和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 人物紹介について追記等しております。また貫咲賢希よりファンアート二件、頂きましたのでご紹介致します。
・前話サービスシーン
https://www.pixiv.net/artworks/93790130
・上記シーン環視点(ゲーム風味)
https://www.pixiv.net/artworks/93900711

 前者については本編前話の挿絵にもさせて頂きました。本当に有り難うございます!



第七三話●

 主人公の女体化、あるいは男性化という事象は、カルチャー物においてある種の定番ネタ枠である。確かに原作者なり、イラストレーターなりが悪ふざけで描かれたりはするが、それがそのまま最後まで物語として制作される事はない。ネタは所詮はネタでしかない。………そう、商業作品においては。

 

「四月馬鹿版とか、ウッソだろお前ぇぇ………」

 

 布団にくるまれたまま仰向けで天井を見つめつつ、俺は小さくぼやいた。喉奥から漏れ出た何処までもその弱々しい呟きは正に悲嘆、嘆き、嘆息そのものといって良かった。

 

 ………実際、今の俺は可能ならば今すぐにでも泣きわめきたい位に絶望していた。

 

(完全に油断していた。マジか、そういう世界線なのかよ………)

 

 四月馬鹿……つまり四月一日、エイプリルフールに準えてネタ予告や告知なんてものはサブカルチャーにおける定番と言えば定番ではあった。「闇夜の蛍」を制作した企業なぞ特に四月一日のネタに力を入れていた企業でもある。ガセネタな企画の予告編等を無意味な程の高クオリティで作成していた筈だ。色々と癖の強いシリーズを揃える同社内の作品群の中、「闇夜の蛍」は計三回もネタにされていた。

 

 その内一つが主人公女体化のIF物である。某運命さんなゲームの男装な騎士王とプロトさん辺りでイメージしてくれれば良い。いや、流石に彼処まで内容が変わっている訳ではないが……何にせよ、その予告編では主人公が女体化していた、そしてその姿が正に俺が遭遇した少女そのものであった、それだけが分かっていれば良い。

 

(問題は主人公の性転換で何処まで状況に変化があるか、だ………!!)

 

 割と本編のゲームでも良く牝堕ちさせられているような気がしない訳ではないが………問題は四月馬鹿版の紹介の際、製作陣は「本編を踏襲しつつ、よりやり応えのある作品を想定して製作した」とゲーム雑誌で語っている事である。

 

 ………これは訓練されたプレイヤー達が日本語訳した場合「より主人公がもがき苦しみ、プレイヤーが絶望する難易度ルナティックなストーリーにしてやりたい」と言う意味になる。おう、何で日本語を日本語訳しないといけねぇんだよ。

 

 百歩譲って、その製作陣の発言と悪意がこの世界において反映されていないとしてもだ、主人公が女という事実は幾つかのイベントが大きく逸脱しかねない危険性を孕んでいた。

 

「取り敢えず左大臣の野郎には絶対に会わせられねぇな………」

 

 原作と流れが変わらないとしても、一見非常に理性的かつ理知的に見せてその実かなり狂い拗らせているあのヤンデレ大臣だけは、今の主人公を会わせるのは余りにも危険過ぎる。唯でさえ「巫女」の面影があるというだけで少年なのに狙われたのだ。少女となればどうなるか知れたものではない。他にも厄介な事柄はあるがそれは厳守しなければならない。

 

(地雷共の処理は………自殺志願の鬼は別に男でも女でも問題はない筈だ。ゴリラ様は………別に百合でもイケる、よな?)

 

 紫が良く殺される一因は彼女の家族関係であるので、そこは村が滅べばその点は何らの問題はない。寧ろ同じ孤独な身の上のお陰で雛の好感度も稼げる。ゴリラ様の濁り歪んだ情愛は単純な性欲というよりも恵まれない両親からの愛情に対する代替行為な側面があるので最悪百合っても然程障害にはならないと考えられる。

 

 まぁ、最悪主人公には性転換してもらう手もあるが………原作では割と牝堕ちしてるのだ。牡堕ちさせても非難される謂われはない筈だ。その際の問題は薬の原料調達が難しい事とどうやって飲ませるか、それによる体調不良をどう処理するかであろう。

 

「いや待て、逸るな。……目下の目標はチュートリアルのクリアだな」

 

 記憶にあるチュートリアル(故郷の滅亡)自体は正直性別は余り影響しない内容ではある。少なくともあの一見しても少年らしい元気そうな少女ならば一人で山菜採り位していそうだ。というかしてろ。してないと襲撃に巻き込まれて覚醒する前に死にかねない。

 

(さて、どうするべきか…………)

 

 性転換の影響が何処まで響くか、特に鬼月家に引き取られる前のこのチュートリアルで死なれたらどうしようもない。本来はイベント発生前にこの郷を離れる予定ではあったが…………少々見極めの時間が必要かも知れない。

 

「まぁ、それはそうとして…………」

 

 俺はその気配を感じ取って傍らに置いてあった面を被った。身体を起こして胡座になると視線を襖の方へと向ける。俺の耳は遠くから薄っすらと響く単が床に擦れるその音を、その音が此方に近付いて来ている事実を捉えていた。………どうやら、来たようだ。

 

「………何用でしょうか、姫様?」

「あ、起きてたんだね?体調はどうかな?少しは良くなったかな?」

 

 俺の問い掛けと同時に襖が引かれて、そんな答えが返って来た。俺は胡乱気な視線を彼女に向ける。

 

「お粥を持って来たんだ。どう?食べられるかい?」

 

 開いた襖の向こう側にいたのは手元に小鍋を載せた盆を手にした、藍色の和装に身を包んだ主人公……ちゃんであった。

 

 ………おう、何でお前此処に来るんだよ。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 小さな土鍋の中をたっぷりと満たす粥は極めて豪華であった。それこそ、普段食べている雑穀と水で嵩まししたそれとは同じものと表現するのすら烏滸がましい代物であった。

 

 白米に溶き卵、刻んだ白菜、葱、茸を出汁で煮込んだそれはどちらかと言えば雑炊に近いかも知れない。豪華、しかしながら味は優しく栄養豊富であった。傍らには梅干や胡瓜、薺等の漬物の小皿が添えられていた。

 

「本当に大丈夫かい?しんどいなら僕が食べさせて上げようか?」

「いえ、本当に大丈夫ですから………」

 

 匙で掬った粥を息を吹き掛けて冷まして、俺はゆっくりと口に運んでいく。あ、旨い。

 

(…………これはこれで、どうにも面倒な事になったな)

 

 傍らで此方を窺う主人公様の視線を感じながら、俺は内心で苦虫を噛む。

 

 一応、幸運ではあったのだろう。郷司、庄屋は下位とは言え支配階級である事に変わりはない。少なくとも奴婢よりマシな程度の下人とは天と地程に身分差がある事は間違いない。そしてそんな賎しい男が、年頃の庄屋の娘が入浴する姿を目撃したらどうなるか………サービスシーン等とふざけてはいられない。本来ならば市中引き回しの上で打ち首獄門でも可笑しくないのだ。少なくとも、他の郷であればこうして屋敷の一室で看病されて粥なぞ振る舞われる事はない。

 

 その点で言えば俺を取り巻く今の状況は異常ですらあった、同時にこの屋敷の主人であれば決して異様という訳でもなかった、其れ程までに蛍夜義徳は善良で、主人公を含む家族もまたお節介焼きであったのだ。

 

「それは良かったよ。いきなりあんなに苦しんでいたからね、父さんも心配してたよ。折角の客人に倒れられたんだからね」

 

 心底ほっとしたように胸を撫で下ろす眼前の麗人。

 

「夕食が悪かったのか、それとも硫黄の臭いかな?何にせよ、直ぐに見つけられて幸運だったね。あのまま気付かなかったらどうなっていた事か………」

「………その節については申し訳御座いません」

 

 主人公………環「姫」の言葉に俺は気まずそうに答える。俺があの場で直ぐに嘔吐して倒れたから有耶無耶になったが、あの場での俺の行いは、もし表沙汰になれば義徳が許してもデ……宇右衛門らからどう処断されるか分からなかった。

 

 ………どうやら、聞く限りでは俺が目の前の少女の入浴姿を目撃した事は、本当に一部の者達しか知らぬらしかった。だから俺の首は今もこうして繋がっている。

 

「いや、あれは………そりゃあ、僕も恥ずかしかったけどさ。………実は父さん達から僕も叱られてね。無用心で不注意だって」

 

 俺の謝罪、その意味を理解して環姫は僅かに顔を赤らめて苦笑いする。その手元は自然と着物の襟元に触れていて、視線は泳いでいた。恥ずかしくなかった訳ではないのだろう。しかし、この事について此方に責を問う積もりはないらしい。

 

「あぁ!そう言えばまだ自己紹介をしていなかったね。僕は環。蛍夜 環。名字の通りこの郷村の庄屋の娘なんだ。………お姫様らしくないって良く言われるけどね?」

 

 あはは、と誤魔化すように笑う少年染みた少女。姫君。

 

 ………話によれば、豊穣祭に備えて隠れて舞いの練習をしていたらしい。そして流した汗を落とすのに、態態郷司らの使う温泉では歩くのに時間がかかるからと近場の温泉に入ったらしい。その結果が気絶する前のあの遭遇であったとか。確かに無用心で不注意ではある。

 

 どうやら、彼女は己が女性である意識が余り強くないようだった。性同一性障害という訳ではない。ただ、サバサバし過ぎて脇が甘いのだろう。良く夏場に二の腕まで捲ったり、畑仕事で足を見せたり背中を見せたりとを領民の前で平気で行って、周囲からそんなだらしなさを叱られているらしい。

 

 今回の案件もまたそんな前例の延長のように見られているらしく、そのため逆に俺が同情された側面があるようだった。

 

「僕がこうして看病しているのはそれが一因さ。まぁ、僕としても村の外からのお客には興味はあるんだけどね?」 

 

 そして誤魔化すようにまだ赤みが完全に消えてはいない顔で、しかしウィンクしておどけて見せる環姫。身分制に厳しいこの世界で下人相手にこのフレンドリー具合である。正しく闇夜に輝く灯火であった。その人徳と人懐っこさ、明るさがこの陰鬱な世界においては余りにも美しく思えた。

 

 あぁ、やっぱりこいつは主人公なんだな………極々自然に俺はその事実を受け入れていた。其れ程までに眼前の少女は、俺の知る主人公そのものであったのだ。

 

「成る程………では、遅ればせながら此方も自己紹介をさせて頂きましょう。私は鬼月家の下人で名は伴部と申します」

 

 恭しく頭を下げて俺は名乗る。まぁ、実名じゃないけど。………良く良く考えたら此方は偽名で相手は本名なんだよなぁ。名で人を呪えるこの世界で目上相手に失礼極まりないな。いや、そもそも本来ならばこの主人公様にしても他の連中にしても俺のような輩相手に自己紹介し合うのが可笑しいのだが。

 

「ふぅん。下人かぁ………。あ、いやご免ね。噂には聞いていたけど本当にいるんだと思ってね。黒い服にお面………流石に部屋に入った時点でつけ直しているのは驚いたな」

 

 クスクス、と小さく囀ずるように笑う環。不快感はなかった。その笑いに裏はない事は一目で分かったから。

 

 考えて見れば、この郷に退魔士やその関係者が来るなぞ滅多にないだろう。下人を物珍しく見るのもある意味納得ではあった。

 

「いやいや、本当にご免ね?お詫びに看病は責任を持ってしてあげるから許してくれるかな?」

 

 心からの善意であろうその言葉は、基本悪意しかないこの世界では五臓六腑に滲みるが………さりとてこれを受け入れる訳には行かないだろう。残念ながら、俺は何時までも布団で寝ていて良い立場ではない。

 

「有難い申し出です。………ですが、私としても今日にも職務に復帰しようと考えているので、そのお心には添えそうにありませんね」

 

 粥を食べ終えた俺がそう伝えると環姫は目を見開いて驚愕する。

 

「えぇぇ!?も、もうかい!?そんなに急がなくても良いだろうに!!?」

「旅行ではなくて仕事で来ておりますから。それに、私には部下がいます。彼らの監督もしなければ」

 

 同行している下人衆において次席は班長たる御影であるが、そも北討隊と南討隊に経験豊かな面子を集めたために東討隊の随員の練度は相対的に低く、それは班長になって経験の浅い御影もまた同様であった。彼らだけで彼是と仕事の判断をさせるのは正直不安しかなかった。純粋に人手不足な事もある。

 

「だけど………僕達からしても、客人にそこまで無理させたくないのだけれどね………」

 

 本気で心配して、困った表情を浮かべる少女の姿に俺は思わず苦笑する。そも、俺達を「客人」扱いする所が可笑しさしかなかった。宇右衛門らは兎も角、俺達は所詮生きる「道具」に過ぎないというのに………小作人らの扱いもそうだが本当に甘い。正にこの郷は温室だ。郷の外では下人や小作人なぞ、下手すればその人格すら無視されているのが現実なのだ。

 

「っ………!!そうだ!良い事思い付いた!」

 

 暫し悩んだような表情を浮かべていた環姫はふと、思いついたように顔を、ぱぁと綻ばせた。そして俺の目を見て問い掛ける。

 

「ねぇ!仕事って具体的には何をするのかな!?」

「えっ!?そ、そうですね……事務で荷や出費の計算、街道の監視、それとそちらの御父上が仰るには結界の点検をして欲しいとの事でしたから各所の要の確認はやるかと………」

 

 郷や街を丸ごと守る大規模な結界は霊脈から溢れる力を燃料として、各所の基点となる要を使ってその範囲を規定して結ばれる。結界の点検作業は多くの場合その霊脈自体の濁りの浄化やそこからの燃料汲み取り術式の手直し、各所の要の損耗の確認と取り替え作業から成る……というのはゴリラ様に以前御教授された内容だ。

 

 そして態態俺がゴリラ様から御教授された事からも分かるだろうが、これ等の結界に関する知識は下人の一般常識ではない。所詮は妖相手のリトマス紙に過ぎず、広範囲かつ強力な結界を単独で結べぬ下人にそんな知識を与えるだけ無駄、そんな事よりも武術の鍛練させた方が遥かにマシというのが多くの退魔士家の考えだ。そして、それは決して間違ってはいない。

 

 俺だって、部下の指導内容を変更した際に、小妖相手の結界の結び方、あるいは班単位による対中妖用集団結界の結び方等は指導科目に加えたが、それらは戦術規模にすらならぬ戦技結界であり、戦略規模の結界の構造なぞ教えてはいない。結果として、危険な雑務を引き受ける下人衆において多少でも大規模結界の状況に目利きが利く下人は俺くらいのもので………。

 

「じゃあ僕が郷を案内して上げるよ!」

「はぁ?」

 

 突然の彼女の提案に、思わず俺は無礼な口を開いていた。

 

「何か問題あるかな?良い案だと思うんだけど………この郷の事なら結構詳しいし、道案内くらい出来るよ?それに君が倒れても直ぐに助けを呼べるし………駄目、かな?」

 

 最後に少し不安げな表情で此方を見上げて尋ねる主人公様であった。正直な話、少年とも少女とも思えるその顔から放たれる御願い事である。精神的な効果は絶大だった。

 

 とは言え、そんな御願いに二つ返事で答えるわけにはいかない訳で………。

 

「それは………」

 

 俺はどうにか宥めすかせて彼女の提案を受け流そうとして、口を開こうとした。正にその瞬間であった。

 

「あ、それはとても良いご提案ですね?どうでしょうか?私にもその件、一枚噛ませて頂けませんか?」

 

 可愛らしい美声に俺は視線を向けて、そして面の下で顔をしかめた。当然だ、この場においてある意味一番会いたくない人物であったから。

 

「伴部さん、どうですか?先日の御約束を兼ねまして蛍夜の姫様のご提案、私からも御一考下さいませんか?」

 

 開きっぱなしの襖から、両手を重ねて頬に添えて、首を傾げてにこりと微笑む金髪翠瞳の美少女。余りにもあざとい笑顔………。

 

 俺はこの時点で如何なる行為も反論も無意味と悟る。俺ごときが下人にこの場にいる淑女二人の要請を無視出来るだけの資格なぞ存在し得ないのだから。

 

「………私一人では判断しかねます。宇右衛門様より認可を求めて下さいませ」

 

 俺に出来る唯一の、そして時間稼ぎにもならぬ抵抗はそう伝える事のみであった。

 

 当然ながら、一刻もせずに宇右衛門の部下たる隠行衆より認可の知らせは届いた。それは嫌味しかない注意の言伝と共にであった………。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 流石にその日の内に、という事はなかった。翌日の明朝に俺は荷を背負い、結界の要の調査に向かう。

 

 随行員は賓客たるお姫様二名、そして護衛として猪衛堅彦に世話役の女中、佳世が雑用兼荷物持ちに連れて来た丁稚奉公の少年が其々一人、下人からも護衛一人を此方に回した。

 

(そして恐らくは何処かに隠行衆が尾行しているな………)

 

 化物化が進んでいるせいか、以前よりも五感が敏感となっている俺は、百歩程離れた場所に潜んでいるその気配をうっすらと感じ取る。かなり巧妙に隠れているが………だからこそ俺は己が確実に人間から逸脱しつつある事を思い知らされる。全く喜べねぇな。

 

「さて、允職殿。そろそろ行こうか?確かにこの郷はそんなに広くはないがな?それでも徒歩で悠長にしてたら一日で回るのは厳しいぞ?」

 

 荷を背負った堅彦が俺を催促する。腰には大刀と脇差を一本ずつ差していて、その姿は中々様になっている。田舎の用心棒をしてはいるが、やはり武士である事はその立ち振舞いからして隠しきれないらしい。

 

「えぇ。………それはそうと、出来れば御二人には何か乗り物にでも乗って欲しいのですが」

 

 面越しに、俺は横目に外出着を着込んだお姫様二人を一瞥してぼやく。佳世は以前都で付き添った時のように市女笠に紅葉に映える紅色の着物を着込んでいる。

 

 一方で今一人のお姫様の出で立ちは佳世とはある意味正反対のものであった。一言で言えば山伏の衣装に近いだろう。山登りに適した衣装は飾り気はないが、それがサバサバとした中性的な彼女には調和していた。

 

「あ、伴部さん!どうですか、この衣装は?可愛いですか?」

 

 此方の視線に気付いたらしく、悪戯するように佳世は問い掛ける。問いかけながらくるりと一回転して見せる。あざとい。

 

「………はい。お似合いですよ」

「淡白過ぎる感想ですね。少し拗ねちゃいます」

 

 俺のおべっかに頬を小さく膨らませる佳世。とは言えそれは半分程おふざけのようで、そこに本物の怒りは見えはしない。

 

「ほれ、御嬢。女ってのはああいう風に愛嬌がなきゃなんねぇってものよ。そんな可愛げのない衣装じゃあ不合格だな」

「?だって郷を案内するんだよ?彼女は兎も角、僕は動きにくい衣装は危ないじゃないか?」

 

 そしてそんな佳世を一瞥した後に堅彦は自身の姫君の肩を突ついて指摘し、環姫の方は本当に不思議そうに反論する。それは真性の反応であった。己の選択が何一つ誤っていると考えていないものの口調だった。

 

「鈴音もそう思うだろう?」

 

 そして主人公様は付き人の女中に同意を求めるように尋ねる。

 

「そうですね。確かに『万一の事』が起きた際に直ぐに逃げられるように動きやすい衣服の方が良いでしょうね。………そもそも姫様はお立場や危機感を持っておいて欲しいですが」

 

 じろり、と此方を警戒するように睨んでからその黒髪の女中は主人に向けて刺々しい言葉を口にする。

 

(こいつが………)

 

 その名前を聞いた時、俺は主人公と温泉でカチ会った際に勝るとも劣らぬ衝撃と鈍い腹痛に襲われる。主人公と先に出会していなくてもやはり嘔吐していた事であろう。彼女の名前を、その存在を、俺は多少なりとも知っていた。

 

 鈴音はこの村に住んでいた主人公にとって専属の女中であり、友人以上、ギリギリ恋人未満の立場の少女であり、そして村が襲撃された際には主人公と共に逃げようとして失敗し、主人公が気が付いた際には低俗な妖共にゴリゴリと輪強妖姦された上でそのまま目の前で御飯として惨殺される。

 

 何がエグいって、ノベル版では後々特典小説で更に彼女の悲しいバックボーンが描かれる点だ。故郷の寒村が凶作に年貢の取り立てを受けて家族が飢え死に、自身も浮浪者として放浪していた所を幼い主人公に拾われた事が明かされる。主人公に淡い恋心を持っていて、蛍夜池での逢い引きで漸く心が繋がった所で己が妖共に群がられている現実に戻されるのだ。………せめて死ぬなら夢の中で死なせてやれよ。

 

 兎も角だ、鈴音と言えばそんなチュートリアルで悲惨な死に方をする事でプレイヤー、読者らにはこの世界がどれだけ残酷なのかを知らしめるための最初の生け贄として認知されていた。されていたのだが………。

 

(いや、何か違くね?)

 

 俺は内心でそんな突っ込みを入れる。

 

「何ですか?そんなジロジロと此方を覗き見して。無礼ですね?気持ち悪い」

 

 此方の視線に気付いたように、女中は吐き捨てる。

 

「鈴音、そんな言い方は失礼じゃないか!!」

「失礼な訳ないじゃないですか!!だって………」

 

 其処まで口にして、はっとした表情を浮かべて黙りこむ。佳世らと俺の部下はそんな鈴音の態度に怪訝そうにする。堅彦は苦笑したように肩を竦める。まさか自分の主人が温泉に入っていた姿を見られたなぞ、他所様がいる前で暴露は出来ないのだろう。忌々しげに此方を再度睨む鈴音。

 

「かかか!さてさて、ではそろそろ行こうか?御嬢、先導頼めますかね?」

「あ、うん!分かったよ。鈴音も、一緒に頼むよ?」

 

 堅彦が話題を変えて、主人公様が慌てて己の役目を思い出して先頭に立つ。鈴音もまた、主人の命令には逆らえないのだろう、付き添って共に先導した。………此方を警戒しながら。

 

「済まねぇな。あいつも悪い奴ではねぇんだが………」

「いえ、あの反応は当然でしょう。……寧ろ本人のあっさりした態度の方に驚いているのが正直な所です」

 

 俺に耳打ちして弁護する堅彦であるが、それは明らかに筋違いだった。確かに鈴音の反応の方が普通なのだ。あっさりと此方を許す主人公様や家族の方が例外だ。尤も………。

 

(ここまで性格が違うとはな………)

 

 原作では気弱で、臆病で、自己主張が少ない主人公の女中がここまで気が強くなっているのは驚いていた。同姓同名の他人ではないかと疑ったが………確かに目付きが悪いが、あの黒髪にあの顔立ちは、俺の知るその人物そのものであった。

 

(まるでゴリラ様か?いやどちらかと言えば…………)

 

 その性格に、俺はもう会う事もない家族の一人を思い出す。甘えん坊で我が儘で、気が荒いあの末の兄妹は、しかし確かに俺にとっては大切な家族であり、偶然にもそれを思い起こさせる女中に俺は敵意を向けにくい。

 

「…………」

 

 暫し、無言で主人公様と彼是と話し合う鈴音の後ろ姿を見つめる。そういえば、あいつも無事に成長していれば此くらいの年頃だろうか………。

 

「ん?どうした、允職?」

「伴部さん?何処か気分が悪いのですか?」

 

 妙な沈黙に疑念を感じたのか、用心棒と佳世が其々声をかけて、俺は我に返る。そして再び鋭い視線を感じて視線を戻す。不思議そうに此方を見て首を傾げる環姫に、塵を見るような視線で此方を敵視する鈴音。………やれやれ、これは本格的に危険視されたか?

 

「いえ、何でもありません。………それでは行きましょうか?」

 

 そして、俺は取り敢えずも己の眼前の仕事に取り掛かるために、荷を背負って出立を皆に宣言した…………。

 

 

 

 

 

 道案内役の環姫は、郷司に代々伝わる古い地図を手に、結界の要に俺達を案内していく。

 

 蛍夜郷を守護する結界、それを構成する要の数は郷の中央に一つ、霊脈の流れる地下に一つ、そして四方八方に結ぶようにして建てられた二十の基点、そして出入口となる東西南北に邪悪な物を打ち払うために建てられた物、計二六個に達する。

 

「にしても、複雑な形だよね。籠目紋……が比較的近いのかな?普通に四角形でも良いと思うんだけど………これって何か呪い的に特別な意味合いでもあるのかな?」

「いえ、恐らくは呪術的な理由というよりも戦術的な理由でしょうね」

 

 俺は環姫の広げる古地図を覗きながら、この郷を守る結界を結んだ退魔七士が一人の意図を理解する。

 

 結界の基点にして連結点たる要を結べばその緻密に計算された図形が浮かび上がる。一番近いのは十芒星であろうか。多数の基点を必要とするその形には明確な軍事的な理由があった。

 

 現実における星型要塞、あるいはヴォーバン式要塞と称される欧州の軍事建築群とその意義は同じである。城に星のように複数の突出部を作り上げる事で弱点となりうる死角を減らし、同時に攻め寄せる敵を迎撃する際に相互の面で火線が重なるようにこの郷の結界は結ばれていた。

 

 結界は所詮は結界でしかない。妖共の侵入を不可視の壁で阻止するし、触れれば火傷をさせる事は出来るが、それ自体が能動的に妖を始末してくれるわけではないのだ。結界そのものに触れなければ妖には何らの害はない。

 

 結界にも種類があるが、一番定番のそれは邪悪な存在のみを退けるものだ。そしてその特性故に妖力も霊力も帯びていない弓矢や石礫、弾丸や砲弾はそのまま素通りさせる。

 

 それを利用して、攻め寄せた妖を二つ以上の方向から飛び道具にて十字砲火に誘いこみ逃げる隙も与えずに一方的に殺戮する………結界師であると共に技士であり、建築家であり、軍師でもあった標遥鳳が結んだ結界はただ守るためだけのものではなく、寧ろ誘き寄せられた妖共を積極的に始末するために設計されていて、それは実際に大乱の時代に多くの街や城が妖の大攻勢を受けた時にその威力を発揮した………らしい。全てはゴリラ様からの受け売りだがね。

 

「この郷の結界はかなり初期のものだな。まだまだ荒削りな部分も多い。俺だったらこの山頂部の要は寧ろ山間部にするね。それに結界が一重なのも脆弱で良くねぇ。後期のは大体奥行きを取って三、四重になっていてな。最初の結界に敢えて弱点を作っておいてそこを破った所で前後左右から火点を集中させて殲滅するって悪辣な仕組みになってんだよ」

「お詳しいですね?」

「これでも一応武士なんでね」

 

 同じく地図を覗きながら堅彦が嘯く。考えて見れば当然であった。武士ならば妖から城や砦を守るために結界は結べなくてもその特徴や活用法くらいは学んでいるだろう。そも、彼の実家である城とそこに仕掛けられた結界は標遥鳳が晩年に設計した最高傑作の一つである。城及びその周辺の出城や砦、櫓、柵、砲台、隠し通路等を結界で連結させて徹底的に相互支援する事が可能な要塞はあのおぞましき妖母が餓鬼共の「津波」ですら、大量の犠牲を出しつつ本丸まで攻められても遂に陥落はしなかった。

 

「へぇ、そんな理由があったんだ………僕、知らなかったな」

 

 一方で、環姫は結界の構造に素直に感心すると共に少ししょげた表情を浮かべる。自身の育った郷について知らぬ事があったのが衝撃だったのだろう。

 

「なぁに、気にする事はないさな。それだけこの郷が平穏だって事だからな。別に使う時が来なけりゃあそれに越した事はねぇんだよ。………そも、お姫様がそんな事に興味を持っても仕方ねえだろうが」

 

 そう言ってガシガシと主君の娘の頭を乱暴に撫でる堅彦。環姫はそんな父の家臣に対して拗ねたように頬を膨らませる。

 

「そうやって人を世間知らずの箱入り娘みたいに言わないで欲しいなぁ!それは確かに僕は女の子だけどさ。それでも何もせずに座ってお菓子を食べてるだけなんて嫌だよ。僕だって御父様や皆の役に立ちたいんだからね!」

「だからって畑仕事や武術をしなくても良いと思うんだけどなぁ」

 

 環姫の言葉に若干困ったような表情を浮かべる堅彦。

 

(そこは原作と同じ、か)

 

 二人の会話を聞きながら俺は主人公様の状況を分析する。原作のナニが生えてる蛍夜環君は戸籍上は父である蛍夜義徳の三男として生まれた事になっている。家族に大切にされた彼はまた家族や故郷の事が大切で、その役に立ちたいと農作業や武術の鍛練に勤しんでいた。尤も、父を始めとした家族はそんな主人公に対して自由に生きるように諭すのだが………それが逆に自分が家族にとって役立たずなのではないかと言う漠然とした不安に繋がっており、ルートによってはバッドエンドの引き金にもなっている。

 

 特に中盤に自身が父の本当の子供ではないと知ってしまったルートなぞ、絶望の余りに主人公は嘔吐する。そりゃあまぁ、自分の存在が妖を招き寄せたんじゃないかと苦悩している時にそんな爆弾な事実を暴露されればそうもなろうて。SAN値によってはそのままリストカットし始める。

 

(さてさて、女である事がこの事実にどう影響を与える事やら………いや、四月馬鹿版も同じ設定とは限らんがな)

 

 何にせよ、自殺されたりダークサイドに堕ちられても堪らないので出来れば知られぬのが一番ではある。可能ならばイベント介入して証拠隠滅しておくか………。

 

「そうは言うけどね、丁度ここにいる佳世さんだって、僕より年下なのに立派に家族のために働いているじゃないか。しかも一人暮らしだよ?僕だって………」

 

 そして視線を佳世に向ける環姫。にこり、と佳世は営業スマイルを向ける。

 

「ふふふ、私も確かに大変ですが、周囲の皆さんの支えもあってどうにかやって行けていますね」

「いやいや、とっても立派だよ。僕なんかよりよっぽどね。羨ましいなぁ………」

 

 数個年下の少女に向けて、心底羨む視線を向ける環姫である。そんな彼女に向けて佳世は助言する。

 

「そう焦る必要はありませんよ。がむしゃらに努力しても空回りしますしね。先ずは明確な目標を見つけて、それを果たすために着実に行動して行けば良いのです」

「明確な目標、か。………佳世さんの明確な目標って何なのかな?」

「ふふふ、残念ながらそれは企業秘密ですので。情報の買い取り値は要相談になりますね」

 

 口元に手をやって朗らかに笑って誤魔化す佳世。実に優美で、余裕のあるあしらい方であった。この一瞬の会話だけで普段彼女がどれだけ上手く口を回しているのかが窺い知れた。

 

「むぅ………意地悪だなぁ。えっと、そう言えばそろそろ………あぁ。あれかな?」

 

 佳世の返答に若干不満そうな表情を浮かべる主人公様は、しかし次の瞬間には地図と見比べてそれを見つける。

 

「あれだな」

 

 紅葉で彩られる山林の中で、俺はそれを認めた。数ある木々の中でも一際太く逞しく、そして注連縄に締められたそれは間違いなく結界の要、その一つであった。

 

 古い伝承によれば榊の木は人と神……この世ならざる物との境界を分かつものなのだという。その故事を応用して人の生きる郷をこの世の物ならざる妖共から遮断しよう、という事なのだろう。

 

「何にせよ、まともな木じゃないんだろうなぁ………」

 

 榊は余り寒さに強い木ではない。北土において自然に生える可能性は皆無である。それがこの巨木………明らかに普通ではないのだろう事は容易に想像はつく。まぁ、何にせよやる事はやらんとな。

 

「千鳥、周囲の警戒を。………失礼、環姫様。此方の要の状態を確認致します。宜しいですね?」

「あ、う……うん。頼むよ」

 

 既に承知の事であるが、一応改めて認可を貰ってから俺は榊の大木に足を運ぶ。まかり間違って結界の要に何か起こって此方の責任にされては敵わない。少なくとも他所の郷や街なら十分有り得る話であった。

 

「ここは………注連縄が少し傷んでますが全体としては然程問題はないようですね。まぁ、俺としても素人なので断定は出来ませんが」

 

 巨木はしっかりと力強く根を張っていて、幹も枝も根も腐っている痕跡は皆無。注連縄は恐らく何百年か前に取り替えたのだろうが前任の仕事をした者は真面目にやってくれたようで少なくとも俺の目から見ればこれといって文句のつけるべき所はない。

 

(他の所までそうとは限らんがな)

 

 原作では強固な結界があった筈なのに、郷は蹂躙された。可能性は幾つかあるだろうが、可能性として最も有力なのは知らぬ内に結界の要の一部が無力化していたという状況だ。

 

 十分に有り得る事だった。聞けば、最後の点検が約半世紀前の事らしい。前任の点検者が雑な仕事で結界の綻びに気付いていなかったとしたら………この郷の住民も妖に対する危機感は薄い。用心棒の連中も結界に対しての知識は決して深くはなかろう。そうであれば………!!

 

(まぁ、可能性の一つでしかないのだがな。それに予想が事実としても俺には………)

 

 流石に専門家ではない、付け焼き刃の知識しかない下人に其処までの責任は問えまい。

 

(そういえばあの鬼は何処か行っちまったが………考察が事実とすれば綻んだ要から侵入してくるんだろうな)

 

 少なくとも奴がこの郷内に現れたとしたらそれが何処なのか知っている筈だ。まぁ、何処か尋ねるような危険な真似は出来ないが。あの鬼は自分で勝手に恩着せがましく首突っ込んだりしてくる癖に、他人が頼ってくると途端に不機嫌になる面倒過ぎる性格の持ち主だ。鬼の気紛れ具合を思えば同行している牡丹にも聞けないな。八つ当たりで牡丹も殺されたくなかろう。

 

 ………何にせよ、先ずは要を一つずつ調査していかねばならなかった。俺は榊の様子を異常無しと判断すると次の要に向かう事を提案する。

 

 昼になるまでに計八つの要を調べ上げて、その全てが深刻な異常がない事を確認し終える。

 

「この辺りで一旦休憩にしようぜ?」

 

 九つ目の要に向かう前にそう提案したのは堅彦だった。

 

「えっ?もうかい?まだ後一つくらいは………」

「商会の嬢ちゃん方には厳しいだろうぜ。なぁ、允職?」

 

 南土人は俺に話を振る。八つ目の要を調査し終えた俺はそれに同意した。

 

「そうですね。商会の方々は山は不慣れでしょうから。無理して足を踏み外したら危ないでしょうね」

「はぁ……はぁ………へへ、御配慮感謝しますね」

 

 駆け寄りながらの俺の意見に、石の上に座り込んで深呼吸していた佳世は恐縮しながら謝意を伝える。その額には淡く汗が滲んでいた。懐から絹の手拭いを取り出して彼女は汗を拭う。

 

 田舎の小作人であれば兎も角、都会住まいの商家の御嬢様には斜面のあれた足場が不安定な山道を長時間歩く経験なぞあろう筈もない。この場において彼女は一番疲労していた。

 

「日も上がったな。ここいらで飯にでもするか。鈴音、弁当くれるか?」

「それくらい自分で用意してないのですか?」

「男ってのは年頃の娘の手作り弁当に憧れるもんだぜ?」

 

 当然のように主人の女中に飯をせびる堅彦にあからさまな軽蔑の視線を向ける鈴音。しかしながら予想はしていたのか舌打ちしながら竹の皮で包んだ手弁当を投げつける。

 

「おっと、危なっ!?土に落としたらどうするつもりだよ!?」

「姫様、この辺りならば石はありません。敷物を敷くのでお座り下さい」

「無視かよ!?」

 

 慌てて不意討ち気味に投げつけられた手弁当を掴んで叫ぶ用心棒に、しかし女中は無視して敷物を敷いて主人に座らせる。何なら敷物の上に広げるのは美しい蒔絵が施された漆塗りの三段式重箱である。その外側を見るだけで明らかに堅彦に投げつけたそれよりも中身が豪華そうだった。

 

「佳世様は……そちらで御用意されているのでしたか?」

「はい。折角お申し出頂いたのに申し訳ありません」

「いえ、そのような事はありません」

 

 一方、小僧が絨毯を広げると笠を脱いだ佳世が座り込む。同時に小僧が背から降ろした荷から取り出すのは上品な竹籠だ。

 

「どうですか?此方に来て御一緒しませんか?」

「ん?………それは私に向けてですか?」

 

 にこり、と微笑みながら佳世は俺に向けて提案した。部下に向けて先に飯を食べておくよう命令して周囲の巡回を行おうとしていた俺は思わず不意を突かれる。

 

「はい。実は鶴が張り切って作ってくれたのですけれど量が多くて………出来れば一緒にお食べ下さったら助かるのですが」

「いや、しかし………」

 

 巡回を行おうとしていた所での提案である。とは言え相手が相手なので不興を買いたくはなかった。

 

「自分が先に周囲を見回りましょうか?」

「そうか。では頼む。直ぐに交代しよう。………気を付けろよ、遠くまで回らなくて良いからな?」

 

 場の空気、状況を察知した千鳥が直ぐにそう申し出るので俺はそう命じる。そして恭しく商家のご令嬢様の方へと足を運んでいく。

 

「あれから御体調の方は大丈夫でしょうか?」

「御安心下さいませ、問題はありませんよ」

「それは良かったです。私がおもてなしした後だったじゃありませんか?もしかしたらそれが原因かと思って心配で心配で………今日の昼食は全て鶴が調理したものですので安心して下さいね?」

 

 そう語る佳世の言葉に一瞬俺は面の下で怪訝な表情を浮かべるが、直ぐにその意味を解する。

 

(成る程、毒でも警戒したか)

 

 親族に娼婦堕ちさせられかけ、商会でも功績と同時にヘイトも稼いでいるであろう事は想像に難しくない彼女の立場を思えば当然の心配であった。そう思えば彼女が随行員を小僧一人にしたのも色々考えられる。護衛も完全には信用していないのかも知れない。

 

(下手に大人を沢山連れるよりも純粋で素直な子供の方が良い、か)

 

 ちらりと見れば水筒から紅茶をティーカップに注ぐ少年は此方を警戒していた。佳世と同じ金髪の、恐らくは南蛮系との混血の丁稚奉公の子供………恐らく佳世の立場を考えて裏切りにくい者を選んだ結果なのだろう。

 

「はい。先ずはお茶をどうぞ」

「あ、では御馳走になります」

 

 面をズラしてから受け取ったティーカップに口をつける。懐かしい、それでいて品のある甘味と渋みだった。今世では輸入品のために中々飲む機会はなく、前世では安いティーバッグの奴しか口にした事はなかったが一口で良い茶葉を使っているのだと分かる。

 

「申し訳ありません。もっと良い茶葉も知っているのですが、今は持ち合わせがなくて………」

「いえ、お気になさらず。これでも私なぞには過ぎた代物ですよ」

 

 心から済まなそうにする佳世であるが俺はそれを否定する。本音だった。俺の鈍感な舌ではこれより良い茶葉を使われても違いも分かるまい。

 

「ふふふ、ではそういう事にしておきましょうか。えーと、確か中身は………サンドウィッチですね」

 

 竹籠の蓋を開いて、佳世が弁当の内容を宣う。

 

 竹籠の中に詰められていたのは俺の良く知るサンドイッチそのものだった。恐らくは長居する事になるので郷の竈を借りて焼き上げたのだろう。白い麺麭……つまりは食パンに玉子、あるいは胡瓜、照り焼きにした焼き鳥、赤茄子、玉葱、果物等が挟まれていた。チーズやアンチョビ、ジャムまであった。そちらは恐らくはパン種共々、元から持ち合わせていたものなのだろう。流石にこんな田舎の郷でそんなものが運良く用意されてはいまい。

 

「サンドイッチですか。以前御馳走になった事がありますね」

 

 佳世とゴリラ様は何度か交流していて、食事等もしている。その際に差し入れやおこぼれとして此方に転生してからも何度か食べた経験があった。

 

「はい、どうぞお食べ下さいね?」

 

 そうやって佳世が差し出すのは照り焼きに玉葱を挟んだサンドイッチであった。

 

「では、御言葉に甘えて………」

 

 手を拭いた後に小さく白い手で差し出されたサンドイッチを受け取る。あ、旨い。

 

「ふふふ、沢山食べて下さいね?あ、玲旺君もですよ?」

「あ、は……はい!!」

 

 俺がサンドイッチの感想を述べれば微笑みながら俺にそう伝え、次いで傍らに控えていた少年にも自身の弁当を差し出す。金髪黒瞳の少年は恐縮しながら主人からの御馳走を受け取ると栗鼠のようにサンドイッチを啄む。

 

(まるで姉弟だな)

 

 同じ金髪だからか、一瞬そんな事を思った。歳も三、四歳程しか離れておらず、恐らくは佳世も少年を可愛がっているのだろう、親しく接しているので余計そう思った。これがもう少し年の差があれば親子に見えたかも知れない。

 

「御代わりはどのサンドウィッチが良いですか?お魚にしましょうか?それとも玉子にしますか?」

 

 そんな事を思っていると此方の視線に気付いたのか、佳世が竹籠のサンドイッチボックスを差し出して尋ねる。

 

「………それでは玉子で」

「はい。あ、お茶も注ぎますね?」

 

 俺に玉子サンドを差し出してから、水筒から紅茶の御代わりを注ぎ込む。断るのも非礼なので受け取るしかない。

 

(………面識なり、秘密の共有なりがあるとは言え、必要以上に親しくするのは止めて欲しいんだよなぁ)

 

 佳世からすればゴリラ様同様半ば金持ちの道楽なのだろうが、周囲からすれば俺が媚びて甘い汁を吸っているようにしか見えまい。お付き添いの玲旺君だって、ほら見てみろ。あからさまに此方を警戒してるよ。色々お鶴さんやら他の大人から言い含められてるのだろう、狡猾な連中から御嬢様を守る気満々だよ。

 

「………そろそろ自分はこの辺りで失礼を」

 

 紅茶を二杯、サンドイッチを三切れ食べた所で俺は退出を申し出る。

 

「もうですか?殿方でしたらもっとお食べになると思うのですが………もしかしてこのサンドウィッチはお嫌いでしたか?」

「いえ、そんな事は………元々貰っていた弁当がありますし、そろそろ部下にも飯を食わせてやりたいと思っていたものですので」

 

 そこまで言って、序でに俺は将来のストーリーの事を考えて提案する。

 

「もしまだ食べきれないのでしたら彼方の方にお裾分けしては?同じ年頃の女性同士、お話が合うかも知れませんよ?」

 

 原作の佳世は売り子として妖を殺しまくる主人公にアイテムに色を付けたり、情報をくれたりもしてくれたものである。ましてやこの世界の彼女の立場と権限は原作以上、ともなれば俺としてはこの機会に彼女らに早めに面識を持って、贅沢を言えば親交を深めて欲しかった。

 

「そうですか……仕方無いですね。ではせめて此方をどうぞ。小腹がお空きになった時にでも食べて下さい」

 

 そう嘯いて佳世が俺に差し出したのは竹の入れ物だ。その中に入っていたのは………パンの耳?

 

「サンドウィッチの時に残った麺麭の耳を揚げて蜂蜜と砂糖をかけてかりん糖にしたんです。少し揚げ過ぎちゃいましたけど」

「いえ、それは別に………待って下さい。自分で揚げたのですか?」

「はい。おやつ代わりに。………あの、嫌でしたか?」

 

 首を傾げて不安そうな顔で此方を見上げる佳世。その媚びるようで、期待するような視線は正に魔性という他なかった。少なくともまともな人間ならば冗談でもここで悪意ある言葉は口には出来ない。

 

「………有り難く頂きましょう」

 

 俺は取り敢えず無難に返答した。どの道奇妙な非常食であり、甘味である。最悪部下達にも食わせれば良い。

 

「それは安心しました」

 

 心からほっとした表情を浮かべる佳世に一礼して、俺はその場から離れる。そしてそのまま周囲を見回りしている部下を探していて………女性陣の視界から離れた所で側にやって来るのは握り飯を食らう堅彦だ。

 

「いやはや、隅に置けないなぁ。えぇ?うちの姫様にあんな仕打ちをして、今度は商会の御嬢様かい?モテる男は羨ましいな?」

 

 嫌味というよりかはからかいに近い物言いであった。同時にその言葉は其ほど本気でもなかった。

 

(何ならこいつの方が遥かにモテそうだけどな)

 

 大藩の一族出で一目ではそうは見えないがやろうと思えば宮中儀礼だって完璧にこなせる、しかもその武術は霊力の欠片もない癖にギリギリとは言え中妖を一人で殺し切れると来ていた。ぶっちゃけ性格以外は割と優良物件である。

 

「御冗談を。……かりん糖食べます?」

「おう、一本貰おうか」

 

 俺が誤魔化すように差し出すかりん糖を躊躇なく摘まむ堅彦。一本と言ったのに三本くらい持って行ったが突っ込まない。

 

「それよりも何用で?先日仰っていた試合でしたらまだ許可は下りていませんよ?」

「おいおい、付き合いが悪いな。えぇ?そう堅い口利くなよ?」

 

 へらへらと笑う堅彦に、俺は僅かに顔をしかめる。同時に疑念を感じ取る。何か妙だな………。

 

 俺は口を開いて何かを尋ねようとして、しかしそれを直ぐに止めていた。肉体の変質によって若干人間から逸脱しつつあったその聴覚が、その音を拾っていたからだ。

 

 それは森の中に掻き消えそうな程に小さな、しかし間違いなく殴打と悲鳴………!!

 

「っ………!!?」

「お、おい……!?」

 

 背後からの静止の声も無視して俺は疾走していた。脚力を霊力で強化して、まるでプロアスリートのように足場の悪い中を障害物を乗り越えながら突き進む。そして二十数える前に俺はそこに辿り着いていた。視界に、それが映りこむ。

 

「千鳥………!?」

 

 俺は次の瞬間、叢に倒れる部下に駆け寄ろうとして……咄嗟に足を止める。こういう時に狡猾な妖共が敢えて獲物を餌にして罠を張る事を俺は経験から知っていた。俺が下人になって初めて配属された班はそれで俺以外全滅した。

 

「………っ!!?」

 

 故に俺は懐から短刀を取り出すとそのまま足を止めて周囲を警戒する。気配を探る。しかし………。

 

「………去った、のか?」

 

 俺は尚もゆっくりと、警戒しながら倒れる部下のもとに辿り着くと足でその背中を蹴りあげる。小さな呻き声がした。生きているし、皮だけ剥いで中身が掏り替わっている訳ではなさそうだった。

 

「大丈夫か?何があった………?」

「うっ………ぐ………影が、叢から……何か、が………?」

 

 意識が混濁しながら譫言のように呟く部下。頭を殴られているな、脳震盪か。これでは暫くは話は聞けんな。

 

(そして犯人はもう離れたか?となれば………!!)

 

「おい、隠行衆。姫様方に連絡と護衛をしろ。犯人が彼方に向かうかも知れない」

 

 俺の提案に、一瞬だけ動きを止めたように見える気配は、しかし直ぐに遠ざかる。優先順位を理解してくれて助かるね。

 

「千鳥、運ぶぞ。安全な場所に着くまで我慢しろよ………!?」

 

 そう命じて俺は部下を背負って運ぼうと試みる。そして、気付くのだ。部下の掌に包まれたそれを。

 

「これは………毛?」

 

 恐らくは咄嗟に引きちぎったのだろう、千鳥の掌に残ったそれは数本の毛であった。

 

 そう。そいつは黒く、それでいて狼のものを思わせる獣毛で………。




糞どうでも良い事ですが本話にてサンドイッチとサンドウィッチが双方記述されていますが誤字ではありません。(ヒント:其々を使っている人物)


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