和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 作:鉄鋼怪人
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………好感度を上げ切ってから手酷く裏切って絶望に突き落としたいくらい可愛い子ですね。
それは突然の出来事であった。森の中から現れた無数の河童の群れは、しかしこの付近一帯のそれがほぼ死滅した以上先ず有り得ぬ存在であり、また同時に周辺に展開している偵察用の式神の監視網を潜り抜ける事は困難である筈であった。
故にそれは俺達にとって不意討ちであり、その姿を見た当初思考が停止せざるを得なかった。無論、そのような悠長な真似が出来る時間は皆無であったのだが……。
「なっ……!?」
モグリの一人が驚愕に身体を強張らせた所を何十という河童に取り付かれて悲鳴を上げた事で俺達全員が我に返った。
「う、うわぁぁぁ!!?」
「な、何だこいつらぁ!?」
森の中から疾走して……文字通り両手足をある種間抜けにも思える程激しく振り回しながら全速ダッシュしてくる大量の河童の前にあるモグリは怯えるように逃げ、あるモグリは咄嗟に槍を構えた。その両方の選択が誤りであった。
「ぎゃあ!!?」
逃げ出した細身で小狡そうなモグリに、河童は獣のような疾走であっという間に追い付くと後ろから勢い良く飛びかかっていた。両手両足で背後から抱きつかれた男は悲鳴を上げて身体を暴れさせるが次の瞬間に首元を噛みつかれる。
「があぁぁぁぁぁぁ!!?」
噴き出す鮮血に轟く絶叫。それに応じるように何体もの河童が新たに飛び掛かり男に噛みつきながらその鎧を引き裂くように脱がしていった。
「お、おい止めろ!!?糞がっ!!何をす…止めやがれ……ぎゃがぁ!!?」
緑色の身体に全身纏わりつかれた男はその姿が見えなくなると同時に此までにない筆舌し難き金切り声を上げた。この男について、これ以上語るべき事はないだろう。
「ちい!?こん畜生!!来やがれ化け物風情がぁ!!」
大柄な肥満体の男は大柄な槍を構えて半ばヤケクソ気味に叫ぶ。そんな彼の元に勢い良く数体の河童が口を開き、涎を撒き散らしながら飛び掛かった。
「おりゃあぁ!!」
大振りに振るわれた槍の一撃は一体の頭を切り落として、その背後の一体に燕返しの要領で横腹から反対側の肩まで斜め様に腹を切り裂くと、更にそのまま真横から突貫してきた一体に向けて槍を向ける。そのまま自身の疾走の勢いで腹に槍が貫通する河童。しかし………。
『キッ……キキキッ!!』
「う、うおっ!?」
槍に腹を貫かれても、河童は前進しようとする。腹にぐちゅぐちゅと槍の穂先が、柄がのみ込まれていき緑色の体液を流すのも厭わず、気にせずただただ進み、手を振るい、爪を立てて男に襲いかかろうとする。その異様な執念に思わず怯む大男。
「ぐっ……く、糞ッたれが!!」
男は恐怖に怖じけながらもそれを押し退けると、そのまま槍を振るい回し河童を胴体から横に真っ二つに切り裂く。
「はははっ!!どうだ!!?ざまぁみ………」
勝鬨を上げようとした男は、次の瞬間に横腹から肩まで切り裂かれて内臓を溢した河童に横から飛び付かれて地面に突っ込んだ。
「うわっ!?馬鹿なっ……ぎゃっ……おい止めろ!?止めろおおおおぉぉぉぉ!!?」
すかさず周囲の河童が同じように群がり咀嚼音が流れる。舞散る血飛沫に混じって肉片のようなものが飛び散っていくのを俺は確認した。
「うわっ!?」
次の瞬間に腕の中の白若丸が悲鳴を上げた。咄嗟に俺は少年の足下を見る。衣服の上から少年の足首を緑色の腕が掴んでいた。視線を移す。そこにいたのは先程上半身と下半身を泣き別れさせた河童がいた。……臓物を引き摺り大量の血を断面から垂れ流していながらもまるでそれを気にもしていないかのように此方を見上げていた。……残虐で嗜虐的な笑みを浮かべて。
「大人しく死ね!!」
すかさず俺は少年の足首を掴む河童の頭を槍で潰していた。同時に正面に向き直る。既に何百、何千という河童は五十歩余りの距離にまで迫っていた。
「このまま逃げても追い付かれる、か………!?」
後ろを向いて逃亡しようとした破落戸がどうなったのか言うまでもない。かといって迎え撃てば圧倒的な数によってのみ込まれる。
(不味い!どうする?どうすれば逃げ切れる!?どうすれば………)
『上です』
「っ……!?」
耳元で囁かれる言葉に、俺は直ぐにその意味を解すると傍らで震え縮こまり、俺の腕に抱き着く少年に向けて命じる。
「白若丸、俺の背中におぶされ!」
「えっ!?一体何を……」
「いいから早く!」
「ひっ……!?わ、分かった……!!」
俺の怒鳴るような命令に少年は怯えつつも背後から首に手を回して抱きつく。抱きつきながら迫り来る河童共を見やる。
「どうすんだよ!?もう目の前まで………!!」
「分かってる!……足も絡めとけよ。此方からは助けられんからな!!さて、行くぞ!!」
自身を奮い立たせるためにそう叫んでから俺は四肢に霊力を流し込む。筋力の強化のためであった。そして……跳躍して一気に大木の一つに登り始める。
「っ……!?よし!!?」
幹に突き立てた爪が割れて、血が流れるがそんな事は今更どうでも良かった。俺は気付いていた。木登りしてしまえばこいつらは俺達をどうにも出来ない事を。そして大木の中頃にまで登りきる頃には真下は何十という河童で緑色に埋まっていた。キキキッ!と鳴き声を上げながら木の幹に爪を立てる河童共。
「ひっ……来るっ!!登って……登って……来ない………?」
木の根元まで疾走してきた河童共は、しかしそれから先木に登ってくる事はなかった。悔しげに、指を咥えるように奇声のような鳴き声を叫ぶ化物共を見下ろして困惑する白若丸。
「はぁ、はぁ………そりゃあ、水掻きじゃあ登れんからな。どうにか助かったと思いたいが………」
息切れしつつ俺は指摘する。水掻きのついた手では木登りするには指を複雑には動かせまい。俺は背中に掴まる少年を十分な太さのある枝木の一つに移して下を見る。河童共は忌々しそうに木を揺らすが相応に太い大木が相手では然程意味は無さそうだった。俺は一応の安全を確保した事に安堵の溜め息を吐く。
「ぐおっ!?糞……糞がっ!!この、汚ねぇ手で俺の足を掴むんじゃねぇ……!?」
……ふと、野太いその悲鳴が近くで鳴り響いた。
「何だ?」
「お、おい。あれ………」
先にその出所に気付いた白若丸がそれを指差した。俺がその方向に視線を向ける。そこにいたのはあの破落戸共の頭目であった。俺達と同じ大木に登り、しかし登りきれずに足を掴まれて引っ張られ、文字通り必死に抵抗する髭面の隻眼の男。
「っ………!?」
男が何かに気付いたかのようにはっと顔を上に上げる。………俺達と男の視線が交差した。
「ひ、ひぃ……!?た、頼むぅ、助けてくれ!!御願いだ!!」
先程まで部下達と共に俺達を追い詰めていた男は懇願した。必死に、すがるように、助けを求める。
「この上なく都合が良い奴だな」
「見捨てるのか?」
木の上でその光景を見つめていた俺の言葉に白若丸が尋ねる。俺は無言でもって答える。
「………」
ちらりと、俺は少年の顔を覗いた。必死に俺達に助けを求める男を見下ろした少年は不快感と軽蔑、敵意と、本当に僅かな哀れみを込めた視線を向けていた。恐らくここで俺が見捨てる選択をしても彼は反発する事はなかろう。無かろうが………。
「ぐあっ……!?頼むぅぅ……!!御願いだ、い、嫌だ死にたくねぇ!!こんな場所で死にたかねぇ!!助けてくれ、助けてぇ………!!」
目に涙を浮かべて男が哀願する。絶望した表情で必死に呼び掛ける。足を引っ張られながら、男は木の幹に爪を食い込ませてすがり付く。もしその手が離れれば彼は河童共に次々と覆い被せられて地獄を見る事になるだろう。
「…………」
白若丸はそんなある意味目を背けたくなるような光景を無言で見つめる。冷たく空虚な視線はしかし、それは男への敵意のためというよりも、世の中の残酷な摂理を見ているようにも思えた。
………少なくとも、子供のするような目付きではなかった。して良いような目付きではなかった。そして、俺は悟っていた。このままでは彼のこの目付きは永遠に固定されてしまうであろう事を。故に………。
「…………糞、流石に見殺しは駄目だろ。教育的に」
暫し考え込み、しかし俺は舌打ちしつつも決断した。
正直あんな男、助けてやる義理も義務もないのだが……河童共のお仲間が一体増えるのを何もせず座視する必要もないし、それ以上に俺の服を掴んで傍らに控える少年に余り残酷な光景を見せたくはなかったし、何ならその性格を歪ませる経験はさせたくないのが本音であった。
白若丸は数あるバッドエンドの中でも、特に救妖衆勝利エンドの鍵の一つだ。基本的に主人公が介入しなければ酷い目に遭いまくるこいつはストレスが一定の域に達するとそのまま同じ人間に失望して闇落ちする。そして自ら進んで妖共の儀式に協力し、挙げ句には生け贄になる。
神事や儀式で巫女等の舞いが奉納されるのは良くある事である。逆に言えば禁術や邪術の類いでも同様だ。白若丸はその意味において絶好の素材であった。しかも本人が世の中に絶望仕切っていれば言う事無しである。故に………。
「余り心の傷口は作らん方が良いだろうなぁ」
「あ?何を言って……お、おい何をする積もりだよ………!?」
突然立ち上がり、動きだそうする俺に向けて白若丸は狼狽えた。狼狽えながら問い質す。
「どうって………死んでも仕方ないような奴だろうがあのまま捨て置くのも気分が悪いだろうと思ってな。お前はどうだ?」
「お、俺!?」
自身に話を振られた事に白若丸は動揺する。
「危険はあるからな。お前が嫌だっていうなら俺も無視するさ。どうする?正直見捨てても文句言われるような相手じゃないが」
「俺は………」
暫し沈黙する少年。何とも言えぬ複雑な表情で必死に助けを求める男を見つめ、顔を歪ませて、そして俺の顔を見やる。そして決断するように少年は答えた。
「……どうやって助けるつもりだよ?」
それが肯定を意味している事が俺は直ぐに分かった。元よりこいつならそれを選択するだろうと思っていたから。結局、ゲームでもこいつは闇落ちする寸前まで希望を抱いて世の中を失望仕切れなかったような奴なのだから。
「ふっ。なぁに、縄なら腰元に着けている。ほれ、その辺りの太い枝に結びつけてくれ」
少年の根の素直さと優しさを思って苦笑した後、そういって俺は腰元に吊るしていた多目的用の縄の端を白若丸に渡す。
『下人、正気ですか?』
「自分が馬鹿なのは知っているよ。………悪いが何かあった時の尻拭いは頼む」
耳元からの怪訝な声にそう呟いて俺は懐から取り出した投石器を振るった。良く狙いをつけて適当に拾っていた礫を男の足を引き摺ろうとして引っ張る河童に向けて投げつける。
『ギッ!?』
礫は眼球に命中して、片目を潰された河童は顔面を押さえて倒れこむ。当然ながら男を引っ張る手は外れる。
「ひ、ひぃ……!?」
「おい、死にたくなかったらその縄を掴め!」
白若丸が投げた縄を掴んで俺が叫ぶと男は必死に縄に手をかける。男の体重に引き摺られそうになるのを踏ん張る。白若丸は縄の先端を枝に巻いて固定していく。
ゆっくりと、男は縄を伝って此方に登っていく。
「ぜぃ……ぜぃ………」
「待て、そこで腰元の刀は外せ。懐の小刀もだ」
俺は槍を手に警戒しながら命じる。俺も完全に御人好しではない。武器くらいは放棄してもらう。
「ま、マジかよ!?そんな、俺に手ぶらになれって………」
「いやなら縄を切るぞ」
「ぐぅ………!」
俺が脅迫すれば男に反対する選択はない。渋々と武器を捨てていく。
「………よし。登れ」
登頂の再開を許すと男は再び木登りを始める。そして、汗水垂らしながら漸く頭目は俺達のいる場所にまで登りきった。
「はぁ……はぁ……けほっ。お、恩に切るぜ鬼月の允職。助かった」
咳き込み、息切れしつつも男は登りきると礼を述べる。
「へへへ。マジで今回は終わりだと思ったぜ。あんたがいて本当に助かった。命拾いしたぜ。はは………情けをかけたつもりかよ、この下人風情がっ!!」
「っ!?正気かよ……!?」
男は次の瞬間、当然のように殴りつけてきた。俺は僅かに驚愕しつつもそれを避ける。こいつ……!?
「て、てめぇ……!?この状況で、本気か!?」
ここで俺を殺しても事態は好転しないというのに、寧ろ協力した方が……!!?
「協力だぁ!?本当に甘ちゃんだぜぇ!!あんなに沢山河童共がいるんだぜ?寧ろ逃げるには囮がいるだろうが……!!」
俺に掴みかかり押し倒しながら頭目は叫ぶ。この物言い……こいつ、まさかさっきも仲間を生け贄にしていたな!?
「御名答だぜ、允職!追い付かれそうだったからな!二人程手下の足を切り捨ててやったよ!!」
ニタニタと笑いながら男は俺の槍を奪うと地面に向けて放り捨て、そして太い両手で俺の首を締め始める。
「ぐぅ……!?こい、つ………!!?」
「ははは、まさかマジで助けてくれるたぁ思わなかったぜ!これまでも上手く他人を騙して生きてきたけどよぅ、その中でもてめえは底抜けの御人好し野郎だ!ははっ!はははははっ!!」
頭目は嘲笑する。心の底から愉快げに嘲笑する。
「この……屑がっ……!!」
「お褒めの言葉と受け取っておくぜ!!俺はそうやってこれまで生きて来たんだよ!!てめぇこそ随分と甘過ぎるぜ!!?そんなので良くこれまで生きてこれたな、えぇ?」
頭目は詰るように宣う。勝ち誇るように嘯く。馬鹿にするように叫ぶ。そして何故か忌々しそうに吐き捨てる。
「全くよう、最初に見た時からイライラしていたぜ、その下人の癖に妙に澄んだ目がよ?本当に見ていて腹が立つんだよ、てめぇは!!」
「ぐっ……うぐっ………!?」
俺の首を絞めながら、男は俺を河童共が待ち構える地面に落とそうとしていた。地面に落ちないようにしながら男の締め付けに抵抗する俺は、しかし次第に酸欠になり意識が朦朧とし始めていた。今更ながらやっぱりこんな奴、助けたのは失敗だったかと後悔する。尤も………。
「保険はかけてたけどよぅ………!!」
「ぎゃあ!!?」
次の瞬間、眼前に現れた蜂鳥が男の顔面を引っ掻いた。思わぬ奇襲に驚く男。その隙を見逃さず、俺は男を蹴り飛ばす。仰け反って木の枝の一つに叩きつけられる男。ちぃ、運が良い奴め。そのまま落っこちれば良かったものを……!!
「ぐおっ……!?し、式神!?いつの間に……だがしかしよぅ………まだ、がっ!?」
「何!?」
顔を押さえて、しかし憎らしげに紡がれた頭目の言葉は突如として途切れた。途切れさせられていた。
「これは……!?」
俺は眼前の頭目を凝視する。身体を震わせて、その顔は驚愕に強張り、白目を剥いていた。その余りにも異様な姿に俺は困惑し、しかしその正体を理解すると苦虫を噛み締める。
「畜生、河童だけじゃねぇのかよ………!?」
頭目の背後より現れたのは数体の蜘蛛であった。子供程の大きさがあろう巨大な蜘蛛の妖が頭目の身体に張り付き、這いずる。それは恐らくは自身の牙の麻痺毒で頭目を背後から突き刺してその動きを封じてしまったようであった。
「あっ……ぐがっ!?た、たしゅげ………!?」
性懲りもなく呂律の回らない舌で俺達に助けを求める頭目を、しかし俺は何もしなかった。流石に二度も裏切られるのはご免であったし、それ以上に俺には助けるべき相手がいたのだから。
「白若丸!頭に気を付けろ!」
「えっ……!?ひぃ!!?」
「ちぃ、ここいら一帯こいつらの巣か!?」
白若丸は上を見上げて悲鳴を上げる。じっくりと目を凝らせば木々の間より半透明な糸が幾重も伸びているのが確認出来た。そして枝葉の陰より現れるのは幾体もの子蜘蛛共………!!
「っ……!?こいつら待ち伏せしてやがったな!?」
今更のように俺は蜘蛛共の妖気に気付いた。恐らくは俺達が来るまで休眠状態で待機していたのだろう。野生の蜘蛛と同じだ。蜘蛛は飢餓に強く、巣に獲物が引っ掛かるまで延々と気配を消して待ち続ける。こいつらは自分達の妖気まで偽装していたのだ。
「来た!?」
次々と枝木の間から飛び掛かってくる子蜘蛛共。俺は懐にしまいこんでいた小刀でそれを切り捨てていく。空を切る音と共に飛び散る体液と蜘蛛共の身体………。
『下人、後ろです!』
「っ!?白若丸!下がれ!」
「えっ……!?うわっ!!?」
俺は背後にいた白若丸を引き寄せる。敵は上からだけではなかった。地面から這い出て来た蜘蛛が白若丸を背後から狙っていた。これを切り捨てる。糞、只でさえ足場が限られているのに、これでは………!!
「うおっ!?」
破綻は突如としてやって来た。姿勢を崩した所を狙いすましたかのように突然何処からか白い糸が俺に叩きつけられた。妖力の付与された粘度の高く、それでいて硬い蜘蛛糸。そして木々より現れるはそんな糸を口から引き伸ばした巨大な女郎蜘蛛だった。
『チッチッチッチッチツ!!』
それは感情の窺い知れぬ八つの目で俺を見つめると顎を不気味に鳴らして更に俺に糸を吐きかけて悶いて抵抗せんとする俺の身体を拘束していく。そして……。
「うぐっ!?」
背筋に走る突き刺すような激痛に俺は苦悶の声を上げていた。全身が痙攣して、その後に意識が朦朧とした。思考がぼやけていき、身体が動かなくなる。何処からともなく現れる無数の蜘蛛共がそんな俺を囲んでいく。
「おい、大丈夫かっ!?しっかりしろよ!!?い、いや……!そんな……一人にするなよ………!!」
そして、そんな火中の栗のような俺に向けて白若丸が怯えながらも駆け寄ってきた。必死にすがりつくその表情は明らかに泣き顔だった。孤独に怯える、親兄姉に助けを求めるような子供の表情………。
「馬鹿……逃げ………」
しかし、そこまでいって俺は気付く。逃げ場なぞ何処にある?木の下では獲物を横取りされた事に不満そうに泣き叫ぶ河童共で溢れかえっているというのに。
「っ………!!」
つまりは、この状況は詰んでいた。どうしようもない。どうにもならない。その事を理解すると無力感に俺は苦虫を噛む。それしか出来ないから。
(余りにも情けねぇな………)
せめて白若丸だけでも逃がせたら良かったのだがこの状況では手の打ちようもない。それに白は、部下達はどうなっているのだろうか?上手くやってくれてると嬉しいのだが………。
「畜……生………」
暗転する視界の中で、俺はただただ泣き顔で寂しげに俺に抱き着く少年と、そんな俺達をゆっくりと囲い、糸を吐き出して二人纏めて絡め取っていく蜘蛛共の眼光を、何も出来ずに無力に見つめ続ける事しか出来なかった。
黒煙が上がっていた。森の一角でとある下人と少年が蜘蛛の糸に絡め取られていた頃、そこから程近い討伐隊の陣地の外郭部は阿鼻叫喚の嵐に包まれていた。
主に臨時で雇用されたモグリやはぐれの退魔士や呪術師ら、それに同じく炊事や洗濯に雇われた雑用人や警備の一部下人衆が屯していたそこは最早地獄と化していたのだ。
森の中から襲撃してきた河童の群れは柵と逆茂木で構築された防衛陣地に突っ込むと自身の怪我も気にせずこれを数に任せてあっという間に突破した。そして一足早い戦勝気分に酔っていたモグリ達に襲いかかったのである。
周辺の安全が確保されている………少なくとも接近に際してそれに備えるだけの時間的余裕はあると想定していたが故に、それは完全な奇襲となった。鎧を着込んだり、武器を取る事が出来ぬ内に三分の一余りが河童の海に呑み込まれた。辛うじて迎撃に出る事の出来た者達も、しかし運命は然程変わらない。
霊力を使った大規模な殲滅攻撃が効かぬ以上物理的に相手を斬り殺したり、殴り殺すしか選択肢がないというのに、相手は濁流のような数がいるのだ。一体二体切り捨てた所で十二十もの怪物に飛び付かれて多くはそれきりとなってしまった。
尤も、抵抗出来る力のある者はまだマシだろう。この討伐隊に雇われた雑用達は唯人ばかりである。彼ら彼女らは抵抗する選択肢すらなく逃げ惑い、河童に蹂躙されるだけの運命だった。
「畜生!?どうなっていやがる!?何でこんな………!!?」
鎧を着込む時間すらなく刀一つを手にして次々と河童を切り捨てるモグリの退魔士は叫ぶ。
既に周囲は地獄だ。天幕は燃え、篝火は倒れ、地面には酒瓶や武器が散乱し、鍋はひっくり返って中身がぶちまけられていた。
『キキキッ!!』
「ちぃ!?」
背後から襲いかかる河童の突貫を回避して、そのまま刀の切っ先で喉を切り捨てる。ここまでの戦闘で河童の狂暴性と生命力は手足を切り落として腹を裂く程度では死ぬまで襲いかかってくる事は分かっていた。故に一撃で即死させて反撃を阻止する。
「もうここは駄目だ!引くぞ……!!後退しろ!!」
別のモグリが叫ぶ。それに釣られて刀使いのその男もすぐ隣に隣接していた正規退魔士達の駐屯する陣地に避難しようとする。追い縋る河童共は後退するという判断も出来ずにただただ必死に防戦する下人共を囮に押し付ける。
「よし、もう少し………むっ、あれは?」
同じように柵と逆茂木で守られた陣地の入口に刀使いはその人影を見出だした。全身黒衣に鳥のような被り物を被ったそれは……理究衆?
「おい、助けてくれ!!河童が、河童共が………!!」
刀使いが助けを求めようとしたと同時の事であった。陣地の入口にいた数人の理究衆らが何かを取り出す。鉄の箱形に牛の腸のような太い紐が繋がっていて、その先端は火縄銃の銃口のような筒が装着されていた。
「えっ……?」
次の瞬間、その筒の先から吐き出された炎の渦が背後から迫り来る河童ごと自身を呑み込む有り様……それがそのモグリが見た最後の光景であった。
「ふむ、予想よりも数が多いな」
正規退魔士らが駐屯する陣地、そこに設けられた即製の見張り櫓の上で老人は嘯いた。目の前の凄惨な光景を冷静に見渡して。
襲撃してきた河童の総数は五千といった所だろうか?やはり毒瓦斯に備えて何処ぞに隠れていた集団があったようだ。あるいは繁殖した個体か………しかし想定したよりも意外と数は多いようだ
「囮を置いて正解であったな。お陰で面倒を省けそうだ」
北土の退魔名門三家の一つ、宮鷹家の老退魔士は呟いた。そう、数こそ想定外ではあったが。それだけの事だった。
ある意味で、モグリの頭目の勘は命中していた。
鷹宮の家が態態モグリ共を、それも特に素行の悪い連中を広く呼び集めたのはこの時のためである。低地の陣内に囮として置くために、そのためだけに彼は高い金で奴らを雇い入れたのだ。序でに言えば商売敵であり、退魔士の印象を悪くする彼らにこの機会に纏めて死んでもらおうという意味もあった。そしてそれは今正に現在進行形で続いている。
「……さて、そろそろ合図を出すとするかな」
「はっ」
老退魔士の指示に従い宮鷹に仕える家人がその合図を上げた。
刹那、陣営周囲各所に巧妙に偽装して隠していた小陣地より黒づくめの人影達が現れる。理究衆……彼らはその手の内にあるその筒を河童の群れへと向ける。そして………次の瞬間、業火の炎が身体を捩りながら暴れる龍のように伸び、囮のモグリ共に襲いかかっていた怪異共を百歩先から一気に数十体単位で焼き払った。
「ほぅ。あれが『帝国の業火』か」
その迫力を前に、所詮は道具である事を理解しつつも宮鷹の老退魔士は思わず感嘆の声を上げた。
西方帝国にて開発され扶桑国にも伝えられた『帝国の業火』……松脂に硝石、石灰等を合成したものを気圧の変化を利用したある種のポンプで噴き出すと共に着火させて炎の柱を吐き出す所謂火炎放射器がその正体であった。
とある下人の前世で言う所の『ギリシアの火』に限りなく類似したその兵器は朝廷の独占する秘密兵器の一つであり、大乱の時代において毒瓦斯、霊欠起爆と並び退魔士の絶対数が不足する戦線において大々的に投入された唯人が妖共を殲滅するための切り札的存在であった。百歩先に向けて水でも消えぬ高熱で相手を焼き尽くす人工の炎………。
無論、あの程度の炎ならば一流の退魔士ならば作り出す事は然程難しいものではない。しかしそれは一流であればこそである。唯人が、しかも霊力も使わずともなれば意味合いは変わってくるものだ。
特に今回は河童が相手という事でこの『帝国の業火』の重要性は朝方に使用された毒瓦斯共々討伐隊にとって虎の子とも言うべきものであった。当初は相応に苦戦を予想していたものであるのだが………。
「朝廷からすれば我々の牽制の目的もありましょうな」
家人の言葉に老退魔士は沈黙を持って肯定する。そも、唯人らによる朝廷からすれば退魔士もまた潜在的な不穏分子である。妖という存在があるが故に今の関係性が成り立っているという側面は否定出来ない。
朝廷からすれば此度切り札とも言うべき兵器を二つも討伐隊に提供した事実はこの案件を重く見ているのと同時に退魔士らに対する警告でもあるのだろう。朝廷に反逆しようものならばこれ等の兵器が牙を剥くのは同じ人間となる筈だ。更に言えば今回のような大規模な妖共との戦闘の機会はそうそうないので改良した兵器の性能評価実験という側面もあるかも知れない。毒瓦斯の際同様、朝廷から派遣された理究衆達は嬉々とした態度で目の前の凄惨な光景を観察していた。
「尤も、まだ楽観は出来んな。本客が御出座しのようだ」
その言葉の直ぐ後の事であった。老退魔士の視界の一角、火炎放射を続ける黒死病医衣姿の者達の周囲の地面が盛り上がる。
「っ……!?」
次の瞬間の事である。突如地面から巨大な影が理究衆に襲いかかる。鳴り響く悲鳴。それは八本の足で理究衆を拘束するとその顎に生えた牙で黒死病医衣の上から中の人間に溶解性の毒液を注入していく。
「来たか」
同時に老退魔士は同じように地中を掘り進めて地上に出、見張り櫓を音もたてずに登り背後から飛びかかってきたそれを、人間並みの大きさを誇る巨大な地蜘蛛の正面に指で一閃する事で結界を張りその突撃を阻止した。同時に空中に展開するのは結界を結んで形成した無数の針であった。そのまま重力に従い落ちる透明の針が地蜘蛛の妖の外殻を貫きその命を刈り取る。
櫓の下方に視線を向ける。同じように地上から這い出てきた多数の地蜘蛛共と正規退魔士と下人や隠行衆らが戦闘に突入していた。いや、それだけではない。
「ほぅ、凶妖が三体もおるとはな」
目を細めながら老退魔士は小さく驚く。
『グオオオオォォォォォォ!!!』
一体は複数の獣を組み合わせたような醜悪な怪物で、その瘴気を含んだ吐息は周囲の草木を枯らして、下人共を腐らせて殺していく。飛び道具すらもその例に漏れず矢は朽ち果てる。周囲の者達は近付く事すら叶わない。
『……………』
今一体は不明瞭な輪郭しか分からぬ風であった。突風を吹かしたかと思えば攻撃を仕掛ける隠行衆や下人衆はしかしその攻撃は全て空しく通り抜け、一方でその突風によって次々とその身体を切り裂かれ、切断され、落命していく。物理的な武器が殆んど効かぬこの妖に対して、しかし此度の遠征隊は河童対策で編成されていたが故に有効な装備を持つ者は余りにも限られていた。
『っ………!!』
それは梟であった。狼の尻尾を生やした牛車よりも巨大な梟。それは上空より音を置き去りにするように一気に降下すると必死に防戦する下人を数人纏めてその爪でもって頭を切り裂いて切断する。慌てて迎撃せんと身構える生き残りの下人らは、しかし刹那妖に見つめられると呻き声と共に崩れ落ちる。
「中々格の高そうな妖共ですな」
「所詮は滅びるべき時に滅べなかった者共よ。幾ら暴れようとも勝敗は決まっておるわ。ほれ、先ずは一体」
その言葉と同時の事であった。突風と共にそれは梟の妖に襲いかかった。
『クルッ………!?』
切り裂いた下人共を啄んでいた妖は、次の瞬間には頭上から押し倒されていた。それは高高度から急降下してきた白鷺であった。巨大な白鷺の簡易式神。それは梟の頭を蹄で無理矢理に押さえつける。絶対に動かせまいとばかりに地面へと押し付ける。
梟の目がある種の魔眼である事はここまでの戦闘を観察していた事から分かっていた。もしその頭の動きに自由を与えれば次の瞬間には梟らしくグルリと頭を回転させた瞳によって式神は呪われるだろう。
ゴキッ、と白鷺は梟の首の骨をへし折る。びくり、と身体を震わせた妖はしかし暫しするとそのままぐたりと力尽きた。
駄目押しとばかりに式神の口から放たれるのは業火である。急速に燃焼する妖の死骸、そしてふわり、と人影が式神の背より地上へと舞い降りる。
「流石は鬼月の御意見番ですか。不意討ちとは言えああも呆気なく一体仕留めるとは」
家人は感嘆の声を漏らす。元より高高度から戦況を観察していたのだろう。その上で三体の凶妖の内、最も奇襲が成功しやすいものを選び、その能力を封じた上で仕留めたのだ。しかも相当丹念に作ったのだろうがたかが簡易式でである。
早朝に大量の蝶の式を手足のように操っていたのも含めて、鬼月胡蝶という退魔士が簡易式神の使役に於いて相当の技量を持つ事が家人からも存分に理解する事が出来た。
「ほぅ、主にはそう見えるか?」
しかしながら老退魔士はそんな家人の称賛の言葉に疑念の言葉を呟いた。
「?違うのですか?」
「違うな。あれは狡猾で、冷淡で、慎重な女よ。本来ならばこんな軽率に前に出はすまい。例え身内が危険に晒されているような状況でもな」
そう宣いつつ老退魔士は目を細めて件の人物を見つめる。何処からともなく現れる地蜘蛛の妖共が迫り来るのを、胡蝶は扇子を振るえば次々と鳥を模した簡易式が現れ、その凶器のような鋭い嘴で妖共を啄んでいく。相手が精々小妖から中妖とは言え簡易式でそれを圧倒する姿は驚嘆するべきだろう。尤も………。
「本当に妙な事だの。あの女狐があれほど必死に戦う等と………」
可憐に、優雅な、しかしそれを装いつつもその実相当に焦燥しながら戦っている事を仕事柄幾度も面識のあった老退魔士は気付いていた。
そう、それはまるで何かを守ろうとしているかのようにも思えた。そして、それは必要とあらば身内にも冷淡な『鬼月の黒蝶婦』と称される女には似つかわしくない異様な振る舞いであるように思えたのだった………。
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そこは洞窟であった。芦品郡の山間に位置するそこは元の土地から追い払われた土蜘蛛が長年隠れ潜んでいた巣穴であり、この地の霊脈から溢れる力を掠め取るように拡張された地下の迷宮である。
妖力を無駄遣いせぬよう、仮初めの姿で洞窟の一角に鎮座する蜘蛛は洞窟の中でこの地一帯の全ての状況をほぼ正確に把握していた。
秘密は糸にある。この洞窟全体を覆う纏った蜘蛛の糸は、全てが眷族らと繋がっている。妖気を練り込まれた糸は針金の如く硬く、それでいて限り無く視認出来ぬ程の細さを誇り、眷族が討たれれば追跡されぬように自然分解されるように細工を施されていた。眷族達は事あるごとに自身と主君とを繋げるこの糸を揺らし、その震動の特徴を巣穴の主人はその人間では到底及ばぬ五感を持って感じ取り、統括し、分析し、この地一帯の状況を限り無く正確に掴んでいたのだ。
「そうか。もう一体殺られたか。想定はしていたが存外早いものだな」
そして土蜘蛛は蜘蛛糸を伝っての報告に一人ごちた。元より生還なぞ不可能な事は理解していたが………有象無象の眷族は兎も角、長年付き合いのある部下が早速一体仕留められた事に対して蜘蛛は落胆と諦念に似た感情を吐露する。
「全く、以前ならばもう少し苦戦してくれた筈だがな。………猿の亜種の分際で忌々しい!!」
やはり五百年の間に退魔士共の質は相当厄介になってくれたようだ。確かに昔から奴らは悪辣ではあったが、流石にあの時代では凶妖を単独でこれ程呆気なく殺して見せる奴なぞいなかった。
やはり奴らに……人間共に時間なぞ与えるべきではなかったのだ。空亡がかつて下した判断は誤りであったとしか蜘蛛には思えなかった。奴らは時を経るごとにより強くなり、より残虐となり、より卑劣になっている。この一日だけで蜘蛛はその事を嫌になる程思い知らされた。
「……まぁ良い。どの道勝敗は決まっているのだからな」
恐らくはこの戦に自分達は敗れるだろう。だがそれで良い。此方に勝利はなくても良いのだ。何せ、奴らもまた最初から詰んでいるのだから………。
「……さて。それはそうと、まさか貴様とこんな所で出会すとはな、碧蛮鬼。何の用だ?」
薄暗い洞窟の中、蜘蛛は振り向きながら問いかける。糸を伝って振動は感じ取れない。しかしその邪悪な気配から蜘蛛はその存在に気付いていた。
そこにいたのは鬼であった。禍々しい邪気を孕んだ錨を背負う鮮やかな碧い長髪を伸ばした鬼………悪名高き四凶が一つ、赤髪碧童子。かつて偶然にも同じ時期に都を脅かした凶妖を蜘蛛は睨み付ける。警戒するように睨み付ける。それは味方に向けての眼光では決してなかった。
「ははは、それは此方の台詞さね。まさかお前さんがこんな寂れた田舎に、しかもそんなチンチクリンな姿でおわすとは驚きの一言だよ。この騒ぎはお前さんの手引きかい?」
碧鬼は片目を閉じて、心底嘘臭そうな笑い声を上げながら宣う。それはこの地域一帯で引き起こされた河童の大流行の事に他ならない。
「だからどうした?まさかとは思うが我々に混ざりにでも来たのか?」
自身で言っておきながら、しかし蜘蛛は恐らくはそれは有り得ぬ事を理解していた。千年前に都で手酷く退治されて以来、この鬼は滅多に表舞台に出てこようとはしなかった。それこそ忌々しい猿共への絶好の報復の機会であった大乱にすら、この鬼は静観していたのだ。
かつては神であった自身ですら頭を下げてその戦列に参加していたというのに……!!
「いやいや、まさか。冗談は止してくれよ。俺はあんな詰まらぬ奴ら相手に自殺なんてご免さね」
そしてあの時同様、此度もまた鬼は参戦を否定した。他者を小馬鹿にするような、神経を苛立たせるような独特の口調で否定した。こいつは毎回毎回他者を不快にせねば気が済まぬのだろうか?蜘蛛はあからさまに舌打ちする。それはそうとして………。
「詰まらぬ、か。聞き捨てならぬ言葉だな。貴様にとっては此度この地に集まった奴らでは不満か?」
大乱の時代は兎も角、今となっては何十もの退魔士が一同に集まるような事なぞ殆んど有り得ぬ事である。今世であればこれでも随分と贅沢な戦場足り得ると思えるが………。
「もー、駄目駄目だね。そも、集まった奴らに碌な奴らなんざいねぇしよ。それ以前に……全部吹き飛ばすなら態態出向く意味ねぇじゃねぇか。えぇ?」
「…………」
鬼の言葉に蜘蛛は無言の内に目を細める。刃が突き立てられるかのような殺気を向けられる鬼。唯人であればそれだけで泡を噴いて失神しかねない濃厚な死の薫り……しかして向けられる相手もまた尋常な存在ではなかった。悠々と、愉快げにほくそ笑む。
「何故分かったかって?なぁに、カマかけただけさね。しかしマジか。やっぱりお前さんにはこの手のセンスってのがないねぇ。折角の晴れ舞台を誰も見届ける奴がいないなんて寂し過ぎるじゃないか」
けらけらと嘲るように碧鬼は宣う。蜘蛛からすれば意味の分からぬ戯れ言を嘯く。そんな蜘蛛の困惑にも似た内心の感情を読み取って鬼は続ける。
「あの大乱に参加したのならそれくらい分かっていても良いと思うのだがねぇ。それとも分からぬ振りをしているのか………」
「何を訳の分からぬ世迷い言を………」
瓢箪から清酒を直飲みしながら語る鬼に対して不快げに蜘蛛は呟いた。元より鬼の身勝手で気分屋であるが故にその言葉を真面目に聞くだけ無駄ではあるが、それはそれとしてこの碧鬼の言葉は鼻について堪らない。
「ははは、まぁ良いさね。それが分かるも良し、分からずそのまま終えるのもまた良しさ。あぁ、ただ俺の御気に入りだけは食わないように餓鬼共に言ってくれよ?」
「御気に入り……?あぁ、あの珍妙な個体の事か」
鬼の発言に、一瞬後に蜘蛛はそれが何を指し示しているのかを思い出す。人間共がこの地一帯で毒の風を蒔いた後、残敵を掃討する最中に倒れたあの個体の事だ。丁度自らの眷族達からそれについての連絡があった所である。
「あの気狂いの眷族、随分と面倒な状態になっていたが………あんなものが貴様の好みの餌か?貴様はあの気狂いを心底毛嫌いしていたと記憶しているが?」
「だからこそさ!」
鬼が突然狂喜するように叫んで思わず蜘蛛は驚く。
「いやぁ、何で分からないかなぁ!!いや、分からなくても良いさ!!あれは俺の育成中の英雄だからな!!ぐふふ、いやぁ本当にあいつはいっつもいっつも俺の!期待を!越えてくれる!!!」
全く最高だよ!!と聞いてもいないのに勝手に宣言する碧鬼。その表情は恍惚の笑みに歪んでいて、目はとろんと惚けていた。口元からはだらだらと涎を垂らしていて、生来の美貌とのギャップもあって全体的に色々と危ない光景であった。正直な話ドン引きものである。何なら発情しているのか噎せかえるような酒精の匂いまで鼻腔をつく程だ。
「そ、そうか………」
鬼の興奮具合に引きながらも辛うじて応じる蜘蛛。同時にこの鬼の性格を知る故に蜘蛛は件の人物に僅かな興味を惹かれるが………それだけの事であった。
「……良かろう。食わぬようには命じておこう。だがそれだけだ。それ以外には一切手をつけぬぞ」
此度の企ては蜘蛛にとってその命を賭けたものであり、その企ての真意が漏れるのは何としても避けたかった。故に一度捕らえた者は逃がす気はなかった。少なくとも事を成す直前までは。
「死なせたくなければ直前にでも連れて帰るが良い。貴様の足なら人間一人背負って安全地帯まで逃げるのは難しくも無かろう?」
「いんや。俺はあくまでも見守り派だからな。遠慮しておくよ」
企みを邪魔されたくないが故の蜘蛛の忠告を、しかし鬼はあっけらかんと断る。即答で拒否する。
「………好きにすれば良いが、此方の妨害はしてくれるなよ?」
「勿論だとも。俺を信用出来ないのかい?」
「鬼を信用する間抜けが何処にいる」
「酷いなぁ。これでも本音なんだけどなぁ?」
無駄に嘘臭い口調で嘆く鬼に、蜘蛛はジト目で一瞥し、しかし最後は納得する。
「………まぁ良い。そう言えば確かに貴様はそんな奴であったな」
勝手に期待して、勝手に失望して、勝手に怒り狂う。それがこの碧鬼である。風の噂には聞いていた。どうせまたお気に入りに過剰に期待しているのだろう。愚かな事だ。何度失敗を繰り返す積もりなのだろうか。
小さく溜め息を吐いた後、人影は蠢き始める。背中からズブリと巨大な八本の足が伸び始め、その姿はおぞましい変貌を始めていた。
『今一度重ねて警告するぞ。貴様が何をしようと目をつむるが、それは私の邪魔をせぬ範囲においてだ。……努々その事忘れぬなよ?』
それは人でないものが無理矢理人の言語を発声させているような禍々しい声音……そんな蜘蛛の警告への返答は不敵な笑みであった。無言の内のほくそ笑み。
『ふん、粋がりよって小娘が』
巨大な人外の怪物は自身よりも遥かに年下の鬼の態度に心底不愉快そうに鼻を鳴らすと地響きのような音を鳴らしながらその場を立ち去る……否、蠢き出すといった方が良いか。
どの道蜘蛛にとってこのような理解し得ぬ輩に何時までも付き合ってやる暇なぞなかった。蜘蛛にとって此度の企ては自身の存在をも質とした一世一代の復讐であるのだから。蠢き出す化物。その背後に続くのは幾千もの眷族共である。
「あぁ。心配せずとも良いさ。俺はお前さんの邪魔なんてしねぇよ。興味もありゃあしねぇ。ただ………」
そこで鬼は艶かしく口元を歪めた。ペロリ、と赤い舌で妖しげに唇を舐める。
「俺の英雄様が見逃してくれる訳がねぇだろうけどな?まぁ、精々があいつの経験値稼ぎの踏み台にでもなってくれや」
去り行く蜘蛛の巨体を嘲るように一瞥し、堂々と、自信満々に、愉快げに、そして何よりも傲慢に鬼は囁くのだった………。