「ふうん、それで、泣いて泣いて、紗夜ちゃんの楽しいを台無しにしたんだあ」
「……その言い方やめてください」
紗夜さんへ最低な告白をして、それから少し経ち、俺は羽沢珈琲店にいた。ことのあらましを説明したら女性になじられることが多い気がするのは気のせいでしょうか。俺はそういう性癖じゃないんだけど。
お相手は松原花音さん。なんだかんだ頼ってるけどこのヒトも俺を好きだと公言してる。モテ期って本当に相手の感情が怖くなるよね。経験した。
「しかも私は入ってないんだあ」
「……あ、うん。それは……ごめん」
「謝らなくていいよう」
とは言ってくれるけど、正直好意を振り切れない俺としてはこれ以上、自分の言葉で傷つけたくないんだよ。
花音さんはふふ、と笑みをこぼした。
「いいよ。えっちもそうだけど、恋って、今しかできないんだもん」
「そんなもんなのかな」
「すごくエネルギー使うでしょ? 恋するのも、えっちしたいなあって思うのも」
後半には同意しかねますけどね。恋をするってすごくエネルギーを使うのはわかる。きっと大人になったらこういう感情に時間やエネルギーを割けなくなっていくってことが言いたいんだろうな。
女の人はそれが特に顕著ってことだよね。男っていつまでもそういうエネルギーを持っていられるけど。
「それでも、大人になっても性欲を失わないヒトって素敵だと思うけどなあ」
「花音さんの感覚ならそうなんでしょうね」
「うん」
そこが花音さんは好意を無碍に、というか未だに断れるところなんだと思うよ。
花音さんはなんていうかすごくあっさりしてる。というかしすぎてる。今も俺の言葉に悲しむ素振りすらないもん。
「浮気相手に立候補しようかなあって」
「セックスだけしたいと」
「ううん。デートも」
複数関係を持って俺のサイフの中身をすっからかんにしようたってそうはいかない。と苦笑いで冗談交じりに言うと花音さんはサイフから壱万円とかかれたお札を取り出し……すいません待ってください。
「え?」
「え、じゃないんだけど……?」
「カンベさんのサイフの中身が心許ないって話じゃなかった?」
「違うよ?」
このヒト怖い。なんでこう簡単にお金出てくるの? キミたちの経済事情どうなってるの?
戦慄していたら花音さんはサラっと普段は貢がれるほうだからと笑う。いや笑えねぇ。
それも笑えないけど貢がれたお金横流しはもっと笑えない。しかも身体で払ってもらったお金って。
「あ、今汚いお金とか思った?」
「……いやまぁ、うん」
「汚いお金って、なに?」
花音さんの目は笑ってない。うわ地雷踏んだ。
瞬間的に謝ろうかと思ったけど、花音さんは何かを言いたいのかなと思って黙っておくことにしよう、素直にお説教されるのも手だよね。
「い、違法なことして集めたら、汚いんじゃ?」
「私、別にこれが援交で集めたお金って言ってないよ?」
フツーにバイト代だよう、と言われて俺は全身に汗をかいた。うわ、やらかした。暖房がめっちゃ熱く感じる。
金銭はやっぱり問題があるから基本的にはプレゼント、という形で収まっているらしい。しかも任意。花音さんは自分が実際に出逢ったヒトの中で気に入ったヒトとしかセックスはしないと聞いて、反射的に土下座しそうになった。
「……そういうトコだよ?」
「え?」
「私や紗夜ちゃんとか燐子ちゃん、他にもリサちゃんやお友達がカンベさんのことを放っておけない理由」
カンベさんはカンベさんの世界の中にいる女の子しか見えてないから、と言われて、俺は
胸に切り傷がついたような痛みに襲われた。
俺にとっての女の子像は、確かにみんなあそこで頑張ってる羽沢さんみたいな子、なのかも。でも現実には色んな人がいる。タイクーンみたいなお調子者、トーマみたいなイケメン、ランスみたいなクズも、アイスみたいななに考えてるかわかんないヤツもいる。みんながみんな同じところって言ったらそれこそ、人間ってとこだけだ。
「もう、目を瞑っちゃうのはやめよう? 現実は全然、キレイにできてないかもだけど……それでも私たちが生きてる世界は、キレイじゃないんだから」
犯罪はなくならない。戦争はなくならない。人間はエゴの塊。それが現実。
女の子もセックスが好きでしょうがない子がいたり、集団で一人に暴力を振るうヤツもいる。男をすぐに乗り換えたり、傷ついて傷を埋めるために身体を求めたり、自分を変えたくて自分じゃない自分を演じたり、恋をして欲を満たすヒトがいる。
「ヤなことばっかりじゃないと思うけどなあ」
「……それは、そうだね」
でも少なくとも、その現実にはダチがいる。一緒にバカをやって楽しい仲間がいる。本当に困ってしまうくらいに俺を好きでいてくれるヒトがいる。
理想に溺れて現実という流れに逆らうのが決してカッコいいわけじゃない。時には流される
「少なくとも、俺は花音さんに好きでいてもらえたの、良いことだって思えるし……好きには、なれそうにないけど」
「……ん、ざんねん」
物足りなくなったら連絡してね、と花音さんは流し目を送ってくる。物足りないってなに。俺はまだ清い身体でいたいって一応考えてるんだけど。
でも、残念と呟いた花音さんは本当に残念そうで、俺はまた胸が痛むのを感じた。ごめんね、花音さん。俺は器用じゃないから、浮気はできなさそうだよ。
「あ、そうだ……もう一つだけ、私から言いたいことあるんだけど」
「な、なんですか?」
改まった花音さんにそう前置きをされ、俺は居住まいを正した。何があるんだろう、何をされるんだろう、という疑惑が漠然と浮き上がる。
けれど、その眼は真剣だった。花音さんは俺を真っ直ぐに見て、まるで俺のこれからの行動を見透かしたように言葉をくれた。
「カッコよくなくていいんだよ?」
「カッコよくなくて……ですか」
「うん。みっともなくていいから……カンベさんがこうありたいと思ったように恋をしていけばいいんだよ」
失恋の傷やそれを慰めてくれるヒトの身体に溺れるのもまた、恋の一つだからと、花音さんは物凄くアダルトな一言を付け加えてくれた。ちょっと花音さんの恋愛歴が知りたいよね。あったのかな、そういうこと。気になるけど聞いたら戻ってこれない気がするからやめとこう。
でも、そうだよね。好きになって付き合うだけが恋の形じゃないってことだよね。振られるのも恋で、振るのも恋。その恋から生まれた新しい関係だって、恋なんだ。恋愛に決まったカタチがないなら、俺は俺のカタチで恋愛をしていけばいい。
──みっともなく、ただ純粋に不純な、俺たちの音楽のような恋愛を。
「……ありがとう、花音さん」
「浮気する気になったら……いつでも相手するからね」
「それは……童貞卒業したらにします」
「楽しみにしておくねえ」
会計を終えた俺に向かって、ふわりと、まるで清らかな美少女のような微笑みを浮かべた。そうしてから一人で帰ろうと俺から背を向ける。
──そんな花音さんにたった一言、告げるのだった。
「帰り道、反対方向だけど」
「……あれ?」
流石方向音痴な花音さん。一人では帰れそうにはないだろうから、並んで歩くことになった。
本当はさ、ここで別れて一人悶々としようとでも思ったわけだけど、仕方ないか。
必然的にする予定のない会話を繰り広げていく。
「それで、どっちで童貞卒業予定?」
「ごめんなに言ってるかわかんない」
「どっちとえっちするの?」
「うんわかんないなぁ!」
なんで下ネタに持っていこうとするんですか。そんなの決めてたとしても花音さんに言うわけないでしょ。
花音さんはまるで年上のお姉さんなんじゃないかと思うような表情でくすくすと笑って、かわいいなあと呟いてきた。なにこの童貞キラーみたいなヒト、あ、童貞キラーだった。
「あ、電車に乗るんだよね、今から」
「行きもそうだったからね」
「じゃあ──」
「痴漢プレイはしませんよ」
その反応には二度ほど覚えがあったので先回りさせてもらった。三度はない。二度もあんなに理性が危うくなったのに三度めはね、と苦笑いをしていたら、花音さんはきょとんとしてから、二秒後、完全に捕食者の瞳で俺を捉えてきた。
「へえ、その反応は……シたことあるんだあ」
シたことないです。ええ、なかったことになってます。
なかったことになったので迫ってこないでください。はい腕を組むのもナシですからね。
そんな冷たい態度をとると、これは珍しく花音さんはむう、と頬を膨らませた。さっきまでお姉さんだったのに急に子どもにならんでください。
「私は挿れてもいいから……ね?」
「なんでそれでいいと思ったの?」
シませんってば。と拒否するとやあだあと首を横に振り始めた。なんなんですかホントに。
どうやら花音さん的には触ってくれないと嫌だそうで、ぎゅうっとヒトの腕を自分の身体に抱き込んで見上げてきた。ええ、なにこのリアクション。急にかわいいモードに入ってこないで息するの忘れそうだから。
「花音さん……」
「最近セフレとも喧嘩しちゃったからタマってるんだもん」
「だもんじゃなくてね……?」
セフレとまで喧嘩したんですかドンマイ。というか花音さんセフレさん何人いるのか知らないんだけど、いやまぁ知りたくもなかったからなんですけどね。
「今は一人だよ」
「足りますか、一人で」
「ううん」
足らないんだねやっぱり、なのにその一人とも喧嘩しちゃって今はセックスできてないと。
それはそれは……ん? それって俺は今ハラペコ肉食獣の檻に入れられた生肉と同じなのでは? お、犯される……!
「見えないところで見えないようにならいじっていいよ……私も、イジってあげるから♡」
わざと甘めの声をあげて俺を誘惑してこないで。最近特に俺の愚息は堪え性がなくなっちゃってきてるんだから、俺を清い身体のままでいさせてください!
そんな攻防をしながらの電車内で、俺は悶々と考えるの意味が変わってしまった。花音さんのわざとな気がする! 帰り際の満足げな顔がそれを物語っていた。