紗夜さんに紹介されて以来、コーヒーが美味しくて通い始めた場所、羽沢珈琲店に俺は自主練習終わりがてら足を運んだ。
カランコロンというレトロなベル。店を手伝っている看板娘。そんな彼女に名前を呼んでもらえるという優越感。
「カンベさん! いらっしゃいませ!」
──まぁ、渾名ですけど。渾名なんだけど!
コホン、取り乱した。そもそも本名、しかも下の名前で俺を呼ぶやつなんてそれこそ湊家の愛想のない一人娘くらいなもんなんで、これは実質陽太さんって呼ばれてるようなもの! これでメンタルリセット! はい勝ちー!
「? どうかしましたか?」
「ああ、いや、もう一人のボクとの激しいデュエルしてただけ」
「えーっと?」
わけのわからない理論をぶっぱなされてきょとんとする羽沢さん。かわいい。かわいいね。眉上までしかない短い前髪、好き。首が見えるくらいの茶髪だけど、ボーイッシュさは微塵も感じないくらいくるんとした大きな瞳、好き。それとは対照的に小さな唇、はいかわいい。小柄ながらパタパタと一生懸命働く姿、はいもう好き。と、こんな感じ。彼女に対する評価がクソみたいに甘いのは確実にとあるビッチのせい。
「……この間のも、言ってしまえば自業自得なんだけどね」
「モテた途端に強気ですか」
「ぶふっ!」
「汚いですよ、カンベさん」
そんな独り言……そう独り言だったはずなのに声をかけられてコーヒーを噴き出した。後ろを振り返ると見覚えのある、というか完全に紗夜さん。それと同席してるのはあこちゃんと燐子さんは苦笑い気味。
「いつの間に……」
「ついさっきだよ〜!」
「……あ、あこちゃん、それは……」
なるほど、つまりヒトの後ろをストーキングしてきた、ということね。天下のRoseliaのメンバーのうち三人が童貞のケツ追いかけるストーカーって、シャレになってないから。
「あんまり言うと白金さんの家に連れて行きます」
「真顔で言うことじゃない!」
「今、両親いないので……できますよ……?」
「シたくないです!」
そうやってすぐ脅してくる。この同盟組んだビッチ二人を相手にするつもりはないですからね。しかも二人とも律儀に最近は誰ともシてないらしく、しばしばタマった欲求を満たそうとあの手この手で迫ってくるし。
「りんりんのウチでなにをするの? ゲーム?」
「ある意味ゲームですね、プレイですから」
「ゲーム感覚やめろ、全然違うから」
「紗夜さんもゲームするんですか? 意外すぎます……」
「プレイしますよ。流石に白金さんには負けますが」
あこちゃんをそういう躱し方するんだ。というかあこちゃんも高一だから知っといた方がいい気がするんだけど、なんでこんな純粋なの? 燐子さんのせい?
「わたしや、氷川さんが……教える、というと、あこちゃんの未来によくないと……思います」
「……自覚あるんだ」
よくないけど自分たちはヤっちゃったわけね。度し難いですね、本当に。
度し難いついでにしれっと俺の席にやってくるのやめてもらっていいですかね。せめてあなたたちは向かい、隣はあこちゃんだけに許可します。
「それで、次の来校の予定を立てたいのですが」
「……また俺なのね」
「私が会いたいので」
しかも大して何かをするわけじゃないところあたりが本当にただ会いたいだけってことを後押ししてる気がする。
心なしか、以前より紗夜さんの鉄面皮の下の感情がわかるようになってきた……気がする。若干前のめりで期待した表情、紗夜さんって案外、ペットで言うと犬みたいなところあるよね。
「え? ペットプレイがいいんですか?」
「……は、初めてで……それは……流石に、変態かと……」
なに言ってるのキミたち。なんで俺がドン引きされなきゃいけないの? 誰もそんなこと一言も言ってないよね?
「で、でも……わたしは、好きですよ……! やったこと、何度もありますし……」
そしてそのフォローは下手くそ過ぎて笑うんでやめてください。燐子さん大人しいキャラだから似合いそうだし、控えめで従順そうだけど──って、違う、そうじゃない。思考がビッチどもに引っ張られてる。
「しかし、そういった一方的なベクトルのあるプレイではある程度の技術が必要になりますリードする方がリードを握るわけですから、必然的にこの場合はカンベさんに技術がないとイケるものもイケません」
「……しれっとダジャレ挟みますね」
というかこんなところで無駄過ぎる性講座はやめてほしい。あこちゃんいるのにあんたら段々見境なくなってきてるなさては。
「あと……拘束具等の初期投資が、結構するので……」
「白金さんくらいでないとハジメテでは難しいでしょうね」
「もうやめよこの会話」
頭がおかしくなりそうだし、あこちゃんは難しい話だと思って聞き流してるからそれはそれで助かるけど。
というか今更下ネタで会話を回そうとしないで。キミたち貞淑を一体どこに置いていったの?
「そういえば、あれから松原さんには会っていませんか?」
「え? うん」
いや、ただ引っ掻き回したいだけの松原さんだし、前回の絶好のチャンスで逃したんだから、もう大丈夫でしょ。そう思ってたんだけど、燐子さんは無言で首を横に振るだけだった。
「あの目は、そんな簡単なものじゃ……ないと思います」
「え? そうなの?」
あ、でもそういえば、なんとなく覚えがある。首元に、そう、因果といえばいいのか、そういう感情みたいなものを巻き付けられる感覚。
あれは、軽い感情じゃなかった、と思う。あんまり自信ないけど、今の燐子さんや紗夜さんから感じるもの。それらから優しさとかそういう感情を抜いたもの……みたいな。なに言ってんのか俺もわかんなくなってきた。
「とにかく、気を付けてください」
じゃあ花女に呼ばなければいいのでは? そう指摘するとそう上手くはいきません、と返された。面倒な感情を抱えてますね、本当に。そんなまた和やかになってきたところで、後ろから視界を塞がれた。
「だーれだ♪」
「……え、え?」
「カンベさん、離れて!」
「待って、状況が把握できてないんだけど?」
後頭部に柔らかな感触、フローラルのいい匂いがする。でも、その香りはどこかエロティシズムもあって、二人の反応から視界を塞いだのは誰か、わかった気がした。
「松原、さん?」
「ふふ、せーかい……ご褒美は童貞卒業? 筆おろし? それとも皮むき?」
実質一択しか選択肢ないんだけどそれ。拒否権をください。そして助けて、さっきはまたビッチどもに捕まったとか思って本当ごめん、だからこの俺に害をなすビッチをひっぺがして。
──あ、でもふよふよの後頭部は離れがたい。枕にしたら寝心地いいんだろうな。
「おっぱい、もっと味わってくれてもいいんだよ?」
「それは遠慮しときます。これを機にオーダーメイド枕なるものに手を出そうかな、くらいなんで」
「なんでそんな冷静なの……?」
そりゃあ、鍛えられちゃったからね。そこの無駄に一途なビッチさんはことあるごとに俺を誘惑してくるし、なんだかんだで胸部を押し付けてくるし、隣の変態性癖に理解のあるビッチさんはもっとひどいからね。Fサイズの暴力を体感したことのある身としてはねぇ。
「……浮気者」
「誰から見ての浮気でしょうね?」
「うるさいわ、私という女がありながら浮気ってどういうことなの、しかも胸! そんなにDやらFやらがいいのでしょうか、ああそうですか! どうせBに人権なんてありませんよ!」
「……さ、紗夜ちゃん?」
松原さんが引いてるけど大丈夫紗夜さん? 大丈夫じゃないよね俺も引いてるからね。あー、えっとつまり? 紗夜さんは案外その控えめでありながらきちんと女性らしさを主張するお胸を気にしてらっしゃった、ということか。まるでいつものキャラはどこへ行ったのかというくらいに涙目で悔しがってるし……なんか、ごめん、紗夜さん。
「……大きい方が好きな男性が、ほとんど、ですよ……氷川さん」
「──わかってます……ええ、痛いほどわかってますとも」
一体あなたの過去になにがあったんですか。気になるけど、つついたとしても下ネタしかでてこないからやめよう。
でも俺としては大きさよりも感触の心地よさが重要、みたいな? だから腕を抱かれたときのあの感触は紗夜さんも十分に魅力的だと思いますけど……と口には出さないよ。童貞だもん。しかも感触なら後頭部のふわふわ感触が一番だし。
「ああ……カンベさんってかわいいね。このまま調教したい……」
「目が怖いんで勘弁して」
あと言葉も怖い。調教て、あんたは監禁凌辱とかいうエロ同人みたいなことでもするつもりですか。
そんな非難の目で見ると松原さんは誤解だよう、と笑った。
「私のおうちで一晩、ねっとり、女の子がどうされたらきもちいのか教えてあげるだけ……♪」
「燐子さんレベルか」
「……ひどい、です」
ひどい? 出会って一週間経ったときのこと、俺は今でも恨んでますからね。
そうやって今度は燐子さんを非難の目で見ていると、頭をなでなで、優しく撫でられて上を見上げた。
「でもやっぱりカンベさんってガード固いから、作戦変更しようかなと思って」
「強姦から何になるのさ?」
「それを相手に訊く余裕のあるカンベさんに、私は少々教育方向を間違えたことを察知しました」
そりゃあね。普段一緒にいるのが紗夜さんに燐子さんだよ? ここで無駄に抵抗して犯されるよりは冷静に訴えかけるほうが得策でしょ。
──まぁ、ムスコは出番と勘違いして張り切っちゃってるんだけど。
「……ものすごい、理性と本能の、解離……ですね」
「童貞はこじらせるとこんな芸当もできるんですか」
やかましいよ。特に紗夜さん、童貞をバカにしちゃいけない。なにせこの年になるまで女体に触れたことすらなかったんだ。そのくらい朝飯前なんだよちくしょう。
「私も、じっくり責めてみようかな……って」
「ここの二人は攻めあぐねてるだけだけどね」
「ふふ、だからそのレースに参加するのも、面白そうだなって」
そんなことを言って、ぎゅむ、と俺の後頭部に胸を押し付けてくる松原さん。空即是色、色即是空。心頭滅却すれば火もまた涼し。
動揺なんてする余地はない。
「めちゃくちゃ動揺してますね」
「……童貞、ですから」
わかってるなら助けて。実はただ動けてないだけなんだから。あとそういえば思ったけど、松原さんってカレシいませんでした?
「あ、うん。別れちゃった」
「軽いですね……」
「だって嫉妬すごいんだもん。誰と会ってたんだー、ってそればっかり。それでセックスは独りよがりなんだもん、飽きちゃった」
あっけらかんと、松原さんはそう言い切った。そしてそのあと、だから今フリーなんだよ、とぞっとするくらいの蛇の眼光を降らせてきた。蛙は俺、捕食されてしまいそうなくらいの悪寒がする。
「それじゃあ、今日はそれだけ、また会おうね、カンベさん♪」
それだけ言って、松原さんは俺たちから離れた席に座って、何やら友人としゃべっていた。友人にも隠す気なしってどういうことなの。本当に価値観も何もかも理解できないヒトだ、松原さんってヒトは。
それが特に紗夜さんや燐子さんを理解できかけているからこそ、思うことなんだろうな。その日は、一応、と燐子さんとあこちゃんと一緒に帰ることになった。男女逆な気もしないけど。