和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 御意見に応じて第一話前に振り仮名付きで人物紹介を追加しました。暫定的ではありますが御覧下さいませ。

 続いてファンアートの紹介を

 貫咲賢希さんより頂いたゴリラ様
https://www.pixiv.net/artworks/90315277

 また別のお方が主人公のイラストを描いて頂けたようなのでそちらも紹介します
https://www.pixiv.net/artworks/90434953

 誠に有り難うございます



第五九話● まるでヒロインみたいだ、テンション上がるなぁ!

 その日を少年は忘れた事はない。忘れられる訳がなかった。いや、忘れて良い訳がなかった。

 

 その日は少年にとって自らの心に消える事なき罪が刻まれた日なのだから。

 

「ええい!!あ奴ら、何処に消えた!?」

「糞、もの探しの呪いも駄目だ!奴ら囮を其処ら中に潜めておる」

「随分と準備が良い!!狡猾な餓鬼め……!」

「直前まであれだけぬけぬけと嘘を吐きよってからに、何と恩知らずな事か……!!」

 

 屋敷の中は大騒ぎになっていた。さもありなん、一族直系の長女が自身の世話役の雑人と共に忽然と行方を晦ましたのだから当然の事であろう。

 

 いや、それだけであれば彼らが此処まで騒ぎ立てる事はない。屋敷の内も外も、無数の式神がいるし、追っ手として雑人は無論、隠行衆や下人衆も動員出来る。彼ら鬼月の退魔士達の術を使えば拘束する事も容易であろう。

 

 問題は行方を眩ました二人の居場所が杳として知れない事であった。

 

 それは異常事態であった。屋敷から抜け出そうと式神共の監視を目を誤魔化すなぞ不可能で、ましてやもの探しの呪いを使えば何処に逃げようが居場所なぞ簡単に分かる筈であった。

 

 その点で言えば二人は狡猾だった。いや、正確には鬼月の長女をたぶらかした雑人がであろうか?

 

 もの探しの呪いは触媒を通してそれと縁ある人や物の場所を探し当てる術式だ。然るに、事前に縁切りを兼ねて衣服等身につけるものを自分達だけで調達し、囮となるこれまで自分達が使っていた私物に己の血や体液を塗りたくってばら蒔いておけば、ある程度はその探査の目を誤魔化せるのだ。事実、片っ端からもの探しの呪いで探り当てた場所で見つかるのは血を付着させた二人の私物ばかりである。更に厭らしく捕まえた鼠や鳥等の身体に囮として愛用の筆や小物を血で濡らした上で括りつけている例すらあった。

 

 そして肝心の屋敷からの抜け出し方は、隠し通路からのものである。

 

 一体何時何処で見つけたのか少年には見当もつかないが存在自体は可笑しなものではない。元々古い歴史を持つ退魔士の屋敷ともなれば有事に備えた抜け道や曰く付きの呪具を封印するための隠し倉庫や隠し部屋なぞ幾らでもある。その中には長い歴史の中で屋敷の住民ですら忘れ去ってしまったものだってあるのだ。

 

 駄目押しに屋敷に住まう座敷童をお菓子で買収して、その幸運の加護を受けておく……慎重に、計画的に、可能な限りの工夫を凝らしたその結果が今の屋敷の騒動であった。

 

 少年はこの事態に素直に驚嘆し、感嘆していた。少年は兄のように慕っていたあの雑人の頭の良さを理解していたが、同時に大人達の怖さも理解していた。故にそんな大人達がこれだけ掻き回されている状況に驚き、そして尊敬していた。

 

 そして同時に痛快だった。分家の妾腹、それも一族の中でも飛び切りのろくでなしの父を持つ少年にとって鬼月という一族は決して生きやすいものではなかった。ましてやあの一件の後は………少年もいつ自分が殺されるのか分かったものではなかった。

 

「大丈夫かな………」

 

 少年にとって二人は恩人だ。一族からも疎まれて、いない者として扱われていた自分を可愛がって、遊んでくれた。少年にとって二人は友達であり、兄姉であり、家族そのものだった。憧れだった。父が引き起こしたあの一件の後も、二人とも自分を遠ざける事も疎む事もなかった。それどころか兄代わりだったあの人は寧ろ慰めてくれた程だ。それがどれだけ嬉しかった事か………。

 

 だからこそ思う。あの二人が無事にこの屋敷から、大人達から逃げ切れる事を。切に、願う。

 

 ………本当は自分も連れていって欲しかったのだけれど。

 

「君、ちょっと良いかな?」

 

 そんな自身の思いを胸にしまいこんでいた少年は、その言葉に振り返る。そして息を呑んだ。

 

 此方を見下ろすその青年の事は良く知っていた。色彩の違う両の目は其々が異なる異能を持つ魔眼である。口元に優しげな微笑みを浮かべ、しかし底知れぬ圧迫感を与える冷たい視線………鬼月の次期当主の最有力候補の青年と相対した少年は思わず凍り付く。

 

「な、何で……すか………?」

 

 辛うじて紡いだ言葉の羅列に、青年は再度微笑む。冷たく、微笑む。  

 

「いえ、君は雛姫様とお付きの雑人と仲が良かったと記憶していてね。見ての通り、あの二人の居場所が分からなくて私達も困っているんだ。………君ならば何処にいるか、覚えがあるんじゃないかと思ってね?」

 

 何処までも丁寧に、優しい口調であった。しかしながら少年にとってはそれは尋問にしか思えなかった。魔眼の視界に入るという事は、それ自体が生殺与奪の権利を握られている事を意味し、この状況では手段なぞ選ぶ余裕はない。ましてや、少年の立場を思えば………実質的にそれは脅迫であり、尋問であった。

 

「どうかな、何か知ってる事があればお兄さん達に教えてくれないかい?」

「あ……うぁ…………」

 

 あくまでも優しく、紳士的に、穏やかに、しかし決して有無を言わせぬ口調であった。まるで元よりそれを確信しているかのようであった。少年は震える。恐怖に打ち震える。

 

 聞いていた。少年は事前に二人が何処から逃げるのかを聞いていた。そしてきっとこの青年も自身が聞いている事を察しているのだろう。

 

 知っている。二人は屋敷の押し入れの床に隠された地下通路から逃げる事を少年は聞いていた。

 

 言わなければ、きっと恐ろしい目に遭う。少年はそれを確信した。最悪頭の中を弄られてしまうだろう。死んでしまうだろう。恐ろしい、怖い目に遭うだろう。けれど……けれど………!!

 

「西の………」

「西の土壁の穴から逃げるというのは嘘、なのだろう?」

 

 事前に教えられた通りの偽の逃げ道を口にしようとして、しかしそれは青年によって阻止される。恐怖に息を呑む少年に、青年は尚も優しく微笑む。

 

「怒らないから、さぁ言ってご覧?二人は何処から逃げ出すって言っていたのかな?」

「えっと……それは………あぅ………」

 

 その色合いの違う両の目に射ぬかれて、少年は固まる。動悸が激しくなる。手足がガクガクと震える。怖い、恐ろしい……だけれども、だとしても………少年には裏切るという選択肢はなかった。

 

「北の……北の隠し通路から、外に抜けるって言っていました…………」 

 

 精一杯に少年は言葉を紡いだ。その場で思いついた偽りの言葉を口にした。すぅ、と青年は少年を見下ろす。吟味するように、観察するように、見下ろす。そして………。

 

「そうかい。良く話してくれたね。有り難う」

 

 にこり、と人当たりの良さそうな笑みと共に青年は踵を返す。そしてそれから少しして緊張が途切れたように少年は床に崩れた。恐怖と安堵に目に涙を浮かべて、はぁはぁと息を切らす。額は汗でびっしょりだった。

 

 それでも、それでも少年はその口元に薄く笑みを浮かべた。自身の役目を果たせた事に、自身が兄のように、姉のように慕う二人のために役立てた事に、二人に恩返しが出来た事を喜ぶ。心の底から、喜ぶ。そして願う。このまま二人が幸せに、穏やかに、平穏に過ごせる事を…………。

 

 

 

 

 

 

 目の前で起こる惨状に少年は凍りついていた。

 

 縄に縛られて引き立てられる子供の人影に少年は息を呑む。ここに来るまでの間に相当手酷く暴行を受けたのだろう。衣服は襤褸で血まで滲んでいた。手足や顔には痣や打撲の痕が見えて、切り傷の瘡蓋が痛々しい。項垂れてぼとぼとと大人達に連行される彼の事を少年は良く知っていた。

 

「おら、何をぼさっとしている!とっとと歩け屑が!!」

 

 不意に連行される彼を、背後から雑人が勢い良く蹴りあげる。屋敷に仕える雑人の一人であった。体格や年齢の差もあって、手を縛られた彼は受け身も出来ずに頭から地面に勢い良く落ちる。

 

「うぐっ……?」

 

 小さく、噛み締めるような苦悶の声が漏れた。丁度足下は生石を敷き詰められていてお陰で彼は額に幾つか擦り傷を負ったのだ。拘束された身体で、それでも必死に立ち上がろうとすると額から流れた血が地面の石にボタボタと落ちていくのが見えた。

 

「やめて!!おねがい、やめてよ!!!」

 

 離れた場所で鬼月の大人達が手を掴んで暴れる彼女を押さえていた。彼と共に屋敷から逃亡した彼女は、恐らくはここに連れ戻されるまでに着替えさせられたのだろう。絹の鮮やかな色彩の着物に身を包むが、その表情はこの世の終わりのように絶望に歪んでいた。

 

「おねがい……◼️◼️にひどいことしないで……わたしがわるいの。全部わたしがわるいから……いや、やめて……やめてよぅ…………」

 

 涙を溢れんばかりに流して嗚咽を漏らして泣きじゃくる。両の手を必死に彼に伸ばして懇願するが、その言葉に耳を貸す者はいないように思えた。寧ろ、その様子を見る屋敷の野次馬達はひそひそと囁くのだ。

 

「何とまぁ、漸く見つかったのか?」

「良くもまぁ姫様をたぶらかしたものだよ。あれだけお屋敷の方々に贔屓にされて来たのに酷い裏切りさね。やっぱり生まれが悪いのかね?」 

「全く、卑しい貧民はこういう悪知恵ばかり働くものさ。血は争えんな」

「いや何、雑人らにとってはある意味朗報さ。あの餓鬼、あからさまに媚売って可愛がられていたからな。今になって思えば餓鬼の分際で気味が悪かったな」

「こりゃあ処される前に同僚共にじっくり御礼参りされる事だろうな。良い気味だ」

 

 屋敷で働く者達がこそこそと囁き合う。嘲るように、蔑むように、楽しむように、あるいは妬むように、あからさまに負の感情を込めて互いに此度の騒動の犯人を貶める。

 

「どう……し…て…………?」

 

 どうしてこうなった?少年は自問する。二人は少年でも分かる程に上手く大人達を出し抜いて見せた。つい昨日まで大人達は右往左往して混乱するだけであった。二人を見つける事は到底出来そうになかった。それが……それがたったの一日の内にどうして?

 

 それは呆気ない程に簡単に分かった。彼を連行する行列から一人の青年が少年と視線を合わせると共に抜け出たからだ。彼はそのまま少年の目の前で立ち止まる。

 

「君、礼を言うよ。君の告発のお陰でどうにか逃げ切られる前に捕らえる事が出来た」

「えっ………?」

 

 悪意が一切なく、完全な謝意と善意からの言葉に少年は言葉を失った。掛けられた言葉の意味が一瞬理解出来なかったからだ。いや、理解したくなかったからだ。

 

 えっ?今なんと言った?何と言われた?礼?何に対して?捕らえる。誰を?二人を?告発?誰の?いやまさか、そんな事、けれども嘘を言っているようにも……待て。もしや……嘘だ、冗談だ。有り得ない、そんな、まさか……まさか………!!?

 

 辿り着いた答えは余りにも馬鹿馬鹿しくて、しかしながら残酷だった。そうだ、答えは単純だ。彼の言葉が嘘でなければつまり実際に少年の言葉が正しかったのだ。

 

 ………そう、出鱈目に言った言葉が必ずしも誤りとは限らないではないか?

 

「嘘だ………」

 

 少年は放心したように呟く。対してにこりと、優しげな微笑みを浮かべる青年……鬼月思水は少年がそれ以上の言葉を口にする前に踵を返してしまっていた。何かを言おうとして、しかし残された少年はあうあうと口を開く事しか出来なかった。

 

「赦さない…………」

 

 それは妙に低く、しかして煮えたぎるように激しく反響する声であった。現実に引き戻された少年は硬直して、そしてその声の方向へと恐る恐ると顔を向ける。

 

「ひっ………!?」

 

 そして取り残された少年はその視線に気付いた。背筋が凍るような禍々しくも冷たい視線………その先にいたのは黒い長髪の少女であった。姉のように慕っていた本家の長女は顔をおぞましく歪ませ、憎しみの炎をその瞳に宿して少年を睨み付ける。

 

「許さない…………裏切り者、絶対に許さない………!!」

 

 全身から溢れる霊力が滅却の炎へと変貌する前に周囲の大人達が咄嗟に封印の札を少女に飛ばす。手足を始め身体中に札が貼り付いた少女はまるで全身に鉄の塊を吊るしているかのように地面にひれ伏して、尚も少年を睨み付けていた。

 

 まだ十にもなっていない少女がするには余りにも恐ろしい怒りの表情だった。

 

「ち、違う……ぼ、僕は…………」

「っ……!!ひ、姫様を部屋に謹慎させろ!!早く!!」

  

 少年の弁明の言葉は、しかしその場にいた一族の退魔士の一人の叫び声に完全に掻き消された。数人がかりで連れていかれる彼女は、それでも怒り狂った形相で叫ぶ。怒鳴り散らす。

 

「許さないっ……!!絶対に赦さないわ!!殺してやる!!呪ってやる!!覚えていろ、殺してやるわ……絶対に殺してやるんだからっ!!」

 

 きっと封符がなければその言葉自体が凶々しい呪詛となって少年を、それどころか周囲の人間をも纏めて呪って、祟っていたであろう。其ほどまでに激しい霊力の奔流であった。拙く、感情任せの、呆れる程に非効率的過ぎても尚周囲を竦み上がらせて、熟達の退魔士をも冷や汗をかかせる。

 

 ましてやその憎悪を直接浴びせられた少年はその相手が姉のように敬愛して、慕っていた相手であるが故にその衝撃は一際であった。小さな悲鳴を漏らして思わず視線を逸らす。最早言い訳を、弁護する余裕もなかった。少年は既に罪悪感と恐怖で一杯であった。

 

 連れていかれる少女の何処までも黒々とした罵声を聞きながら、少年は怯えるように視線を移す。丁寧に扱われるだろう彼女ですらこうなのだ。まして今一人、少年が慕う今一人の相手の表情を見るのが少年は文字通り死にそうな程に怖かった。

 

 それでも……それでも少年は覚悟を決めて視線をあの人へと向けた。どれだけ憎まれようとも、敵意を向けられようとも、それを受け止める積もりだった。少年は其ほどに誠実で、健気で、そして素直だったのだ。

 

「あっ………」

 

 しかし、その覚悟も実際に彼に視線を向けると儚く崩れ去る。

 

 だって、だってそうじゃないか?何故ならば、少年が視線を向けた先にあったのは少年が覚悟した、あるいは望んだものではなかったから。

 

 憎まれるのは、憎悪されるのも怒りを向けられるのも分かる。しかし、裏切る事になってしまった兄のように慕うその人が自身に向けるのはそんな感情ではなかった。彼が自分に向けるのは何処か困ったような、それでいて自分を憐れむようで、同情するようで、何よりも心から心配するような何時も通りの表情で、そこには悪意も敵意も一欠片もなくて…………。

 

「あ……いや、やめ……て…………」

 

 そして……いや、だからこそ少年にとって、それこそが何よりも良心を抉りとる所業で…………。

 

 

 

 

「あっ……ぐっ!?」

 

 鈍痛と共に目覚めた青年は直後、口内に痛みが走って小さな悲鳴を上げた。

 

『おや、起きましたか。口を切らせてしまいましたね。……まぁ、この程度の傷であれば気にする程でもありませんか』

 

 青年の文字通り目と鼻の先に止まる蜂鳥が宣う。宣いながら蜂鳥は嘴を青年の口元へと近付けていく。

 

「なっ!?一体……おぐっ!!?」

『余り時間がありませんので。意識を取り戻したのならばそれはそれで好都合です。取り敢えずはこれを飲み干して下さい』

 

 淡々とそう命じるや嘴を青年の口内に無理矢理捩じ込み始める蜂鳥。抵抗しようにも全身に痛みが走り、そもそも粘性の蜘蛛糸のせいで碌に動く事も出来なかった。おぐおぐと、葉山は喉奥に苦い鉄の味しかしない流動性の物体を注ぎ込まれ続ける。思わず吐き出しそうになれば嘴でもってそれを強制的に胃袋に再度帰還させる。

 

「あっ……ぐっ!?んぐぐっ………!!?」

『暴れないで下さい。上手く捩じ込めないでしょう?』

 

 窒息しそうになるのを無視して蜂鳥は無慈悲にそれを葉山の中に注ぎ込み、注ぎ込み、注ぎ込み続け………遂に葉山の胃袋が屈服してそれを受け入れた所で蜂鳥はにゅるにゅるとその嘴を彼の喉奥から引き抜いた。

 

「げほっ……げほっ!げほっ!?」

『乱暴にしたのは謝罪しますよ。ですが普通にやっても体内の河童の因子が拒絶反応を起こして嘔吐しようとしますから。あれくらい強制的にやらなければ貴重な薬が無駄になります。替えはありませんからね』

 

 涙目になって盛大に咳き込む葉山に対して自己弁護、にしては淡々として義務的に説明する蜂鳥であった。実際、この式神を操作する人物には先程までの行いへの罪悪感なぞ一切なければ良心が咎める事もまたなかった。必要だからやった、彼女にとってはそれだけの事なのだ。

 

『さて、そろそろ効果が出てきた所でしょう。次はこの糸を切り裂くとしましょうか。得物は用意しています。手首くらいは動かせますね?』

「効果………?」

 

 怪訝な表情を浮かべる葉山は、次の瞬間自身の頬から何かが皹割れて剥がれ落ちた事に気付く。思わず視線を向ける。

 

 そこにあったのは鱗であった。腐り落ちてぼろぼろになった魚のような緑色の鱗、河童共の身体を包み込む特徴的な鱗………それがまるで死滅したかのように朽ち果てていた。

 

「これは………!!?」

『早くして下さい。あれが時間稼ぎするにも限界があります。まだやるべき事はあるでしょう?』

 

 葉山の手元に止まった蜂鳥は淡々とそう答えるとその嘴を裂けるのではないかというくらいに大きく開く。そして出てくるのは短刀の柄であった。桜の刻印の刻まれた見事な短刀の柄、そしてその先から現れるは妖しげに輝く刀身………。

 

「っ………!!」

 

 次の瞬間、葉山はその柄を掴んでいた。そしてそのまま自身の身体を捕らえる糸に刃を突き立てる。並の刀では碌に切る事すら出来ず却って刀身の方が零れ落ちてしまう筈の糸の網は、しかしまるで寒天でも切るかのようにするすると切断されていった。

 

「いける……!!」

 

 そのまま蜘蛛糸の網を切り裂いて、振り払う。土蜘蛛の殴打で折れていた骨や断裂していた筋肉の痛みは一切なかった。理由は分からない。

 

 別に構わなかった。先程飲まされたあの薬がどのような恐ろしい副作用があるとしても良かった。ただ今は為すべき事を為すだけの事、即ち土蜘蛛の企む巣穴の自爆を阻止する事だけが全てであったのだから。

 

「急がないと………!!」

 

 そして葉山が立ち上がり、目の前の人の形をした起爆装置を処理しようとした次の瞬間の事である。

 

 部屋の壁の一角が吹き飛んで、大蜘蛛と大鷹が縺れながら転がり込んで来たのは…………。

 

 

 

 

 

 

 

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 式神は霊獣や妖を調伏して従わせる本道式と護符等の寄代を媒介として動物等を模した仮初めの姿を作り上げる簡易式に分けられる。

 

 名称の通りに元来式神とは本道式を指し、その習得が困難であり、その性質上雑務等に使いにくい事もあってより広範に利用出来て尚且つ使い捨て易い簡易式が開発され、今や元祖を差し置いて退魔の一族に広く普及した。

 

 しかし、だからこそ逆に本道式はその習得の困難さと簡易式とは比べものにならぬ程の能力の高さから貴重な存在として尊ばれた。鬼月の一族が従える数少ない生きた神龍たる『黄曜』はその代表例だ。

 

 ……原作のストーリーにおいて、『黄曜』はどのようなルートであろうとも唯一人の主人の下にあった。いや、より正確に言えば今一人の下に付き従う世界線は皆無であった、と言うべきか。

 

 その龍は鬼月雛を認めその僕として付き従う事はあっても、決してその妹の下に下る事はなかった。ファンの間では妖に汚された故に疎んでいたのだとも単にその傲慢で尊大な性格から嫌われていたのではないかとも考察されていたが……その真相を俺は知らない。少なくとも俺が前世で生きている間に制作陣がその事について明確な答えどころかヒントすら提示する事はなかった。

 

 何にせよ、鬼月雛と敵対する葵もまた、対峙する以上は龍の対策をせざるを得なかった。如何に天才である彼女でも雛の反則級の異能は生来のものであるが故に真似出来ない。ましてや二対一ともなれば幾ら彼女でも下手を打てば死にかねない。

 

 故に彼女はそれを駒として従えた。

 

 鷹は、神代より神々の使いとして尊ばれてきた生物であり、同時に力の象徴であり、権力の象徴でもある。神話を紐解けばまつろわぬ者共を征討する道標として官軍に加護を与える言い伝えを見つける事が出来よう。

 

 それ自体がある種の瑞獣であったものを、時を経てその神威衰えた所に彼女は手を差し伸べた。善意なぞではない。有象無象の雑魚では姉の従える神龍の足止めにすらならなかったからだ。せめて時間稼ぎが出来る程度の素養がなければ従えた所で意味がない。

 

 神鷹『颯天』、原作において鬼月葵が姉と対峙するに備えて従えた三体の本道式の一体、それが封札に封じられていた鬼月葵の餞別品の内容であった。

 

「これは流石に予想外……!!」

 

 洞窟の最奥にて蜘蛛と鷹が絡まり揉み合うようにして暴れる。そんな怪獣大戦争、その余波の衝撃に地面に伏せながら俺は吐き捨てる。

 

 原作クライマックスでの姉妹殺し合いの際には割と呆気なく姉御様に焼き鳥にされる『颯天』であるがそれはあくまでも姉御様相手であるためだ。寧ろ『滅却』を使われようとも程よく焼ける程度で済むのは寧ろ称賛するべき事だ。有象無象の場合は消し炭すら残らず、大妖凶妖ですら大概は芯まで炭化する。

 

「だが、好都合だな。何時までもあんな化物と戦っていられるかよ………!!」

 

 単調で、半ば遊ばれていたとは言えあの蜘蛛の攻撃を避ける事すら相当な神経を磨耗した。高速で振るわれる蜘蛛足を、その軌跡から動きを予想して避ける、それを長時間もこなすのは困難だった。掠れただけで切り傷が出来、直撃すれば文字通り終わりだ。

 

「ちぃぃぃっ!!!式神化させた神獣とは忌々しい!!私を虚仮にしたいのか!!」

 

 神鷹との取っ組み合いから跳び跳ねるようにして土蜘蛛は距離を取る。八本の足で洞窟の天井に張り付いて、吊り上げられたようにぶらりぶらりと幼女の身体が揺れる。その幼女の表情は怒りに燃えていた。心底不愉快なものを見たかのように『颯天』を睨み付ける。

 

『グゥアアアアアアアァァァァァ!!!!』

「猿に飼われた鳥風情が喧しいわ!!丁度よい。貴様なぞ、猿共を屠る前の腹拵えに食い殺してくれる!!!」

 

 地上で翼を広げて威嚇するように鳴く『颯天』に対して蜘蛛もまた叫ぶ。叫びながら蜘蛛は『颯天』に向けて飛び掛かる。互いに妖力と神力を放出してぶつかり合う。二つの力が互いを削りあい、食らいあい、中和しあい。残される単純な熱量が解放され、再び響き渡る轟音と破壊の嵐。

 

「くっ……蜘蛛は兎も角、鷹の方まで俺の事なんかお構い無しかよ……!!」

 

 某光の巨人にしろ巨大人型ロボットにしろ、そんなものが暴れまわったら足下の人間なぞ一溜まりもない。ましてやこの密室空間である。油断したら衝撃波で吹き飛ばされるし、粉砕された礫で身体が潰されかねない。尤も、人間が足下の蟻を気にかける事がないように彼らにとっては俺のような矮小な存在なぞ最早意識の外なのだろう。

 

「糞、取り敢えず行くか………!!」

 

 粉塵と礫が舞う中で俺は痺れる足を無理矢理奮い立たせて駆ける。そして暫し迷いつつも直ぐに彼らを見つける。

 

「いた……!!」

「伴部さん!?何故ここに……!!?」

 

 蜘蛛糸の網から脱出した隠行衆は俺の姿を見出だすと驚いたように叫ぶ。

 

「お前さんが成功するのか心配でな。お節介しにきた所だよ。おっと………どうやら来て正解だったな、えぇ?」

 

 途中飛んでくる拳大の岩を避けながら俺は冗談を言うようにして宣う。言ってから少々砕け過ぎた物言いであったと気付く。状況が状況なだけに少しハイになっていたらしい。葉山は善人ではあるがそれでも余り自我が強い事を隠行衆には知られたくなかったが………。

 

「えっ………は、はい。……そう、ですね。……助かりました」

「えっ?」

 

 どう誤魔化そうか考えていた俺は葉山が此方を驚いたように沈黙し、次いで気まずそうに俯いた態度に逆に困惑する。

 

『時間がありません。早く動きましょう』

 

 気まずい空気が流れそうになったのを空気を読んで、あるいは空気を読まずに打ち破ったのは蜂鳥であった。いや、多分そんな事関係なく彼女にとってその沈黙は時間の浪費だったのだろう。俺達二人に対して急かすように命じる。

 

「っ!?あぁ、取り敢えず……っ、行くとしようか」

「はい、そうしましょう!」

 

 蜘蛛が壁に叩きつけられて大量の櫟が周囲に舞い散るのを地面に伏せて凌いだ後に俺が催促すれば葉山も頷いて肯定する。蜘蛛がけたたましい奇声を上げながら神鷹に怒鳴り散らすのを尻目に俺達は走る。

 

「葉山、頼む。俺はこいつらを処理する!!」

「了解です。此方、お返しします……!!」

 

 後方より数体の河童が現れたのを捉えた俺は葉山に先行するように命じる。葉山はそれに応えると牡丹の式神に貸し与えていた短刀を投げ渡す。

 

「助かる!!牡丹様、彼の方に付いて下さい。起爆への対処を」

『分かりました。可能な限り迅速に処理しましょう。武運を祈ります』

「出来れば幸運を祈って欲しいのですけどねぇ!!」

 

 蜂鳥の言葉にそう言い返して俺は迫り来る河童に向けて突貫した。薄暗い闇の中で妖しげに揺れる河童共の黄色い目玉。

 

『キキキッ!!』

「失せろ!!」

 

 俺に掴みかかろうとした一体の脇を通り抜けるとそのまま喉元を短刀で神経を丸ごと切り裂いて無力化させる。背後から迫る二体目に対して先程仕止めた河童を蹴りつけてぶつける。そのまま仲間の死体にぶつかって足を止めた所で死角から背後に回り込み脊髄を一刺しして即死させる。

 

『キキ……』

「纏わりつくんじゃねぇ!!」

 

 背中から抱き着こうとしてきた三体目を、二体目の脊髄を突き刺したままに回し蹴りをその頭に叩き付ける。足の脛に仕込んだ鉄板のお陰もあって次の瞬間には河童の首は直角にへし折れていた。しかし………。

 

『キキキキ!!』

「っ!?そんなのアリかよ!!」

 

 繁殖中の個体なのか、それとも妊娠中だった人間を素材にしていたのか、次の瞬間俺が首をへし折った河童の背中を突き破って小さな河童が舌を伸ばしながら飛びかかってくる。ルパンダイブかな?

 

「ちぃ!!」

『キッ!?』

 

 咄嗟に短刀を二体目の脊髄から引き抜くと、そのまま遠心力を利用して短刀の柄で横凪ぎに殴り付けて生まれたてほやほやの河童を吹っ飛ばす。

 

『キッ……キキキ………ギッ!?』

 

 地面に数回跳ねるようにして叩きつけられた赤子の河童はそれでも立ち上がろうとした所で怪獣二体の大乱闘に巻き込まれてぐちゃりと踏み潰された。当然ながら潰した怪獣二体はそんな事気付いてもいないようであった。

 

「………」

 

 相手が化物とは理解していても薄暗く人形のシルエットな事もあって思わず顔をしかめる。尤も、そんな事を何時までもしている暇がない事は俺でも理解出来ていた。

 

「危なかったな………早く合流『坊や、後ろに注意して下さいね?』を!!?」

 

 耳元で幻聴のように聴こえたその声に俺は殆んど条件反射的に短刀を振るっていた。振り向き様に見えた影の、その額に向けて突き立てられる短刀は、しかしそれに突き刺さる前に動きを止めた。

 

「おっとっと、危ないな?初対面に対してまた随分と手荒な挨拶な事だね?」

「っ!?」

 

 俺は目を見開いて驚愕していた。それは目の前の存在の言葉に対してでも、ましてやそれが俺の短刀の先端を摘まんで止めていたからでもない。その存在そのものに対してであった。

 

「このっ……!?」

 

 咄嗟に短刀を押し込むがびくともしない。ただただ短刀を摘まむ影の両の指からプスプスと煙を立てる。退魔の加護による効果であるが、残念ながら目の前の存在にとっては何らの意味もない。威力もそうであるが、そもそもこいつにとっては今の姿もまた仮初めの、借り物に過ぎぬ故に。

 

「ぐっ……!!」

「おや?………ふむ。色々と気にはなるが、先ずは物騒なものを人に向けるのを止めて貰おうかな?」

 

 俺の目を見て、首を傾げる影はペシンと指で短刀を弾いた。同時にその勢いで俺の手元から短刀は吹き飛び洞窟の暗闇の中に消えていった。

 

「……っ!!?」

「それに、初対面であれ顔見知りであれ、言葉の通じる者同士が会えば挨拶だ。折角知性と理性あるもの同士、礼儀は大切にしないとね?」

「がっ!?」

 

 短刀を弾かれた俺はそのまま徒手格闘戦の構えを取ろうとするがその前に身体を地面へと叩きつけられる。そして、いつの間にか俺の身体を踏みつけている影………。

 

「君は確か……鬼月の下人衆允の伴部君、だったかな?」

「き、貴様……は………!?」

 

 悠々と俺の身元を確認する影に、俺は地面に倒れたままで仰ぎ見るように睨み付ける。尤も、その行為は影にとって何らの意味はなかった。

 

「いや何、多少本能を抑える事が出来る程度の只のしがない化物だよ。語るに足る事なんて其ほどないさ。尤も、君にはそもそも自己紹介する必要もなさそうみたいだけれどね。…………不思議な事だ。君、一体何処で私の事を知ったのかな?」

「っ………!!??」

 

 最後の囁くような冷たい質問に俺は思わず動揺する。そして影はそんな俺の反応に無言ですっと目を細めた。いや、襤褸の奥に見えるのはただただ闇だけで何も視認出来なかったが確かにそのように見えた。

 

 其ほどまでに、余りにもそれは人間臭い仕草をしていたのだ。

 

「ふむ、その反応は正解かな?さてさて、何処から話を聞いたのか………一番可能性が高いのはあの地母神様からかな?彼女は何度注意しても口が軽いからねぇ」

 

 顎を摩るような所作をしながら一人で考え込む影………いや、無貌にして百貌の怪物。

 

 そう、そいつはかつて扶桑国を混沌に陥れた四凶が一体………その本体である。作中においてもトップクラスに理性的で尚且つド畜生な人外。作中人物らの半分の不幸の元凶。妖以上に妖らしく、その癖悪い意味で人間らしい人間、原作ファンからヘイトと共にある種のカルト的な人気を集めたキャラクターである。

 

 救妖衆幹部、人であった頃の名前は祟神憑嗣(すがみ よりつぐ)、扶桑国が元初代陰陽寮頭である。

 

 尤も、妖としては此方の方が分かりやすいだろう。百面相の怪物『鵺』と…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 それの表し方は『鵺』、あるいは鵼、夜鳥、恠鳥、奴延鳥とも表現される。あるいは探せばもっと他の別称もあるかも知れない。

 

 数多の漢字で表されるその妖を説明する事は史実であっても難しい。何しろその姿の時点で多くの伝承があるからだ。地域によって、時代によって幾つもの不定形な姿で伝わる妖怪。雲のように掴めない謎の百貌の怪物。

 

『闇夜の蛍』の制作陣は『鵺』を作中に登場させるに辺りその特性を基にその妖を独自に咀嚼して、考察して、解釈して、そしてそのキャラクターを生み出した。

 

 即ち、『闇夜の蛍』の世界において『鵺』という妖は言い伝えられるその全ての姿が偽りであって、同時に真であった。

 

 より正確に言えば『鵺』にとって伝承に伝わる全ての姿は彼にとって単なる端末に過ぎなかった。そう、魂が現世に影響を与えるための入れ物に過ぎない。

 

 ヒントは血統だ。根本たる『鵺』本体が自らの血筋に呪いを掛けたのがこの卑劣なトリックの根本だ。その呪いの縁に従い、本体たる魂は流転する。世代が進むごとに広がる血の呪いが魂の寄代となる。憑依の対象となる。それどころかその血を口にした動物や妖まで憑依の対象となると来ていた。あるいはその血を取り込ませて培養した怪物の肉体までも………。

 

 厄介この上ない存在だ。肉体を滅ぼそうが代わりの入れ物がある限り『鵺』は滅びる事はなく、そしてより厄介なのは自らを『鵺』と名乗るその人物がある意味において作中の如何なる妖共よりも卑怯で卑劣で狡猾で、そして……人間らしい事であった。

 

 扶桑国建国に当たり、初代帝に協力した最大の霊力持ちの部族の棟梁、そして初代陰陽寮頭に任じられた男がその正体であった。初代帝が「人による、人のための、人の国」の建国、それに協力した男は、しかし今やかつて自身が作り上げた国を裏切って、そして自らの野望と目的のためだけに嘗ての祖国を滅ぼさんとする空亡らに協力する。

 

 それが『鵺』、表向きは病や悪夢を広めて都を恐怖に陥れた四凶が一つであり既に退治されたとなっているがそれすらも彼にとっては目的のための布石に過ぎず、退治された肉体もまた事前に捨てるのを想定して培養した入れ物に過ぎない。それどころか今目の前のそれすら殺しても意味がない。そも、俺如きが目の前の影単体すら殺しきれるか知れたものではない。

 

 ………尤も、別に俺がここで勝つ必要もないのだけれど。

 

「ん?………おやおや、これは困ったな。折角拵えた『起爆装置』をこんなに手早く解除されてしまうとは。どうやら式神を操作するのは相当禁術に対して造形深い人物と見える」

 

 影は今更のようにそれに気付いた。葉山と牡丹がそれを達成したようだった。視線を向ければ起爆装置と化していた廃人の、その頭から生えていた管を切断し、廃人自身もまたその心臓の位置から一筋の赤い筋を流して崩れていた。同時に此方の状況に気付く二人。

 

 そして、俺もまた意識が自身から逸れた隙を見逃さない。

 

「これでも食らえ……!!」

「っ……!?」

 

 次の瞬間、懐に隠していたそれを引き抜くと鞭のように寄り掛かる影に振るっていた。銀色にしなる、しかして何処までも細いそれは次の瞬間、影の片腕を呆気ない程簡単に切断した。

 

「おら、二発目だ!!」

「うおっ!?」

 

 奇襲という事もあって腕が突如切断された影は姿勢を崩す。それを狙って立ち上がりそのまま俺は二撃目の攻撃を振るう。今度は今一つの腕が吹き飛ぶ。

 

「これ、は……!?君は何も、いや待て、糸か!!」

 

 両の腕を綺麗に切断された影は、しかし痛みなぞ感じていないように俺を観察して手品の正体を見破る。良く目を凝らせば分かるだろう。手ぶらのようにも見える俺の手元に握られる蜘蛛の糸を。

 

 洞窟内に仕掛けられていた二段構えの罠、それに使用されていた鋭利な蜘蛛糸を俺は数本回収していた。携帯性は良く、しかも切れ味抜群なこの糸を懐から取り出して霊力を注いだ上で鞭代わりに振るった。その結果が目の前の両腕を失った影であった。

 

(飛び込んだ蜘蛛を一瞬でサイコロステーキにしていた所から見て切れ味抜群だとは思っていたが……相当だな)

 

 俺は手元の糸を掴みながら今更のように思う。奇襲で、しかも幾つもあるのだろう使い捨ての寄代とは言え『鵺』相手に腕二本となれば回収した甲斐もあるというものだ。………強いて言えば掴んでいる腕もうっすら切れて血がだらだら流れている事くらいか。これは次使う際には特注で手袋を嵌めた方が良いな。滅茶苦茶痛い。

 

 ………まぁ、次があれば良いのだけれど。

 

「いやはや、困った困った。まさかこんな簡単に形勢逆転されてしまうとはね。もっとちゃんとした入れ物で来るべきだったかな、これは」

 

 首を振り、肩を竦めながら影は嘯く。追い詰められているにしてはやけに余裕のある振る舞い。いや、実際にこいつは追い詰められてなんかいないのだろう。それこそ最悪ここで死んでも幾らでも代わりの入れ物はあるのだろうから。

 

 何よりも、この狡猾な化物が何の備えもしていないとも思えない。そしてそんな俺の予想は直ぐに命中した。

 

「っ……!?」

 

 次の瞬間、足下が揺れる。俺は慌てて跳び跳ねると足下の岩肌を打ち砕いてそいつは現れた。

 

 それは土竜であった。それも、かなり巨大な。

 

 軽く三丈はあろう、全身毛深く、それでいて顔面だけは毛の一本もなくて、まるで蚯蚓のような触角が何十と出鱈目に生えていた。うねうねと蠢くそれは生理的嫌悪感を与える。その巨躯からはあちこちからバチバチと静電気のような弾ける音が響いていた。

 

「大妖級……って所か?電気を纏うとなるとこいつは………」

 

 俺は直ぐに目の前の存在の正体に見当をつける。

 

 千年土竜……土竜の姿をした雷獣が一つ、しかしながらあれは精々子犬程度の大きさしかない筈であった。考えられる可能性は………。

 

「寄代の失敗作でね。大きさが大きさだから処分にも手間取っていたんだ。遊んでやってくれたら嬉しいな」

 

 影はあっけらかんとした態度で宣う。あぁ、だと思ったよ!!

 

「伴部さん……!!?」

「此方に来るな!!」

 

 葉山と蜂鳥が此方に来そうになるのを俺は止める。

 

「しかしっ……!?」

「別に死ぬ積もりはねぇよ!!少し足止めしたらトンズラしてやる。………糞、こりゃあ本格的に怪獣大戦争だな」

 

 土竜の後ろで暴れる蜘蛛と鷹を一瞥して俺は舌打ちする。お願いだから戦うなら地球防衛軍とでもしてくれ。こちとらしがない下人だぞ?

 

「ですけれど………!?」

「いいから早く!!何なら助けを呼んで来てくれても良いんだぞ?」

「っ……!?分かりました。直ぐに戻ります!!」

 

 俺の言葉にはっ、と気付いたように葉山は部屋の出口へと駆け出す。それを見送った後に俺は改めて土竜と影と相対する。

  

「足止め、か」

「なんだ?たかが下人には荷が重いってか?」

 

 周囲を観察した後、影の呟く言葉に俺は両手で糸を構えながら応じる。時間稼ぎのためであった。

 

「ははは。いやいや、寧ろ逆さ。狐なり地母神なりと戦って生き残るような人物にしては随分と謙虚だと思ってね」

 

 両腕がないのにあっけらかんと宣う影の言葉に俺は警戒を強める。地母神は兎も角狐とは………原作でも完全に触れられてはなかったが、こいつ一体何処まで裏で動いてやがる?

 

(何にせよ、今は逃げる事を考えるべきだな)

 

 神鷹については俺なんぞが気にする必要なぞない。俺とは格が違う。ともなれば後は俺がどうやってこの場から逃げるかが問題だ。

 

「後はあれか…………」

 

 同時に脳裏に過るは今一つの懸念事項である。捕らえられたとゴリラ様が言っていたが………さて、何処にいるのだか。出来れば自力で抜け出していて欲しいのだが。

 

 しかしながらそんな俺の願いは呆気なく打ち砕かれる。何せ………。

 

「さてさて、どうやら君は逃げたいらしいね。悲しい事だ。此方としてはもう少しお付き合いして欲しいのだけれどね」

 

 そしてちらり、と神鷹と激しい取っ組み合いを続ける土蜘蛛の方を見やる。罵声を浴びせながら神鷹に食らいつく蜘蛛を一瞥して肩を竦める。そして、続ける。

 

「それに、彼女に協力した手前もある。こうもやられっぱなしは面子が丸潰れだ。だから、そうだね。………これならどうだい?」

 

 その言葉が合図であった。巨大な土竜はその顔に生えた無数の触手を震わせて、唸らせる。思わず身構える俺は、しかしそれが攻撃の類いではない事に直ぐに気付いた。同時にその触手の海の中から現れるその人影を視認すると顔を歪ませる。こいつ、やっぱり性格が悪いな………!!

 

「こいつは………!!?」

「ちょっとした遊戯だよ。さて、君がどんな選択を選ぶかお手並み拝見と行こうじゃないか。分かっていると思うけれど、準備が整い次第彼女は予備の起爆装置として使わせて貰うからね?」

 

 善く善く楽しませてくれたまえ、そう嘯いて影は霊気を破裂しそうな程に溜め込んだ翡翠の柱へと向かう。起爆装置を備え付ける前に解除ないし無力化された呪いを掛け直すためであった。

 

『ブゥ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ォ゙ォ゙ォ゙ォ゙!!!!』

 

 千年土竜が唸るように咆哮する。威嚇の声であった。バチバチと静電気が鳴り響く。

 

「事実上、負け確の強制戦闘って訳か。………はは、糞ゲーだな」

 

 土竜を睨み付けながら俺は強がるように冷笑する。視線の先には土竜の触手に絡め取られた気を失った黒髪の女性……妙齢で蠱惑的に見える顔立ちは、しかし若作りでありその内は外見とは翻って老い衰えている事を俺は知っていた。

 

「とは言え、だからって見捨てる訳にもいかないしなぁ………。まぁ、あれだ。やっぱり槍捨てたの失敗だったな……!!」

 

 次の瞬間、突如として放たれた電撃をギリギリで避けた俺はそのまま愚痴を吐き捨てながら大妖に向けて突貫するのだった。


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