和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 新年あけましておめでとう御座います。新しい年が皆様にとって実りある年となりますように。………年末年始が休日な世界があるってマジ?(死んだ目)



 ………さて、貫咲賢希さんよりファンアートを頂けましたのでご紹介させて頂きます。
・新年挨拶環姫様
https://www.pixiv.net/artworks/95181618

・ポプテネタ集
https://www.pixiv.net/artworks/95183354

 また田中さんより、原作ゲームのイメージ画面イラストを製作して頂けましたので此方もご紹介致します。
https://www.pixiv.net/artworks/95178381

 お二人方、素晴らしいイラスト本当に有難う御座います!!
 


第七九話●

 蛍夜郷から外界へと抜ける山道を人々の隊列が進んでいた。

 

「我々はここまでだ。僭越ながら、皆の旅の幸運を祈願させて貰う」

 

 ここまで先導してきた南土武士が騎乗する馬の手綱を引いてその足を止め、郷を立ち去る一団に向けて宣言した。それに応じるように鬼月の討伐隊と橘商会の荷車の列は次々と郷と他領の境界である鳥居を潜って行く。ここから先は蛍夜家の領域外、無断で蛍夜家から雇われる用心棒が越える訳にはいかなかった。

 

「おい、允職!」

 

 丁度俺が堅彦らの眼前を通り過ぎようとすればそうやって呼び止められる。俺は一度部下達に目配せすると黒馬を寄せてその声に応じる。

 

「堅彦殿?何用でしょうか?」

「なぁに、御別れの挨拶ついでに少しな。まぁ、付き合えや」

 

 そして馬を数歩進ませて更に傍に寄る南土武士。

 

「捕囚の様子は?」

「賊徒の罪人として相応の待遇で処しているそうです」

「そうか………」

 

 俺の答えに堅彦は僅かにその風貌に影を落とす。俺も直接は見ていない、蝦夷の賊の管理は宇右衛門の部下、即ち隠行衆である。しかし、人伝えからある程度の話は聞こえて来ている。

 

 前以て言わせて貰えばこの世界において人権なんてものの意識は希薄であるし、罪人に対して配慮というものは最低限のものしかない。そして彼らが入鹿に対しての行いはその枠内からはみ出るものではなかった。化外の蛮地だったら今頃埋められての石打ちであろう。移送してから吊し上げるなり斬首でもまだ有情であった。あったが………。

 

「いや何。姫様が心底心配していてな。そうか、普通に扱われているのか。ならまだ言い訳も出来るってものだ。………あいつは箱入りだから誤魔化せる」

 

 罪人としての普通の扱い………それがどのようなものなのか、あのTS主人公様にとって想像するのは難しいだろう。それだけ彼女は周囲の環境に恵まれ過ぎていた。悪意に対しての理解も耐性も高くない。特別に酷い扱いではないと言われれば安心しよう。………その実態に気付く事もなく。

 

「まぁ、その方が幸せだわな。随分と落ち込んでいたんだ、追い討ちをかける訳にはいかねぇ」

「同意です」

 

 俺も最早原作と関わる事もない善良な人間を無意味に苦しめたくはない。世の中、知らない方が良い事もある。

 

「………世話をかけたな。お前には因縁のある相手だったんだろう?」

 

 俺の様子を窺いながら堅彦は尋ねる。何処からか入鹿と俺の関わりについて調べたのだろう。

 

「いえ、仕事でしたから。それよりも商会の方を気にした方が良いでしょう。お得意様と聞いておりますよ?」

 

 俺は允職とは言え下人は下人、都で入鹿達に弑された隠行衆らにしても下人よりは優遇されているとしても道具である事に変わりはない。所詮は消耗を想定した存在だ。それよりも佳世を拉致して害しようとした行いの方が遥かに重要であろう。

 

「それは旦那の仕事だよ。この会話は俺の個人的なものさな。お前さんには恩もあるからな。姫様らを守ってくれて助かったよ」

「それこそ筋違いでしょう。妖に止めを刺したのは宇右衛門様方ですよ」

 

 俺は時間稼ぎしただけでそれすらも満足に出来たとは言えない。後少しデ……宇右衛門達が来るのが遅かったら主人公様諸とも死んでいた可能性が高い。

 

「だからこそさ。助けが来るまで必死に戦ったんだろう?姫様や部下からも聞いてるぜ?お陰で俺の面子も守られた。飯を食わせて貰っているのに知らぬ間に姫様が殺されていたなんて切腹ものの恥だぜ」

 

 冗談めかして嘯く堅彦。尤も、この男ならば下手したら本当に割腹しかねないのだが。南土の武士は覚悟が決まり過ぎている者が多い。

 

「………そろそろ行きませんと。隊列に後れます」

 

 僅かにこそばゆさを含ませて、俺は申し出る。既に鬼月家の隊列は通り過ぎてしまい、横合いを通るのは橘商会の荷車ばかりであった。護衛としては頂けない。

 

「全く、生真面目なこった。………達者でな。また会おうぜ」

 

 堅彦の別れの言葉に俺は無言で一礼した。肯定はしなかった。死ぬつもりはないが明日生きている保証なんてない立場だったから。堅彦もそれを分かっているので何も言わなかった。

 

 俺は馬の踵を返させると人を轢かぬように注意しながら小走りさせる。少々牛車から離れ過ぎてしまった。早く追い付かねば。

 

「………」

 

 馬を進ませながら、俺は後ろ髪を引かれる思いで一瞬郷を振り向く。恐らくは二度とこの郷を訪れる事はあるまい。そして鈴音……いや、雪音とも。

 

 それで良かった。今度俺と会うとすればそれは大方ろくでもない状況であろうから。あいつはこの安全な郷で暮らしていれば良い。それで、良い。

 

「………元気でな」

 

 小さく、本当に小さく呟いて、俺は馬を進めた………。

 

 

 

 

 

 

 早朝に郷を出立した隊列は途中で三度休息を挟みつつ、その宿場街に到着する。蛍夜郷と邦都の中間地点、それよりかは若干郷側に寄っているその街は、しかし同時に四方の他の街とも街道で交差する地点に設けられているために賑わいがあった。

 

 とは言え、鬼月家の討伐隊と橘商会の連れた人員を全て泊めるとなるとやはり容易ではない。何せ百名近い客である、事前に早馬を走らせて予約を入れていたがそれでもかなり際どいものであった。夕刻に街に着いて全員の宿泊が済んだ頃には既に酉の六つ半刻となっている有り様だった。

 

「一応、交代で警備をしておけよ」

 

 降ろした荷や馬、人員の過不足がないかの確認を終えた俺は食事を摂る部下達に命じる。一応大きな宿場街なので軍団兵は駐屯しているし、街や宿で雇っている用心棒もいるが念のために宿の警戒は行うべきであった。

 

 部下達に命じた後、俺は宿場の屋外へと出る。日が落ちて冬の足音が迫る宿場街は、しかしあちこちの店と宿では未だに明かりが灯っていて存外活気があった。遠目から見える表通りでは屋台や土産屋に客が集まる。居酒屋では商人や旅人が酒を飲みながら商談や情報交換に励んでいた。道端で演奏する琵琶法師に大道芸人、女郎小屋では女達が行き交う人々を手招きする。

 

 それは宿場街だからこその活気であった。これがド田舎の村であれば油と薪が勿体無いのでとっくの昔に皆寝てしまっているだろう。宿場街は周囲を壁で囲まれていて門限には出入が禁じられる。四方八方から街に来た人々にとって、そして街の住民らにとっては寧ろ夜が本番であり稼ぎ時なのだ。

 

 まぁ、下人である俺には余り関係のない事であるのだが………。

 

「お前さんも、せめて騒ぎにならないように大人しくして欲しいのだがな?」

 

 狭い路地道で、背後を振り向きながら俺は詰る。振り向いたその先にいたのは片手に数本の焼き鳥、もう片方の手には徳利をぶら下げる碧い鬼の姿。もう大分出来上がっているようで顔は赤く口臭は酒臭い。

 

「おやおや、信用がないな?これまでだって、怪しまれないように上手くやって来たじゃあないか。未だに懸念されるのは心外だなぁ」

「行く街行く街で、怪我人が続出する大喧嘩が発生していると聞いているんだがな」

 

 鬼の嘆きに、しかし俺は淡々と反論する。流石に人の出入りの少ない村では窃盗程度で済ましているようだが、少しでも大きな街に来れば直ぐに滞在先の居酒屋で無銭飲食に乱闘が起きているという報告を受けていた。一度や二度ならば兎も角、毎回ともなれば犯人なぞ想像するに易い。

 

 尤も、鬼の価値観からすればこれでもかなり自重している方なのだろうが………どの道厄介で害悪なのは事実である。

 

「それで?何の用だ?俺はお前さん程に暇じゃあないんだがな?」

 

 俺は投げやりに問いかける。どうせ碌な返答なぞ来ないと思いながら。………実際は更に質が悪かったが。

 

「酷い物言いだな。これでも俺は善意で警告しに来てやったんだぞ?お前さんだって後悔はしたくないだろう?………家族思いなんだものなぁ?」

「………どういう意味だ?」

 

 鬼の意味深な文句に俺は怪訝な表情を浮かべていた。この化物の言わんとしている事を呑み込めずに困惑する。待て、何だこの感覚は?この場面を俺は知っている?一体これは……いや、待て。このやり取りは何処かで………?

 

 俺が訳が分からずに困惑し、動揺している姿を一瞥して心底楽しそうに鬼は口元を釣り上げた。そしてそのまま焼き鳥を見せつけるように串ごと呑み込んで、尊大かつ愉快げに続ける。少しずつ手品の種明かしをするように、嘯く。

 

「ひひひ、いや何。詳しい話は犬にでも聞けば良いさな。………まぁ、問題はお前さんが悲劇に間に合うかどうか、なのだがな?」

「は………?何を……っ!?まさか!!?」

 

 鬼の言に一瞬首を傾げ、しかし直後に俺は一つの可能性に思い至る。それは想像したくもない可能性、しかしこの意地の悪い世界でならば何も可笑しくはない最悪の可能性………!!

 

 俺は思わず狼狽えながらも再度鬼を見る。図らずも視線が重なった。同時に人間離れした美貌をした化物はニチャリと笑った。嗤った。嘲笑った。ぞわり、と悪寒が俺を震わせた。それは予感であった。理性よりも先に本能が気付いていた。絶望の気配。子供のような無垢で残虐な悪意……!!

 

「っ!?」

 

 そして……直後、鬼は舞うようにして跳躍した。二十歩はあった距離は、しかし瞬時の内に詰められていた。眼前に参上する化物。その蒼い眼に映るのは俺の姿だった。面越しでも分かる程に怯えて動揺する人間の姿………次の瞬間、鬼の美貌は悪意に満ちて破顔する。破顔して、宣った。

 

「なぁに、ちゃーんと舞台は整えてやるよ。だから………思う存分、楽しませてくれや」

「………!!」

 

 吐き気がするような酒精と共に吐かれた鬼のその言葉に、俺は思わず目を見開く。だって、その言い回しを俺は知っていたのだ。これは正に原作にて鬼が主人公に対して意地の悪いイベントを仕掛ける時の会話そのもの、台詞そのもの!!

 

 そして今回の場合、この状況の場合、その目標は恐らくは………!!

 

「畜生………!!」

 

 湧き上がるドス黒い怒りと殺意に顔をひきつらせながら、しかし俺は踵を返し、最早一切の躊躇なく鬼に背を向けていた。既に化物と時間を潰せる暇なぞ全くなかった。ある訳なかった。皆無だった。

 

 必死の形相になって俺はその場を立ち去る。赴くべき場所は分かっていた。街の外れの馬小屋だ。より正確に言えばそこに投げ込み閉じ込めた半妖の捕囚………!!

 

「期待しているぜ?俺の英雄候補様よ?」

 

 背後から微かに聞こえて来たその化物の声は、俺にとっては何処までも、そして何よりも忌々しいものであった………。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「にしても貧乏籤だな。夜番なんて下人にでもやらせれば良いのにな」

 

 馬小屋の中に敷いた筵に座り込み、賽を振りながら隠行衆の一人は嘯く。傍らには提灯があってその光が薄暗い馬小屋内を鈍く照らす。

 

「そういうな。御上のお尋ね者がいるんだ。下人如きには荷が重いさな」

 

 対面に座る今一人が同僚を宥める。そして彼は視線をそちらに向けた。

 

 馬小屋の一番奥、藁の山の上にその者はいた。両手足を荒縄で拘束されて、何なら全身の関節を少しでも動かないようにするように亀甲縛りにされていた。当然ながら異形の片腕は特に入念に。

 

 その上目隠しによって視界を奪われていて、口元には猿轡を嵌められて言葉を口にする事は出来ない。衣服が濡れているのは拷問の痕跡で頭から冷水を何度もぶちまけられていた。更に言えば衣服を剥げば殴る蹴るの暴行の跡である痣傷を見つける事も出来ただろう。

 

 朝廷より手配される蝦夷の賊徒、それが東討隊に編入されていた隠行衆二人の監視対象であり、移送対象であった。

 

「ちっ、お陰で此方はこんな寒い小屋で一晩過ごさなきゃならねぇんだぞ?やってられるかよ。………聞いてんのか!?てめぇのせいだぞ!?」

「っ…………!!??」

 

 隠行衆の片割れは怒り狂ったように捕囚に向けて叫んだ。そのまま立ち上がるとズカズカと歩いて入鹿の腹を蹴りあげる。一度だけでなく、二度三度、そしてそのまま側にあった馬の飲水用の水桶を彼は頭からぶちまけてやる。

 

 それはある側面では夜番に宛てがわれた事への八つ当たりであり、またれっきとした『仕事』でもあり、また報復でもあった。相手は賊徒、何を切っ掛けに逃亡を図るか知れたものではない。定期的にこうして暴行を加えて弱らせなければならない。事前に相手の精神をへし折って御上の尋問を容易にする目論見もある。

 

 何よりも鬼月家隠行衆は都での騒動で二名の損失を出していた。同僚殺しの下手人と思われる入鹿に手心を加えるつもりも同情も、慈悲を与えるつもりもない。故にその責めは容赦なく、その暴行を一瞥する今一人もそれを咎める事はなかった。

 

 無論、殺す訳にはいかないが。

 

「おい、その辺にしておけ。臟腑が破裂したら事だぞ?」

「問題ねぇよ。半分化物だ。この程度でくたばるかよ」

 

 そう言いつつも万一を考え暴行していた隠行衆は僅かに息を荒げながら捕囚を捨て置く。そのまま夜番の同僚の元に戻って賽を使って暇潰しの賭け事に戻り………。

 

「っ………!?」

「何奴だ?」

 

 戸口の向こう側から迫る気配に二人は咄嗟に跳ね上がった。暗器を抜き身構える。遊んでいるように見えても彼らもまた幾度も化物相手の死線を潜り抜けて来た身である。妖の巣穴の探索だって何十回も果たして来た。その研ぎ澄まされた感覚が近寄って来る気配を察知した。

 

「下人衆、允職だ。命で来た。武器を下ろせ」

 

 隠行衆らは互いに顔を見合わせる。暫しの沈黙………そして戸口を開ける。

 

 戸口の直ぐ目の前にそれはいた。般若の面に下人特有の法衣に酷似した服装………そして彼らの視線を何よりも引いたのは手に抱える籠であった。

 

「命?頭のか?一体何用だ?」

 

 訝るような視線、般若面の下人はそんな隠行衆に対して肩を竦める。

 

「そう警戒するなよ。此方だって命令で来ているんだぞ?ほれ、冷えるだろ?酔わない程度に飲めとよ」

 

 下人允職が差し出すのは瓢箪であった。瓢箪の水筒………栓を抜けば香るのは酒精。そして仄かな湯気。

 

「酒か?」

「今夜は冷えるからな。役得なもんだ、幾らか寄越せよ」

「誰がやるかよ」

 

 毒づく允職にそう言い捨てる隠行衆。舌打ちしながら下人はちらりと藁の上で倒れる人影を見やる。

 

「随分と可愛いがってくれてるようだな。やり過ぎたら死ぬぞ?」

「化物がそう簡単に死ぬかよ。それくらいてめぇも知っているだろう?それともお前も交ざりたいのか?」

 

 暴行を加えていた方の隠行衆がからかうように宣う。この允職が都で騒動に巻き決まれた事、それと捕囚が何か関わりがある事は聞いていた。

 

「恨みはあるがな。流石に止めておくよ。やり過ぎて殺したくない。……それにこいつには別の事で用がある」

 

 そう嘯き、下人は籠を手にしたまま至極当然のように半妖の所へと向かう。怪訝な表情を浮かべた隠行衆達に、下人は補足説明する。

 

「命令だ。こいつにも少し飲み食いさせてやれとさ。処断する前に壊れたら困るんだと」

「あ?どうしてだよ、記憶は最悪頭から無理矢理抜けば良いだろう?」

「商会の方が困るらしい」

「それはそれは………」

 

 つまりは処断する前に精神が壊れたら商会としては復讐心が満たされない、という事らしい。先程まで暴行を加えていた方の隠行衆は肩を竦ませた。商人というのは中々残酷なものだと思った。

 

「にしても態態允職が給餌かよ」

「雑人にやりたがる奴がいないんだよ。どいつもこいつも怖がってな。此処暫くは暇だしな」

「貧乏籤を引いたって事か。はは、ざまぁねえ」

 

 そう冷笑して口の悪い隠行衆は下人より受け取った瓢箪に口を近付けていく。そして………。

 

「待て日向、そちらもだ允職」

 

 此処までのやり取りを観察していたもう一方の隠行衆が口を開いた。その場にいた者達の動きを静止した。周囲に流れる沈黙………。

 

「何か?」

 

 足下に籠を置いて下人は問う。

 

「あぁ。事前の連絡が無かったからな。先ずは上に確認を取らせて貰う」

「生真面目な事で。さっさと仕事を終えたいんですがね」

「駄目だ、そこで待っていろ」

 

 即答の拒絶に返されるのは嘆息であった。下人は面倒臭そうに肩を竦める。首を振る。

 

「念のためだ、規則でな。食わせてやるのはその後………!?」

 

 隠行衆がそう口ずさんだ次の瞬間の事であった。彼の眼前に回し蹴りが飛んで来たのは。

 

「!!?」

 

 突然の奇襲に、しかし静止した隠行衆はどうにか反応した。上半身を背後に反らして回し蹴りを紙一重で回避する。しかし、今一人の反応は間に合わなかった。

 

「がっ!?」

 

 回し蹴りで一回転した下人はそのまま裏拳を瓢箪を手にしていた隠行衆、日向へと叩きつけた。籠手が仕込まれた上での首筋への一撃だった。安全圏での味方からの攻撃を前に油断しきっていた隠行衆は一瞬で意識を刈り取られる。

 

「貴様、血迷ったかっ!?ぐっ!?」

 

 呻きながら白目を剥いて倒れる同僚を一瞥した今一人は、しかし直ぐに腰元の短刀を引き抜いて飛び掛かる。身体強化しての突貫、相手の内臓を狙った斜め下からの突き……!!

 

「っ!?」

 

 下人は咄嗟に倒れる日向の腕から瓢箪を奪っていた。そしてその中身を襲いかかる今一人の隠行衆にぶちまける。思わず飛沫から目を守るように顔を守る隠行衆。それは人間としての反射運動であり、この場においては致命的だった。

 

 足を引っ掻けられて隠行衆は倒れる。そして羽交い締めにされて口元を布地で押さえ付けられる。暫しの間隠行衆は悶えて暴れるが、しかし拘束は解けない。異様であった。異常であった。下人の腕力は霊力を加味しても隠行衆の想定外であったのだ。そして意識が遠退いていく………。

 

(この臭いは………!?)

 

 隠行衆は鼻腔を擽る独特の香り、そして己の呼吸を阻害する布地が濡れている事実から己の意識を混濁させるものの正体に察知をつける。しかし、全ては手遅れだった。

 

 隠行衆は呼吸困難と薬物によってその意識を完全に失った………。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「糞、手荒な真似はしたくなかったんだけどな……!!」

 

 気絶させた隠行衆二人の拘束をしながら俺は吐き捨てるように呟いた。彼らに恨みはないし、出来るだけ怪我もさせたくはなかった。なかったが………流石隠行衆と言うべきなのだろう。酒の中に混ぜ込んだ薬で眠らせるつもりだったのだがな。

 

(これで後戻りは出来なくなった………!!)

 

 鬼が法螺を吹いている可能性もあったから、出来れば穏便に確認したかったのだが………しかし、鬼の言葉が万一にも事実だったならば一刻も早く確認しなければならなかった。だからこんな馬鹿な真似もする。

 

「………」

 

 俺は緊張しつつ、そして警戒しつつそちらを向く。そして進む。それを見下ろす。拘束されて芋虫のように哀れに地面にのたうつ半妖を見つめる。しゃがみこむ。

 

「騒ぐなよ?お前が咆哮する前に首を折るのは難しくはないんだからな?理解したら大人しくしろ」

「…………」 

 

 俺の警告に先程まで悶えていた蝦夷は動きを止める。緊張しているようにも思えた。俺は猿轡を外す。

 

「………その声、あの下人だよな?何の用だ?復讐でもしに来たか?」

「鬼」

「…………」

 

 此方を挑発するかのように挑発する入鹿は、しかし俺がその単語を口にした途端黙りこむ。

 

「出会ったな?あの忌々しい碧鬼に」

「てめぇ、どういう関係だ?あんな化物と………」

「問うているのは俺だ。時間が無いんだ。話を進めるぞ?」

 

 俺の命令に入鹿は無言で応じる。そして俺はあの鬼がひた隠しにしている事実を指摘する。

 

「あの郷……蛍夜郷を狙う化物はあの化猪だけじゃあないんだな?お前はその警告のために蛍夜の姫君に接触しようとした」

「はっ、お前らが張り付いているせいで中々接触出来なかったけどな。挙げ句にはこの様さ」

 

 吐き捨てるように入鹿は宣う。強がってはいるが、そこには苛立ちと焦燥が見てとれた。

 

「だが結界があるぞ?幾ら凶妖とて修繕された結界を正面から砕くのは至難の技だ。何を心配している?」

 

『禍獣』がぶち抜いた結界は、丁度その要が老朽化していてこそのもの。逆に言えばそうでなければ幾ら凶妖でもあの結界を砕くには相当の覚悟を必要とする事だろう。俺はその疑念を突きつける。そうだ、全て鬼の妄言だ。そうであって欲しい。

 

「………抜け道だよ」

 

 次の瞬間、入鹿の口にした言葉に俺は一瞬凍り付く。そして、震える口元で反芻するように尋ねる。

 

「抜け道?」

「あぁ。お前ら、屋敷に保管されている地図を見たんだろう?悪いがアレは完璧じゃねぇ。原本じゃないんだろうな。だから抜け落ちている部分があるんだよ」

 

 退魔七士、標遥鳳の結界は妖を積極的に抹殺するためのものである。そして退魔七士は皆猜疑心が強く、卑劣で、他者を信用もしない。

 

 妖共を背後から襲うために、あるいは緊急時の脱出用として抜け道の類いが用意されている可能性は、あり得なくはなかった。その情報が長い時間により失伝している可能性も。

 

「お前さんの上司に探知に優れている奴がいるみたいだが、流石に見つからねぇだろうな。俺だって耳も鼻も良いがそれでもずっと滞在して偶然見つけたんだからな」

「見つけた時に報告しなかったのか?」

「………いざと言う時の保険だったんだよ」

 

 郷からお尋ね者扱いされた際の逃亡用として秘密にしていたらしい。

 

「最初はてめぇらが来たからな。逃げようと思ったんだよ。環の奴が匿うって言ったが誤魔化し切れるとは思えなくてな。だが………」

 

 その抜け道から逃げようとして、その出口周辺に屯する化物共を見つけたのだとか。

 

「何なら話も聴いたぜ?一応対策はしてるみたいでな。抜け道は一方通行の結界が張ってるんだよ。どうやって郷に入るかって彼是言い合ってたもんさ」

 

 複数の凶妖が議論する中で『禍獣』が先鋒を買って出た。作戦は二段構えだった。『禍獣』が仕掛けて、失敗してもどさくさで潜入した工作員が内側から抜け道の結界を破壊する。結界に限らず、防御設備という物は外側からは強固でも内側からは大抵脆い。そして入鹿はその事を慌てて環達に伝えようとして……捕らえられた。

 

「まぁ、最悪お前さんの上司に言っても良かったがな。まさか猿轡されて口一つも利いてくれなかったのは困ったもんだぜ?」

 

 皮肉と嫌味に満ちた言葉であった。彼からすれば最後の望み、最後の賭けに失敗したのだから当然だろう。宇右衛門からすれば鼓膜が破れかねない咆哮を警戒したのだろうが………。

 

「………その話、信じると思うか?貴様の発言が事実という証拠は?」

 

 俺は無感情を装い尋ねる。詰問する。尋問する。

 

「ねぇな。お前さんらが信じてくれるとも思っちゃいねぇよ。最悪頭の中を覗けば良いがな、それでも信じるか?あぁ?」

 

 全てが手遅れにならないと認めないだろう?とでも言うような半妖の言葉には明らかに刺があった。

 

「…………自分の立場も考えず、全く口汚い物言いだな?」

「悪いが家柄も育ちも悪くてな」

「言ってろ」

 

 冷たく吐き捨てて、そして俺は短刀を引き抜く。視覚は塞がれても聴覚でそれが分かったのだろう、入鹿が僅かに身構えた。歯を食い縛る。緊張していて、覚悟しているようだった。そして俺は無言で短刀を入鹿の首元に宛てがい………さっと目隠しを切り落とす。

 

「あ?」

 

 目隠しを外すとともに入鹿は間抜けな声を上げる。そしてあからさまに顔をしかめて此方を見た。

 

「何のつもりだ?」

「体の縄も切る。暴れるなよ?」

 

 入鹿の質問を無視して俺は命令する。呪いで強度を上げている荒縄であったが、流石にゴリラ様謹製の短刀の前では無力のようで、まるで豆腐のように呆気なく切断される。縄を外すと俺は籠から水筒と干し肉を取り出す。

 

「碌に食ってないだろう?先ずは食え」

「………ちっ」

 

 俺の行動に警戒していた入鹿は、しかし今この状況では無意味と悟ったのか直ぐに用意した食事をかっこんでいく。数日の間殆ど飲み食い出来ていない癖に豪気な食べっぷりだった。がつがつと干物を食い千切り、温い白湯で胃袋へと流していく。

 

 そして持参した飲食物を全て食べきった所で俺は口を開く。

 

「郷まで戻るつもりはあるのか?」

 

 俺の言葉に水筒の白湯を飲みきった入鹿は疑うような視線を向ける。

 

「………おい、マジで信じるのかよ?てめぇ、正気か?」

「正直、今だって疑っている。貴様の立場を思えばな。だが………」

 

 だが、俺は眼前の蝦夷の言葉にすんなりと納得してしまっていた。そしてそれは恐らくあの光景を見たからだった。

 

 そう、あの郷の祠での一件。あの時、この蝦夷は確かに主人公様を、そして鈴音を守ろうとしていた。はっきりと覚えている。思えば、疑念を抱いたのはその時からだった。

 

 そもそも郷が妖に襲われるのならばそのまま隠れるなり逃げるなりしておけば良いのだ。姿を現す必要はない。都に送り込まれるような刺客なのだ、それくらいの事を考える知恵はあろう。嘘にしてももっと信用されるものを口にする筈だ。ならばこそ、先程こいつの吐いた言葉は逆に信用出来た。

 

 ………そして、だからこそ俺はその確認だけはするべきなのだろう。

 

「その襤褸は悪目立ちするな。………外套、それとこいつは刀だな。くれてやる」

「………」

 

 俺は籠から出した真新しい外套と安物の刀を蝦夷に差し出す。無言で一瞥した後、一寸置いて手を伸ばす入鹿。

 

 しかし、俺は一旦差し出した手を引っ込める。結果的に入鹿は手が空振って、眉間に皺を寄せて此方を非難するように見つめてくる。

 

「………おい、ふざけてんのか?冷やかしかよ?」

「怒るな、くれてやるよ。だから正直に答えろ。………都で隠行衆を殺ったのはお前か?」

「その質問、この状況で俺が正直に答えると思ってんのか?」

「そうしてくれたら助かるな」

「………」

 

 暫し沈黙して俺を見つめる入鹿………そして、舌打ちした。

 

「あれが初任務だったんだよ。お陰様で大事な仕事は宛てがわれなかった。………ついでに言えば街道での襲撃だって知らねぇ。流石にそいつは冤罪だ。何が何なのだか」

 

 相当不本意そうな口調で、不愉快そうに宣う入鹿。

 

「………そうか」

 

 俺は安堵の溜め息を漏らしていた。少なくとも殺人犯を逃がす羽目にはならなかった事を。俺自身への仕打ちは兎も角、それはどうしても罪悪感が残るから。嘘をついているとは考えなかった。その意味で俺は眼前の相手と友情を結べた主人公様と妹を信用していた。俺は外套と刀を押し付ける。

 

「好きな所にでも逃げろ。そろそろ騒ぎが起きる筈だ。それに紛れて逃げると良い」

 

 そう言うが早いか、俺は其ほど遠くない場所から濃厚な妖気を察知した。周囲一帯を呑み込むような、塗り潰すような、図々しさに脂っこさをも感じさせる濃密な凶妖の気配………考えたな、理究衆頭の探知能力も流石にこのジャミングでは機能するまい。

 

「………てめぇはどうするんだよ?」

「郷に」

「そうか」

 

 そう端的に返答した入鹿は外套に着替え、刀を腰に差すと俺の傍らに立った。

 

「?」

「何処に抜け道があるのか分からねぇだろう?それに………餌は多い方が良い筈だろ?えぇ?」

 

 入鹿は俺の企みを見抜いたのだろう。俺への同行を要求する。

 

「物好きだな?今度こそ斬首……いや逃亡未遂が加わるな。もっと酷い目に遭うぞ?」

 

 馬に四肢を引かれて八つ裂きか、あるいは釜茹でか。人の命の軽い時代においては死刑はそれだけでは極刑とはなり得ない。処刑という括りにおいては斬首は有情な処断法でギロチンに至っては温情だ。

 

「お前ら扶桑人がどう思っているかは知らねぇがな。俺達だって義理くらいはあるんだぜ?三食昼寝付きの礼はしないとな?」

 

 俺の脅迫に、しかし入鹿は小馬鹿にするように嘯いた。俺は苦笑する。

 

「気が変わって逃げるなよ?」

「下人に言われたくねぇよ」

 

 売り言葉に買い言葉、しかし何故か嫌な気分はしなかった。それは多分相手も同じであった。

 

「騒ぎになっているな。今のうちに行くぞ」

 

 遠方で轟音が響いた。大体予想がついた。あんな濃厚な妖気がして退魔士が無視する筈がない。そして、当然ながら戦力の逐次投入もまた……東討隊に属する退魔士三人全員が出向いた筈だ。

 

(あの糞鬼の台詞と原作シナリオから考えるに、今回は殺すような事はしない………と良いんだがな)

 

 あの雑な鬼である。力加減間違えてつい殺ってしまいそうなのはこの際無視する。残念ながら俺も手段を選ぶ余裕はない。………選んでいる余裕はない。

 

「馬は用意している。さっさと乗れ………!?」

 

 急いで小屋を飛び出す。そして直ぐ近場に停めていた馬を目指そうとして………俺はその人影に気付くと思わず足を止めてしまう。その人物とこの場面で出会すとは思ってもいなかったから。

 

「伴部さん、ですよね?夜分遅くにご機嫌よう」

 

 俺の青毛馬の直ぐ傍らで、その少女は俺に呼び掛けた。月光に照らされて、その特徴的な金髪がきらきらと輝く。疑念と不安に満ちた視線が俺を射抜く。

 

(マジかよ。勘弁してくれ)

 

 俺は内心で嘆息する。彼女の存在はこの場において全くの無力で、しかし厄介極まりなかった。

 

「伴部さん、その傍らの者は一体どういう事なのでしょうか?………ご説明、頂けますよね?」

 

 橘佳世は、俺を気丈に見つめて再度そう問いかけた………。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 遠方では相変わらず轟音が鳴り響く。同時に宿場街の大通りでは人々が混乱して大騒動であった。当然だろう、街に妖………それも気配だけで分かる危険な存在が迫って来ているのだから。

 

 尤も、そんな喧騒も今の俺には別世界の出来事に思えた。ほぼほぼ死人は出ない(筈)の鬼よりも、今は眼前の華奢な少女の方がずっと厄介だった。

 

「っ……!!」

「待て!止めろ!」

 

 傍らに控えていた蝦夷が刀を抜こうとするのを俺は静止する。そして再び佳世を見つめる。佳世はと言えば入鹿の行動に僅かに動揺するが、尚も鋭い視線を此方に向ける。

 

「その人は賊、ですよね………?確か拘束されていた筈です。それがどうして伴部さんの傍にいらっしゃるのですか?」

「それは………」

 

 佳世の詰問に、俺は臆する。言葉は出ない。言い訳のしようがなかったからだ。何があろうとも御上の命なく賊を逃がすなぞ重罪に外ならない。そして適当な誤魔化しなぞこの娘には利くまい。

 

「もしかして、最初からなのですか?最初から私を騙していたのですか………?」

 

 恐る恐ると紡がれる佳世の言葉に俺は一瞬困惑し、しかしその意味を直ぐに理解する。

 

 ここで俺が入鹿を助ける意味なぞ本来ない。ならば都での一件、それ自体が自作自演であったと佳世が邪推するのも何も可笑しくはなかった。俺は慌てて否定する。

 

「ち、違います佳世様!!決してそのような事は……!!私は貴女を騙してなぞいません!!」

「では何故このような!?」

「それは………」

 

 俺は再び言い淀む。しかし………ここで嘘をついた所で聡い彼女には直ぐにバレてしまう事だろう。

 

「どうするんだ?時間に余裕はないんだぞ?」

「お前は黙っていろ。俺がどうにかする」

 

 傍らでさっさと先を急ぎたい入鹿を、俺は止める。こいつが早まらないように抑え、俺は佳世を見つめる。護衛も誰もいない彼女の不安を気丈に隠しながら此方を直視する姿は、寧ろ憐れみすら覚える。

 

「………郷、蛍夜郷の救出のために、です。この半妖を問い質して発覚しました」

 

 俺の弁明に佳世は表情をしかめる。当たり前の話だった。余りにも嘘臭過ぎる。

 

「この賊の言葉を信じるのですか?」

「はい」

「へぇ、この状況下でもですか?」

「………はい」

 

 賊の言葉を信じるのも、鬼が暴れるこの状況で抜け出すように向かうのもどちらも馬鹿馬鹿しい話であった。

 

「伴部さん、私をなめているのですか?」

「いえ、決してそのような………」

「嘘を吐かないで下さい!!」

 

 佳世が叫ぶ。幼く、小妖程の迫力もない幼い子供の怒声は、しかし俺を動揺させる。

 

「見損ないましたよ!?こんな……こんな………馬鹿馬鹿しい嘘で私を騙そうだなんて……!!」

 

 少女は怒る。怒り狂う。此方を睨み付ける。

 

「仮に、仮に全部事実だとしてもですよ………!?この状況で貴方は行くのですか!?私がここにいるのに!?私が危ないのに!?あんなに私が貴方に目をかけて上げていたのにですか!!?」

 

 佳世は怒鳴る。怒鳴り狂う。顔を真っ赤にして己の感情を吐き出す。

 

「ふざけないで下さい!!私はもういらない娘ですか!?そんなにあの郷の姫様が良かったのですか!?取り入る相手をコロコロ変えるなんて、本当に厚かましいですよね!?下人の癖に!!」

「佳世様………」

 

 あからさまな罵倒の言葉に、しかし怒りは覚えなかった。彼女の罵倒は余りにも必死に見えたからだ。まるで巣立ちも出来ない雛鳥が必死に猛禽を威嚇するようで………余りにも哀れに思えた。

 

「落ち着いて下さいませ。蛍夜の姫君に取り入るなぞ………主家と結び付きが強く、大恩ある佳世様を差し置いてそのような事有り得ぬ事です」

 

 俺は弁明する。聡明な彼女が納得するように理詰めで彼女を利用していた訳ではないと語る。尤も、それもこの状況では中々苦しい言い訳ではあったが。

 

「やっぱり私を馬鹿にしていますね!?態態鬼月家を絡めて誤魔化そうだなんて!!………私だって色々知っているんですよ!?伴部さん、貴方昔は鬼月家の雑人だったのですよね!?」

「なっ!?」

 

 俺が狼狽えたのに気付いた佳世は更に此方を責め立てる。

 

「内容は聞いています!お陰様で下人落ちした事も……蛍夜の姫様は賊の半妖すら匿う御人好しさんですよね?まさかとは思いますがその伝を頼るおつもりでしたか?」

 

 詰るように佳世は宣う。尤も、一度動揺した俺は寧ろ冷静になっていた。考えて見れば佳世が俺の事を調べるのは可笑しい事ではないし、別に難しい事でもないだろう。納得すらしていた。何なら傍らの入鹿が何かやらかさないかの方が心配だった。

 

 しかしながら、そんな俺の心の機敏を察したのか、佳世は不愉快そうに顔を歪める。彼女からすれば俺が慌てふためく姿でも見たかったのだろうか?いやまぁ、この場を見逃してくれるのならば靴だって舐めて見せるが………。

 

「ちっ!!」

 

 そんな俺の思考を感じ取ったような佳世の舌打ち、苛立ち顔、何処か虚勢を張るような姿………しかし、次の瞬間に佳世は思い出したように笑みを見せた。底意地の悪そうな微笑みで、それを指摘する。

 

「………あぁ、それともあの女中の方ですか?」

「っ……!?」

 

 ある意味で真実を突いたその言葉に俺は思わず面の下で息を呑んだ。そしてその僅かな変化を佳世は見逃さない。口元を歪めて嘲笑う。仄暗い笑みを溢す。

 

「あぁ、やっぱりそうですか………実は郷を出る少し前に遠目に見ちゃいましてね。田園で何やらお話ししていましたよね?」

 

 くすくすくす、と嗤う佳世。此方を馬鹿にするような嘲笑。

 

「もしかして惚れちゃったりしましたか?だからその賊の嘘臭い言葉にも必死になっちゃったりしましたか?お笑い草ですよね?」

「佳世様、冗談は止して下さ………」

「煩い!!」

 

 俺の言葉を、佳世は金切声と共に遮った。

 

「煩い!煩い!五月蝿い!!納得出来ませんよ!?どうしてですか!?この状況で、私を見捨てて!あんな少ししか関わりのない相手を!その賊の言葉を信じて助けに行くなんて可笑しいですよ!!」

 

 ふぅーふぅー、と声を荒くして佳世は叫ぶ。詰る。地団駄を踏む。いつの間にかその翠色の瞳は潤んでいて、顔は興奮に紅潮していた。その姿は痛々しかった。

 

「どうしてですか!?そんな奴の言葉聞かないで下さいよ!私を守って下さいよ!!私だって危ないじゃないですか!?貴方に色々してあげてるじゃないですか!?信頼してあげてるじゃないですか!?それを、それを………可笑しいですよ!!」

 

 佳世は慟哭する。罵倒する。怒鳴り散らす。それは恐らく彼女の置かれた立場がそうさせたのだろう。身内にすら裏切られた少女にとって、例え下人でも信用出来る人間は貴重で大切だった筈で、俺に対してのサービスもそれが一因だったのだろう。彼女はきっと俺を、俺自身が思う以上に買っていたのだ。それを裏切られた時の感情は筆舌し難い。佳世は怒りのままに俺を何度も何度も責める。そして、その怒りの矛先は遂には俺以外にも行く。

 

「そうですよ、可笑しいですよ。あんな馬鹿な事する田舎姫も、立場が悪くなった途端に媚びてくる女中も、あんまりじゃないですか!?それをどうして………あんなの……あんなの妖の餌にしちゃって良いじゃないですか!!」

「………!!」

 

 俺が彼女へ向ける憐れみと憐敏の視線は、しかし最後の言葉の瞬間には一転して殺気に変わっていた。怒りと憎しみすら含んだ眼光で俺は佳世を射抜く。

 

「ひっ!?」

 

 佳世は俺がそんな視線で見て来るなんて露程も思わなかったのだろう。何なら耐性だってなかった筈だ。それだけで怯え竦み上がって尻餅を搗く。同時に俺は己の向けていた視線を自覚してそれを抑える。余りにも子供相手に大人げのない行為、それを理解して視線を逸らす。

 

 その直後の事であった。遠方からの地震のような一際大きな轟音が鳴り響く。そして何かが爆発したかのような爆発音と共にそれは飛んで来る。

 

「糞!?本当に手加減しているのかよ!?」

 

 頭上から飛んで来るのは木々だった。根元から掘り返されたかのような樹木が数本、街に飛び込んで来る。そしてそれはそのまま此方にも回転しながら向かって来ていて………って、嘘だろ!?

 

「佳世様っ!!」

「えっ………!?」

 

 咄嗟の事であった。吹っ飛んで来る大木の落ちる先に気付いた俺は叫ぶ。叫びながら霊力で脚力を強化して疾走する。抱き締める。押し倒す。そのまま伏せる。

 

 先程まで佳世が佇んでいた場所に向けて突っ込む。地面を抉った大木は、しかしそれだけでは勢いが止まらず、土と石と木片を撒き散らしてバウンドする。倉庫の屋根に衝突してそれを抉ると更に跳ねて、そのまま宿場街を守る柵を突き破った。傍らに止まっていた馬が驚いて啼いた。

 

(あの鬼、手助けのつもりかも知れないがやり過ぎだろ………!!?)

 

 原作もそうであるが、あの鬼のお助けサービスは乱暴で雑過ぎる。周囲の被害も考えなければ、最悪主人公様すらも巻き添えにするし、それで主人公様が失敗したら勝手に失望して怒り狂う。本当に陸でもない。

 

「痛てぇな………佳世様、お怪我は!?」

 

 飛び散って皮膚に食い込んだ小さな木片に悪態をついて、俺は確認する。

 

「え、あっ………は、はい。大丈夫……です?」

 

 地面に伏せた少女は事態を認識仕切れずに間の抜けた返事をして、直後全てを理解して顔を青くする。

 

「ここは危ないです。早く何処かに避難を」

 

 佳世を起き上がらせて俺は嘆願する。立ち上がった佳世は、しかし俺を見つめると名残惜しそうに表情を曇らせる。

 

「伴部さんは………来てくれないのですか?」

 

 それは絞り出すような言葉だった。震え声だった。

 

「…………」

 

 俺の無言の返答に佳世は俯いて、しかしバツが悪そうな表情を見せて口を開いた。

 

「……有り難う御座います」

「はい?」

「先程の事です。助かりました」

 

 突然の礼に一瞬俺は困惑するが、補足説明で直ぐにその意味を解する。

 

「いえ、護衛も任務ですから」

「けど、一緒に来てはくれないのですね?」

 

 佳世は悔しそうに、寂しそうに、悲しそうに呟く。宿場街の喧騒や外の轟音で周囲は決して静かでない筈だが、その囁くような声は妙に良く響いた。俺は面の下で苦虫を噛む。

 

「御許し下さい」

 

 俺は謝罪する。そして、言い繕うように続ける。

 

「宇右衛門様は私よりも遥かに手練れで御座います。必ずやこの事態を収めましょう。商会の用心棒も、街の兵もおります。周囲に屯ろする退魔士や兵士も集まりましょう。あの時とは違います、どうぞご安心下さいませ」

 

 俺の言葉は半分事実であるが半分嘘だった。確かにあれだけの妖気………この距離からでも吐き気がするが、多分本気ではない……をあからさまに放てば次第に周辺の土地を預かる退魔士や駐屯する軍団兵が慌てて集まろう。宇右衛門らも俺なぞよりも強いのは間違いない。

 

 しかしそれでも尚、あの碧鬼は倒れないだろう。そして同時に、あの碧鬼はキレている訳ではない。少なくともこの周辺一帯を焼け野原にするつもりはないだろう。その気があるならば今頃この街はもう破壊されている。

 

 ………尤も、仮にそうなっても俺は行かざるを得ないのだが。俺も大概自己中心的だな。

 

「………ふふふ、やっぱり私は何時も負けてばかり」

「はい?」

 

 轟音の中、佳世が何か言った気がして、俺は首を傾げる。しかしその内容は聞けなかった。佳世は自身の袴を軽く叩くと一礼する。

 

「すみません、さっきまでの私……取り乱してました。その、凄い見苦しかったですよね?」

 

 気丈に胸を張って、しかし何処か親に叱られるのを恐れる幼子のように佳世は呟く。そう思えたのは上目遣いで此方を窺っているからだった。

 

「いえ、佳世様の立場では当然の事でしょう」

 

 俺は彼女の言を否定する。俺の行いは誉められる事ではないし、彼女の怒りも疑念もまた当然、若干癇癪気味なのも年を考えれば非難する方が大人げないだろう。

 

「いえ、良いのですよ。………ふふふ、私ももっと大人にならないと行けませんね?」

 

 幼いようで、しかし妖艶な魅力を持つ含み笑いを浮かべながら、佳世は視線を俺の背後に向ける。その先にいるのは動揺する馬の手綱を引いて落ち着かせようと苦戦する入鹿の姿………。

 

「目隠しに猿轡を着けたまま確認したのが間違いでしたね。良く見たら別人じゃあないですか」

「佳世様?」

 

 俺が目の前の少女の名を呟くと、彼女もまた此方を見る。微笑む。

 

「少なくとも、今回命を助けてもらったのは事実ですから。半ば押し売りとは言え、適正な代価は支払わなければ商人の恥ですよ」

 

 おどけるように、それでいて苦笑するように佳世は嘯く。そんな彼女の善意と信用に、俺は罪悪感を胸に抱く。己よりも年下の少女に自身の我が儘のために迷惑をかけて、あまつさえその好意に甘える等と………しかし同時に俺には他の選択肢がない事も事実であった。

 

「早く行って下さい。折角譲歩したのですよ?為すべきと思った事を為して下さい。それが誠意というものです。時は金なり、ですよ?」

 

 うんざりするように、叱りつけるように振る舞い佳世は俺に出立を促す。あからさまに分かる強がりだった。

 

「………有り難うございます」

 

 時間もなく、長話もまた非礼だった。俺は深々と一礼すると直ぐに馬に乗り込んだ。乗り込んだ青毛馬もまた彼女からの贈与品であり、俺の罪悪感を擽る。しかし、これ以上ここに留まる事は出来なかった。

 

「行くぞ!」

「あいよ………!!」

 

 入鹿共々、馬に騎乗すると手綱を引いて街道を駆ける。そのまま先程の投木によって破られた柵の穴へと向かう。

 

「………」

 

 気まずさから俺は一度背後を振り向いた。何とも言えぬ複雑な微笑を此方へと向ける少女が見えた。俺は歯を食い縛ると前へ向き直る。時間はなかった。

 

「これは覚悟しねぇとな………」

 

 この一件が終わった後の自身の末路を思いつつ、俺は街を出る。

 

 空は曇天で、風は身震いする程に冷たかった………。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「んっ、ん゙ん゙っ゙!?……ふぅ。助かりました。どうにか我慢出来ましたね」

 

 艶かしい矯声を漏らした後、佳世は愛しい人が去り行く姿を一瞥した。その表情は先程までの凛々しさも、気丈さも、一欠片もなかった。強いて言えば発情仕切った犬であった。盛りに盛った牝犬、そうとしか言い様がない程に今の彼女は女だった。

 

「はぁ……ふふふ、おしめをしていて正解でしたね」

 

 佳世は己の両股を擦り合わせながら妖艶に嘯く。彼女の袴の中、下着の中は文字通りにグチョグチョだった。何なら血塗れだったりもする。

 

 仕方無い事だと彼女は思った。彼のあんな視線を真っ正面から受けてしまったらこうもなろう。普段の温厚で穏やかでたまにお茶目な彼とは別人だった。面の隙間から垣間見えるのは険しく、圧迫感すらある視線だった。ぞくりとした。佳世はその視線を向けられるだけで背筋が凍りつき、緊張し、命を握られた感触がした。

 

 殺すつもりも、傷つけるつもりも無かろうが、か弱い少女に過ぎない佳世は腕力で彼に勝てる可能性なぞ一切ない。その事をあの短い時間で存分に分からされた。分からせてもらった。

 

「へへへ………」

 

 顔を真っ赤にして照れる南蛮少女。その姿はまるで恋する乙女で、しかし実情は余りにも堕落していた。

 

 挑発とそれに彼が怒ったあの瞬間、佳世は命の危機と共にこの上なくその被虐心を満たし切っていた。愛しい人に自身の立場を理解させられ、教え込んで貰ったような気がした。それは彼女にとっては悦楽に外ならない。倒錯仕切った歪んだ情欲………あまりに興奮したせいで肚が疼いてしまい、そのまま盛大に溢れてしまった程だ。

 

「ふふふ、本当にはしたないですね」

 

 そう嘯く少女の表情は、しかし羞恥心なぞ少しも見えやしなかった。………強いて言えばその事実を彼に暴露して、そのまま組伏せられて蔑んだ眼光で見下されながら己の浅ましさを散々に責められて、詰られて、なぶられて、散々にお仕置きされたかった。名残惜しかった。贅沢は言わないので彼の下で無様に「お゙ゔっ゙!?❤️」とか「ひぎぃ゙!?❤️」とか「あ゙がっ゙!?❤️」とか啼きたかった。蛙のように押し潰されて、髪を馬の手綱のように引っ張られたならば最高だ。

 

「御嬢様!?そちらにいらっしゃったのですか!?」

 

 そんな純情で乙女ちっくな妄想に耽っていると背後から幼い少年の声………己の妄想の世界から一気に現実に引き戻された佳世は暗闇の中で凍える程に冷たい表情を浮かべるが、其処は商人である。振り向いた時には完璧に営業用の微笑を貼り付けていた。

 

「お探ししていたのですよ!?御部屋にいないので……まさかこんな所にいるなんて!?」

「御免なさいね。夜風にでもあたろうとしていたのですけれど………この騒ぎは?」

 

 必死な小僧の言葉に佳世はとぼける。大嘘であった。彼女は全て分かっていた。何ならあの投木すらも狙っての事なのだと確信していた。寧ろ話に聞く通りの鬼だと感嘆した程だ。

 

 無論、彼女にとっても至福の一時を大いに楽しめたので何らの問題もなかったが。

 

「そ、外に妖が……!!今、用心棒と鬼月の退魔士が応戦しております!!早く避難しましょう!!」

「中央の役場に行きましょう。彼処には地下室があります。先程のような投木がまたあり得ます」

 

 少年の意見、そしてそれに賛同するように提灯を手にして傍らにいる商会員が佳世にそう勧める。

 

 扶桑国においては相応の大きさの街になると役場の地下に結界とからくりで偽装された避難所が設けられているものであった。嘗ての大乱からの教訓である。当然ながら然程人を詰められる空間ではないので要人専用であり、そして佳世は其処に避難する資格のある身分の存在であった。

 

「そうですね。案内お願い出来ますか?」

 

 佳世は手下達に守られながら役場に向かう事を素直に受け入れる。最早この場に興味はない。彼の見送りと己の売り込みは終えた。後はあの鬼が適当に暴れて時間稼ぎをしてくれるだろう。そして、その後は自分が時間稼ぎをする。彼の心配はない。元より彼が制止される事はなかっただろうし、無理矢理止めるのも心苦しい。既に鬼月の二の姫とは打ち合わせしている。現場での支援は任せよう。

 

(その上で最後は今一度私が………ふふ、きっと私に感謝してくれますね)

 

 彼は礼儀を知っている。この一件が収まった時には自身に何処までも感謝する事だろうし、そう仕向けるつもりでもある。それについては既に従属同盟を結んでいる二の姫とは手打ちにしていた。あの姫から譲歩を引き出すのは難しくない。彼女は彼のためならば幾らでも譲歩するし、佳世もまた分を弁えていた。提案と調整は穏当に終わった。

 

「そして、全てが終わった暁には………」

 

 己の本性を晒し暴露して、裏切られた彼が自身に向ける殺意は何れ程のものだろうか?きっとそれだけで自分は達してしまうだろう。みっともなく盛ってしまうだろう。そしてその先もまた………。

 

「ふふふ、楽しみですね」

 

 避難所に向かいながら、佳世は誰にも聞こえないくらいに小さく囁いた。周囲の喧騒も轟音も、彼女にはまるで他人事だった。どうでも良かった。鬼の求める道化を演じている間、ずっとしゃぶっていた『彼』を舌の上で何度も転がす。その味は正に甘露。

 

 提灯に照らされる金髪の少女の美貌は何処までも妖しくて、何処までも艶かしかった………。

 




 二番煎じのお年玉を食らえ!!

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