和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 製作して頂けたファンアートのご紹介を致します。

 先ず、貫咲賢希さんより、ハロウィンで碧鬼と牡丹を書いて頂けました。赤青で凸凹コンビみたい。
https://www.pixiv.net/artworks/93588565

 続いて志郎さん御依頼、SioN先生製作で葵姫を執筆頂きましたので此方もご紹介致します。太股とはだけた肌色、良い………。
https://www.pixiv.net/artworks/93726277

 此方はSioN先生のPIXIVページ、他にも素晴らしい作品が公開されておりますのでどうぞご覧下さいませ。
https://www.pixiv.net/users/17065926

 改めまして、素晴らしいファンアートの数々、本当に有り難うございます!


第七二話●(挿絵あり)

 猪衛堅彦は大名家の一族の出であり、霊力を持たぬ唯人である。

 

 現実の武士階級が盗賊対策や近隣との水利権や土地所有権を巡る対立によって百姓や地元有力者らの結成した自警団が源流であるのと同様に、扶桑国における武士、あるいは侍という存在もまた辺境の開拓村や流浪民らの自衛組織から端を発している。違いがあるとすれば扶桑国においては史実とは異なり武士階級が誕生しても尚、朝廷が実質的な権力を維持し続けている事である。

 

 妥協の余地のない、交渉も不可能な絶対的な敵である妖共、それも大規模な群れから生き残るには地方分権的で大規模兵力の動員の困難な封建国家よりも中央集権国家の方が遥かに優れていたからだ。現実とは違い式神を始めとした長距離連絡手段が存在した事、退魔士家という対抗勢力が存在した事も一因であろう。そも、中央集権が出来なかった人間勢力はこの世界においては滅びるか衰退しているので必然的に生き残った国家の大半は嫌でも中央集権体制であるのだが………。

 

 何にせよ、結果的にこの世界における武士団は実質的な国家組織にまでその権限を肥大化させる事なく、精々が辺境地域における即応地方軍、徴兵にされた軍団兵からなる官軍の補助戦力として、武士階級は武門貴族、中堅指揮官の輩出層という位置付けとして留まった。

 

 『亥角藩』は武勇に優れた南土最大の藩の一つであり、人間・妖問わず多くの実戦を経験した武闘派武士団でもある。『亥角武者三千騎』と言う呼称は流石に誇張ではあるものの、雑兵や荷駄含めて根刮ぎ動員すれば確かにそれだけの軍勢を集める事が出来る程の雄藩であった。

 

 そしてその藩主一族から朝廷に出仕して南土防人、日代軍団校尉、検非違使庁尉と出世した猪衛堅彦はその家柄と才覚双方共に申し分なく、将来的には朝廷において相応の地位に昇る事が出来ただろう。………彼が凡俗な性格であれば。

 

 南土の人間は百姓や女子供まで直情的で義侠的で、短絡的で豪放的で、向上心と反骨精神に溢れていると評される。勇猛果敢な兵士や武士、義士や任侠が多いとされているが、それと同じ程に問題児が多い。そしてそれは彼も例外ではない。

 

 都の治安維持を司る検非違使の幹部でありながら昼間から堂々と酒場で酒を嗜み、賭博に興じて遊廓に通い喧嘩をする。上司達からは頭痛の種であっただろう。仁義と剛毅に溢れて盗人や盗賊等の悪党、あるいは妖相手に己から乗り込み切り伏せ、退治して見せ、己の懐具合を全く気にせずに周囲に酒や飯を奢るその性故に部下や民衆からはそれなりに人気があったらしいがそんな事は御上からはどうでも良い事だ。何度も何度も問題を起こし、その度に警告を受けた。

 

 止めは御上の、殿上人の身内との揉め事を起こした事である。その案件自体は決して一方的に彼に非がある内容では無かったが………とうとう虎の尾を踏んだという事であろう。そこで遂に彼は解雇を命じられた。

 

 ノベル版によれば、解雇された後はそのまま故国に戻らず暫くの間都にて任侠者、あるいは歌舞伎者とでも言うべき生活をしていたらしい。そしてそこでひょんな縁から当時都に訪れていた蛍夜郷の郷主と面識を得、あれこれあってそのまま彼の下に仕える事になったのだとか。

 

「郷には碌に戦える連中がいないとの事でな。妖やら盗賊相手の用心棒として旦那に雇われたのさ。………まぁ、実際の所は滅多に仕事がないのでただ飯食らいな訳なんだが。俺のようなろくでなしを雇うんだからどんだけ切羽詰まっているかと思ったら肩透かしなものよ。そこ、足下が滑るから気を付けろよ?」

 

 郷村に続く山道を馬で進みながら堅彦は注意する。俺は馬を跳躍させてぬかるんだ泥道を乗り越えた。どうやら先日に大雨が降ったらしく郷に続く道は崩れているようだった。

 

「これは徒歩は兎も角、車は厳しいかな?」

 

 俺は背後から続く隊列に泥濘を警告する。前世のように都会で生活していると気付きにくいが、アスファルトで舗装されていない道なぞ小まめに補修しなければあっという間に荒れ果てる。そして荒れ果てた道は非常に厄介だ。普通に歩くのだって一苦労だが、車両に乗っていれば震動だけでも体力を浪費する。車輪が傷んで破損すれば立ち往生だ。何が悲しいってそんな酷い悪路だって道なき道を進むよりかは遥かにマシな事である。

 

「最悪、車が泥濘に嵌まったら人力で押すしかないな………って。あ、マジで嵌まったか?」

「お宅らも災難だな。もう少し早けりゃあ楽に郷に入れたのにな。まぁ、運が悪かったと思えや」

 

 俺が心配した瞬間に泥濘に嵌まったブ……宇右衛門の牛車に周囲の下人に雑人、人足共が集まる。これは俺も行った方が良いかね………?

 

「おいおい、詰まらん事をするなよ。泥で汚れるぞ?お前さん、下人共の上役なんだろう?そんなのは部下に任せろや。上がでしゃばっても下が気を使うだけだぜ?」

 

 側まで馬を引き返させて南土人が嘯く。明らかに人を顎でこき使う事に慣れた者の口調であった。風来坊なやくざ者に見せて、その実故国に戻れば彼は家柄が確かな上級武士なのだから当然と言えば当然ではある。

 

 ………そして、豪放でがさつに見せて、油断も隙もないようだ。

 

「それは周囲の警戒も、ですか?」

「ん?気付いたか?」

「私ですら気付いていますから、宇右衛門様方もとっくに気付いておられる筈です」

 

 俺は周囲の気配を窺う。後方に二人、右に一人、前方に二人、叢や木上から此方を観察する視線を感じ取る。武装していて、相応に訓練もされているようだ。

 

 恐らくは堅彦の手下共だろう。たかが郷村一つでも人一人では警備しきれない。部下がいるのは当然だろう。ノベル版でも名無しで数行しか描写されていないが手下を率いていたと記憶している。

 

「全く、霊力持ちは鋭いな。下人ですらこれかよ。………言っておくが疚しい所はないぞ?周囲の警戒のためさ。お前さん達の安全を確保するためさな」

 

 心底呆れながら堅彦は弁明する。下人なぞ大妖凶妖の前では十人一把に蹴散らされる存在でしかないが、それはあくまでも上位の妖相手であるためだ。霊力なき人間の軍団兵は小妖相手にすら安全に仕留めるのには数名で袋叩きにする。下人は一対一だ。低級の霊力持ちでもそれを一切持たぬ人間からすれば大きなアドバンテージで、ましてや正規の退魔士は言わずもがな。………その分優先的に狙われるけど。

 

「承知しておりますよ。ご安心下さいませ」

 

 正直、霊力持ちは危険だ。抑え付けるのは一苦労な癖に妖を呼び寄せる。実際は単に周囲の護衛や警備のためだけに手下を潜ませていた訳ではないだろう。しかしそれを指摘しても仕方無いので俺は堅彦の言を受け入れる。

 

「だと良いがね………」

「潜んでいる警備にあの泥に嵌まっている車を助けるように命じて下されば更に宇右衛門様方の信頼は高まりましょう」

「てめぇ、さらりと此方を利用する気だな。えぇ?」

「はて、何を意味するのか分かりませんが?」

 

 このままではここで立ち往生する時間が長くなりそうなので提案すれば堅彦は俺を愉快そうに見つめる。表面上は愉快そうにしつつも目元は笑っていなかった。此方を観察していた。見定めていた。

 

「………まだ話が通じそうな面しているな」

「面って………洒落ですか?」

「仮面越しにでも分かる事はあるさ。おい、てめぇら!!お客様がお困り中だ!手伝ってやれ!!」

 

 鼻を鳴らしてから堅彦は叫ぶ。同時にぞろぞろと現れる武装した男達。面倒臭そうな表情を浮かべるが、それも堅彦が再度命じれば仕方なさそうに従い牛車へと向かう。結構腕っぷし自慢の無頼漢みたいな連中であるが、堅彦は彼らを十分御し得ているようだった。

 

「………お前さん、槍使いか?」

 

 下人や雑人らに交ざって牛車を泥から押し出すのに協力する部下達を一瞥してから堅彦はふと問い掛けた。その視線の先は俺が背負う穂先を布で包んだ槍に向かっている。

 

「そうですが、何か?」

「実家の武士団なら兎も角、軍団や検非違使では霊力持ちなんぞいなくてな。都のやくざ者には極たまにいたがどいつもこいつも実家の連中共と違って碌に鍛えてねぇ。どうだい?後程手合わせでもしないかね?………一汗かいた後の一杯は中々だぞ?」

 

 そう問い掛ける侍崩れの表情には純粋な興味が見てとれた。霊力持ちは貴重だ。下人程度の霊力持ちだって扶桑国の人口全体では決して多くはない。その中でまともに鍛練をしているもの、その環境が整っている者は更に限られる。もぐりの退魔士や呪術士、やくざ者なぞ殆どが独学で戦い方を学んだ者ばかりだ。

 

 下人は確かに使い捨ての存在ではあるが、それでも正規でまともな教練を受けている数少ない存在であった。というよりかそれくらいはしなければ大妖凶妖相手のリトマス紙という最低限の役割すらも果たせないのだ。そんな訳で堅彦はこの場にいる下人らの中で一番古参の俺に興味を持ったらしい。向上心の高い南土人らしく、武術を尊ぶ武士階級らしい考えであった。

 

「私一人では何とも。それについては………」

「上司の認可がいる、か?下人って奴は面倒だな?分かったよ。俺が旦那を通じて要請してやる。手は抜いてくれるなよ?」

 

 ニヤニヤと心底楽しげに南土人は嘯いた。この分では恐らく彼の要求は通るだろう。彼の主人は寛大であるし、宇右衛門もホストの希望には最大限応えようとするだろうから。………あぁ、面倒だな。

 

 とは言え、これを断る選択肢もまた無い訳でな?

 

「………承知致しました」

 

 俺は小さく頭を下げて恭しく応じる。同時に背後から歓声が上がった。牛車が泥から抜け出したのはその直後の事であった。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 蛍夜郷は扶桑国が北土、春賀邦穣恵郡の盆地に存在する郷村である。歴史は古く、少なくとも千年以上昔に入植が行われた土地であるという。

 

 守りやすく攻めにくく、小規模ながら良質な霊脈が流れている故に土地はとても豊かであり、退魔七士が結界術の専門家たる結界士、標遥鳳(すえ はるかた)が結んだ退魔の防壁は長い年月から綻びこそあるものの未だ健在である。

 

 中心地たる蛍夜村の人口は凡そ八百人、周辺の分立した小村六つを合わせても精々が千二百程度にしかなるまい。住民の気質は温厚で比較的親切であるが、同時に村社会故にやはり閉鎖的な側面も強く、何よりも迂闊な者が少なくない。

 

「何せ大乱の時代ですら此処等は戦火とは無縁だったそうでな。盗賊だって簡単には寄り付けん。長い歴史で妖なり呪いなりで被害を受けた経験は片手で数える程となればこうもなるさな」

 

 遠目から見える郷を一望しながら南土の男は肩を竦めて宣う。

 

 結界の出入口たる鳥居を潜り………因みにこの時にいつの間にか人足に交じっていた鬼は忽然として消えていた……山道を抜けた先にその村はあった。何処までも長閑で平和そうな郷村。主人公の故郷たる村に。

 

「さて、降りるぞ。付いて来い」

 

 そして村に異常がない事を確認し終えると、堅彦は俺達に山を、正確には山を切り拓いて広がる棚田に敷かれた道を下るように指示する。

 

「この辺りの田園は新しく開墾した土地でな。旦那が山の専門家を連れて来て水害や土砂崩れがないように慎重に切り拓いたのよ。流石に下の平地はこれ以上は作付け出来ないものだからな」

 

 堅彦は道を下りながら俺達に説明する。二十年近く前の飢饉の際に外から流れた農民らを哀れんで、郷長が彼らを小作人として雇い、専門家の手を借りて開拓したのだという。

 

「………」

 

 ゲームをプレイした際に何度も見た古き良き、あるいはステレオタイプな日本の農村をイメージした蛍夜郷の風景、しかし開拓村の小作人の子に生まれて、この世界の常識を嫌という程に学んだ今ではこの村がどれだけ特異なのかが一目で理解出来る。

 

 鍬を始めとした農具の質の良さは羨ましい限りだった。牛が多いのは牛鋤を使うからなのだろう。米作は水が命であるがこの村は用水路が丁寧に整備されているようで踏車までも設置されていた。田園の一角では小作人らが収穫した稲を千歯扱にかけて、唐箕にかけて選別する。恐らくは共有財産であろうが小作人が使う農具があれだけ充実しているというのは驚きであった。衣類は麻ではなく綿を使っているらしい。染められているものも少なくない。裸足の者は一人としていなかった。

 

 何よりも大きな違いは表情だ。皆、心からの笑みを浮かべて楽しげに作業をしていた。秋の実りを祝福していた。………俺の故郷では必死に育てた収穫の大半を税として持っていかれる故に暗い日の下で皆黙々と作業をしていたのが強く記憶に焼き付いている。全てが違った。農村という事以外、全てが違っていた。

 

「ん………?」

 

 稲の隙間から幾人かが此方を見つめているのに俺は気付く。一瞬、職業柄故に身を構えるが、目を凝らして見ればその正体は直ぐに分かった。子供だった。十歳にもなっていないかも知れない。恐らくは小作人の子供らが黄金色に輝く稲の隙間から此方を物珍しそうに観察していたのだ。

 

「……?……っ!!?」

 

 そして彼らもまた俺の視線に気付いたらしく少し驚く。同時に互いに顔を見合わせた後、此方を再度振り向くと笑顔を向けた。悪戯っ子の向ける笑みであった。純粋な笑みだった。

 

「おら、餓鬼共!遊んでないで親の仕事でも手伝いやがれ!!」

 

 遅れて子供らの存在に気付いたのか堅彦が怒鳴り付ける。慌てて子供らは稲の中に逃げてしまった。堅彦ははぁ、と大きく嘆息する。

 

「見ての通りだ。小作人の餓鬼の癖に遊んでばかりだ。信じられんね」

「あれだけ農具があれば当然でしょうね」

 

 嘆くような堅彦の言葉に俺は淡々と答える。口調は淡々としているが内心はかなり驚いていた。同時に自身がこの世界の常識に毒されている事を自覚する。俺の故郷に限らず、あの位の歳の小作人の子供ならば何等かの親の手伝いをするものだ。それをあれは………あの体つきや手足を見るに、余り農作業の手伝いはしてなそうだった。

 

「旦那が甘過ぎるんだよ。たく………人徳と言えば聞こえが良いがな、何事も好意的に考えるのは良くねぇさ」

 

 そう言い捨てる用心棒の声は、しかし相手を蔑むというよりも親しんでいるように聞き取れた。

 

 田園を抜けて、村の中心地を見下ろせる小さな丘に築かれたそこが郷の長、村の庄屋の屋敷であった。この地に入植して以来支配する領主、蛍夜家の館………鬼月家の屋敷には及ぶべくもないがそれでも屋敷の敷地は百姓の住まう小屋が百は入りそうで、牛車が数台潜れる門が正面に構えられていた。傍らには用心棒の男が数人賭博に興じていた。

 

「おい、てめぇら。遊ぶのも良いが見張りは忘れるなよ?………旦那様はいるか!!堅彦だ!客人をお連れしたぞ!!」

 

 上司たる堅彦はそう注意した後に蛍夜家の家紋が印された門を開き、そして宣言した。

 

「よし、この辺りで止まれ」

 

 俺もまた牛車の行者に命じる。屋敷の前庭の敷地に牛車を止めると部下達と共に並んで降車するデ……宇右衛門らを迎える。

 

「ふむ。まあ、そこそこだな」

 

 扇で脂っこい顔を煽ぎながら宇右衛門は小さく呟く。屋敷の構えを見て評したらしかった。後続の部下の退魔士らも降りた頃、屋敷の本堂からその人物は現れた。

 

(あれが主人公様の親父殿か)

 

 ゲーム版、ノベル版では台詞だけで絵がないものの、漫画版ではあからさまな程にねっとりと前日譚とチュートリアルの村での惨劇を描写していたので彼のデザインは俺も知っていた。そしてそれと現れた男は文字通り瓜二つだった。

 

 主人公蛍夜環の育ての親であり、蛍夜郷の郷長、庄屋たる蛍夜義徳(ほとや よりのり)は見ただけで分かる温厚そうな男に見えた。上品ながらも落ち着いた着物を着こんだ若干ふくよかな顔付きは彼が物質的にも精神的にも豊かな生活をしているのだと理解出来る。

 

 そしてその第一印象は極めて正しい。割とアレな奴らが多いこの世界において、彼は前世の価値観から見てもかなり出来た人間であり、まごうことなき人格者であった。

 

 ………そうでなければ血も繋がっていない拾い子の赤子を深い愛情を持って育てやしまい。ましてや己の最期にその子の心配をする事だってある訳がない。

 

「………」

 

 原作における彼の有り様を思い浮かべている間に、宇右衛門と義徳の挨拶が始まった。互いに恭しく、礼節をもって応じる。

 

「遠路遥々、良くお越し下さいました」

「いやいや、そちらこそ急な要請への快諾、感謝致しますぞ」

「いえいえ、それこそお気になさる事ではありますまい。邦守殿からの依頼でしょう?されば我々もまたそれに協力するのは当然の責というものでありましょう」

 

 義徳は朗らかに答えた。邦守の要請に従って東討隊は街道を荒らす件の妖の退治を最優先としたが、その際の拠点が必要であった。幾つかの候補が挙げられて、最終的に選ばれたのが蛍夜の郷村であった。理由は移動している妖被害がこの近隣を通る事、この辺りでは特に山の標高が高く、山頂に登れば街道を一望出来る事であった。

 

「それは幸いな限りですな。此方としても泊まらせて貰う間、出来る事であれば協力させて頂きましょうぞ、どうぞ遠慮なされぬよう」

「そうですなぁ。では後程郷の結界の点検を御願い致しましょうか。前に見て貰ったのは十年以上昔の事でしてな。それと夜の見回りも御願いしたいものです」

 

 宇右衛門からの申し出に少し考えてから義徳は頼み込んだ。その内容は他の町村でも要請されるようなありふれた内容であった。

 

「ははは、その程度の事でしたら喜んで承りましょうぞ。他にも何かあれば遠慮はせずに申す事ですな」

「それは心強い事です。ささ、立ち話もこれまでにして屋敷に御案内しましょう」

 

 そう言って宇右衛門達、退魔士を屋敷に招き入れる義徳。既に歓待の準備は出来ているらしい。

 

「お付きの方々は此方にどうぞ」

 

 当然ながら俺を始め、下人衆や隠行衆、雑人に人足は屋敷に入れない。使用人らに先導されて専用の長屋へと向かう事になる。牛車、馬車は厩行きだ。

 

「では、また後でな」

 

 主人らと共に屋敷の本殿に向かう南土人が俺にニヤリとして一言、此方は一礼で応じてから部下達と共に使用人の先導に付き従う。

 

 屋敷の敷地の端に建てられた数棟の長屋は、しかし生活する分には十分の広さと設備が設けられていた。少なくとも蕎麦殻を使った枕と綿を詰めた布団があるだけで部下達にとっては鬼月家の用意した小屋よりも待遇が良い。

 

「食事は朝昼晩に三食、水瓶の水は朝に注ぎ足します。お身体を洗うのには後程御案内しますが温泉がありますのでそちらを利用下さい」

 

 使用人の最後の言葉にどよめきが起こる。薪も貴重で湯を沸かすのも一苦労なこの世界で体を洗うと言えば桶に貯めた水や湯で身体を洗うか、あるいは布にそれを浸して拭くか、川や湖に浸るかである。温泉があっても大抵はお偉いさんが独占してしまう。銭湯なぞ都でなければ然程普及していない。故にこんな郷村で下人や人足でも風呂に浸かれる事実に皆が驚く訳である。

 

 まぁ、この郷村は北土の中でも特に恵まれた霊脈の上にある。温泉なぞ見つけるのは難しいものではないのかもしれない。思えばノベル版や漫画版でも温泉での入浴場面があった。ただのサービスシーンかと思っていたが恐らく日常的に末端の村民も使っているのだろう。

 

「よし、下人衆は此方の長屋を貰おうか。人足の半分も此方だ。構わんな?」

「あぁ。我々と隠行衆は彼方の長屋を使わせて貰うぞ。……残りの人足共には三つ目を使わせれば良かろう」

 

 俺の提案に対して東討隊の雑人代表が応じる。雑人と隠行衆は下人を見下している。人足に至ってはいうまでもない。下手に一緒にしても問題が起こるだろう。人数に不均衡が起こるが……彼らが此方のために妥協するとも思えない。ならば此方が譲った方が時間の節約になるだけマシだ。

 

「全く、いけ好かない連中ですよ。あの態度は何なんですかね?允職相手に………」

「反応するだけ無駄だ。気にするな。………ここは余所様の屋敷だ。無用な騒ぎは起こさん方が良い」

 

 傍らで御影が不愉快そうに呟くが俺は窘める。常に最も前で血を流す下人衆が見下される事に怒りがあるようだが、ここで揉め事を起こされては敵わない。……俺の監督責任もあるしな。

 

「明日から仕事だ。荷の積み降ろしもあるから鍛練はしなくて良い。飯食って、武器の手入れを終えたらさっさと寝てしまえ。山道で体力も使っただろう?滋養回復を優先しろ」

 

 御影にそう言いつけて、他の下人にも徹底するように伝えさせる。東討隊に編入した下人は若く未熟な奴が多かった。練度の高い実力者は危険の高い思水や雛の隊に回すしかなかったのだ。

 

(本当なら俺もそちらに回った方が良いのだろうがな………)

 

 指揮官最前線、とは言わない。しかし自惚れる訳ではないが俺も今では下人衆の古参であるし、それなりに実力も身に付けていると自負している。そんな俺がこの比較的安全な方面を担当するのは本来宜しくないのだ。北討隊と南討隊に加えた連中には装備も特に充実させて、安全優先を厳命して俺も付き添って出立前に最終訓練もしたが………最悪、何人かの犠牲は覚悟しなければなるまい。

 

「やってられねぇな………」

 

 上司が死ぬのも同僚が死ぬのも辛いが、一番きついのは部下が死ぬ事だという事を允職になってから散々思い知らされる。明確に責任の所在が己にある故に、ストレスが半端ないのだ。他の部下からどう思われているかも不安だ。お陰様で腹痛に寝不足に便秘気味と来ていた。堪らんな………。

 

 無論、だからといって悲劇のヒロインを気取る訳にも行かない。己の境遇を嘆く暇があるのならやれる事をやるしかない。泣くのも後悔も後から幾らでも出来る。他人の命を預かる立場な以上、今はただ己の職責を果たすしかない。

 

「兎も角、これからどうするかだな………」

 

 今が原作からどれ程ズレているのか、そこから回復が可能なのか、不可能な場合どう対処するのか、それを調べなければならない。化物がこの村を襲う時点で俺達がいるのか、立ち去るとしても後から主人公の回収が必要だ。そもそも、ちゃんとこの村を襲ってくれるのかどうか………。

 

「……郷内を回るか」

 

 取り敢えず状況把握のために目標を決めた俺は部下達に荷を運ぶように命じて、俺もまた荷を小屋に運ぶために荷馬車に向かう。………と、俺は厩に足を運ぶと共に足を止める。厩に駐まる車の数が明らかに多かったのだ。郷で使用している物もあるだろうが、それを含めても明らかに多過ぎる。いや待て、それ以前に馬車に刻まれたあの紋章は………!?

 

「あら?貴方は………?」

 

 その聞き覚えのある老女の声、そして先日の任務の帰りにした会話の記憶を思い出した俺は、半ば諦念したようにゆっくりと背後を振り向いた。

 

 ………まぁ、そういう事である。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

「はぁ、面倒な事になりましたね」

 

 私は宛てがわれた客人用の部屋にて嘆息します。部屋は田舎の郷村の庄屋にしては上等な部類でした。それもその筈です。この蛍夜郷は北土でも豊かな穣恵郡、その内でも最も恵まれた土地にある郷村なのですから。

 

 土地は決して広くありません。人口も多くありません。しかし土地は何処までも豊かの一言に尽きます。村人が食べる分には先ず困りません。九公一民でも多分食べていけるのではないでしょうか?しかも椎茸ですとか紅花ですとか、郷外に輸出するための商業作物も作っています。お米もこの郷の物は一級品で貴人にも好まれています。実際、庄屋の徴収する米の半分は輸出されています。値段は相場の倍近いという馬鹿げたものです。

 

 得られた外貨をここの庄屋は上手く使っているようです。郷村の開拓に人材の招待がそれでしょう。小作人相手にすら高い農具を貸し出しています。医者や住職、職人に教師も都や白奥から招いているようです。屋敷の一角にある書庫には田舎者とは思えぬ程に多くの実用書がありました。埃を被っていないのは頻繁に使っているからでしょう。見栄張りの中には買うだけ買って読みもしない愚か者もいますから。それでは折角の貴重な書が無駄です。

 

 その意味ではこの郷の庄屋は賢いのでしょう。確かに屋敷の調度はどれも高級ですが度を過ぎたものではありません。非常に上品です。ここの庄屋は金の使い方を良く心得ているようです。商会としても、この郷は下手な町よりも購買力が高いので市場として有望ですし、商売相手としても上等です。この小さな郷から商会も作物を中心に仕入れをしているのですから。

 

 そんな訳もありまして、私も各地の店を回る序でにこの郷に直接営業と顔繋ぎに来て、実際に契約も結んだ訳なのですが…………。

 

「面倒な事ですね。妖騒ぎなんて」

 

 私は嘆息します。嘆息しながら傍らの木皿から楊枝を持って切り分けられた桃を一片突き刺します。井戸水で冷やされていたのでしょう口にいれると冷たさと瑞々しさが気持ち良く、何なら桃本来の味に重ねて薄くまぶされた砂糖の甘味が口の中に広がります。正に甘露です。

 

 ですが私の嘆きは止みません。それだけ状況は良くありませんでした。

 

 季節外れの豪雨のせいで出発を一日ズラしたら今後は妖が街道を荒らすと来たものです。お陰様で当初の巡行計画はオジャンとなりました。確かに朝廷や邦守達に妖の掃討を要請したのは私達商人ですけれど………庄屋が言うには付近で仕事をしている実力ある退魔士が来るそうなので問題解決まで然程時間はかからないとの事ですがそんな話信用出来ません。一体何日の宿泊になる事か。踏んだり蹴ったりですね。今から損失の決裁を思うと頭痛がしそうです。

 

「はぁ………」

 

 私は再度深い嘆息をして、畳の上に倒れます。そして訳もなく天井を見つめます。傍らの皿からプスリ、と楊枝を突き刺して桃の欠片を口に放りこみます。甘くて美味しいです。

 

「どうせでしたら伴部さんがいらっしゃった時にしてくれれば良かったのに」

 

 口元から垂れる桃の果汁を指で掬い上げてぺろりと舐めます。舐めながら私はその仮定を夢想します。

 

 その場合、私達は同じ屋根の下です。巡行中は殆ど移動と仕事でしたので余り甘えられませんでしたが………ふふふ、小さい村でもデート出来るのならば足止めによる損失なぞ取るに足りません。秋ですから紅葉狩りとか良さそうですね。御弁当を一緒に食べて、木の下で読書も面白そうです。伴部さんは確か多少は文字も読めるそうですので膝枕して読み聞かせて貰いましょうか?浪漫ちっく、というものですね。

 

「沢山構って、沢山甘えて………うふふ、遊び疲れて、帰ったらそのまま寝てしまっていそうですね」

 

 勿論、伴部さんがです。作戦です。きっと真面目に応じてくれますからへとへとでしょう。心苦しいですが仕方ありません。そのまま直ぐに熟睡してもらいましょう。

 

「そしてそのまま………」

 

 そう、そしてそこにこっそりと御部屋に忍びこんでしまいたいですね。寝顔を沢山観賞しましょう。そしてその後は………添い寝も捨てがたいですが、やはり私としてはそのまま馬乗りになって………。

 

「ふふ。そう言えばあの馬、ちゃんと使ってくれましたね」

 

 馬という言葉で今更に私は記憶を思い返します。

 

 態態黒い馬を買ったのは彼に使って貰えるようにですが、同時に私の感傷でもあります。あの日のあの人が変貌した姿を思っての事です。青毛なんて不吉と周囲は言いますが私にとっては王子様です。白馬ならぬ黒馬の王子様ですね。ふふふ、愉快なものです。だって本人でも言葉としては通じるんですから。

 

「はぁ、伴部さん………」

 

 再び嘆息する。先程よりも熱い吐息が漏れます。頬が赤く染まっている事を自覚します。理由ですか?答えるまでもありません。肚の下がむず痒いです。思わず寝転がったままに内股を艶かしく擦り合わせます。

 

「個人的にはあの姿でも良いのですが………」

 

 それを異常とは思わない。怪物の姿でも自分にとってはあの人は恩人だ。何よりも愛しいあの人である事に変わりはない。

 

 いや、寧ろあの姿にまで堕ちた彼のためにこの身を差し出す事に一種の仄暗い興奮を感じている自分がいた。馬並み、とはいうがあの巨躯である。ひょっとして馬以上かも知れない。

 

 怪物の欲望だ。獣の獣欲だ。きっと容赦なんてない。あの人がいつも見せる表向きの理性も優しさも思いやりも捨て去って、文字通り獣となって覆い被さってもらって、その逞しい槍で貫いて串刺しにしてもらって、巨躯に押し潰されるままに必死に彼の腹に抱きついて、見下ろす彼に哭きながらにねだって、最後は無遠慮にこの肚の内に………とっても浪漫ちっくで、想像するだけでどうにかなってしまいそうだ。清純な乙女心を擽られます。

 

「……んっ、ふぅ」

 

 気だるげに私は片手を己の下部に伸ばします。同時に懐に仕舞いこんでいた巾着を取り出します。己の情念を発散させる時にはこの「飴」は欠かせません。彼の味が口の中に、脳にまで響くのですから。………ふふふ、まるで阿片中毒者みたい。

 

「ふふふ、それもまた一興ではありますが」

 

 妖艶に私は嗤います。淫靡に微笑みます。彼に狂わされるのならばそれもまた本望です。

 

 さて、ではそろそろ我慢も出来ないので本日九回目の発散作業を行う事としまして………。

 

「御嬢様、失礼致します」

「っ……!!?」

 

 鶴が呼び掛けたと思えば私は顔を引き締めて、慌てて巾着を再び仕舞いこみました。同時に下腹部にまで伸びていた手を横にズラします。格好としてはかなりだらしなくなりますがそれでも己を慰める光景を見られるよりはマシでしょう。

 

 障子が開かれます。私はそちらに視線を向けます。折角の楽しみを奪われたのです。頬を膨らませます。

 

「何ですか鶴?私は今退屈で………」

 

 だらしない体勢のまま、私は視線を鶴に向けて八つ当たり気味に言い捨てます。構いません。寧ろこれくらいした方が先程まで取り掛かろうとしていた行動への違和感を誤魔化せるのですから。正に完璧なアリバイ工さ……く?

 

「ふぇ?」

 

 だらしなく寝っ転がる私は、間抜けな声を上げます。しかしそれは仕方のない事です。視線の先、障子を開いた先で鶴が嘆息しています。しかしそれは良いのです。想定の範囲内の反応です。問題は鶴の傍らです。

 

 実用性のみを追及した黒装束に面……般若面を着けた人影でした。その出で立ちに見覚えがあります。退魔士家が使役する下人衆の出で立ちです。般若面という事は允職でしょう。そして、鶴が面識のある、連れて来る可能性のある下人なぞ私は一人しか知りません。そして、その佇まい、雰囲気、体型はその人も完全に一致していて………。

 

「はぁ、申し訳ありません。折角来て頂いたのにこの有り様とは。やはりもっと厳しく躾をするべきでしょうか?」

「いや、まぁ………先程まで御一人でしたので。今のお立場を思えば一人の時位は息抜きも必要でしょう」

 

 呆れたように溜め息を吐く鶴に、傍らのその人は苦笑いしながら私の行いを弁護します。しかしそれは何の慰めにもなりません。私はただただ陸に上がった魚のように口をパクパクさせます。まるで酸欠になったかのように。実際、私の頭の中は混乱に混乱を重ねていて、思考を整理するのには一層の酸素を必要としていました。そして、全てを理解すると同時に私は………。

 

「ひ……」

「「ひ?」」

ひぃや゙あ゙あ゙あ゙あ゙あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!????

 

 私の上げた悲鳴は、正に淑女に相応しくないものでした。あぁ、本当に踏んだり蹴ったりです…………。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

「不味い、これは本格的に不味い」

 

 日が暮れて、完全にそれが沈んだ。昼間に使用人が通達した通り、夕食は女中らによって持って来られた。飯は玄米も雑穀も混ざっていない、水で嵩ましもしていない。純粋な白米であった。ふっくらと炊かれたそれに豆腐と玉葱の味噌汁、大根と椎茸の煮物、鮎の塩焼きに大量の漬物である。麦茶までついていた。この世界の農村においては御馳走というべきものである。

 

 当然ながら下人も人足らも大喜びだ。温泉から上がった彼らは皆急いで飯を腹に突っ込む。慌てて食べて喉を詰まらせる者までいる始末だ。本来ならばそんな彼らに注意するのも俺の仕事である。あるのだが………そんな事をしていられる程俺には精神的余裕はなかった。

 

(いやいや待て待て。アイテム屋の売り子が何でここにいるんだよ……!?完全に状況が可笑しいだろうが!?)

 

 確かにフラグはあった。しかしまさかこんなドンピシャだなんて………不味い。唯でさえ状況が原作からズレてるのにこれは完全に逸脱してる!?

 

(待て、落ち着け!!まだだ。まだ可能性はある………!!)

 

 俺は記憶を整理する。確か漫画版では第一、二話は豊穣祭の前後の時系列であった筈だ。主人公が友人であり、奉公人でもある女中と恋愛フラグを立てる内容だ。祭りの踊り娘役に選ばれた彼女と祭りの終わりに池で蛍を見に行くのだ。原作を知らぬ読者らはこの作画カロリーをかなり注ぎ込まれた女中をメインヒロインと誤解した事だろう。

 

 ……尚、数日後の時系列である第三話で村が焼かれて第四話でその娘は主人公の目の前で無残に惨殺される事になる。おう、初っぱなから容赦ねぇな。流石原作よりも主人公を曇らせているとまで言われる漫画版である。

 

 兎も角である。原作スタートが村の豊穣祭の数日後なのである。そして俺が調べた限り、今は豊穣祭が半月前程のようだ。つまりだ、まだ時間的には余裕がある。原作開始前に佳世達にはお立ち頂き、俺達も襲撃の一日前くらいに立ち去る。これで全ては丸く収まる。解決する。大団円、ノープロブレムだ。………頼む、そうであってくれ。

 

「允職?どうしたので?先程から全く箸が………というか一口も食べてませんよね?」

「ん?はは……いや、何でもねぇよ。………俺は御嬢様から茶菓子貰ってな。夢中になっちまった挙げ句、飯の時間なのに全く腹が空かねぇんだよ。いやぁ、参ったな」

 

 嘘である。いや、確かに己の醜態を誤魔化すように佳世からしつこく茶菓子を御馳走になったが正直全く味なぞ分からなかった。何なら明日の付き添いを要請、いや命令されたせいで更に面倒になって最終的に厠で吐いた程だ。

 

 仕方あるまい。さっさと調査やら妖退治をして原作ルートにレールを戻したいのに断れない厄介事である。俺だって吐きたくもなる。食欲だって失せる。無論、部下の前で弱みは見せられないので俺は強がる。

 

「そうだ、温泉玉子がそろそろ出来る頃合いだな。運動がてらに俺が持って来るとしようか?」

 

 そして俺は誤魔化すようにそう口にする。尚、温泉玉子の方は事実である。村の住民から卵を買い取って温泉に浸かる時に仕込んでおいた。俺は兎も角部下達には食わせてやりたかったからだ。基本雑穀の粥で腹を満たすこの世界では蛋白質は貴重だ。

 

「温泉で煮込んだ卵ですか………普通に茹で玉子では?」

「いやいや、全く違うんだな、これが。まぁ、楽しみにしておけ」

 

 そう嘯いて俺は食事の席を立ち上がる。長屋から出ると俺は玉子を仕込んでいた温泉へと向かう。

 

「………賑やかな事だな」

 

 恐らく佳世や宇右衛門らを歓待しているのだろう庄屋の本殿も明かりがあって賑やかであったが、それだけではない。村全体が明るかった。多くの家屋で未だに光が灯っていた。電灯が出来る前の時代である。蝋燭も薪もただではないのだが………村全体の明るさがその豊かさを証明していた。

 

「………見殺し、か」

 

 俺はそんな彼らの日常を一瞥し小さく、本当に小さく呟く。暫く俺は無言で村を見つめる。………確かに俺の行おうとしている事は最低なのだろう。しかしながら、いやだからこそ俺もまた譲れないのだ。主人公が覚醒しなかったから失われる命はこの村の人々だけではないのだ。そして、俺の家族も…………何年も前から覚悟は出来ていた。今更揺らぐ決意ではない。

 

(見捨てても、あの鬼の逆鱗に触れるような内容でない事は救いか………)

 

 破滅的な癖に拘りの強い英雄育成願望を持つあの碧鬼の逆鱗に触れぬか、それは幸いにも無視出来る懸念であった。あの鬼は死線を望んでも蛮勇を望んでいる訳ではない。生きるか死ぬか、そのギリギリの状況を欲しているのだ。そして勘違いしがちであるが奴の望む英雄譚は文字通りの物語なのだ。

 

 主君や親友、姫君といった英雄にとって大事な「名有り」の登場人物達を見捨てたり囮にするような卑劣な真似は、奴は許さないだろう。しかしそれだけなのだ。

 

 路傍の石のような名無しの小物が、モブ共がどうなろうがそんなものは奴は気にも留めない。赤穂家の娘が殺されようが、隠行衆の少年が化物共に挽き肉にされて木に吊るされようが、その幼馴染みの少女がチェストバスターされようが、何なら村を一つ二つ救い損ねようが、碧鬼にとってはそんな事どうでも良いのだ。だからこそ主人公はそれらのイベントの後でもストーリーを進める事が出来たし、俺だって今日まで生きて来れた。寧ろ、三流でも悲劇は悲劇。英雄が一皮剥けて成長するための山場とでも思っている事を俺は知っている。流石に襲撃されている目の前で逃亡すればアウトであろうが………襲撃の前に村を去ってしまえば奴の拘りに則れば何の問題もないだろう。ははは、最低だな。

 

(けど、このイベントに介入しても得るものなんて一つもないからな………)

 

 ゴリラ様や白の案件とは違うのだ。介入しても原作に良い影響なぞ一切ない。主人公が覚醒しなくなる方が遥かに有害だ。だから見捨てるのが最良なのは間違いない。

 

 ………あの鬼、マジで見る目ないよな。俺なんかを気に入るなんて。そんなのだからこれまでも勝手に失望して候補者を八つ裂きにしてきたのだ。まぁ、精々主人公のお世話とお膳立てはしてやるさ。だからさっさと英雄様に殺されてろ。そうすれば皆幸せだ。

 

「…………」

 

 村の夜景をもう一度だけ見つめて、そして俺はそれきり温泉地へと足を進める。流石に霊地とは言え夜中になると肌寒かった。

 

 月光が雲に隠れて、辺りを暗く包みこんでいった………。

 

 

 

 

 

 

 

「この辺りだったか?」

 

 岩場を歩きながら俺は呟く。流石に今日着いたばかりの土地である。しかも暗闇ならば若干迷子になるのも仕方なかった。

 

「近場と思って油断したな。松明……いや、せめて月光があればなぁ………」

 

 それでも温泉ともなれば湯気が立ち込めて暖かいものだ。独特の硫黄の臭いもする。少々悪戦苦闘するものの、直ぐに俺は先程まで部下達と入浴していた温泉に辿り着いた。

 

「えっと、玉子は………あぁ、こいつだな」

 

 暗闇の中で湯に浸かった網目の荒い編み籠を俺は見つける。中に入れた玉子に触れる。よし、これなら上手い具合に温まってそうだな。

 

「くくく、こいつを飯の上に乗せて、醤油をかけると旨いんだよな………」

 

 生卵は食中毒が怖いが温泉玉子なら比較的安心だ。さて、そろそろ撤収を………?

 

「えっ?」

 

 次の瞬間、俺はその影に気付いた。暗闇のせいで直ぐ近くにいたその影に今更になって気付いたのだ。同時に相手もまた此方に気付いた事を俺は察する。これまでの経験から研ぎ澄まされた第六感のようなものが俺に視線を向けられている事を告げた。

 

「何奴………!?」

 

 俺は咄嗟に懐から短刀を取り出して構えていた。人間なら良かろう。野生動物でもまだ幸いだ。しかし、万一でも相手が化物であったら………可能性が低くても、身体は完全に条件反射的に動いていた。此方が何か刃物を向けた事実を理解したのだろう、影は驚いたように一歩下がる。

 

 次の瞬間、雲の隙間から月が再びその顔を覗かせた。ゆっくりと地表を仄かな光が照らし出していく。そして、眼前の存在の姿を晒し出す。

 

 それは人であった。月光を思わせる青みを帯びた黒髪、蛍の光を思わせる色彩の瞳が此方を驚いたように見つめていた。十代半ばだろうか?中性的で、優しそうで、苦労を知らなそうなその顔付きを俺は良く知っていた。当然だ、何度だって見た事があった。

 

「お前は………」

 

 思わぬ場所での思わぬ邂逅に、俺は思わず瞠目する。口を開いて唖然とする。沈黙が、場を支配する。

 

 直後、雲海の中から月が完全にその姿を晒し出す。同時に降り注ぐ月光が、入浴中だったのだろうその人物の一糸纏わぬその身体が俺の眼前に完全に剥き出しにされた。白い肌、線が細い華奢な体躯は少女のようだった。小さく引き締まった臀部、腰はすらりと曲線を描いているのは原作の通りだった。張りのある御椀型の胸は特別に大きい訳ではないが彼女の身体との均整が完全に取れており、その形もまた調和してい………胸?

 

 

【挿絵表示】

 

 

「はっ?」

 

 俺は思わず彼のアレに視線を向けていた。先程目撃した事実を否定しようとして凝視していた。………無かった。影も形も。棒も、袋も。何も。

 

「………」 

 

 再び俺は「彼」の上半身に視線をやった。そして先程目撃したものが俺の誤認でない事を再確認する。「彼」の顔を見る。驚きと恐怖と羞恥に混乱しきったその表情は原作同様の女顔で、まるで本物の女のようで、というか先程目撃した事実からして疑う事なく女で………。

 

「き、君は……一体…………」

 

 此方を見つめながら、若干目元を潤ませて言葉を紡ごうとする「彼女」。それを見て俺は先ず突きつけていた短刀を下ろす。そして二、三回溜め息を深呼吸して混乱する思考を落ち着かせる。

 

 ………よし、事実は事実だ。認めざるを得まい。目前の現実から逃げても何の意味もありやしないのだ。………まぁ、取り敢えずアレだな。

 

「う、ヴえ゙ぇ゙ぇ゙ぇぇェェェ………!!!???」

「ええぇぇぇぇっ!!!??」

 

 俺はその場で盛大に嘔吐して、主人公である筈の「彼女」を絶叫させる。

 

「ぇ、いや……えぇぇっ!!?だ、大丈夫かい!?というか、何で突然っ!?」

 

 突如として目の前で吐き出した俺に「彼女」は駆け寄る。駆け寄って看病しようとするがある意味その優しさすら今の俺にとっては絶望であった。その行動は正に俺の知る主人公様そのものの行いであったのだから。何の呪いか病気かも分からぬ他人、それも覗き魔相手に一切の迷いなく駆け寄るような善良な人間なぞ、滅多にいないのだから。

 

 そして皮肉にもその優しさが「彼女」が何者なのかを俺に一層残酷に突き付ける。

 

「っ……!?姫様!?何事ですか!?」

「あぁ、鈴音!丁度良かった!この………」

 

 第三者の声が聞こえた。慌てて近付く足音が響いた。「彼女」と某かを話しているようだがしかし、それも直ぐに俺には分からなくなる。聞き耳を立てる余裕なんて一欠片もなかった。

 

 滝のように汗が噴き出す。吐き気は止まらず、何度も胃酸を吐き出す。過呼吸を来していた。余りの衝撃の前に俺の意識は淀み、視界は次第に狭まっていた。意識が急速に遠退いていく………。

 

 まぁ、つまりアレな訳だ。心底嗤える事に俺は……そう、俺はどうやら詰んでいたらしい。最初から。

 

「………勘弁してくれよぅ」

 

 俺の泣き言が、闇夜に木霊した……。


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