シンと空気が静まり返る。私の手がジンと熱くなる気がした。それもそのはずだ。こうして勇者じゃない素手で、素の腕力で、ティアマトの頬を張ったんだから。驚きが場を支配する。でも私はこうすることが彼女の目を覚ますのに最適解だと思ったから。
「あ、彩ちゃん……?」
「なにをしているんだい、ドリームスター?」
「だって、今のティアマトは拗ねてるだけだよ! アエーシュマがくれるものが愛じゃないって拗ねてるだけの、わがままな子どもだよ!」
このままじゃアエーシュマもティアマトも向かう先は破滅だよ。そんなのはダメなんだよ。確かにアエーシュマは、それを望んでいるのかもしれない。ティアマトにとってベンヌも自分も全部、いつでも切り捨てられる駒くらいに感じているのかもしれないけど、それでも私には、どうしてもそうは思えないから。
「お、お前に、お前にシュマ様の何がわかる! あの方は、あの方は……愛など、最初から信じていない。愛も、感情も、あの方にはない……永久凍土のように、冷たい怒りだけが、そこにある……っ」
「ならどうして、ティアマトを傍に置くの?」
それだったら傍に置く必要はないはずだ。自分の言葉を使わずとも、ベンヌのようにアゴで使えばよかったのに、なんで? 愛を感じさせたいなら自分を対象にしなくてもいいはずだ。それこそ、糸で誰かが愛を感じるのに共有させればいいだけだもん。
「確かに、正直誰かに愛を与えるというのは、それだけ難しいことだわ」
「……そっ、それは……!」
「だけど、アエーシュマは楽な方法を取らずに、自分を対象にするって選択をした。それは……ティアマトの愛がほしかったからじゃないかな?」
意識はしてるのかしてないのかわからないけど、それが全部だよ。その気持ちは破壊とか滅亡とかとはまるで逆の気持ち、だからこそアエーシュマも、ティアマトも、素直になれてないだけなんじゃないかって思うよ。
「あのロリコ……アエーシュマは、外側にある冷たさとは別の、熱があるわ」
千聖ちゃんの言葉に私は頷く。私は一度操られてるし直接精神の世界に入ってきて、千聖ちゃんは味方陣営として、それぞれあの男の魔力を流し込まれてる。その時にあったのは確かに眩しいけど、どこか冷たい感じがするものだった。
──でも私は、あの慟哭を聴いた時に思ったんだ。あの人は、あの人は誰かを愛したかったんじゃないかなって。殺戮の日々、仲間が死んでいく恐怖の中で、あなたがいた時間を少しでも幸せだと思ったんじゃないかな。
「……ワタクシがいた、時間」
「旦那の悲しみは、結局は私たちには当たり前にある日常の一部だった。だからサタンも、六魔も理解ができなかった」
「それは、あなたもなんだよね?」
ティアマトは、戦争が始まってから生まれた勇者の素質を持った優しい子だった。だからそれ故に彼女の心は恐ろしい速度で摩耗していった。
昨日まで話をしてくれたヒトが死んだ。それを悼むこともしない仲間たち。恐怖と絶望と、そして悲しみの中であなたがたった一つ触れた光が、アエーシュマだったんでしょ? だからあなたは勇者として彼の悲しみの代行者となって敵を殺し続けた。味方も敵も、全てを殺して、世界すらも壊してそして、眠りについた。
そう言うと、ティアマトはまるで年相応の少女のように、私の顔を見上げながらつぶやいた。どうして、と。
「どうして、って?」
「こんな、平和で……仲間といることが、当たりまえであるあなたが……どうして、ワタクシの気持ちを、つまびらかにできるのですか……」
「それが彩ちゃんの力なのよ。自分のためだけじゃなくて、誰かのために頑張れる。彼女の勇者としての素質よ」
千聖ちゃんの言葉に少しだけ嬉しくなって口角を緩めながら、しゃがんで視線を合わせた。私はね、ティアマト。悪魔と私たちは分かり合えると思うんだ。サタンたちだけじゃなくて、あなたやアエーシュマと。仲間じゃなくてもいい、こうやってまた戦ってもいい。でも殺し合いはもうしない。試合みたいに、こうやって戦う度に一歩一歩、私はあなたをもっと理解したい。そうしたら、いつか戦うんじゃなくてお茶をしながら一緒にお話ができるって信じてるから。
「今じゃなくていい、もっと先でいいから……トモダチになりたい」
「ドリーム、スター」
「……甘いわね、彩ちゃんは」
「でも、それが彩ちゃんらしさ、なんでしょ?」
「そうね」
甘くてもなんでもいいよ。だって、もう二度とポップやサタンたちのように、喪った悲しみを燃料に復讐って感情を燃やしてしまうのは、おしまいにしたいから。復讐が意味ないことだなんて言わない。それも気持ちの整理の付け方なんだろうし、少なくともサタンはアエーシュマと同等かそれ以上の悲しみを背負ってるだろうから。
「ワタクシは、シュマ様に愛されているのでしょうか?」
自信がないのなら私があげるよ。証明がないのならまっすぐ伝えればいいんだよ。もうこの世界はあなたに牙を剥いたりなんてしない。もし牙を剥くことがあるのなら私たちが一緒に世界と戦う。だから、だからもうこんなのやめよう。
「ドリームスター……彩さん……ワタクシは、あなたに──」
「──えっ」
手を広げて、彼女を受け止めようとしたところでお腹に衝撃がくる。ベンヌや千聖ちゃん、日菜ちゃんが驚きに満ちた表情で駆け寄ってくる。じわりと服に血が染みていく。剣、
「まさかと思えば、まさかキミまで絆されるとはね……ティアマト。だがボクは寛大だ、その罪も赦そう。こうして……キレイゴトばかりの腹に風穴を開けられるんだからね」
「──シュマ、さま……あぐっ!」
「てぃ、ティア、マト……っああ!」
地面に転がるティアマトに手を伸ばそうとすると、身体が空中に浮かされる。まるで蜘蛛の糸のように私を磔にして、その首に巻き付いてきた。少しでも力を入れられれば喉を裂いて、私は死ぬ。変身もできないその状況になってしまった。それよりも、お腹が痛くて苦しい。視界が霞んでしまいそうなくらいだ。
「さぁ、どうする勇者たち! ベンヌの回復を使ってもボクを殺さねば彩は死ぬ。さぁ! 怒れ勇者たち! キミたちの行動がどれだけ! どれだけ浅はかで、愚かな行為であるということを、彼女の死を以て知れ!」
「アエーシュマ! もうよせ! 我々は、我々はこの世界で生きていくべきだ! もう誰の命を奪うことも奪われることのない、この世界で!」
「ふざけるな! ならば忘れろとでも言うのか! あの日々を、あの屈辱を、あの暴虐を! 精霊王どもはまだ
その言葉に一番、驚きの声を上げるのはポップだった。精霊王たちの一人、そのトップだったヒトに彼女は逃がされ、そしてそのヒトは死んだ。そして精霊界の滅亡を目の当たりにしたことで生き残ったのは自分だけだと思ってたんだ。
──彼の恐怖はそこにあったんだ。世界を壊して、仲間を殺したその報復のためにやってくる敵を、私たちの絶望を使って今度こそ、殺しつくそうとしていたんだ。
「だ、だからって……自棄に、なったらダメでしょ……」
「黙れ!」
「っぐ……か!」
「お前たちの言う平和なんて、ボクたちにはどこにもないんだよ」
首を絞められ、息を大きく吐き出してしまったせいで更に腹部の痛みが鋭くなる。それでも言葉は止まらない。だから、だからって平和を願うものを殺していいはずがない。あなたのことを一番に想ってるはずのティアマトを、後ろから刺していいはずがない。いつの間にかズキズキと痛んでいたはずのお腹のことも忘れて、私は彼に訴えていく。
「諦めたら、だめなんだよ……少なくともサタンは、諦めてなかったよ……」
「──そこまでして死にたいなら、今すぐに望み通りにしてやろう」
空中に剣を複数生み出し、私に切っ先を向けてくる。怖い、このまま何をされても死ぬんだと思うと怖くて怖くて、今にも泣き叫びそうになる。それでも、そうだとしても私は言葉を紡ぎ続ける。アエーシュマの閉ざされた心にも、アエーシュマの絶望にも、きっとあの時の、あの雨の日のように誰かに届くのだと信じて。
「不快だ、せめて皇帝の剣に貫かれて、その命を絶ってくれ」
「──彩ちゃん!」
私の身体を貫こうとした剣は、だけど私にはなんの痛みも与えてくることはなく、そこには……虹色の角を出した、黒と白の髪を乱しながらバリアを張ったティアマトだった。さっきの傷が痛むのか、バリアはあちこちが薄くなっていたようでだけどそれらは身体を張って止めてくれていた。
「ティアマト……!」
「もうし、わけ……ございま、せん……ですがっ! ワタクシは、ティアは……信じてみたく、なりました……あの者たちの、かのう、せいを……ワタクシが、ほしかった……本当の、本物、と呼べる……愛を……っ!」
「ティアマトォ!」
「っぐ、イロージョンシャドウ……! 彼女を、丸山彩を助けなさい!」
影が私を飲み込んで、そして千聖ちゃんたちのところに吐き出される。そのタイミングでベンヌが紺色の角を出し、冷たくて、けれどまるで水に浮いているような心地よさのある魔力の波動を出した。
──月鳴のチカラでみるみるうちに私たちの傷が治っていく。痛みがすっと引いていく感覚にほっとしているが、ティアマトは傷が治っている様子がない。どうして!?
「無茶を言わないでくれ……キミたちで限界さ」
「だったら! ティアマトの方が重症なんだよ!?」
「助けるっきゃないよ、ね! 千聖ちゃん」
「……いいえ」
千聖ちゃんは日菜ちゃんの言葉に対して否定をした。ティアマトは、もうダメなんだと思わせるには充分な表情で、私たちは見守るしかないの? やだよ、私は諦めたくない。せっかく分かり合えると思ったのに、ティアマトのことを助けられると思ったのに!
「私たちが焦って突っ込んでくるのを待ち構えているわよ、アイツ」
「……なるほどね」
罠を張られてるのか。激昂しながらもそれだけ確実に、ティアマトを殺そうとするアエーシュマに私は拳を握りこんだ。怒らせて、冷静さを奪って私たちをたった一人で打倒しようとする、そういう作戦なのはわかってるんだけど、それでも!
「違うわ彩ちゃん」
「なにが?」
「そうです、手を出さないで……いただけますか」
「なに言ってるの……そのままだと!」
「ワタクシ、ただいまシュマ様とダンスの真っ最中でありますので……どうぞお構いなく!」
傷口を影で覆って埋めて、キッチンガーデンによって幾分か回復したらしいティアマトはステッキから弾丸を飛ばしながらアエーシュマに向かっていく。感覚の操作を使わない、というか同じ技を持っているから使えないという状況において迷いを持っているアエーシュマと迷いの吹っ切れたティアマトの実力差は段々と縮まっているようだった。
「しまっ──っく! スパーダ!」
「……ああ、シュマ様の魔力、いただきました……それでは、シャル・ウィ・ダンス?」
千聖ちゃんが、あの子は私たち三人にベンヌを含めて漸く打倒したほどの悪魔よ、とやや苦笑い気味に語った。それに応えるように、ティアマトの身体からあふれんばかりの影がアエーシュマの金を侵食し始めていた。
シュマ様VSティアマトの対戦が始まるよー!