「ミルク、好きなんですね」
「……そうなんです。昔から……ホットミルクばかり、でしたから」
俺は今、童貞がおおよそ不可能だと思われた領域に足を踏み入れているッ!
──と、テンションが最高潮なのを隠しながら表面上は穏やかに会話してる。けど鼻息荒いだろうし、そわそわしてるから完全に変態のソレです。
「それにしても、大きなパソコンに、ピアノ……お嬢様みたいですね……見た目的にも」
「そんな……こと」
なんと、現在白金宅のとあるお部屋にお邪魔させていただいています。目の前に座る白金燐子さんの部屋。
清潔感のあるお部屋からはベッドの上に置いてある芳香剤の良い香りと、また別種の……恐らく燐子さんから発せられる良い匂いが混ざりあって甘い誘惑のような……あ、なんかこれ変態っぽいからやめよう。とにかく女の子っぽくありながら白基調で、部屋には趣味らしいネットゲームをやるための大型のパソコンのモニターと、ピアノ、その隣にはRoseliaで愛用しているキーボードまで。
それが入って尚、小さな丸机と俺と燐子さんが座ってもまだスペースがある、というのは恐ろしいところだよなぁ。俺んちのリビングくらい広い。
「……ごめんなさい。わざわざ、来てもらちゃって……両親もいなくて」
「い、いえっ、燐子さんには花女に入れてもらったって恩がありますから! 困ってることがあるなら、大歓迎ですよ……俺でよければ」
なんで、こんな清楚なお嬢様風の燐子さんのお宅へと上がらせていただいているのか、それはほんの少し前に遡る。
♪ ♪ ♪
「おう、カンベ、今日はなんか予定あんの?」
「んー、さて、今日は紗夜さんもいないし、のんびり家でベースでも触るかぁ」
「相変わらず羨ましいヤツだな!」
「いてぇ!」
学校が終わって、そんな会話を友人とする。
あ、カンベはバンド活動やってる間にすっかり定着しちまった渾名みたいなものです。毎回言ってる気がするけど本名とは違うよ。
──ところで紗夜さんと過ごすのが贅沢? バカを言うんじゃねぇ。あのヒトとの会話中に何回下ネタぶちこまれると思ってんだ。毎度毎度、飽きることなくだぞ! 最近じゃどんどん際どくなってきてそろそろ下半身に悪い。しかも断ると家まで付いてくる始末だからそろそろ警察の厄介になればいいと思います。
けどそんなオトモダチは今日は別の
「なんなんだろうなぁ、
童貞だとか関係なく、ビッチだろうと恋をしたから俺に迫ってる、ってまでは百歩譲って納得できた。でも、でもさ、なんで俺なんだ? それが全然わからない。訊きたいけど、正直、なんで俺のことが好きなの? ってバカっぽいよな。だから童貞なんだ、とか言われそうで相談もできないし。
安いプライドを抱えた俺は、紗夜さんの気持ちにも宙ぶらりんなままで、放置してる。あ、放置プレイじゃないよ。
「……ん? 紗夜さんかな?」
そんな悶々としたままベースを弾きながら悩みを抱えていた俺のスマホに、一通のメッセージが届いた。紗夜さんか、と画面のロックを解除すると、そこには、白金燐子さんから、今から電話できませんか、という文字が顔文字と一緒に躍っていた。
──り、りりりり、燐子さん!? いや、いや落ち着け! 落ち着けよ、俺ッ! 燐子さんとお知り合いになって連絡先を交換してから早一週間ほど、何回か他愛のない話を……向こうから振ってくれたけどこなしてきたじゃあないかッ! 今更電話だとかなんだとかでビビるこたぁねぇッ! やるぞッ!
「ど、どどどうかしましたか?」
あ、めっちゃテンパった。声が震えすぎてドドドドドドドドドって口で言ってる変なヒトと化してるし、ホント、家でよかった。
『か、カンベさん……ごめんなさい、今……大丈夫でしたか?』
「う、ううん、どうしましたか?」
『あの……実は』
そう言って電話が苦手らしい燐子さんはつっかえながら状況を説明してくれた。どうやら道端で声を掛けられたらしく、断って家まで逃げてきたんだけど、怖いから話を聞いてほしい、ということらしかった。両親もいないから家に一人で心細いんだと。
『……で、でも……迷惑、ですよね……わたし』
「いえっ、そんなことないです!」
燐子さんが怖がってるなら、俺はなんとかしたい! って正義感とちょっとは距離を縮められるかなっていう下心を持って、俺は提案をした。
──それならば俺が傍にいきます、と。我ながらなんて難易度の高いことを言ったんだと思うんだけど、吐いた言葉は声帯に戻ることなく、燐子さんの鼓膜を震わせる。後には退けなくなった。
『本当……ですか? もし、カンベさんがいてくれるなら、心強いです……』
「ええ! ご両親が帰るまで、俺がいます!」
『それじゃあ、家の場所を送りますから……お願いします』
♪ ♪ ♪
──こうして今に至るわけだ。勢いとは言え、燐子さんの部屋に通されて俺は心臓がバクバク言ってる。そして燐子さんもやっぱりまだ面と向かってすんなり、と言うわけにはいかないようで、俺から視線を合わせずに、ミルクを見下ろしてる。
「……あの」
「はい、なんでしょう?」
「……氷川さんのこと、カンベさんは……どう思っているん、ですか?」
そんな気まずい沈黙を破ったのは燐子さんの質問だった。ある程度は覚悟をしていた、共通の知り合い、紗夜さんのこと。
確かに、誰の目から見ても紗夜さんと俺の関係は中途半端だ。紗夜さんはどうやら恋人、なのか知らないけど、俺の童貞を奪おうとアプローチをかけてくるけど、俺はそれを拒否し続ける。だけど、だからってそんな言葉よりも単純な関係じゃないんだ。
「……悪い気はしません。紗夜さんは美人ですし、笑ったり、拗ねたりすると、とってもかわいいところもあって」
これなんだ。俺の気持ちが中途半端なんだ。
紗夜さんに好かれて、童貞でモテたことのない俺は、どうして俺がと自虐しながらも、浮かれてるんだ。その関係が楽しくて、いつもカフェやファストフードで面と向かって話す時間が楽しくて、だから宙ぶらりんにしちゃうんだ。本当は、さっさと断るなり、腹を括ってあのヒトにリードされるなり、すればいいのに。
「笑ったり……拗ねたり……ですか、氷川さんが……」
「え、はい……なんか、おかしいですか?」
けど、燐子さんは俺が予想した反応とは全く違うリアクションをした。
瞬きをして、口を小さく開けて、驚いてることがわかる表情。それが、俺にはわからなかった。
「氷川さんは……あまり、感情を表に出すヒトじゃ、ないから……」
「あ、そうなんですか……」
「……でも、やっぱりそれだけ……心を、開いているんですね……カンベさんには」
心を開いている、か。俺は紗夜さんが何を考えてるのか、何を思って俺にアプローチをかけてるのか、必死で読み解こうとしていた。わからないから、理解しようとしていた。
──けど、もしかしたら、もっと、もっと単純なことなのかもしれない。そうやって好きとか好きじゃないに理由をつけるのは、少し、いけないことなのかも。
そんなことを考えていると、燐子さんが、薄く微笑んだ。
「羨ましい……です」
「え? 紗夜さんが?」
「はい……そうやって、想う相手がいる紗夜さんが……そんな紗夜さんのことを、考えている、カンベさんが」
「え、俺も?」
すっと近づかれて、距離が縮まって、俺は思わず背を反らした。え、なに、なになにこの雰囲気、もしかして……もしかして俺、今脱童貞チャンス? いやいや、でもまだお付き合いどころか両想いかもわかんないし、俺としてはもうちょっとゆっくり関係を進展させてからじゃないと、心の準備が……!
「……この一週間、カンベさんと連絡を取って、すごく……すごくドキドキしました……こんなヒトと、お付き合いできたら、そう……考えて」
「り、燐子さん……マジっすか」
はい、と蠱惑的に微笑みを浮かべる燐子さんからは、清楚系で引っ込み思案ながら、そこはかとないエロスを感じる。おずおずと距離をつめてくる燐子さんに、俺は目が離せなくなってしまっていた。
「り、燐子、さん……でも、俺たちまだ、過程が、色々っ」
「……やっぱり、わたしじゃ……ダメ、ですか?」
いやいや、ダメでしょ! やっぱりまだ付き合ってないのにこういうのは、なんか違うよ! 俺としては付き合って、デートしたり食事に行ったりして、手を繋いで、キスして、とか順番に、スモールステップでいきたいわけよ! いい雰囲気になったからってヤれちゃったりできるほど、俺は大胆にはなれません!
「ま、まだ早いです……! そういうのは……っ」
「でも……わたし、身体、熱くて……お願いします……っ、どうしたら、いいの……コレ……はぁ……んっ」
首に手を回され抱きしめられ、脳天にしびれる程の嬌声が叩きこまれた。当然こんな状況だというのにそのエロさに俺の息子がズボンを突き破らん勢いで膨らんでいた。違う! お前の初陣はこんなところじゃない! そんな、呼んだかい? みたいな勢いで出てくるな!
「ま、待って……! 電話! スマホ!」
「……はい」
着信音によって理性が取り戻され、慌てて燐子さんから離れて電話に出る。画面はよく見なかったけど、誰だろうと、もしもし、と控えめに声を出す。
『カンベさん』
その相手は紗夜さんだった。わかってて邪魔したんじゃないかってタイミングでなんとも言えない気持ちになったけど、今は助かったって気持ちの方が大きい! ありがとう紗夜さん!
「……カンベさん」
「あ、ちょっと待ってて、燐子さん」
『……今、もしかして白金さんの家にいますか?』
ええそうです、と言いながら燐子さんの部屋から出て、家の外で電話をする。情事、もとい用事はどうしたんだろうか。そんな疑問は紗夜さんの方から返事をしてくれた。
『今日は夜からの用事なんです。お相手は社会人ですから……って、そうじゃなくて!』
「え? なんですか?」
『本当に白金さんの家にいるのですか?』
「え、あ、はい」
『あなたがまだ清い身体でいたいなら今すぐ、逃げてください』
──はい? 紗夜さんに呆れ半分、焦り半分でそう言われた瞬間、後ろに気配を感じた。ぞわりと、まるでライオンを見つけたキリンのように、本能的な危機を察知した。
とろんと蕩けた瞳、小ぶりな唇から見える、綺麗な舌。そこから吐き出される息は、情欲を伴って、俺を見つめてる。
「カンベさん……わたし、もう我慢できなくなっちゃって……今夜は両親が帰ってくるまで、一緒にいてくれる、って……言いましたよね? だったら、
あ、そういうこと? 俺でも流石にわかっちゃいましたよ、紗夜さん。
なるほどね、やっぱり紗夜さんがそう簡単に自分がビッチだってことを打ち明けるわけないと思ったんだよ。
そして知ってたとして、それに対して、本当の清楚系は口にすら出さないよな、本当の、だったら。
「ふふ……カンベ、さん」
『──白金さんは、
天空を仰ぎ、この時ばっかりは俺の運命をもてあそぶ神を恨みたい気持ちでいっぱいになった。なんで俺がお近づきになれる女性は、そればっかりなんですか、おお、神よ!
「カンベさん……わたしが、ハジメテのお相手、シますから♡」
──白金燐子さんは、清楚系の皮を被った、めちゃくちゃ普通に肉食系のビッチだった。俺、もう女性不信になりそう。