和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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貫咲賢希さんより、クリスマスサンタな姫様と馴鹿下人のファンアートです。可愛い。
https://www.pixiv.net/artworks/94854841

 クリスマスには後日談もあるそうなので、そちらもお楽しみ下さいませ。


第七八話●

 実のところ蝦夷が賊、入鹿の存在は鬼月宇右衛門にとって想定の範囲内であった。

 

 元より綻びがあるとは言え、郷の結界内部に侵入するには余程強大な妖であるか、気配を欺瞞するに長けた妖であると想定されていた。あるいは半妖か………。

 

 多くの場合において純正な妖に比べて半妖は人の血が混じっている分知恵が長け、結界の欺瞞に向いてきた。大乱の時代、朝廷が半妖からなる兵を戦線に投入したのと同様に、空亡達も工作員として彼らを活用した。ましてや回収された狼の獣毛を考慮すれば宇右衛門の脳裏には一つの可能性が浮かび上がる。

 

 都に潜入し、移送中に逃亡した半狼妖の蝦夷の存在は今でも朝廷と橘商会の共同で手配されている。商会側に至っては多額の褒賞金迄確約済みだ。

 

 件の蝦夷はその出身地から北か東に逃亡したとされていた。そして宇右衛門らは独自の郷内調査により、ある半妖の存在を浮かび上がらせる。

 

「宇右衛門殿、その件については心より謝罪致しましょう。ですがこの郷には税に耐えかねて逃亡した小作人も少なくありませんのです。それを突き出すのは何とも忍びない」

 

 蛍夜家の屋敷の書斎にて屋敷、そして郷の主人たる蛍夜義徳は謝罪する。謝罪しながらも弁明する。

 

 義徳の言葉は実に沈痛なものであった。事実、義徳の言も、その行いも道理に違うものではなかった。小作料や年貢に賦役、それらから逃れるために土地を捨てる農民は決して珍しくはなかった。北土のような冬の厳しい土地では尚更だ。

 

 それら浮浪となった人々は山奥に潜むか、町に出るか、別の土地で小作人となるか、あるいは盗賊ややくざ者になるか………朝廷も法的には捕縛次第元の土地への連行を定めているが、移送するにも金がいる。盗賊にでもなるのでなければそのまま目溢しされる場合も少なくないし、それを黙認してもいた。朝廷からすれば究極的には税さえ徴収出来れば良いのだ。

 

 己を頼る者達を義徳はその仁徳故に無下には出来なかったし、その中に傷ついた蝦夷の半妖がいてもまた同じ事である。後ろ暗い所の一切ない浮浪はそう多くはない。

 

 そして件の蝦夷はこの郷に流れ着いてから特に怪しい所も問題を引き起こす事もなかった。少なくとも彼や彼の周囲にはそう見えた。故に娘らの嘆願もあってその存在を隠す事、匿う事に対して拒絶する事は難しかった。

 

 ………無論、それはあくまでも「善意の第三者」の範囲内においての話であるが。

 

「義徳殿、行けませぬな。その仁愛は理解致しますが半妖なぞ慈悲をくれてやるものではありますまい。半分とは言え化物は化物。奴らは狡猾で巧妙なのです。事実義徳殿の姫君も良いように利用されていたではありませぬか」

 

 宇右衛門は理解を示すように諭し、そして警告するように窘める。それは彼なりの弁術であった。

 

 宇右衛門からしてもここで口々と非難をするよりも、面子を立ててやり、同時に貸しを作った方が有益であると理解していた。どうせ彼是と断罪して蛍夜一族を庄屋から追放した所で直ぐに朝廷やら邦守やらが介入して利権漁りしてくる事だろう。扶桑国は退魔士家が権益を得ようとするのを嫌がる。ならばここで無理をする必要はない。恩を着せてやった方が余程良い。

 

「そうですね。商会からしても、善き隣人たる義徳様がそのような所業を行うとは考えられませんし、これからも懇意にして行きたいと考えております。此度の件はこれで手打ちが宜しいでしょう」

 

 書斎に居座る三人目が賑やかに微笑みながら嘯く。目は一切笑っていない。佳世にとっては件の蝦夷は因縁の相手だ。

 

 しかし商人は感情では動かない。一銭にもならぬ事をする積もりはなかった。彼女からしても宇右衛門と同様だった。商会の権益のためには郷の権力構造が混乱するよりも現状を維持しつつ貸してやった方がより儲かった。彼女は金が必要だった。少しでも多くの金が。愛しい人のために。ならば己の感情を押さえつけるなぞ易いものである。

 

「しかし、あの者が都を騒がせた賊徒であった事は理解致しますが、まさか妖共と繋がっていた等とは………」

「間違いありますまい。事実、先日被害のあった現場にて同様の妖気を纏う狼毛が回収させておりまする。言い逃れは出来ますまいて」

 

 眉間に皺を寄せて苦悩する義徳に、宇右衛門は証拠を突きつける。

 

 ほんの六日前に発覚した行商人の被害、死体こそ見つからなかったものの、夜営の後にて調査に訪れた軍団兵が犯行人のものと思われる狼毛を回収して見せた。それを取り寄せた宇右衛門らは物探しの呪術でもって確認した。振り子の針は見事に件の半妖を指差した。

 

「しばしば姿を見せぬ事があったとか。半妖とて化物は化物、人よりも足は素早いものです。近場で人を襲えば気取られるとでも思ったのでしょうな。実に悪どいものです」

 

 そして恐らくはそんな食人の最中にあの妖猪率いる妖群と出会したのだろうと宇右衛門は推測する。偏見に満ちた認識で確信する。

 

「して、あの者の処遇は?」

「一先ずは連行となりますな。郡司では持て余すでしょうから邦守にでも引き渡す事になりましょう。その後は我らには与り知らぬ事。とは言え、罪状からして最低でも斬首は免れますまい」

「そうですか………」

 

 分かってはいた事であるが、改めて明言されてしまうと義徳も目蓋を閉じて沈黙する。面識がなかった訳でなければ口を利いた事のない仲でもない。ましてやこの郷内で死罪の者が現れるなぞ何十年ぶりの事か………甘い事は理解しているが、それでも彼の受けた衝撃は計り知れなかった。

 

「………妖共も粗方片付けました。数日の内に郷より出立する予定です。そちらからしても、その方が宜しいでありましょう?」

 

 郷に訪れたのは妖のため、そしてこのような一件があったのだ、豊穣祭まで罪人を郷に留める事は良くはない。故の宇右衛門の善意と打算を兼ねた提案。

 

「商会としても、予定が随分と遅れております。当然それによる出費も嵩む状況です。我々も鬼月家の出立と同時に退出させて頂きます。宇右衛門殿、途中まで御同伴しても構いませんか?」

「先日まで化物共が徘徊していたのです。構いませぬ。慎んで護衛させて頂きましょう」

 

 佳世の通達、そして要請。宇右衛門がそれに恭しく応じると、それきり暫し沈黙が部屋を支配した。

 

「………それでは、私は此れにて。夜更かしは御肌に悪いものです。早く寝付いてしまいたいものですね」

 

 橘の令嬢はにこり、と貼り付けたような笑みで一礼する。そして音も立てずにすぅ、と優美な物腰で座布団より立ち上がった。つまりは、お開きという事だ。

 

「ふむ、では儂も失礼するとしようかの。明後日の出立の準備で忙しいものでしてな。雑務を任せる手下が怪我をして人手が足りませぬわ」

 

 宇右衛門もまた一礼して退席を申し出る。此方は佳世と違って本当に困ったような表情を浮かべる。

 

「………そうですか。実に残念な事です。せめて出立前にもてなしの宴会でも開きたいと考えていたのですが………仕方ありません。出立に先立ち必要なものがあれば御遠慮なくお申し出下さい。可能な限り用意させて頂きましょう」

 

 義徳は二人の言の意味を理解して、そう伝える。佳世と宇右衛門が其々礼を伝えて部屋を退出する。そして再び部屋に訪れる静寂………。

 

「………奴さん方、随分と警戒してましたね。特に商家のご令嬢様は……終始目が笑っていませんでしたよ?」

 

 背後からの声。義徳が振り向けばそこにいたのは用心棒として部屋に詰めて控えていた堅彦である。普段のヤクザ者か流浪人のようなそれとは違い烏帽子に直垂姿ではあるが、そんな彼のまともな出で立ちを見ても主人の心は晴れはしない。

 

「仕方あるまい。話に聞けば佳世嬢は入鹿に直接危害を加えられたのだそうな。己の仇ともなればああもなろうな」

 

 朝廷とは別に橘商会は有益な情報提供等協力に百両、捕縛ないし殺害した者に至っては千両も褒賞金を支払うと提示していたのだ、その怨みの程が知れる。

 

 そして実際、佳世は思う所のある筈の蛍夜家に対して、しかし罪人の長期間に渡って留置きしていた事への謝礼を支払おうと申していた。流石にそれは丁重に断りを入れたが………。

 

「恐らくは打ち首獄門でしょうな。いや、その前に拷問か………姫様が騒ぎそうですな」

「流石にあやつも愚かではあるまい。早まった行動はせんであろう」

 

 寧ろ気落ちする方が心配だった。よりにもよって豊穣祭が数日先に迫っているというのにこれでは………。

 

「祭の舞いの稽古も身が入らないようですね。鈴音には言付けましたよ、姫様を善く善くお慰めするようにと」

「そうか、済まないな。本当ならば私が言うべきなのだろうが………」

 

 元よりどうにもならぬ事とは言え、義徳は入鹿を切り捨てた立場である。娘達の仲の良さを思えば直接命じるのは何とも気まずい。

 

「いえ、鈴音も理解はしていましたよ。寧ろ姫様を御止めせずに協力していた自分に処罰が無かった事に深く礼を述べていました」

 

 堅彦は思い返す。呼び出されて参上した時の女中の悲壮な面持ちは流石に同情した。普通なら責任転嫁をしようとするだろうに言い訳の一つもしようとしなかった。相変わらず責任感が強い子である。

 

「娘が迷惑をかけるな。鈴音もそうだが、お前も苦労していよう?」

「いえいえ、元気があって良いお姫様ですよ。世間知らずでお人好し過ぎる所は頂けませんがね。嫁入りで外に出た時が心配ですよ」

 

 義徳が尋ねれば堅彦は、しかし苦笑しつつも真剣に心配する。環姫は明るく善良だ。だがそれは美点でもあり欠点でもある。この郷は温室だ。外の世界はこの郷のように甘くはない。

 

「妻も私も、甘やかし過ぎたのだ。もう少し厳しく育てるべきだったのだろうが…………」

 

 それを分かっていても、義徳はそこから先の言葉が出て来なかった。今は亡き妻は最後まであの子を心配していた。妻にとってはそれだけ娘が大事だったのだろう。

 

 例え、本当は血も繋がらぬ捨て子に過ぎなかったとしても………。 

 

「…………祭の後にでも、伝えねばな」 

 

 知らぬ方が幸せであると分かっていたし、可能ならば墓場にまで持って行った方が良いのだろう。しかし、こんな騒ぎの後である。義徳は郷を預かる者として、郷民を守護する者として、それを伝えざるを得なかった。今回のような行いを何度も許す訳にはいかなかった。

 

 義徳は己に課せられた義務を思い、何処までも深い溜め息を吐き出していた………。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 それを目撃したのは酉の六つ刻、空が茜色に染まる夕暮れ時の事だった。

 

 鈴音……つまり私は翌日の朝餉の献立に使う青野菜が足りない事に気付いて笊を手に屋敷を出た。とは言え、向かうのは村から然程離れていない野菜畑である。護衛も連れず、一人で出掛けた。

 

 自分から志願しての事だった。ここ二日程は主人を慰めるための話し相手ばかりをしていた。そろそろちゃんと仕事もしなければならない。どうせ郷内に侵入した妖共は鬼月家によってほぼ狩り尽くされていた。場所から考えても危険性はほぼなかった。無論、それでも護身用の御守りと短刀は懐に忍ばせてはいたけれど。

 

 必要な分の野菜を収穫して、私は帰路に就こうとする。そんな時に私はそれを見つけた。田園を一望出来る小高い丘に見覚えのある人影………。

 

「あれは………」

 

 どうしようか、私は一瞬迷った。しかし最終的にはそちらに向けて歩み始めていた。どうせ急いで帰らねばならぬ訳ではないし、余りあの男と話す姿を周囲に見られたくはなかった。その意味でこの機会は丁度良かったのだ。

 

 小丘を登るとその男の後ろ姿を確認する。全身黒づくめの出で立ちで、座りこんでいた。  

 

(何か、手を動かしている………?)

 

 何かの作業に集中しているようで、相手はまだ此方には気付いていないようであった。私は怪訝な表情で声をかける。

 

「奇遇ですね。こんな所でお会いするのは。仕事は宜しいので?」

「っ!?………鈴音さんですか」

 

 私の呼び掛けに一瞬びくりと身体を震わせる下人は、しかし此方に般若面を向けると安心したように小さく息を吐いた。その態度に私は少し不愉快な気分になる。自分がなめられているのか、軽視されているように感じられたのだ。

 

「何ですかその態度は?こんな所で一人で………何か如何わしい事でもしておりましたか?」

 

 ふと脳裏に幾つかの可能性が過る。聞き齧りの話であるが、所謂呪いの類いには目撃されてはならないものもあった筈だ。藁人形を使ったものは典型的な例だ。

 

「い、いえ。そ、その……大した事ではないのですが………」

「ほぅ。大した事ではない、ですか」

 

 何処か言い淀む下人に私は今度は警戒する。まさかと思いますが、本当に如何わしい工作でもしていましたか?私は自然と懐に忍ばせていた短刀に手を伸ばします。

 

「その………」

「その?」

「……皮つるみを」

「……………そうですか。失礼しましたね」

 

 視線を逸らして呟かれた下人の言葉を聞いた私はその意味を理解するために暫し沈黙し、そして状況を整理するために更に沈黙した。そして漸く全てを理解すると心からの謝罪を口にしていた。

 

「………」

「………」

 

 気まずい空気が場に満ちる。こ、これは不味いですね………。

 

「………ごほん。ま、まぁ……屋敷でされるよりかは良いでしょう。仕方のない事です」

 

 私は誤魔化すように咳き込み、そして相手を弁護していた。生理現象は仕方のない事であるし、男なんてそんなものである。そう割り切る。

 

「………意外と冷静なのですね」

「私は姫様程に純情じゃありません。鸛が赤ん坊を連れて来るだなんて思っていませんよ」

 

 何なら遊び相手をしてやった年下の小僧共がある日茂みの中でしていたのを目撃した事もある。幾人かが必死の形相で自分の名前を呟いていた時は流石に赤面したがそのままその場を立ち去り何も知らない振りをしてやった。あの場で声をかけるのは流石に可哀想過ぎた。実害なく隠れてやっているのなら忘れてやるべきだった。

 

「………して、そちらは何故ここに?」

 

 作業に使用していたのだろうか、捲っていた腕を戻し、手袋を嵌めながら眼前の男は問い掛ける。一瞬その腕が垣間見えた。痛々しい程に傷だらけの腕だった。先程の何とも言えぬ気分は霧散して、私は思わず息を呑む。しかしその動揺を悟られぬように直ぐに口を開き説明する。

 

「い、いえ………少し畑の方に」

 

 そう語って、私は補足説明するように手元の笊を見せつける。

 

「葱に菊菜………それと青菜ですか。浅漬けに朝粥ですか?」

「はい。明日明後日は荷造りで貴方方や商会の者達が慌ただしくなるそうですね?ですので朝餉は消化が良く塩気がある方が良いだろうとの事です」

「それは有難い心遣いです」

 

 後程厨房には礼を述べておきます、と下人は述べる。そして言葉が途絶える。再度静寂が場に流れる。

 

 私は努めて平静を装うが、内心でどうしようかと慌てる。先程まで行っていた事が事である。何を言うべきか迷い、そして視線に気付くと殆ど本能的に口走っていた。

 

「それにしてもこんな時にこんな場所で、暇なんですか?允職とは思ったよりも気楽なお仕事なのですね?」

 

 咄嗟に口にした後で流石に喧嘩を売り過ぎな内容だと理解して私は顔をしかめる。しかし覆水は盆には返らない。口にした言葉は取り消す事は出来なかった。私は内心で怯えつつ相手の反応を窺う。しかし………。

 

「ははは、足の怪我もありますからね。宇右衛門様よりお暇を頂きました。暫くは暇なものです」 

「そ、そうですか………」

 

 此方の内心の心配を余所に、苦笑して笑い話のように下人は語った。しかしその言葉を私は笑い飛ばせなかった。笑い飛ばせる筈がなかった。私は彼の身体を一瞥する。

 

 あの猪の化物は全身が針の筵だった。恐らく彼の身体中がその針で突き刺されていた事だろう。良く見れば服の上からでも彼が全身に包帯を巻いている事が窺い知れた。

 

「………」

 

 そして自然と私の視線は彼の右足に向かう。そちらの手当ての跡は身体と違って一目で分かった。立ってはいるが、包帯を何重にも巻かれたその脹ら脛は純白の布地にうっすらと血が滲んでいてとても痛々しく思える。唯でさえ陰鬱だったのが一層の罪悪感を突き付けられる。

 

「そう言えば、姫様の方はどうでしょうか?お怪我等はありませんでしたか?」

 

 私が下人の足を見つめ続けていると、彼は此方の視線に気付いたのだろう、そんな事を問いかけながら己の足を隠すようにその場に座りこむ。郷の田園を見下ろすように腰掛ける。

 

 その質問は話題逸らしであり、助け船であり、それでいて興味本位のようにも聞こえた。恐らくは全てが正しかった。しかし私にとってもそれは有り難かった。だから私はそんな彼の狙いに乗る。

 

「お怪我はありません。ですがかなり落ち込んでいます。お慰めはしていますが………やはり知人が処断されるとなると幾ら大罪人相手でも堪えられないのでしょうね」

 

 姫様はどうにかして減刑、せめて死罪だけは回避出来ないかと方々に掛け合っていたがその成果は芳しくはなかった。当然だろう、姫様は確かに貴人だ。が所詮は郷の有力者の娘であり、それ以上の存在ではないのだ。旦那様が了解した判断をひっくり返すだけの発言力はない。

 

 姫様自身もそれは理解している筈……そして、恐らくはそれを分かっていても姫様はあの半妖を見捨てられないのだ。

 

(姫様らしくはありますが………)

 

 その罪状を明確に突き付けられても尚、姫様は入鹿を信じたがっていた。せめて会話くらいは………残念ながらその望みは期待薄だ。

 

 それもまた当然の事、周囲は狡猾な半妖の蝦夷が話術で以って箱入り娘の姫様を騙して、たぶらかして、利用したと解釈していた。………あるいはそのような筋書で話を纏めていた。

 

 郷の姫君の立場を守るためにはそれが一番好都合なのだ。誰も傷付かずに済み、犠牲になる者は一人だけ、それでお終い。臭いものには蓋をする………。

 

「気持ちは分かりますよ。誰でも、知人が害されるのは辛いものです。姫様はお優しい………何ですか、その目は?」

 

 傍らの下人の言に、私は思わず珍獣を見るような視線を向けていた。眼前の男が心外そうな口調で指摘するので慌てて誤魔化すように咳き込む。

 

「いえ、返答が意外だったもので。………鬼月の下人が共感の言葉を口にするとは予想外でした」

「何を失礼な………訳でもありませんか」

 

 私が弁明すれば一瞬不満げに、しかし直ぐに納得したように肩を下げる下人。そしてげんなりと嘆息する。相当に不本意そうであった。

 

(……意外と、感情豊かなのですね)

 

 噂に聞く下人の有り様、そして人格を殺すように面を装着しているというのに、随分と生き生きしているように私には思えた。

 

「………出来れば他言無用でお願いします。主人方から不必要な疑念を持たれたくありません」

 

 面の下で、恐らく渋い表情を浮かべているのだろうと直感で理解した。私は僅かに迷って、しかしその言に応じる。

 

「それは構いませんが………物好きなものですね。別に同情した所で何もありませんよ?」

「別に裏なんてありませんよ。明日明後日にでも退散する身ですので」

 

 念のため探るように答えれば、返ってくるのは素っ気ない言葉。少し不満に思うが、私はその感情を圧し殺す。相手の発言は道理であったし、私が不満に感じるのも筋違いであったから。

 

(そういえば、どうして私は気分を悪くしたの………?)

 

 私は困惑する、混乱する。しかし傍らの下人の視線に気付くと直ぐに己を取り繕う。此方の返答を求めているのは明白で、ここで狼狽える姿を見せるのは悔しかった。私は意外と負けず嫌いだった。

 

「確かにそうですね………穿った物言いでしたね。謝罪します。姫様は脇が甘いものですから、どうしても付き添う立場だとあれもこれもと警戒してしまうものでして」

 

 紡がれた言葉は僅かに早口に、そして何処か言い訳染みていた。しかし嘘は言っていない。姫様は警戒心が薄過ぎるのだ。その側に控える自分はどうしても身構えてしまう。

 

「承知しておりますよ。主従関係は大変ですから、御苦労御察し致します」

「御理解して頂けて助かります」

 

 返って来たのは何処か親しみを込めた苦笑するような返答。妙に馴れ馴れしく思えた。しかし、同時にその内容に親近感が湧いてしまい、私は自然と、そして鷹揚に礼を述べていた。そして謎の敗北感を味わった。

 

 妙に悔しくて、だから私は次の瞬間問いかける。

 

「………隣、失礼しても?」

「構いませんが………」

 

 相手がそういうや早く、私は彼の隣に座り込んでいた。そして田園ではなくて下人に首を向ける。先程よりずっと近くなった般若面に多少戸惑うが、私はその言葉を紡ぎ出す。

 

「その………先日は有り難う御座いました」

「はい?」

 

 僅かに動揺し、混乱するように下人は無言となる。その反応に何処か小気味良くなった。勝ってやった気がした。思わず小さく鼻で笑う。

 

 そして此方を暫しじっと見つめていた下人は、漸く意味合いを理解したのだろう、確認するように言葉を紡ぐ。

 

「先日、と言いますと………祠での事ですか?あれでしたら礼を言われる事ではありませんよ。護衛は仕事です」

「いえ、私と姫様が生きているのは間違いなく貴方のお陰ですよ。それに………あの時、私は動けませんでしたから」

 

 そうだ、あの時私は動けなかった。動くべきだったのに、動けなかった。恐怖に足が竦んでいた。凍りついていた。訳が分からなくなっていた。気が動転していた。

 

「………父を、思い出してしまったんです」

「父? 御父様ですか?」

「はい」

 

 そして私は気付いたらその事を、家族の事を口にしていた。

 

「昔、父は足を大怪我したんです。それこそ脛の部分まで妖に食い千切られて、酷い血でした。大事だったのを覚えています。本当に怖かったんです」

 

 酷い冬だった。冷夏のせいで必死に育てていた作物が壊滅的だったと聞く。ましてや少ない収穫も多くが小作料に消え失せた。だから父は必死に冬も働いた。そして………妖に襲われたのだ。

 

「ふふふ、情けない話ですよ貴方の足の怪我を見た時、思わずにそれを思い出してしまいました」

「それで動けなくなってしまった、と」

「はい」

 

 本当に情けない。本来ならば姫様を保護して逃がさねばならないというのに………。

 

「だから本当に助かりました。貴方には色々思う所はまだありますが………それはそれとして感謝しています。本当に有難うございます」

 

 不審な点はまだ沢山ある。完全に信用も出来ない。入鹿を捕らえた鬼月家に仕える下人でもある。割り切れる事ではない。

 

 しかし、それはそれとして私は心からの感謝を口にした。何はともあれ、恩には礼を述べる事は最低限の礼儀だ。今はいない兄が言っていた事である。

 

 あの時、襲いかかって来る化け猪から命を懸けて自分達を守ろうとしてくれたのは事実で、その背中を見た時、確かに私は安心していたのだから。

 

「………ここで遠慮してもそれはそれで失礼ですね。その言葉、有り難く頂きましょう。それにしても御父君が怪我をされたのですか。大変でしたね」

「大黒柱ですからね。当時は私は無論、兄達も小さくて母が内職していましたが全く足りませんでした」

 

 必死になって朝も夜も、草鞋に笠、籠に笊、何でも作っていたが得られる稼ぎは決して多くはなかった。毎日がひもじかった。寒さが辛かった。

 

「……そうですか。御苦労の程、お察しします」

 

 私の独り善がりな身の上話に、しかし眼前の男の口調は心から同情し、共感しているようであった。私はふとこの男も似たような境遇だったのかも知れないと思い至る。開拓村の小作人も、北土の住民が冬に窮乏するのも、決して珍しい話ではないのだ。鬼月の人間が態態北土以外の出身の者を買うとも思えなかった。

 

 そう考えると私はこの下人に対して一層の親近感を覚えていた。これまで敵意しかなかったのに我ながら勝手な事だと思う。

 

「いえ、私の家はまだ恵まれている方です。幸い、今は家族が食べるに困る事はありませんから」

「………御家族が健在なのですか?」

「? そうですが何か?」

「い、いえ………失礼ながら、意外だったもので」

 

 その反応に私は流石に少し不快になるが、同時に常識的に考えると当然であるとも思った。大黒柱が働けなくなったのだ、家族が離散なり全滅していても可笑しくはない。もしかしたら彼の家族は………そう思うと非難は出来なかった。

 

 だから私はそれを口にしていた。

 

「軽蔑されても仕方ありませんが………売ったんですよ。家族を」

 

 そして私は説明する。最早うっすらとしか記憶にない長兄の事を。兄が売られた後の事を。

 

「兄さんがいなくなった日は大泣きしてましたよ。けど泣いたらお腹が空きますよね? 母がお粥を作ってくれたんです」

 

 何時もの玄米に雑穀の白湯みたいなものじゃない。白米の、それも粒の形が残ったもので、しかも葱と玉子入りと来ていた。

 

「悔しいくらい美味しかったのを覚えていますよ。泣きながらね、かっ込みましたよ。御代わりまでしました。いつの間にか感動で泣いてました」

 

 そして食べ終えた後にその事に気付いて衝撃を受けたものだ。大好きだった兄を売った両親を散々罵倒していたのに、一番浅ましいのは自分だった。

 

「兄を売ったお金のお陰でどうにか食べれるだけの土地は手に入りました。その後も某か口利きしてくれたみたいです」

 

 二番目の兄がその土地を継いで、三番目の兄は簡単ではあるが読み書きに算術の心得があったので今では郡司の下で下級役人の見習いをしている。そして自分はこうして出稼ぎの女中だ。兄妹の収入と両親の内職の収入があれば家族で食べる分には先ず困る事はないだろう。上出来だ、長兄を切り捨てた事実さえ忘れれば。

 

「それは………」

「………? どうかしましたか?」

 

 私の話を聞き終えた下人は、何処か困惑しているように見えた。その態度に思わず私は首を傾げる。

 

「いえ………その口振り、辛かったのですか?」

「もう慣れましたよ。人は慣れるものでしょう?」

 

 どんな悲しみも絶望も、苦悩も後悔も、時間というものは残酷に押し流してしまう。風化させてしまう。忘却させてしまう。

 

 そして過去よりも今が、そして未来の方が大切だ。何はともあれ人は食べていかなければならないのだから。

 

 あるいはそれは人が生きていく上で身に付けた知恵なのかも知れない。過去を何時までも引き摺り続けるのは拷問であるし、そんなものに苦しめられ続けながら生きていける程常世は生き甲斐がある訳ではない。嫌な事は忘れなければやってられやしない。

 

「随分と暗くなってしまいましたね」

 

 私は立ち上がる。いつの間にか、空は茜色から次第に青紫色へと移り変わりつつあった。冷たい風が肌を撫でる。

 

「雪音です。私の本当の名前です」

 

 私は口ずさむように名乗っていた。己の真の名を。

 

「鈴の名は所謂仮名ですよ。屋敷で働くので呪い対策に。それに雪よりも鈴の方が韻を踏まえていて可愛らしいんだそうです」

 

 個人的には親から与えられた名前の方が好きなのだが、仕事をする上で必要な事なのだから仕方が無い。これも給金の内だ。

 

「私は………」

「別に無理に名乗る必要はありませんよ。下人の名前は私と違って剥奪されているものなのですよね?」

 

 私の偽名は私を守るためのものだが、眼前の男は違う。人格を否定し、過去を否定するためのものだ。意味合いは全く違う。そして本名を名乗る意味もまた………。

 

「何故今名乗るので?」

「兄が言ってましたから。恩義のある人に偽名は失礼でしょう? それに、どうせ明日明後日までの付き合いです」

 

 そして二度と会う機会があるかすら分からなかった。来年、いや来月、下手すれば数日後にでも化物に食い殺されているかも知れないのが目の前の男の立場だ。

 

 だからこそ、私は今名乗った。今しかないとも思った。

 

「まぁ、一種の餞別です。有り難くもないでしょうがね」

 

 私が自虐するように笑えば、彼もまた笑った。其処には皮肉の雰囲気もなければ自虐の感情もなかった。己の運命に対する強がりも感じられない。ただ単純に苦笑いをしているようだった。

 

 何だか、また負けた気がした。悔しい………しかしその感情は見せない。相手は下人、必要以上に親しくしない方が良いのだ。

 

 親しくしても、仕方無いのだ。だけど、それでも…………。

 

「そろそろ私は屋敷に戻ります。貴方はどうしますか?」

 

 笊を抱えて私は尋ねた。一緒に戻るつもりならばもう少し話をしてやっても良かった。

 

「いえ、失礼ながら自分はもう少しここに」

 

 尤も、彼は此方の期待……いや、予想を裏切って来たが。

 

「………人の好意を無下にするとはやりますね、下人の分際で」

「御気持ち、御察し致します」

「皮肉ですか?」

 

 私はむすっ、と目を釣り上げて言い捨てる。残念ながら先程までのそれと比べてその言葉は私には響かなかった。

 

「別に無理強いする必要はありませんがね。一応理由を聞いても?仕事を外されているのでしたら見回りの必要はないでしょうに」

 

 私の投げやりな追及。別に答えを求めてのものではなかった。唯の嫌味であった。尤も、返答は来たが。

 

「後一回程続けようと思っていましたもので」

 

 その言葉に私は一瞬訳が分からずに首を傾けた。次いでその意味を解釈した次の瞬間、私は今度こそ頬を真っ赤にした。

 

「お、乙女の前で堂々と言いますか!?この、変態!!」

 

 軽蔑の感情に満ち満ちた罵倒、そのまま私は羞恥に苦虫を噛んだままに踵を返して立ち去る。逃げ去る。

 

「あぁ、やっぱり下人なんて碌でもないじゃないですか!!?」

 

 先程までの気を許していた己を罵倒するように、私は嫌悪感剥き出しでそう吐き捨てていた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………行ったか。危なかったな」

 

 女中が憤慨しながら立ち去った後、俺は安堵の溜め息を吐く。そして慌てて懐に隠していたそいつを取り出す。

 

 腕の中でぐてー、としているのは握り拳大よりも更に一回り大きい白蜘蛛であった。若干疲労しているようなそれはしかし俺を見ると途端に元気に手足をばたつかせる。その気楽そうな姿は俺を苛立たせる。

 

 忌々しい白蜘蛛への餌やりは仕方のない事であった。当然だろう。この足を見れば………。

 

「はは、数日でこれ、か。俺も大概人間離れして来たな」

 

 手当の際に袴を脱いで見た足は酷かった。筋肉が潰れ、部分的に骨が見えていた。多分骨自体も罅が入っていた事だろう。それが………消えていた。確かに肌の色はまだ赤黒く痛々しいが抉れ、潰れて、磨られていた肉は既に再生していた。骨の痛みも既にない。

 

「地母神様が張り切ったのか、あるいは………」

 

 俺自身がまた一歩化物に近付いたのか。何にせよ、秘薬でも使わなければ有り得ない異様な再生速度であった。そしてそれを実感すれば己の皮膚の下を這いずるようなおぞましい感触も自覚する。侵食して、浸食して、己が塗り潰されていく感覚………即座に丸薬を呑み込んで蜘蛛に吸血させたくもなる。

 

「まぁ、結果自爆した訳だがな」

 

 俺はげんなりと自嘲する。背後から声を掛けられた時、俺は内心でかなり動揺していた。下手に行いを見られたら何がどうやって宇右衛門らに伝わるか知れたものではなかった。誤魔化すのに必死だった。

 

 そのための咄嗟の言い訳により俺の名誉が地の底まで墜ちたような気がするが………精神衛生のためにもこの際は気にしないで置く。背に腹は代えられない。どうせこうして顔を会わせるのは後数日の事なのだから。

 

「というか言い訳の内容酷過ぎるだろ」

 

 せめてもう少し言い様があった気がしないでもない。皮つるみって何だよ、手淫だよ。自慰だよ。セクハラだよ。エロゲーかな?………この世界エロゲーだったわ。

 

 はぁ、と徒労感からの溜め息。天を仰ぐ。そして一旦心を落ち着かせる。動揺しているから馬鹿馬鹿しい考えも浮かぶ。

 

「それにしても………」

 

 暫しの沈黙………漸く平静を取り戻し、俺は彼女の身の上話を思い返す。そして複雑な心情を整理していった。………そうか、まさかそういう風に繋がっているのか。

 

(原作通りだと本人残して全滅、だったか………?)

 

 彼女の家族についての記述が正しければ、本編のスタート時で天涯孤独の身だった筈だ。

 

「俺が、原因か」

 

 俺は頭を抱えて呟いた。苦笑した。成る程、回り回って彼女の性格が変わる訳だ。状況が違う。最悪彼女には実家に帰る選択肢があるのだ。気も強くなろう。

 

(それにしてもまさか俺がこんな立ち位置だったとは……いや、兄弟の人数は明確に記述はされてなかった筈だ。そうなると端役なのか完全なイレギュラーかは不明だな)

 

 尤も、画面の背景にも描かれるか怪しい存在である事に変わりはない。その意味では余り違いはないのかも知れない。

 

「やれやれ………まさか名乗られるまで気付かなかったとはな。兄貴としては恥ずかしい限りだな」

 

 あいつが俺に気付かなかったのは当然だろう。別れたのは幼い頃で、しかも此方は面までしているのだ、気付くとすれば勘が良すぎる。

 

 どちらかと言えば原作という色眼鏡付きとは言え、俺が気づけなかったのが恥ずかしい。まぁ、随分と淑女らしく成長したものだ。兄としては誇らしいのは確かである。気が強いのは寧ろあいつらしい、寧ろ元気そうで何よりだった。

 

「そうか、皆無事か………」

 

 そして俺はその場に座り込む。座り込んで嘆息する。安堵の溜め息を吐き出す。

 

「良かった………本当に、良かった………!!」

 

 紡がれた言葉には何処までも深い感慨が込められていた。それは心からの本音だった。取り繕いなんてない、本心そのものであった。

 

 正直な所、二度と会う事はないと思っていた。会える筈がないと諦めていた。いや、直接会えないのは良くてもあの後の彼ら彼女らの消息も知れぬと覚悟していた。それは俺にとって一番の不安だった。この世界は何が切っ掛けで死ぬか分からない。命が軽い世界なのだから。しかし…………。

 

「……心配していたが、杞憂だったな」

 

 俺の自嘲は、しかし其処には負の感情は一欠片もない。ただただ安堵だけがそこにあった。そこに込められていた。

 

 何せ小作人に水呑百姓が珍しくない世界である。そして何かあるだけであっという間に生活が転落してしまうような厳しい世界でもある。そんな中で開拓村の小作人一家が曲がりなりにも自作農になれたのは幸運そのものだ。奇跡である。年貢は兎も角其処に小作料が上乗せされているかいないかだけで手元に残る食い扶持は大きく違う。

 

 其処に下の弟が下っぱの雑用とは言え役所勤めして妹は庄屋の、それも大当たりな家に奉公していると来れば文句なしの大成功だ。油断は出来ないが飢える可能性は少ない。

 

「上々だな、これで俺も安心だ」

 

 家族の生活が安定している事……それだけで俺は報われたように思えた。これまでの苦労と苦悩に意味があったと確信出来た。救われた。正に福音だった。

 

 強いて言えば折角再会したのだ、妹の頼みも聞いてやりたかったが………俺への仕打ちは無視してもあの蝦夷のやらかしは弁護出来ない。そんな事が出来る立場でもない。そればかりはどうしようもない。俺としては彼女が連座しなかっただけ幸いなのが正直な所だ。

 

 ………奴の行動に少し引っ掛かる所があるのは事実だが。まぁ、良い。尋問の時間は幾らでもある。

 

 そして、そんな事よりも俺は重大な選択があった。そして俺はこの邂逅によってそれを選び取る。

 

「………仕方ねぇものな。腹を括るか」

 

 言葉と共に俺はその覚悟を決める。とは言え、元よりどうすれば良いのか途方に暮れていたのだが。何せ………。

 

(ここまで原作からズレてしまったらな………)

 

 何がどう作用したのか、あるいは元より仕様であったのか。何にせよ、シナリオの始まりにして主人公の故郷を滅ぼす筈の『禍獣』が始末されてしまったのだ。主人公の覚醒のさせようがない。どうしようもない。まさか他の群れでも連れて来る訳にもいかない。

 

 いや、妖共を呼び寄せるだけならば手はあろう。この地の霊脈は上等で、結界によってその霊気が外に気取られるのを防いでいる。今修繕中の結界の要を一つでも砕けばそれだけで有象無象の魑魅魍魎が匂いに釣られて集まろう。尤も、それでは主人公の覚醒には不確実だ。最悪ミスって郷生存の主人公だけ死亡すらあり得る。何よりも………。

 

「あいつを危険に晒したくねぇよなぁ………」

 

 鈴音……いや、妹の去った方向を向いて俺はボヤく。それでは本末転倒だ。俺がこの糞みたいな世界で綱渡りしてるのは己と今生の家族のためである。それを妹を見捨てるのは、それも原作通りだったら悲惨な最期を迎えるのを無視するなんて出来ない。出来る訳がない。有り得ない。

 

「はは、まぁ良いさ。無茶振りも予想外も今に始まった事でもねぇものな」

 

 俺は強がるように不敵に笑う。甚だ不本意ではあるが幸か不幸かそんな事は今更である。だからこそ俺は決心するのだ。この世界のシナリオを逸れる選択肢を………。

 

「精々、悪足掻きして見せるさ。往生際を弁えないのが俺の取り柄だものな?」

 

 俺は覚悟する。きっと苦悩と絶望と、痛みと恐怖しかないだろうこれからを理解しても尚、決意する。それが妹に対しての長兄の義務であったから。だから………。

 

「精々、平和に気楽に………幸福に長生きしてくれよ?」

 

 遠目に立ち去る妹を一瞥して、俺は祈るように呟いていた。せめて今生の家族には、幸せに往生して欲しかったから………。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 それは夜も丑三つ時に差し掛かる時節であった。

 

 郷の主家たる蛍夜家が賓客を宿泊させるために用意している客室、彼女に宛てがわれたのはその中でも特別に広く豪華な一室であった。駄々っ広い畳の和室……その隅にて橘家の娘は座布団に座り込んでいた。傍らには和琴が鎮座している。

 

「玲旺君、もう結構です。この琴も片付けちゃって下さい。暫くはお茶を飲みながら一人で休憩しておきます」

 

 傍らでお茶の用意をしていた小僧に向けて、琴の練習を止めてから佳世は優しく命じる。彼女と同じく南蛮の血を引く少年は幼い顔を主人へと向ける。

 

「分かりました。ですがそろそろ夜更けですのでお早いご就寝をお願いします」

 

 鶴から忠告されているのだろう、佳世が夜更かしし過ぎないように注意の言葉を口にする小僧。それに対して佳世はにこりと微笑む。見る者の心を掴む慈愛の笑みであった。

 

「分かっていますよ。玲旺君こそ、夜更かしはしないようにして下さいね?」

「は、はい……。では僕は失礼致します」

 

 玲旺は頬を哀れなくらいに赤くして、琴を抱えるとよそよそと一礼して退出した。佳世はそんな少年に初初しいと思った。それは半ば嘲りも含んだ論評であった。

 

 玲旺という少年は彼に対して良い印象を持ってはいない、下手すれば警戒すらしていよう。彼の立場からすれば当然の事ではある。幾ら主人の恩人とは言え賎しい身分の下人である事に変わりはないのだ。この世界において、かくも身分というものは厳然であった。………佳世にとっては不愉快であるが。

 

 しかし、それはそれとしてあの小僧は佳世にとっては扱い易い子供であった。己に一種の憧憬を感じているのだろう、従順で単純だ。こういう時鶴では簡単に退席してはくれない。それは困る。だから重宝してやる。使ってやる。佳世は商人らしく人的資源の無駄遣いは厭う。

 

「さて、人払いは済ませました。もうお姿を見せて頂いても構いません。………お待ちしておりました、碧鬼様。お飲み物は黄茶で宜しいでしょうか?」

 

 佳世はいつの間にか背後に佇んでいた化物と式神に対してにこりと微笑みかけて問い掛けた。其処には一切の驚きがなければ恐怖の感情も見られなかった。まるで最初から其処にいる事を知っていたかのようでもあった。

 

 事実、佳世はその存在を事前に聞き及んでいたし、この場面を想定すらしていた。だからこそ佳世はこの席のために態態大陸茶の中でも貴重な黄茶、それも八大銘茶の一つである『金竹針』を用意していたのだ。

 

「おうさ。けけけ、持て成しの用意が良いのは結構結構。では頂こうかね?」

 

 碧鬼は正面の座布団に我が物顔で座り込むとそのまま未だに湯気の立ち上る湯飲みを掴みあげ、そして一気に呷った。それはまさに剛毅であった。

 

 人が妖に向けて差し出す飲食物なぞ最早古典の域にまで達した罠である。歴史を紐解けば八つ又を持つ大蛇も、都の姫君を食らっていった鬼の大将だって人間に一服盛られてそのまま呆気なく殺されている。それを一切の躊躇なくの一気飲みである。ある意味では勇猛を越えて暴挙ですらあった。

 

「ぷはぁー!!いやぁ、美味ぇな!!もう一杯ある?」

「はい。此方に」

 

 それ一杯で武具一式買えるかも知れぬ舶来の最高級茶を安酒のように飲み干して鬼は遠慮もなく御代わりを申し出、そして佳世もまた当然のようにそれに応じた。

 

「さて、御用件をお伺いしても宜しいでしょうか?」

「ん? あぁ。そうだったな。なぁに、そう難しい事じゃあねぇさな。ちょいっと演出に協力して欲しいだけの事さ」

 

 二杯目もあっという間に飲み尽くし、堂々と三杯目を要求しながら鬼は嘯く。ニチャリ、と嗤う。

 

「演出………あぁ、大体言いたい事は分かりました。構いませんよ? 私に出来る事であれば喜んでご協力させて頂きます」

 

 鬼の抽象的な言に、しかし佳世は直ぐにその意味を察する。鬼月の二の姫からこれまで伝え聞いた内容、そして現在の彼を取り巻く状況を思えば眼前の化物が言いたい内容を想定するのは難しい事ではない。

 

 そもそも相手が鬼という時点で選択の余地がない事を佳世は善く善く理解していた。この鬼は気に入らぬ事が少しでもあれば容易にちゃぶ台返しして何もかも滅茶苦茶にしてしまうだろう。

 

 そして佳世は鬼月の姫君達とは違う。金の力はあっても個人としては一切無力だ。吹けば飛ぶどころか塵も残らぬ羽虫に過ぎない。この場で鬼に逆らうなぞ不可能、いや己だけならば良い。下手すればそれは彼にすら飛び火しかねない。自身は兎も角、それだけは駄目だ。

 

 だからこそ佳世は眼前の化物の要求を恭しく呑み込む。それが彼女と彼の生存するための最適解であるのだから。己の矜持も誇りもかなぐり捨てて、その事実上の命令に応じて見せる。賑やかに、受け入れる。

 

「へへへ、話が早くて助かるぜ。なぁに、これからが舞台の見所さな。けけけ、そう肩肘を張らなくても良いんだぜ? 損はさせねぇよ」

 

 鬼はそんな商家の娘の覚悟に気付いていたが、特に気にはしなかった。鬼にとっては佳世の覚悟なぞその程度のものに過ぎないのだ。無論、眼前の南蛮娘は大事な大事な英雄譚の配役の一人であるし、同時に舞台を整えるための道具係である。粗末にもしなければ軽視する積もりもなかった。………鬼の基準においてであるが。

 

「ぷはぁ、いやぁ本当に旨かったぜ。いやはや、懐かしい味な事だ。まさか今の御時世に飲めるたぁ思わなかったぜ?」

 

 五杯目を、あろう事か瓢箪の中の安酒を混ぜこんでチャンポンにして一気に飲みきった鬼である。胡座をしてペロリと赤い舌が唇を舐める。茶の道を嗜む者が見たら卒倒した事であろう。

 

「それは宜しゅう御座いました。お土産もどうでしょうか? 此方頂いた温泉饅頭がありますが………」

 

 言うが早いか、ひょいと差し出された皿に盛られていた饅頭達を一掴みして大きく開いた口の中に放り込む鬼であった。ぐちゃぐちゃと音を立ててそれらを食いきってニコニコ顔になる鬼。

 

「んじゃ、俺はここで失礼するぜ?」

 

 立ち上がって後ろを向いての一方的な宣言。そしてその数瞬後には鬼の姿は霧のように消えていた。はて、幻術の類いか隠行術の類いか………何にせよ、恐ろしいものであった。

 

『………貴女も中々に度胸があるものですね』

「いえ、あの碧鬼さんとご一緒している方には敵いません。これでも何度も失神しそうだったんですよ?」

 

 その場に残った蜂鳥の言葉に佳世は宣う。謙遜ではない。事実だった。予め花を摘んで中を空っぽにしていて正解だった。失神どころか失禁すら有り得た。

 

『不本意な誉め言葉ですね。………それに物好きですね。そこまでする必要がありますか?』

 

 式神の言葉の意味するところを佳世は直ぐに理解する。国でも有数の豪商の娘が、たかが下人がために何処までも屈辱を受け入れる事、それは第三者から見れば異様に映るのだろう。

 

「ふふふ、私は元より脇役ですから」

 

 佳世は皮肉を込めず賑やかに嘯いた。尤も、目は少しも笑ってはいなかった。何処までも冷たく、しかも空虚だった。

 

 己がメインヒロインには絶対になれないから、何処まで足掻いても二番手以降でしかないから、佳世はそれを自覚していた。だからこそ何処までも卑屈になれた。そして其処まで己を貶めてでも諦めきれなかった。

 

「だからこうして今も未練がましく………ふふふ、そんな視線を向けないで下さいよ。自分でも異常なのは理解していますから」

 

 コロリコロリ、と口内で愛しいあの人を転がしながら、佳世はあからさまに顔をしかめる式神に向けて言い訳する。しかしながら言い訳はしても自認する異常行為を止めるつもりは欠片も無さそうだった。

 

(本当、どうしてこうも壊れた女ばかりなのだか)

 

 牡丹は内心で毒づき、そして嘆息する。誰が誰とどのような関係であろうが究極的には彼女にはどうでも良い事ではあるのだが………こうも周囲の存在が異常で異様な厄介者ばかりでは色々とやりにくくて困る。そして数少ない常識人はこの事態の元凶と来ているのだ。嘆息したくもなろう。

 

「………蜂鳥さん。どうぞあの人の事、宜しくお願い致しますね?」

 

 そんな牡丹に向けて、一拍置いてから佳世は嘆願した。牡丹は式神を操り佳世を見る。先程までの不気味でおぞましさすらあった表情は、しかし今では険しさを滲ませていた。

 

『………私としても、現状で彼の損失は避けたい所です。可能な限りの手は講じる予定ですよ』

 

 尤も、鬼の警告のせいであるとは言え、土壇場まで沈黙していたともなれば相当不信感を与える結果となろう。全てが終わった後、あの下人の此方に対する印象が何処まで悪化するものやら………。

 

「いえ、羨ましいです。私よりも余程伴部さんに頼りにされているのでしょう? 私とは大違いですよ」

『か、勘違いしないで下さい。あれとは互いに打算で協力しているだけです』

 

 牡丹は余りにも不本意な佳世の言葉を切り捨てるように宣言する。そして式神の首を振って小さく囀ずらせると、再度佳世を一瞥する。

 

『では、あの鬼の言う通りに動くのは不愉快ですが……手筈通りにお願いしますよ』

 

 互いに一礼して、そして蜂鳥は羽ばたいてその場を立ち去った。部屋の窓から外界へと飛び立つ。そんな簡易式を佳世はじっと見つめていた。

 

「………打算で協力、ですか」

 

 それにしてはまた随分と彼との関係悪化を危惧していたものだと佳世は思った。嘲った。

 

「まぁ、素直にならない方が私にとっては好都合ですが」

 

 競争相手は少ない方が良い。この競争は残念ながら零和遊戯なのだ、参加者が少ない程己の潜在的な配当はより大きいのだから。

 

「さて………ふふふ、では私も己の役割を果たしませんとね?」

 

 蕩けるように、発情するように、そして夢見る乙女のように佳世は甘く呟いた。

 

 例えそれが己にどれだけ不利益をもたらすと理解していても、唯それが彼のためなのだと考えるだけで、佳世は何処までもその時を楽しみに思えたのだった…………。

 


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