ぱったりと紗夜さんからの連絡が途絶えて早三日。俺は燐子さんの要請を受けて羽丘へと向かった。
それまでは毎日のように顔を合わせていただけに、どこに行っても紗夜さんがいないというのは、なんだか日常じゃないような居心地の悪さがあった。
「……カンベさん」
「ごめん燐子さん。お待たせしました」
「いえ……大丈夫、です」
そして燐子さんともちょこっとだけ顔を合わせにくかったけど、俺を見つけてぱっと笑顔を咲かせられると、どうにも気まずさを引きずってるのもダメな気がしちゃうよね。
──しかも連絡でストレートに会いたい、なんて言われたらさ。
「こちらこそ……ごめんなさい、忙しく、なかったですか?」
「大丈夫だよ」
ホントは美鈴のグループに寄り道しようって誘われてたけどね。これは燐子さんには内緒にしておいたほうがよさそうだし。いくら好きな相手って行っても、嘘を塗り固めて無理に俺を誘ってくるヒトより、こうやって俺の存在に泣いたり笑ったりしてくれるヒトを優先するよね。
「……それじゃあ、わたしは……打ち合わせに、行ってきます」
「うん、俺は……ここにいればいいのかな?」
「はい! 留守番で申し訳ありませんけど、ここからはわたしに任せてくださいね!」
名残惜しそうに生徒会室から出ていく燐子さんと、俺に向かって元気いっぱいの笑顔を向けてくれる羽沢さんを見送って、俺は独りになった。
スマホを見ても紗夜さんからの連絡はなし。何か送ろうかとも思ったけど、文章が思いつかずに結局は俺が、心配するメッセージをくれた紗夜さんを既読無視しているカタチのままだ。
「なんだかなぁ……」
「おねーちゃんとケンカしたの?」
「──うわっ!? ひ、日菜さん?」
そんなため息をついていたら、机からひょこっとアイスブルーの髪とキラキラした瞳が俺の視界に入ってきた。
羽丘の生徒会長さんがこんなところでなにやってんすか。
「ここ生徒会室、あたしの城でしょ!」
「違うと思うし、打ち合わせは?」
「サボった!」
うわこのヒト最低だ! 堂々とサボったはダメでしょう。つぐちゃんにも言ってあるもん、とか主張されましても俺には羽沢さんが今頃ぐるぐる目を回してる姿が思い浮かぶんだけど。そしてそんなことになったら燐子さんもパニックになるからやめてほしいんだけど。
だけど日菜さんはそんな俺の指摘を華麗にスルーして詰め寄ってくる。
「それでそれで? おねーちゃんとケンカしてるの?」
「なんで嬉しそうなのさ……」
「興味あるだけだよ〜」
いや興味持たれても困る。嬉々として話すことじゃないので勘弁してもらえませんかね。
──と、思ったけど、日菜さんってもしかしなくても紗夜さんの様子を知ってるんじゃないだろうか。家族だし知ってるよな。その辺どうなんでしょうか。
「んー、なんかすっごくイライラしてる。最初は生理かなーって思ったんだけど、周期あたしとおんなじだし」
「そんなめちゃくちゃ触れにくい情報はいらない」
双子だからってそんなところまで一緒じゃなくてもよくないですかねってそうじゃなくてさ。ツッコミをしていると、日菜さんはまた少し考える素振りを見せてから、でもねと言葉を続けてくれる。
「ちょっと前みたいだなって」
「前、とは?」
「あたしとロクに話をしてくれなかった時のおねーちゃん」
それは、いわゆる狂犬時代と呼ばれるトゲトゲしさだけを持っていた紗夜さんのことでしょうか。俺の知らない時代なんだけど、紗夜さんは友希那の歌に出逢ってRoseliaを結成するまではバンドブレイカーだったらしい。周囲と合わせるつもりなんて微塵にもなくて、ただ暴力的に自分の実力だけを信じてきた時期があって、今はそんな様子なんて全くないけどさ。
──つまり、今の紗夜さんは周囲を寄せ付けない雰囲気ってことだね。
「それで、その紗夜さんを見て、俺をからかいに来たの?」
「ううん、からかいに来たわけじゃないよ」
あははと日菜さんは明るく笑った。そんなリアクションからどうやらピリピリはしてるけど、別に以前のように日菜さんにも冷たく当たってるわけじゃないということがわかった。
そうじゃなかったらこのヒトは烈火の如き怒りを俺に向けてくる。そんな気がする。
「少しだけ、キミにヒントをあげようと思ってさ」
「……ヒント、ですか」
「そ、おねーちゃん攻略のヒント!」
紗夜さん攻略と聞くとすぐさま飛びつきたくなるけど、小悪魔の尻尾と角が幻視できる彼女に頼り切るのはなんとなーく嫌なので警戒はしておこう。このヒト場合によっては多分紗夜さんよりヤバい気がする。
そんな警戒心に気付いてるのか気付いてないのかわからないような仕草で、日菜さんは生徒会長のデスク……ずっと思ってたけどなんでそんな校長室みたいなデスクなのと思う席に座って、目を細めてチェシャ猫みたいな笑顔を浮かべた。
「昔話をしてあげる……おねーちゃんの初恋の話」
「初恋……」
「あ、昔話って言っても、全然昔じゃないけどね」
そんなことを言いながら日菜さんは語り始めた。思い出しながらだからなのか全然時系列もめちゃくちゃで、後でまとめた感じだと始まりは二人が中学二年生の時らしい。当時も弓道部だった紗夜さんは、その年からやってきた顧問の先生に恋をしたらしい。
どんなヒトだったんだろう、と首を捻った俺に対して日菜さんは虚空に視線を彷徨わせていた。
「んーっとね、大人〜って感じ」
「ざっくりすぎません?」
「あは、とにかくね、落ち着いてて穏やかな若いセンセーだったよ」
キミとは大違いだね、なんて言われてちょっとダメージを負った。落ち着いてないし穏やかじゃないしどうせ子どもっぽいですよ。
──けど、その先生に対して一目惚れをした紗夜さんは猛烈にアタックを続けて、なんとその年の夏には紗夜さんが処女を奪われるというカタチで恋が実った。根負けしたんだろうか。
「結構際どい誘惑もしてたみたいだよ」
「……なんというか、紗夜さんらしくない」
「それはたぶん、今のおねーちゃんはケーケンホーフだからだよ」
それもそうかと納得したものの俺は疑問を挟み込むカタチになった。その恋がすぐ終わってしまうにしろ続いたにしろ、紗夜さんが俺に近づいた要因を構成する中に、あのヒトは援助交際を頻繁にしていたビッチってのがあるよね。今聞いた情報がそれにどう繋がるのか俺はそれが知りたかった。というか昔話ってそれを期待してたんだけど。
「大丈夫、関係あるよ。だっておねーちゃんは……遊ばれてたんだから」
「は?」
「たくさんえっちなことをされて、愛してるって口先だけでおねーちゃんを騙して、ギャンブルかなんかのたくさんの借金を押し付けてどっかに行っちゃった」
「……え、ちょ、ちょ、ちょっと待って」
完全に俺の理解が追いつかないくらいの衝撃を受けた事件が起こったのは中学三年生の終わり……つまり一年半以上、紗夜さんを弄び、貪り、その男は紗夜さんの卒業と同時に急にいなくなった。
高校生になってない、まだ働けない紗夜さんにはとても払える額じゃない借金、日菜さんは額とかの詳しい情報はさすがに知らないみたいだった。
「それを稼ぐために……おねーちゃんは身体を売ったんだよ」
「な、なんとかならなかったの? だって、それ、紗夜さんのせいじゃ……」
「誰かに相談できると思う? 真面目で堅物のおねーちゃんが、センセーとえっちして遊ばれて借金肩代わりされましたって」
「……う」
確かにそうだ。紗夜さんはそういうヒトだ。普段がビッチで俺に対してひたすらビッチムーブかましてくるせいで忘れそうだけど、本当は風紀委員をしちゃうくらいに真面目で規律に厳しい、まぁたぶん中学の出来事があったからこそ余計に、何事にもキッチリしたヒトなんだなって思う。
「もしかして、バンドを始めたのも?」
「理由のひとつかな? それはわかんないや」
でもバンドの出演料とかを返済に充ててたのは確かだよね。どうやら機材とかは援助交際相手のお得意様に買ってもらってたらしい。中には事情を知って、紗夜さんを本気で心配して……ってまぁ未成年とヤってはいるんだけどさ、協力してくれたヒトもいたって日菜さんは言った。一度だけ見かけたあのヒトもそのうちの一人ってことなのかな。
その返済は高校二年生の夏になるまで続いたらしい。その頃にはもう日菜さんもアイドルやってて、紗夜さんもRoseliaがあって、なんとかなったんだと日菜さんは言った。
「あたしもちょっとだけ手伝ったし、Roseliaは物凄く人気だったし、なんとかなったんだ……でもね、おねーちゃんはもうとっくに壊れてたんだ」
「え?」
「……疼いちゃうんだって、今でも時々、おねーちゃんはいつの間にかえっちすることが目的になってたんだよ」
「そんな……」
最初の男、紗夜さんの処女を奪った男が遺したものは借金だけじゃなくて、巡り巡ってそういうカタチで、今もなお紗夜さんを傷つけている。毎日のように快楽と脳内麻薬に浸されて、理性を犯され、めちゃくちゃにされたせいで、紗夜さんは借金がなんとかなった後も高校三年生、今年に入るまで援助交際を続けていた。それが、紗夜さんがビッチとなった、今に繋がるキズアト。
「キミになんとかして、なんて期待しないけど……でも、おねーちゃんはやっと、やっとフツーに恋をできるようになったってことを、知ってほしかったんだ」
「知ったとして……やっぱり俺はなんにもできませんよ」
「……うん。あたしも、まだえっちとかしたことないからさ、おねーちゃんのことをわかってあげられない。痛いも気持ちいいも、なんにも」
日菜さんはそれを笑顔で言った。でも俺には泣いているようにも見えて。でも俺だって同じだ。童貞の俺に紗夜さんの気持ちを推し量るなんて不可能だ。
──でも、紗夜さんが怖かったんだっていうのは痛いくらいによくわかった。無邪気に恋をして、傷ついてしまったから。それは奇しくも俺が美鈴の本性を知って、極端に恋に理由を求めすぎていたのと同じように、花音さんと俺が楽しげに歩いていたことで、紗夜さんは過去と今までの自分の過ちや、後悔が一気に押し寄せて、動けなくなって。だから、あんなふうに怒ってるような、泣いてるような表情をしてたんだ。
「でも、おねーちゃんと仲直りしてね」
「してね……って」
「じゃああたし、会議に参加しなくちゃだから!」
余計にどうしたらいいのかわかんなくて途方に暮れてたのにと唇を尖らせるけど、日菜さんはそんな俺の事情なんて知ったことじゃないとばかりに立ち上がり生徒会室からいなくなってしまった。サボったんじゃないんかい。
──結局、得られたのは紗夜さんの痛くて苦しい過去だけ。今の紗夜さんを俺がなんとかしてあげる方法なんて見つからないまま、羽沢さんがため息を吐きながら戻ってくるまで、ただ呆然とすることしかできなかった。