拝啓、天国にいるおじいちゃんへ。俺は今、男性として途轍もなく羨ましくもあるピンチに陥っています。それはなんと、美人な女子高生、まぁ同期なんだけど……しかも二人が俺の家にやってきているんです。
羨ましいんだろうか。代われるものなら誰か代わってほしいです。切実に。
「お、お茶です……」
「あ……ふふ、とてもいい、香りですね……」
「お客様用のだからね……はは」
しかもそういう時に限ってお母様もお父様も不在である。まぁ父さんはこの時間に帰ってくることなんてないけどさ、母さんがまさか友達と飲み会だなんて……やめてくれよ。俺はおかげでこの二人をたった一人で相手しなきゃいけないんだけど。
しかも二人して猛獣だよ猛獣。
「さて……なにからお話しましょうか?」
「とにかく……今日、あったことを、包み隠さず教えてください」
紗夜さんがあくまで厳しく、燐子さんは優しく、これぞビッチコンビによる飴と鞭戦法。これにより隠し通す気概を失わせる高等話術である。あと俺の貞操は死ぬ。
そんなコンビネーション攻撃だけど、やっぱり俺相手だと勝手が違うようで隙がある。だからまだ余裕のある感じで冗談を挟む余裕もあるよ。
「ちなみに隠したら?」
「その時は隠したこと一つにつき、一発です」
「なんなりとお聞きください」
一発ってなに、ああいい言わなくていいから。言わなくていいからごめんなさい、まだ清い身体でいたいです。
やっぱりこの二人には勝てません。だって脅しに貞操持ちかけてくるんだもん! ずるいや!
紗夜さんは机にカップを置いて、組んでいた足を組み替えながら、ソファーに背を預けてため息をついた。
「……それで、どうしてスマホを手放したの?」
「危険がないと思ったから」
「暗がりなのに?」
それは紗夜さんの考えすぎだということを花音さん本人から口にしてましたけどね、と思いながらも弁明をする。
花音さんは別にヤりたい目的で水族館に行かないということ、他に諸々、ちゃんと花音さんは貞操の危険性なんて感じなかったことを説明した。少なくとも今のあなたたちよりはよっぽど危なさなかったんですよ。これは口が裂けても言えないけど。
「……そう、なんですね……なら、よかった」
と、これは燐子さん。紅茶を飲みながら本当に安心したように息を吐いた。まぁ、心配かけたことについては申し訳なかったとは思う。今後は気をつけよう。
──けど、その隣に座って腕を組んでる方のヒトは、眉根を寄せてる。まだ納得できてないらしい。
「どうして、そう簡単に信用してしまうのですか……」
「いや、だって大丈夫だって」
「それが、あなたを誘うブラフかもしれない、ということを何で考慮しないの、と言っているのよ」
うわぁ……めちゃくちゃイライラしていらっしゃる。組まれた腕に指先がトントンと往復する。なんでそんなに怒るのかわからないけど、俺はそれだったとしても、きちんと俺にヒントをくれた花音さんを悪く言うつもりはないと弁護した。
「俺にとっても花音さんにとっても利点があったからだったし、リスクがなかった。だから連絡が必要だとは思わなかったよ」
「──っ! そう……その結果が腕を組んで、あんな至近距離で……」
やば、なんかますますイライラしだした。紗夜さんだって大概では? と思うんだけどどうだろうか。燐子さんに視線を向けるとものすごいおろおろしていた。どうやら燐子さんもここまで怒り心頭になるとは思っていなかったらしく、パニック状態だ。
「楽しそうにしていましたけど、松原さんが苦手ではなかったのですか?」
「うん。まだ苦手だよ、あのヒトの恋愛観は俺には異次元すぎるし」
でも、楽しかった。水族館に通い詰めてるだけあって慣れてるし、解説とかしてくれるとただ眺めてるよりも沢山心に残るような感じだった。それに純粋に楽しそうにしてくれる花音さんの前で難しい顔を保ってられるほど、俺は意地の悪い人間じゃないから。
それを伝えたら、紗夜さんは眉間の皺を解すことなく何かを言おうと口を開いては閉じ、そして、ため息をついて立ち上がった。
「……そうですか」
「氷川さん……?」
「紗夜さん?」
──その瞳は、何も映していなかった。燐子さんのことも、まだ湯気を出している紅茶のことも……向かいで正座をしてるはずの、俺のことも。
びっくりするほど冷たい目をして、さっきまであったはずの怒りも感じさせない、というかなんの感情も感じさせない表情をしていた。
「帰ります」
「……え、ひ、氷川さん……?」
「お邪魔しました」
「待っ……!」
何を言ったらいいかわかんなくて、何も言えなかった。紗夜さんは足早に立ち去っていってしまい、俺と燐子さんだけが残されることになった。以前、燐子さんが泣いて立ち去った時とは違うのは、燐子さんも悲しそうな顔をしていることだった。
「俺……ミスりましたかね?」
おそるおそる問いかけると燐子さんは首を横に振った。
ミスはしてない。ただ、完全に悪くないかというと、そうでもない。傷つけたのは事実だから。
「今回、カンベさんは半分くらいしか悪くありません」
「半々、か」
「はい。カンベさんは……氷川さんのことを、考えて行動、した……んですよね?」
「まぁ」
紗夜さんを理解したくて。それが間違いだったことを花音さんには思い知らされたけどさ。でも、それでも紗夜さんのことを考えて行動したことは、間違いじゃないと燐子さんは俺の頭を撫でてくれた。なんか、ほっとする。あこちゃんは結構してもらってるらしいね、これ。羨ましい。
「ですが……だからこそ、氷川さんの、ことを傷つけてしまったんです……」
「……だからこそ」
眉尻を下げて、燐子さんは悲しそうにつぶやいた。
自分のことを考えてくれた。それは喜ぶことかもしれなかったのに、俺は花音さんに近づきすぎたことで、どうしたらいいのかわからなくなったんだな。だから、あんな反応をしたんだ。
「わたしも、少しだけ……痛くなりました」
「燐子さんも?」
「……氷川さんのために、向き合おうとしたことも……そのために松原さんと、デートをしたことも……二番目に甘んじているのも……本当は、嫌ですから」
「……そうだったね」
待ってこんな状況で泣かないでほしい。女を泣かせたくないとかそんなんじゃなくて、俺がフリーズするからやめてほしいってだけで、あとそんな告白めいた言葉で泣かないで罪悪感で俺は押しつぶされそうだよ。
「絆されてくれないかな……とは、思いました……なんて」
「心臓に悪いので」
「ふふ、やめません」
「……あっそう」
こんなことしてたらますます紗夜さんが意固地になりそうだね。でも、今絆されてしまうところだったけどさ。
あのヒトのリップがついたすっかりぬるくなったカップが、凄く怒ってるみたいだから。今日はハグもキスもナシの方向で。あとこの完全に二人きりは危ない。燐子さんが正気を失う前になんとかしないと。
「送ってくよ」
「狼さんですね」
「……フツーに送ってくだけです」
「なら夜道は怖いから、腕を組んでくれると……嬉しいです」
それは組まないとここで襲う、というのと同義では? と思ったけど燐子さんはふふふ、と蠱惑的に微笑むだけ。ああもう無駄に健全な男子高校生の性欲を弄ぶような笑顔はやめようね!
「……こんなの、ズルいってわかってますけど……」
「いいんじゃないですか……って俺が言うのは違う気がするけどさ」
腕を組んでわざと押し付けてくるFサイズという究極の
「でも、恋はしちゃったんだから、しょうがないでしょ?」
「……はい」
「痛くても、痛くても……結局好きなんだから」
好きに理由はいらない。無理に理由を探して、それを否定して嫌いになるのなんて、もっと間違ってる。俺は、花音さんに好きの理由を聞いて、そう気づいたんだ。
──俺、まだあの子のことが……美鈴のことが、好きだ。
「……そう、ですか」
「って言っても、告白するつもりもないけどね」
なにせ向こうにはカレシもいるし、それを引いても俺はこの気持ちを抱えながら紗夜さんとも、燐子さんとも、花音さんともキスをしてしまって、デートの約束をして、恋人みたいに手を繋いだり腕を組んだりしちゃってるからね。あの時点でがっついてる童貞って言われてるから、大分その友達付き合いとしての一線は後ろだったし、丁度いいと思うよ。
「でも……やっぱり好きだからさ」
「……はい」
「ごめん……こんな近くまで許しといてさ……俺って最低だよな」
別のヒトを好きなのに、家の前についても下を向いてる燐子さんを慰める方法を、抱きしめてあげる以外に思いつかないなんて最低だ。
別のヒトを好きなのに、カンベさんは最低なんかじゃないです、って泣きじゃくりながら言わせるなんて最低だ。
別のヒトを好きなのに、嫉妬と怒りと悲しみで、きっと今も苦しんでる紗夜さんに会いたい、会って助けたいと思ってしまう俺は、本当に最低だ。
ヒーロー気どりの俺を、許さなくてもいいから。俺なんかのために、傷つかないで。
──もう、泣かないで。泣かないでよ、燐子さん。