夜が明けた翌日、俺はとある決意をした。花音さんに言われたこと、紗夜さんに言われたこと、燐子さんに言われたこと、いろいろな言葉が俺の中に流れては去っていった。
コンディションは良好、思ったよりも自分の中でこの決意と覚悟を受け入れてるな。不思議な感覚だ。
今日は平日、ちゃんと学校に行かないとね。
「おはよ」
「おはよ……って、なんでそんな清々しい顔してんの?」
そりゃあいろいろ覚悟はできたからね。そんなことを言うとトーマはそうかとわかってるのかわかってないのかよくわからない笑みを浮かべた。
ひとまず、今日で俺の気持ちに一旦、整理がつくと思う。
「あんまり一人で抱え込むなよ、ダチだろ」
「わかってる、ダチなんだしさ」
そもそも一人でなんでも抱え込めるほど強い人間になった覚えはないからね。
残りの会話は冗談半分の、いつものバカ話とバカ騒ぎ。いつものノリってのもやっぱりいいよなとなんだか感慨に耽る自分を感じながら、トーマとタイクーンとしゃべってると、そこにおはよ、と明るい、それでいて控えめな声が聞こえてきた。
「おはよ、美鈴」
「おは、飯倉」
「おはよう飯倉さん」
俺、トーマ、タイクーンの順番であいさつを返した。美鈴、俺の恋する相手でもある飯倉美鈴は、三人の、多分俺の反応があんまりにもフラットだったせいで、目をパチクリとさせてそれから首を傾げた。いやいや、そんな俺ってわかりやす……かったわ。
「カンベ?」
「んー?」
「……なんかあった?」
あったあった。あなたが俺を見ていない間に俺には目まぐるしい変化がありましたとも。そんなことは言わずに、ただ一言、極めてフラットに美鈴をもう一度呼び止めた。
──驚いて振り返る美鈴の反応がちょっと面白い。俺は、こんなわかりやすいヤツの反応が今まで見えてなくて空回りしてたと思うと、成長を感じざるを得ない。
「今日の放課後さ、時間ある?」
「え……ない、けど」
チラリと別の男、同級生であり今のカレシであるヤツの方に視線をそらした。俺がまだ知らなくて無邪気に誘ってると思ってるのか、知っててそういうことをしてると思ってるのか。そこまでエスパーじゃないからわからないけど、美鈴は目に見えて迷いの表情を浮かべた。そんな悪いことはしないけどね。痴漢プレイを慣行しようとしたり座ってる横でうっとりした表情で太腿触ったりしません。そんなことをするヤツは知り合いに三人しか知らない。
「寄り道でもどうかなーって、ほら、最近してねぇじゃん?」
「……んー、どーしよっかなー」
ここで断られるならそれまで、断られなかったら決めた覚悟をそのまま実行するだけ。俺はもうどっちでもいいと思ってるところがあるからきっと平静で、だからこそ美鈴も真意を計り兼ねているように感じられた。これでまた美鈴や周囲のヤツが陰口を垂れ流しても別にどうだっていいし、それ込みの覚悟ってヤツだからね。
「……ん、わかった」
迷いに迷いを重ねて、ようやく美鈴はそれだけを言った。ごめんね、美鈴。俺の青春ってヤツにもう少しだけ巻き込むけど、それだけは謝っておく。
自分の席へと戻っていく美鈴の後ろ姿を眺めながら、トーマとタイクーンが少しだけ驚いた顔をしてきた。
「お前、すげーな」
「後ろの視線、気づいてただろ?」
「うん」
男の嫉妬も十分怖いな、なんてタイクーンが茶化して、トーマがそりゃそうだろう、と俺に意味深な視線を送ってきた。冗談でもそのハナシは終わったんだから蒸し返してこないでよ。
──さて、そんないつものノリはさておき、俺は今日の美鈴との寄り道に何を話そうか、何処に寄り道しようか考えておかないとね。
気怠そうにやってくる担任教師を合図にそれぞれの席へと戻っていった。
♪ ♪ ♪
ベースを背負い、俺はスタジオを後にした。寄り道もあってすっかり暗くなったし、今日はゆっくり帰ろうかな、といつもよりもペースを遅めて帰り道を歩いていく。
反対方向へと向かうヒトの中に、仲睦まじい姿のカップルがいて、俺はそれを少しだけ横目に見ながら、素直な言葉を漏らした。
「いいなぁ……うん、羨ましい」
誰かと恋人になる、カップルになるということは見た目以上に大変なことの連続なんじゃないかと思う。けれど、外に見せるのはそんな汚い部分じゃなくて、みんなみんな幸せそうに笑顔で歩くヒトばかり。どれだけ遠回りをしても、傷ついても、そうやって誰かと手を繋いでいられるヒトたちを、俺は素直に羨ましいと思う。
「──私でよろしければ、お手伝いしましょうか?」
ふと、そんな振り返った俺が視線を戻したときに、そのヒトは目の前にいた。ギターを背負い、アイスブルーの長い髪を靡かせる。氷属性系の美人さん。
キリっと直立してひんやりした態度を感じさせるそのヒトの本当なら耳を疑いたくなるような言葉に俺は、やっとほっとしたような顔で笑うことができた。
「何を?」
「それはもちろん、ああいうカップルのようにこれからホテルへと向かい、朝までじっくりねっとりと愛を語らうお手伝いです」
「いやそんな不純な目で見てないからね?」
彼女は勿論、いつも俺に付きまとうビッチさん。こんな童貞を拗らせた俺のことを好きだと言ってくれる世にも珍しいビッチさんの氷川紗夜さん。あの、どうでもいいんですけど丸を作って人差し指をそこに通して抜いてを繰り返しながら語らうとか言わないで、そういう意味なのも知ってるけど他人のフリをしたくなっちゃうからね。
「……紗夜さん」
「傷心に、付け込みにまいりました」
参ったな、どこまで知ってるんだろう。俺は誰にもなにも言ってないんだけどさ。
そんな風に苦笑いをしたらトーマさんです、と紗夜さんは俺の、もちろん口に出してないはずの疑問に答えてくれた。
「トーマさんが今井さんに連絡したそうです」
「俺が特攻するつもりかも、と」
「ええ」
そりゃずいぶんと連絡網がしっかりしているようで……というかやっぱり、紗夜さんのストーカー行為の情報源は、あのバカップルだったんだね。基本的にはトーマが俺の居場所を把握しているから、それをリサに送って、それを紗夜に横流ししてた、と。ホントにしっかりした連絡網だね。
「カンベさんの反応で確信しました……フラれたのですね」
「そりゃそうでしょ、なにせ向こうはラブラブイチャイチャ、それこそホテルで朝まで語り合えるカレシがいるわけだからね」
「そうでしたね」
ずいぶんあっさりしたものだったよ。コンビニに寄って、美鈴の好きだったアーティストのグッズがたまたま売ってて、それを貢ぎながらの好きです、というたった短い四文字の告白、それに対する美鈴は怪訝な顔をして、それから険しい顔で一言、どこまで知ってるの? と問いかけてきた。
「全部知ってる」
「全部?」
「美鈴が俺を好きだったことも、俺が好きになったせいでイヤになったことも、それを愚痴ってたことも、カレシがいることも、全部」
「……なのに?」
「だってさ……そうじゃないと、ケジメがつけらんないから」
俺はバカで不器用で、その上空気が読めないとんだクソ童貞だからさ。こうでもしないと美鈴を諦めきれなかったんだから。
晴れやかな顔でそれを言いきったら、美鈴はそっか……とちょっとだけ悔しそうな顔をした。
「今のカンベがもうちょっと前だったら……喜んでたかも」
「美鈴が嫌ってくれたから、今の俺がいるんだけど」
「なにそれ、変」
言い方が変だけどそういうことになる。俺がこうやって美鈴と、ヒトを好きになるってことに向き合えたのは、あの日、紗夜さんに出逢ったからだ。紗夜さんに出逢ったのは、偶然、俺がむしゃくしゃしてスタジオに飛び込んだから。だから俺は納得できてるんだろうな。
「……ごめんね、カンベ」
「いいよ」
「お、ヨユーじゃん。まさか本命がいる?」
「いやいや、グサっとはきたよ」
「……ふーん?」
なんかこういう距離の近いやり取りもずいぶん久しぶりな気がする。やっぱり美鈴はこうやって異性との距離が近いタイプだったんだなってのも今になってわかった。かわいいとは思うけど、好きだった、とは思うけど、もうそれだけ。俺は美鈴への気持ちも特別な感情も全部、過去に置いてきた。やっと、置いてこれた。
「──というわけでバッサリフラれてきたよ」
「そう……ふふ」
「ええ、笑わないでもらえます?」
──それから場所が移り、いつものファストフード店へ。今日は花音さんがシフトにいて、急に遅くまでって言われたんだあとポテトをサービスしてくれた。いや心配なんでそのくらいの時間までいますからねと言ったらさらに一個増えた。花音さんも諦めてはくれない。まぁ今は二番目以降狙いだし、図太くもなるのか。
「いえ……否定しなかったのね」
「……うん?」
「本命がいるか、という問いについてよ」
ああ、うん。確かに避けたけど否定はしなかったね。イエスって言ったら悪い気がしたし、なによりノーっていうのは厳密にはウソになっちゃう気がしたからね。
でもそうは思いませんか?
「白金さんじゃなくて、いいのね?」
「ここで燐子さんに会ってたら、俺は燐子さんにこれと同じことを言うつもりでした」
「とても優柔不断だわ」
「そりゃあ、どっちも本命でしたから」
まさに運命に全てを委ねる感じだった。美鈴にフラれて、最初に会った方に、俺はこの話をしようと。最低な選び方だけど、どちらも選べなかった俺なりの納得のいくコイントスって感じだ。その結果が紗夜さんだったってだけ。けど、そこで紗夜さんがいたってのが重要なんだよね。
「大学」
「──え?」
「紗夜さん、共学の音楽学校に通うって言ってましたよね?」
「え、ええ」
その私立大学では昨今のブームと需要を受けて、ちょっと前に新設されたギターやベースといった現代楽器も専攻できるところ。紗夜さんからそこに通うことを聞かされていた俺は、紗夜さんの前で宣言した。
「俺もそこを受けるから……受かったら、その時は……俺のハジメテのカノジョに、なってほしい」
「……受かったら、なのね」
あ、ちょっとしょんぼりした。かわいい。
じゃなくて、俺だってこれは背水の陣でもあるわけでさ。つまりは紗夜さんと同じ大学に通えなかったらマジに俺は相当カノジョも童貞卒業も遠のくわけですよ。俺だってそれは避けたいから目の前にエサをぶら下げよう作戦、バイタイクーン。
「それに」
「それに?」
「今付き合ったら……受験にもバンドにも集中できなくなりそうだしさ」
「……そう」
それなら、と紗夜さんは承諾してくれた。この期間の間もついに予約済みとなった紗夜さんだけでなく、燐子さんも花音さんも、俺のことを狙って虎視眈々と目を光らせるだろう。俺の高校生活は、そうやって賑やかに、バカとビッチに囲まれて終わっていく。そうやって終わらせる。
──それでも、紗夜さんは笑って許してくれるんだろう。でもきっと最後に絶対に念を押してくるんだ。ビッチらしい、けど純情を込めて。
「覚えておいてください……私が、あなたのハジメテの女になるのだから」
俺はきっと、俺のためにたくさん変わってくれたあなたにとってのハジメテになります。そして、そんなあなたにハジメテを奪ってもらって、きっと。
もう
「当然です、最近成長してCになりましたから」
「台無しにしていくね!?」
──紗夜のBはBitchのB! THE END