チケットを手売りし始めてから、もう五日経過していた。全然売れない状況にみんな精神的な疲れを感じている様子が見られる。無理もないよね、おかげでレッスンや勇者としての活動もどこか散漫な印象があった。前回の襲撃が尾を引いてる……当たり前だけど、アレはショックだったよね。
「ん……?」
しかしその日は曇天で、やがてポツリポツリと……そしてすべての音が掻き消えるくらいの雨が降り注ぎ始めた。
──土砂降りだ。麻弥ちゃんたちが急いで撤収を始めてるけど……私はそれでも声を出し続ける。
「お願いしまーす!」
「アヤさん! 帰りましょう!」
「私は、もう少し頑張ってみるよ!」
こんな天気じゃ人通りもない。確かにその通りだった。道を歩く人は突然の雨に驚いて足を速めたり、傘を差していたりしていつも以上にこちらを向く気配はない。だけど……私は、やらなきゃダメなんだ。こんなことで、こんなところで挫けていたら……悪魔の、アエーシュマの思うつぼだから。
「彩ちゃん!」
「……止めないで、お願い」
なにより、私にとってここで止めるということは努力を諦めるということ。なにも成してないのに、まだなんの夢も叶えられていないのに! ここで終わるなんて、絶対に嫌だ。やっと掴んだチャンスなんだ。なんにも成れてない研究生だった私は、ここから変わるんだ。
『──キミたち五人は勇者の素養を持つものとしてアエーシュマによって集められた。最初からアイドルとして成功させる気などないんだろうな』
サタンの言葉がよぎる。そうなのかもしれない! 敢えて
「チケット、販売中です!」
でもどんどん強くなる雨がアスファルトを反射する音で、私の声はかき消されていく。傘を差し視界の狭まった人、走り抜ける人には、全然、届くことはない。どれほど声を張っても、叫んでも、誰も私に気付いてはくれない。
──まるで、三年間誰にも見向きもされなかったあのころと何も変わっていないことを、見せつけられているようだった。
「お願い、します!」
身体が、心が冷えていく。私の夢という灯火がまるで、消えていくような感覚がする。ここで帰ったらきっと私は……私はもう、夢を見ることができなくなってしまう。絶望の足音が、私の胸をざわつかせる。ポップは……そういえば麻弥ちゃんのカバンに入ってたんだっけ。バカだなぁ、独りでなにやってるんだろう。誰もチケットを買うはずがない。日を改めたほうがいい。そんなことはわかってるはずなのに。
「お願いします……っ!」
この声が聴こえるのは、私にだけ。でもその声を上げ続けていないと私は、私の夢は、想いは……雨に打たれて、消えてしまう気がした。
寒い。身体が震えた。雨に打たれているせいだけじゃない、怖いんだ。私は、私じゃなくなるのが、アイドルでも勇者でも、なんでもいい、なんでもいいから……私を見てほしい。そんな浅ましい心が表に出てきている。こんなものだ、打算的でこういうわかりやすいパフォーマンスをすれば誰かが見てくれるんじゃないかって……誰かという存在に依存して、私は私の夢を肯定し続けていたんだ。
「……くだらないなぁ」
イヴちゃんにはブシドーを貫くという信念がある。誰よりもまっすぐでそれでいて強い信念と夢が。
日菜ちゃんには楽しむという目的がある。それは遊び的な楽しさじゃなくて、自分の人生をよりよくするため、そしてより自分というものを確立するための、方法と過程。
麻弥ちゃんには主義がある。裏方だった自分を、まだ自信はないけれどこうして与えられたものを伝えていきたいという、絶対的な目標がある。きっと千聖ちゃんにも、どうしても叶えたい夢があるんだ。だからああやって、誰にも頼らず、誰の存在にも依らない、強い自己を持っている。なのに、なのに私は……私は。
「……っ?」
──頭が痛い、視界が歪む。私の夢が黒ずんでいく。ああ、これが……これが、夢の光を失った勇者の、末路。
水たまりに私が映し出される。頭から赤い角が、皮膚を食い破るように出ている。私が、私ではなくなる、冷たい感覚。それなら……ううんそれでも、最後に、最後の一度でいいから。
「どうか……私たちの歌を──」
「──聴いてください!」
雨が止んでいないのに、その声はまるで雨を斬り裂いて優しくて暖かな光を私に差し込んでくれるような、傘を差してくれるような……そんな声だった。
イエローの髪、私より少し小柄なのに、そんなものを感じさせないしゃんと伸びた背中。凛としていて、私もこんな風になれたらなぁって初めて会った時から思っていた、私のあこがれ。
「……千聖、ちゃん……?」
「Pastel*Palettesのライブチケットを販売しています。私たちの歌を、聴きにきてください!」
白鷺千聖ちゃんが、私の隣で大きな声を出していた。その声は私なんかよりもよっぽどよく通っていて、傘を差した人が何事かと振り返っていた。
どうして? 千聖ちゃんは、こんな努力を何も変わらないと言っていたのに。どうして? 一度誘ったけど、ハッキリとそんなことをしても無駄だなんて断ったのに。どうして? 私たちの目の前に立ちはだかったのに。どうして、あなたはそんな晴々とした顔をしているの?
「どうしたの? チケット、まだこんなに残っているのよ? 後悔したくないんじゃなかったの?」
それは煽るようで、私の背中をトン、と優しく押してくれるような暖かさがあった。
カッコ悪いなぁ……私はいつだってそうだ。ポップに助けられて、イヴちゃんに助けられて、日菜ちゃんに助けられて、麻弥ちゃんに助けられて、敵だったはずの悪魔にも助けられて、千聖ちゃんにも、こうして。
──そうだ。まだ絶望する時じゃない。後悔するにはまだ早いんだ。千聖ちゃんの言葉に、励ましに、また夢の光が私の中に還ってくる。頭痛も止んで、寒気ももうない。私はまだ、夢を失っていない!
「もっと大きな声を出さないと、誰にも届かないわよ」
「……うんっ!」
一人じゃなくてもいいんだ。私の歌が、声が届かなくたって、私の夢だけじゃ足りなくたって……私
──どうか、私たちの歌を聴いてほしい。そっか、そうなんだ。千聖ちゃんも私とおんなじだったんだ。
──雨が降りだす少し前、私は社長室のノックをする。次いで失礼します、と声を掛けると甘さのある声でどうぞ、と返事がくる。
いつ見てもまばゆい金色の髪をひと房にまとめた中性的でありながら妖しい魅力すら感じられる男……本当の姿は悪魔アエーシュマ。悪魔の裏切りものであり、私を勇者である彼女たちから裏切らせたものだった。
「千聖、また見物かい?」
「……ここは良く見えますから」
一本、金の糸が見えてそれを半身で躱す。幾ら彩ちゃんたちに駒と名乗ったものの、下僕になった覚えはない。勝手にベタベタと触ったり挙句、人のナカに入ってこないでほしいものね。そういう意味を込めてにらみつけるとフフと楽しそうに笑ってくる。
「だんだんと感知力が高くなっているね」
「それがないといけないお手本がいますから」
「いいことだ」
あなたのことなのだけれどね、というのは黙るとして、無駄ともいえる行為をどうしてこう、五日もできるのだろうか。昨日は散々に負かしたのに、麻弥ちゃんも日菜ちゃんもボロボロだった。流石に回復しきらなかったようで痛々しい包帯が見えていた。なのに。
「──イライラ、しているね」
「ええまぁ、私の実力が足らないばかりにああやって諦めることがないのですから」
「だが、風向きは確実に変わり始めているよ」
肩を抱かれ、アエーシュマの力でより鮮明に感知ができる。感覚操作、削ぐだけでなく加えることまでできるのね、という感想はさておくとして、彩ちゃんの色が濁り始めていることに気付いた。この間、冷静さを欠いたせいで麻弥ちゃんを傷つけたという痛み、もしこれが成功したとしてアエーシュマの下にいる私がグループにいるという不安、そして……彼女は彼女を見てほしいだけという浅ましい夢の根っこを思い出してしまったこと。それが彼女のバランスを歪め始めていた。
「どうだい、彼女はきっと強力な悪魔になる。そして仲間を食い荒らし、その力で世界を滅ぼすんだよ……フフフ、フフフフ……」
一度経験した世界の破滅、その際に見た光に心を囚われた男、それがアエーシュマという悪魔だった。散り際の花火のような儚さ……私には理解できない。儚い、言葉を聞いているだけで眉を顰めてしまいそうになるわ。
「おや、雨だね……今日は予報になかったが、勇者は天にまで見捨てられてしまうサダメなのかな?」
アエーシュマの言葉通り雨が降り始めてくる。あっという間に土砂降りになっていく。となればあの子たちはこの事務所に帰ってくるわね。
──私はそれを迎え撃つために社長室を後にした。アエーシュマに行ってらっしゃいと甘ったるい声で言われ、油断した瞬間に糸を首に巻き付けられながら。
「信用されてないわね」
当然ではあるけれど。私は彼を利用しているだけに過ぎない。駒なんて言い方パフォーマンスだ。それはベンヌも同じでしょうね。
あらかじめ彼女たちが入ってくるであろう会議室で待っていると、そこに
「……千聖さん!」
「お疲れ様……彩ちゃんは?」
戦闘態勢になるものの、彩ちゃんがいないことに気付いた。日菜ちゃんと麻弥ちゃんから、あの雨の中、外でまだ配っていることを聞かされ居ても立っても居られなくなって外へと飛び出していった。雷撃で糸を焼き払いながら、私は彩ちゃんの元へと走っていく。
──何があなたをそこまで駆り立てるの? きっとガムシャラに破滅的な行動は悪魔化する一歩手前だ、そこでもしアエーシュマが立って何かを呟けば簡単に彩ちゃんは堕ちる。その証拠に、彩ちゃんの色は濁りに濁って……もう半分悪魔化し始めていた。
「……お願い、します!」
だけど、その芯にはいつもの彩ちゃんの輝きがあった。その輝きは、何ものにも負けない宝石のようであり、強い光を放っていた。
そうだ、私もそうでありたかった。今ハッキリとわかった。なんで私はあそこまで焦っていたのか、なんで私がそこまでして、悪魔に魂を売ってまで成功をおさめたかったのか。
──私は、あなたに成りたかったのよ。
「──聴いてください!」
だから私は夢を見ていた。私は努力を惜しまなかった。最短距離で何をできるか、自分に何が成せるのか、そればかりを考えてきた。
もう私はそれを迷いはしない! だって私だって彼女と同じ……勇者で、アイドルなのだから!
あやちさ要素はありまぁす。