和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

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 PIXIVにて海上床偽さんが二次創作小説を執筆して頂けましたのでご紹介致します。ギャグ寄りですが結構笑えます。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=16686163

 個人的には嫌われスイッチ物とか好きですね。正気に戻ったゴリラ様筆頭ヒロイン勢が絶望する所で愉悦したい(鬼畜)。尚、主人公は多分理不尽と修羅場には慣れてるので案外精神的にはノーダメの模様(肉体的に五体満足で切り抜けられるとは言っていない)



追記:活動報告にて通達した通り第八〇話・八一話について1月24日内容修正しました


第八〇話●

 扶桑国が各地に整備する街道には数里ごとに兵の詰める駅や関所が設けられている。

 

 当然のように魑魅魍魎が跋扈するこの世界において、人の多くは霊脈のある土地に密集せざるを得ない。結界や物理的な城塞を築き上げる事で安全圏を確保し、その周辺に大小の集落を建てて、点在するそれらを結ぶようにして街道を通す。各地の生存圏の物流網は朝廷、そして扶桑国の経済と国防にとって生命線であり、その警備と監視は厳しい。

 

 故に、この街道から外れた獣道を進む者は必然的に人目に触れたくない訳ありの人物という事になる。

 

 ………街道から大きく逸れた深い森の中を、二頭の馬が疾走していた。

 

 一頭はありふれた栗毛の馬で、今一頭は墨のように黒い青毛馬……舶来の大陸馬であった。その背には外套を着込んだ人影が二つ。騎乗する彼らは時折振り向き、ひたすらに何かから逃げるように馬を囃し立てる。森の中を駆け続ける。

 

 突如、上方より物音が響いた。周囲を警戒していた騎乗者達は即座にその音に釣られて馬を走らせながら音の方向を見上げた。

 

 直後、視界が回転した。視界に映りこむ最後の光景は馬に跨がる首のない人形の光景で………。

 

 

 

 

 

 

「………っ!?」

「囮がやられたのか?思った以上に早かったな」

 

 峻険な山岳の険しい道なき道を背中に荷を背負いながら登っていた俺は次の瞬間に視覚を共有していた式神との繋がりが切れた事に舌打ちする。ひょいひょいと岩の上を跳び跳ねて先行する入鹿が振り向き、苦虫を噛む。

 

 追手に捕らえられる事を恐れて放った囮は合計で二十を越える。その殆どは持ち物を持たせたり、血を塗りたくって縁を偽装しただけの式神や野生動物であったが、逃亡に使った馬に乗った式神の囮はその中でも本命中の本命だった。

 

 外套を着せて外見を誤魔化して、行動判断もかなり緻密に練り込んだ傑作だった。碌に時間稼ぎも出来ずに撃破されたが。これでもう囮の半分は潰されたな。……というか首飛ばして来るって容赦なくない?

 

「呪いは第一段までしか発動してねぇだろうによ。人を殺す気かよ」

 

 天を仰いで嘆息した俺は、肩に纏わりつくその存在を一瞥してぼやく。

 

 蛇だった。ニョロニョロと肩から左腕に掛けて巻き付く実体のない蛇。細長い舌を伸ばし、ギョロリと此方を窺う。窺いながら先程から幾度となく奇妙そうに首を傾げる。その姿形に俺は思わずあの死亡フラグ娘の妖刀を想起する。そしてこの蛇はある意味で件の妖刀に勝るとも劣らぬ程に質が悪い存在である。

 

 他者を従わせるための呪いは幾つか存在し、中には一部の退魔士家だけで秘匿されている術式もある。その中で鬼月家が下人共に掛けている呪いは比較的平凡な代物だ。尤も、決して可愛いものでもない。

 

『蛇縄怨念返之毒呪』、それが鬼月家に属する下人全員が掛けられている服従のための呪術の名前であり、その特性は殺害した蛇を触媒として怨霊化させるというオーソドックスな仕様である。

 

 呪いの効果は三段階、一段目は警告の意味を込めて全身を実体化した蛇の怨霊に締め付けられる。死にはしなくてもこの時点で全身に激痛を伴う。抵抗すれば更に骨や筋肉が砕かれる。

 

 二段階目は毒牙の出番で、怨霊に首筋を噛み付かれて毒を注入される。最初は麻痺毒で次いで遅延性の筋肉の溶解毒を注がれる。後者は文字通りの意味であり、全身の筋肉が内側から少しずつ溶けていく。運が悪かったらこの時点で心臓の筋肉が融解して呼吸困難になって死ぬ。解毒剤を持つのは鬼月家の者だけだ。

 

 三段階目は受呪者を殺害するために発動する。巨大化した蛇の怨霊がそのまま頭から丸呑みしてくる。全身を締め付けられて、しかも筋肉が麻痺して融解したとなれば下人程度には抵抗のしようもない。生きたままゆっくりと胃酸で消化されていくしかない。

 

 対象が死んだ時点で怨霊は無念を果たして成仏するが、元は実体の無き存在である。腸の中身はそのまま残置されるから、中途半端に肉がこびりついた人骨がその場に打ち捨てられる事になる。悪臭と相まってそのおぞましさと言ったらない。というか、設定によれば敢えて残るようにする事で他の下人共に対しての脅迫も兼ねているのだとか。

 

 ………実にまぁ嫌悪感を誘う話であるが、何が悲しいって鬼月家の掛ける呪いはこれでも独自に凝った呪いを開発している訳ではないだけまだ感性がまともって所である。鬼月家の下人って待遇恵まれてる方ってそれマジかよ。

 

「まぁ、お陰様でこうして誤魔化せる訳だがな」

 

 俺は蛇を一瞥してぼやく。これが独自規格な特性呪術であったら今頃俺は捕らえられている事だろう。それがこうして今も逃亡出来ているのは俺が着込んでいる外套のお陰だ。

 

 以前にゴリラ様から受け取った認識阻害の呪い付きの外套、それが呪いの発動を妨げていた。頭の悪い蛇は眼前の俺を未だに呪いの対象者なのかどうか判断しかねている。尤も、警告を兼ねた第一段階だからこそ誤魔化せているのであって、これが第二、第三段階ともなればどうなる事やら………勿論、この外套が外れた場合もアウトである。

 

「殺したら尋問出来ねぇからな。お前さんを生かして捕らえたいみたいだな」

 

 入鹿が追っ手の目的に当たりをつける。無論、その点は俺もある程度想定はしていた。

 

 俺の行動が行動である。尋問のためにも殺すよりも拘束したいと思っている筈で、デ……宇右衛門はその辺り計算の出来る男だった。だからこそ俺もこんな力ずくな逃亡を図る事が出来た。彼ならば軽挙に俺を殺して尋問出来なくする事はあるまいと考えて………。

 

「けど、式の首飛んだよな?」

「信頼してんだろ?本物なら避けるとでも思ったんじゃねぇか?」

「嫌な信頼だな………」

 

 黒ひげ危機一髪みたいな飛び方だったんだけど?多分俺本人でも怪しかったんだけど?

 

「知るかよ。………にしても、大分時間が押してきたな。もう昼過ぎか。急がねぇと」

 

 俺の困惑をそうあしらって、次いで空を見上げて入鹿は呟いた。それは若干焦燥している口調であった。

 

 郷を出てから宿場街まで徒歩で一日とは言え、それは街道を使っての話である。舗装されぬ山道を追手に見つからぬように、それも馬を使わずにともなれば話は変わってくる。急ごうにも獣道は油断すれば足を踏み外しかねない。

 

 そして山道というのは外見以上に危険なのだ、なだらかな斜面に見えても一度転げると際限なく落ちていく。そして辺り構わず木々や岩が点在しているので下手しなくても首を折ったり頭蓋骨が砕けて簡単に死ねる。良い子の皆は山登りはちゃんと整備された登山道を万全の準備をしてから登ろう。

 

「……仕方ねぇか。背に腹はかえられねぇ。切り札を使うぞ」

 

 残された時間と伸びる捜索の手に、入鹿は僅かに考え込んでから俺の顔を見て提案してくる。

 

「切り札?」

「俺一人なら兎も角、てめぇとだとこのまま徒歩じゃあ厳しいだろう?」

 

 獣の半妖である入鹿は俺よりも素で身体能力が高い。確かにこいつからすれば俺は足手纏いであろう。

 

「それにこれからの事を考えればてめぇは体力を温存しなきゃならねぇ。……だからよ、俺がてめぇを背負って郷まで走るかって事さ」

 

 心底不本意そうに入鹿は答える。一方で俺が浮かべるのは怪訝な表情であった。

 

「おい、幾ら半妖だからって無茶は言うものじゃねぇぞ?滑って転んで一緒に御陀仏はご免だからな?」

 

 確かに入鹿は俺よりも身体能力は遥かに高いだろう。しかし何事にも限度というものがある。入鹿でも俺を背負って何刻も舗装されていない悪路を進み続けるのは危険過ぎた。

 

「俺を馬鹿にするなよ? 此方だって色々と考えているわ。………まぁ、あんまりジロジロ見んじゃねぇぞ?」

 

 詰るようにそう嘯き、次いで周囲を見渡した後、眼前の蝦夷は…………衣類を捲った。そしてそのまま乱雑に捨て去る。

 

「あ? お前何のつもりで………」

 

 謎の行動に俺は質問をしようとして、しかしそれ以上の言葉は俺の口からは出て来なかった。

 

 衣服の下から現れたのは北国の人間にしては日に焼けている身体であった。ふっくらと丸みを帯びているが同時に筋肉がついている事も分かる頑健で健康的な肉体。その表面には傷痕や痣が点在する。恐らくは故郷での鍛練や捕らえられた後の拷問で刻まれたものであった。だが、問題はそこではない。そこではないのだ。

 

「は?」

 

 思わず俺は間抜けにそう溢していた。晒しを脱ぎ捨てた瞬間に露となったそれを思わず二度見したのは疚しさよりも純粋な衝撃によるものが遥かに大きかった。

 

 同時に俺は眼前の事実にどうして気付かなかったのかを自問する。そしてそれが口調や衣類によるものであると当たりをつけた。晒しもそうだが初遭遇の時には恐らく下に鎧をしていて、郷では襤褸を着込んでいた。身体の輪郭が不鮮明だったのだ。尚、こんな分析をしている時点で半ば現実逃避している事は言うまでもない。

 

「おい、衣服は拾っておいてくれよ」

 

 俺の視線を然程気にせずに下の衣服まで堂々と脱ぎ去った入鹿はそれを俺に投げつける。その際の振動で何がとは言わないが無遠慮に揺れた。………結構大きかった。

 

「あ、あぁ………」

 

 俺は曖昧に答えながら地面に落ちたものと、投げられたもの、双方の衣類を回収する。黙々とかき集める。それしか出来なかった。ぶっちゃけ思考放棄である。

 

「これ結構身体にクるんだよなぁ……まぁ、背に腹はかえられねぇからな」

 

 文字通りの意味で布切れ一枚も纏わぬ姿で蝦夷の女は身体を解す。ゴリゴリと肩を鳴らし、その際に癖っ気のある黒髪と双球が震える。救いと言えばその黒髪が被っている事で微妙に見えそうに見えない絶対領域が発生している点か……どうにも目のやり場に困り思わず視線を逸らす。

 

 そして次の瞬間に俺はその影に気付いた。何かによって日射しが遮られる。

 

「ん?……うおっ!?」

 

 異変に視線を戻した俺は彼女を見上げていた。思わず瞠目する。当然だろう。目と鼻の先に鋭い牙が並んでいたのだから。

 

 眼前にいたのは狼だった。此方を丸呑み出来そうな巨躯の大狼。それが此方を見下ろす。妖……そしてそのままお座りするようにしてしゃがみこむ。

 

『ほれ、さっさと乗れ』

 

 くぐもった、無理矢理人語を発音するようなその声に、しかし俺は聞き覚えがあった。

 

「入鹿、か?」

『?何呆けてやがる?目ん前で変化してやったろうが?』

 

 呆れたように狼は此方を見やる。何となくジト目を浮かべているように見えた。

 

「あ、あぁ………そう、だな」

 

 俺は生返事しながら内心で嘆息する。相手がその気でなかったから良かったものの、冷静に考えればたかが裸体如きで視線を逸らすのは余りに無謀で無用心であった。今は暫定的に協力しているが相手は半妖で蝦夷で賊であるというのに………。

 

『鞍も手綱もねぇ。獣毛をがっちり掴んで首元辺りに抱き付け。振り落とされるぞ?』

 

 しゃがみこんだ狼の背に乗り掛かれば入鹿からの助言。それに従ってそのまま身体を倒して首元に手を回す。毛皮を掴みしがみつく。思いの外温かかった。……獣妖の癖に人肌の温もりがした。

 

『んじゃあ、行くか』

 

 その言葉と同時であった。一瞬後には俺は狼と共に宙に浮いていた。荒れた山々を、狼が跳躍したのだ。

 

「うおっ……!!?」

 

 その距離は歩幅にして五十歩にも及んだ。岩場の一角に着地すると共に次の跳躍、そうして先程まで悪戦苦闘して登っていた山を悠々と突き進む。

 

 それは先程まで必死に、しかし遅々とした速度で岩と木々を乗り越えていた事実を思えば快挙であった。乗り心地が最悪である事を除けば。

 

「ぐっ……!?せめて鞍と手綱があればな!!」

 

 それはシートベルト無しに豪速ジェットコースターに乗り込むようなものであった。振動が伝わる。風が遠慮なく当たる。少しでも気が抜けたら落ちてしまいそうだった。しかもこれは………妙に急いでいる?

 

「………っ!!流石に、急ぎ過ぎだろ!!?何を焦っていやがる、この速度なら十分間に合うだろうが!!?」

 

 もう少し乗る者を労れ、と俺は要求する。しかし、返される答えは苛立つような唸り声である。

 

「入鹿っ……!?」

『っ!?余り横から話しかけてくるなっ………!!気が散るだろうが!!』

 

 気が立ったような反応に俺は訝る。そして直ぐにその理由に思い至る。入鹿もまた己の言葉に後悔したのか不愉快そうに補足説明をする。

 

『……この姿になると思考が寄るんだよ。集中しねぇと呑まれるんだ。てめぇも食われたかねぇだろう?』

「余り無理をするなよ。厳しいと思ったら徒歩に切り替えても良い。この速度なら間に合う」

『そうもいかねぇだろうが。てめぇも向こうで準備がいるだろう?折角やるんだ、徹底的にやらねぇとな?』

 

 狼が口元を吊り上げる。漏れる嗤い声は、しかし痩せ我慢をしているようにも見えた。やはり人間の姿から逸脱しつつ己の自我と理性を保つのは容易ではないようだ。

 

「義理堅い奴だな」

『俺からすればてめぇが俺の話を信じた事の方が驚きだぜ?都でも思ったがてめえ、ただの下人じゃねぇな?』

「下人だよ、ただの名無しの下人さ」

 

 探るような半妖の問い掛けに俺は切り捨てるように断言する。何なら下人にだってなりたくなかった。何度も死線を潜るのもご免だ。平穏無事に生きたかっただけなのだがな。

 

『ただの、ね。じゃあそんな下人かどうしてこんな馬鹿な事してんだ?どういう過程を取ろうが最終的には俺もお前も処断だぜ?』

「それは………」

 

 入鹿は探るように問う。俺は一瞬それに答えるべきか否かに迷う。迷うが………。

 

(獣は勘が良いからな)

 

 此方を覗くように見上げる眼差しに俺は降参する。ここで誤魔化すのも嘘を吐くのも悪手だ。不信感を与えても仕方無い。

 

 ……何よりも、ここまで来て欺くのならば『誠意』は無かろう。

 

『……別に言えねぇのならば構わねぇがよ』

「いや、当然の質問だな。構わんさ、気にするなよ」

 

 此方の迷いを汲んでか入鹿が呟く。しかし俺は謝罪する。

 

「冥土の土産って奴だな。教えてやるよ。誰にも言うなよ?実はな………」

 

 刹那、俺の独白は突風によって掻き消された。しかし半妖の五感は人間と比べるものではない。俺の言葉にピクリとその狼耳が動いた事に気付く。狼は僅かに目を見開いて、そしてスウッと細める。

 

『………そりゃあマジかよ?』

「ここで嘘をついてどうなるんだ?」

 

 俺は苦笑しながら逆に問い掛ける。この状況で口にする意味のある嘘ではないし、ましてや目の前の狼ならば俺の言葉の真贋くらい察知出来る筈だった。

 

『………白状するつもりはあるのかよ?』

「世の中知らない事が良い事もあるさ」

『はっ、全くだな』

 

 互いに嗤う。愉快そうに、しかし他人が見れば悲惨な表情だと思ったかも知れない。少なくとも俺が見た狼の表情はそうであった。

 

『………やっぱり急ぐぞ?準備は万全にして欲しいからな。舌を噛むなよ?』

 

 そして大狼は一際高く跳躍した。殆ど直角といって良い険しい岩壁を僅な凹凸を足場に駆け登っていく。

 

 そして今度は俺は何も言わない。ただ舌を噛まぬように注意しつつ一層強く彼女の毛皮を掴んで抱き付く。

 

 先程まで快晴だった空には分厚い曇が広がり始めていた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 儀式の支度は昼頃より始まった。 

 

 先ずは穢れを洗い落とすために温泉で入念に沐浴した。多くの郷村においては泉の冷水を使う事になるために巫女や神主らにとっては辛い時間となるが蛍夜郷ではその点において例外である。輸入している石鹸を付けているのを見た同業者達はこの郷の巫女の待遇に羨望の眼差しを向ける事であろう。

 

 火照った身体を適度に湯冷めさせながら、巫女役は控えの間で女中達に香油を塗りたくられていく。これもまた郷の外から買い入れた高級品であった。部屋自体もまた香木が焚かれていて、巫女役と飾られる装束に薫りを移していく。

 

 そして着替えと化粧を整えて、小道具を供える事で漸く準備は整う。

 

「さぁさあ、姫様。完成しましたよ。見てくださいませ。何とまぁ御美しい事で御座いましょうか!」

 

 鏡を携えた老女中が巫女役の姫君にその姿を見せつける。

 

「はぁ……」

 

 嘆息は一体誰のものであっただろうか?本人のものかも知れなかったし、周囲のものかも知れない。恐らくは両方であった。

 

 香油で輝く艶やかな髪を束ねて天冠を被り、神楽鈴を手にした純白そのものの巫女装束。化粧は控えめに薄く白粉に朱色の口紅、寧ろそれが却って彼女の美しさを引き立てる。

 

 鏡に映る巫女は正しく清浄で、神聖で、冒し難き幻想的な雰囲気を身に纏っていた。

 

「………」

 

 粗方の準備を終えて儀式を待つばかりとなった事もあり、鈴音は改めてその姿に見蕩れていた。御簾の内に鎮座する、普段の男っぽくてやんちゃな主人とはかけ離れた、しかし確かに主人の美貌を引き立てるその光景は鈴音にある種の感銘を与えていたのだ。女中は今更ながら己と主人が生きる世界が違うのだという事を思い知る。

 

「そ、その……どう、かな?可笑しくないよね?」

「とても神々しい美しさで御座います」

 

 その質問が最初誰に向けてのものなのか、鈴音には分からなかった。その恥じらうような視線を向けられて漸く己に向けてのものだと知ると鈴音は恭しく褒め称える。御世辞ではなかった。心からの本音だった。

 

「そうですとも、実に御美しい」

「都の姫君方にも負けませぬわ」

「残念で仕方ありませんわ。宮中ならばきっと貴公子方が放って置かないでありましょうに」

「次回旦那様が都に上洛される際に御同行させて頂けないでしょうかねぇ?」

 

 周囲の女中達も次々に環を称賛した。それは半分はおもねりであったが半分は嘘偽りのない真実である。それだけ環の出で立ちは神聖であり、同時に美しかったのだ。

 

「そう。嬉しいな」

 

 小さく安堵するように微笑む環。その姿は儚さを思わせていて、庇護欲を刺激する。

 

 男子の十人に七人まではこの微笑みだけで心を奪えたであろう。正に魅力に溢れていた。しかしその表情は鈴音にとっては萎れた草花のように力なく思えた。

 

 当然であろう。ここ数日は余りにも事が多過ぎた。妖に襲われて、友人を連行された。彼女自身はそれに伴い謹慎する事になって巫女としての務め以外では外出も許されなかった。止めは明朝に届いた早馬の知らせである。

 

 宿場街が妖に襲われたという知らせ、その宿場街が先日立った商会と退魔士達の泊まる予定の場所であり当然友もまた其処にいるのは明らかで………心労になるので口止めされていたがその知らせが環の許に届くのに半日も掛からなかった。噂話は隠そうとすれば隠そうとするだけ広まるものなのだ。

 

 哀れな程に辛そうな表情で問い詰められて、鈴音は仕方無く答えた。

 

 無論、言葉は選んだ。下手な言い回しをして余計不安にさせる事はない。既に付近の退魔士や官軍の助力も受けて襲撃した妖は打ち払った事、街の物的被害や負傷者は多いが犠牲者はいない事、今は逃げ去った妖を追撃中である事を慎重に伝えた。

 

 尤も、そんな鈴音本人も動揺しなかった訳ではない。分かっていた事であるが先日まで話をしていた下人がもう命の危機に晒された事に衝撃を受けていた。退魔の職務はこれ程までに危険なのかと思い知らされた。それでも動揺は見せずに主人を安心させる事に努めていた。その意味では鈴音は主人よりも大人であった。

 

 何は兎も角、どうにか気を取り直した環であるが、それでもやはり神聖な儀式が迫っている緊張感もあってか、その顔色は沐浴で身体を温めた今でも中々優れない。こればかりは心の問題なのでどうしようもない。

 

 尤も、環が立ち直るまで周囲もただ待つ事は許されなかった。

 

「巫女様、御神酒になります。先ずは御一献を」

「あ、うん。分かったよ」

 

 休んでいた環に向けて、老女中が御神酒を差し出す。巫女役は決まりに従いそれを口にする。

 

 其処には腹の内までを浄化するという意味合いがあった。飲むのはこの場では一杯だけ、残りは社に昇って供え、その際に今一度飲む。それだけである。昔はもっと飲んだらしいが酔った巫女役が石段を踏み外して大怪我をして以来飲むのは計二杯で打ち切りとなってしまった。

 

 尤も、鈴音からすれば好都合に思えた。酒は人の心を明るくさせ、温めさせる。適度に酒精の力を借りる事、今の主君にはそれが必要だった。

 

 呷るようにして御神酒を飲み干す環。ふぅ、と小さく嘆息して盃を老女中へと返した。暫し場は静寂に包まれる。一杯だけとは言え、悪酔いせぬように体を落ち着かせる。

 

 どれ程時間を経たであろうか?そして遂にその時が訪れる。

 

「巫女殿、御支度は整いましたでしょうかな?」

 

 戸を叩いて入室する人物に向けて、環以外の者達が一斉に頭を下げた。蛍夜郷を取り仕切る蛍夜義徳は慣例に従って直々に巫女役を出迎えた。

 

「お父様………」

 

 思わず父に呼び掛ける環。当の義徳は一瞬娘の姿に目を丸くして、しかし直ぐに咎めるように咳払いする。環はその意図を察して慌てて慣例を思い出して指定された口上を詠み上げる。

 

「此や良し。儀に参らん。侍りて道中を案内されよ」

 

 そういって娘は立ち上がる。言い伝えによれば初期の儀では歩き巫女や名のある神社の者を招待して巫女役をして貰っていたという。接待をして支度をしてもらい、郷主と護衛に導かれて社に向かったのだとか。環に続いて鈴音を始め、女中達も続く。彼女達もまた社に続く石段手前まで侍る決まりである。

 

 屋敷を出る。空は夕暮れから夜に向かっていた。夜風が冷たく頬を撫でる。先程まで温かな室内にいたからより一層環達にはそう感じられた。

 

 人気と視線に気付いて、巫女役は正面を向いた。提灯を掲げた村人達が社へ案内するように並んで道を照らし出す。彼ら彼女らもまた巫女を一目すると義徳のように一瞬驚き、そして互いにこそこそと忍びながら会話を始める。やはり普段の姫と雰囲気が様変わりしているのが衝撃だったのだろう。

 

 環はそんな村人達の態度に何とも言えない気まずさと気恥ずかしさを感じつつ、同時にそんな彼ら彼女らの中に一人いない者がいる事、それをより一層意識させられた。あの友人ならばきっと此方が頬を赤くする位に大声で応援してくれたであろうに………。

 

「………参りましょう」

 

 そんな寂しさを圧し殺して、努めて微笑みを貼り付けて巫女は歩を進め始める。皆もまたそれに応じて黙々と仰々しく行進を始まる。

 

 その微笑みが無理をしてのものだと分かる者は、例えこの郷の住民達の中でも決して多くはなかった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

 月光すら照らさない深夜の闇、荒れ狂う業火の中に沈んでいくその城を見た凶妖は、それが過去の追憶である事に直ぐに気付いた。

 

 後世に人妖大乱と称される扶桑国と妖軍による長期間に渡る全面戦争………眼前に映るのはその前期に陥落した大城、その最期の光景。記憶の中の鼬は思わずその景色に口元を綻ばせる。

 

 殊更に残虐で残忍な妖で無かろうと、それは当然の反応であった。半年以上に渡って続いた西土の交通の要所を巡る戦いは、人外の軍勢にとっても決して楽なものではなかったのだ。

 

 大軍をもって包囲して、幾度も攻めても尚、城は頑強に抵抗を続けた。徹底的に補給線を断ち、城に立て籠る人間共を餓死寸前まで追い込んでからの総攻撃で漸くの陥落である。喜ばない者なぞいない。これが人間同士の戦であろうとも同じ反応をしよう。

 

『はぁ………』

 

 ………傍らで小さく嘆息する自分達の王を除けば。

 

「……?どうしたんだい?そんな風に落ち込んで、我らが御大将殿は何か不満でもお有りかな?」

 

 喜ばしい光景を憂うその姿に鼬は思わず問いかける。百鬼夜行の大将の反応は余りにも奇妙なものであった。あからさまに失望し、嘆き、諦念するようなその反応は眼前の勝利に向けてのものとしては明らかに相応しくなかった。

 

『………あぁ、鼬枷か。君は城に向かわないのかな?』

 

 妖魔の王は自身の呼び掛けに今更気付いたように振り向いた。理知的でいて、それでいて明らかに人間のものではない声音が空気を震わせた。

 

「………」

 

 一瞬の沈黙、それは己の存在を認識されていなかった事に対する不快感であった。無駄に知性はあれども理性に乏しい凶妖らしい短絡的な感情……しかしながらそれ以上に己の名前を呼ばれた事への喜びが凌ぐ。

 

 鼬枷………今の己を形づくったその『名』を妖は大層気に入っていた。それが名を授けたものから放たれた言葉であれば尚更だ。少なくとも鼬枷はその意味において眼前の総大将を崇拝していたし、敬服していた。だから不満は表情に出さないし、口にもしない。そして何事もないかのように口を開く。

 

「だってこれ。もう決着はついているだろう?今更行っても僕の取り分はないと思うよ。骨折り損のくたびれ儲けさ。なら精々この勝ち戦をここから見物しておくさ」

 

 取り繕って紡がれた言葉は、しかし偽りなき事実であった。何千、あるいは一万に達するかも知れぬ魑魅魍魎共。今頃城内では生き残りの人間共をその微弱な抵抗を無視して我先にと食らいあっている事であろう。何なら同胞同士で獲物を巡って同族殺しと同族食いくらい起こっているかも知れない。今動いた所で入城した頃には肉片一つ残ってはいまい。行くだけ無駄足だ。

 

『勝利、勝利………か。君はこれが本当に勝利だと思うのかな?』

「?違うのかい?」

 

 敬愛する魔王の消沈したような言葉に鼬は訝るように首を傾げる。苦戦はしたものの人間共の立て籠る難攻不落の城は陥落した。他方での戦もまたその全てで此方が優勢だ。この遠方からでも数多の人間共の悲鳴が風に乗って聞こえて来る。城に引き籠っていた惨めな敗残者の断末魔、絶叫、阿鼻叫喚が子守唄のように心地好く鳴り続ける。これを輝かしい勝利の光景と言わずにどうするか?

 

『私は包囲しろと言ったんだよ。攻め落とせなどと一言も言ってはいない』

 

 そう呟いて王は再び溜め息を吐く。その態度が一層鼬枷を不思議に思わせた。  

 

「牛頭と馬頭の判断が不満で?」

『そうだね。折角念を押して包囲に留めるように忠告したんだ。彼らが城から討って出ないようにするだけで十分だとね』

「けど落城させられた方が良いだろう?」

 

 一歩進んで側に寄り、鼬枷は王を見上げながら尋ねる。確かに命令違反は困ったものだ。眼前の王が己の軍勢の統制にかなりの心血を注いでいる事も知っている。

 

 しかし妖というものは元来我欲の塊だ。本能に生きる存在だ。感情を優先する存在だ。獣以上に獣な畜生だ。凶妖ともなれば尚更だ。寧ろ無策に突っ込んだ訳ではない事を誉めるべきだろう。この城の抑えに残した二体の凶妖は人間の油断を突いて最小限の被害でもって城を陥れた。

 

「ましてや、あの二頭の率いる連中は強者揃いだ、遊兵にするのは前線の被害を思えば惜しいと思うのだけれど、どうだろう?」

 

 理路整然と鼬は嘯く。この名、この姿に己を固定して以来、妖怪は以前よりも遥かに理知的で安定した自己意識の確立に成功していた。

 

 紡いだ言葉、それはかつての己であれば到底口から出てきやしなかったであろう。きっと今頃は後先も考えずあの城に攻めいる獣の群れに乱入していた筈だ。きっと道中の味方を邪魔者扱いして吹き飛ばして踏み潰していただろう。そんな自分がこの場に留まり合理的な意見を口にしている事、その事実に鼬枷は内心で優越感に浸る。そして眼前の王の反応を窺う。期待する。

 

『………そうだね、確かにその考えは合理的だ。君も随分と理性的になったものだ。昔とは大違いだ。皆、もう少し君みたいに落ち着いてくれたら助かるのだけどね』

 

 限りなく神格に近付いた怪物の紡ぐ称賛の言葉は、しかし何処までも深い失望と絶望を滲ませていた事に鼬は妖というよりも獣に近い第六感で察する。

 

 何故?その疑念を抱くよりもその言葉は早かった。

 

『身を伏せなさい』

「?」

 

 鼬枷が訝しげに首を傾げたその直後の事だった。背後から強い光が溢れる。まるで日の出と見違えそうになるそれは、しかし時刻は未だに明朝からは程遠くて………。

 

「えっ?」

 

 殆ど条件反射的に咄嗟に振り向けば、遅れて押し寄せて来たのは轟音と衝撃波であった。地震と嵐が同時に来たようなそれに小さな身体が思わず吹き飛ばされそうになるのを地面にへばりついて辛うじて凌ぎ切る。

 

 舞い上がる粉塵、暫し遅れて根刮ぎ吹き飛んだ木々が雨のように降り頻る。混乱する中でよろけながら立ち上がった己はそれ見た。その光景を。

 

「なっ……な………?」

『この分では攻め手は全滅だね。霊脈を決壊させるとは、随分と思いきった事をするものだ』

 

 先程まで業火に包まれていた山城はそこにはなかった。何なら山そのものまでが崩壊していた。いっそ不細工に抉れた大地、そして屹立するのは灰褐色の雲だった。天に届かんとする大樹のような茸雲。それ以外の何も残っていない。何も、攻め手の幾千の魑魅魍魎すら、一体も。

 

『行こうか。直に汚染された粉塵が降って来る。私でも危ない』

 

 無感動に妖魔の総大将は嘯いた。人間のその行為を、味方ごと妖共を纏めて焼き尽くすその所業に一欠片の驚愕もせずに。

 

 今にして思えば分かる。王にとっては所詮はこれまでの延長上でしかなかったのだろう。人間がこれ迄自分達怪物を討ち取るためにどれだけ卑劣で卑怯な手段を用いて来たか。ただ、その規模を大きくしただけに過ぎないのだ。そして今なら分かる。王が何を憂いていたのかも、何を恐れていたのかも………。

 

 

 

 

 

 

 

「窮鼠猫を噛む、か」

「?」

 

 ふと溢した言葉に傍らに控える後輩が無表情のままに首を傾げた事を鼬枷は認める。思わず口元に自嘲に似た笑みを浮かべる。まるであの頃の鏡を見ているかのような気持ちに囚われた。彼の王もまたあの時己と同じ感想を抱いたのだろうか?

 

「いや、此方の話だよ。年寄りの懐古趣味だ、若者の君が気にする事はぁ、ないよ」

 

 己よりもずっと背が高く、それでいてずっと年下の新参者、可愛い後輩に向けて鼬枷が嘯いた。悪戯小僧のように陽気におどけながら。微妙に大きさの合わぬ衣服の両袖で口元を隠して。

 

 そして見据える。郷を。時刻は夜間、戌の刻限である。既に日は沈みきり、月の光だけが地上を照らす。あの時のように。

 

「ふふふ、暢気に御祭り騒ぎと来たものだ。まぁ、油断するのも仕方無いだろうけどね」

 

 遠目に見える郷村の光に鼬は意地悪に宣う。祭りの光だった。郷の中心、恐らく住民の殆どが結界を頼りに欠片も警戒する事なく集結している事であろう。それで良い。そういう風に場を整えてやったのだから。

 

 窮鼠は猫を噛む。ましてや人が追い詰められれば、追い詰めすぎたらどうなるかは言うまでもない。その事はあの日以降散々に思い知らされた。あの戦乱の日々でうんざりする程に骨身に染みた。

 

 だからこそのこの演出、危機が遠退き油断して、身構える事がなくなったその瞬間こそが狙い目だ。そして一度動き始めたら迅速に全てを終わらせねばならない。だらだらと続けてはならない。郷村は平らげる。徹底的に、根刮ぎに、骨の随までに、一人として逃がさない。死人に口無しである。決起に人間共が気付くのが遅ければ遅いだけ自分達には優位なのだ。

 

「あれ………」

「あぁ、来たね。これで最後の課題は解決だ」

 

 暗闇の中、後輩が指差して呟けば鼬枷は悠々と答える。何もないような山肌の、その一角からそれは現れる。堪え性のない妖猪が腹の中に収めていた裏切り者の人間が製作した卵獣。結界を突破して、社に向かう道程で吐き出したそれは卵である故に退魔士共の探知の目をも欺いて、そして孵化と共に魂に刻まれた己の役割に従った。

 

 醜い烏賊のようで、蜘蛛のようでもあり、奇形の百足のようにも見える異形は、その全身から分泌する粘ついた体液を以て地下通路の結界の要を腐蝕させた。

 

 無論結界の要自体も不浄を祓う呪いを掛けられていたが千年近くに渡って放置されたそれは嘗て程の強度はなく、何よりも怪物自体にその製作過程で痛覚の類いを排除していたために問題とはならなかった。己の手足……あるいは触手……が幾ら焼け爛れようとも気にもせずに触れ続け、抱き、そして溶かしきった。その証拠に異形は一目で分かる程に衰弱しており、そして……そのまま鼬枷の眼前で崩れるようにして倒れた。

 

 これもまた想定内、一定の時間が来れば自壊するように設計されていた。未だに痙攣する瀕死の怪物の横を特に感慨もなく通り過ぎる鼬枷。

 

「さて、と」

 

 一拍置いて、妖は通路の眼前まで来るとくるりと振り向いた。その子供染みた出で立ちもあって凶妖は大変機嫌が良さそうに見受けられた。

 

 いや、実際気分揚々であった。

 

「さぁ、諸君行こうか。開戦の狼煙を上げようじゃないか。雪辱を果たそう。思い出させよう。彼らに己の分を弁えさせよう。再び闇夜を恐れさせよう。そして……此度こそは、僕らの悲願を実現しよう」

 

 刹那、闇夜の中で無数の眼光が浮き上がり蠢いた。潜んでいた幾百、あるいは幾千の化物達は既に興奮仕切っていた。これから引き起こされる惨劇を、いや引き起こす地獄に思いを馳せ、喜び勇んでいた。

 

 しかして、怪物共はまだその衝動に突き動かされる事なく、獲物の直ぐ側にまで迫りつつも誰も唸る事も吠える事もない。自分達の存在を欺瞞するために。丹念に躾続けた結果の統制。それは嘗てのような手当たり次第かき集めた烏合の衆ではなく、より計画的に組織化され、訓練された『軍勢』。その出来映えに鼬はその口元を綻ばせる。残酷に、吊り上げる。

 

「ふふふ。良い子達だね。……さぁ進軍しろ」

 

 漸く下されたその命に従い、妖獣の群れは進む。音も立てずに、息を殺して、まるで夜襲をかけようと企む人の軍隊のように………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

『下人、来ましたよ。たった今地下道に侵入を開始した所です。忍び足で進軍していたので此方に来るまで半刻という所でしょうね』

「そうですか。偵察、有り難う御座います。では以降の行動については事前の計画通りに御願いします」

 

 傍らに控える蜂鳥から放たれるその抑揚のない事実の報告に、俺は礼を述べる。尤も、一応の礼節は込めてはいるが視線は合わせない。非礼だとは理解している。しかしながら今は手元の作業に集中せざるを得なかった。

 

 残念ながら俺は何処までいっても所詮は下人だ。それなりに修羅場を切り抜けた経験はあると自負している。装備だって有象無象と比べればかなり厚遇されている事だろう。しかし尚、それを以てしても地力の才能の差は埋め難いのがこの業界である。

 

 究極的には霊力と異能で全てが決まってしまうのが退魔の仕事である。幾ら経験を積もうが俺個人の技能と武勇では中妖を仕止めるのが精々、大妖相手となれば運次第、凶妖に至っては言わずもがなである。大妖以上について、まともな手段で殺せた経験は皆無だ。そして此度の化物共の数は………。

 

「確か千を越える可能性が?」

『少なくとも中妖が五十以上、大妖が五体以上です。凶妖らしい存在も確認しておりますよ』

「それはまた豪勢な事ですね」

 

 大半が有象無象の幼妖小妖とは言え数が数である。その上中妖大妖凶妖まで揃い踏みとは………これは詰んだな。

 

「いっそ、地下道そのものを破壊出来たら良かったんだがな………」

 

 要人脱出用に造られたためか、無駄に頑丈だったのが頂けない。腕力で俺より上手の入鹿ですら表面に傷をつけるのがやっとという有り様だった。………まぁ、中途半端に塞いでも掘り返されそうではあるが。

 

(本来の用途ではないが………念のために猿次郎に物を発注して正解だったな)

 

 俺は罠を仕掛けながら内心で苦笑する。元々は原作イベントの際に介入するかも知れないので揃えた代物である。実際は猪が前倒しで来やがったので備える時間もなかったが………備えあれば憂いなし、という事だな。

 

「さて、そういう訳だ。………入鹿、どうだ?行けるか?」

 

 そして俺は近場の木々の根元で凭れていたその人影に向けて問い掛ける。人型の、しかして全身を獣皮に覆われた半人半獣の半妖は此方を蒼い瞳で見つめる。

 

「あぁ、……休んだから、な。へへ、もう問題ねぇよ」

 

 ニヤリ、と笑みを浮かべる入鹿は、しかし額は汗でびっしょりになっていたし、声は明らかに震えていた。ぜいぜいと呼吸は激しい運動をした後のように小さく、荒い。

 

 それは限りなく妖に己を寄せた後遺症であった。無理矢理人の姿に戻ったものの、精神は汚染され、その肉体は負荷に疲弊していた。お陰様で郷に辿り着いた後凡そ一刻近くに渡ってこうして倒れたままに休息をせざるを得なかった。

 

 故にその発言は強がり以外の何物でもなかった。なかったが………俺はよろけながら立ち上がる入鹿を止める事はない。出来ない。そんな時間も余裕もなかった。元より俺も入鹿も、己に降りかかる運命については覚悟していた。………無論、だからと言って冷淡にもなれないのだが。

 

「………」

「………ははっ!おいおい、何だその態度はよ?辛気臭ぇな。……面越しでも渋柿食ったみてぇな顔してんのが分かるぞ、えぇ?」

 

 木の幹で己を支えてどうにか立ち上がる入鹿は、俺の視線に気付くと小馬鹿にするようにして嘯く。ひきつった不出来な笑みを浮かべる。

 

「そんな目で見るなよ。何せこの役目は俺じゃねぇと意味ねぇだろう?………安心しろよ、ここまで来たんだ。最後までやるさな」

 

 何処までも強がりにしか聞こえない台詞を吐いて入鹿はよろよろと歩き始める。

 

「……芝居が終わったら西に向かえ。恐らくは一番警戒が薄い方向だ」

 

 俺は入鹿にこの後の事について連絡する。俺はここを去る事は出来ない。しかし入鹿は別だった。

 

 飯の恩義はこれで帳消しだ。入鹿には俺と違い最後までここに居座る理由もない。逃げ切れるか分からない。しかし妹の恩人である。だから助言くらいはしてやる。後はこいつの運次第だ。

 

「……尻尾巻いて逃げろってか?はっ!どの道この体だぜ、逃げてどうなんだよ?」

 

 俺の提案に対して、己の妖気に侵食された体を一瞥して嘯く蝦夷。呆れたように鼻で笑う。

 

「死ぬよりはマシだろ。世の中、案外意地汚く生きていればどうにかなるものだぜ?」

 

 俺が良い例だ、と宣う。序でに都の吾妻を紹介しようかとも思ったが流石にそれは止めておく。性格的に少しの間くらいならば匿ってくれそうではあるが距離が遠過ぎるし都に行くのはこいつには危険過ぎた。

 

「……どの面下げての言葉だよ」

 

 俺の助言にそう吐き捨てて、それきり無言となった入鹿はのしりのしりとふらつきながらその場を去っていく。俺もまた彼女の背中を一瞥して、しかしそれ以上は何も言わなかった。これ以上お喋りをする時間はなかった。無言で作業を再開する。

 

『時間が惜しいですか?』

「………まだ飛び立っていないのですか?」

 

 肩に留まる気配、耳元での囁きに向けた俺の返答は決して適当ではなかった。質問に対して質問で返すのは性格が悪い証拠、ましてや相手方の話題を無視していた。

 

『貴方でしたらもう想像はついているでしょう。この一件、私は事前に事態を把握していました。その上で貴方に向けて沈黙していました』

 

 成る程、郷内で牡丹が接触しなかった理由はあの鬼の悪ふざけのせいか。最初は結界内に入れないだけかと思っていたが………言われてしまえば納得出来てしまうのが悔しい話である。

 

「俺も見立てが甘かったな」

『………恨み言の一つくらいならば聞きましょうか?』

 

 独り言は自然と口から溢れていた。傍らの式神は一瞬の沈黙の後、此方に向けて提案する。俺はそれに苦笑で返した。

 

「流石にそれは理不尽でしょう。今更の事です。気にはしませんよ」

 

 松重にとっては元来俺は駆除して当然の存在だ。それを目溢しされて協力までして貰っている立場である。ましてやあの理不尽で沸点の低い短絡碧鬼が横槍を入れていたとなれば責めるのは酷というものだ。誰だって自分の命は惜しい、当たり前だ。

 

『随分と割り切りが良いですね』

「割り切らないと世の中生き残れませんからね」

 

 慈悲も情けも余り期待出来ない世界である。理不尽に一々泣いている暇なぞなかった。

 

『……あの蝦夷にはああ言いましたが、この一件が落着したら貴方はどうするおつもりで?逃亡ですか?』

「さて、どうしましょうかね?呪いを背負ったままですし。そも生き残れるかも分かりません。目先すら真っ暗ですからね」

 

 自虐の笑みだった。自身でも無責任な事だと思う。これからだって危険なイベントは目白押しなのに、こんな所でリタイアになるのだから。しかし………例え破滅の先延ばしに過ぎないとは言え、妹の身を思えば妥協は出来なかった。それでは本末転倒だ。

 

『………いざとなれば此方の身も危ないです。その際には然るべき行動を行う事も覚悟しておいて下さい』

 

 つまりは口止めするぞ、という警告である。まぁ、これも想定内の話である。元より俺から接触したのだ、理不尽とは言えまい。何なら拷問されてゆっくり処断されるよりも有情かも知れない。やっぱり下人職ってブラックだわ。転職してぇ。

 

「了解です。……出来るだけ痛くしないでくれると助かります」

『ほざきなさい』

 

 呆れたように蜂鳥は羽ばたいていった。俺は肩を竦める。俺自身呆れてしまうよ。自己犠牲も滅びの美学も好きではないのだが。

 

「ははっ」

 

 思わず言語化出来ぬ感情に嘲笑が漏れる。自虐だった。自嘲だった。ある種の現実逃避………。

 

「………来たな」

 

 漏れる自嘲が止まったのはその音を聴いたためであった。未だ遠方からのその音は普通の人間には到底聞き取れなくて、しかし俺はその僅かな震動を、足音を察知する。軍勢の音、異形の隊列の行進………。

 

「急ぐか」

 

 集中している事もあるのだろうが………己の五感が人間離れしていっている事実に、俺は迫り来る戦いと破滅と同じくらいに焦燥せざるを得なかった。

 


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