和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件   作:鉄鋼怪人

98 / 181
 貫咲賢希さんよりファンアートを二点頂いたのでご紹介致します。
・前話後書紫ちゃん
https://www.pixiv.net/artworks/96963469

・鼬枷・狼夜
https://www.pixiv.net/artworks/97016022

 特に一枚目について、尿意と終わりなき戦いでもしていたら素敵だと思います。兄に助けられた瞬間に油断して尊厳が破壊されたらもっと素敵だと思います。
『私が破壊したわ』
 また第一二話、三五話に以前製作して頂けたファンアートを挿し絵として掲載しておりますので改めてご覧下さいませ


第八七話●

 誰得な分岐点隠しルートが豊富な原作「闇夜の蛍」において、主人公様の選ぶ装備、所謂退魔士としての技能、職業もまたエンディングを迎える上での重要な分岐点となる。

 

 最初の郷でのシナリオ第一部開始時点において、主人公様はランダムで刀術、槍術、弓術、拳術、棒術の何れかの装備と技能を有するが、これはまだシナリオ序盤なので後々のステータスにこそ影響すれどもエンディングには大した差異は発生しない。

 

 シナリオ第二部、つまり鬼月家に引き取られた後に改めて主人公様は装備と技能を選ぶ事になり、此こそがエンディングに分岐点をもたらす。装備と技能自体は後々変更は可能でも、此処での選択によって退魔士としての師に、ひいては作中イベントに変化が生まれて来るのだ。

 

 例えば弓術を選べば鬼月綾香との交流が増えて結果的に綾香がチェストバスターされる可能性が高まる。拳術を選べばゴリラ様や碧鬼に目を付けられるイベントが発生しやすくなり、式神術を選べば若造りババアに少しずつお薬を盛られ始めるし、左大臣に牝堕ちさせられ易くなる。登場人物皆殺しなダース・タマキルートに向かうには刀術の選択は必須だ。

 

 そう、特にこのゲームにおいて厄介なのは刀術である。多くのファンの検証を統合した結果、何故かこの技能をメインに選ぶと主人公様を襲う各種理不尽イベントが四割増となり、バッドエンディングの数も随一の数に上る事が判明していた。

 

 それだけでも刀術は敬遠するべき選択肢であっただろう。しかも今回のパターンは通常のルートに比べても飛び切り厄介で不穏に過ぎた。何せ………。

 

「一本!」

 

 俺の眼前で腹に響くような衝撃音と共に審判役の家人、宮水静が宣言する。一瞬遅れて空から落ちて来たのは根元から切り裂かれた木刀であった。

 

「あら、御免なさい。あんまり鋭い振りだったものだから少しやり過ぎちゃったわ」

 

 到底荒事に向かぬような十二単を着こんだ紫紺色の髪を蓄える貴婦人はニコリと微笑みながら謝罪する。……牛蒡を携えたまま。

 

「ま、参りました……」

 

 そして先程まで手合わせをしてもらっていた蛍夜環は暫し柄だけとなった木刀を唖然として見つめた後、恭しく一礼を以て負けを認めた。同時に道場内で観戦していた者達のどよめきが広がる。

 

 清麗帝の一三年霜月の下旬……北土の冬は深くなり始め、各地の村落や街は豪雪により次第に行き来が困難になる頃合い、谷に構えられる鬼月家の屋敷の一角に設けられた道場では鬼月家に属する退魔士に家人らが暇を潰すのを兼ねて互いの手合わせを勤しんでいた。

 

 冬はそもそも依頼が中々来ないのもあり退魔の仕事が激減する傾向にあり、また冬籠りともなれば実戦から遠ざかる関係上その各種技能の腕を維持すると共に余興とするためにこのような手合わせが開催されるのは珍しくはなかった。

 

 それでも屋敷の新参者である主人公様に関心ある者は少なくなく、道場で試合を観戦していた人影は普段よりも多かった。そしてその大部分が手合わせの様相に感嘆の溜息を吐いていた。

 

(それも当然だな。幾らハンデありで一瞬の事とは言え、あの気狂い夫人相手に本気を出させるとはな)

 

 偉そうな事を言わせて貰えば、木刀を振るっていた環の剣筋は俺から見てもかなり良い方であった。師匠役であった堅彦の指導が良かったのだろう、姫君の護身用というには随分と本格的で、実践的で、そこに霊力による身体強化を付与すればその動きは唯人の剣豪とも鍔迫り合える程の代物となっていた。

 

 そして、それを十二単姿に霊力で硬度を底上げした牛蒡であしらい、ましてや最後の一瞬に放った一撃で木刀を菓子のように打ち砕いたその女の剣技はそれ以上に見る者を瞠目させた。

 

 尤も、俺からしてみればそもそも彼女が此処に、鬼月家の屋敷にいる事が何よりも驚きであった。

 

 鬼月菫……旧姓を赤穂菫の名で知られるその女はその名の通りに西土の名門退魔一族赤穂家に名を連ねる鬼月葵の、ゴリラ様の母親に当たる人物であった。

 

 この親にしてこの子あり、という言い回しは、鬼月菫と葵、双方に向けて掛けられるべき言葉であっただろう。

 

 夫である鬼月幽牲為時を何処までも恋慕して、その愛のために彼女は己の娘が貶められる事を許容して、娘の身が醜い化物共に穢される事実を黙認した。

 

 そんなメインヒロインの一人の母親で、しかもこのゲームの登場人物らしい情欲に支配された狂人であるのだが………この女はゲーム本編には登場しない。それどころかノベル版、コミカライズ版、その他外伝においても奇妙な事に影と幾つかのエピソードで言及されるだけで詳しく描写はされていない。ただ、本編開始前に死没している事だけが分かっているだけだ。

 

 あるいは今後の飯の種として製作陣が温存していたネタであるのかも知れない。有り得そうな話であるが、残念ながらその真相は永久に闇の中であるし、考えるだけ無意味な話である。

 

 問題は彼女の今の立場である。

 

 原作ではとっくに死没していて、この世界線では死没こそしていないものの長年屋敷を空けていた彼女が当然のように舞い戻って来たのは今から一月も前の事。ましてやそんな女が主人公様の刀術の師に納まっている事実は俺を混乱させて、今後の方針を転換させるに十分過ぎた。

 

 ……畜生、何で主人公様刀術選んでるんだよ!?

 

 内心で一頻りに愚痴と罵倒を散々に吐き捨てて、精神を落ち着かせてから、漸く俺は現実を受け止める。うん、まぁどの道俺が干渉出来る内容ではなかったものな。諦めるよ。初っぱなから失敗したな………。

 

(………にしても、確かに記述にはあったが本当に牛蒡なのかよ)

 

 そして眼前の光景に意識を戻した俺は一礼して下がる夫人を一瞥すると、その腕に携えた得物に視線を向ける。

 

 確か外伝の記述によれば父親……赤穂の御隠居殿からその余りにも残虐で残忍な剣技、陰惨で外道な戦い方を糾弾されて、鬼月菫は刃物全般を手に取る事を呪いで禁じられたのだという。以来彼女の得物は刃物以外に限定されて、幾つかを試した後に選ばれたのが牛蒡(阿澄邦産)なのだとか。製作陣ネタに走ってんな。

 

 ………いやまぁ、その牛蒡で妖の軍勢を虐殺して見せてるので笑えないんだけどさ。

 

「あはは、負けちゃったよ。やっぱり菫様は強いね」

「私は気が気でありませんでした。あんな激しい動き………お怪我が無くて何よりでした」

 

 同じく手合わせを終えて感想を述べる環に観戦していた鈴音が心底不安そうにぼやく。文字通りに霊力を持たずましてや武術なぞ欠片も心得のない唯人からして見れば先程まで繰り広げられていた試合が手心一切無しの殺し合いに見えたらしい。無論、実際はそんな事はないのだが。

 

 菫が本気になれば恐らく今の環では数秒で惨殺されてしまうだろう。そして原作のシナリオを思えばこの世界のヤンデレ共はいざとなれば後先考えない衝動と本能で暴挙に出る連中ばかりなのだ。原作のゴリラ様との手合わせイベントでは事前の選択や友好度数次第で当然のように腹部貫通させられるので少しも油断出来なかった。正直先程の手合わせだって下手を打って主人公様が殺されぬか内心ひやひや物であった。

 

 つまり現段階では主人公様は夫人の不興を買っている可能性は低い。幸運だね。

 

(問題はいざと言う時の主人公様の身の安全が全く保証出来ねぇという事なんだよなぁ……)

 

 ゴリラ様や碧鬼同様に何処に地雷が埋まっているのか皆目見当つかぬ女である。それこそ己の娘すらも疎んで見捨てたような気狂いなのだ、環が下手な事を口にせぬか毎日胃に穴が開きそうな程に心配であった。……というか、それが怖かったので態態下人衆の教練の後に試合の様子を見に道場に顔を出している次第であった。

 

「あっ!伴……允職も試合を見に来ていたんだね?さっきの手合わせ、どうだったかな?」

 

 そして俺が一人そんな事を悩んでいると、ふと此方に駆け寄って来た主人公様から声をかけられる。

 

「んっ………?あー、宜しかったと思いますが?」

 

 咄嗟の事で、俺は思わずそんな生返事をしてしまっていた。同時に頬を膨らませて主人公様はあからさまに不満げな表情を浮かべた。

 

「むっ。その様子だと僕の試合、真剣に見ていなかったね?酷いなぁ、僕は必死に戦っていたのに」

「えっ、えっと……も、申し訳御座いません」

 

 ご機嫌斜めな環に向けて俺は素直に頭を下げて謝罪する。お前の命の心配してたんだよ、等と言っても困惑するだけだろうからな。

 

「姫様、余り人前でそのように親し気に声を掛けるのは………」

『私から盗むな』

 そして傍らに控える鈴音が環の行いを咎めた。咎めながら彼女が周囲を観察する。幸い大半の群衆は次の手合わせの様子に注目するか菫の元に足を運んで助言や世間話に意識を向けている。向けているが……幾人かは環の行動に疑念を向けるような視線を向けていた。

 

「……女中殿の仰る通りです。允職等と大層な立場とは言え下人は所詮下人、犬畜生と同類でありますればそれ相応の態度で接して頂きとう御座います」

『そうよ、貴方の友達は私だけで良いの』

 小さく頭を下げたままで囁くような俺の忠告に、主人公様は苦い表情を浮かべる。

 

「けど……允職。僕は君に恩があるんだよ?そんな酷い扱い出来ないよ?」

 

 環からすれば郷での一件で俺に対して借りがあると認識しているらしい。流石主人公様らしい仁義と信義に満ちた性格だ。普通の貴人であれば下の者が己のためにどうなろうと気にもしないだろうに。……尤も、そんな性格のせいで原作でこいつは酷い目に遭いまくるんだけど。

 

「さすれば猶更お願い致します。事を荒立てては姫様だけでなく私にも嫌疑が掛けられます。郷に入っては郷に従えと言います。どうぞご自重下さいませ」

『自重しろ』

 本音であった。先日の一件は表向き終わった案件だが所詮は表向きでは、である。下手すれば再調査で頭の中の記憶を強制的に抜かれて廃人にされかねない。悪目立ちはしたくない。

 

「……酷いよ。子供の頃に何か失態があったんだっけ?だからってこんな、皆でよってたかって……」

「姫様、それ以上は。入鹿の事もあります」

「っ……!?」

 

 鬼月家の行いを批判しようとした環を再度鈴音が忍び声で諫める。鬼月家に預けられ、罪科の目溢しまでされている立場なのだ。不満を口にする訳にはいかない。環もその事は理解しているので鈴音の指摘に悔し気に表情を歪める。

 

「御免。僕って直ぐにこんなのだから……助け舟も出せなくて」

「いえ、感謝致します。他者のために怒る事が出来るのは一つの美点です。そう卑下なさらないで下さいませ」

 

 いや、本当冗談抜きで頼むよ。お前の黄金の輝きで地雷を纏めて百合の道に堕としてくれや。ハッピーエンドのために人柱になってお願いします。

 

「そ、そうかい……。余りそんな素直に褒められると照れるな」

『調子に乗るな』

 俺の応答にはにかむようにして主人公様は苦笑した。尤も、それはブーメランだ。お前の方が不用意な台詞で女共を口説きまくるんだろ、俺は詳しいんだ。

 

「……姫様。そろそろ」

「あ、うん。そうだね。伴部君にも迷惑だよね。……じゃあね?」

 

 周囲を窺っていた鈴音は菫が視線を向けている事に気付くと主人に促す。環は複雑な笑みを浮かべると俺に去り際の挨拶を述べて菫達の元へと足を運ぶ。その様子を暫し見守り、特に鈴音が立ち去る姿を名残惜しく見守って………刹那、俺は懐の短刀を握りしめながら背後から迫る気配に向けて振り向いていた。

 

「何用だ?冗談なら止めて欲しいな。咄嗟に骨を折ってしまいかねないぞ?」

 

 背後に迫っていた数人の雑人に隠行衆を面越しに睨む。俺の警告が効いたのか足を止める彼らは、しかし敵意は隠さない。あからさまに厄介事になりそうな気配しかなかった。

 

「咄嗟に、か。それで儂の部下共も打ちのめしたのかの?」

「っ、隠行衆頭殿」

 

 そして彼らの背後からのしのしと豪奢な衣服を着こみ脂肪を揺らして現れたぶ……ではなくて鬼月宇右衛門が現れれば俺は面の下の顔をしかめる。つい数日前に予定されていた討伐を終えて屋敷に帰還したこの男が此方を監視していたのは分かっていた。分かっていたが……ここで迫るか。

 

「頭が高いな。礼儀作法も知らぬか?出来の悪い主に躾けてやった儂の苦労は無駄であったかの?」

「………」

 

 嘲るような宇右衛門の物言い、しかし俺はそれに反論する訳にもいかず言われるがままに膝を屈して頭を下げる。右衛門の背後から嘲笑が漏れる。

 

「如何なる御用件でありましょうか?」

「ふん。知れた事よ。己の立場に自惚れた身の程知らずに忠告をせねばならんと思ってな」

 

 荒い鼻息を上げて、右衛門は俺の目と鼻の先まで迫る。おい止めろ、汗臭い。

 

「忠告、ですか?」

「そうであろう?随分と口が上手いものであるからな。雛に葵、次はあの蛍夜の姫殿に唾をつけているのかの?賤しい下人の分際で節操のない事よの?」

『私だけ居たら良い』

 蔑むような口調で宇右衛門は宣う。あ、せめてゴリラ様は抜いて下さい。少なくともアレは俺を駒か玩具としか思っていないんで。

 

「………」

 

 尤も、そんな本音は口に出さない。というか雛とゴリラ様の話題は非常にデリケートなのだ。不用意な言葉は致命傷になりかねない。

 

「沈黙か。そうよな、貴様の立場ではそれが正解であろうな。相も変わらず小狡い男よ、次は何を企んでいる事やら……油断も隙もないわ」

『だけど逃がさない』

 油断したらゴリラ様か鬼にお腹貫通させられるからね、仕方ないね。

 

「お主、何処までお……」

「あらあら、探しましたよ隠行衆頭殿?」

『ごりらが来た』

 宇右衛門の口にした言葉は途中で遮られる。俺と宇右衛門と、宇右衛門の背後に控えていた雑人隠行衆は全員がその声音に向けて視線を向ける。向けざるを得なかった。それ程までにその声は存在感を纏っていたからだ。あるいはそれも言霊術の一種であったやも知れない。

 

「……何の用じゃ。葵よ」

『何の用だ』

 あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべる宇右衛門。その視線の先で君臨する桜の姫君は不敵な笑みを浮かべてくすくすと笑う。それに連動するように豊かな双球が何枚も重ね着した装束ごと揺れるが、今の剣呑な空気の中でそれに視線を奪われる者は流石に俺含めて皆無であった。

 

「随分とご不興のようですわね、叔父上。けれど余りそんな態度をしていては円満な家庭には害悪ですわよ?」

「余計な節介よ。どうでも良い話をするでないわ。迂遠な事なぞ言わずに用件を……」

 

 そこまで口にして、宇右衛門は口が止まる。口が止まり思わず息を呑む。それも止むを得ない事であった。葵の背後より現れた小柄な人影からの不安そうな眼を目にすれば。

 

「義叔母様、それでは私は場の空気も読めぬお節介者のようですわ。素直に退散致しましょう。……貴方はとっとと来なさい。夫婦の間の邪魔をするでないわ」

「うおっ……!?」

『お前が邪魔だ』

 凶妖の奇襲を受けた時のように動揺する宇右衛門も、無防備のままに妖群と相対した時のように不安に満ちる小鼓姫も放置してゴリラ様が扇子でくいっと手招きすれば俺の身体の支配権はあっという間に奪われてその彼女の元へと足を進める。

 

「おい、何を勝手に……!」

「夫婦水入らずと申しますでしょう?どうぞ気兼ねなくお話ししていて下さいな」

 

 葵の冷笑を含んだ言葉に呻き声を上げる宇右衛門。俺は首を動かす事すら出来ずに悠然とその場を去るゴリラ様の後ろに付いて行く事しか出来なかった。

 

「ひ、姫様……!?」

「お黙りなさい。悪目立ちして縛り首になりたいのかしら?結界の領域を抜けたらさっさと牛車に乗るわよ」

「っ!?」

 

 そして俺は今更になって気が付いた。先程から試合の歓声も鍔迫り合いの音もしない事に。視線を向ける。相変わらず試合は行われていた。いつの間にか試合は菫相手に複数人の退魔士が挑みかかるものへとなっていて、槍と刀が激しく牛蒡とぶつかり合う。恐らくは轟音が鳴り響いているであろうに、しかし俺の位置からは完全な静寂しか届かなかった。

 

(双方向から音を遮断する類の結界か!それも気づかれぬ内に……相変わらず化け物かよ!)

 

 退魔士三人相手に牛蒡で手加減しながら接戦する母親も化け物なら、宇右衛門含めた全員に気付かれずに結界の内に引き込むなぞその娘も同じく化け物だった。

 

 恐らく結界の境界を越えた瞬間に突如として喧騒と金切り音が響き渡り始めた。同時に道場の出入り口にまで俺達は辿り着いていた。門前には牛車が停車していて傍らには白が控えていた。俺の姿を見て小さく笑顔を見せた後ゴリラ様を見て慌てて頭を下げる。

 

「さぁ、帰るとするわよ。貴方も余り追及されたくはないでしょう?」

 

 ゴリラ様の言葉に俺は一切反論出来なかった。ただただ彼女と白に続いて牛車に乗り込むだけである。

 

「………」

 

 そして、牛車の扉が閉まる直前、俺は一瞬それを目撃した。鬼月の退魔士ら相手に舞うように打ち合う夫人が此方を見ていた事を。

 

 意味深げに俺達を観察していたその視線を…………。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

「ふふふ、傑作よね。あの汗と脂を染み出した守銭奴で仏頂面の叔父が、小娘一人にあの狼狽えよう!猿楽や狂言を見るよりも愉快だわ!」

『人の事言える?』

『迷い家』と化している故に拡張された牛車内部の空間、その上座に鎮座して脇息に凭れたゴリラ様は鈴の転がるような声音で実の叔父を嘲笑う。

 

 話によれば毎年この時期に鬼月谷に訪れる屋敷売りの反物商がいるのだと言う。そして此度その商人が売り付けに来た布地というものが、これまた近頃橘商会による事業が活発になっているが故に北土各地の、その上に都や舶来から仕入れた物もありと例年よりも実に豪勢で絢爛な品揃えであったのだとか。

 

 鬼月の女達が各々に気に入った品を買い付ける中、しかし小鼓姫は一人あれかこれかと悩んでいたという。値段もさることながら、己に似合う生地があるのかと困り果て、そこに偶然側にいたゴリラ様に尋ねたのだとか。

 

「随分と悩んでいたようだから、手っ取り早く夫の所に連れていって上げたのよ。私に聞くよりも見せる相手に問うべきだもの。でしょう?」

「はぁ………」

 

 別に聞いてもいないのにあの場に彼女が現れた経緯を愉快に述べていくゴリラ様。そして、そんな困惑する俺の内心を見透かしてか、彼女は肩を竦めると俺に向けて命じる。

 

「あの新入りの家人らと話でもしたいのなら此方に招く事ね。あの豚の尋問を何度も受けたくはないでしょう?」

『勝手に決めるな』

 それは、つまりは次は助けぬぞという警告であった。俺はそれを理解して重苦しく頷き……そして、確認する。

 

「はっ、しかし………宜しいのでしょうか?」

「何がかしら?」

「姫様は余り信用のおけぬ者を側に置く事を厭うと考えていたものでありますので」

 

 原作もこの世界でも、ゴリラ様は周囲に極端に人を置く事がない。ましてや己の対の敷地に招くなぞ………まぁ、実の親から受けた仕打ちを思えば当然であるが、だからこそその発言に俺は疑念を抱かずにはいられない。

 

「弱味のある人間は安心出来るわ。いざという時に何を押さえておけば良いのか分かるのだもの」

「それは………」

『性格悪い』

 嗜虐的な笑みを浮かべるゴリラ様に俺は思わず顔をしかめていた。いや、ゴリラ様の言も一理あるのは事実ではあるが………。

 

「えっ……うおっ?」

 

 直後、俺の身体は再び引き寄せられる。それは先程のような言霊術ではなくて、実体がある何かに捕らえられてのものであった。あのカメレオンかっ……!!

 

「っ……痛っ!?」

 

 叩きつけられるように床に下ろされた俺は尻餅をついて、その床が畳である事に気付くと咄嗟に俺は前方を振り向こうとして……俺は胸元を押されて半ば押し倒される。そして見上げる。俺の胸元に触れたままに見下す傲慢な姫君を。

 

「ふふふ、他人事みたいな反応をしないで欲しいわね?今の貴方だって私と一蓮托生なのを忘れていないかしら?わたしが失脚したらどうなるか、分からない程に愚かでもないでしょう?」

『彼に触れるな』

 高慢に見下して、彼女はその細い白魚のような腕でもって俺の装束をひん剥く。ひん剥いて晒し出した胸板を指で撫でて行き、ある場所で止めるとぐいっと押しこむ。その皮膚の下の感触を感じながら心底愉快そうに宣うゴリラ様であった。

 

 人皮の下の、怪物の感触を感じ取りながら嗤う。

 

「で、ですが………」

 

 其処まで呟いて、しかしそれ以上の言葉を口にせずに俺は突きつけられる厳しい現実に苦虫を噛む。ゴリラ様の言わんとする事は俺だって重々承知していた。

 

 ゴリラ様派と見られている俺の後ろ盾が消えてしまえばこれまでの一連の案件からして俺の身は間違いなく詰むだろう。直ぐに拘束されて、頭の中の記憶を根刮ぎ掘り返されて、廃人となった後には各種の実験材料として使い潰されるのがオチだった。いや、肉体だけならばまだ良い。最悪は魂だって………。

 

「………!」

 

 改めてその事実を認識した瞬間に小さく身体が震えて、全身に鳥肌が立ったのは装束を剥がされての肌寒さだけでは絶対になかった。視線に気付いてゴリラ様の表情を窺う。俺の怯えに気付いたかのようなクスクスと響く微笑。

 

「ですが……何かしら?続けなさいな」

『彼を虐めるな』

 いたぶるような物言いで俺に問いかけるゴリラ様。何ともまぁ愉快そうにお笑いになるものである。圧力が半端ないな。

 

 俺はゴリラ様の威圧に怖じ気づくが、それでも恐怖を圧し殺して、ゆっくりと言葉を紡いでいく。諌めの言葉をかける。

 

「し、承知しております。ですが………余りに、他人の恨みを買う行いは……避けるべきかと」

 

 必死の思いで其処まで口にして、しかし俺は己の発言が身勝手なものであると気が付いた。全てが全てとは言わぬし、他にも穏当な方法がある中での行いとは言え、彼女が恨みを買う理由の幾分かは俺に向けたフォローも含まれているのだ。打算込みでの庇いだてであっても俺の発言は傲慢に過ぎた。完全に薮蛇だった。

 

「し、失礼致しました。浅慮な言葉を申しました。どうぞご容赦を下さいませ………!」

 

 慌てて、恐縮して俺は謝罪する。原作よりは温厚になっているとは言え下手したら俺の命はない。緊張しながら俺は媚びて詫びる。

 

 沈黙が場を支配する。額に汗をびっしょりと流して、俺は目蓋を閉じて、沙汰を待つ。

 

 ………何時までも、何も起きない。

 

「………?」

 

 流石に五十数えた時間を経ても何も反応がない事が奇妙に思えて、俺はゆっくりと目を開く。そしてゴリラ様の顔を見上げようとして………。

 

「うきゃっ!?」

「ふがっ!!?」

 

 眼前に迫る白尾に唖然としている内に俺はそれを顔面に食らって後ろに倒れる。幸い背後が畳であった故に頭部強打こそしなかったが、しかし俺の顔面に何かふさふさとした重い物が覆い被さっていた。

 

「な、何だ……?」

「ひひゃいん!!?」

「うおっ!!?」

 

 思わずそれを掴んだ瞬間に矯声。そしてバタバタと暴れる白い何かが俺の顔面を叩く。同時に俺は己の上半身に乗っかっている物が何なのかを、いや何者なのかを理解した。

 

「し、白………!!?」

「と、伴部さん!?す、すみません!!今どきま……うふぅん!!?」

 

 臀部と尻尾を俺の頭部に乗せていた白は顔を真っ赤にして慌てて退こうとして、俺が咄嗟に尻尾を握り締めた事で再び奇声を上げて尻尾を暴走させる。俺の顔面が再び白いふわふわにビンタされる。その衝撃で面が少しズレた。どうやらゴリラ様は己の傍らに控えていた白狐を俺に投げつけたらしかった。

 

「うふふふ、何を道化染みた事をしているのかしらね」

 

 その小鳥の囀りのような声に視線を向ければ脇息に戻って頬杖しているゴリラ様が俺達の醜態を高見の見物していた。

 

「ひ、姫様……!?」

「人の心配より自分の心配をしておく事ね。そんなのだから貴方は何時も見積りが甘い行動をする羽目になるのよ?心に留めて置きなさいな」

 

 いつの間にか牛車は停まっていた。開かれる簾から悠然と彼女が降りていく。そんな後ろ姿を見送りながら俺は舌打ちする。全く、相変わらずの傍若無人である。

 

「ううぅ……と、伴部さん。だ、大丈夫ですか?えっと、顔面にぶつかってすみません」

 

 俺の上から退いて尻尾を抱き締め優しく撫で回しながら白は尋ねる。俺はズレた面を直してからそれに答える。

 

「ん?いや、鍛えているからな。流石にこの程度で怪我はしないさ。………お前こそ大丈夫だったか?」

 

 狸様に掛けられた呪いの効果を思えば恐らく問題はないだろうが、一応聞いておく。

 

「わ、私も大丈夫です。姫様の投げ方も強くはなかったので………」

「そいつは結構だな」

 

 そもそも本気で投げられたら俺と白は肉団子になっているだろう。

 

「全く、扱いが雑で困るものだな。お前も大変だろう?側仕えなんて」

 

 一日中傍らであの気分屋の相手なんてブラック過ぎる。

 

「あははは………」

 

 俺の問い掛けに白は苦笑いで答えた。明確な返答をしないという事は、そういう事である。

 

「勤め中よ、仕事の愚痴はその辺りにしなさいな。さっさと出なさい。……それとも、今夜は車宿で過ごすのが御好みなのかしら?」

 

 そんな雑談をしていれば簾から身を乗り出してゴリラ様が警告する。冷たい声音であった。俺と白はびくりと震えると互いに顔を見合わせて、慌てて牛車から降車していた………。

 

『彼は私のだ………』

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

「今日は大根汁か」

 

 ゴリラ様から借りた小屋の炊事場で煮込まれる鍋を見て、その香りに俺は今日の主菜を当てて見せる。息を吹き掛けて竈の火加減をしていた孫六は額に汗を流しながら此方を向くと俺の答えを肯定する。

 

「へい。麦飯には葉の方を混ぜて炊きました。後胡麻油で人参は玉子と和えました」

「それは美味そうだな」

 

 にこやかに本日の夕食の献立を伝える孫六に俺もまた愉快げに答える。こんな糞みたいな世界である。食事は貴重な娯楽であり、文字通りの生きる糧であった。

 

「ん?遅かったじゃねぇかよ允職殿よ。道草か?」

 

 通り庭から草履を脱いで板の間に上がると部屋の奥からそんな声を掛けられる。俺はその声の先を見るとジト目で逆質問する。

 

「お前こそ、孫六が飯作っている時に遊んでいるとは良い身分な事だな、えぇ?」

「俺は客分なんでね」

 

 部屋の奥で円座で胡座をかいて囲碁に興じていた狼女は俺の指摘に何処吹く風であった。下人衆の教練を終えた後、入鹿は一足先にこの小屋に帰宅すると孫六の手伝いもせずに遊び耽っていた。……いや、飯の手伝いさせたら摘み食いするんだけどな?

 

「あ……お帰りなさいませ、伴部様。申し訳御座いません。今、お着替えの御用意を………」

「あぁ、気にするな。それくらい自分でやるさ。お前はそいつの面倒でも見てやってくれよ」

 

 そしてそんな入鹿の対戦相手をしてくれていた毬が俺の帰宅に慌てて動こうとするのを、俺は制止する。

 

「ですが………」

「意識逸らすなよ?ほれ、そいつ碁石の位置変更しようとしてるぞ?」

「えっ!?」

「おい、てめぇバラすなよ!?」

 

 どうやらかなり劣勢だったらしく、目の見えぬ毬相手にイカサマしようとしていたのを俺は暴露してやると、毬も目を瞑ったまま入鹿に向けて顔をしかめた。

 

「入鹿さん、確かに私は盲目の木偶ですけれど、どさくさ紛れにそのような卑怯な行いをするのはお止め下さい。流石にみっともありませんよ?」

「ははは、悪い悪い。つい出来心でな?お前マジ強いよなぁ?」

 

 毬の非難に入鹿は苦笑いを浮かべて渋々と謝罪する。最初の内は花札や歌留多等で毬に挑んでいたがその記憶力もあってか直ぐにイカサマもバレてボロボロにされてしまった入鹿は、最近は囲碁等他の遊戯で彼女に挑んでいた。いたのだが………予想通り勝率は宜しくないようであった。

 

「全く、賭け事でもない遊びで大人げないものだな」

 

 怒る毬にたじたじになって謝罪する入鹿を鼻で笑って、俺は装束を脱ぐと白湯に浸した布で汗や汚れを拭き取る。そして孫六が用意していた着替えを着込んだ所で、肩にそれが止まる。

 

『御苦労様です、下人。………どうやら、今日の所は問題は無さそうですね』

 

 肩に止まったまま不躾に此方を観察する蜂鳥は、何度も何度も俺の身体をじっくりと見つめて、今日の所はまだ人間である事を確認する。

 

「それは幸いですね。……夕食前に蜘蛛の奴にも飯が必要だな」

 

 一瞬、囲碁に集中している毬達を見て、俺は隠行する蜂鳥と共に隣の物置部屋に向かう。障子を閉めて、俺は鍵を掛けている唐櫃を解錠するとそれを取り出す。

 

『(ノ≧∀≦)ノパパー!!(。>д<)アベシ!?』

 

 特級の呪具の如き数の封符が貼り付けられた虫籠を開帳すると同時にそいつが俺の顔面に飛び込んで来たので、張り付いて来る前に掌でそれを遮る。掌に正面から激突して昏倒した所を、そのまま腹を摘まんで吊り下げるようにした俺はその並んだ複眼の目を覗きこむ。

 

『(;∀; )イタカッターヨ?』

 

 うるうると此方を見つめて訴える白蜘蛛。いやだから、お前のその顔文字ってもしかして権能なの?

 

『さっさと吸血を終えた方が良いですよ。その阿呆に付き合うだけ無駄です』

「同感ですね」

 

 肩で呆れ返る蜂鳥に全面的に賛成し、俺は随分と肥太った白蜘蛛を手首に乗せる。蜘蛛は暫く手首周辺を探るようにさ迷うが………その内の一角で足を止めると、暫しジーッとして、直後にその小さく鋭い牙を俺に向けて突き立てる。

 

「……っ!」

『( ゚Д゚)ウマー』

 

 俺は手首に走る鈍い痛みに表情を歪める。翻ってチューチューとご機嫌に人の手首に吸血してくる白蜘蛛。呑気に吸い立てるその表情に腹が立つが、遅れてやってくる己の内に宿るおぞましい『何か』が失われていく感覚を実感すると不本意ながらも安堵する。

 

 同時に繋がった縁から俺は眼前の蜘蛛の内に眠るその神力が肥大化していっている感覚に、厳しい現実を突きつけられて気が重くなる。

 

「所詮は時間稼ぎか………」

『とは言え、目先の破滅を引き伸ばすためには必要な事ですよ。手立てが見つかるまでは致し方ありません。いっそ、自決しますか?』

「それで終わるならまだ良いかも知れませんがね」

 

 その後に内に眠る妖母様や蜘蛛がどうなるか、知れたものではないのが怖い所であった。

 

「……こんな所か。ほれ、飯は終わりだぞ」

『(ノ´Д`)ノエー、ゴハンー……』

 

 食い足りなさそうな蜘蛛を手首から引き離して、塵をゴミ箱に捨てるように虫籠に放り込んで再度封印する。虫籠の柵の隙間から『(o;д;)oワタシハオネエチャンナノニ!』と潤んだ瞳で此方を見つめて来るが気にせず唐櫃の中に押し込んで、更に鍵を掛けて封じる。というか妹は誰だよ?

 

「はぁ」

 

 嫌な餌やりを終えて嘆息、気分を取り戻して隣の部屋に戻ると食欲をそそる香りが鼻腔を擽った。夕食の準備が整い始めていた。

 

 膳は四人分、孫六が其々の椀に飯をよそっていく。入鹿だけは自分の物は自分でよそうがそれは大盛にするためだ。孫六は余り良い顔はしないが俺はもう諦めた。随分とまぁ図太い神経な事である。

 

「ん、白湯は俺が注ぐか。毬、熱いから気を付けろよ?」

「はい、有り難う御座います」

 

 急須から其々の湯呑みに白湯を注いで膳に置く。目の見えない毬には特に溢さないように量を少な目にして、火傷しないように冷ましておく。警告もしておいた。

 

 給仕を終えて、囲炉裏を囲むようにして全員が座るのを確認した後に号令と共に夕飯に手を伸ばした。食べながら世間話に興じる。

 

「にしても、今年は中々畑の出来が悪くて困りますよ。良く食べるお人が一人増えましたし、不足分を買い付けようにも値上がりしていますんで世話代だけでは足りませんよ」

 

 不満げに入鹿を横目に見て孫六は愚痴る。入鹿が転がりこんだ分、追加の費用が支給されているが、物価の上昇もあって台所を預かる孫六からすれば悩みは絶えないようであった。

 

「そうか。困ったものだな」

 

 軽くその愚痴に頷く俺だが、その理由に察しがついていた。原作シナリオの序盤、未だ影響は限定的。しかし………ここから少しずつ敵役連中の暗躍謀略は激しさを増していく。農業の不振や街道での妖被害の増加による物価上昇はその前振りでしかない。ルート次第では大飢饉に買い占め、疫病の流行で大量の亡者の山が築かれる事になる。僅か一、二年で邦単位で人々が死滅していく………。

 

(さて、何処まで介入出来るかね………?)

 

 主人公様に同行するだけでは戦術的には兎も角、戦略レベルで仕掛けて来る化物共に何処まで対応出来るか………だから空亡様、皆がアクションRPGしてるのに一人だけハーツオブアイアンしないでくれる?

 

「…………」

 

 無言で大根汁を啜る。そして小さく溜め息。改めて思う。よりによって何でこんな世界に転生してしまったのか。どうせなら学園物ギャルゲー……最大限譲歩してもせめて世界単位でバッドエンドするような作品は止めて欲しいものだった。

 

「おいおい、景気の悪い溜め息だなぁ。俺は無駄飯食い扱いするのかよ?だから賭け事で稼いでやるって言ったのによ?」

「んなもので稼ぐな。刃傷沙汰になるわ」

 

 いつの間にか二杯目の飯をがっついていた入鹿の言に突っ込む。騒ぎになったら此方まで流れ弾が来るだろうが。

 

「お前さん、狩りが出来るんだろう?小物で良いから獲物でも捕まえて来いよ。環様が言ってたぞ?」

「げ、あいつ要らん事を………」

 

 蛍夜郷では熊を仕止めた事もあると聞いていた。同じ事したら見直してやるよ。

 

「ちっ、簡単に言ってくれるぜ」

 

 舌打ちして憮然と漬物を齧る入鹿を俺は鼻で笑って白湯を呷る。

 

(何にせよ、今は目先のイベントだな。次の任務は………原作から想定するに、一番可能性が高いのはなまはげか山姥か)

 

 原作シナリオにおいて蛍夜環が鬼月家に保護されて一月程して、それは始まる。主人公様の相対する最初の任務。それは本来練習がてらの容易な任務となる筈で、しかしながら製作陣の悪意によってそれは危険なものへと成り果てる。

 

 そして刀術を選択したとなればなまはげと山姥、この二つのどちらかが選ばれる可能性が高かろう。どちらも陰惨でグロシーン満載な鬱ストーリーとなるが………さてさて、どうなる事か。

 

「兄貴、御代わりはいりますか?」

 

 ふと傍らで孫六からそう声をかけられる。視線を向ける。気づけば大根汁の椀が空になっていた。

 

「あぁ。そうだな。貰おうか。そちらも遠慮せずに食えよ?調理したのはお前だからな?」

「へい。では御厚意に甘えて」

 

 苦笑いしながら孫六は俺と共に自身の椀にも汁を注いで行く。肉体労働しているのだ、孫六だって腹が減るだろう。

 

「だそうだ。毬、てめぇも食えよな?成長期に食わねぇと背が伸びねぇぜ?」

「内容は同意するがよ………」

 

 毬の椀に飯を追加でよそい、序でに当然のように自分にも盛る入鹿に俺は非難の視線を向ける。向けるが、それ以上の文句を言うのは止めておく。毬が遠慮してしまうだろうから。

 

「兄貴」

「んっ」

 

 湯気の立つ大根汁を受け取った俺はその水面を一瞥する。仏頂面な己の顔を見る。

 

 そして、ちらりと部屋を見渡す。部屋に同席する皆を見る。遠慮しがちに苦笑する毬に、そんな彼女にゲラゲラと笑いながら飯を盛る入鹿、孫六がふうふうと汁を冷ましていて、部屋の隅では隠行する蜂鳥が呆れたように視線を向けていた。隣の部屋から『(*゚∀゚)ワタシハミンナノアイドルナノ!!』とか謎の電波を受信したのは忘れておく。

 

(何ともまぁ、騒がしくなったものだな)

 

 出世して、それ故に雑居する仲間達と引き離された時は少し寂寥感を覚えたものだが、これでは逆に………。

 

(………まぁ、これはこれで悪くはないか)

 

 脳裏に浮かぶのは故郷の家族との思い出で、騒がしくて直ぐに食い物を奪い合う弟妹達で、俺は自然と口元を緩めていた。

 

 これから辛い日々が続くだろう、しかし………それが現実逃避に近いとしても今はそんな未来を忘れてこの一時を楽しみたかった。

『私は貴方さえいたら良い』

 今一度、椀の水面を見る。あやふやに見える俺の顔は、しかし確かに先程よりも緩んでいた。

 

 呑気なものだ、そんな事を思って苦笑して、俺は椀に口を付けるのだった………。

 

 

 

 

「ふふふ。下人、喜びなさい!先程貴方にも任が下りましたよ!私と新しい家人によるなまはげ監視に同行を許可します!精々足手纏いにならぬように励む事です!!!!」

 

 いきなり部屋に上がり込んで仁王立ちする紫阿呆毛がふんぞり返ってそう宣言した。

 

「…………」

 

 静寂に包まれる室内で、俺は無言で椀を膳に戻す。そして先程の発言の意味を咀嚼して、理解して、認めて…………あぁ。今回はそう言うパターンなのね?

 

「はあああぁぁぁぁぁぁ…………」

「何ですか、その深すぎる溜め息はぁぁぁぁ!!?」

 

 室内に、殆ど泣き声に近い悲鳴が木霊するのだった…………。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。