それは燐子や紗夜と一緒にリサの差し入れてくれたクッキーを食べていた時のことだった。お得意のお手頃サイズのおっぱい枕と一緒にだーれだとかわいらしい声をかけてくる。そもそもこんなことをするのが一人しかいないので花音ですね。
「せーかーい♪」
「……何しにきたの? 練習?」
「ううん、陽太くんに会いたくなっちゃって」
そっかと俺はクッキーを差し出すと花音は嬉しそうにあーんと口を開け、指ごと食べられる。あれかあーんされるのヘタクソなの? それとも俺がヘタクソなの? そんな風に戸惑っているとわざとだよう、と舌を出してくる。
「私、あーんするの下手じゃないでしょ?」
「そのジェスチャーはやめなさい!」
「歯とか立てないし、ちゃんとしゃせ──」
「やめなさいってば!」
確かに下手じゃないし、そのまま花音に搾られたことあるけど! そうじゃないよね、とツッコミをしていると燐子が立ち上がった。おお、さすがのヤバめな下ネタに燐子が抗議の声を上げてくれるのか! ありがとう燐子!
「陽太さんは……下から、舐めてご奉仕する方が、感度がいいです……」
「そうなんだあ」
「触覚だけでなく視覚的に訴えることもまたセックスの表現の一つですからね。私はほとんどしませんが」
「あー紗夜ちゃん苦手って言ってたよねえ」
カオス、三人揃っての下ネタ談義は名誉童貞の俺にはダメージがでかすぎる。紗夜はちょっとトラウマ的な要素もあってあんまり得意じゃないし、なんなら花音もなんでか知らないけどできる人とできない人がいるって言ってて俺には断然できる人らしい。燐子は言わずもがな。
「そういうの好きなら、これからシてあげようか?」
「俺は別に、花音がシたいことが一番じゃないかなーって思ってるから」
「……そっかあ♡」
ん? なんか花音のスイッチが入った気がする。彼女のセックスしたいって性欲のスイッチが入ったかどうかってのは三人の中で一番わかりやすいよね。本人が恋人とシたいセックスとセフレとするセックスは違うって断言する人だし、なんならシたい時とシたくない時の差がハッキリしてるのもあるよね。
「ねえ陽太くん?」
「スタジオが防音だからってシないからね」
「えー、とか言って燐子ちゃんとはシてる、でしょ?」
「してないからね紗夜」
立ち上がって反応しないでいただきたい。決してそんなことはしてません。燐子には防音だし鍵かけれるし最高の場所だと思いますとは言われたことあるけどさ。それを俺が許可するわけないよね。
「ところで花音」
「んー?」
「もしかして、あの人との約束……関連でここに来た?」
花音の顔がちょっと変わった。いや、わかってることだったよ。あの時はそれが紗夜を傷つけることになるからこそ、スルーされていたことで、こうして今となれば花音の合意がある以上拒否する必要もないってさ。
「あー、なんかあったら
「そんな……松原さん」
「紗夜ちゃんは気にしないで。私がそうしたいと思ったんだから」
あくまで明るいいつもの花音を維持したまま、それが少し痛かった。あれだけ、俺だけがいいと言ってくれた花音を犠牲にしたんだって悔恨が俺の胸に押し寄せてきた。手を取って今すぐどこかに逃げ出したい。それくらいに花音があの人の元へ行くのが嫌だと思った。
「い、いつ頃行くの?」
「……そうだなぁ。陽太くんたちの休憩終わるまでかなあ?」
紗夜がすごく申し訳なさそうな顔をしてる。でも紗夜のせいじゃないよ。俺がもっと、どうにかできたら、花音を頼らなければ。
そうこう考えてるうちに練習再開の時間になってしまう。名残惜しそうに花音は俺に手を振ってくれた。
「それじゃあ、練習頑張ってねえ」
「……っ!」
そんなのは嫌だ。例えガキのわがままだろうとなんだろうと、俺は花音を独り占めするって決めたんだ。だから、俺が取れる行動は一つだけ。わかったツラして見送るんじゃなくて、行かないでと喚くことだ。
「行くな」
「……陽太くん」
「俺は、嫌だって言った。どうしてもなら俺が相手するって」
「うん」
「だから、わがままだけど……っん!?」
抱きしめて引き止めたら、めちゃくちゃキスされた。我慢できなくなったとでも言いたげな表情で、でも花音は俺に幸せそうな笑顔で向けてくる。
そして、大丈夫だよとまたキスをされた。
「陽太くんは勘違いしてるよ? まあ、訂正しなかったのは私だけど」
「……なにを?」
「今日はつぐちゃんのお店で千聖ちゃんとお茶するだけだよ?」
「えっ、じゃあ……いつ?」
「えへへ、実はね──」
そう言って事情を説明してくれた。だからもう求められないから大丈夫だよって。確かに俺が問いかけた時に否定はしなかったけど肯定もしてなかった。それを俺が勘違いしただけだ。勘違いをさせるように言葉は選んでたけど、花音は嘘をついてない。契約解消の時にお礼付きで助けるって約束をしたのも事実。それが履行されるとは言ってないけど。いつ頃行くの? って答えには花音は普通にここを出ていくタイミングの話しかしてなかったということ。
「いやあ、でも陽太くんはやっぱり……私にとって最高のカレシだね」
「勘違い、だけど」
「ううん。仕方ないってわかったフリせずにわがまま言ってくれたから」
花音はいつもそうやって妥協や大人のフリしてくる男を見てきたから。いつの間にか彼女の理想はまっすぐに自分を愛してくれるヒトになってたんだよね。自分の悪癖にそれで付き合えないならって妥協するんじゃなくてそれが原因でフラれても、諦めないとか、そういう努力めいたものが必要だったんだよね。
「羽沢珈琲店、だよね?」
「うん」
「……待ってて、終わったら迎えに行くから」
「……うんっ、わかった」
ここから本番までデートなんてできないから、特に花音とは会える回数が少ない。だったら、こうやって一緒にいられる時には一緒にいてあげたい。いやそうじゃない、一緒にいたいんだ。俺は、松原花音が好きだから。
「……だ、大丈夫、だった?」
「うわ、燐子……見てたの?」
「……うん」
今度こそ花音と別れてスタジオに向かおうとするとその角で心配そうな顔をした燐子が待ち構えていた。というか覗いてたんだね。その目には松原さんが心配でしょうがないって顔だ。大丈夫、と事情を……紗夜にもちゃんと説明しないとね。
「なるほど、そういうことだったのね」
「うん」
「よかった……です」
「まぁ、彼女なりの会えない寂しさを埋めるいたずらのようなものでしょうから、それはいいけれど」
事情を説明すると紗夜もほっとしたような顔をした。燐子も安堵と安心を顔に浮かべていた。俺は、なんだかわからないけどそれが無性に嬉しくてしょうがなかった。ずっとほしかったものがいつの間にかそこにあったような、サンタさんにプレゼントをもらった朝のような高揚感と嬉しさがそこにはあった。
「あと一週間、やれるだけのことはやるわよ、大樹」
「おう、頑張るから離れてくれ友希那」
「アイスさん! ここのリズムなんですけど~、どうやって叩いたらカッコいいですか!」
「……これだ」
「とーま、今日何食べたい?」
「和食以外」
「ランスさんは、ここのところの女性の付き合い方はどうしているのですか?」
「うーん、カンベにはオススメしたくない方法なんだけど」
「やっぱり、複数……プレイ、ですね」
みんなの意気込みも十分……うん、十分だろう。なんか会話的にまったくそんな気がしないけど。雰囲気としてはみんな本番に向けてやる気十分だと思っておこう。ランスの会話が非常に嫌な予感がするんだけどさ。
「あ、カンベさん! いらっしゃいませっ!」
練習が終わり羽沢珈琲店に行くと看板娘でもあるつぐみちゃんが元気のいい笑顔で癒してくれる。かわいい、もうかわいいオブザイヤー取れちゃうね。いつものようにコーヒーを頼むとこれまた癒しオーラ全開で新作ケーキ、作ってみたんですけど、と無料で試食させてもらえることになった。うーんかわいい、二連覇。
「松原さん、お話よろしいですか?」
「ふふ、ごめんねえ」
「そんな軽く謝って許すとでも? 心配したんですよ?」
一方で紗夜と燐子が花音を問い詰めていた。その様子を静観していた白鷺さんが俺のところにやってきて、すごく嬉しそうな顔をしていた。
花音のことをずっと見てきた親友さんはポツリといいわねああいうのもとつぶやく。
「きちんと居場所を見つけられたのね、花音は」
「そうなのかな」
「あなたが作ったのよ? 紗夜ちゃんも燐子ちゃんも、居場所に救われてるのだから」
その優しい言葉に俺はそういうもんですかねと相槌を打った。そっか、あの時感じた嬉しさはそういうことだったのか。
いつの間にか、ちゃんとお互いがお互いのことを自然と思いあえるようになっていたから。奪い合うのが基本だった三人がいつの間にか、ああやって一緒にいられるようになっていたからだったんだ。
「俺、やっぱ最低な男でよかったな」
「最低なのに?」
「最低じゃなかったらきっと、あの三人は見れなかったから」
ほらね、俺はやっぱりこの道でよかったって思わせてくれるのもまた、紗夜であり、燐子であり花音なんだ。紗夜がいくら後悔したとしても、俺はこの選択をしたからこその幸せだと思ってるよ。
「さて、私はそろそろお暇させてもらうわね」
「あ、千聖ちゃん、またね」
「ええ、
「うん」
──千聖ちゃんね、いつもカレシ作ると愚痴っぽくなるんだ。私が傷つくってわかってるからかな。そんな風に花音が話してくれたのはいつだったか。でも白鷺さんは明るい顔でその場を去っていって、また俺は胸が暖かくなるのを感じた。
「陽太くん」
「ん?」
「大好きだよ」
「急にどうしたの?」
「なんとなく言いたくなっちゃった」
でも、こうなるとまた俺は欲張りになってしまうんだよな。今日も燐子がちょっとしょんぼりしていた。ごめんね、燐子は明日一緒に帰ろうねというと数分間抱き着いたまま離れなくなっちゃったんだよね。
──俺としても、ここで一人しか選べないのは心苦しい。ベッドは二人でギリギリだしかと言って三人でホテル、というのも一泊するのは案外値段が張るんだよね。
「確かにね。燐子ちゃんなんか特に毎日でもお世話したいーってタイプだもんね」
「そうなんだよね」
「そっかぁ……思ったよりも早く来たかもね」
「なにが」
「変わる時が?」
変わる時? という俺の言葉に花音はちょっと時間がほしいなと意味深な返事をした。変化を受け入れたら新しい変化が待っている、らしい。でも花音の表情的に悪いことじゃないだろうということで、待たせてもらうことにした。その変わる時に、またみんなの笑顔が見られたら俺はそれでいいからさ。