学生時代は、貴重な時間だって私だって分かってる。だから、無為になんて過ごしたくないし、意味のあるものにしたいし、私は、私の選んだ時間を過ごしたいのに。
親が決めたもの。周りが決めたもの。そんなの、本当に、くだらない。
だけど、私に抗う力はない。悶々と考え、そして受け入れるしかない。
これはただの負け戦なんだ。そう思った時、この世界はとてつもなくつまらないものになった。
だけど、もし、抗えるなら。
もし、この気持ちをぶつけても許されるなら。
もし、この気持ちをぶつけることに勇気を持てるなら。
まだ、この世界に光はあるのかもしれない。
なんて、私自身のちっぽけな人生に、そんな壮大な物語を付け加えてみたくなる。
これは、そういう話なんだと思う。
成人式に、行きたくない。母にそう言うと「せっかくなんだからちゃんと着付けていきなさいよ、一生に一度なんだから」と、聞く耳すら持ってもらえなかったのは三カ月前のこと。昔からの慣習で、こうして晴れ着と呼ばれるものを着ること自体にも抵抗があった。それに、親の都合で高校進学に際して県をまたいだ私にとって、中学までの同級生のいないこの地で成人式に出たところで、誰に会うというのか、知らないし知るつもりもない。なのに、祖母は「知り合いのスタイリストさん抑えたからね」と言い、叔母は「これを機に貴女にもいい相手が見つかるといいわね」とか、それに「そんなタイミングじゃなくてもきっといい相手が現れるから」とフォローになってない言葉をかぶせる父がいる。そういうのにうんざりして、しばらく部屋と学校を往復する日々が続いた。
誰も、私の成人式だって分かってない。そもそも、私は成人式なんてどうでもいいし、成人になるかならないかは十八歳になったかどうかであって、成人の日を迎えたかどうかではないのに。その上、私の誕生日である一月八日は絶妙に成人式前なせいで、十八歳を迎えないままその日を迎えなきゃいけない。それで着付けがどうとか、式がどうとか、その後の会がどうとか、本当にどうでもいい。他の誰が言おうと、私の式なら、私が出るか出ないかぐらい決めたっていい。なのに、こんなにも周りにとやかく言われたら、溜まったもんじゃない。
それに。
学校の教室を開けると、まだ誰もいなくて。クリスマス前のこの時期に、こんな早く学校に来るのなんて私しかいなくて。そして、こうして一人冷えた教室の席に座っているのもいつも通りで。学校での私を知らない家族は、ある意味もてはやして色んな事を考えるけれど、現実の私は「こう」だ。一人で居ることが好きな女。カバンから書店のブックカバーがついたライトノベルを取り出して静かに読んでいる女。式だなんだと言って騒ぐような「側」ではない。自分で痛いほど分かっているから、こうして静かにその時を迎えようとしているのに、家でこんなことを口に出す気にもなれない。
受験を推薦入試で終え、ひりつく訳でもない。勉強に追われてさえいれば、それを言い訳に式に出ないというのも考えられたのかもしれないのに、今の私には使えない。おかげで家の中は祝勝ムードで、成人式も家族の中では晴れ舞台のひとつとして数えられている。
学校で適当に授業を受け、卒業までに必要な出席日数を稼いで、教室でぼーっと空を眺め、飽きたら図書室で本棚を見るだけ見て、終礼が終われば足早に校門をくぐる。今日は新作の発売日だから、と、この前読んでいたものの続きが出ることだけを楽しみに、今日を無色に過ごした。電車に乗り、家の近くの本屋まで気持ち早く歩いた。店頭で予約していた旨を伝えると、シュリンクが新しさに光っていて、すぐにそれをブックカバーで包んでくださいと頼んだ。まぶしくて、そんなもの見たくない、見たくないという感情を持ちたくなくて。そんなことを無意識に考えていたんだと思う。いつもの店員さんが笑顔とも言い切れない微妙ないつもの顔で、手際よく包んで、お待たせしました、とひとこと。料金を払って、また足早に本屋を出ようとすると、そこに見慣れた制服の女の子がいた。
今私が来ているブレザーと、全く同じもの。少し青がかって、校章があしらわれた謎に凝ったボタンで、何故か一番下のボタンまで留めなければならないブレザー。学校から二つも駅が離れたこの本屋に、いるはずのない見慣れた制服の子がいて、思わず見とれてしまう。あんまり見てると不自然だよね、と思った次の瞬間、「あれ、こんなところでどうしたの?」と声を掛けられる。目が合って、どうしようって、声が漏れそうになる。
「えっと」と声が詰まる。顔をよく見れば、斜め後ろに座る女の子だった。「あ、こっちの家なの? 奇遇だね、私もなんだ~!」笑顔。まぶしくて、背けられなかった顔から視線をずらせて、ちょっとだけ安心した。だけど。「駅から来たってことは、このまま商店街の方へ行くんだよね?」「一緒に帰ろうよ」と、こっちの聞く耳を持たないまま追撃。何も言い返せない私の横に並ぶと、こちらを見るでもなく、空を見ながら鼻歌。なんなんだ、と思いながらも振り払えない自分が嫌だった。成人式の話をする家族と同じ匂いがしたから。
「最近日が暮れるのも早くなったね」と他愛もない世間話を振られて、答えるべきか疑ってしまう。「そろそろクリスマスだけどそんなこと言ってられないよね……受験は終わったんだっけ?」「うん」「そうなんだ~ うちはまだあるから大変だ~」文末を妙に伸ばす喋り方と、息が多く高い声が鼻につく。こういうのがきっと成人式を晴れ舞台と思っているのだろう、なんて、さっき浮かんだ家族に重ねてしまう。
「でも共通テスト前に成人式があるんだよねぇ」だけど、その声のトーンだけは、下がった。
「え?」と聞き返してしまう。「あれ、行くの? 成人式」「行かない……と言いたいけど、行かなきゃいけなさそう」自然と言葉が出てくる。「やっぱり? なんだかそう言う気がしたんだよね~!」一瞬こちらをちらっと見たのも束の間、また空へ視線を戻す。というより、さらっと失礼なことを言われたのに、言い返すつもりにならなかった。
それよりも。「行かないの? 成人式」
「んーん、行くよ?」けろっとした顔でこちらを向く。大きな瞳に吸い込まれそうになる。そして。「でも、行きたくないんだ~」小さな溜息の後に、やれやれと言わんばかりの八の字眉でそう言った。思っていたのと反対の言葉が返ってきて、言葉を失ってしまう。「ほら、みんなが行くからさ、行こう~! って誘ってくれるんだけど、なんかそういうの違うなーって思ってるんだ~」「違う、って?」「なんだろう、受験で必死なのに今そんな風に喜べないよ、的な」「確かに」「それに、私、一月九日生まれなんだ~ 今年の成人式、十日でしょ? 成人じゃないのに成人式行くのって変じゃん」「え、私、一月八日なんだ」「え? 嘘! 奇遇~!! やっぱり同じように思うでしょ~?」「まあね」息多めの高い彼女の声と、それと対照的な私の地声が夕日のさす商店街で交わる。席は近くとも話したことすらなかったのに。しばらく会話が上滑りしていて、頭の中は彼女が何者なのか分からなくてぐっちゃぐちゃだった。
でも、彼女も、同じように考えていたことは分かった。
私だけじゃないんだ、って、ちょっと安心した。
「成人式キャンセル界隈だね~」と、住宅街に差し掛かったあたりで言われて、思わず吹き出して「何それ」と言い返す。さながら仲良くなった友達のように。「みんなには秘密だよ?」「うん」「でも私は行かない」「私も」と続けた。
その上で、最後に残った心の靄を払おうとして「家族には、なんて言ってる?」と聞くと、「ん? 真っ向勝負!」と笑顔。「行きたくないものは行かない! 写真だけ撮る!」と両手を腰に当てて鼻息をふんと一度鳴らして、誇らしげにまた笑顔。
それに対して、笑顔なんてあんなに見たくないと思っていたのに、つられて「そっか」と笑った。
「じゃ、また学校で」「学校で話す勇気はないけど」「いつでも気軽に話していいんだよ~ それこそ、成人式行かないって決めるのだって」「そうかな」「ゆる~くいればいいんだよ~」「何それ」「ま、お互い気楽に行こうね~ それじゃ!」と続けて、一度だけ振り返って手を振って駆け出していく。チェックのスカートがなびいて、夕日に照らされていて、肩までの紙が揺れていて、心の中に色んな気持ちが渦巻いていた。
家の扉を開く。「ただいま」いつもより声が明るい。
「おかえり、今日は遅かったね」
「うん。あ、成人式なんだけど」
「どう? 着たい着物決まった?」
「やっぱり行かない」
高校最後、笑顔にあてられた私の最後の笑顔のための戦いが、始まる。