和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 作:鉄鋼怪人
https://www.pixiv.net/artworks/89171958
二枚目は同じく毒瓦斯攻撃中のお祖母様。何とも幻想的な光景ですね(尚やってる事)。此方は前話の挿し絵にもさせて頂きました。
https://www.pixiv.net/artworks/89216839
続きまして、えrhxdyknさんより主人公のイラストです。他にも幾つか作成して頂けておりますのでどうぞそちらもご覧下さいませ。
https://www.pixiv.net/artworks/89237533
今後とも本作を宜しくお願い致します。
そこは何処までも白い空間だった。
「………見覚えはあるな」
何処まで広がっているのかも判然としない白過ぎる空間にポツンと佇む俺は顔をうんざりとするようにしかめる。俺は確かにこの空間に見覚えがあった。問題は以前ここにいた時の記憶をほんの少し前まで丸々忘れていた事で………。
「夢って奴は忘れやすいものだが………そういう訳じゃないんだろう?」
俺は背後を振り向きながらそこに控える存在に向けて問い質す。
振り向いて視界に入り込むのは艶やかな緑髪を伸ばした人影であった。
一目見ただけで過去のあらゆる経緯を忘れて警戒感を解いてしまいそうになる存在。別に似ている訳でもないのに本能が強制的にそれを『母』と認識しそうになるのは本体から別れた残滓に過ぎないにもかかわらず尚も強力過ぎる権能のお陰であろう。
余りにも忌々しく、おぞましく、疎ましい神代の怪物は、此方の気も知らぬように善意しかなさそうな満面の笑みを浮かべる。慈愛に満ちた笑顔だった。……おう、滅茶苦茶殴りてぇな。
「さてさて………これはまた厄介な事になったな」
どうやら俺はまたあの妖母(の血)が待ち兼ねる精神空間に意識を飛ばしているようであった。前回の記憶がここに再び来るまで殆ど覚えていないのは唯の嫌がらせだろうか?もしくは…………。
「うふふ、これは貴方のためでもあるのですよ?貴方も余り他人に記憶を覗かれたくはないのでしょう?」
「お前に覗かれていたら意味ないんだがな?」
俺が記憶を覗かれる際への配慮なのかも知れないが、そもそもこいつが元凶なので何も嬉しくない。さっさと俺の頭の中から出ていって欲しいものである。あれか?自分は母親なので例外とでも思っているのだろうか?
「それで何なんだ?こんな久方ぶりにここに呼び寄せるなんざ……これまで接触がなかったのに奇妙なものだな」
尤も、俺としては永遠に再会したくなかったがな。
「あら?当然でしょう?可愛い可愛い我が子が何処の馬の骨とも分からぬ奴に危険に晒されようというのです。母としては我が子の奮闘を見守るのも義務ですけれど、今回のように荷が重い場合は手助けしてあげるもまた道理でしょう?」
「何を訳の分からない事を……いや待て、危険だと?」
賑やかに、善意の塊のような笑みを浮かべる妖母。しかしながらその言葉に俺は衝撃と共に違和感を覚える。
「……可笑しな話だな。貴様にとっては生きとし生けるもの全てが餓鬼扱いだろう。子供に序列を作るのは良くないぜ?」
皮肉るように俺は吐き捨て、同時に問う。「子供」を愛するような言葉を口にしているがその実、こいつにとって虫も人間も妖も、全て平等なのだ。平等に、同価値に過ぎないのだ。
ましてや地母神としての性質もあってか愛情だの何だのをほざく癖に食物連鎖と弱肉強食もこいつは否定しない。故に人が虫を潰しても、妖が人を食おうとも、こいつはそれを同程度に理解して肯定する。所詮は兄弟喧嘩程度にしか認識しない。そも、一々個体を認識しているのかどうかすら怪しいものだ。そして問題は……。
(そんなこの化物が何処の馬の骨等という言い方、しかも、物言いからして好感は無さそうだが……どういう事だ?)
顔面に短刀突き刺した人間相手にすら一切敵意を向けないような気狂いが嫌う存在、そこに俺は嫌な予感を感じる。そしてそれは次の瞬間に明確に証明される。
「あら、だってそうでしょう?あんな奴、私の坊やじゃないんだもの。寧ろ、私の可愛い子供達を見境いなしに食べちゃって……本当に忌々しいわ」
(っ……!!?成る程、これはかなり厄介だな………)
俺は苦虫を噛んで妖母の敵意を含んだ言葉の意味を理解した。
あの何でもかんでも自身の子供扱いする妖母が自身の子ではないと断定するとなるとその存在は限られる。
即ちこいつ同様に神代から存在する概念を司るような高位の怪物という事である。無論、この妖母自身が零落しているように神位としての存在からは変質して最早唯の怪物に成り果てているであろうが。
そも、この世界の妖というものは現実のそれと同様、特に最高位の存在は少なくない数が「神の出来損ない」だ。
現実の一神教において少なくない数の多神教時代の神々や伝承が悪魔や天使、奇蹟としてその体系の中に取り入れられたのはその具体的な一例に過ぎない。多神教においてですら類似の例は見られる。元より敵であった社会集団の奉る神を貶め、あるいは時代の変遷により伝わる伝承が変質した結果かつて神であった存在がおぞましく穢らわしい怪物として伝えられるようになった事例は事欠かない。
そして、多分に現実の文化や歴史的要素を組み込む事で知られる「闇夜の蛍」においてもその文化的な事実は重視されている。寧ろ、現実の世界よりもその辺りはシビアだ。限りなく概念的な神々を殺す一番の近道はその神格を難易度は兎も角殺害可能な妖に堕とす事であるのだから。
「おい、それってつまり………っ!!?」
その先の言葉を口にしようとした俺は、しかし膝を折って呻き苦しむ。この苦しみは以前にも経験した事があるものであった。つまりは………。
「あらあら、だから前にも言ったじゃないの。余り興奮すると進行が早まりますって。私は困りませんが、坊やは嫌なのでしょう?」
ボコボコと、身体の各所各所が変質していき苦しむ俺を見て、やんちゃな子供を見るように妖母は宣う。危機感の欠片も、悪意の欠片もない忌々しいまでに純粋な困り顔であった。
この白い部屋に再度来てから可能な限り平静を装っていたのが……やはり無意識のレベルとなると上手くは行かぬらしい。そもそも妖母の口にした言葉を理解すれば心の底から平静を装うなぞ不可能に近い。
「ぐっ……がっ゙……!?ご、御託は……良いっ!!それよりも……っ、さっさと俺を目覚めさせろ!!」
妖母の言葉がどれだけ重要なものなのか言うまでもない。迫り来る危機に向けて一秒でも早く俺は目覚めて何等かの行動を起こさねばならなかった。
「ふふふ、慌てん坊さんねぇ。そんなに急がなくてもちゃーんと帰しますよ?そもそも私が此処に御誘いしたのは坊やを手助けしてあげるためなのですからね?」
ニコニコと、苦しみ悶える俺の傍らに座りこむと既に骨格が微妙に変貌しつつある俺の頭を膝枕してよしよしと撫で上げる。本能がその甘美な感覚に刺激され、理性が溶けてしまいそうになるのを必死に繋ぎ止め、俺はその言葉を咀嚼して、その意味を解すると敵意を剥き出しにして睨み付ける。
「畜生め、小賢しいっ………!!ゔぐっ゙……元からそれが狙いだろうがっ!!」
俺がこのように苦しむ事すら元々予想していたに違いなかった。こいつのいう「手助け」は、しかし何処までもこいつにとって都合の良いものであるのだから………。
「では、名残惜しいですがそろそろお目覚めですね。ここでの事はまた忘れる事になるでしょうけれど、心配は要りませんよ?………その時が来ればちゃんと記憶は戻りますし、血も目覚めますからね?」
「糞食らえ……!!」
揺れる、途切れそうな、朦朧とする視界の中で、俺は呪詛を叫ぶように最後に化物にそう吐き捨てた………。
「あ、目覚めましたか!?良かった………!!」
重い瞼を開いて意識を覚醒させた俺が最初に確認したのは此方を見下ろす白狐の少女の姿だった。安堵したようにほっと胸を撫で下ろす。
「あっ……ぐ………い、一体何が………ここ、は?」
首だけ動かして俺は周囲を見やる。ここは……天幕、か?全身汗まみれのままに横たわる俺の下には一畳の畳があり、毛布を被っていた。
「そ、それよりも!は、早くこれを飲んでください!!」
差し出されるのは椀であった。赤黒い色をしたきつい臭いを放つそれに俺は思わず顔をしかめる。しかし……俺は本能的にそれを飲み干すべきだと気づいていた。
「くっ……!」
俺は椀をふんだくるとそのまま一気に喉に流し込んでいく。吐き出しそうな苦みと鉄の味と生臭さが舌と鼻腔を刺激する。しかし、それを全て耐えきって俺は椀の中身を胃に注ぎ込んだ。
「うっ…うえっ!?げっ……おうぇぇ!!?」
刺激された胃袋が思わず中身を逆流させそうになるのを、俺は無理矢理にせき止めて、再度飲み干す。皮肉な事に胃酸の酸味がこの際寧ろ救いであった。椀の中身よりも胃酸の味の方がまだしもマシであったのだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……これは、どういう事だ?」
酸欠の患者のようにぜいぜいと深呼吸した後、俺は質問した。実に曖昧な質問であった。
「その、天幕に伺っていたら伴部さんが凄い魘されていたもので……それにその、肌の血管が浮き出たり、疼いていたので………」
俺の不適切とも言える質問に、しかし半妖の少女は意味を補完して答える。
説明を整理するとこうなる。河童共の掃討の後、俺は更に事後処理の事務等に従事、その後休息を取るために自身の天幕で横になっていた。そこに白が雑用のために入った所、俺が酷く魘されていたのを目撃する。しかもその様子からして恐らくは俺の体内に寄生していた忌々しい化物の血液が活性化していると思われた……という訳だ。
「な、何度も起こそうとしたのですが意識が戻らないようでしたので……勝手ながら薬袋から丸薬をお借りして水に溶かしたものを飲ませようとしてましたら……」
「丁度良く意識が目覚めた、という訳か」
俺は鈍痛のする頭を抱えて小さく溜め息を吐く。手際が良い事だ、恐らくは事前に教えられていたな?成る程、ゴリラ様がこの子供を同行させた訳だ。緊急時の対応役という事か。
「その……申し訳ありません。断りなく勝手に薬を………」
小さい両手で薬袋を手にしながら白は恐縮するように謝罪する。
「……いや、寧ろ感謝するよ。お陰で助かった。幸い薬は後一つあるしな」
問題は本来ならば後数日程は抑えられた筈の妖化が何故急に進行し始めたか、だが………糞、何か大切な事を忘れている気がするな。
「そ、そうですか………」
白はほっ、と安堵するように息を吐き脱力する。そして、同時に緊張の糸が切れたように目を潤ませた。
「………うぅ、良かったです。その、天幕に来たらとても苦しそうに呻いていたので、もしかしたらと思うととっても不安で………」
その震える声に思わず俺は視線を白に向けていた。視界の先には服の裾で涙と鼻水を拭き取ろうとしている幼い少女の姿があった。白い毛皮に覆われた狐耳と狐尾はその感情を現すようによなよなと萎れていた。そのいたいけな健気さに俺は愛らしさとともに罪悪感を覚える。
(元よりこんな場所に連れて来られて不安だったろうしなぁ)
パワハラ気味な所はあるとは言え、ずっとゴリラ様の側にいたのだ。その庇護下にあったと言っても良い。それが一人こんな危険な場所に行かされたのだ。半妖で、見知らぬ者も多い中で随分不安だった筈で、そんな中で比較的関わりの多い俺がいたとなると自惚れる積もりはないが一応安心はしてただろう。そんな時に俺が天幕で悶えていたのだ、心底怖かっただろう事は想像に難しくない。
「…………」
そっと目の前の子供の頭を撫でたのは妹を思い出したからだった。元気で、お調子者で、甘えん坊で、その癖に泣き虫だった、今生でもう会う事のないだろう妹………次男三男の兄と喧嘩して、泣きながら俺に助けを求めて来たのを宥めるために良く頭を撫でてあやしていたものだ。その延長線上で俺は思わず頭を撫でていた。
「ひぐっ、うぅ………少し恥ずかしいです」
俺に頭を撫でられた白は涙目のまま呻くように声を上げて、気恥ずかしそうにする。
「確かにな。安易に人の頭を撫でるのも常識がねぇと思っていた所だ。止めようか……」
「けどやって下さい」
手を離そうとした所でがっちり手を掴まれて強制的に頭の上に乗せられる。ゴシゴシと自身の頭を俺の腕に押し付ける少女。
「おい、髪が荒れるぞ?」
「じゃあ優しく撫でて下さい。本当に心配したんですよ?安心させて下さい」
拗ねるように、鼻を啜りながら白は要求する。その姿を見て俺は原作ゲームの彼女の性格を思い出す。そう言えば原作のこいつも甘えん坊だったか、と。
父親の顔も知らず、母親は遥か昔の記憶にしかおらず、主人兼姉であった黒狐は嫌ってはなかっただろうがどちらかと言えば厳しい性格で、その分欲求不満だったのかも知れない。そう言えば原作でも、それこそ狐璃白綺の時から彼女は傲慢不遜な振る舞いの所々に何処か子供染みた所があったように思える。
「……はっ、仕方ないな」
苦笑しつつも俺は彼女の要求を受け入れた。出来るだけ優しく、髪を凪ぐように撫でてやる。
「えへへ………」
照れ臭そうに、しかし気持ち良さそうに白は機嫌を良くした。それが妖らしい演技ではない事はゆさゆさと揺れる白い一本の狐尾からも明らかだった。
『何を魅入っているのですか?変質者ですか?』
半妖である事か、それとも外見年齢からか、耳元で冷たい一言を言ってくれる松重の孫娘様であった。おい止めろ。そんな冷たい、塵を見る目で俺を見るな。
『相変わらず妙な所で運が良い男ですね。その狐の娘が適切な処置をしなければ私がこの式神で丸薬を咥えさせたまま胃袋に入る所でした』
意識が戻らないので流動物でなければ喉を通らない、しかし蜂鳥では調理出来ないので無理矢理胃袋まで直行しようという訳らしい。その場合、恐らくは相当苦しい目に遭う事になっただろう。想像するだけでおぞましい。
「ははは………うえっ、それにしても相当酷かったみたいだな。服が汗でびしょ濡れとはな」
俺は自身の身に纏う麻服に触れながら呟く。正直かなり不愉快だった。
「あ、水桶と手拭いなら用意しています!」
そういって天幕の隅に置いていた水桶を必死に持って来る白である。準備が良い……というよりも、元々そのために此方にやって来たと言うのが真相らしい。
「そうか。じゃあ使わせて貰おうかな?」
俺は着物を脱いで上半身裸になる。そして白から受け取った水に浸した手拭いで染み付いた汗を拭っていく。
「確かそこの箱に予備の着替えがあった筈だ。悪いが持ってきてくれないか?」
「分かりました。あ、脱いだものも受け取ります。洗濯も此方の仕事ですので」
「あぁ、済まんな」
そういって俺は脱いだ服を差し出せば半妖の少女が胸元で抱き抱えるように受け取った。
「ふぅ………ん?どうした?」
「あ、いえ…………」
俺の衣服を抱いたままで、白が突っ立ったままでいる事に気付いたのは少し立ってからの事だった。俺が怪訝な表情を浮かべると慌てたように白は視線を横にずらす。
「いえ、その………良く鍛えているなぁ、って思いまして」
その言葉に俺は自身の身体をちらりと見やる。自惚れる積もりはないが確かに俺の身体は筋肉で引き締まっていた。
「美味しそうか?」
「なっ、ち……違いますよっ!?」
「ははは、冗談だよ」
割と笑えない冗談を言えば白が慌てて、それでいて必死に否定する。からかい甲斐があって大変宜しい事だ。
「ううう……、伴部さん!!」
「済まん済まん、許してくれよ」
頬を少し膨らませて拗ねる少女。そんな彼女に俺は苦笑しながら謝る。こんな風に軽口を言ってからかえる相手は限られている故の悪戯であった。
「むうぅ……!!」
「分かった分かった。ほれ、お詫びと言っちゃあ何だが、触って見るか?丁度汗は拭き終わった所だしな?」
俺は白の機嫌の直すために提案する。殆んど冗談な提案だった。
「………じゃあ触らせてもらいます」
拗ねたような口調で、しかし俺の想像を裏切って白は答えた。
「えっ?」
「えい!」
「痛っ!?」
俺が呆けた表情を浮かべた隙にてくてくと近づいてきた白は俺の腕の肉をつねった。小さく俺は悲鳴をあげる。
「人をからかったんですから我慢してください。………ふぁ、本当に凄いですね」
ふーん、とそう言い捨ててから、しかし俺の腕を撫でる白は次の瞬間には感嘆の言葉を口にしていた。
「痛てて………まぁ、筋肉は努力を裏切らないからな」
多くの場合、霊力は後天的に膨大させるのが難しい。故にこの世界で少しでも生き残る可能性を高めるには筋力を、体力をつけるのが一番であった。ボディビルダーのように肉が盛り上がる程ではないにしろ、逆に実用性を重視した俺の筋肉は引き締まっていて、十分に頑健であった。………これだけ厳しく鍛えてもヒョロ腕に霊力流して強化した方が強いとか泣けてくるね。
「わぁ……本当、凄いですね。こんな太くて、硬くて………あ、ここ分厚い」
俺の腕を撫で回しまくった後に、胸元にもぺたぺたと白く小さな手を張り付けていく白。流石に恥ずかしいな………。
「おい、そろそろ………」
「分かっています。もう少し、もう少しだけ………」
そんな事を言いつつも白には俺の身体で遊ぶのを止める素振りは一向に見えなかった。
(流石にそろそろ………)
自分のせいではあるものの、どうにかして白に止めさせようと考えていた俺は、いつの間にか極自然に彼女の尻尾に視線が向いていた。真っ正面でゆらゆらと愉快そうに揺れる尻尾。俺は右に、左にと揺れるそれを見つめて………。
「…………えい」
「ひゃいん!!?」
俺が何の気なしに尻尾の根元を掴んだ瞬間、白は跳び跳ねながらすっとんきょうな矯声を上げていた。
「伴部さん……!?」
「いやなに、これでお互い様だろうってな?」
「ひゃうん!!?」
俺がそのまま尻尾をくねくねと揉みしだくと白は更に可笑しな声を上げた。あっ、これ結構面白い。
「ひゃあぁぁ………伴部さん?はぅ……そ、それは止めて下さい………尻尾は敏感で………」
「みたいだな」
「ひゅうぅ!!?」
更に俺がぐにっとすれば白は身体を震わせて喉奥から息を吐き出すような声を上げた。その反応が愉快でついつい追撃をしてしまう。
「ううう………!!むっ!!」
「痛っ!?この!!」
「ひゃん!!?」
腰砕けたみたいにぐったりと俺に倒れた白が顔を赤らめながら反発するように俺の腹をつねった。報復に尻尾を引っ張ると再び上がる矯声。
そこから先は完全に子供染みた争いだった。互いにつねって、揉みしだいて、どちらが先に降参するのかと競い会う。尤も、俺の方は良い歳して何をしているのだと突っ込まれかねないが。
「ふぅー、ふぅー!!」
「お、おい………大丈夫か?」
俺に倒れこんだまま、獣が唸るように鼻息を荒げる少女。思わず俺が心配するとふるふると首を横に振るう。
「大……丈夫、です!!それよりも、もう降参です、か……?」
「言ってくれるな、ほれ」
「はぁぁん!?」
びくり、と身体を痙攣させる白。ぜいぜいと一層息を激しくして、少女は潤んだ目で俺を見上げた。
「もう終わり……なんですか?もう……?」
「え、あ……いや………」
「もう終わりなんですか?」
若干圧がある言葉に俺は反射的に尻尾の先をぐにゃぐにゃと握った。んふっ!!?という艶かしい声が少女から漏れた。
(………いや、これ何か可笑しくね?)
『今更気付いたのですか?真性とは驚愕しました。気付くのが少し遅いですよ』
漸く俺が異常に気付くと耳元で蔑みを含んだ口調が響く。止めろ、その言葉は俺に効く。
単なるじゃれあいのようなものの筈だった。弟や妹にやっていたようなものだ。しかしこれは………。
「んっ……はぁ、はぁ………じ、じゃあ今度は私がやりますね?はむっ!」
「うおっ!?」
次の瞬間、胸元に近い肌に半妖の少女は噛みついていた。その突然の、そして想定外の刺激に俺は思わず身体を震わせていた。
「お、おい………?」
「ちゅ……えへへ、伴部さんが言ったからですよ?はぁ……ぺろ、大丈夫ですよ。本当に食べたりなんかしませんから」
犬歯を見せつけるようににかっと笑って、白は口を離した。ねっとりと、肌と白の口を伝うように銀の糸が伸びていた。胸元には、歯形がついていた。その目元は酔っているかのようにとろんとしていた。理性が半分程飛んでいそうだった。
「あ、御免なさい。力加減を間違えて………」
「おい、分かった。もう良い!止め………」
彼女が何をしようとしているのか察した俺は彼女を引き離そうとするがそれより先に彼女は俺につけた歯形に舌を這わせていた。
「っ………!?おい!!!?」
「傷には唾つけていれば治りますからね。ぺろ……ぺろ、れろっ………」
「うおっ……!?これは、くっ………!?」
俺はぞわりとした言い様のない感覚に身を震わせる。必死に白を引き剥がそうとするが中々腕に力が入らず、また彼女の腕力が妙に強くて困難を極めた。
「へへ、何か反応が可愛い………んっ、ぺろ………ふふふ、じゃあ今度は『ガシャン』はい?」
刹那、天幕の直ぐ外で鳴り響いたその音に白と俺は同時に振り向いた。
「…………」
俺はどさくさ紛れに白を引き離すと警戒するように無言の内に立ち上がる。そしてゆっくりと天幕の外を覗きこんだ。
天幕の足下には椀が二つ、中身の粥を地面に、ぶちまけたまたま転がっていた………。
夕暮れを過ぎて、夜空の星が輝き始める頃合いであった。夜営の陣営の所々で篝で照らされて、臨時雇いのモグリの退魔士らが支給された給金で討伐隊に同行する商人や商売女のもとで騒いでいた。
少年は、そんな陣内を走っていた。ひたすらに顔をひきつらせて人々の合間を走っていた。
(気持ち悪い………)
そして陣内の端に辿り着くと地面に胃酸を吐き出した。
(気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い………!!)
内容物が少ないために嘔吐の量は少なかった。そのまま膝立ちになって、動悸するように少年は胸元を押さえてぜいぜいと息を荒げる。息を荒げながら更なる吐き気に耐える。
それは善意だった。
早朝からの化物退治を終えて、その後の事務処理を終えた保護者があからさまに疲れている事を、少年は理解していた。そしてそのまま休息と称して自分の天幕に寝付いてしまった事も。食事すらしてないように思われた。
故に白若丸は善意で夕食の差し入れにやって来たのだ。朝方に助けてもらった事の礼を言おうと思っていた事もある。だから白米をどろどろに溶かした粥飯を椀に二杯、自分と保護者の分を持って天幕にまで来たのは少年にとって善意だった。気分は悪くなかった。天幕の向こう側からの声を聞くまでは。
天幕の向こう側から少女が喘ぐような、そして男の呻き惚けるような声を聞いた白若丸は思わず身体を硬直させた。そして、直ぐにその声が聞き覚えのあるものだと気付いた。
そうだ、少女の方は確か銀髪の少女のものであった。半妖の、しかし可愛らしく、愛嬌のある少女だった。そして、今一人の男の声の主は………。
天幕の向こう側で行われている事を想像して、次いで少年は不意に昔の、寺住まいの時の記憶を思い出すと全身を震わせていた。そして、次の瞬間に白いどろどろの粥飯が視界に入り……小さい悲鳴と共にそれを放り捨てていた。
椀が地面に落ちるガチャンという音、そしてその音に天幕の向こう側が気付いた事を理解した稚児上がりの少年は込み上げる嘔吐感を抑えつけて駆け出していた。遁走していた。
「気持ち悪い………」
嫌悪感を滲ませたように、少年は呟いた。失望に満ちた声音だった。同時に寂しさも含んだ声音だった。
「は?何でそんな事………」
少年は自身の感情に困惑した。何故?何故寂しさなんか感じた?何故失望した?どうして………どうして悲しくなった?
「はっ、寧ろ俺にとっちゃあ好都合なのによ………」
そうだ、幼い餓鬼が趣味なのは兎も角、男が趣味でないだけ少年にとっては寧ろ好都合だろうに。
寺では違った。母親譲りなのか元より男の癖に線が細く、華奢だった事もあってか女日照りの寺院では何度も「そういう目」で見られた。いや、見られただけならばまだ良い。
最初に欲望をぶつけられたのは世話役であった若い僧であったか。長年女を碌に見てもおらず、欲望を溜めに溜めていたのが悪いのだろうか?池で身体を洗っていた時に背後から………。
信頼していた事もあって、泣きじゃくって必死に止めるようにお願いして、しかしそいつは此方の嘆願を聞き入れる事なく、寧ろ力で捩じ伏せながら自分を使った。口元を嗜虐的に歪めて………。
物のように使われた後脅迫されて、恐ろしくてそのままにしていたのが悪かったのだろうか?何時しか話は広がりその若い僧侶以外にも次々と相手をさせられた。同時に食事や衣装等、自分の身の回りの待遇は良くなった。それこそ売り払われた下稚児でありながら公家衆の上稚児ら並みに。しかしそれは同じ稚児らからも蔑まれる要因にもなった。
挙げ句には耐えきれなくて住職に泣き付いて直訴すれば、次の日には稚児灌頂の対象に指名され、遂に彼は全てを信用しなくなった。あの人当たりが良くて地元の名士として誉れ高かった高僧は、泣きじゃくりながら助けを求めた自分を次の日に地獄に落として見せたのだから。
それからは文字通りの悪夢だった。思い出したくもない。気持ち悪くて吐き気すらする。秘技のためだとしてあらゆる薬を飲まされて、それ以来身長の伸びが悪くなった事に彼は気付いていた。身体の筋肉の付きが悪くなった事も、体力が落ちた事、同い年の他の稚児らが声変わりしているというのに自分には起こらない。大小様々な身体の異変、それが何を意味するのか少年は理解していた。性転換するような薬まで使われなかった事だけは幸いなのだろうか?
鬼月の家に買われたのは偶然だった。寺の稚児らの中で最も霊力があるのが自分であったから。寺の幾人かの僧侶が反対したというが、鬼月家に借りがあったのか、金銭的に問題があったのか、最終的には渋々と白若丸は売り払われた。
鬼月家に売られてからも少年は油断しなかった。人を信用してはならないという教訓を彼は骨身に染みて学んでいた。だからこそ、あの下人衆の允職に預けられた時も期待しなかったし、信用してなかった。けれども………。
「…………礼は、言った方が良いんだろうな」
今朝に化け物から助けられたのは事実なのだ。助けられた御礼を口にするくらいは礼儀というものだろう。ましてやあいつがどんな趣味だろうが自分に害を為した訳でもなく、何なら天幕の向こう側から響いた少女の声だって嫌がるようなものではなかったのだ。寧ろ甘えるようで、じゃれつくような………少なくとも、少年が寺で上げていたような泣き声ではなかった。
「っ………!!」
意味も分からずに少年は悔しさに歯を食い縛っていた。悔しい?何が?何に対して?誰に対して?そこまで考えて朧気に脳裏に浮かび上がる答えは………。
「馬鹿馬鹿しい………!!」
そしてそれを否定するように、敢えて少年はそう口にした。必死に、否定した。その顔を紅潮させて、若干震えた声は少女のようで、目元を潤ませながら否定した。その姿は元の美貌も相まって他者の嗜虐心を擽る。
そして、寺育ちの温室育ちの少年は確かに惨めな人生を送ってきたが知らなかった。俗世の欲望は、穢らわしさは、愚かさは、浅ましさは、そのどれもが寺の内側でのそれよりも余程おぞましく、その底はより深い事に。
こんな陣内の端っこで、こんな夜更けに、美貌の少年が一人で蹲っている事の危険性に、気付けなかった。故に………。
「えっ………?」
次の瞬間、口元を手拭いで押さえ付けられて、首元に衝撃を受けた少年はあっという間に気を失う。彼が意識を失う前に目にしたのは下卑た笑みを浮かべる荒くれ者共の姿であった………。
「この辺りで良いか?おら、起きろ!!」
「うっ……?うぐっ!?」
………次に少年が目覚めたのは陣営から少し離れた森の中であった。意識を取り戻したまだ昏倒する視界で必死に周囲を見渡す。夕暮れ時を過ぎてかなり暗くなっている森の中に少年は地面に投げつけられていた。
「一体これは………?だ、誰が……お前らは!?」
そして今更のように自分を囲む男達の姿に気付いた。そして、その顔に確かに見覚えがあった。
男達の出で立ちは不揃いだった。烏帽子を被っている者もいれば兜を被っている者もいて、かと思えば何も被っていない者もいる。着物にしても普通の麻の粗末な衣装と思えば軽装の腹巻き、大鎧を着込んでいる者すらもいた。腰に刀を差している者もいれば斧や槍、薙刀を持つ者もいる。明らかに統一されていないそれらの姿は、その汗臭い体臭と口から吐き出される強い酒精の臭いも相まってまるで野武士……盗賊のようであった。いや、実際彼らの副業の中には盗賊もあった。
討伐隊として宮鷹家に雇われたモグリの退魔士達………今朝いざこざを起こした相手である彼らは、白若丸を囲んでいた。見下ろしていた。
「よう、糞餓鬼。今朝以来だなぁ?保護者は何処かな?」
大柄な男の一人がニタニタと笑いながら少年に嘲るように語りかける。その圧力にぞわりと白若丸は身体を震わせた。
「あ、うぁ………」
喉から声にならない声をあげる元稚児。それは場の空気からこれから起こる事を予想出来てしまっていたからだ。そう、あのおぞましい時間が来る時に感じる独特のねばついた空気………。
「へへへ、てめぇの顔が怖くて喋りたくねぇってよ」
「けけけ、じゃあ怖くなくなるように仲良く出来る事してやろうじゃねぇか」
「その衣装、稚児上がりだろう?鬼月の奴らも物好きだぜ。下人共相手に随分と高価な玩具をやるんだからよ。贅沢で羨ましいぜ全く!」
ニタニタと笑う男達。寺の男達とはまた違う、剥き出しの、獣そのもののような雰囲気に、恐怖で白若丸は怯えきっていた。
何故?どうして?少年は恐怖と共に困惑する。鬼月の家が名門なのは長らく世俗から離れていた少年にも何となく理解出来た。その家の者に手を出すという意味もまた理解出来た。にもかかわらず何故この男達は………?
「ふざけ………ひっ!?」
相手に飛び掛かろうという少年の行動は首元に向けられた刀によって阻止される。薄暗い森の中で刀身が怪しく光る。
「ぎゃーぎゃーと煩い餓鬼だぜ。自分の立場を考えろよ。せめて長生きはしてぇだろ、あぁ?」
傷んだ大鎧を着込む髭面に片目に眼帯をした恰幅の良い彼らの頭目は吐き捨てる。
「全く生意気な餓鬼だぜ、流石稚児上がりってか?温室育ちなこった」
「いやいや、見るに買われてからもこりゃあ甘やかされてるぜ?あの允職にも随分大切にされてたからな」
「ははは、そんだけ具合が良いって事かぁ?」
モグリ共が好き勝手に嘲笑う。白若丸は恥辱と屈辱に男達を涙目になりながらも睨み付けた。そして、同時に一瞬困惑した。待て、今自分は「誰の事」で怒っていた………?
尤も、それを深く考える猶予はなかったが。次の瞬間、頭目の男が手を伸ばして白若丸の衣服の首元を掴んだ。
「ひっ!?や、止め……」
「うるせぇんだよ!!」
「ひぐっ……!?」
衣服を破られるように剥がされるのを必死に止めようとした白若丸は、しかし次の瞬間に頬を強く叩かれて悲痛な声を上げる。
寺社でも荒っぽく使われた事はあるが流石に拳で殴られる事はなかった。あの般若面を着けた身元預かり人に至っては言わずもがなである。故に少年の受けた恐怖と衝撃はより大きいものであった。怯える瞳で少年は荒くれ者達を見上げる。
「抵抗すんじゃねぇぞ、餓鬼がっ!」
「はっ、随分と白い肌じゃねぇか。腕も華奢だしよぅ。まるで本物の女みてぇだな?」
「馬鹿。こいつは稚児上がりなんだぜ?生臭坊主方に薬まで使ってきっちり女としての調教されてんだよ」
「がはは、尻差し出すだけで飯たらふく喰えるんだ。贅沢な話じゃねぇかよ。えぇ?」
少女と見間違えそうな白若丸の姿と態度にモグリ達は嘲るように一斉に笑う。退魔士共の支配から逃げ出した元下人に傭兵や盗賊を兼業しながら自衛で妖退治をしてきた者、食うや食わずの小作人から逃れてきた者………その日を生きるのも苦労して、他者を踏んづけ、常に泥水を啜って生きていた彼らからすれば坊主共の相手をするだけで衣食住を保証されてきた白若丸の姿は軟弱で甘えてばかりの幸せ者に、井の中の蛙のようにも見えていた。
実際には少年の人生も多くの苦悩と絶望があり、搾取され続けてきたのだから単純な比較は出来ないのだが……どの道、彼らにとって大事なのは真実ではない。そんなものは求めてもいない。興味もなかろう。ただ彼らにとってはそれは少年を玩具にするための建前論に過ぎないのだ。
例え白若丸がどんな人生を歩んでいたとしても、彼らにとってはただの獲物に過ぎないのだから。彼らは食う側であり、少年は食われる側であるが故に。
「いや……やめろ…ひっ……いや……いやだぁ………!!」
幾日も風呂に入っていない所か湯浴びもしていないのだろう、牡の体臭を放ち、太い腕が幾つも不躾に伸びて色白の肌に触れる。衣服を次々と乱雑に脱がされる少年は涙目になりながら悲鳴を上げる。
しかし同時に、それが何の意味もない事を少年はこれまでの人生経験から理解してしまっていた。助けなんて、祈りなんて届かない。慈悲なんてものはなくて、力なき者は力ある者に奪われ、そしてそれでも恥辱と屈辱を忍んで媚びるしかない………それを分からせられてしまっている少年は絶望の内に運命を受け入れるしかなくて…………。
「何をしている貴様ら…………!!」
「あっ………」
だから、だからこそ………この時、槍を手にして現れた般若面の青年を視界に収めた時、少年は思ってしまったのだ。誰かにすがりつきたいと。誰かに助けられたいと。
誰かに頼りたいと…………。
ーーーーーーーーーーーーー
良く良く考えれば当然配慮するべき事案であったのだ。
白若丸という人物はまだ子供で、その人生の殆どを寺育ちという生い立ちである以上、その境遇は俗世に比べれば純粋培養とも言える人物なのだ。
そう、確かに前世に比べれば辛過ぎる、酷過ぎる境遇ではあるのだろうが………それでも尚、この世界においては衣食住が満たされているだけでも恵まれていると表現出来てしまうような余りにも苦に満ちている世界であるが故に。
そして、天幕の直ぐに外に中身の入った椀が二つ落ちていた時点で、俺は十中八九相手が誰なのかに察しがついていた。捨て猫のように周囲を敵視して、威嚇して、潔癖の強い餓鬼であったが、それは仕方無い理由があって、根っからの悪人ではないのだ。見舞いに来ようという思い遣りくらいはあるだろう。
故にそんな餓鬼が天幕の中でのやり取りを聞いたらどうなるか、原作の事も含めて考えれば想像に難しくなかった。そして………。
「無理してでも動いて正解だったな………」
正気に戻って先程までの行為に悶絶していた白狐に部下の下人達を動員するように命令を伝え、俺は先に動いた。そして陣内で少年を誘拐する男共の集団の目撃情報を従軍する商売女から聞き出した。
何せ、ゲームでもあの餓鬼は目を離した隙に良く拉致られて致されるキャラであったのだ。まぁ、寺で色々な薬で女みたいな身体に「改良」されていたのでさもありなんか。………主人公君もそうだけど、どうしてこのゲームの製作陣はショタな男の子をそんなに何度も輪姦させたいんですかねぇ?
まぁ、それはそれとして…………。
「其処の者共、これはどのような了見だ?それは此方で預かる客人だ。処罰されたくなければ今すぐに引き渡せ」
面越しに、剣呑な雰囲気を纏わせて高圧的に命じる。この手の奴らに下手に出ても良い事はない。寧ろ態度で立場を分からせなければならなかった。尤も………。
「ここまでしておいて素直に引き下がらんよなぁ……」
槍や刀を構える数人の男らを見て、俺はぼやく。予想出来なかった訳ではない。そもそもこの手の奴らは短絡的だし、無駄に矜持も強い。それに今は河童退治の最中なのだ。もしここで俺を切り殺して逃げても、直ぐに追っ手は来ないと思っているのだろう。鬼月家に手向かうとしても一族の者を斬りつけるよりも下人の允職を殺す方がその逆鱗に触れる可能性は低い。
「……正気か?貴様ら、酔っているのか?」
「それはてめぇも同じだろうが、允職様よぅ?」
「ははは、この人数に勝てるって思ってんのかよ?」
「鬼月の下人はやけに態度がでけぇな。そんなにこいつの具合がお気に入りなのかね、えぇ?」
それらの言葉は多分に挑発と威嚇を含んでいた。心理的に圧迫して此方の動きを抑えようというのか、あるいは怒り狂って短慮な攻撃を仕掛けて来るのを待っているのか………。
「愚かな事だな。女日照りならば商売女が従軍している筈だが?態態鬼月の人間を襲うなぞ………このまま解雇されたいのか?」
いや下手すればこのまま纏めて斬首されかねない愚行である。幾らこいつらが荒くれ者だとしてもそこまで危機管理能力がないとは思えないが………今朝の一件をそこまで根に持つか?
「ほぅ、そんなに奇妙か?」
俺の疑念に気付いたかのように頭目が口を開いた。此方を値踏みするように睨み付けてくる。
「いや何、長年の経験から来る勘って奴よ。宮鷹のような家が羽振りが良いなんざ嫌な予感しかしねぇさな。俺らはここらで抜けさせて貰う積もりなのよ」
(嫌な予感?いや、それよりも……)
俺は頭目の言葉に面の下で怪訝な表情を浮かべるが、直ぐにこの時間を使って予め展開させておいた式神を指定の位置に誘導する。そんな事をしている間にも頭目は会話を続けていた。
「そんでついでだからそこの餓鬼を道中のお楽しみにしてやろうと思ったんだが………まぁ良いさ。河童共の持ち物は触れなかったからな。てめぇの持ち物を代わりに貰おうかね?允職の備品ならば結構金になるだろうからな?」
そう言いながら男共は武器を構え出す。それは旅人を襲う盗賊の姿そのものだった。
『後方にいた軽装の男二人が下がりましたね。森を迂回して背後を襲う積もりのようです。あの長々とした演説は意識を逸らすための陽動の意味合いが強いと思われます』
(成る程、学が無いなりに考えてはいる訳だな)
腐っても荒事専門業者という事だろう。実戦でその辺りのノウハウは独自に構築しているらしい。ならばこそ………!!
「これでおあいこだぞ………!!」
「っ!?不味い!木の上だ!!」
頭目が最初にそれに気付いた。
事前に展開しておき、連中を足止めしていた隙にその背後に誘導していた式神達……頭目の叫び声と同時に手下共が木の上から飛びかかってきた麻痺毒を染み込ませた牙を立てる鼠達を刀や槍で切り捨てていく。しかし、それは元より想定していた展開だった。
切り裂かれた式神達は、紙切れに戻る寸前に白煙を盛大に吹き出した。式神それ自体に煙玉としての機能を備えさせていたのだ。
「ぐぅ……!?気を付けろ!!来るぞ!!」
周囲が煙に覆われる中で、しかし頭目の叫び声に手下共は直ぐ様陣形を整える。辛うじてであるが相互の姿が分かるとともに支援しつつ自身の得物を振るっても当たらぬ絶妙な間隔を取ったのは彼らの連携が決して悪い訳ではない事、その戦闘経験が相応に豊富である事を意味していた。
「来た……!!」
手下の一人が煙幕の向こう側から現れた影を即座に切り捨てる。迂回する味方がこんな早くに回り込める筈がない事は分かっていたので遠慮なく刀を振るう。
「違う!?」
切り裂いた人影は人形の式神に過ぎなかった。同時に白煙の向こう側から更に幾つかの人影が現れる。
「ちぃ、小賢しい……!!」
人影を切り捨てぬ選択肢なぞなかった。どれが本物か知れぬし、偽物と思っても二重の欺瞞を施して式神に見せかけた本物が交じっている可能性もあるのだ。それが陽動であり、囮だと理解していても無視出来ない。そして、こういう場合、本命は大体の所…………。
「後ろかぁ!!」
察しが良いのか、獣の如く第六感が鋭いのか後方に控えていた頭目は振り向き様に刀で背後を払う。同時に響くは金属同士がぶつかり、弾ける音だった。
「っ……!?勘が良いっ!!だがな……!!」
正面の囮と煙をもって欺瞞して背後から槍を突いた俺の一撃は頭目によって防がれる。しかしながら、これすらも此方は織り込み済みであった。元よりもこの人数差であるし、対妖戦闘は兎も角、対人戦闘の経験ではほぼ確実に劣り、何よりも俺にはこいつらを殺す権限がない以上そんな馬鹿げた事に労力を使う積もりは毛頭なかった。
「うわっ……!?」
頭目の足下に座り込んでいた半裸の少年の腕を無理矢理引っ張り抱き寄せる俺は槍の柄で振り下ろされる剣撃を受け流す。同時に……俺は彼らの視界から消えた。
「っ……!?」
「お……おい、どういう事だよ!?今目の前から一瞬で……!!?」
晴れていく視界の中でその光景を目の当たりにした頭目の取り巻き達は目を見開いて驚愕する。彼らは周囲を必死に見渡すがしかし、俺達の姿を見出だす事は出来なかった。
………俺達はすぐ目の前にいるというのに。
「どうし………んんっ!?」
「しっ、少し静かにしてろ」
破落戸共の文字通り目と鼻の先に立つ俺は言葉を口走ろうとした白若丸の口を塞いで耳元で囁く。そんな俺の首元にあったのは………勾玉であった。
いつぞやの、都での橘家の騒動の際に倉吉の一派が所有していた対人用の盲点潜みの勾玉である。所有者とその周辺を周囲の視界の「盲点」に強制的に潜ませるそれは、騒ぎの直ぐ後に松重の孫娘らが幾つかちゃっかりと回収していたらしい。今俺が備えているのはその一つである。
残念ながらあくまでも視覚の盲点に潜むだけの効果しかないので声や匂いは誤魔化せない。
(故にこいつらがこの場を立ち去るまで息を潜めるのがこの場での最善であるのがな………)
男に口を塞がれ、密着されているためだろう、小刻みに身体を震わせる白若丸を抱き締めながら俺はさっさとこいつらがこの場から離れるのを願う。この餓鬼の生い立ちを考えれば余りこの状態の維持はっ……!?
「そこかっ!!」
「っ!?」
次の瞬間、頭目の男が俺達の潜む場所に向けて乱雑に刀を振るった。慌てて俺は白若丸を背後に移す……とともに俺は腕を軽く斬りつけられる痛みに口元を歪ませる。
「やはりな……!!足下の草が妙に押し潰されてるからよ、小賢しい下人め!!そこにいやがるな?」
刀にこびりついた血痕を一瞥して頭目は宣う。伊達にこの年まで生きていないというべきか。朧気ながらも手品の種に気付いたらしい。
「幻術の類いか何か知らねぇが小賢しい真似をしてくれる。だが種が分かれば此方のものよ。てめぇら、その辺りに奴らはいるぞ。囲め!」
頭目が嗜虐的な笑みをうかべながら命じる。途端に手下達は槍や刀を場当たり的に振るいながら俺達のいると想定している場所をゆっくりと囲い始めた。やはり動きは悪くない。いや、それどころか場馴れしてやがる。それも対人戦闘について、だ。
『下手すれば妖相手よりも人間相手の経験のが多いかも知れませんね』
耳元でそう嘯く蜂鳥である。呑気な事を言ってくれる。此方は結構追い詰められているというのに………。
『承知していますよ。要はあの半妖が呼びにいった下人共が来るまで時間稼ぎすれば良いのでしょう。最悪ならば少しくらいは手伝いますよ。それに………まだ手は残っているのでしょう?』
淡々とした、しかし探るような物言い。この孫娘はやはり油断出来ねぇな。此方の考えを読んでやがる。確かにまだ嫌がらせの準備自体は残ってはいるが………!!?
『ちょっ……貴方何を………!!?』
耳元での制止の言葉も無視して俺は次の瞬間、勾玉の効力を停止してその姿をモグリ共の前に晒していた。
「うおっ……!?また現れた!?」
「おいおい、どうしたぁ?追い詰められて命乞いでもする気か、あぁ?」
俺達の突然の再登場にどよめき、動揺する手下共に対して頭目の男は詰るように刀を肩に背負って問い質す。あからさまに意地の悪い笑み………しかし、そんな事はどうでも良かった。この場においてはそんな事は些細に過ぎる問題であった。
「………逃げろ」
「あ?何を言ってやがる?正に逃げ道のないてめぇがふざけているのか、えぇ?」
俺の警告に対して頭目は首を傾げて心の底から何を言っているのか分からないという風に言い捨てる。部下の者達は俺の発言に冷笑や嘲笑を向けていた。
「違う!後ろを見ろ!!早く………!!」
しかし俺は叫ぶ。必死の形相で。逼迫するように、訴える。俺の腕の中にいた少年も同じくあうあう口を震わせて怯えるようにそれを凝視する。あからさまに異様な光景……その姿に彼らは困惑するように一歩後退りした。そして………。
「何だってんだ……?一体何を……っ!!?」
次の瞬間、破落戸共の頭目が漸くその気配に勘づいて驚愕の表情と共に背後に振り向いた。
『キシアアァァァ!!』
森の中から現れた無数の河童の群れが彼らに飛びかかったのはそのほんの一瞬後の事であった………。