燐子さんと日菜さんが会議中ということで、暇な俺は羽沢さんの手伝いをしていた。小柄で茶色の短い髪の襟足を左右に揺らす羽沢さんの後ろをついて歩きながら癒されていると、会議室の前で声を掛けられた。
「あ、カンベさん。こんにちは」
「へ、あ……花音さん? どうしてここに?」
見間違えようのない松原花音さん。いつも通りキャラメル色のセーラー服に身を包んだDサイズのビッチさん。前みたいな警戒心はあんまり出さないで済むのは、ここなら花音さんなら大丈夫だと思ったからです。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「なにが?」
「私、こう見えてドラマーなんだあ」
え? マジで? 見た目ほんわかかわいい系の花音さんがドラム? 想像できない。どうやら俺が知らなかっただけで、バイト応援バンドを含めて二つのバンドに出るらしい。その事実に驚いていると、花音さんはにこやかにカンベさんも打ち合わせに出る? と問いかけてきた。
「俺が参加してなんになるの?」
「うーん、隣にいてくれたら机の下で脚とか触らせてあげるよ?」
「か、花音さん!?」
「遠慮します」
「カンベさんもどうしてそんな冷静なんですか!?」
それは日頃紗夜さんに鍛えられた成果です。というか会議中にそんなリスキーなことしない。しかも会議のメンバーに幼馴染いるんですよ。しかも俺に対して妙に冷たいなんちゃってギャルがね。
「な、慣れてるんですね……すごいなぁ」
「感心しちゃダメなとこだから、これ」
寧ろ貶されても文句は言わない。あでも羽沢さんにドン引きされたら俺の癒しはどこへ行ってしまうのってなるからやっぱりいいや。というか羽沢さんをそんなノリに巻き込んでごめんという罪悪感と同時に花音さんに視線を向ける。
「つぐみちゃん、その童貞くんだけはやめといた方がいいと思うよ?」
「花音さん?」
「ほら、こうやって視姦されちゃうんだから」
ひどい誤解ですね! そうやって憤慨していると羽沢さんは、しかん……? と疑問符を浮かべていた。かわいい。やっぱり守るべきはこの子の天使のような純粋さ。花音さんみたいな悪魔の囁きをこれ以上聞かせるわけにはいかない。俺は羽沢さんと花音さんの間に立ち、余計なことを言わないでほしいことを視線で訴えた。
「ふふ、そんな必死になっちゃって、かわいいんだあ……食べていい?」
「勘弁してください」
「んん、残念……はやく紗夜ちゃんと仲直りしたら、私ともシてね?」
シません。俺は花音さんのカレシになるつもりもないですから。そもそも、そもそもあなたは付き合ったとしても男遊び絶対止めないじゃん。嫌ですよ初のカノジョがセフレいっぱいの遊び歩くビッチなんて。
そうやって言うと、束縛されるのが嫌でカレシさんと別れた花音さんは微妙な反応をするだろうなと思いながらも口にすると、意外なことにそっかあ、とフラットに返事をされてしまった。
「あ、カレは最初はいいよって言ったクセに、ってことだから」
「別に束縛されるのが嫌だったわけじゃない、と?」
「そもそも、私が付き合いたいって思うのは……全部を独占したいから、だから」
おっと、ハイライトが消えた感じ。全部を独占したい、か。むしろ花音さんの方が束縛がえぐい。
──でもやっぱり、どんなにセフレとかがいる花音さんでも、ただセックスがしたいのと恋人として過ごしたいのは違うんだなってことはわかった。わかるくらいには俺も考え方が変わってきてるようだ。
「カンベさんのそういうところ、好きだなあ」
「からかわないでください」
「本気だよう……紗夜ちゃんと上手くいかなかったら、私が慰めてあげるね?」
それはお願いしようかな。けど慰めるの意味が下にまで及びそうだから流石に断っておいた。花音さんに甘えてちゃ紗夜さんは納得しないだろうしさ。
廊下でそんな雑談をしていたら、リサと灰色の髪の……ん、なんかリサとトーマが働いてるコンビニで見た覚えがある子と巷で噂のアイドルバンドのボーカリストの丸山彩さんがやってきた。おお、芸能人だ。
「それじゃあね、頑張ってね?」
「頑張ってください……って言っても、わたしにはなんのことかわかりませんけど……あはは」
「アンタは不器用で鈍感のバカ童貞なんだから、あんま小賢しいこと考えない方がいいと思うな、アタシは」
知り合い三人にそう声を掛けられ、やってきた日菜さんには無言で手を振られ、俺と燐子さんだけが残された。本日の業務はこれにて終了。後は燐子さんを花女に送り届けて帰るだけだ。はぁ、今日の電車も痴漢されるのか……なんか女の子が電車に乗りたくない理由がわかる。
「……何か、ありましたか?」
「え?」
夕暮れの駅までの道で、燐子さんはポツリとそう零した。何か顔に出てたんだろうかと燐子さんの方を向くと……彼女はもの凄く珍しい表情をしていた。
眉根をほんの少しだけ寄せて、心なしか柔らかそうな頬が膨らんでるように感じる。指を絡められ、恋人繋ぎという抗えない状況で握力も少し籠められている。
「えっと?」
「スッキリした……みたいな表情、してます……まさか、松原さんと」
「シてないから! それは、断じて!」
スッキリしたの意味が全然違うねそれは。何度も重ねて言いますけど、俺は、未だ清い身体です。童貞です!
その否定が伝わったようで、燐子さんはよかったと息を吐いた。今のは、燐子さんのヤキモチか。最近はずっと燻ぶらせてる気がする嫉妬の炎。
「日菜さんに紗夜さんの過去を聞いて、花音さんや燐子さんの態度を見て、俺なりに向き合う答えが出た気がするんだ」
「……そう、ですか」
どうしたらいいんだろうね。紗夜さんが前に言ってたみたいに、そしてランスのように複数人と付き合う? 俺はアイツのように器用じゃないから、こうやって誰かを悲しませるのがオチだ。なによりランスが平然とやってる女の子たちに不満を抱かせない方法が俺には全くと言っていいほどヴィジョンがわかない。
助けてあげたい。小さな頃に見たヒーローのように、手の届くところにいる大切なヒトの涙を拭ってあげたい。そんなヒロイックに憧れても現実は当たり前のように残酷だ。
「……帰りたく、ない」
「え?」
「……帰りたく、ありません……このままずっと……カンベさんと一緒に……いたい」
男なら誰だってモテたいと願うさ。俺だってモテたくてバンドやってるんだしさ。だけど、ランスやトーマの言う通りだった。
──モテるってのは、女の子の涙や嫉妬を踏みにじれるヤツの特権なんだって。俺は無駄に優しくて、善人であろうとするから、モテて後悔するのは俺自身だ、なんて言われた。当時はその言葉の意味をなんにもわかっちゃいなかったけど、確かにその通りだ。俺は今、小さな後悔をしてる。
弱ってたとはいえ、あの日、救いを求めて紗夜さんと関わりを持ってしまったこと。それによって、今までにないくらい女の子と関わって笑って、好きになってもらったこと。全部なかったことにできれば、いっそよかったのに。
「ごめん……俺は」
「……わたしは、魅力がありませんか……?」
そんなことない。燐子さんは引っ込み思案で怖がりなヒトだけど、自分を変えるために今、懸命に努力してる。そんなヒトを間近で見て、魅力がないなんて嘘でも言えない。
十分すぎるほどだよ。もうビッチだからって無意味に傷つけたりできないくらいに、俺は燐子さんと話した時間が大切だなんて思えるから。
「それでも俺には、好きなヒトがいるんだ……俺は俺の気持ちを裏切れない」
「……カンベさん」
デートの約束はちゃんと履行するよ。でも、俺は前に進むって決めた。進みたいって思えるようになったんだから。
俺は、ヒーローにはなれない。だから幻滅してもいいんですよ。
「幻滅、なんて……しません。今も、好きです……わたしは、やっとわたしのまま、満たされることが、できましたから……」
「うん……」
それ以上は電車内でも駅から花女までの道でも何も話すことなく、けれど手だけはしっかり繋いだままだったけど、燐子さんは図書室の前でその手を離して室内へと向かっていった。
──下手すると、失恋よりキツいよこれ。これならフられた方がまだマシだと思えるレベルの胸の痛みがする。嫌われた方が、何十倍も楽だ。
そんな胸の痛みを味わいながら、俺は生徒会室へと向かった。そこには燐子さんからの報告を待っている紗夜さんがいる。扉を三回ノックし、そしてキチっと失礼しますと声を出してから部屋へと足を踏み入れた。
「……カンベさん」
「紗夜さん」
開いた窓に手をかけて、紗夜さんは夕焼けを眺めながら長い髪を揺らしていた。画になる、ってこういうことを言うんだろうなという感想をなんとか押し込めて、俺は紗夜さんに対して謝罪をした。
「ごめん紗夜さん……」
「何を……謝るのですか」
「それはこの間の花音さんとのことを……」
「いいのよ、もう」
よくない。紗夜さんのその言い方はよくないヤツだ。俺はビッチから、紗夜さんから逃げるのはもう嫌なんだから。
そんな紗夜さんが笑ってくれないなんて、いいわけがない。
「私は……カンベさんにとって、
それが、紗夜さんの本音だった。紗夜さんの好きは、やっぱりなんだか色々間違ってる。でもそれを日菜さんから過去を聞いた後では間違ってるよ、なんて偉そうなことは言えない。きっと、初恋の時に都合のいい存在でなかったら嫌われるかも、という体験をしたからこその言葉だ。紗夜さんを縛り付ける、重い鎖。
「どうしてダメなの?」
「嫉妬してしまうの。あなたが他のヒトと仲良くしていると胸が痛くなる。私が全てそのポジションに収まりたいと思ってしまうの……こんな気持ちを抑えられないわ」
でも、紗夜さんはその鎖が簡単に引きちぎれてしまって、戸惑ってるんだ。春に出逢って、一緒に過ごしてきた短くて濃いこの時間が、紗夜さんの重かったはずの鎖を断ち切りつつあった。
紗夜さんにはたくさん教えられてきた。余計なことも必要なことも、たくさん、たくさん。だから俺は無駄な性知識があるし、美鈴に向けている気持ち悪さにも向き合えた。
──今度は、俺の番だ。
「知ってますか、紗夜さん」
「……え?」
「好きに理由はいらないんですよ。なんとなくでいいですし、それに独占したいって思うのは何も間違ったことじゃないです」
重いとかヤンデレとか思うけど、好きになった相手を独占したい、なんて本当に原始的な欲求でしょう。だいたい、恋人がビッチで他の男と寝てるは完全にアウトだし、それじゃなくても浮気はされたらショックだし、経験してないからなんとも言えないけど怒るとおもう。だから、それでいいんだ。例え紗夜さんがセックスしたくてたまらないビッチで、援助交際をしてたとしても、好きになったヒトに独占欲を出しても、いいんだよ。
「紗夜さんのそれが嫉妬だと知った時に、俺は一瞬、嬉しいと思いました」
「……うれ、しい」
「うん」
だってさ、美鈴はきっと、そんなことを想ってはくれない。嫉妬なんてせずに他に女がいるのに迫ってきてキモイ、くらいなもんだろう。
そして同時に、人間には本能的に複数の異性に惹かれることがステータスとして感じることを知った。それがモテるってことだし、俺はそんな人間を目指していたわけだしね。
だから、俺は紗夜さんの嫉妬に、嬉しいと思ったんだ。複数の女性に好意をもって貰ってるという、モテてるという実感。つまり俺は燐子さんと紗夜さんがビッチだから選ばなかったんじゃなくて、この状況が優越感だったから、放置してたってことだ。無意識に、けど確実に。
「俺は、紗夜さんに好きになってもらって、嬉しいんです。だから紗夜さんも、そんな風に自分を責めないで……言いたいこと言ってよ」
「……カンベさん」
──ああ、やっぱり俺はモテるの、向いてないや。こうして紗夜さんと二人きりで、窓を閉めたせいで、冷たかった空気が温くなっていく。抱きしめて密着して、頭を撫でると紗夜さんは甘えるようにすり寄ってくる。見上げられた期待にこもったその眼に吸い寄せられるように、俺は自分から、紗夜さんと唇を重ねた。けど、俺の脳裏にあったのは紗夜さんとの甘い時間に対する幸福感じゃなくて、図書室にいる燐子さんの泣き顔と花音さんの顔、そして美鈴の顔。とことんまで俺は甘くて、バカなんだなって思う。
キスまでしてるのに、今更後には引けないだろうに。俺は、暮れていく夕陽を浴びながら、まるで恋人同士のように肩を寄せ合い、キスをしながらこれまでのことを話し合っていった。