ゆきますくオリジナル短編集   作:ゆきますく

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これは、むかしむかし、あるところにいた、おくびょうな彼と、ちいさな人形のお話。

*

この作品は過去に文芸サークルの新歓用に作成した読み切り短編です。
ボーカロイド楽曲の「からくりピエロ」を聞きながら読んでいただけると、よりイメージしやすいかと思います。


ゼンマイ

 

誰かが、ひねった。じりじりと音を立てて回る。歯車が軋んで、ゆっくりと歩く。遅すぎて、待ち合わせには間に合わない。左手の時計が二時過ぎを指している。昼下がりに街の中で誰も来ない待ち合わせ場所に立つ、可哀想な人形。世界が全て黒く塗りつぶされたように、人形を見つめる人々の目は濁っていて、嘲笑うようだった。

 

彼女の友達は僕一人だった。大きなお屋敷から出ない彼女に会いに行くのも、当然僕一人。周りの大人の顔を見て怯えている彼女も、僕の前だけでは笑ってくれる。だから、僕はもっと彼女に笑ってほしかった。笑ってほしくて、いろんなものを家から持ち出した。でも何も持ち出せない日もあって、それでも彼女は僕とお話しして笑ってくれる。僕は毎日のように彼女のお屋敷へ向かう。お母さんに買い物にいってくると伝えたり、習い事をサボったり、なんとしてでも彼女のお屋敷へ向かった。それは僕が十歳の春だった。

 

人形は気味悪がられた。ただ立ち尽くしているだけで、避けられ、そして街ゆく人の視界の隅へ追いやられる。なかったことにされる。誰にも見せられないようになる。誰も見向きしなくなる。フリルのあしらわれた赤いドレスも、なめらかで薄紅に染まった綺麗な頬も、流れる雲のように真っ白な手袋も、真っ黒な隅へ追いやられた。

 

彼女は時々僕に言った。何故毎日来てくれるの? と。僕は正直なことを言うのが恥ずかしくて、一秒だけ息を止めて、君と話すのが好きだからだよ、と言った。でも、僕にはそれだけが理由じゃないことぐらい気づいていた。咄嗟についた嘘に気づいていた。彼女に惹かれた理由が、何であるかも分かっていた。でも、それを認めるのは僕にはできなかった。その時の僕は、ただ彼女とお話ししたい、それだけだったから。

 

人形は知ってしまった。心に触れるぬくもりを感じた。知らない方がいいと分かっていたのに、人形はその感情を知ってしまう。幸せ。ぬくもり。それらを得てしまった人形は、自らの運命までも知ってしまう。

 

彼女は僕を疑わなかった。僕が本心でそう言っているように思っているらしかった。僕は何も言わなかった。傷つけたくなかった。僕が来ることで傷ついたなんて思ってほしくなかった。だから僕は微笑み続けた。彼女に笑ってほしくて、一緒に笑っていたくて、ずっと笑っていられるように、笑い続けた。

 

恋をした。人形は、心を手に入れた。しかし余計に気味悪がられるのを恐れて、人形はそれを隠してしまう。ゼンマイの歯車の、最も深い場所に。人形は、自分で自分のゼンマイを回す。今日も回す。明日も回す。張り付いた表情を今日も見せる。ただ、笑っている自分を魅せるために。

 

彼女は変わらなかった。僕がやってくると笑って、いらっしゃい、と出迎えてくれるし、僕が学校であったことを話すと、どんなことでも笑ってくれる。楽しそうね、幸せそうね、と笑ってくれる。綺麗なドレスと大きなお屋敷があると、心が広くなるんだ、なんて思った。でも、僕が安心するのは、変わらないからじゃない。きっと、この子のことが、すきなんだ。

 

ゼンマイは回る。人形が笑うたびに回る。人が息をするように、人形のゼンマイは毎日周り、そして自身で巻き直す。奥でギシギシと心が軋むのが分かる。人形には心の入る隙間などなく、心が歯車の邪魔をする。分かってはいた。しかし、人形には抗う力すらない。向けられた笑顔を、笑顔で返すことしかできない。軋む心を携えて、人形は今日も笑う。

 

でもある日、彼女はおかしくなった。お話しても、うん、としか返さなくなった。笑ってはくれる。だけど、その目には何も写っていなくて、僕すらも見えていないようで、不安で、僕は彼女の肩に触れて、大丈夫? と聞いた。初めて彼女に触れてドキドキした。でも、彼女はやっぱり、うん、としか答えない。何度聞いても、うん。僕は、どうしようもなくて、お屋敷を飛び出した。ごめん、ごめん、って心の中で呟いたけど、直接言えなかった。彼女の目が、なんだか怖く見えたから。

 

人形は変わってしまうのを恐れた。怖かったのだ。彼の笑顔、仕草、そしてこの燃え滾る心が、内側から自分を壊していく。もう、彼をこの部屋に招き入れることは、できない。ゼンマイはもう回らない。回るだけの力もない。緩やかにそれは止まっていく。温かい心が、笑顔が、歯車を歪ませて、ついにその日はやってくる。

 

次の日、少し怖かったけど、彼女のお屋敷に向かった。だけど、お母さんらしき人に、今日からは来なくていいよ、と言われた。どうして? と聞くと、もう会えないから、と言われた。悲しかった。悔しかった。彼女がまた本当の笑顔を見せてくれると思って、今日は特別いろんなものを持ってきたのに、彼女に会えなくて、つらかった。でも、どうしても会いたくて。どうしても笑ってほしくて、何度もお願いしたけど、駄目だった。外から部屋を覗いてもいなかった。彼女は、僕の目の前からいなくなってしまったんだ。

 

人形は捨てられた。緩やかに停止までのカウントダウンを刻みながら、街の隅に立たされた。あの日と同じ、嘲笑の隅。彼女の心は、新しく悲しみという感情を覚えた。それは幸せよりも、温かさよりも、もっと大きくて重いもの。彼女の歯車はついに崩れ去る。ゼンマイはただ回るだけの存在になり、彼女の瞳がそれ以上動くことは、もうこれ以上、二度とない。

 

でも……彼女は笑ってた。彼女は、ずっと笑ってた。帰り道にあるゴミ置き場に居た彼女は、笑顔で立っていて、ずっと笑ってた。じりじりとゼンマイの音だけが響いて、彼女は声も出さない。僕が通っても目で追ってもくれない。彼女は人形だった。僕は気づかなかった。彼女がゼンマイで動いている間、僕は人形の彼女に笑ってほしくて、何度も何度も通った。お話しした。笑った。変装した。笑ってくれた。手品をした。笑ってくれた。彼女はいつの日も、同じ顔で、僕に笑ってくれていた。でも、彼女は壊れてしまったんだ。僕が、壊しちゃったんだ。

 

人形は人が何故涙を流すのかを知った。彼が目の前で泣く姿は、かつて見たことがなかった。目の前を過ぎていく人はいつも嘲笑っていたのに、彼は違う。彼は、彼は、そう思い続けて、人形の心さえもついに動きを止める。ゼンマイはもう回さない。人形はこの涙のためになら、止まっていいと思った。他の誰でもなく、彼の涙なら。壊れゆく自分と愛しき彼に、彼女は最後に笑った。

 

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