ピアノのレッスン室から場所は燐子さんの家に移動し、俺と紗夜が代表で残った。幼馴染様はこれからカレシくんのデートがあるらしい。友希那とタイクーンは何かリサたちにくっついてどこかに行ったらしい。
それはさておき、燐子さんによって紅茶を淹れてもらい、茶葉の香りが部屋に広がった。
「え……っと、何から……話しましょう、か……?」
「そもそも……本当、なのですか?」
「俺も、あんまり信じられないんだけど」
「そこから……ですね」
燐子さんはお茶を出しながら、先週からの出来事を説明してくれた。
──スタート地点は少し前のことに遡るらしい。最初の一週間は俺と一緒に通学できて自分の中で幸せ絶頂だったらしい。でも、その内に気づくことがあった。
「紗夜」
「なに?」
「そろそろ自分のイヤホン出してよ」
「嫌」
「なんで」
「そうするとカンベさんと繋がっていられるのよ……ね?」
「さするな! またありもしない既成事実を」
「……認知してくれないの?」
「シてないのに?」
受け入れられてるというのに、その通学空間に燐子さんの居場所はなかった。俺がいくら燐子さんが男性からの痴漢に遭わないようにと気を張っているのに気づいていても、じゃれあう俺と紗夜の会話に、燐子さんは壁を感じていたらしい。
それから燐子さんは一緒に通わなくなった。あのままいたら、嫉妬してしまうことが嫌で、そしてなにより嫉妬してしまう自分が嫌で。
「そんな時に……あのヒトに声を掛けられ……ました」
「そっか」
俺が対面した男にはそんな悲しみに暮れた燐子さんにとっての光になったらしい。燐子さんの過去を、ビッチの燐子さんを知る人がそこで話かけてきたらしい。
──キミって、オフパコしてるベルってひとだよねって。
「それで……?」
「わたしは……こうしたら、カンベさんは振り向いてくれるんじゃないか……って」
「それで白金さんは、あの男性と」
それで、俺が振り向く? そんなわけないと俺は肩を怒りで震わせた。燐子さんが短絡的な思考を巡らせたことじゃない。それも少しはあるけど、それよりも短絡的な思考に走らせた俺自身に怒りが湧いてきた。
俺が燐子さんを蔑ろにしてしまったから、俺がちゃんとしていれば燐子さんがもう一度誰でもいいからと身体を預けなくて済んだのに。
「わたしは……あの男性を使って……嘘をつきました」
「……ん?」
「あれ?」
嘘ってなに? と俺と紗夜は顔を見合わせた。
そこから先に語られた真実は、すごく単純なものだった。燐子さんは妬いてほしかったけれど、それでセックスをしてしまうと逆に俺にとってはマイナスポイントなんじゃないかと。そこで燐子さんは下心で近づいた男に、逆に脅迫を持ち掛けたらしい。
「脅迫」
「脅迫て」
「……だって、わたしのこと、知ってるんですよ……カノジョさんいるのに」
あーそういうことなんだ。だから自分に下心を出して近づいたことをバラす、と言ったわけですか。
そうして形勢逆転したのがこの間のホテル前での出来事。そうしてまず燐子さんはその場面を目撃されていることを確認して更に脅迫。かわいそうに、と同情してしまった。ワンチャン感じたらノーチャンだったどころか利用されたのか。不憫すぎる。いや浮気してなかったらこんなことにはならなかったのか、なら因果応報ってやつか。
「……そして、ちょっとしたら……カンベさんが焦って、迎えにきてくれたら……と思ったら……」
そうしたら俺が偶々最初の場面を目撃して、そして燐子さんの予想よりも遥かに早く、俺が燐子さんを迎えにきたのか。彼女にとってそれは誤算で、同時に自分のやったことを後悔し、また幸せと愛情を感じてしまったってわけね。納得した。
「……ごめん、なさい……わたし……」
「確かに、白金さんがしたことはよくないことです……けれど」
「けど、元は俺のせいだ……ごめん」
「そんな……」
俺は約束したんだ。燐子さんのことも、ちゃんとするって。安易な約束をしたんだ。
そんな安易な約束すら守れずに燐子さんを強硬手段を取らせた俺にも責任があるんだ。
だから、燐子さん。俺は迷うのをやめたらいいんだって学びました。
「紗夜がどんだけ許可を出しても、燐子さんがどれだけ俺のことを想ってくれてても、俺はどっかで怖がってたんだ。二人を両脇においてると、二人がどんな目で見られるかってそればっかり考えてた」
だから俺は紗夜ばっかりを構ってた。燐子さんを蔑ろにしたんだ。
だから俺は燐子さんの異変に気づけなかった。
だから……俺は燐子さんの幸せを考えていきます。紗夜のことも燐子さんのことも、俺はちゃんと約束した通りに頑張るから。
「燐子さん」
「……はい」
「俺、燐子さんのこと
「わかって、ます……あの時のわたしの、手を引いてくれたあなたは……素敵でした」
もう紗夜の許可はいらないと思った。紗夜はきっと最初から全面的に、とある一点を除いて許可を出してくれているから。
──両手を広げて、俺は燐子さんを今度はしっかりと自分の意志で抱きしめた。童貞には過ぎた贅沢だ。紗夜を選んでおいてこれは、あまりに蛇足にすぎるだろうと思う。
だけど言わせてほしい。これがたぶん、俺にとって一番な気がするんだ。紗夜との関係も、燐子さんとの関係も。どっちもあるから俺だって言えるから。
「まだ……セックスして、ませんか?」
「それはもう。カンベさんはとんでもないヘタレクソ童貞、略してヘタクソ童貞なので」
「めちゃくちゃヒドい略しかただね?」
「ふふ……わたしもいるので……覚悟を決めるなら、早めに、ですよ?」
「え……あ……本気?」
「カノジョ……は紗夜さんの称号ですから、セフレ……ということで、よろしくお願いしますね、カンベさん?」
セックスをしないセフレができました。あっはっはっは、俺はどうなってしまうんでしょうか。取り敢えず、俺の状況はもう抜き差しならないところまで差し迫っているということを改めて感じた。これはもう、童貞の理想の捨て方なんて頭をお花畑にしてる場合じゃない。
「抜き差しならない状態なので抜き差ししてしまいましょうね、カンベさん」
「言うと思った!」
「うふふ……今のうちに、ホンバン前に練習……しますか?」
「ええ、それってホンバンって名前の練習だよね!?」
「ダメです! 練習も本番も私です!」
「なら、早く……わたしが、我慢できなくて……襲ってしまう前に」
あれー、昔レイプはしませんとか豪語してなかった燐子さん? そうやって首を傾げると、セックスをする前提のオトモダチなので、もう合意しているも同然でしょう? と妖しく微笑まれた。ひえぇ、肉食の目だ。ライオンと豹が睨み合ってる。
「カンベさん! そろそろ私たちは決めるべきです!」
「待って……」
「そうです……待てません」
「ええ」
急展開だ。まさかまさか、こんなことになるとは。これも俺が燐子さんを蔑ろにしていたせいで、俺は断れない。
間接的に、紗夜の思い通りに事が運んでいる気がするよこれは!
「──次のデートをするわよ。私がエスコートします、異論はなし、わかった?」
「……はい」
もう一度言おう、まだ美鈴の話も完結してないのに、ここで俺は次のデート先を決められないという状況にまで、追い詰められてしまった。
そして、待っている結果はただ一つだ。紗夜が指定することと言ったら、あれしかない。前からずっと冗談で名前だけは出ていた、アレ。
──俺はこうして大学入学から三週目が終了した時点で、ラブホテル行きが確定したのだった。
一難去ったら、とんでもない難点が訪れた。というかさり気なくフレ作っちゃった。あんだけ高校生の時はセフレなんてどうのとか言ってたのにね。