──あの衝撃、とんでもない清楚系なビッチと知り合いになってから早一週間、彼女は俺の前に姿を現し続けた。
ライブハウスで、スタジオで、楽器店でも。いやいやストーカーですよねそれ。
「ふふ、こんにちは、カンベさん」
しまいにはここにはいないだろうと思って入ったファストフード店にまで、彼女は俺を見つけるとにこやかに挨拶をしてきやがった。
なんで嬉しそうなんですかね。俺はあなたに会えることに恐怖しか感じないんだけど。
「それにしても……」
「いやその前になんでさも当たり前かのように俺の向かいにいるのか訊いていいですかね」
「それにしても、運命、と言いたくなる日がよもや今日とは」
誰か助けて、人の話を聞いてくれません。遮ったのに繰り返すかフツー。この快楽のホルマリン漬けになった脳内ピンク魔王様は、こうして
「ホント……どうやっていつも居場所を把握してるんですか」
「今日は本当に偶々よ。だから嬉しいのですが」
「俺はぜんっぜん嬉しくない」
「それは大変ですね、ホテル行きますか? それともここでイキますか?」
行かねぇしイカねぇよ! と思わず叫びそうになり、すんでのところで堪えた。騒いで居づらくなっちまうのは勘弁だし、なにより今、彼女……氷川さんと外に出るのは非常にまずい気がするしな。
「……メシがまずくなる」
「そうですね、食事中に下ネタなんて、私としたことがマナーを失念していました。すみません」
なんだそれ、調子狂うなぁおい。と思ったけど、氷川紗夜さんは花咲川女学園ではなんと風紀委員を務めているらしく、知り合いによるととても厳しいヒトだそうだ。確かにRoseliaの氷川紗夜のイメージも自分にも他人にも厳しくて、ストイックなヒトって印象だったから、すぐに腑に落ちた。けど、それが逆に俺へ向けてくる言葉の異常性を際立たせてもいるんだが。
「そうでした。この間のライブ、聴きに行きましたよ」
「え、マジで?」
「マジです」
転換された話題は、俺と氷川さんを唯一、真っ当に繋いでいるはずの話題……音楽だった。
週末に行われた仲間とのライブは、大成功を収めた。徐々にファンもついてくれていて、今はガールズバンドが隆盛を誇ってることもあり、こうしてライブハウスなんかで活動できるアマチュアが盛んってのは、いい時代になったと言わざるを得ない。
──まぁ、その最先端が、目の前でポテトかじってるビッチなんだけど。
「とても素敵でした。一人一人の技術も高く、また……楽しい、という気持ちに突き動かされている感覚が、とても」
「……氷川さん」
「これからも精進してください。バンド仲間として、ライバルとして、私の励みにもなりますから」
すっげぇ真っ当な言葉。しかもあのRoseliaのギタリストに、圧倒的な練習量に裏打ちされた正確無比な技術と、まるで冷たい炎を浴びてるような、すべてに挑戦していくあの冷静さとは違った熱に、男女問わずいったい何人が憧れを抱いているのか、わからないようなヒトに、俺たちは褒められた。
そうだよな。相手は氷川さんだ。ヤリたい云々さえなけりゃ、こうやって知り合えたことを幸運に思ってもいいよな。
「よかった、ってことですね」
「はい……とてもよくて、思わず濡れてしまいました」
「……は?」
「ですから……濡れて」
「だから食事中だっつうの!」
今度は我慢できなかった。何かと周囲の視線が俺と氷川さんに刺さってくる。痴情の縺れか、喧嘩か、そんな視線に耐えきれず、俺は立ち上がって残っていたポテトとジュースだけを持ってトレイを片付けて店を出ていく。
あー恥ずかしい。ああいう目立ち方じゃなくてだな、もっとバンドの技術で目立ちたいもんだ。そんなワケのわからん照れ隠しを自分にしていると、案の定、氷川さんが隣にやってきた。
「……なんですか」
「いえ」
「ホテルなら行きませんよ」
「私はイキたいのですが」
「だったら俺じゃなくてもっとヤリ慣れたヒトとかにしてくださいよ」
言ってて、なんか惨めになった。なんだよヤリ慣れたって。自分が童貞で、満足させてあげられなさそうで、それを理由にこのヒトの誘いを断ってるみたいじゃねぇか。
いや、間違ってはねぇか。技術も熱も足らねぇ俺じゃ、氷川さんを満足なんてさせてあげらんねぇ、誘うだけ、無駄骨ってもんだからな。
「──俺じゃ、氷川さんに釣り合わない」
「そんなことを気にしていたのですか?」
「そんなことって」
結構重要な気がするんだが、氷川さんはくすっと笑って俺の腕に自分の腕を絡みつかせた。まるで恋人同士のような仕草、その髪からはシャンプーなのかコロンなのかわからないけどいい匂いがして、腕には氷川さんの身体が押し当てられて……柔らかい。
「今、おっぱいのこと考えていませんでしたか?」
「……なんのことやら」
「誤魔化せてませんよ。小さくても、無いわけじゃないんですから」
確かに、スレンダーな氷川さんの胸は控えめだ。けど、そこにはしっかりと膨らみがあって、押し付けられればやわらかさがあって……頭ん中がショートしちまいそうだ。
女性とこんなにスキンシップを取ったことはないし、ましてやこの距離まで女性が入ってきたこともない。頬へのキスと同時に、また、女性との接触のハジメテを奪われた気分になった。
「勃ちましたか?」
「そこまでは」
「……サイズを見ておこうと思ったのに」
いやいや測らんでください。ここで私が見てきたモノの平均よりも小さめとか言われたらいますぐ泣いて走りだしますからね。そのくらい俺は俺に自信がないんですから。
離れようにも離れがたいその優しく魅惑的な氷川さんと、俺は同じ道を歩く。その横顔からはいつものラスボスっぽさは感じられなくて……ああ、ドキドキする。
「それでは、また誘いますね……カンベさん」
「……やめてくださいよ」
「嫌よ。あなたのハジメテの女になるのだから」
今のところ俺にその予定はないんだけど、わかってくれないんだよね。
どうして、そんなに俺に拘るんですか? そんなことを訊く間もなく、氷川さんはどこかへ去っていってしまった。
「……どうして、俺なんだろう」
あのヒトはどうして、俺を構うんだろう。どうして、俺とヤリたがるんだろう。その疑問は、童貞の俺には中々口に出せないものだった。
モヤっとする。俺が女性に対して魅力的に振舞うことなんてできっこない。さっきも、氷川さんに対して、しどろもどろに話すことしかできない。
それじゃあどうして、彼女は俺の前に姿を現すんだろう。いや、今日はたまたまって言ってたっけ。
「わかんねぇ……わっかんねぇな」
頭をひねっても、わかるはずがない。俺には俺が氷川さんに気に入られる要素を感じないからだ。唯一誉めてくれて、誇れるベースだって、氷川さんの身近にいるベーシストには遠く及ばない。あの朗らかで暖かな音は、それだけで夥しいほどの反復練習と、研鑽によって積み重ねられたものなのだから。
──俺は、所詮趣味でやってるだけ。それに対してRoseliaは……マジなんだ。聴けばわかる。あのヒトたちは音楽に、バンドに、全部を賭けてる。氷川さんだってそうだ。
だから信じられないんだ。氷川さんが、男を欲してるなんて。
「それは、ニンゲンだから、じゃない?」
「……そんなもんか?」
「だってさ、アタシたちは音楽をするために生まれたワケじゃないからさ」
幼馴染で俺にベースを教えてくれたそいつは、そうやって笑った。かく言うそいつにも、カレシがいる。真っ赤なベースを構えて弦を弾いたその音は、そいつの気持ちを表しているように、静かに響いた。
「アンタはさ、セックスしたいって思わない?」
「思う」
「でしょ? みんなそうなんだって、それが、ニンゲンだからさ」
「それが、お前や氷川さんもそうだってことか?」
「そーゆーこと。イキモノはみんな、そうやって子ども作って、種族を遺したいって本能があるんだよ」
人間の生殖本能だから、それが俺には納得ができるようなできないような、微妙なところだった。
あんなに音楽に全てを懸けてても、ダメなのか。ヤリたいって欲求には、抗えないのか。女でないと、生きていけないのか。
「……でも、なんだって」
「なんで? じゃあアンタは、その辺にいた女の子とアタシ、どっちかだけならどっちとセックスしたい?」
少し考えた。同じくらい美人だとして、道端にいたヒトと幼馴染のコイツ、どっちか。
答えはすぐに出たけど、それを口に出すのは迷った。いやだって今その二択の後者のやつの部屋で雑談してるわけだし。そこでシたいって、なんかいかがわしくねぇか?
「どっち? 別に本気にしたりしないからさ」
「……お前」
「まぁ、そーだろーね……じゃあ、なんで?」
「え、なんでって」
そんなの、決まってる。知り合いの方が性格もある程度わかってるし、一緒にいるのが自然だからだ。そもそも道端にいたヒトとセックスなんてどうだってハナシだよな。誘うのすら躊躇うよ。
「そこだよ。アンタは今、アタシの方が安心するからだって思ったでしょ?」
「……うん……つまり」
「誰かわからない男よりは、同じバンドをやってて、気が合いそうなアンタを選ぶ。カンタンな動機だよね」
それが俺に適用された……ってことか。そいつに言われた言葉がストンと腑に落ちて、同時になぜか落胆のようなものを感じた。
そうだよな、誰でもよかった中に偶々童貞を拗らせた俺がいた。そこに出くわしたから、あの人は俺に目をつけたんだ。
──それを聞いた後でよかった。本当に。
「それじゃあまた誘ってくれるかい、紗夜?」
「もちろん……ふふ、期待してるわ」
薄暗い路地で、コンビニへ立ち寄った俺が見たものは、男性とキスをして別れる、氷川さんの姿だった。
そこに俺を構ってくれたあの氷川さんはいなかった。いたのは、男性に裸を晒した後の、充足感に満ちた……男の匂いを纏わせた、一人の女性だった。