の直属の上司が宇右衛門であり、そのつもりになれば件の人物を此度の危険な任務から外す事も不可能ではなかったのだが………。

 

「割り切るなんて………そんな事…………」

 

 心底物悲しげな口調で声を震わせる綾香。その姿に同情の念を感じるものの、胡蝶としても此度の分家の少女の提案を退けざるを得ないのが実情だ。

 

 胡蝶は知っている。人は、自身の手が決して大きい訳ではない事を。人間というものは生きる上で常に多くの物を取り零し続ける生き物だという事を。だからこそ冷徹に取り捨て選択をしなければならず、実力が満たぬ癖に全てを守ろうとしても、全てを助けようとしても、結局は全てを失い、自らすら失うだけなのだ。

 

 そう、遥かに昔の記憶に映る彼のように、そして風貌も、行動すらもあの人の似姿を取るあの子のように………だからこそ胡蝶は綾香の味方は出来ない。

 

 今の彼女にとっては彼が、あの子が一番優先なのだから。優先しなければならないのだから。大切に守ってやらなければならないのだから。

 

 ………今度こそは、愛しているものを失う訳にはいかないのだから。

 

「………貴女も疲れたでしょう?そろそろお休みなさい。明日の仕事に差し支えたら困るわ」

 

 話を打ち切るように、胡蝶は綾香に命じた。これ以上話しても実りある話にはならないと考えたからだ。そして分家の少女にはそれに逆らう事は出来ない。幾ら訴えたくても、願いたくても、不可能な事は不可能で、銀髪の少女はそれを理解出来ぬ程愚かではなかった。

 

「………はい。退席させて頂きます」

 

 立ち上がるとともに胡蝶と宇右衛門に対して恭しく礼をして、綾香はその場を退く。力なく天幕を出るその姿は頼り無く、まるで萎れた花のように生来の快活さと明るさはなかった。

 

「………随分と酷い落ち込みようね。宇右衛門、貴方この事態を予想してなかった訳でないでしょうに。あの羽山の所のあの妾子、こんな事になるのなら任から外しても良かったのではなくて?」

 

 息子と二人きりとなった所で胡蝶は疑問をぶつける。

 

 衣笠の分家の従姉弟らに取り潰された羽山の分家の妾子………才能の差があり、生まれの差があり、立場の差があるが故に今こそ壁があるものの、小さい頃は大層仲睦まじかったと記憶している。一族の年始の集まりで、屋敷の庭先で独楽や羽子板で遊んでいた光景を胡蝶は何度かこの目で見た事があった。

 

 あの子が下人落ちした事にも関係する屋敷でのあの一件で羽山の分家が取り潰されて、残された妾子が隠行衆に引き取られたのはある意味では保護でもあったのだ。直系と違い、母親が妾腹である事もあって引き継いだ霊力と才覚が落ちる事もありその程度で済んだ。それを………。

 

「母上、そうは言いますが儂はちゃんとあの小僧を保護して来ましたぞ?此度の任とて儂は事前に降りる事を勧めたのです。それを退けたのはあやつの判断、儂もそれ以上責任は持てませなんだ」

 

 憮然として宇右衛門は母の言葉に反論する。そうだ、此度の任は余りにも危険なために事前に任を与える前に辞退も勧めたのだ。それを断り出向いたのはあの少年の方である。宇右衛門からすれば、母の言葉は不当な責めであるように感じられた。

 

「そう。功を逸ったのかしらねぇ。あの子、そこまで欲深い子じゃなかったと思うのだけれど………」

 

 そして、そんな息子の言を頭ごなしに否定する程に母親の方も頑迷ではなかった。煙管を咥えて煙を吸い込む。白い息を吐き出しながら年を取って日に日に鈍くなる頭で胡蝶は件の少年について呟き、考える。さて、一体何があの妾子を駆り立てたのか。

 

「偵察の式神からは目撃情報がないとなると、上手く隠れているか、あるいは奴らの仲間入りか………」

 

 胡蝶も行方知れずのあの少年に思う所がない訳ではない。恨みも、蟠りもある。しかしながら同情もまたあった。

 

(身の振り方が下手な子だったものねぇ………)

 

 善良ではある。しかしながら、だからこそ質が悪いのも事実であった。特にあの一件はある種不運な事故であったが胡蝶からすれば割り切れるものではない。上の孫娘もまた同様だろう。

 

「………余り詰まらぬ者に意識を使う事もありますまい。明日には河童共の討伐が始まるのです。此度の討伐、母上の術はその主力の一つなればそれに備えそろそろお休みになられた方が良いかと」

 

 分家の少女が案ずる少年の所在を思う胡蝶に対して、話を終わらせたい気持ち半分、純粋に肉親を思いやる気持ち半分に宇右衛門は宣った。

 

 そう、何にせよ何時までもたかが隠行衆一人の運命なぞ最早些事に過ぎない。明日には大きな仕事があるのだ。そしてその要の一人が目の前の若々しい老退魔士である。彼女が使う技がどれだけの体力を使うかと思えばこのような些事で無駄な労力をかけるべきではなかった。

 

「あらあら、人を年寄り扱いなんて酷いものねぇ。女性を年寄り扱いするのは戴けないわよ?」

「母上……!」

「ふふふ、分かっているわよ。人生五十年……は流石に短いですけれど、そろそろ身体を労る必要があるのは理解しているわ。そうねぇ。確かに明日は体力を使うでしょうし、早く寝た方が良いわねぇ」

 

 ぽっぽっ、と煙管の中に詰めていた薬草の燃え滓を灰皿に落とす。

 

「子供と言われますが、やはり儂としては煙草の臭いは好きませんな」

「ふふふ、年寄りの数少ない楽しみよ。我慢しなさいな」

 

 憮然とした表情を浮かべる宇右衛門に、立ち上がりながら胡蝶は泰然として宣った。そして豪華絢爛な衣装を引き摺りながら天幕を出ていく。その害悪性が知られておらぬ時代、煙草は特に男にとってはたしなみでこそあれそれを厭う者は少ない。その意味で幼少期以来一貫して煙の臭いすら受け付けぬ宇右衛門はある意味珍しい存在ではあった。

 

「……やれやれ、無気力な癖に此度の任に出向くとは。しかもこのような席にまで顔を出すとは、相も変わらず何を考えている人なのだかの」

 

 立ち退くご意見番の背中を一瞥しつつ、相手を良く知るが故に宇右衛門はその行動を訝るように小さく嘯く。次いで、引き摺るように鼻腔を擽った煙の臭いに気付くと小さく顔をしかめるのだった………。

 

 

 

 

 

 

「これはこれは……また随分と団体様でお越しのようだねぇ」

 

 夕闇更け始める空の下、人影が山中から退魔士らの陣地を見ていた。否、それが人である筈がない。その身に纏う邪悪で穢れた力は……妖気は、その人影が人理の外側に立つものである事を如実に証明していた。

 

 ……人影の背後からそれは現れた。侍るように控える、明らかに人の姿から逸脱したそれらもまた、忌むべき怪物共である事は間違いない。

 

 人影の傍らに控える妖は一体は虎狼狸、文字通り虎と狼と狸を混ぜ合わせたような醜悪な妖であり、疫病を流行らせて多くの命を奪い去ってきた化物である。

 

 今一体は実体はなかった。病を広める魔風はただただ無言で感情を見せない。

 

 その一本足の巨大な梟には狼の尾があった。その昔には大陸にて幾万もの人間を厄災で苦しめてきた跂踵はその黒い瞳を細めて低く、不気味に鳴く。

 

 いずれもおぞましい力を使いて多くの人々を苦しめその命を奪い去ってきた凶妖………しかして、彼らを従えて君臨するその凶妖の前では何れも等しく只の若造に過ぎなかった。

 

「あいつの計画に従ってこれまで忍んで来たがそれも終わり、そろそろ我慢の限界だよ。………聞く所、近頃はあいつの布石も失敗が多いようだし、奴に恭順こそしたが隷属した訳じゃないんだ。そろそろ、自由にさせて貰おうじゃないか。えぇ?」

 

 ひねくれたような、嘲るような口調で人影は、仮初めの人の姿を象る怪物は嘯いた。楽しげに、囁いた。

 

 ……朝廷が成立する遥か古の昔より存在し、その司る権能は病。かつてはまつろわぬ民草に崇拝され、しかして拡張する扶桑の国に民が恭順した後には信仰は失われただの災厄を引き起こすだけの怪物として成り果てたそれは千年の昔に都を脅かした四凶が一体であり、大乱の時代には空亡に恭順してまで朝廷に一矢報いようとしてそれも遂に果たす事叶わなかった悪名高い「蜘蛛」である。

 

 蜘蛛は耐え続けてきた。ただただ復讐のために耐え続け、堪え続けてきた。しかしそれも今日までの事。獲物が罠にかかる迄忍耐強く待ち続けると思われているが元来蜘蛛という生き物は短気で、獰猛で、狂暴なのだ。

 

 故に蜘蛛は動き出す。それが愚かしい行動だと理解しつつも。その果てにあるのが破滅だけであると分かっていても。蜘蛛は動く。人間共相手に最後の仇花を咲かせるために。だからこそ態態この地域一帯を河童共の巣窟にしてやったのだ。お陰様で人間共の備えは河童対策のそれに偏重していた。

 

「さて、じゃあそろそろ行こうか。折角招き入れたんだ。歓待の準備は入念に、完璧に、ね。………片手落ちじゃあお客様方に失礼だからね」

 

 そう嘯いた怪物はその言葉の内容とは裏腹に冷淡に、冷酷に、何処までも悪意と敵意に満ちた視線で敵を一瞥すると、踵を返して手下共と共に森へと帰ったのだった。

 

 自分達を討ち果たそうとする人間共を盛大に持て成すために………。


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